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つぶやきすれっど2

2051れん:2006/05/13(土) 17:54:25
犀角独歩さん
>2047
近代以降の石山…四帖…耳引もいわれなくなりましたね。散失…「猊下」もご存知ない…
独歩さんの仰るとおりですね。耳引との関連が予想される“日目上人直授相承”については、石山三十一代日因の三四月会合抄上巻に引用され、安政六年成立の大石要法血脈問答にも「唯授一人極秘の御大事とは大石寺金口の御相承・三口一徹の御相伝等、惣じて三十三箇の御相承と聞く」(富要第七巻10ページ)とあり、日目直授相承=三口一徹の相伝の存在を金口相承と並記しており、江戸後期まで確認できますが、近代以降は四帖も耳引も、目師直授相承さえもいわれなくなりましたから、独歩さんの仰るとおり、すでに散失してしまっていて、“猊下”ももはやご存知ないというのが真実かもしれません。
まあ、日有の頃の石山義における三箇秘法を左京日教の著述からみますと「当家には本門教主釈尊・本門戒壇・南無妙法蓮華経の広宣流布あるべき事の三箇の秘法と申すなり」(類聚翰集私)「三箇の秘法とは仏と土と教法なり」(日辰の造読論議に引用される大石寺顕応房=左京日教が会津実成寺泉養房へ宛てた消息文)ということになるのでしょうね。当時の石山ではこの三法門についての教義は日蓮から日目に伝承されたという主張していたということですね。
なお郷師の門下の日叡の後信抄に「本仏、本戒、本尊」とありますが、本来は、本仏、本戒、南無妙法蓮華経とでもあるべきですが、それが本尊とあるのは、案外、もしかしましたら文永十一年十二月の“大本尊”の図顕讃文を有する日蓮御筆漫荼羅の存在を念頭に置いていたが故かもしれません。日興門流上代事典によりますと日郷書写「万年救護本尊讃文」が日向定善寺に現存し「恐らく切紙相承の一種として日郷から日叡に授与されたものではないかと推測」(上代事典383ページ)されるからです。まあ、これは私の根拠薄弱な思い付きにすぎないのですが…。


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