したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

つぶやきすれっど2

2058犀角独歩:2006/05/14(日) 10:07:19

すでに日蓮門下も六派祖の時代に入ってからは、それぞれ、本拠を構えて、弘教、弟子の養育を行ったことを、各寺院の縁起などからも窺えます。
これはまた、換言すれば、僧侶が寺院を構えることは、その土地の地頭(国主)の認可なくしてはできないことであったという歴史的背景に基づくものです。

それは派祖に限らず、日蓮にしても、波木井の庇護と認可に基づいて、身延に久遠寺の堂を結んでいることからもわかります。日興が身延を離山したのも、その力関係では、地頭が勝っていることを物語っています。

日目が大石寺を開けたのも南条の認可であり、この地頭と僧侶の力関係は重須でも同様でしょう。

天奏は、現代で言えば、宗教法人の許認可を求める嘆願といったところと、わたしが記したのは以上の事情から類推するところで、この歴史的背景を通じて、申状を読まないとその意味を取り違えるだろうというのが一連の遣り取りでした。
それにしても、日目に係る資料を手放しで、ただひたすらに日目崇敬を懐くという有様は、所属団体の刷り込みが如何に大きなものであるか、その一例を見た思いがしました。一中一弟子については、先にれんさんと議論になりましたが、そんなことは何処吹く風という態度にも嘆息を禁じ得ないものがあります。


さて、京は、鎌倉に新幕府が樹立されようと、武家政権となろうと、日本人にとって、変わらぬ中心地であった。その中心地に寺院を建立し、布教の本拠とすることは、これまた、現代風の言い方をすれば、地方区から全国区への進出を目指す悲願であったわけです。天奏が意味することは、この日本の中心地、京都における布教とその本拠の安堵を、幕府も、地頭の、さらに上に位置する朝廷から勅許されることを求めるものであったのでしょう。そして、実際のところ、日尊は油六角小路の土地を受け、上行院を建立するに至ります。

このように京都を目指した日目が、では、単に京都進出だけにその意図があったのかという点は、先のれんさんが提出される日目に係る“相承”と大いに関連するとわたしは考えます。

真蹟遺文から見る限り、日蓮は本門戒壇の具体的内容の言及は見られません。題目についても、本尊についても、あれだけの言及をしているのに、殊戒壇については、その名目を挙げるばかりで、言及がないわけです。依って、わたしは、日蓮は戒壇思想を構築以前に死去したのではないのかと考えていました。しかし、この考えを覆すに足りる資料が存しました。『法華取要抄』の草案である『主要抄』『以一察万抄』です。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50434021.html

この提示をわたしは彰往考来さんから受けたわけですが、都守師の秀逸な分析は、わたしのそれまでの考えを覆すに足りる論攷でした。『善無畏抄』の件という、まさに日蓮宗にこの人ありと言うに相応しい優秀な学者であると、わたしは尊敬します。

横道に逸れましたが、派祖の時代、富士方で言えば、日興・日目の時代、では、戒壇義を含めた三箇秘法というのは、門下一般にとって、現在のように遍く知られたものであったのかという疑義は立ちます。わたしは、そうではなかったと考えます。いまですら、日蓮の戒壇義は不闡明であるわけですが、当時はさらにその名目すら“密事”に属したのではないかと思うわけです。ここから、れんさんがお示しの、日目三箇秘法直授、また、耳引法門ということも成り立っていたのではないのかという、歴史性は付加して考えてみる必要があると思うわけです。しかし、時代を経り、「三大秘法」という造語も漸々と定着すれば、密事は、門下教学の解釈に取って代わられ、日目直授相承は色も褪せ、やがて、忘れ去られていったという経緯であったのではないのかと、類推しているわけです。この点については、是非とも、れんさんのご賢察を窺いたいと希望します。

ともかく、天奏を目指した日目は、第一、帝都弘教の安堵、朝廷の帰依、ついには、日目直授、“要”の一密事、成就、すなわち、迹門戒壇に代わる、本門戒壇建立構想を、他の天奏をなす人々とは違い、懐いていたかも知れないという想像はできます。しかし、この想像を補強するためには、れんさんがお示しの日目直授の相承…、というか日蓮の特命があったかどうかに掛かると考えられます。しかし、いまとなっては、この点を証明することは困難を極めることでしょう。

なお、「一中一弟子」については、すでにれんさんの議論をしましたが、数カ年前にも指摘しましたが、ここに上がる「最前上奏仁」の最前が最も最初に上奏したという意味であるとする解釈は、石山でまことしやかに取り沙汰される以下の記事

1281 弘安 4 日興園城寺申状を代奏す〔初度天奏〕(聖613)(富士年表)

と齟齬を来していることが指摘できます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板