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つぶやきすれっど2
1579
:
問答迷人
:2005/05/07(土) 23:52:00
先日来、犀角独歩さんと曼荼羅と本尊について議論してきました。僕にとっては、実に記念すべき議論になりました。
曼荼羅の南無妙法蓮華経と大書きされたお題目が何を意味するのか、永年の、日蓮正宗に入信以来の疑問でした。
曼荼羅が本門の題目だと犀角独歩さんは言う。僕は中央の南無妙法蓮華経は『南無妙法蓮華経と唱える音声』以外に考えられないとは思っていました。だから、曼荼羅が南無妙法蓮華経の題目を中尊とする本尊であると考えていました。ただ、問題が有りました。南無妙法蓮華経が中尊ならば、南無妙法蓮華経=本門教主釈尊でなければならない。ところが、ストーレートにそのように書かれた真蹟遺文は無いわけです。そうとも読める、という真蹟遺文は有る訳ですが、どうも決め手に欠く、という感じでした。
曼荼羅が本門の題目を表したもので有れば、問題は一挙に解決に近づきます。南無妙法蓮華経は本門の教主釈尊である必要は無いからです。
勿論、南無妙法蓮華経と唱えると一念三千が成就するわけですから、本門の題目を唱えるその刹那には本門の教主釈尊が立ち現われる訳で、唱える人は、本門の教主釈尊=本門の本尊を観る事になるわけです。
これは、法華経に「一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 具出霊鷲山」と説かれる所に該当するのだと思います。
蓮師が、本門の題目として、多数の曼荼羅を弟子檀那に授与したのなら、そして、本門の本尊については、時を待つべきのみ、で作られなかったのなら、大石寺の「本門戒壇板曼荼羅」は蓮師が作ったものでない事は明らかであると言わざるを得ません。
兎も角も、ややこしい議論を犀角独歩さんと戦わせた事は、僕にとって、大いなる結実を見たと言うべきです。独歩さん、有難うございました。僕のややこしい議論にお付き合い頂いて、有難うございました。久しぶりに議論らしい議論が出来て爽快というべきです。
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