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つぶやきすれっど2

1417犀角独歩:2005/03/12(土) 17:03:02

さてと、創価学会の今後については、管見記しましたが、では、石山はどうか。
お宝信仰をやめて、成果主義をやめ、坊さん中心の100年前に廃れた封建体制をやめること。

折伏は坊さんがやって、ひたすら在家の安寧と成仏を助ける。うちには研鑽に励み、700年、曲がるに曲がった、世間一般、どこにも通用しない教学を棄て、蓮興二祖の祖学をまず考えること。何より、自分たちがいちばん正しいなどと言う天地がひっくり返るような見当違いはさっさと改めること。

坊さんは自分のやるべき仕事を信者に任せないこと。「袈裟を脱いだら一般の人と同じ」などという下らぬ言い訳をやめること。いままでお宝であると言って来たものを、一切、学術・科学調査し、その結果を忠実に受け入れ、体勢を立て直すこと。
信者は、坊さんの奴隷をやめて、坊さんの真似事はやめること。

…まあ、数え上げればきりがありませんが、ともかく、次は60万登山だなどという、信者を苦しめることはまずやめることでしょう。

さらに顕正会は、彫刻本尊がいかなるものか、御肉牙いかなるものかという事実を真摯に受け止めて、路線を早く変更すること。まあ、ここがいちばん、難しいのかもしれませんね。かつて1000万人の目標達成年度であった平成25年はいまや300万人に。何度も、予言も目標も外れて今に至ったわけです。もうやめるべきでしょう、会員を振り回すのは。会長崇拝と、目標重視をやめれば、案外、信者は純朴でいい人たちが多いわけですから。

学術的に真面目な坊さんを有する正信会は、彫刻本尊に正式な見解をしっかりと示し、飯のために在家向けのごまかしはやめること。坊さんや、在家信徒は甘めに見てくれますが、社会一般が決してそんな見方はしてくれません。もうその事実に気付くべきでしょう。

まあ、わたしが言うべきことか、どうか。しかし、「正直な信心」という言葉を、表に立てて、本音と建て前、内部と外部、そんな使い分けはそれぞれやめるべきです。本人たちは気付かれていないつもりでも、はっきり言って、見え見えの訳ですから。

いずれにしても、どの学会を含む石山圏の人々も、他の日蓮門下と同様、唱題のありがたさで人生を切り開いてきたのでしょう。その体験を否定する必要はありません。また、友を思い、眷属を思う気持ちも、強いのでしょう。しかし、わたしは大乗仏教といわず、宗教の真骨頂は「不信の救済」にあると断言する独りです。信じる者しか救わない仏教を小乗と言いましょう。不信の救済こそ、真の大乗であるという新大乗主義を、わたしは主張したい。そこから、考える目標の設定は、必ずや、人々に感銘を与えるはずです。

わたしは、当面、ともかくも禅師授与漫荼羅を臨模・作為の原本とした彫刻本尊の正体を明らかにすること、そして、議論ある団体問題に取り組みながら、学会を含む石山難民の人々と、今後を考えていく従来通りの道を歩む所存です。棒に振った人生40年、その後の10年で、しかし、整理が着きました。また、問答さんほか、素晴らしい方々にお会いでき、それまでの苦労も報われました。

上述、挙げた問題点を知るために、ここ問答名人さんが運営されるここ富士門流信徒の掲示板は指標となり、サンガとなると、わたしは思います。

本年、3月20日、今回の研究発表大会と決めたその日、オウム真理教地下鉄サリン事件から10年の節目を迎えます。この10年で過去40年の人生の整理は着きました。わたしも五十にして立ちます。

…何故か、所感と決意を開陳したい気分になりましたので、つぶやきということで。

問答名人さん、改めて、御礼申し上げる者です。


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