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つぶやきすれっど2
1237
:
犀角独歩
:2005/01/13(木) 14:39
昨日から開催が始まった『唐招提寺展』に、取るものもとらず、駆けつけました。
1200年の風雪に耐えた脱活乾漆造の盧舎那坐像、そして、鑑真和上坐像ともに国宝にふさわしい素晴らしいものでした。3メートルを越すあの大きな仏像が、漆を沁み込ませた麻布でできた張子とはとても思えない重量感があります。そして、まるで生きて在わすごとき鑑真和上、その御影を置く御堂を荘厳するために画かれた絹本屏風図、東山魁夷が「日本の春の海の色」といった群青が見事に生える絶品でした。しばし呆然、感動に立ちすくむひと時を過ごしました。
唐招提寺金堂は平成大改修ということで2000年から2009年まで解体修理がなされており、それに併せて、本尊・盧舎那坐像が1200年にしてはじめて、寺の外に出たということでした。解説によれば今後2度と出ることはない、たった一度の展示がいま開催されているとのことでした。
この一連の経過を見て、鑑別・鑑識、さらにその修繕、公開、保全の有様が、石山彫刻本尊の扱いと天地雲泥の相違であることに、改めて慨嘆の念を禁じえません。
唐招提寺の大改修と、仏像修繕の次第を見れば、石山の言い分なぞ、もう取るに足りないものであることは実感としてわかります。「仏像を見に」と勧めるわけではありませんが、真贋とはどういうことか・そのグローバルスタンダードとはいかなるものか実感するために彫刻本尊信奉者は特に行って見るとよいと思った次第です。
しかし、それとは別に、わたしは複雑な思いに駆られています。
それはその前日に見たプラトミックされた献体と鑑真和上像の対比ということです。
続けざまに観たためにその思いは膨らんだのかもしれません。
けれど、献体されたとはいえ、ほしいままに切り裂かれポーズをつけられたかつて生きていた方々の肉体。まるでセルロイドのように見える質感は生態からはたしかにかけ離れてはいます。しかし、たしかにかつて生きた方々の肉体そのものなのでしょう。
それに対して、鑑真和上像は、まるで生きて静かに結跏趺坐し長い瞑想に耽っているように見えます。しかし、麻布を漆で糊塗し彩色した、いわば張りぼてです。
それなのに、後者のほうが国宝として丁重に扱われ、人間以上に大切にされてきたわけです。それが悪いということではなく、人間というものの本質と、それが生み出した宗教のメカニズムが、この二つの展示の対比から垣間見えるような気がした2日間でした。
人体の不思議展
http://www.jintai.co.jp/main.html
唐招提寺展
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=1024
『おすすめ』スレッドに記すべきであったかもしれませんが、ほとんとつぶやきなので、こちらに投稿させていただきました。
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