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つぶやきすれっど2

2011犀角独歩:2006/05/10(水) 08:44:31

2007 なしさん

できれば、何かHNをお決めになって落ち着いて議論されては如何でしょうか。
ここは、つぶやきですから、議論はNG。ですから、感想程度に、以下、留めます。必要があれば、適切なスレッドに移動して、議論を続けたいと希望します。

> …パクリ…学ぶ・真似ぶ

は、御説のとおりでしょうが、わたしが「パクリ」と慨歎したのは、そのパクリ元を謗法だなんだと誹謗したうえで物真似をしているからです。これは学ぶ姿勢とは言えません。「盗人猛々しい」という非難の対象だろうという意味です。

> 報恩の志というよりみてくれ、世間気でしょう

それは、なしさんの個人的な勘繰りでしょう。
世間一般でも親が年を取れば、赤いちゃんちゃんこを着せるといった風習はあります。それは親孝行からの思い、報恩であるのに、世間気といってしまえば、その志は潰えます。

たとえば、日蓮の『立正安国論』が認められ、国士と認められ、朝廷の帰依も受け、官位を衣を下賜されたとしたらどうでしょうか。それを日蓮は拒否したでしょうか。わたしは、むしろ、当初の日蓮は、国師を標榜していたと思えます。となれば、それを否定する言われもないことになります。そんな拒否するぐらいであれば、そもそも、坊さんスタイル、頭を剃って、袈裟衣を着て沙門と名乗る世間気自体から否定すればよいわけです。薄墨=折伏ということ自体、後付の日蓮潤色のみてくれじゃないでしょうか。

> 日興上人は御影信仰との論は取り下げられました。

ええ、これは仰るとおりです。

> …仏は釈迦立像墓所の傍に立て置くべ し

この点ですが、恰も釈迦仏像の扱いを、この文献が既定しているような誤解があるとわたしは考えます。この釈迦像を墓所に置けとされたのは、これが日蓮手製の持仏、すなわち、日蓮個人の本尊だからです。

このような慣習は今でも行われていますが、堂塔伽藍に奉安される本尊と、各人が個人的に護本尊として所有する持仏とは、その性質が違います。
これを同等に論じるなど、石山で下付する個人用のお守り本尊を、本門戒壇の大御本尊として戒壇堂に懸けることだと言っているようなものです。ナンセンスな、勘違いというほかありません。


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