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つぶやきすれっど2
2022
:
犀角独歩
:2006/05/11(木) 10:36:59
なしさん
まあ、気に入らないと、言われても困ります(笑)
さて、この「問答第一」「天奏」という2点に就き、あなたの思いは矛盾していませんか。伝説によれば、日目は42度の天奏を行ったといいますね。(『五段荒量』等)最後は美濃で臨終されたわけですから41度ということになりましょうか。41度です。では、あなたがいうとおり、問答第一ならば、そこで問答がされ、相手が納得しなかったのならば、これでは、まるで問答第一ということになりませんが、どうでしょうか。
さきにれんさんが、日目に取り立てた教学的な特徴を見られないのは、むしろ、日蓮、また、日興の教えを忠実に継承したからではないか、顕正居士さんがご指摘されるとおり、特に著書が伝わらないわけです。それでも、日目の様を伝える伝記は古く、『御伝土代』に見られます。
「大聖仰せに云く。卿公問答せよ…聖感あつて云くさればこそ日蓮が見知りてこそ卿公をば出たれと云云」
この記事を見る限り、日蓮は、日目の問答能力を高く評価していたことが知られます。また、これは『家中抄』日目伝では「小日蓮」さらに「肉牙」問答第一の証に脱けた歯を下す(御肉牙)へと潤色されていきます。このようなところから、日目の問答第一の伝説は出来上がって言ったのでしょう。
わたしが日目の教学力に疑義を唱えたのは、問答第一という側面ではありません。概ね二つです。一つは、日目は日興在世の時から既に本尊を認めています。これは石山流の師弟の筋目に反しないかということです。もう一点は、日蓮の漫荼羅は「書写」の二文字がないことは、当掲示板でも話題に上ったことで、これは本尊書写のとしては、ルール違反ではないのかという点です。問答についてではありません。
問答というのは、勝ったほうが教学力も、信心もあると看做されることになりますが、わたしは問答の勝敗と、述べる教学の是非は別問題であると考えます。単に口がうまく、場を握れば、問答には勝つことができるからです。その好例が半世紀前の小樽問答の創価学会の勝利です。ここでなされた問答内容の学会側の主張はまさに噴飯ものですが、しかし、見かけでは学会の圧勝ということになります。しかし、その勝利に際し、主張された内容は、少しも日蓮の教学といえるものではなく、「本門戒壇の大御本尊」も偽物でした。
日目が問答第一であったか、懐く教学の日蓮を継承したものであったのか、今のところ、資料が乏しくその落着は困難であろうかと思います。
さて、前置きが長くなりましたが、なしさんは、一つの固定観念に基づいて天奏を考えているのではないでしょうか。それはつまり、問答が巧みで天奏して問答して朝廷を納得させれば、日蓮の教えに帰依する。これがまず、言われてきた物語を鵜呑みにしてしまったことによる判断の誤りの第一です。
当時のの事情、文献をから考えるとき、天奏とは、大雑把に現在の事例で類似形の探ると、いわば、宗教法人の許認可、また、朝廷、もしくは武家からの供養の確保という点に、実利面に重点があることがわかります。今の時代と違い、書類の手数料を出して、認可を待つというわけにはいきません。公の長、武の長と、直接掛け合って、弘教の安堵、寺領の安堵、経済支援を願うという具体的な嘆願が天奏であったというのが、当時の文献から窺える実像です。まあ、そこで問答に巧み(口がうまい?)というのは、他から抜きん出る意味でも、口下手より有利でしょうが、しかし、絶対要件ではないでしょう。
ですから、日目が問答第一であったかどうかと、天奏とは、直接、脈絡のないことであるとわたしは思いますが如何でしょうか。
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