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つぶやきすれっど2

107犀角独歩:2002/12/25(水) 12:32

satさん:

> 唯一絶対と信じ込まされていたものは何だったんだ・・みたいになると全てが180度違って見えてきます

この意見にはまったく同感です。
ここは、その180度違う視点の違う信仰価値に基づく議論が可能かどうかの実験場みたいなところであると思えます。2年前、私は、この議論を可能にするものは、証拠主義に基づく方法論であると思ったわけです。これは学者の議論でも同様ですね。まったく違う意見で正否を事実が証拠となって認定していくやり方です。証拠を挙げられない学者に発言権はありません。しかし、ここの掲示板はそれほど、厳格な場ではありませんので、いつしか感情論がまかり通ることになるのでしょうか。意識しないと、水は低いところに流れていってしまうわけですね。

証拠に基づく論理的証明→感情的反論→論理的証明批判

というあってはいけない流れがいとも簡単に起こります。
以上のような流れは実は歴史の中に常にあったことですね。誰にでも手に入る岩波新書で挙げれば、J・B・ビュアリが書いた『思想の自由の歴史』はそれにもとづく記述であったし、森島恒雄の『魔女狩り』もそうでした。宗教者であってもA・D・ホワイトの『科学と宗教の闘争』という名著もありました。ここでは明らかにされたことは科学を宗教がどれほど、感情論によって抑圧し、進歩を妨げてきたかと言うことでした。しかし、現代は、その闘争後にあるのですね。

通常、証拠によって自分の考えを覆された場合、次に自分の持論を証明できる証拠が見つかるまで、それに甘んじなければならない、そこでまた、必死に学ぶわけです。まあ、私はまるで証拠主義で、さらにしがみつくものもありませんから、単純に優れた証拠、それを挙げる人には敬服します。ここで、もっとも駄目なやり方は「始めに答えありき」ですね。これでは時代に逆行してしまいます。もっと言えば、人間のようやくと手に入れた自由精神に違反することになるわけです。もったいないことです。

自分の考えと違うと、証拠も何もかまわず、感情的反発だけで心が占められてしまうこと…誤解がないように断りますが、これはここの投稿者・ロム者の特定の個人を指しているのではありません…。そして、異なる意見の人間への人格攻撃に終始し、それで勝敗を喫し、論理的証明まで覆してしまうわけです。これでは魔女狩りです。

この原因は様々に考えられます。その足がかりとしては、先にsatさんが挙げられた日本人特有の心理「甘えの構造」もあるでしょう。集団信仰の現場であれば、古典的な社会心理学的に見れば、権威主義的人格化ということもあります。魔女狩りとナチズムは、実は同じ心理構造によって支えられているという分析でした。現代的に言えば、破壊的カルト・マインド・コントロールという分析視点も有効であるというのが、satさんと私の共通認識であろうかと思います。

ここで重要なことは、この判断肢は複数で、かつ統計的であればあるほど、また、証拠主義に基づけば基づくほど、より精査され正確になるということですね。
ところが信仰集団は、これを認めさせない。判断肢(地図)はただ一つ、教団と指導者、そして教義です。

実は180度の違いというのは、ここの部分に由来することなのであろうと思います。
ですから、複数の判断肢を持つ人間と、一つの判断肢しか持たない違いが180度なのであろうと思うわけです。180度の違いを埋める方法論 ― 証拠主義 ―、もはや議論は成り立たず、一つの判断肢しか持たない側からの一方的な感情論で埋め尽くされてしまいますね。ですから、このときはまた、共通の基盤、証拠主義に戻って冷静な議論を始めればよいのだ、まあ、そうできる同士で議論をしていけばよいのだというのが、私の考え方です。


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