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つぶやきすれっど2

2030れん:2006/05/11(木) 23:00:01
犀角独歩さん
やはり突っ込まれてしまいました(笑)
御引用の文は百五十箇條ではなく、左京日教が石山転派後に著述した穆作抄ですよね。左京日教が富士に転派する以前の著作の百五十箇條では、「法門の大事・三箇の秘法を授け玉ふ日興」と記して、三箇秘法を日蓮が授与したのは日興という設定で、こちらが当時の尊門の伝承と思います。日教が富士に転派してからの著作には、日蓮が三箇秘法を授けたのは日目としている訳で、こちらが日教が帰依した当時の三箇秘法に関する石山義だったと思います。上古の尊門の系譜観は百六箇の奥に垣間見えるようにむしろ蓮興尊で、蓮目の直授相承観は富士山麓の目師門程には色濃くなかったと思えます。日教は石山日有とほぼ同時代に活動した天文法難以前の人で、石山に帰依してから三箇秘法については以前の蓮興直授の主張を捨て、蓮目相承を主張したので、整合性を諮るというという意図が日教にあったか否かは、私には分かりません。
石山日有の言では、石山で蓮目直授とされる耳引法門を文献化したのは六世日時だとするわけで、御提示の日教が穆作抄に記した耳引き法門にかかるエピソードの設定は、日有の言を補完するものではありましょうね。このエピソードの設定は、おそらく日時が四帖に記したものがネタ元だと思います。
堀日亨師によれば現在要山に所蔵される日蓮在世に日興が書写した観心本尊抄の写本は後世に石山が要山に与えたとのことですから、私の根拠の無い勝手な想像ですが、上古石山においては、石山にあったという観心本尊抄日興写本が、蓮興目の相承観に使われていた可能性はあると思います。
以上のことから、日教の穆作抄の耳引法門に関する説明は、当時の石山の主張を示したものとしては至当と判断しております。
以上ご参考まで。


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