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つぶやきすれっど2
2035
:
犀角独歩
:2006/05/12(金) 01:06:43
日目四十二度の天奏は後付の伝説か?
いま、ざっと検索してみたのですが、日目の四十二度の天奏は、古い資料で『五人所破抄見聞』の「日目上人四十二度の天奏」、『申状見聞』の「目上は一代の間四十二度の御天奏」といったところです。日目寂から、150年ほど、あとの伝説ということになります。
わたしが、日目の天奏に就き、許認可嘆願の類といったのは、その結末が日尊が代奏した結果、土地を賜って、一宇建立したのが上行院であるからです。
この史実は、死身弘法であるとか、国諫という語彙のニュアンスからほど遠いではないかと思うからです。
ただ、これは日尊のみのことかといえば、その他の事例も大同小異という印象があります。
また、申状を受けた側も、他宗他派を斥けて日蓮法華一宗を採ったなどということはなく、常に複数の宗教を是認しているのが、為政者の常でした。新興宗教の代表者が朝廷その他に謁見を求め、内裏に上がるのに、諫めの目通りが適うなどということは、実際上、考えづらいところです。むしろ、やや穿った見方をすれば、このような目通りには、その斡旋、紹介者を含めて、巨額の資金が動き、むしろ、主眼はそちらに傾きやすい面があったのではないのかと想像します。
中世の不受布施派のように、謗施、謗法与同、破邪顕正といった趣きの国諫が実際になされたとすれば、そのレスポンスは、日蓮と同様、法難流罪といった形となったでしょう。ところが、日目にしても、日尊にしても、そうはなっていないわけです。
申状とは「個人が公に差し出す上申書。申文ともいう。または日本中世における訴訟状。本解状・目安。所領等の争いにおいて安堵を要請する原告者の訴状」(日蓮宗事典)というのが、本来の意味ですから、国家諫暁書を直ちに意味すると考える点にわたしは疑問を懐いているということです。
なお、各師の申状の文面は定型化しており、それはつまり、現代の法令書式一般のように、一定の決まりに基づいて書かれたことを意味するのだと思います。
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