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つぶやきすれっど2

2059れん:2006/05/14(日) 20:40:39
犀角独歩さん
>2052
管見にはいったものでは、日寛にかかる文献では「金口の相承」の語は寿量品談義(富要第十巻所収)に見えますが、三口一徹の相伝は日寛の文献には見えず、石要血脈問答以外では日因の三四月会合抄上巻に日目上人直授相承に云くとして引用されている一文のみに見えるだけですね。
>2058
派祖の時代…その名目すら“秘事”…時代を経り、「三大秘法」という造語も漸々と定着…密事は、門下教学の解釈に取って代わられ、日目直授相承は色も褪せ、やがて忘れ去られていったという経緯であった…
私も歴史的経過を考える時、仰る通りと存じます。私の愚見では、近世から現代にいたる石山の三大秘法義はあの彫刻を中心に据えたものですが、石山上代に見える日目直授という本門三大秘法義が色褪せ忘れ去られた背景には、石山義としては新義といえるであろう彫刻を中心とする三大秘法義にたいする信仰とその後付け教学の影響があったと思えます。要するに忘れさられたということは、日目直授とされていた上代石山の三大秘法義と近現代石山の彫刻を中心とした三大秘法義は、異質であったからということを表していると思います。
初期日目門下の三法門は、日目には法華取要抄の写本(ただし公開されてないので、内容が草案か中山本かどうか不明)が石山にありますから、恐らくそれに準じたものと思えます。それを土台として、日蓮・日興からの師伝を付加したものが、日目の三法門観ではないかと思います。日興による付加とは門徒存知事に見える日興による本門寺(戒壇含む)建立地を富士に選定したということであるとは考えられます。
日目に近い時代に成立した初期郷門の日叡・後信抄の記述は、初期日目門下の三法門観を窺う一つの資料となるかと存じます。
以上、日目の三法門観についての資料があまりに少ないので、これが限度なのですが、雑雑ながら、賢察などというレベルには千万が一にも及びませんが愚見をしるしてみました。


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