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つぶやきすれっど2

1590ラキ:2005/05/11(水) 04:04:16
犀角独歩さん。
少し、安部氏の見方が変りました。
池田氏は、原稿を読んでるときは、もっともらしく、まともな事を言ってるように聞こえていたのですが
勢いあまって、アドリブになると、言動の酷さが感じて、同一人物?の発言とはとても思えなく、
誰かが、原稿を手直し?または書いてるのではと、感じております。
浅井氏は語る内容は「なにかと国立戒壇」「切り貼り御書引用で、矛盾ばかりの解説や言動」
私は、聞いたり読んだりしても、どうも説得力に欠けると思っています。
それを考えると、安部氏の発言が、一番ましに感じてしまいました。
全文とは言わないですが、部分的には、私が感じてる部分。思いに近い、納得できる部分もある、
という意味ですが。
「法華講員の基礎知識」を読んでいて、目師の伝説が出ていて、抜粋ですが
「その壮烈なる御最期によるものか、我が宗門に、広宣流布の暁には日目上人がお生まれかわりになるという伝説を残しているのである」
阿部氏退陣後、血脈が途絶える事が無く、目師が生まれ変わると「顕正会」では
言われているみたいです。
やはり、三証を示す事が無い、言葉だけだと思ってしまし、不思議と私の疑問が
書籍を見ていて、タイミングが良く見つけられるとは、蓮師のお心かなと?
信が皆無な私でも、なんか嬉しい現証・実証・文証の出会いは、不思議だなと感じてしまいます。
「本は求める人の所に来ると」某アニメでの言葉があり、なんかそんな感じがして、
とても嬉しく、楽しい気持ちでいっぱいです。
信・行・だけで折伏は、若い世代の人にしか通用しない「現証・功徳」だけの
骨格が無いものだと感じます。
法論をして折伏するぐらいの力が無ければ、壁にぶち当たるのは、目に見えてると、感じます。
初心に帰り、勉強していくと、新たな発見があり、ますます楽しくて仕方が無いです。
蓮師真筆を見てない私には「見たことあるの?」の言葉に答える事が出来ない不甲斐なさが、
少し悔やまれます。
ますます、ツアーオフ会で真筆をまじかで拝見して、その感動で、対話をしていきたいと思ってもいます。
幼少の頃から、勤行・唱題が子守歌代わりに育った環境があるので、最近は時間を掛けて、
のんびり勤行・唱題をして自分を見つめ、事実を受け止め考えて行けるようになり、
心の修行(座禅ぽいですが)気持ちが引き締まり、信がないけど、心を落ち着かせ、
考え、気持ちが良い日々が最近は過せるようになりました。
私は、信が無いけど、なんちゃって信仰者としての自覚を持ち、世間様に後ろ指を刺されない、
行動(実践)勤行に望むに当たり、他の人のだらけた姿勢とかには、負けない自身は持てるようになりました。
信(妄信)だけでは、ご本尊を前にしての姿勢とかが、歴然と違うと拝見して、
志高く!究同心もいつまでも持ち続けたい、思いです。
僧侶の写真とかで勤行の場面がありますが、作法に矛盾してる〜
合掌の手がだらけてる〜と、自分にも戒めて、流されないように、
私が思う、姿勢、心がけを通して行きたいと思ってます。
最近は、夢の中でも勉強してる私が登場してきます(^^;


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