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つぶやきすれっど2
2026
:
れん
:2006/05/11(木) 19:14:12
なしさん、初めまして。
目師の教学については、独歩さんのご指摘の通り、目師自身の著作は殆どなく、目師による日蓮聖人の御遺文の写本も、一代聖教大意(保田妙本寺蔵)・法華経題目抄(柳目妙教寺蔵)・四信五品抄(富士大石寺蔵)・法華取要抄(富士大石寺蔵)が伝承されるのみです。もっとも四信五品抄については奥書に「弘安元年五月二日」とあり、日蓮聖人在世、恐らく身延山での書写でしょうから、日蓮聖人から、この書の法義について何らかの教示を受けた可能性の推定は可能でしょう。ともかく目師が自身の日蓮聖人の教学に対する認識を披瀝した文献は現存しないので、現在、独歩さんが要約してくださった視点に落着しています。
一応の参考資料を提示すれば目師の孫弟子の郷門の日叡師の類聚記には「大上人御出世御本懐御法門日目上人御相承ハ弘安五年正月一日也云々」とあり、また同師の後信抄に「師傳ニ又本佛、本戒、本尊等の大事アリ、可秘可秘」とあり、上記の法門伝授が行われたことが上代目師門下に確認出来ます。道師門でも、大同の法門が伝承されていた模様でこちらは耳引法門として纏められたようですね(石山三十一代日因師の三四月会合抄に引用される日目直授相承〈三口一徹の相伝〉はその一部分の可能性があるかもしれません)。ただし郷門のそれは貫首一人の秘伝というわけではなく、日叡にも伝承されていた訳ですから当器伝授という位置付けだったと思います。
目師の問答については、日叡師の兄弟の慶俊師の写本を底本としたという戦国期の写本を翻刻した「問答記録」にありますね。目師筆の本尊には、現在公開されている三幅の御筆写真には「書写之」が記されてないのは、どういうわけによるものか、釈然としないものがありますね。まあ、図顕といった意識の方が強かったのかもしれません。
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