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つぶやきすれっど2
2007
:
なし
:2006/05/10(水) 07:00:52
散華の博識ご披露ありがとうございます。
儀式の淵源を尋ねれば誰かの創作でしょうから後にはすべてパクリでしょう。
学ぶの語源は真似ぶからだと聞いたことがあります。
>「宗門古来の伝統」ではないだろうと言ってのことでした
なるほど。
>日蓮御影に、在世は、弟子檀那が着せることが出来なかった緋衣を着せ、報恩の志が非難されるべきことなのか
報恩の志というよりみてくれ、世間気でしょう。アバタもえくぼに見えますか。緋衣の聖人、お弟子がカラフルの図、もう別世界でしょう。高価な法衣もご指摘どおりだとは思いますが。
>また、日顕氏が、創価学会の願い出によって執行した故牧口常三郎氏第50回忌で、戒名を冷然院感徳日常居士から、冷然院感徳日常大居士に改めたと言うことがありました。
これは初めて知りました。
>わたしは個人的には、御影は、日興の言とされる「影像を図する所詮は後代に知らせしめんが為」という精神は賛成するところが多く、ならば、当時の似姿を忠実に再現したものが至当であるという思いはあります。しかしこれは、あくまで、個人の嗜好と、希望の範囲を超えるものではないのであろうという襟度も記しておかなければならないかと存じます。
日興上人は御影信仰との論は取り下げられました。
興上御自筆の御遷化記録の文によれば、一体仏は御灰骨とともに、廟内に安置しおくべしとの大聖人の御遺言である。けっして、他に持ち出し、または帰敬の本尊仏となすべきでない。墓番の六老僧たちが、廟参のときの香華燈明供の時に記念の礼拝をなすべき、特別の宝物で墓所の内院に納まる御焼骨と同然のものである。(第59世日亨上人『富士日興上人詳伝
興師筆の御遷化記録には「仏は釈迦立像墓所の傍に立て置くべ し」とあるそうですが、ど素人の私にはこの程度でいいご処置でありこれ以上ではないように思いますが。
ブツブツとつぶやきです。
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