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つぶやきすれっど2
174
:
こまった
:2002/12/30(月) 20:59
いい忘れです。
明治維新以前の石山信徒は「ホンザン」と呼んでいたようです。
けっして「ソウホンザン」ではありません。
なにしろかつての大石寺は身延山久遠寺の配下・末寺だったわけですからね。
もっとも身延だって「ソウホンザン」と呼ばれていたわけではないのですが。
身延が祖山とよばれ権力をもったのは不受不施問題で池上に完勝してからでしょう。
もちろんそのころの石山は不受不施を嫌い、国諌も嫌い、身延の尻尾にぶらさがっていただけでした。
日奥や日親のように純粋に不受不施義を唱えるようなことをせず、保身だけを考えていたのが石山でした。
それでも所詮は田舎寺の悲劇で日蓮宗内で力をもったことは一度もありませんでしたし、ご開帳で繁盛したようすもありません。
なにもかもが中途半端だったのが石山の歴史です。
それは借り物ばかりで創作した教義のためだったのかもしれませんね。
つまり石山には「日蓮」という「バックボーン」がなく、あったのはパッチワークだけだから無理もないですが。
石山系以外から石山はけっして差別されていませんでした。
それどころか相手にもされていなかったし、だいいち存在すらほとんど知られていなかったのです。
興門系では苦々しく想ってはいたでしょうね。
なぜあんな寺が「ミデラまがい」の勝手をゆるされるのか、と。
これは菊水さんの領分ですね。
でも、その部分は、今の大石寺にはもう残ってはいないわけですし、石山住職も知らないわけです。
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