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つぶやきすれっど2
2050
:
犀角独歩
:2006/05/13(土) 12:06:55
2039のわたしの応答に対して、なしさんからはいまのところ、返答はありませんが、もう少しだけ、申状ということについて、記しておきます。
日蓮が、鎌倉で布教をはじめようとしたとき、『立正安国論』を上申しました。
日蓮滅後、6人の派祖たち、また、その系脈に係る人々は、主に京に向けて申状を提出していったわけです。門下一般では、これを「国諫」と称し、捨邪帰正、一乗法華経帰依の旗印のように論じられてきました。
しかし、わたしは、この説明は、どうも納得がいかない。なぜならば、為政者というのは、常に複数の宗教者、複数の寺院を認めていて、ただ一つに帰依するなどということはなかったからです。
申状…、というより、国諫?と言われた行動を、わたしが「許認可」と言ったのは、たとえば、日蓮は新幕府の地、鎌倉で布教をはじめるのに上申をした、また、その門下は、やはり、日本の中心地である京都に向かい、上申をした。その内容は表面的には確かに自己正当の主張であったけれど、詰まるところ、為政者、国王に自分たちの教えが正しいことを認めてもらうことに主眼があった。これは結局のところ、布教基盤の確保、自己存在の確保という主眼があるわけで、つまるところ、現在の宗教法人の許認可とさほど、変わらない行為であると映じるからです。
しかし、取り分け、そのなかで、近代の国家神道のように、もしくは伝教当時の比叡山のように、その主導権を自らが握ることに主眼が置かれれば、その許認可内容はさらにランクアップしたものとなる、従来の主導権を握る、宗教権威に自らが取って代わる第一歩は、まず、弘教の認可の確保であり、次には為政者、国王の帰依、ついには、日本一国の宗教的主導権の掌握という概ね三段階を、日蓮は想定していたし、また、その意志を継いだ六弟子も標榜した。日蓮が密事とした本門戒壇構想もそんな一環にあったのではないのかとわたしは考えます。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50434021.html
時代を遡れば遡るほど、宗教というものは呪術性というか、祈祷的側面が色濃かったわけですが、その性質はいまの言葉で言えば、「国家安全保障」の、霊的というか、神的というか、ともかく防衛の一環を、実は担っていたわけです。
近代でも、他国が責めてきても、神風が吹いて日本は守られると、本気で信じていたのが日本人でした。ところが、東京中心に都市に無差別爆撃をし、非戦闘員を大量殺戮されたうえ、ついには、2度までも原爆を落とされたわけです。ここに日本人の神風信仰は潰えたのでしょう。
結局のところ、日本の戦後というのは、この手の霊的防衛論からの卒業にあったわけです。日蓮滅後から、近代日蓮主義は敗戦で、ようやくその終焉を迎えたわけです。ところが、いまの顕正会の類は、この幻想をいまだに懐いて、高校生を中心に仏教の右も左もわからない不勉強な連中を誑かしているわけです。
いずれにしても、日目が本当に42度も天奏をしたのだとしたら、高名3度で流罪2回の日蓮のような眼に、どうして遭わなかったのか、日尊はどうして、京に代奏ののちに上行院を持ち得たのか、朗門に目を向ければ、どうしても日像に菩薩号、日蓮は大菩薩号を下賜され、それでも、一国帰依でなかったのか、という歴史的事実と照らし合わせたうえで、国諫?であるとか、申状というものを再読してみれば、その本来の意味するところは、冷静に、客観的に判断できることになるだろうと思うわけです。
まあ、返答がなくても、つぶやきということです。
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