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つぶやきすれっど2
171
:
ワラシナ
:2002/12/30(月) 16:07
no151 犀角独歩さん発言の下記部分に触発された呟き。
ー「おまけに信仰上で「である人」は「だった人」には懐疑的になるように組織的に訓練されていますからね。なおさら伝わらないのでしょうね。ー
0、特に、、「である人」は「だった人」には懐疑的になるように、、という部分の表現の適確さに感心した。学会顕正会を通して、教団権力維持のため奴隷的青年部だけを意図的に組織現役者に選別していたように思う。顕正会に入った時が、初めて本当の自覚的入信動機を持った時だったが、それ以前10代後半から20代前半までは知識と教養がまるで欠けていたから、他の教団員の組織体験談の微妙な部分の意義が、当時は分からなかった。が話は確実に記憶にとどめていた。
1、具体的に言えば、会内の権力が戸田路線から池田路線に変節した事に反発していた人々の話の意義がわからなかったのである。もし当時これがわかっていて、自分らしい生き方ができていたら、色々な意味で自分の可能性、才能開花に役立つような未知な人々との善い出会いが早くやってきて、もっと中年期の現在を輝かせていた筈だという後悔になっているのである。
2、そこでなぜ、あの時そういう知恵が湧かなかったのか、今となって色々反省するのであった。その理由として、三つ考えた。
2−1、言わば青年初期の心理として、これから未来に向かっていこうとする時の生き方にある、一種の本能指向性の欠点面というか「大きく賑やかでエネルギーとパワーを感じさせるような集団に身を寄せれるのが暗黙のベスト選択とする」という生き方の持つ危険性に無知だった事、と思うのである。誰も「しょぼくれた寂しそうな世界」に飛び込んでいこうとはしなかろう。そう思って自分は、学会の中でははやりそうで元気そうで、自分の可能性が開かれそうな世界と人を選んで接触を求めていったのだけれど、内部反体制派を心の中では軽視していたのであった。(彼らの話の真実を知ろうともせずに、、これが、今となっては大失敗)理由は、といえば、恥ずかしい話、簡単に言えば、自分が組織奴隷青年部だったから、に尽きる。「である人」は「だった人」には懐疑的になるように、、という文言を胸に突き刺さるように感じてしまった背景には以上の前提が働いているのである。
2−2、上のように愚かで浅はかな判断しかできなかった事の理由として大きいのは、文芸的な教養の欠如だったと思う。あの当時もっと長編小説や詩歌や推理小説など読書のつみかさねがあったなら、もっと「臆病で?マイナーな生き方のもつ積極的価値」に気づけただろうと後悔している。
2−3、自分には孤独僻があって友人を積極的に増やそうとしなかった事。先輩の忠告助言の意図真意がその当時は全く理解できていなかった事。その理解できていなかった事をその場で問いたださず聞き流してしまっていた事。ただ、先輩の話の方にも自分の失敗談を入れるなり表現技術上の一工夫が必要だったとは、思うのだが、これは5年年上の学生部だと同じ青年同士になってしまって、人生全体が駄目になる本格的失敗談は体験していないので、これは初老期の先輩との交流不足の必要を物語っていると思うのである。
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