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つぶやきすれっど2

179犀角独歩:2002/12/31(火) 11:32

菊水護国さん:

「自分は住職のことを先生と呼ぶ」と言っていたでしょう。
私は講に就いて、いちばん最初に直されたのはこの点でした。
学会では僧侶を「先生」と呼ぶことで統一されていたんですが、講では「御尊師」
(オウム事件以降、この尊称は(笑))

役員になったとき、住職を御尊師と呼ぶことは徹底できたのですが、所化さんの呼び方が各人まちまちになっていたので住職指導で統一しました。結果は教師補任式を終えた僧は「御尊師」それ以前は「尊師」というものでした。

しかし、たぶん、これは菊水護国さんならば直ちに気づかれるでしょうが、石山の一般的な呼称とは違っていますよね。教師になっていない場合「さん」付けが普通ですものね。まあ、かなり気を遣って統制をしていったわけです。

けれど、菊水護国さんから「先生でいいじゃないの」と言われたとき、実は私は目から鱗が落ちる思いがしたわけです。いいわけですよ、ほんとに。そんなことはどうでも。

地方では坊さんをみな「上人」と呼ぶところがあると『法華講随感』にも記されていました。日蓮の時代は「御房」、順師に係るとされる文献では「和尚」と見えます。

石山大奥では「御法主上人猊下」なんて呼ばず、「御前様」。これは本山格であれば、他でもそうですね。

風情、敬愛の情が表せれば、それでよいのでしょうね。
それを「○○と呼ばなければいけない」とする頑なな決めつけを、どうしてするのかを考えてみることですね。菊水護国さんの「先生」の呼称は、学会とか、顕正会のそれとは違い説得性があったものです。

また、脱けた人は、元いた集団の指導者を出来るだけ敵意を篭めて呼ぼうとします。これまた、見苦しい。

私は実際に現役と喋るときは、その人が呼んでいる尊称を付けて指導者は呼ぶことにしています。ただ、現役と違うのは尊称を付けても批判するところはしっかり批判すると言うことです。通常、批判する場合、信者が敵意を懐くような呼称で呼びながらすることになりますが、私はそうしない。彼らが尊敬の念を表す呼び方で批判をするわけです。このアンバランスに相手は通常、戸惑います。この戸惑いは尊称に刷り込まれた心理操作に由来するものでしょう。

まあ、そんな意味で菊水護国さんが酔っぱらったとき限定付きでも「浅井先生」とさらっと言えるのは、まったくそんな心理操作に引っかかっていないからでしょうね。よい模範だと思うわけです。

阿諛と揶揄、そこに潜む心理操作の罠にご注意というところでしょうか。


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