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つぶやきすれっど2
119
:
モモ
:2002/12/26(木) 09:09
犀角独歩さん、アネモネさん
>> 二元論で考えることは有効な思考方法であると同時に危険が伴う場合があると思います。
アネモネさん>私もこの発言は意味がとれないのですが、私の前のレスの説明が二元論だということなのでしょうか。
そうではなくて、一般論として「信じる、信じない人の理論」という二元論があるということです。そして
独歩さん>これは至極当たり前のことでしょう。
独歩さん>さらに言えば、二元論で考えるか・考えないのかという二元論もまたあるわけですね。
という意見もあります。
独歩さん>それは私の意見として、このモモさんの2行が、どうして、私の質問の「差別という語に敏感に反応する」の答えになっているのかが、わからないのです。
独歩さん>ちょっと、補足してもらえませんか。
私は「信じる人の理論」「信じない人の理論」を相対的に考えているということです。
独歩さん>石山教義の差別性、しかし、よく考える必要があるのは事実ですね。
独歩さん>「信じない人の理論」を無視する信じている人の論理を「独善」と呼ぶのだと、私は思います。独り善がりの社会から乖離した独善主義、しかし、そういう人から見ると世間のほうが独善と見える、この180度の見解の相違がどこから生まれるのか、よくよく考えてみる必要があると思うわけです。
「信じない人の論理」を無視する信じている人の論理であれば差別ですが、信じている人の理論と相対的に信じていない人の理論を考えることは有効だと私は考えるからです。
故に「信じない人の理論」という言葉を即、差別ととるのはいかがなことでしょうか、と思ったのです。ここの独歩さんのレスに信じる、信じないの考え方が明瞭、簡潔に示されていると思います。
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