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お薦めスレッド
183
:
犀角独歩
:2005/03/27(日) 23:16:08
182 雖念さん、わたしが上述で挙げたのは、もっとSF的なんですよ(笑)
要するに考えていることを、まるで映画のように、映し出すということです。
また、清水玲子作『秘密』では、既に「血流」が止まったあとの脳に、電気刺激を与えると、生前に見たことが録画された映像のように映し出されるという話です。
184
:
顕正居士
:2005/03/28(月) 03:20:32
脳の記憶は「シナプスの可塑性」*によってになわれているらしい。
http://www5.airnet.ne.jp/gaya/no3.htm
そうならば記憶とは電気現象ですから、コンピュータの「揮発性メモリ」*に相当し、電気現象」が停止
すれば失われます。
http://e-words.jp/w/E68FAEE799BAE680A7E383A1E383A2E383AA.html
しかし「長期記憶」*にはシナプス結合の変化を伴うらしい。
http://www.kyoto-su.ac.jp/~bessho/brain2.htm
そうであれば、死後の脳を直ぐに保存して後に生き返らせることができれば、長期記憶はいっていは
復元できるかも知れませんね。
185
:
犀角独歩
:2005/03/28(月) 07:17:30
184 顕正居士さん、有り難うございます。
死後の脳を、冷凍その他の方法で保存し、そこにものを考えるときと同じように通電し、それを映像化できるのでしょうか。少し考えたのですが、このような電気信号による処理そのものが「生きている」ことになるわけで、もし、このような処理をするとき、脳は生前のように「心」を感じることにもなるのだろうかと、ふと新たな疑問が生じました。
186
:
顕正居士
:2005/03/28(月) 10:23:44
○脳だけ生き返らせることができるか
心臓死した人の脳を直ぐに人口心肺につないで血液を送れば脳だけしばらくは生きられるはずです。
血液だけでは長くは生きられませんが。だから冷凍保存などが有効であったならできるとおもいます。
○その場合に意識は戻るか
五感を失った状態で意識が戻るかわかりません。しかし脳死した人の身体に移植すれば戻るでしょう。
そのような複雑な外科手術を短い時間で行うことは今はほぼ不可能にしても。
○脳の記憶を映像にしたりできるか
これは脳の仕組みが十分に分かればできるでしょう。映像を電波にして放送し、また映像に戻したりが
できるのですから。
○脳を生き返らせるのではなく、脳を機械(コンピュータ)にコピーすることなら直ぐにもできるという人が
います。
http://www10.ocn.ne.jp/~seo/AI.html
187
:
藤川一郎
:2005/03/28(月) 19:27:43
90年代初頭に、現代では御夫婦の椎名結平、山本未来主演の深夜ドラマ「BLACK OUT」という近未来ドラマがありました。その最終回で山本未来が放射性物質を浴びてしまい、現代の医学では治療不可だから、肉体は冷凍して保存し、脳は電磁パルスをデジタル化してディスクにおさめて保存しておくという手法が取られました。
そして、医学が発達した50年後に老人の椎名が、愛する若き山本を迎えるが、自分の事や不幸な事故のことは不要だと判断した椎名はディスクから消去(BLACK OUT)してしまい、そのため蘇生した山本は、全く自分の事は覚えていないという劇的な結末を向かえました。そのころは脳の記憶をディスクに保存するなど信じられませんでしたが、現実に研究は進んでいるんですね。
188
:
犀角独歩
:2005/03/29(火) 09:46:41
顕正居士さんのご呈示を拝読し、脳内信号の映像化の可能性があるのだと思えました。
また、意識をもつコンピュータの可能性がすでに現実のことになっていると思え、改めて、「心」とはなにかを考えさせられました。
藤川一郎さんが、ご紹介くださった物語、『鉄腕アトム』の誕生を思い出しました。
ストーリー展開はまるで違うものですが、考えてみると、特定の個人の記憶と思考パターンが複製されるとき、他者は、それを同一人物のように感じることになるわけですが、当の機械?は、やはり、オリジナルとは違う、当たり前といえば当たり前なのですが、こんな問題を手塚治虫はちゃんと考えていたのだ思えました。
189
:
矢野通彦
:2005/03/29(火) 10:45:31
http://plus1.websiteallies.com/soc/
191
:
犀角独歩
:2005/03/29(火) 21:39:14
恐竜博2005(The Dinosaur Expo 2005)
サブタイトル:恐竜から鳥への進化
(Evolution of Dinosaurs from their origin to birds)
http://www.kahaku.go.jp/dinosaur2005/index.html
先週、観てきました。毛、もしくは羽に覆われた恐竜の想像画。
恐竜が進化して鳥になっていく進化がよくわかる展示でした。
規模は小さいのですが、恐竜進化については、わたしたちの世代が学校で習ったこととは格段に違っている点が認識できます。6500万年前のイリジウム隕石衝突による絶滅説もそうでした。
鳥への進化経路は、多くは中国で発掘された化石によっています。中国が近代化しなければ、こんな研究もなされなかっただろうと、違う感慨を懐いたりしました。
桜花の候間近ですが、上野はその名所。併せて鳥に進化していく恐竜を観覧も一考かと、お薦めいたします。
192
:
犀角独歩
:2005/03/31(木) 18:53:57
『第三文明』5月号を読みました。
いちばん、興味深かったのは『学会史 御書発刊の日 [1952年4月28日]』の
「学会版御書が刊行された当時、日蓮宗身延派も御書を発刊しましたが、惨めにも分厚い「正誤表」が必要でした。
また、日顕宗では、2002(平成14)年、『平成校定日蓮大聖人御書』なるものを作成しました。しかしこの御書、「一念三千」を「念三千」、「諸行往生」を「諸行無常」と誤記するなど、誤りが700カ所という杜撰なものでした」(P87)
「日顕宗」という相変わらずの固有名はいただけません。公に刊行しているわけですから、一般人が手にしても、これでは、わからないからです。
まあ、この点は、ともかく、わたし自身年がら年中、誤字の訂正を行っているわけで、他を笑えませんが、延山遺文集は置くにしても、学会版がそんなに誇れるほどのものであるのか?という疑問と共に、しかし、石山版誤り「700カ所」はこれはいただけないと思えました。
193
:
愚鈍凡夫
:2005/03/31(木) 19:13:22
ちょっとお邪魔します。
むむっ、創価学会が日蓮正宗の御書を嗤う。これって、目糞鼻糞の世界の話のようですね。
「日亨師は何処の人でしたっけ?」って聞かれたら、
「創価学会初代名誉教学部長」なんて言い張ったりして・・・・・。 (O.O;)(o。o;)
194
:
犀角独歩
:2005/03/31(木) 19:35:31
三学無縁さんには、よく本をお借りするのですが、今回は、『宗務院・学会記録文書』についで、『時事懇談会記録―宗門覚醒のいぶき』(編集代表・菅野憲道/発行者・渡部広済)をお借りしました。
これら、記録資料はかつていやというほど、読んだつもりでしたが、石山を出たあと、みな棄ててしまい、手元になかったわけです。こんな感情的な過敏反応とは裏腹に、三学無縁さんは、膨大な蔵書。性格の差というか何というか…。それをさておいて、図書館代わりに使わせていただき、恐縮至極。また、某研究機関の書庫も、お陰である程度自由に拝借させていただいています。
もう一冊は、『若き日の手記・獄中記』青娥書房(戸田城聖)。
島田師は、「戸田さんの獄中の悟達はなかったでしょう」と資料を調べた結果、話されていたような記憶があります。
ところが、「いや、たしか…」と、三学無縁さんが呈示したのが、この一書。さて、読んでみようかと。
その他、『小樽問答誌』初版。これは昭和30年5月3日が発行日になっていました。
巻頭写真が(以下敬称略)創価学会会長・戸田城聖、教学部長・小平芳平、青年部長・辻武寿。次頁に、創価学会理事・石田次男、渉外部長・池田大作、青年部参謀・竜年光、男子部第5部隊長・秋谷城永、台紙第4部隊長・星野義雄、男子第6部隊長・赤須雪秀。さらに次頁、(集合写真で)男子第1部隊幹部・星野豊、男子第2部隊幹部・伏木和雄、男子第1部隊幹部長・酒井義男、男子第1部隊幹部・龍登、男子第9部隊幹部・竹入義勝、本部直属小樽班長・谷紀恵子、男子第5部隊幹部・川島和夫、男子第6部隊幹部・大川清幸、男子部第1部隊幹部補佐・高橋秀直、男子第6部隊幹部長・曽根原敏夫、男子第4部隊幹部・岡安秀夫と顔写真が載ります。
しかし、今回、お借りした目玉は『朝日ソノラマ』(朝日新聞社)昭和45年5月1日発行です。これにはソノシートがついており、「藤原弘達氏 問題の極秘テープ公開」と、あの言論問題で藤原氏が爆弾に使った電話録音が収録されていました。渡部一郎氏を辞任に追い込んだ本幹発言も収録されているなど、実に興味深い内容となっています。これを、この次のオフ会で、小樽問答と併せて、皆で聞こうという企画です。
仕事は山ほどありますが、こう、おもしろいものをお借りしてしまうと、つい夜更かしが過ぎてしまいます。
三学無縁さんには、この場をお借りしてお礼申し上げるものです。
195
:
ROM専
:2005/03/31(木) 20:58:13
毎度のスレ汚し、誠に申し訳ありません。
犀角独歩様
>『小樽問答誌』初版。
これは確か創価学会が石山の名代となって、身延派の僧侶と法論(実態はそんな
高尚なものではなかったようですが)をし、その戦果を喧伝する目的で学会が
発刊した書物ですよね?
であるにも関わらず早々に絶版になってしまった本だ、と聞き及んでおります。
私自身はついぞ拝見する機会もございませんでしたが、以前とある日蓮宗の方が、
内容を見て、「学会自身がまともに法論しなかった経歴をわざわざ書き残している
ようなものだ」と評価していた記憶があります。
小樽問答に関する日蓮宗側からの意見を記したサイトは
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/newpage17otaru.htm
こちらぐらいでしょうか。身延派にしても、学会にしても、この法論に関しては
妙に沈黙しているきらいがあって、今ではあまり取りざたされる事がないのですが。
読後で構いませんので、小樽法論そのものに関する犀角独歩様の印象をお聞かせ
願いたく存じます。
196
:
吉祥仙人
:2005/03/31(木) 21:27:54
よこからお邪魔します。
聖教新聞では小樽問答記念特集紙上座談会が開かれました。
問答そのものの事実的詳細は知りませんが、結果は「大勝利」として語り継がれております。
197
:
犀角独歩
:2005/03/31(木) 23:31:39
ROM専さん
吉祥仙人さん
小樽問答に関して、これは率直に申し上げて、日蓮宗側も、誉められた態度ではなかったというのがわたしの感想です。ただし、だからといって、、創価学会正義とは言い難いのは、もちろんです。
当掲示板のように、ヤジその他が無く、冷静に議論すれば、確実に創価学会の負け、しかし、当初から、小樽市内に批判ビラを配ったり、議論の第一問から、事実を確かめない新聞記事で悪評を喧伝しようとする姑息な手段を取ったのが日蓮宗。数で圧倒して、勝利宣言をしたのが創価学会。
なるほど、議論・法論は、こんな風に勝敗を決するのかと、いまよく目にする、愚にも付かない政治評論のがなり合いのようではあるにせよ、論の気鋭で、わたしは学会に一票というところでしょうか。さらに学会の本尊雑乱に一票、延山の板漫荼羅・日蓮本仏偽難に一票、しかし、延山の坊さんは議論が下手くそ。しかし、あのヤジではたじろぐのも同情の余地あり(笑)というところ。
これは聞いて、大いに笑い飛ばすに足りる録音です。「百聞は一見にしかず」ならぬ、「百読は一聞にしかず」と言ったところでしょうか。
198
:
ROM専
:2005/04/01(金) 20:20:38
独歩様
いつも通り丁寧な回答ありがとうございます。
そうでしたか、日蓮宗側も十分姑息な手を使っていたのですね。
法論と思わずバラエティ番組と思って拝聴した方が良さそうな
記録ですね。生きているうちに、その記録に触れる機会があれば、と祈っておきます。
重ね重ねありがとうございましたm(__)m
200
:
犀角独歩
:2005/04/01(金) 21:27:43
198 ROM専さん
こちらでは、過去の管理人さんとの話し合いで、「さん付けで統一」という申し合わせ事項ができていました。ですから、どうぞ、お気軽に、そのようにお願いいたします。わたしもそうさせていただきます。
> その記録に触れる機会があれば
ご案内のとおり、次会、オフ会は「小樽問答を聞く会」としようと思っております。
もし、よろしければご参加ください。また、当日、該当の資料も頒布する予定です。もし、ご参加いただけなくても、こちらはお送りすることができると思います。ご希望があれば、フリーメールでけっこうですから、詳しくは西川さん (info@yohraku.com)にお問い合わせください。郵便局留も可だと思います。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
202
:
犀角独歩
:2005/04/03(日) 22:06:54
こちらで、かなりどうでもいい個人的なことを書いたりしてきてしまい、反省を込めて、ブログをはじめました。先だって、講演いただいた島田先生の影響といったところです。
はじめたのはいいのですが、どうも、勝手がわからず、「?」と「うーん」の連続です。
ブックマークいただければ幸甚です。
犀角独歩 ― 犀の角のように独り歩め
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/
203
:
犀角独歩
:2005/04/05(火) 19:44:11
戸田さん十三回忌に当たる昭和45年に起きた言論出版妨害事件の藤原弘達氏が切り札にした電話録音テープをこの次のオフ会で、小樽問答と併せて聞こうと思っています。
この昭和45年に発刊された若き日の手記・獄中記』(青娥社・昭和45年11月15日第1刷/昭和46年1月15日第5刷)はなかなか興味深い内容でした。お薦めします。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18083354.html
204
:
三学無縁
:2005/04/06(水) 13:02:40
以下の記述が、所謂「獄中の悟達」のポイントとなるのでしょうね。
「自分は妙法蓮華経が、仏陀の命であり、我等衆生の命であると確信している。この確信は、釈尊の自ら、自分に教えられたところであり、日蓮の自ら、我が身にささやかれたところである。自分は少なくとも日本国において、法華経を読める者の一人たるを確信する。
人曰く「あなたは、どこで法華経を知りましたか」と。
自分は答えて曰く「五百塵点劫以前に釈尊に教えを聞き、現世において、しかも、牢獄以来これを思い出しました」と。
しかし、人のよくこれを信ずるももはない。
経に曰く「一切声聞辟支仏の知る能わざるところ」と。また、人のよく至るなしと。人の信ぜざるもまたむべなるかな。
深く過去遠々劫より、この五体のまま経を聞きたりとするも、だれかよく信ぜん。されど我れは、深く了解せり。この五体このままに仏に遇い教えを聞き、今ここに受持すと。
独房にての歌を想い出せるままに。
つかれ果て生きる力も失いて
独房の窓に母の呼びにき
この境地は弱かった。もし父人を知りなばこの歌はなかったであろうか。それともこんなに弱くなってこそ、真の父を知ったのであろうか。
友もなく屋根に咲く野辺の草
力強きを誇りてぞある
まだ法華経を知らざる前、Lさんを想って、自分の力を、生命力を、誇ったものだが、妙法を知らざる生命は、その後一年で前記の歌となった。
やはり妙法の命でなくては、強い強い生命に生きられまい。
安らかな強き力の我が命
友と国とに捧げてぞ見ん
(昭和二十一年三月三日)
*「心影余滴」より。」
戸田城聖『若き日の手記・獄中記』一七五から一七七頁、青娥書房、
初版昭和四十五年十一月十五日、再版四十六年一月十五日
205
:
犀角独歩
:2005/04/07(木) 00:08:04
> 204
「心影余滴」は三観一喜法師なる銘で記されるわけで、「五百塵点劫以前に釈尊に教えを聞き」となれば、地涌菩薩。法師、菩薩の宣言と見えます。
206
:
犀角独歩
:2005/04/11(月) 09:07:30
もう何時間もない話ですが、(神道)シマ研究家の菅田正昭さんがテレビに出るようです。
4月11日午前10時50分 TBSテレビ『きょう発プラス』
インタヴュー「統一教会と桜田淳子さんについて」
207
:
犀角独歩
:2005/04/11(月) 12:09:09
> 206
当掲示板とは、関係のない内容でした。
しかし、皆さんもご存じの方と言うことでご容赦を。
208
:
大勇者
:2005/05/02(月) 00:56:19
スレッドのお薦めではないのですが。
TV番組で羅什を放送するらしいので楽しみ。
第5集 天山南路 ラピスラズリの輝き
放送予定: [総合テレビ] 2005年5月15日、
[衛星ハイビジョン] 2005年5月9日
天山南路のクチャを中心に七世紀まで栄えた亀茲国(きじこく)の財力は、
キジル千仏洞に豪華な仏教美術を開花させた。
群青色の顔料ラピスラズリをふんだんに使った天上界に特徴があり、
タクラマカンの秘法とも呼ばれている。
この白人系オアシス王国は、北に匈奴(きょうど)らの騎馬民族、東には漢民族王朝が位置し、シルクロード交易で富を上げるには、微妙な外交バランスが必要であった。
このため戦乱の時代にあって、亀茲国は王家出身の僧侶を次々と中原の王朝に送り込み、和平の思想を広めようとした。
その中に、日本をはじめ東アジア諸国で今も読まれている主要経典のすべてを中国語訳した高僧の鳩摩羅什(くらまじゅう)がいた。
彼の人生は西域諸国のなかでほんろうされる。漢軍に拉致され、王女たちと強制的に交わらされた結果、破戒僧に転落してしまう。
そして地獄のような軟禁生活を経て、経典の翻訳を成し遂げたのだった。
209
:
愚鈍凡夫
:2005/05/02(月) 01:41:14
検索を掛けたら、こんな資料が出てきました。
************************************************************
フン族・華南への仏教進出
中国では魏のフン王朝は、北部中国の征服の時には筆舌に尽くしがたいほどの破壊をはたらいたのだが――60万人の人口、宮殿、宝庫、図書館を持っていた洛陽ではどれだけのものが残ることができたろう?――すぐにもっとも精力的な仏教の保護者になったのである。
紀元311年、フン族の後進の前趙が洛陽を灰燼に帰せしめた後、あらゆる仏教の伝道師の中で最も有名なものの1人である仏図澄がクシャンから中国に到着した。この仏教の憐れみの教えは、この血に飢えた蛮族にどのような影響を与えることになっただろうか。フン族の首長石勒が「深遠な教義は理解することができないが、魔法の離れ業なら仏教の力の証として納得する」ことを知っていて「仏図澄は托鉢を取り出してそれを水で満たし、香を焚いて魔法の決まり文句を言った。ただちに青い蓮の花が眩いばかりに色鮮やかにとびだした」。石勒はこのような優れた魔術家を擁している宗教に大いに感じ入り、支持と保護を与え、仏僧たちは、学校を設立するという彼の思いがけない恩顧を利用した。30年後には彼の中国人の弟子の1人道安は、仏図澄自身によって華々しく始められた翻訳と翻案の仕事を続けた。次の世代はついに仏教の教義と、それに紛らわしいほど似ている道教の教義とを区別し始め、「伝道翻訳者のうち最も偉大にしておそらくあらゆる時代のうちでも最も偉大な翻訳者」であるクマラジーヴァ(鳩摩羅什)というインド名を持つ一仏教僧のもとで、たくさんの学僧たちがむしろ以前よりも大がかりな仕事に手をつけていた。そのようなわけで、クシャン帝国の事実上の消滅とともに、北部中国は仏教伝播の中心地となっていった。それに戦争が西域とのとの外交関係を中断させても、インドの僧侶たちはフン族のテントの中ですら説教することができた。戦争はむしろ――クマラジーヴァが中国北部で20年の俘囚(ふしゅう)生活中に言葉を習得することができたのだから――仏教の擡頭(たいとう)を助けすらした。「鉄のカーテン」にもかかわらず経典や僧侶たちはフン族の支配する北部中国や自由な南朝の国々へと進んでいった。これらの僧侶や彼らの持ち来った翻訳経典は人びとの改宗の度合いを早めた。華南では幾人かの著名な文人はすでに改宗しており、紀元504年には華南の梁朝の皇帝は公式に仏教を自らの宗教として採用し、家族や朝臣、官吏をも彼の例にならわせた。彼は道教の礼拝行事を禁じさえした。紀元471年には北魏の君主拓跋(たくばつ:献皇帝)は退位して僧侶となった。このようにして、北の野蛮的なフン族と、中国の伝統の名残が残されていた、華南の「自由な」中国の間で、新宗教は尊敬をかち得、偉大な人たちの保護を享受するに至ったのである。
およそ300年の間に、仏教はパミール高原の東方の多くの国々で歓心を得た。しかし、キリスト教がコンスタンチノーブルで公式宗教となるには、もう少し長い時間を要した。
「シルクロード(P125〜P126)」 リュセット・ブルノア著より
************************************************************
ご参考までに。
210
:
吉祥仙人
:2005/05/02(月) 05:37:04
関係ない疑問で申し訳ないのですが
このフン族の末裔が西へ西へと進んで、フンガリーだのフンランドだのを
造ったのでせうか?
211
:
愚鈍凡夫
:2005/05/02(月) 06:42:38
吉祥仙人さん、さすがですね。
**************************************************
フン族(フンぞく,Hun)はアジア系の遊牧民族。 言語学的にはテュルクに属する。
・1世紀頃 - ヴォルガ川やドン川の流域に定住していた。
・375年 - 東ゴート族を征服し西ゴート族を追い出し、ゲルマン民族大移動の原因を作った。
・その後パンノニア平原へ侵入しここを拠点とする。
・441年頃 - アッティラ大王をいだいて東ローマ帝国に侵入、大帝国を築く。
・451年 - 西ローマ帝国に侵入するが、カタラウヌムの戦いに敗れ撤退する(史実的には痛 み分け)。西ローマ帝国の勝利には傭兵となったゲルマン人の影響力は否定出来ない。
・452年 - 東ローマ帝国に侵入するが、教皇レオ1世の説得により引き返す。
・453年 - アッティラの病死により帝国が崩壊。
・その後パンノニアに侵入したアヴァール人やマジャル人などと混血し、現在のハンガリー 人の祖となったといわれる。
また、漢代に分裂した匈奴(古中国語でHungnu,フンヌと発音する)のうち北の部族と同一 であるとされる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
**************************************************
ご参考までに。
212
:
犀角独歩
:2005/05/15(日) 17:46:34
手前味噌ですが、『現代宗教研究』第39号に『大石寺彫刻本尊の真偽について ― 所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形から見た鑑別』が載りました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/22053295.html
213
:
犀角独歩
:2005/05/16(月) 08:17:57
さらに重ねて恐縮ですが、わたしが共同執筆した現宗研『顕正会についてⅡ』が発刊されました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/22125920.html
214
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/05/22(日) 09:06:28
北川健次著『「モナ・リザ」ミステリー 名画の謎を追う』(平成8年、新潮社)を読みました。直接的にはこの掲示板のテーマとは関係ありませんが、非常に参考となりましたのでご紹介したいと思います。
著者の北川氏は画家で、「モナ・リザ」に関する種々の謎を独特の観点から解き明かしていきます。「モナ・リザ」の作者レオナルド・ダ・ビンチは鏡面文字(左右が反転した文字)で書いていました。その理由は、研究内容の隠匿、反キリスト教的な内容の隠匿、左ききであっため、など種々の説がありますがいずれも説得力に欠けます。隠匿説は鏡面文字を鏡に写せば簡単に解読できることから否定できますし、左ききであれば鏡面文字を使うというものではありません。私も左ききですからよくわかります。著者の北川氏は「レオナルドの鏡面文字は、印刷では伝わって来なかった作者の生々しい息の余韻や、書いていた時の速度感さえもが実際の現物を見る事によって間近に迫ってきた」(同書62頁)と指摘していて、直筆を見ることによって得た “速筆で書かれている”という手懸りから鏡面文字を書いていた理由について従来の説を否定し幼少から書いていたという新しい説得力のある説を打ち出しています。また、反転した「モナ・リザ」にレオナルド晩年の自画像を重ねていくと、完全に一致する(同書57頁)という事の紹介も興味深いものでした。さらに、法然上人の史実とレオナルドの共通点から法然が弟子に作らせた「張子(はりこ)の御影」との比較も内容はともかく画家である著者独特の視点でおもしろいものでした。「張子の御影」(京都光明寺蔵)は非公開ですが、著者は光明寺と交渉し、京都に足を運んで実際に拝観しています。書籍調査も丹念に実施し国会図書館も何回も利用しているなど見習うべきところは多いです。調査とはかくあるべきかと感心しました。当然、パリ、ミラノ、フィレンツェなどレオナルドゆかりの場所にも行って調査していて、その情熱には脱帽というほかありません。
最後の「モナ・リザ」の胸元に描かれた文様の解析は圧巻でした。著者は「七七x五三センチに原寸拡大した「モナ・リザ」のコピーを自室の壁に掛け、ひたすら、眺め続けるという、極めてシンプルな行為を日々飽かずに繰り返していった」(同書97頁)という方法から入って種々解析し、レオナルド・ダ・ビンチの“ビンチ”の名が刷り込まれていると指摘しています。私は前々から、現在の御本尊写真集は各々の縮小率を変えることにより、B5やA4といった統一サイズで印刷されていますが、原寸もしくは原寸比(例えば1/5サイズで比較する)での比較が必要と思っていました。この箇所を読んで、「やっぱりなあ」と感じました。
北川健次氏は『トリノ聖骸布の謎』(リン・ピクネット,クライブ・プリンス共著、新井雅代訳、白水社)を引用し、聖骸布が1988年の科学的な年代測定によって後世につくられた偽物であったと判明したことを紹介しています。聖骸布とはキリストの処刑直後に遺骸を包んだとされる布です。詳細は略しますが著者の視点はこの布の偽造にレオナルドがからんでいたというものです。免罪符の発行で莫大な富を得ているキリスト教の高位聖職者たちに対する痛烈な記述がレオナルドにあります。「死せる人々が、千歳の後、生ける多数の人々(引用者注:キリスト教の司祭たち)に、生活費を与えることになろう。― 大昔なくなった聖徒のおかげで生計を立てる修道会の宗教について」(『「モナ・リザ」ミステリー 名画の謎を追う』、92頁)というのが一例です。いつの時代、どこの国でも同じだなあという思いでした。
久しぶりに読み応えのある本に出会いました。
215
:
犀角独歩
:2005/05/22(日) 10:11:26
いま、著者・小野文著師ご本人からご送付いただいた『日蓮考』(ニチレン出版)を読み終えました。
蓮師門下に係る著述で、これほど涙を流して読んだ本はありませんでした。改めて、小野文著師に蹲踞し、合掌し、恭敬の意を表する者です。
内容に関しては、拙ブログ、また、こちらへの投稿でも紹介させていただく所存ですが、この本をわたしは推薦します。
細かい日蓮所伝、その他に関する点で、わたしは承伏しかねる点はあります。しかし、そんなことより、日蓮門下が斯くあるべきか、また、師ご自身が斯くあらせられたかを淡々と記された点で感涙を禁じ得ませんでした。
バーコードが見当たりませんし、またネットで検索してもヒットしません。ご購入は、著書ご本人へか、または、以下、発行元まで
〒149-0071
東京都練馬区旭町1-12-21 ニチレン出版
TEL 03-3938-5347 FAX 03-5998-2641
216
:
犀角独歩
:2005/05/22(日) 11:46:37
― 身延山の開山は日蓮聖人、第二祖は日興上人、第三祖は日向上人です。日興が身延の院主に就いたのは歴史的な事実です。弘安7年(1284)の宗祖三回忌後、身延御廟輪番制がくずれ、同年冬、領主波木井実長の了解のもと、院主として日興は久遠寺に入寺し、翌年冬、登山してきた日向を学頭に任じ、正応2年(1289)の春、不幸にも身延を離山するまで、実質4年間、住持していました。現在の身延山では歴代から削られていますが、重須の日興門流と合併した今日、第二祖日興上人の復歴は当然のことと思いますが、どうでしょうか ― (日蓮考 P76)
こんなことを堂々と記す日蓮宗のお坊さんがいるのです。
この方の学者としての歩みもさることながら、実に立派であると感服します。
217
:
犀角独歩
:2005/05/22(日) 15:50:55
小野文著師『日蓮考』の読後感をブログにアップしました。
ご高覧いただければ有り難く存じます。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/22745865.html
PS 彰往考来さんの推薦書を探してみようと思います。
218
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/05/23(月) 18:44:04
>214
訂正です。
北川健次著『「モナ・リザ」ミステリー 名画の謎を追う』(新潮社)の出版年は平成8年ではなく、2004年12月25日でした。
219
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/05/26(木) 19:57:55
ちょっと一休みを兼ねて。
レプリカですが七重の塔が日本にもあるのですね。愛知県蒲郡市の無量寺いう真言宗のお寺です。
ここは通称“がん封じ寺”というようです。“がん”はあの病気の“癌”で癌を封じ込めるご利益のあるお寺というのがセールスポイントです。
玄奘三蔵ゆかりの中国西安の慈恩寺の大雁塔(仏塔)を三分の一に復元した日本大雁塔(高さは20メートルのレプリカ)があります。
ご参考まで。近日中に拝観してくる予定です。
<ここを紹介したHP>
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/muryouji.html
220
:
犀角独歩
:2005/05/27(金) 08:08:22
「日本では、五重塔以上の等は現存しない、建立したが皆倒壊した」とは、オフ会で、池上本門寺を散策し、あの地の五重塔を前にどなたかがなさったレクチャーでした。はて、どなたでしたか。
221
:
彰往考来
:2005/05/27(金) 12:30:40
>220
バレましたか。そうなんです。それでこれを見つけびっくりしたわけです。
これは中国の慈恩寺にいかないと見られないと思っていたものですから。
ただ、これは出所のあきらかな観光用のレプリカで、これをもって日本に
七重の塔が現存するとは言い難いのですが、なにはともあれ見てきます。
彰往考来
222
:
犀角独歩
:2005/05/27(金) 13:01:44
彰往考来さん
旅行記、楽しみにしております。
223
:
閑話休題
:2005/05/27(金) 23:15:42
はじめまして。普段ROM専なんですが、ちょっと気になったもので
どうでもよい話ですが、
>「日本では、五重塔以上の等は現存しない、建立したが皆倒壊した」
↓では、これはいかがなのでしょう・・・?
http://www.tanzan.or.jp/bunkazai-fm.htm
http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/3471/tounomine.htm
224
:
閑話休題
:2005/05/27(金) 23:29:43
もう一つ。
>「日本では、五重塔以上の等は現存しない、建立したが皆倒壊した」
ですが、これは「木造で」という但し書きをつけないとまずいのでは?と思います。
というのも、日本には全国的に石造や焼物などで、
六重、七重・・・十重・・・十三重・・・など、いくらでも現存していますので。
でも、そうすると先のレプリカ七重塔は「木造」ではないので、
おかしな話になっちゃうんですけどね。(笑)
余計なツッコミの上塗りですみません。
どうでもよい話であることに変わりはないので、レスは不要です。それでは。
225
:
犀角独歩
:2005/05/27(金) 23:37:27
> 223
これはご紹介、有難うございます。
話題になっているのは、五重塔とは、いまでいう5階建ての、という意味です。つまり、屋根の枚数ではなく、実質的に各階に部屋がある重層構造の話です。
226
:
犀角独歩
:2005/05/27(金) 23:40:23
まあ、知己同士の単なる雑談ですから、そんな厳格な話をしているわけではありませんので(笑)
227
:
閑話休題
:2005/05/27(金) 23:48:33
>>225
>>226
はやりそういうことでしたか。
これは余計なくちばしを入れてしまいました。(汗)
お忙しいところ、お手数をおかけして申し訳ありません。
228
:
犀角独歩
:2005/05/28(土) 00:01:22
> 277
いえいえ、読み直してみれば、仰るような突込みをしたくなるようなやりとりでした。
どうぞ、ロム専などと仰らず、これからもご投稿ください。
229
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/05/29(日) 19:44:39
>223,224閑話休題さん、始めまして。
ご指摘のとおりで五重塔を越える塔は日本には現存しないというと、誤解を招くでしょうね。正確にいうなら“木造の層塔において五重塔を越える塔は日本には現存しない”としなければなりませんね。「層塔(多重等)は最も一般的な塔で、木造では三重塔・五重塔しか残っていない」(山岸常人『塔と仏堂の旅』2005年、朝日選書、108頁)とあるとおりです。
通常の多重塔は、軸部(柱のある部分)が高い層塔式(あるいは楼蘭式)です。内部は実際には異なりますが五重塔なら外観は五階建てにみえるということです。それに対して談山神社の十三重塔は、第二層以上の軸部が低く軒と屋根だけを重ねたような簷塔(えんとう)式ですので、上記の“木造の層塔において五重塔を越える塔は日本には現存しない”という定義であれば談山神社の十三重塔は外れます。談山神社のものは、日本の木造塔としては現存する唯一の簷塔式です。日本では簷塔式は非常に珍しく記録に残るものでも数基を数えるにすぎないそうです。
また、薬師寺の東塔は六重塔のように見えますが、屋根下の庇(ひさし)に当たる裳階(もこし)が極端に大きくされたもので、実際には三重塔です。
また『塔と仏堂の旅』(108頁)によれば、石造の層塔では、奈良の般若寺や宇治・浮島にあるような十三重塔が多数残されていますが、それらは二層以上の塔身のせいが低いので、簷塔式に分類するのが正確ということです。
なお、仏塔についてと題して駄文をまとめましたので、併せてカキコしておきます。
230
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/05/29(日) 19:45:24
仏塔について
仏塔は建築材料からの分類では、木塔、塼(せん)塔(煉瓦塔)、石塔に分けられます。そして木塔は日本、塼塔は中国、石塔は韓国というように三つの地域が材料の特徴を分け合っています。木塔は日本が主体で韓国には2基(雙峰寺、法住寺)、中国には山西省応県の仏宮寺釈迦塔(応県木塔)のみが現存しています。中国も南北朝(420〜589年)時代の塔は木塔で日本には飛鳥時代に伝わり唐代以前の様式しか日本では取り入れていません。それは本家の中国では西晋時代に木造の欠点である、耐久性、耐火性、対抗性を補うために塼塔が出現しているのに対して日本は一環して木塔であること、応県木塔のように唐代以降に展開された叉柱造法(上下階の柱が通し柱ではなく、下階の柱の柱頭の斗栱に柱を挿入して、固める構法)が日本に伝わっていないなど種々の点から唐代以前の様式しか日本では中国から取り入れていないといえます。また木塔のルーツとも思われる五重塔浮彫が大同の雲岡石窟(北魏時代、460〜520年)の第6洞にあります。(『五重塔はなぜ倒れないか』53頁,118頁) これらのことから木塔は中国から朝鮮を経て日本に伝わり、その後日本で発達したものと考えます。
記録によれば東大寺七重塔や大安寺七重塔、相国寺七重塔、法勝寺八角九重塔、大官大寺九重塔など日本でも七重や九重の塔がありましたが、層数は談山神社十三重塔を除くと
五重を越える多層塔としては奈良県の談山神社十三重塔が唯一現存しています。しかしながら、談山神社十三重塔は屋根だけを十三重に重ねた簷塔(えんとう)式と呼ばれるもので極めて特殊です。高さも16.9mです。
多重塔は木造の高層建築でありながら地震や台風に強いという特徴があります。(詳細は『五重塔はなぜ倒れないか』を参照ください)そのため多重塔が失われる原因は落雷や戦乱の兵火など火災によるものが大半です。ただ、記録によれば法勝寺八角九重塔は81m、東大寺七重塔は96mととてつもなく高く、現存する木造塔の中で最大の高さである教王護国寺(東寺)五重塔が54.6mですから七重や九重の塔はその倍程度の高さがあり、果たして耐震的に問題なかったかどうかは疑問です。事実「法勝寺八角九重塔も、建立そうそう寛治五年(一○九一)の地震による被害を受けた」(『五重塔はなぜ倒れないか』、139頁)そうです。
『日本の名景 塔』には現存する日本の仏塔の一覧表が集録されていて、それによると全国に414基あり、そのうち三重塔が183基、五重塔が69基、多宝塔が150基、残り12基がその他です。また国宝に30基、国の重要文化財に93基が指定(2004年7月現在)されています。『塔と仏堂の旅』(109頁)によれば、多宝塔は下層が正方形、上層が円形の塔身をもつ二重塔を意味するそうで、宝塔は塔身が円形の一重塔を指すそうです。『さがしてみよう 日本のかたち ④ 塔』(8頁)では、平面円形で四角形の屋根を持つ一重塔が宝塔、四角形の裳階(もこし)をつけて二重にしたものが多宝塔といわれるとしています。池上本門寺にも宝塔があります。池上本門寺には五重塔もあり、慶長13(1608)年の創立で重要文化財です。参考までに富士大石寺の五重塔は寛延2(1749)年の創立で重要文化財です。池上本門寺と富士大石寺以外の日蓮宗関係では佐渡市の妙宣寺に佐渡島唯一の五重塔があり、文政8(1825)年の創立でやはり重要文化財です。他の日蓮宗関係寺院での多層塔の有無は存じ上げていません。
<参考文献>
木下正史『飛鳥幻の寺大官大寺の謎』平成17年、角川選書
山岸常人『塔と仏堂の旅』2005年、朝日選書
森田敏隆『日本の名景 塔』平成16年、光村推古書院
『さがしてみよう 日本のかたち ④ 塔』2003年、山と渓谷社
上田篤編『五重塔はなぜ倒れないか』1996年八刷(初版同年)、新潮選書
231
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/05/29(日) 19:52:50
>230
“層数は談山神社十三重塔を除くと”の以下に“三重塔・五重塔が主流です。”
を追記します。
232
:
閑話休題
:2005/05/30(月) 02:27:28
>>229
>>230
せっかく一休みのおつもりでしただろうに、とんだお手間をおかけして、
申し訳ありませんでした。
仏塔に関しては、かねて関心があり、素人なりに色々調べておりました。
詳細にわたりご教授くださり、まことにありがとうございました。
233
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/05/30(月) 07:41:43
>232閑話休題さん
224でレスは不要ですとお書きいただいていたのですから当方
でまとめてみただけです。私も少々興味がありましたので。
昨日は一日、家庭菜園で汗を流しておりました。ご心配なく。
今後ともよろしくお願いいたします。
234
:
犀角独歩
:2005/05/30(月) 08:57:15
今回の彰往考来さんの塔のレクチャー、興味深く拝読しました。
参考になりました。
池上本門寺の五重塔は750の時、完全解体修理がされました。
http://www.honmonji.or.jp/01what/02keidai/goju.html
塔全体をプレハブで覆い、小さな窓がついていたのです。除くと解体修理が見られるので、時折、出掛けては覗いていました。
ある日、覗くと、なかはがらんどう。完全に何もなくなっていました。あれは京都本圀寺を訪ねた時、一面の更地になっていたのと並ぶような、インパクトのある光景でした。
プレハブが取り除かれた修理後の姿を現したとき、信者でもないわたしが安堵の気分に浸ったのは、単にご当地大田区民であるからなのか、自分の心情が理解できなかったものです。
姿を現した五重塔は、当然、いわゆる古色仕上げというのですか、建立当時の状態に戻さない「修復」であったわけです。
わたしは個人的には、造立当初の色彩に戻したものを見てみたいという欲求に、いつも駆られています。小さな模型でもいいですから、創建当時の色彩を施したものを置いてほしいと思ったりします。
なお、「池上本門寺にも宝塔」と記される所ですが、あの場所は本門寺の境内地なのですね。わたしはてっきり本行寺かと思っていました。いま確認したら、たしかに本門寺のサイトに載っていました。
http://www.honmonji.or.jp/01what/02keidai/hoto.html
大石寺五重塔。いまから思い出すと、好きな場所でした。石山のなかで一番、寺院ぽい空間かも知れません。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/taisekiji/buildings3.html
まるで余談ですが、現在、身延山久遠寺に五重塔建造計画が進んでいるそうですね。
235
:
パンナコッタ
:2005/05/30(月) 12:01:13
彰往考来さん、
日蓮宗関連の五重塔でしたら元和5年(1622)建立の中山法華経寺のが有名ですね。
また、明治43年(1910)建立の龍口寺のもありますし、石塔の小振りなものでしたら
各地に結構あるみたいです。
236
:
パンナコッタ
:2005/05/30(月) 14:34:13
すみません。1622年は元和8年です。石川県羽咋市の妙成寺の五重塔が元和4年(1618)
ですので訂正します。<(_ _)>
松戸の本土寺には平成3年建立の物がありますし、浅草寺の昭和48年再建の物もあります。
237
:
パンナコッタ
:2005/05/30(月) 14:59:57
またまた、すみません。浅草寺は聖観音宗ですね。ェ(__)ェ
238
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/06/05(日) 08:58:30
無量寺の七重塔拝観記
6月3日に愛知県蒲郡(がまごおり)の無量寺へ行ってきました。旅行会社が企画した観光の一環です。
観光バスが通れるのかと思うような狭い道をくねくねと通り、荷物降ろしのため道を占領していたトラックの運ちゃんにどいてもらって目的の無量寺につくと、眼前に七重塔がそびえていました。まるでコンクリート製の張りぼて。思わず笑ってしまいました。やはり多重塔というと東寺の五重塔などの壮厳さを思いうかべますが、石塔ではまるで背の高い土蔵で、ありがたみがありません。近づいてみるとドアはあるのですが、物置のような感じで中には入れないという代物でした。まあ、本家のレプリカですからしょうがないなあという感じでした。無量寺はガン封じが有名で住職のガン予防の話はおもしろかったですけど、ここは小さい観光寺でした。
なお、本尊の不動明王は“秘仏”で12年に一度酉年に開帳ということで、今年がちょうどその年だそうで、貴方たちは運がよいですよということでした。無量寺をあとにして、バスで宴会会場の三谷(みや)温泉へと向かいました。いやあ、宴会では二次会もあり飲みましたねえ。次の日は大阪へ向かい、新幹線の社内から東寺の五重塔を見ました。やはり本物のもつ重厚さはいいですね。
239
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/06/05(日) 09:11:03
増田孝著『書の真贋を推理する』(2004年、東京堂出版)を読みました。
第4章の「鑑定書の出現と功罪」 はちょっと面白かったです。
一般に鑑定料は相場の一割だそうです。そうすると、<相場>が高いのでかなりな金額になってしまうため鑑定をしてもらってその鑑定料を上乗せすると、廉く仕入れたものを廉く売るという良心的な商売はできなくなるということです。またぎりぎりのもの(「論理的には「ぎりぎり」という曖昧なのはあり得ない。言葉だけは存在するにしても、現実にはたいてい「善い」か「写し」か偽物のいずれかだ」(97頁))を鑑定家に持ち込むと彼も生活がかかっているので<善い>と鑑定すれば時価の1割が懐に入るのに対して<悪い>と鑑定すれば、鑑定料は手に入らなくなる。そうすると・・・、ということだそうです。これが、鑑定書というものがある意味胡散臭いものである理由です。
一言でいうなら、<悪い>ものを高く売るための道具が鑑定書なのだと、この本を読んで感じました。最近、相次いで蓮祖の御真筆御本尊が“発見”されたというニュースが流れましたが、此れもおかしなことで昔から存在はわかっていたのですから贔屓目にみても真偽未決(?)であったにすぎないものです。存在が明らかだったのに立正安国会の目録に入っていないことから、模写あるいは偽筆の疑いが濃いものともいえます。この“発見”された“御真筆”(?)に鑑定者が鑑定書を作成されたかどうか知りませんが、これらのケースでは鑑定というかお墨つきが必要となります。この2件とも同じ方が鑑定されているようで、きっと後世の人はこの人の鑑定結果を信用しないでしょうね。手元にある『大田区史(資料編)寺社2』(昭和58年、東京都大田区)を紐解くと伝・日蓮本尊には「宗祖日蓮大薩埵御真翰無疑者也」(1264頁)の如き怪しげな鑑定書がいっぱいあります。これと同じです。こういうものを有りがたがっていてはいけません。
第4章の「鑑定書の出現と功罪」では古筆鑑定に使う台帳として『慶安手鏡』を紹介しています。これは慶安4(1651)年初版で、古筆の鑑定台帳を木版で複製しようとしたもので編纂者は古筆了佐という人です。「古筆」さんは、古い筆跡の鑑定を職業とする家の名前だたそうで、初祖が古筆了佐です。
最近、私は仙台仏眼寺蔵の「飛び漫荼羅」を調査していますが、この漫荼羅が現れたのが、寛永13((1636)年(一説には正保4(1647)年)ですから、このころには古筆鑑定が商売として成り立っていたということで、当然当時偽物が多く出回っていたことになり、時代背景を理解する上で興味深い点でした。
著者が「真贋という点でいえそうなことは、書のニセモノを作るのは絵より遥かに容易だということである。書は紙と筆と墨さえ揃い、器用な人がその気になりさえすれば誰でもできる」(13頁)と指摘していたのが印象的でした。
240
:
藤川一郎
:2005/06/08(水) 15:15:18
浅草寺五重塔ですか?
浅草寺ですが伝承では推古天皇開基ですから、相当古いですね。
それをかの有名な天台宗、慈覚大師が現在地に移して伽藍を建立しております。
浅草寺が移ってきたから「浅草」と言う地名なのか、元々浅草だったのか2説あります。
しかしながら浅草寺が今のような有名になったのは「徳川家祈祷寺」になってからでしょう!
徳川家康は元々浄土宗だったので、芝増上寺を菩提寺とします。
そして菩提寺とは別に天台密教による祈祷寺を、浅草寺とされました。
この寺の本尊は「観音菩薩」ですが、一般に拝観できるのは「御前立御本尊」の方でして、本体は「秘仏」であります。
ところがこれが「御前立本尊」であることは近代になって発表したのです。
それまでは「御前立本尊=本体」となっておりました。
石山系統の方は他宗の研究をなさりませんが、究極の本尊が秘仏扱いなのは名刹古刹では当たり前だったようです。
241
:
犀角独歩
:2005/06/08(水) 18:04:10
> 240
なかなか意味深なご投稿でした。
242
:
パンナコッタ
:2005/06/10(金) 13:07:28
題経寺と勘違いして浅草寺なんて書いてしまったのですが、瓢箪から駒のようなご指摘、
藤川一郎さん、ありがとうございました。
244
:
犀角独歩
:2005/06/11(土) 20:45:51
執行海秀師の論文その他、わたしのHPを工事し、再アップしました。
ご参考に供してください。
佛教再考―犀角独歩
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/
245
:
吉祥仙人
:2005/06/12(日) 05:57:02
「興門教学への一考察」
たいへん解りやすく、理論整然とはこの事かと驚いております。
これを更に考察される皆様方には、かつての無礼をお詫び申し上げます。
246
:
吉祥仙人
:2005/06/12(日) 06:12:38
「・・・・仏教内における一つの宗派としての教学ではない・・・・・
新たな一つの宗教をうち立てようと試みている。」
「切り文」とのご批判もあるでしょうが、この結論に向かって師が筆を進め
られているとすれば、よくよく熟読させていただこうと思います。
247
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/06/13(月) 07:30:10
>240 藤川一郎さん、
浅草の由来、参考になりました。
東京都には五重塔が9基あります。( )内は所在地と建立年。
① 旧寛永寺(台東区上野公園:寛永16(1639)年)、② 浅草寺(台東区浅草:昭和48(1973)年)、③ 本門寺(大田区池上:慶長13(1608)年)④ 光徳院(中野区上高田:平成7(1995)年)、⑤ 金剛寺(日野市高幡:昭和55(1980)年)⑥ 雲竜寺(八王子市山田町:昭和52(1977)年)、⑦ 日本閣八王子御殿山店(八王子市鑓水:昭和49(1974)年)、⑧ 延命寺(青梅市住吉町:昭和9(1934)年)、⑨ 福正寺(西多摩郡瑞穂町:昭和58(1983)年、このうち①と③が重用文化財です。(参考資料:森田敏隆『日本の名景 ― 塔』(平成16年初版、光村推古書院、115頁)
こうしてみると昭和以後の五重塔が9基中7基と相当多いことがわかります。これら昭和以後の7基は新しいため重用文化財の指定はありません。浅草寺は、「飛鳥時代、西紀六二八年頃の開創と伝えられ、都内最古の名刹」(白井恒『百塔紀行』平成17年、羽衣出版有限会社、46頁)とのことですが五重塔は、「三代将軍徳川家光の寄進により建立された五重塔は、昭和二十年三月連合軍の空襲に遭い、ほとんどの堂塔とともに焼失・・・現在の塔は昭和四十八年に鉄筋コンクリートで再建したもの」(同書、同頁)とのことです。
なお、浅草寺の本尊について白井恒氏は、「浅草寺の本尊の「網に掛かった観音さま縁起」は、静岡県にも瀬戸内方面でも数多く残されていますが、海の向こうからやって来た(流れ着いた)というのは、都から流罪となった貴族や高僧の持参仏だったという学説に、説得性があるように思えます」(同書、同頁)と紹介しています。詳細はよく解りませんが縁起との関係を調査してみれば面白いかもしれません。ただ秘仏となるとどうでしょうか。資料などないかもしれませんね。
248
:
栴檀
:2005/06/13(月) 17:27:37
独歩さん、こんにちは。
仏教再考の中の中の山上耕道さんて、「弘道」さんじゃありませんでしたっけ?
249
:
藤川一郎
:2005/06/13(月) 20:18:47
誤解があるといけないので!
浅草寺の観音様が秘仏なのは当然として、御前立本尊とて年中公開している訳ではありません。
浅草寺の御前立本尊は1978年に1ヶ月公開したきりで、今後も予定は決まっておりません。
その他の秘仏については下記が参考になるでしょう。
http://www.bunkaken.net/index.files/arakaruto/hibutu1.html
250
:
犀角独歩
:2005/06/13(月) 20:50:57
栴檀さん、ちょっと、お久しぶりです。
ご批正、有り難うございます。
251
:
ラキ
:2005/06/13(月) 21:47:22
藤川一郎さん。
秘仏てたくさんあるのですね。
年数日から、何十年に1回とか本当に公開日数が少ないと驚きです。
どこかと比べてしまうと・・・・(^^;
252
:
顕正居士
:2005/06/26(日) 05:06:34
川澄勲法門研究会補考
ここの「日蓮正宗関連HPリンク集」にある「川澄勲法門研究会」はしばらく前からサイトが消滅していました。
同サイトは復活していませんが、「川澄勲法門研究会補考」という新サイトがあるのを発見したので紹介します。
http://home.att.ne.jp/blue/houmon/
新サイトには川澄勲氏の著述以外に、日蓮教学、富士派宗学の理解に資する文章が多数アップされています。
最近、ここの掲示板では富士派教学よりも日蓮教学の話題が多く扱われるようになって来たから、富士派
(包括宗教法人は日蓮宗、日蓮正宗、日蓮本宗、単立)以外の僧俗の方の閲覧が増しているようであります。
富士派宗学は日蓮諸派の中ではもっとも特異な発達をして来たものであり、これの理解には日蓮宗宗学全書
に所収の文献では不十分で、富士宗学要集が必要です。同要集中重要の宗義や相伝の部は富士派の居士が
Webにアップされております。但し、入力の方法に非常に問題があり、文意を取れない箇所が多い。
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/mokuji.htm
さてこの派の有名な教義である「宗祖本仏論」(この派のみにあるのではないが)の直観的な理解に資するのが
松本佐一郎著『富士門徒の沿革と教義』 中の「日蓮本仏論」です。この章がアップされています。宗祖本仏論は
元来が密の教義であったが、幕末明治期より次第に顕の教義になり、創価学会の出現後はそれがいっそうに
単純化し、現在の大石寺発行の初歩的教義書を読んでも理解が困難である。松本佐一郎氏は田中智学居士
の本仏本化同体論を用いて説明しているから、智学居士の教学を知る者には非常にわかりやすいとおもう。
サイトの主催者が私淑する川澄勲氏とは国学者、古文書学者である。同氏は富士派教学を神道から解説して
いる。一般読者には理解が困難とおもう。富士派と神道との密接性が感得されればこれは十分であるとおもう。
253
:
顕正居士
:2005/06/26(日) 17:04:39
御書システム
遺文を引証する場合、当該遺文の祖書学上の地位を知る必要があります。
現宗研文献資料
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm
は真蹟存在、曾存と写本に分けてあり、最小限に有効です。ここの「写本遺文」には偽書に確定したものは
含まれていません。但し直弟の写本が存在するものから、偽書の疑いが濃厚とされるものまで種類がある。
興風談所から様々な機能がある「御書システム」が無償で提供されています。漢文和文ともに延べ書き前の
形もわかります。とりあえずもっとも有益なのは各書の祖書学上の地位が概説してあることです。
御書システム
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/
まずデータベース桐をインストールする必要があります。現在体験版が無料です。
桐ver9体験版
http://www.kthree.co.jp/2seihin/5support/1download/1downloadkiri9/taiken.html
しかるのち御書システムをインストールします。
御書システムダウンロード
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/down_ft.html
ショートカットはなぜか稼働しません。桐を立ち上げ、その後、桐のメニューより御書システム.CMDを起動
する必要があります。
254
:
顕正居士
:2005/07/06(水) 18:44:44
Stop the slander(誹謗を止めよ)
http://www.millerthought.com/stoptheslander/
日蓮正宗と創価学会の誹謗合戦は合衆国においても同時に発生しました。当時、合衆国はインターネットの
唯一の先進国であったから、Web上の誹謗合戦はその規模がわが国に劣りませんでした。
合衆国の事情はわが国と少しく異なる。顕正会はありません。正信会もほぼない。NST対SGIであったが、
いくらか顕本法華宗(の宗徒)が参加し、三つ巴になった。またNST、SGIのメンバーで、誹謗合戦に幻滅し、
両教団を去る方が非常に多かった。これらの方はIndependent Nichiren Buddhistと名乗るようになるが、
それまで日系人の宗派に過ぎなかった日蓮宗に移籍する方も相当に出た。
NST、SGI、INB、日蓮宗の有志が集まり、われわれはこういう誹謗合戦をやっている人たちとは違う者である
と宣言したのが上の文章です。そして、その際に発起者のMatt L. Millerさんが書かれた文章が次であります。
The Illness within Nichiren Buddhism or, Shoju and Shakubuku(日蓮仏教の病理、あるいは摂受折伏)
http://www.millerthought.com/stoptheslander/essay.html
日蓮正宗、創価学会、その他の勢力の間の相互の誹謗によって、「日蓮」の名が出るあらゆる言論が疑惑を
もって視られるようになりつつある。それどころか「法華」という言葉すら、負のイメージに化しつつある。
日蓮宗は優陀那日輝師以来、教学は「摂受」に確定している。ゆえに今日の大教団を成し、合衆国においても
自然に檀信徒があらわれた。誹謗合戦とは、これを要するに、闘諍を好む人民の煩悩に迎合して一旦の利養
を貪り、己れの宗の名誉を毀損し、良識ある者をも社会から疑惑せしめて、これを遠ざけようとの謀略です。
255
:
豚でもない
:2005/07/08(金) 14:54:39
創価学会および日蓮正宗系の「折伏」は、日蓮聖人の折伏の義を歪曲し、教団の勢力拡大に反対する者を「悪」として悪口罵詈、罵倒してでも潰すことは「正義」であると洗脳してきたことにある。それが、勢力争いのために、多くの醜い争いを作り出してきたのである。
このような間違った思想の者達へこそ、日蓮聖人の正しい折伏の精神は発揮されるのであって、その原因を「折伏」にあるとして、日蓮聖人本来の慈悲と受難の覚悟に基づく「折伏」の精神を打ち消してしまうなどは非常に愚かな事である。現代の日蓮宗において、教学は「摂受」に確定している等と言う物は皆無に近い。ただ、多くの者が怠けて偽善を気取り、現世利益を説いて来ただけである。
256
:
犀角独歩
:2005/07/11(月) 16:33:13
「『摂受本懐論』の今成師と『折伏為本論』の庵谷師に対して、小野師が『摂折妙用論』を述べるという三者三様の展開」澁澤光紀師がまとめる以下の文章は実に参考になりました。殊に澁澤師の「暴力」にテーマを絞った賢察は秀でています。
「摂折」論争 第二弾 今成説の徹底的検証
『日蓮聖人の摂折観をめぐって』
http://www.genshu.gr.jp/Local/Tokyo_W/kikanshi/No11/kj11_4.htm
257
:
顕正居士
:2005/07/11(月) 18:00:11
『議論のしかた』
http://iwatam-server.dyndns.org/software/giron/giron/index.html
「この文書を一番読んで欲しいのは、ネットの掲示板ですぐ「議論」を始める人です。その人達の多くは実際
のところ議論になんかなっていません。それは議論のルールを守っていないからです。
「議論は良くない」と思っている人にもこの文書は読んでもらいたいと思います。議論は本当は良いものなの
です。世の中のほとんどの議論が良くないものだからといって、議論そのものを否定しないで下さい。本当の
ところ、そうしたものは議論ではないのです。
もしネット上で困った「議論もどき」が始まったら、ぜひこのルールを教えてあげて下さい。ルールを守れない
人は議論に参加する資格はありません。しかしルールを守って正しく議論する分には許してあげて下さい 」
この文書はたいへん詳しく議論の心得を述べております。「議論とは人の意見を聞いて理解する場である。」
たとえ間違った意見であっても、なるほどそういう解釈があり得るのか、それならば自分が説明する際には
こういおうと智慧が増進します。掲示板はその議題について初心者であっても、ルールを守って参加するなら
敷居が低いものであってほしいとおもいます。そのためには議題については詳しくなくても議論の心得はよく
知っている必要があるでしょう。
わたくしは勝鬘経の摂折二門の説は社会生活上、実にもっともな事柄であると考えます。摂受と折伏は水火
のように異なり、決して混ざったりしません。たとえ間違った意見であっても、彼(彼女)がルールを守って発言
しているなら、落ち着いて聞くべきです。それが摂受とおもいます。対してルールを破る者に「議論のつもり」
で相手をするのは無益どころか、あらしの幇助になります。管理者が削除したり、アクセスを禁止するのが
折伏です。ルール(道徳)を守れない者に対して、何らかの「実力」を発揮して秩序を維持することといえます。
水火のように異なるとは、摂受の中の折伏だとか、そういう変なことはないという意味でなくて、何でしょう。
258
:
ゆうじ
:2005/07/12(火) 03:28:38
『正信覚醒の門』
http://speedstar.fc2web.com/
日顕上人の昭和五十四年から平成十三年に至る御大会での説法に対する批判
「日顕上人御説法『寿量品説法』破折」は読み応えがあります。
259
:
犀角独歩
:2005/07/13(水) 14:11:13
顕正居士さんご紹介のサイト、ようやくと読み終わりました。勉強になりました。
有り難うございました。
260
:
きゃからばあ
:2005/07/19(火) 09:36:05
NHK教育『視点・論点』「超常現象の心理的メカニズム」から
信州大学助教授 菊池 聡
http://www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member/hase/yh-seminar/2005/Fukuda_50520.htm
菊池氏の本もおススメです。
特に『超常現象の心理学(人はなぜオカルトにひかれるのか)』(平凡社新書)本体660円
261
:
パンナコッタ
:2005/07/24(日) 11:27:01
彰往考来さん、蛇足ですが十重塔なんてのがありました。(^_^;
http://www.okuuchi.com/awaji/
262
:
犀角独歩
:2005/07/31(日) 15:32:30
中国の嘘―恐るべきメディア・コントロールの実態
http://books.livedoor.com/item_detail&id=538922.html
この本をお読みになった方、いらっしゃいますか。
是非、感想を聞かせてください。
「…報道統制は愚民政策の主な手段である
報道メディアに対する政府の統制
メディア従事者に対する二重の統制
「内部文書」と情報の機密保護制度…
情報封鎖と一部真実をまじえた偽情報作り」
(目次から)
なんだか、どこぞの団体の会員操作とまるで同じだと思った次第。
263
:
顕正居士
:2005/07/31(日) 17:59:59
>なんだか、どこぞの団体の会員操作とまるで同じだと思った次第。
その本は読んでおりませんが、これは全く違います。独裁国家は物理的に言論を封鎖して来た。政府の許可を
受けなければ出版を行えないとか。中国共産党は今、経済の発達を至上の党是にしています。インターネット
を禁止することはできません。しかし、全く自由にこれが発達すれば、共産党の支配は近い将来に終焉します。
したがって党の延命のために自由主義諸国のサイトに接続できないようにさまざまな技術的工夫をしています。
欧米日本のカルト教団は言論を封鎖するいかなる手段も有していません。カルト教団の構成員も一般の国民
となんら区別なくあらゆるメディアの情報に接することができます。したがって自由主義諸国のカルト教団員は
みづからの意志で当該カルトの出版物のみを読み、当該カルトのサイトのみにアクセスするのであって、教団
はむしろそうした需要に応えているだけだとわたしは考えています。
264
:
犀角独歩
:2005/07/31(日) 18:09:59
顕正居士さん
わたしの指摘に対して、少し誤解があると思います。言論を封鎖するものの要因が、国家の場合は、外的要因を構築するのでしょうが、カルトと言われる集団の場合、これを内的要因として心理的に接種することによって可能にしています。
かつての学会、を含む石山系集団では、20世紀後半から21世紀の現在に至るまで、ただ2文字で自分たちに不都合の情報を信者自ら、自主的に封鎖する方法に成功しています。つまり「謗法」という2文字です。
265
:
顕正居士
:2005/07/31(日) 20:04:35
犀角独歩さん。
新興宗教に初代に入信する人は、彼がどんなトンデモないことを信じようが、自業自得であります。
ほんとうのカルトの問題は2世、3世の家族問題です。親の経済援助がなければ社会でのスタート
から非常に不利です。創価学会、ものみの塔、統一教会はこの段階に入っています。どのカルト
でも「謗法」の刷り込みがあり、これが親の子供への支配の背景になります。しかしそれは安易に
家族を支配しようという願望がまず1世信者にあり、教団はその需要に応えて教義を定めるという
面があります。親が子供に対して行う意味のマインド・コントロールは存在します。しかしカルトでも
専従者の意向は、次第に社会に適応し、楽に教勢を伸ばしたいのです。それが信者の方の需要
から難しい。宗教とは家族制度を容易に維持する為のソフトである性格が強い。今日、個人主義
に目覚めなければ、良い家族を営むことは出来ない。それには現代文明に適応する必要がある。
その努力をしない決意をした人々に対して、諸カルトが教勢を伸張する傾向が認められるのです。
「危険な原理主義の台頭〜なぜ日蓮系と福音派が伸張しているのか」
http://ecofarm.at.infoseek.co.jp/152-2.html
266
:
パンナコッタ
:2005/07/31(日) 21:52:50
独歩さん、
その本の作者 何 清漣氏のインタビュー記事。
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/02/html/d12076.html
なんだか議論が、かみ合っていないみたいですね。 独歩さんは中共の方針がカルトのMCと同類の物ではないか
との提示に対し、顕正居士さんは情報遮断の有無には明確な違いがあり社会学からカルトを分析されている。
基本とする物が同じでも、ほんのちょっとした相違が後に全然違う結果を生み出す ー バタフライ効果 ここにありき、
みたいなやりとりですね。
267
:
犀角独歩
:2005/08/01(月) 09:22:34
顕正居士さん、有り難うございます。また、
パンナコッタさん、有り難うございます。
たしかに仰るとおりで、視点が違っています。しかし、ご呈示いただいた内容も十分に参考になりました。
268
:
顕正居士
:2005/08/03(水) 22:12:40
大紀元日本語版
http://www.epochtimes.jp/
集団脱党。二大疫病。日本ではほとんど報道されない中国大異変のニュースが読めます。
269
:
さかなこ
◆dkkskTZWJk
:2005/08/04(木) 00:36:33
大紀元って法輪功がバックになってるって本当ですか?
かなり反中共な記事を載せてますよね。いまいち信じられないような
内容も多々あったりするし。
法輪功って現在どうなってるのかよく分かりませんけど…
270
:
顕正居士
:2005/08/04(木) 01:24:51
明らかに法輪功が母体の新聞、サイトです。オカルトな記事はお笑いです。
法輪功は中国では最大邪教として徹底的に取り締まられています。何しろ
黄巾の乱、太平天国と中国では大動乱を新興宗教が起こしていますから。
271
:
さかなこ
◆dkkskTZWJk
:2005/08/04(木) 15:26:12
レスどうも。やっぱりそうだったんですね。法輪功がもっと頑張って
中国の民主化をバックアップなんてことはできないのでしょうかね。
隣国の様子がきな臭いのでちょっと怖いです。
272
:
犀角独歩
:2005/08/04(木) 15:55:36
さかなこさん
> 法輪功…中国の民主化をバックアップ
これは無理でしょう。なにせ法輪功は中国で邪教と呼ばれています。
この邪教というのは、翻訳すると、日本で言う CULT だそうですから。
273
:
顕正居士
:2005/08/05(金) 06:52:46
>>271
駐日中国大使館の 「法輪功」とは何か
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm
大紀元のオカルト、予言などの記事も「逝っています」。
大紀元の共産党脱党の呼びかけが成功して、すでに脱党者が200万を越えたという(党員数は約7000万)。
中国共産党は虚報というだけで、詳しい反論はしない。海外の民主勢力は法輪功を応援している模様で、
第三者の論評が見つからない。しかし外交官の亡命も現に起こっているし、共産党の支配に大きな異変が
生じはじめているのは事実だと想像します。法輪功のカルト性から中国民主化の建設的勢力になれるとは
思えないが、打倒共産党の大きな勢力には成長しつつある。香港を除く国内では徹底的に弾圧しているの
にだから驚きます。
274
:
犀角独歩
:2005/08/05(金) 21:53:24
本日、朋友・Pohさんがご訪問下さり、「相談に乗っていらっしゃる方に薦めてください」ということで『心の傷を癒すカウンセリング366日』(西尾和美著/講談社)を贈呈下さったので、ご紹介します。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062562952/qid%3D1123246323/249-8130811-4393118
併せて、インド香 CHANDAN と、なんとサイババがプロデュースしたという SATYA SAI BABA NAG CHAMPA AGARBATTI をプレゼントしてくださいました。
ここのところ、憤懣やるかたない調子で投稿しているわたしに「まあ、落ち着いて」というやさしい心遣いと拝しました。「独歩さん、日蓮の弟子やっている」というご感想も謹んで拝聴しました(笑)
275
:
さかなこ
◆dkkskTZWJk
:2005/08/06(土) 00:41:51
法輪功ダメですか…。ちょっと期待してるんですけどw
確かに中共が崩壊したとしても法輪功が中国で活動始めたら
ヤバスなことになりそうですね。チベット問題とかどうなるんでしょう。
中共マジこわいです。
276
:
犀角独歩
:2005/08/07(日) 00:08:58
まるでこちらの掲示板で議論される内容とは関係ないのですが、最近、視力がどんどん落ちています。そこで、所謂、100均と言われるショップで、105円で適当な度の眼鏡を買ったのですが、これがけっこう使えます。ちゃんとあつらえたほうが良いのでしょうが、ちょっと細かい字を見たりするのには充分です。本でも、サイトでもないのですが、まあ、お薦めということです。
277
:
ラキ
:2005/08/12(金) 21:26:35
「メサイア・コンプレックスと新興宗教」
個人の方のHPのコラムなのですが、少し面白いコラムだと思ったので紹介させていただきます。
http://yukitachi.cool.ne.jp/column/c012messiahcomplex.html
同HPの宗教関係のリンク集なのですが、面白いリンク先があり、参考までに。
http://funkyz.jp/link/religion.html
278
:
犀角独歩
:2005/08/12(金) 22:12:24
> メサイア・コンプレックス
一瞬、何のこと?と思ったのですが、メシヤ・コンプレックスと外来語の片仮名表記では一般的です。
いのちの電話、斎藤先生のパネルを拝聴したことがあります。
主にキリスト教系の、本当に純情な女性が、強姦殺人される事件などで問題にされていった事例ですね。
ボランティアを馬鹿にする学会を含む石山系の功徳現世利益追求者には無縁の話と映じます。こんな事例に掛かるほど、日蓮本仏圏が進めば、まだ、救いもありますが、ほぼ絶望的です。
279
:
犀角独歩
:2005/08/12(金) 22:16:00
補
メサイヤ>メシヤ、救世主という意味です。
仏教でいえば、マイトレーヤ=弥勒
西欧では、キリストです。
皆さんが知っているブランド名でいえば、ミシュランです。
法華経の菩薩はこの影響かと言えるのではないでしょうか。
つまり、日蓮もメサイヤ・コンプレックスの人、池田さんも、浅井さんも、そうなのだと異文化圏の分析者はいうでしょう。
280
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/08/15(月) 09:40:40
北川健次著『「モナリザ」ミステリー』(新潮社)に出てきたリン・ピクネット+クライブ・プリンス著『トリノ聖骸布の謎』(1995年、白水社)を読みました。
“トリノ聖骸布”とは、「処刑直後のイエス・キリストの遺骸を包んだ埋葬布」(302頁)で、「亜麻布に血まみれの男性の全身像がうっすらと浮き出て」(同頁)いて「古くからキリスト教徒の崇拝の対象になっていた」(同頁)ものです。
しかしながら、誓書のどこにも像が刻印された埋葬布に関する記述がないこと、14世紀半ばにフランスで再発見されるまで空白があることなどから、中世の贋作説が強かったものです。
富士大石寺の戒壇の板本尊も、御書のどこにも板本尊の記述がないこと、有師の時代に忽然と現れるなど共通点があり、類似案件を追いかけている者として非常に興味深い内容でした。
同書は「炭素年代測定の結果・・・トリノの聖骸布は偽物だった」(21頁)というところから事実上始まります。「見ようとしない者ほど盲目なものはいない」(73頁)ということなのです。著者は聖骸布を本物と信じる人たちの主張を論破していきます。分析の結果、偽物だったというところからが出発点というのは考えさせられました。私は戒壇の板本尊では、分析して偽物と断定されればそれで終りと思っていたからです。
「ヨーロッパでは聖遺物は公式には崇敬の対象であると同時に、教会に莫大な富をもたらしていた」(59頁)そうですが、戒壇の板本尊も同じことです。そして「「聖骸布」はいくつもあったのかもしれない。今日のトリノの聖骸布はその何代目かにすぎないのかもしれない」(75頁)としています。戒壇の板本尊は4〜5代目と考えている私にとって、その類似点には驚かされました。
281
:
犀角独歩
:2005/08/15(月) 10:35:30
彰往考来さん
わたしもかつてこの“トリノ聖骸布”に興味を持った一人です。
仰る類似性はまったく同感で、特に偽物であると断定された段階から、次の言い訳が始まるのは、ここでの議論の展開と類型をなしています。
ここでの議論では、御前立本尊というところで、「たかが一般の信者辺りに本物を見せるわけはない」といった議論も含めて、相伝、秘伝は護られる心理構造は、いずこも同じです。
つまるところ、「信心で受け止める」という名文句は「教えられたように、言われたように、疑いなく信じるのが信心」と、人身操作は常套句を用意しています。
本物である、偉大なものであるという信じる心理は、要は自己の過小評価にあり、そのように偉大なものを信じることによって自画像を肥大化させることによってコンプレックスを解消することにあるというのが本質で、R・チャルディーニが「連合」(連なり合いたい)といい、「投影された栄光」と呼ぶ心理効果です。
「投影された栄光によくしたいという気持ちは誰にでも多かれ少なかれありますが、自分が観戦できなかったゲームのチケットの切れ端一枚を五十ドルで買うために雪の上で行列をつくった人々には、何か特別なことがあるように思われます。それはおそらく、家に帰ってから友人などに、自分がその偉大な勝利の場面に居合わせたことを『証明する』ためなのです。彼らは一体、どのような人なのでしょうか。私の推測が的外れでなければ、彼らは単なるスポーツ熱愛者ではなく、背後にパーソナリティの脆弱さが隠されている人たちです。つまり、否定的な自己概念をもっている人々なのです。こころの深層に、自分は価値が低い人間だという気持ちがあるため、自分自身の業績を高めて名声を得るのではなく、他者の業績との結びつきを形成し、それを強めることによって名声を得ようとしているのです。私たちの文化の至るところにはびこるこの種の人間は、実に多種多様です。有名人を友だちのように言う人たちは、その古典的な例です。ロック・ミュージシャンを追い回すグルーピーもそうです。彼女たちは、有名なミュージシャンとしばらく『一緒に』いたと友人に言いたいがために、自分の性的魅力を売り物にしているのです。どのような形であれ、そのような人々の行動には似たような主題があります。それは、物事の達成は自分が外部から得られるという、かなり悲劇的なものの見方です」(『影響力の武器』P238)
このチケット、またミュージシャンを求める心理構造と実は信仰心理は同一形態であることが知られるわけです。
要は、唯一最高のもの、唯一最高の人と自分は関係があるということで、欠損する自画像を埋め、大きく見える自分に満足するという「劣等複合」に分類される心理構造が、以上のような「お宝」と「指導者」信仰を生み土台になっているのでしょうね。
282
:
パンナコッタ
:2005/08/15(月) 11:23:14
彰往考来さん、
トリノの聖骸布に関して最近、また新たな動きがあったみたいですね。
http://x51.org/x/05/01/3135.php
まあ、ニュースソースがアレなんで一蹴に値するもの(聖骸布は数カ所で検査されて、いずれもほぼ同じ結果だった)
かもしれませんが、『否定されつつある物でも、その時代に信念を持った信者が蒸し返す行動に出る』 という事は
ありえるんですね。 板本尊が今、科学的に否定されたとしても数百年後に「埋もれていた出世の本懐」などとして
復活もあるかもしれません。
独歩さん、
”お宝”の参考例として「東日流外三郡誌」の顛末を、
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tukuru/tugaru/tugaru.html
さらにその後、
http://www8.ocn.ne.jp/~douji/wadake.htm
283
:
犀角独歩
:2005/08/16(火) 06:57:42
パンナコッタさん、ご投稿のジャンプ、読みました。
実に興味深い…というか、面白いものですね。
こんな調子で作られたものが、摘発もされず、いつか「事実」として語られるようになるというのは、仏教界、殊に富士門流では他人事ではないということなんでしょうね。
他でも書きましたが、わたしは学生時代、本門戒壇本尊が捏造していった張本人と居合わせたことがあり、まだ、若かったわたしは、この籍を蹴飛ばして、出ていく、言い換えれば、離反して終わりにした経験があります。
東京の大手デパート外商、会社社長、さらには創価学会大幹部まで巻き込んだこの大騒ぎは、その後、尤もらしい日蓮本仏、戒壇本尊、自称天皇を騙り、訥々と増えていく「お宝」には、しかし、そんなものに騙される人は、それでもいたようでした。
ただ、この人間のやったことは、何も目新しいことではなく、いつの時代にも繰り返されてきた、信仰という消費者ニーズに応えるための‘商品開発’のようなものなのでしょう。
この‘企画室’では、仏や、祖師を尊敬し、人々をひれ伏せさせるように見せかけながら、自分と自集団にひれ伏せさせるように巧みに操る詐術が常に用いられ続けてきたわけでした。本当に神仏、祖師を信仰する人であれば、決してできない贋作製作で、権威を創出していったわけですね。
火事で焼失したはずの文書が‘残って’いたり、燃えたはずの本尊や、盗まれたはずの御影像が今も、何故か今も安置されてあったり、そればかりか、日蓮その人があずかり知らない遺文、本尊が‘お宝’となっています。果ては、歯にくっついている肉が生きて汗をかき、成長し続けているとまで言います。それに文句を付ける「信心で受け止める」と、こう来ます。
人間というものは、弱い存在なのでしょうね。自分がいかに儚い存在であるのか実はよくわかっている。だからこそ、自分が永遠の存在でありたいという強烈な願望を懐く。さして大した存在でもない自分が、人に違って特別な存在でありたいという欲求を懐く。そんな弱さを支えるものが‘唯一絶対’‘世界最高’の、いやそれどころか‘宇宙を貫徹する’という法であったり、その唯一の体現者であったりするわけです。それが事実ではないということは、鎧のように、自分を大きく、強くしてきたかぶりものと装身具を剥かれた裸の、元の弱々しい、劣等感の塊に逆戻りすることになる、そんな畏怖から、信仰者は徹底して批判に過敏になるのでしょうね。
しかし、多分、シャキャムニの教えは、そのいちばん、弱い、裸の自分を見つめ、そこから、苦と恐怖を超える方途を示したものであったのであろうと思います。最も弱い自分が平安な境地になれる道筋と考え方と方法を占めそうとしたのがシャキャムニの教えであるという意味です。
けれど、そのシャキャムニを大いに賛嘆し、供養を捧げ、精舎は寄進し、死後は骨の奪い合いに腐心した‘信者’たちは、結局のところ、権力と富をどれほど有していたところで、やがて老い、病み、死に絡め取られていくという自然の摂理の前では他の一切の生類と何も変わらない弱い存在であり、その苦と恐怖の克服の修行をしなかった他の怠け者と同様、等身大、裸の自分から出発しなかったために‘お宝’に頼るしかなかったのでしょうね。
当スレは「お薦め」なので、続きは他の適当なスレで、ということで。
284
:
犀角独歩
:2005/08/16(火) 08:06:04
自己レスです
> 本門戒壇本尊が捏造していった張本人
文章も辺で、誤解も招きそうなので、補足。
これはつまり、石山の「本門戒壇の大御本尊」は偽物で自分の持っている方が本物であると言って捏造したという意味です。
285
:
パンナコッタ
:2005/08/16(火) 12:42:58
大きな地震でしたね。みなさん、お怪我などありませんでしたでしょうか。
独歩さん、
なるほど、谷中で拓本を取った”お宝”ですね。
更に時代を遡って考えれば、室町期の法華宗の勢力拡大の時期でも同様の事が行われていたと
考えられますね。この時期に偽作された物が、「お宝」「御金言」として今でも生き残っており、
そう信じ込ませる教団が現実にあるのが実体ですね。 これは非常に罪深いものだと思います。
286
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/08/18(木) 07:48:11
>282,283 犀角独歩さん、パンナコッタさん
「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)の捏造された背景や偽書である考証については安永美典氏の『虚妄の東北王国 ― 歴史を贋造する人たち』(1994年、毎日新聞社)に詳しいです。
「東日流外三郡誌」は発見者の「和田喜三郎氏が書いた偽書」(73頁)とされていて、安永美典氏は「『東日流外三郡誌』を見ると、そこに写真版でかかげられている「古文書」の文字は、和田喜八郎氏じしんの筆跡と一致する」(73頁、“じしん”は原本のママ)と指摘しています。
最近では丘英夫氏が『新ジンギスカンの謎』(叢文社)に文献として「東日流外三郡誌」を引用しています。丘氏の著作は義経がジンギスカンになったと主張されている内容で、「東日流外三郡誌」のような偽書をもとに論理を構成しても自己満足にすぎないといえます。
私たちも考証をする上で偽書をもとに論理を組み立てると、例えその他の部分が正しくとも、その論理全体が否定されかねませんので注意が必要です。
『虚妄の東北王国 ― 歴史を贋造する人たち』から
途方もないウソをつく人があらわれると、善意でそれを信じ、ほんとだと思って、熱心にひろめる人がでてくる。(54頁)
「偽」の歴史を、「真実」の歴史であると主張するのなら、それは、歴史の贋造である。(202頁)
287
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/08/18(木) 07:50:59
>286
追記です。
丘英夫氏の『新ジンギスカンの謎』(叢文社)は2002年の出版です。
288
:
パンナコッタ
:2005/08/18(木) 12:53:14
彰往考来さん、”安本美典”氏です。
>282 のさらにその後、のリンク先は昭和薬科大で古田武彦教授の下で助手をしており
「三郡史」の真偽論で袂を分かった原田実氏のサイトです。経過についてはそちらを参照ください。
その原田氏が、
『1999年11月に同志社大学で行われた「国際教育学会」で、東京学芸大学教授でこの学会の会長も務める
西村俊一先生による発表がありましたが、その掲載誌です。 この先生は有名な偽書である「東日流外三郡誌」
のことを調べに「三郡誌」の所蔵者である和田喜八郎さんの家まで行って、「間違いない、本物だ」と納得して
帰ってきた人なんです。(会場爆笑)
和田さんが亡くなられたのが99年9月で、学会発表はその2ヶ月後ですから和田さんの霊前に捧げるという内容に
なっています。西村先生によると、そもそも「東日流外三郡誌」偽説論者というのは犯罪者まがいの連中ばかり
なんです(笑い) たとえば安本美典氏については、古田武彦氏との「”九州王朝”をめぐる論争において惨敗
を喫した」から、その腹いせに「現代人和田喜八郎の手になる”偽書”であるとの攻撃」を『東日流外三郡誌』に
加えたというんです。 そして原田実という人物に関しては、和田喜八郎氏が作ったものではありえないことを
しりながら嘘をついていると。(会場爆笑) そしてこういう連中がやっているのは「犯罪心理学の世論操作への
不埒な悪用」なのだそうです(笑い)』
289
:
パンナコッタ
:2005/08/18(木) 12:53:42
続き
『で、この人はあまり調査せずに和田さんらの言い分を鵜呑みにしたのかというとさにあらず、
東北地方の関係機関をけっこう回っているんですね。東奥日報社、五所川原市教育委員会、青森県史編纂委員会、
弘前大学などに取材調査に行くのですが、”東日流外三郡誌”が本物だと言い続けるものだから、結局は
相手にされなくなる。で、こう言っています。
「実は、彼らは”偽書”キャンペーンにひどく怯えていたのである。(中略)この異常さには、さすがに驚きを
禁じ得なかった。当方は、その時、悪霊に取り憑かれた暗黒の村を描いた外国映画があったことを思いだした」
つまり、悪辣な陰謀家集団が西村先生の行く先々で真実の芽をつぶして回っていたと(笑い)。こんなことを
言っているのが東京学芸大学教授で、しかもその発表というのが、同志社大学を会場とするれっきとした学会の場で
その会長自らが行ったものというのですから、学会発表だからといって信用できないいい例ですね』
と学会年鑑2002 原田実 「漢字文化圏の怪しい文化遺産」 より引用
なんだか富士系の信仰に、非常に共通性があるようですね。
290
:
パンナコッタ
:2005/08/18(木) 12:54:05
蛇足ですが義経伝説の経緯は、室町後期の【御曹子島渡り】あたりとされ、
『物語は源頼朝旗揚げ以前のことと想定されたものである。平家が天下を制していた頃、奥州に
赴いた義経は、更に千島とも蝦夷ヶ島とも呼ばれる島に渡り、鬼の大王の秘する「大日の法」という
兵法を盗み出すというものだった。つまりこの物語は「島渡り」あるいは「地獄行き」という冒険を
通して、異界から非日常的な力(この場合は兵法)を持ち帰るという成人儀式説話の類型であり、
それが判官贔屓の心情と結びついてできた、はっきりそれと意識された創作だった』
長山靖生 「義経=ジンギスカン」伝説 『歴史を捏造する人々の「根拠」』 より引用
さらに様々な人の手によって”伝説”が、作り上げられていったようですね。
291
:
犀角独歩
:2005/08/18(木) 21:05:53
> 偽書をもとに論理を組み立てると、例えその他の部分が正しくとも、その論理全体が否定されかねません
されかねないどころか「否定される」でしょう。
どんなに精緻に書けて、人々の喜怒哀楽を喚起してやまない物語も、所詮、物語は物語です。どんなに精緻に書けた教学でも虚構の上に成り立つものは虚構です。
彰往考来さんも、パンナコッタさんも、この当たり前を受け入れた賢人だということですね。
292
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/08/19(金) 07:14:48
>288 パンナコッタさん
ご指摘ありがとうございます。何を血迷ったか著者名を間違えました。
293
:
パンナコッタ
:2005/08/19(金) 16:34:10
戦後60年という事で戦史関係の事が、たびたび出てきますね。何れにせよB−29による無差別絨毯爆撃、
原爆は非戦闘員の大量虐殺そのものです。 しかしながら戦勝国ではこの行為に対する免罪符としての
プロパガンダが当然あり、今なおそれを主張し捏造気味に戦禍を拡大させる国があるのが実情です。
この辺の論議はここの板とはかなりズレますのでいたしませんが戦史を読み解き、事実に近づく方法は勉強に
なると思いますので、ご参考までに。
姫路城不死鳥伝説
http://www.sanynet.ne.jp/%7Egino/phoenixs.html
史跡探訪
http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/index.htm
超空の要塞 B−29の追憶
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.b29/b29.html
B−29 本土空襲墜落機調査
http://10.ocn.ne.jp/~kuushuu/mia.html
お時間のある時に、是非チェックしてみてください。
294
:
パンナコッタ
:2005/08/19(金) 16:38:21
失礼しました、
B−29 本土空襲墜落機調査はこちらです。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/mia.html
295
:
パンナコッタ
:2005/08/19(金) 22:54:32
劣化ウラン弾については、”小型の核兵器のように誤解をさせるプロパガンダがある”と
いうのが実状ですね、核兵器ではありません。
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20030401d1.html
http://pws.prserv.net/spanglemaker/essays/uran.html
ただ破壊力が大きい為、対人兵器でもありません。何れにしろやっかいなものであるのは事実です。
まあ、この辺の事はフィクションの世界の中だけで楽しむ事にしたいものですね。 放射性物質を
上手く題材にした小説、P・コーンウェル『死因』は おすすめです。
296
:
犀角独歩
:2005/08/19(金) 23:43:58
パンナコッタさん、劣化ウラン弾の被害は数年ではわかりませんよ。
石綿より長いでしょう。被爆後、悪性腫瘍、白血病の発症は数十年のスパンです。
核兵器ではないというほうがプロパガンダではないでしょうか。
また、現地ボランティアに入っている人々からは、明らかに劣化ウラン弾の影響と思える奇形、腫瘍の例が報告されています、いまは、ジャンプが見つかりませんが。
297
:
パンナコッタ
:2005/08/20(土) 01:32:55
劣化ウラン弾は核兵器というより、Dirty Bomb というカテゴライズの方がいいと思います。
これはイペリットやマスタードガス等の化学兵器や放射能汚染だけを拡散させる事を目的とした簡易型の
兵器と近い扱いの方がよいと思ったからです。 やはり一瞬で人間・その他を蒸発させる核兵器とは
区別した方がよいように思いますが。
298
:
犀角独歩
:2005/08/20(土) 06:02:55
分類すればどうなるのかわかりませんが、わたしは一切の核使用に反対の立場ですから、それがウランだろうがプルトニウムだろうが、原爆だろうが、劣化ウラン弾だろうが、原発だろうが、すべて反対です。ですから、世間一般の分類と言うより、それら一切に反対、つまり、放射能汚染を危惧してのことです。
299
:
犀角独歩
:2005/08/20(土) 06:14:21
もとより、パンナコッタさんと言い争う気はありませんが、以下、各サイトでいうところはプロパガンダではないと思います。
また、日本国家、もっと言えば、アメリカ、さらに言えば、ダイヤ、石炭、石油に次ぐ、一部特権階級のビジネス「ウラン」「プルトニウム」が封印し、押さえ込むメディア・報道の一つに、この劣化ウラン弾の問題があり、その実態が恰も一般兵器のように認識されることは危険であると、わたしには思えるわけです。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=RNWE,RNWE:2005-01,RNWE:ja&q=%E5%8A%A3%E5%8C%96%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%BC%BE%E3%80%80%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E6%B1%9A%E6%9F%93
300
:
パンナコッタ
:2005/08/20(土) 09:36:31
話をかなり脱線させて済みませんね。
自分は一般的に核兵器と呼ばれる物は『核爆発兵器』だと思っています。劣化ウラン弾のような物は、
【被爆汚染残存する(懸念がある)兵器】だと思っています。
広島の「銀行の人影」というやつですか。これを見た時、通常の兵器とは全くの異質・別物という感じを
うけた為なのかもかもしれません。
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/04abom/kiroku/
301
:
犀角独歩
:2005/08/20(土) 15:03:59
最新刊『大白蓮華』を読んだのですが、離れてみた創価学会は、考えさせられるところが多かったですね。
自分のブログをお薦めするというのは手前味噌ですが、ご高覧いただければ有り難く思います。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/30504228.html
302
:
独学徒
:2005/08/25(木) 18:05:11
犀角独歩さん、重ねてのご期待を有難うございます。
我が家では、本日やっと大白蓮華9月号が届きました。
犀角独歩さんのブログを拝見しながら、9月号の大白蓮華を読みました。
活動会員以外には、全く無用の内容が目立ちますね。
資料的価値の無い、宣伝広告としての機能だけの雑誌といったところでしょうか。
活動会員以外でも、購読される方々を納得させるだけの紙面作りを、是非ともお願いしたいものです。
もう少し値段を上げてもいいので、真面目に真偽を追求するものに、資料的価値のある雑誌であってほしいです。
青年僧侶や改革同盟も、「ヨイショ論文」やスキャンダル話でなく、真面目な教学研鑽を期待します。
興風談所と並べるくらいの、努力をお願いしたいものです。
以上は、一学会員として要望致します。
303
:
独学徒
:2005/08/28(日) 13:23:31
5月のオフ会「戸田城聖を聞く会」でお会いしました、てんてんさんのHPらしきものを発見しました。
http://members.at.infoseek.co.jp/n0r1k/index.html?07151200
同HNの別人かもしれませんが、牧口・戸田研究のHPらしいです。
304
:
犀角独歩
:2005/08/30(火) 23:40:42
303 独学徒さん
なかなか充実した資料紹介ですね。
あと、戸頃重基師、大谷栄一師の記述も紹介されるといいですね。
また、牧口さんの禊教時代、戸田さんのキリスト者時代なんかの資料も加えるとさらに充実するでしょうね。
305
:
独学徒
:2005/08/31(水) 19:39:07
犀角独歩さん、皆さん本当にHP作り等パソコン知識がおありです。
私も本当はHPを作ってみたいのですが、どうもうまくいきません。一応現在作成中なので完成した時には、紹介させていただけますと嬉しいです。(けわしき道ですが)
今日は仕事が休みでしたので、1日国立国会図書館にいました。
昨年の「日蓮宗教学研究発表大会」での犀角独歩さんの発表のあとに、大石寺学僧方が質問された中で、熊田氏『日蓮上人』口絵に掲載された所謂「本門戒壇之大御本尊」の写真が、由井氏の著作『日蓮大聖人』に掲載された写真であるという趣旨の質問があったと思います。
そこで今回、国会図書館で由井幸吉(一乗)の『日蓮大聖人』を拝見しました。冊子本ではなく、マイクロフィルムでの閲覧のため、非常に見ずらかったのですが、確かに口絵に奉安殿のような建物の中央に、所謂「本門戒壇之大御本尊」と思われる彫刻が写っていました。
恐らくこの写真の、中央部分を拡大して掲載したのが、熊田氏『日蓮上人』の口絵写真であろうと思われます。
しかし相貌にいたっては、熊田氏が手を加える云々を比較できるような写りではなく、一応コピーをとりましたが、コピーには曼荼羅部分の相貌は全く写らず、外堀から熊田氏『日蓮上人』の口絵との一致を認めさせるにとどまります。
また稲田海素師の『御本尊写真集』も、マイクロフィルムで拝見しました。
ここには本法寺所蔵の、日載授与の御本尊(弘安三年三月日)が写真掲載されています。
大石寺の安82番曼荼羅の模写といわれるものです。こちらもマイクロフィルムということで、コピーはとにかく資料としては成り立たないほどの写りの悪さです。
しかし、もう手に入ることの期待できない、貴重な資料が多数あることは事実で、お薦めだと思いました。
306
:
犀角独歩
:2005/09/01(木) 00:57:05
独学徒さん
貴重なご投稿、有り難うございました。
もし、よろしければ、この次のオフ会で是非とも研究発表をしていただきたいと存じます。
307
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/09/01(木) 07:53:43
>305独学徒さん
>稲田海素師の『御本尊写真集』
私も国会図書館のコピーを持っていますけど確かにマイクロフィルムからのコピーは鮮明ではありません。でも、資料としてそれなりに役にたつと思いますけど。
ご指摘の本法寺所蔵の、日載授与の御本尊(弘安三年三月日)は私も興味があります。なぜ82番と日付が異なるなかなど不明な点が多いですね。
308
:
犀角独歩[TRACKBACK]
:2005/09/01(木) 12:32:33
独学徒さん
お尋ねしますが、
> 『日蓮大聖人』…口絵に奉安殿のような建物
ここで仰る奉安殿とは昭和30年に建立された奉安殿ということでしょうか。
これはたしかコンクリート造りのものなので、ちょっと、ピンと来ないのです。
御宝蔵に奉安されていたのだと思うのですが、こちらではありませんか。
石山の坊さんは「御影堂」といっていたわけです。
「熊田氏の『日蓮上人』にしか大御本尊の写真が出ていないということなんですけれども、熊田氏の写真というのがですね、あの由井一乗居士という方の『日蓮大聖人』という本があるんですけれども、その御影堂全景の写真のなかからの、拡大してあの本に掲載されていまして。しかも修正が加えられているということはご存知でしょうか」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/r1800
わたしはこの発言で「御影堂」というところはよく聞き取れなかったんですが、「写真に修整を加えている」ということで「はい存じております」と答えた経緯があります。
この石山の若い方の発言をそのまま採れば、『日蓮大聖人』発刊当時、彫刻本尊は御影堂にあったことになります。これは、たぶん、「御宝蔵全景」の言い間違い、もしくは故意の言い換えではないのかと思うのです。
宝蔵は以下の写真の如くですが、奉安殿、御影堂、御宝蔵、いずれのものであるか、ご記憶にございますか。
http://www.asahi-net.or.jp/~JE3T-WSI/index09.html
309
:
犀角独歩
:2005/09/10(土) 05:11:31
他スレで紹介しましたが、再度失礼します。
拙HPに以下、ページをアップしました。
ご高覧のうえ、是非ご意見を『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』にお寄せください
『何故わたしが、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html
310
:
顕正居士
:2005/09/14(水) 09:06:08
2ちゃんねるは掲示板全滅時代に唯一生き残った大掲示板です。
日本の宗教の関連では次の2つの板が推薦です。毎日、見ていれば
新興宗教にも既成宗教にも、けっこう物知りになれます。
心と宗教@2ch掲示板
http://life7.2ch.net/psy/
神社仏閣@2ch掲示板
http://travel2.2ch.net/kyoto/
311
:
独学徒
:2005/09/22(木) 21:14:17
>「つぶやきスレッド2」1803 パンナコッタさん、
HPへのご期待、有難う御座います。
本日は仕事が休みでしたので、「神奈川県立金沢文庫」に行ってきました。
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htm
私のHPはお薦めできませんが、金沢文庫はお薦めできます。
金沢文庫は本年開館75周年です。
後ほどブログには、本日の感想をアップしたいと思います。
今後ともご指導のほど、よろしく願い致します。
312
:
犀角独歩
:2005/09/23(金) 01:37:01
独学徒さん
貴HPに期待します。
よろしければ、わたしのブログページのリンク集に加えさせてください。
313
:
独学徒
:2005/09/23(金) 12:01:00
犀角独歩さん、有難う御座います。
すみません、私のほうは断りも無しにリンクに加えさせていただいてました。
どうぞよろしくお願い致します。
314
:
犀角独歩
:2005/09/23(金) 12:50:44
独学徒さん
ただいま、リンクさせていただきました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
犀の角のように独り歩め
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/
紹介記事
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50057789.html
315
:
犀角独歩
:2005/09/23(金) 13:00:00
独学徒さん、追伸です。
HPを更新された際はご一報ください。
随時、ブログで紹介させていただきます。
316
:
独学徒
:2005/09/23(金) 23:20:07
犀角独歩さん、リンク戴きました上、過分なお言葉を頂戴し、誠に恐縮です。
まだまだかけ出したばかりのHPであり、わからない事だらけですが、HPの更新も勉強の一つと考え、時間はかかると思いますがしっかりと更新していきたいと思います。
今後ともご指導のほど、よろしくお願い致します。
317
:
独学徒
:2005/09/24(土) 14:33:28
犀角独歩さん、空っぽだったHPの「資料室」に、稲田海素師の「日蓮上人御直筆『圓多羅義集に就いて』」をアップさせていただきました。
お時間をいただき、少しずつ充実させていきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
318
:
犀角独歩
:2005/09/24(土) 22:45:00
独学徒さん、楽しみです。
あとで拝読させていただきます。
319
:
犀角独歩
:2005/09/25(日) 12:14:42
独学徒さん、早速、HP更新をわたしのブログでも紹介させていただきました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50063042.html
稲田海素師が「圓多羅義集と彼の建長三年の御写本の九字秘釈並びに建長六年不動愛染二ヶ相承の御自筆と比較するに筆跡大に相似たり、此れに由て此集を以て御真蹟なりと決断せる」という一節は、近代真跡鑑別の基を読む思いがしました。
学会系のHPで不動愛染感見記に対する偽書説が取り沙汰されていますが、この稲田師の三つ巴の真跡鑑定を考えると、このうち、一つが偽書となれば、他2書も偽書となるわけですね。師の鑑定は動かないと思えました。
しかし、同文末尾の「此圓多羅義集の吾祖の真蹟がいかにして金沢称名寺へ伝わりたるやと云へば、現今金沢文庫に存在せる理性院血脈関係」という点は、戸頃・高木両師における「二人の日蓮」論争の結末が別人説で決着した点と異なるわけです。(<二人の日蓮>改稿―金沢文庫蔵「理性院血脈」を日蓮伝の資料から除くべき歟のこと―(高木豊著・増補改訂『日蓮―その行動と思想―』(太田出版)P229)
しかし、この点と冒頭の文字鑑別を同等に論じる必要はないとわたしには思えました。
参考になりました。有り難うございました。
320
:
独学徒
:2005/09/25(日) 17:33:27
犀角独歩さん、早々にご紹介いただき誠に恐縮です。
有難う御座います。
今回アップしました、稲田海素師の「日蓮上人御直筆『圓多羅義集に就いて』」ですが、短い論考で尚且つ大半が宗祖遺文の引用に終わっていますので、なにか言葉足らずといった感じを受けました。
まるで文字数の制限でもあったかのようです。
しかし、稲田海素師についてもう少し知りたいと思っています。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049186&VOL_NUM=00000&KOMA=2&ITYPE=0
特に師が大石寺客殿で見たものは何か、強く興味を引かれるところです。
現在も大石寺では、客殿にて「虫払」を行いますが、その際には「客殿の奥、高いところ」には曼荼羅本尊の類が懸けられます。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/indexj.html
稲田海素師が活躍されたころ「禅師授与曼荼羅」は、北山もしくは法道会本部にあったと思われますので、当時の貫首が日応師であったとしても、本山での「虫払」に「禅師授与曼荼羅」が出展する可能性は限りなく低いですが、どうも私はこの点が気になります。
稲田海素師が見たものは「禅師授与曼荼羅」ではないかと。
話はずれますが、今日は保田妙本寺に出向いて参りました。
後ほど感想等を、ブログの方に投稿したいと思います。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
321
:
01
:2005/09/25(日) 20:39:19
日蓮正宗のサイトか。サイトの誠実さを見るのって簡単だよね。
くさいサイトってリターンアドレスが絶対に表示されてないんだよね。
322
:
01
:2005/09/25(日) 21:40:33
圓多羅義集って、当用漢字にすれば円多羅義集じゃないかな?
どこから転載したかも書かないと著作権に抵触するんじゃないの?
323
:
独学徒
:2005/09/25(日) 23:23:29
>322
ご指摘有難う御座います。
早速、転載元を論考の一番下に明記しました。
漢字の直しにつきましては、もう少しお時間を戴くということでご容赦願います。
なお私のHPのご指摘等で、こちらの掲示板に迷惑をかけてしまうのは申し訳ありませんので、今後はメールもしくは以下の掲示板にてご指摘・ご指導を賜れば甚大です。
http://bbs6.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/fujikyougaku/
今後ともよろしくお願い致します。
324
:
犀角独歩
:2005/09/26(月) 05:35:30
独学徒さん
> 「客殿の奥、高いところ」
これは虫払法要を指していると。なるほど。となれば、石山虫払法要に堀氏の取り計らいで稲田師は客僧扱いで参列したということになるわけですか。これはなかなか興味深い話ですね。もっとも石山には細井氏が執行海秀師を招いたというのは夙に語られることですし、宮崎英修師も行っているんでしたか。これらの人々は、宝蔵調査、もしくは法要参列もしたということでしょうか。
虫払法要を執り仕切るのは、教学部でしょうから、その関係者であれば、どんな順番に懸かるのかもわかるはずです。いちばん奥中央に懸かるのは、何でしたっけ。いまとなっては記憶が曖昧です。所謂。譲座本尊でしたか。この記憶が正しければ、日蓮真筆を差し置いて、日興書写は中央に懸けることになりますが、こんなばかなことをするのでしょうか。わたしの記憶違いでしょうか。
稲田師が、原本と見たのは、取り敢えず、第82漫荼羅ということになるのでしょうか。
しかし、相貌はぜんぜん違いますから、この漫荼羅と見間違えるというのは考えづらいですね。
> 法道会本部…本山…「虫払」に「禅師授与曼荼羅」が出展
こういうことは法要の性質から有り得ないでしょう。各寺院ごとに所蔵している宝物開帳するのが、虫払の意味ですから。
所蔵している教会寺院の虫払法要以外で懸けられる可能性はないと思います。
325
:
独学徒
:2005/09/26(月) 11:44:02
>324
犀角独歩さん、
平成15年の「大日蓮」5月号の記事(虫払記事)を参考に考えますと、宗祖本尊といわれるものは「内陣中央」から懸けられ、「譲座本尊」を1番に以降の歴代本尊は「外陣中央」から東西交互に24番まで懸けられたとあります。
あくまでも現在の様式ではありますが、参列者側からしますと宗祖本尊の類は、歴代本尊の後ろに懸けられることになりますので、「奥、高いところ」には該当すると思われます。
>所蔵している教会寺院の虫払法要以外で懸けられる可能性はないと思います。
確かに仰せの通りだと思います。
私は「法の道」全巻を見る限り、日応師のころに法道会にて「虫干」が行われた形跡がないことや、日応師が「御真筆大御本尊」を外部に持ち歩き御開帳していたという記事が出ていたため、>320のような推理をしてみました。
あとは、阿部教学部長(当時)の発言と言われる「河辺メモ」の記述よりも、稲田海素師が木下師に語ったとされる内容のほうが、より犀角独歩さんの鑑別に近い分析に感じられます。
「河辺メモ」では「主題と花押」を模写とありますが、稲田海素師の言では花押は別であったと思います。
稲田海素師が、一目みて「これだ」と思うようなものが何であったか、今は他に史料が見当たりませんので、結局は推理・想像の域を出ないのが現状です。
326
:
犀角独歩
:2005/09/27(火) 12:29:51
> 325 独学徒さん
参考になりました。有り難うございます。
327
:
犀角独歩
:2005/09/30(金) 00:42:09
本日発売の『週刊新潮』'05.10.6号に『韓国テレビ局が報じた「池田大作とは何者か」』が掲載されています。
・「池田氏への『名誉教授』は、多額の寄付をもらったので」と告白する大学学長。
・「強引に付けられた『SGI通り』という名前」に激怒する地元住民たち。
「言論妨害」「盗聴」「不正投票」……日本では絶対に放映できない「創価学会の暗部」!
とのことでした。
韓国SGIについては、他でも問い合わせが来るなどしていたのは、このことかと思い当たった次第です。
328
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/04(火) 07:27:18
>305 独学徒さん
>稲田海素師の『御本尊写真集』
先日、国会図書館で稲田海素師の『御本尊写真帖』にある日載授与の御本尊(弘安三年三月日)を再度コピーしてみたのですが、いやはや御指摘のとおりヒドイですね。画質が悪くとても使い物になりません。
昔コピーしたときはそうでもなかったのですけどね。
そういうことで、私の307の投稿
>マイクロフィルムからのコピーは鮮明ではありません。でも、資料としてそれなりに役にたつと思います
は訂正します。
彰往考来
329
:
ケン
:2005/10/04(火) 22:16:11
日頃から勉強させていただいています。
例えば、最近では、「末法思想」・「三時」などのご議論を興味深く拝見しています。
さて、昨日、コンビニに寄った際、
「>327
>『週刊新潮』'05.10.6号に『韓国テレビ局が報じた「池田大作と
>は何者か」』が掲載されています。」
を思い出し、買ってみました。(前々から、新潮社は応援しなければと思っていますので、ささやかですが、機会があれば、また応援しようと思います。)
その記事の中に、「オヤッ」と思うことがありましたので、質問させていただきます。
「オヤッ」と思ったのは、
「一説に、韓国SGIは150万人もの信者を抱えているという。人口が日本の3分の1強に過ぎない韓国では驚異的な数字である」
の記事です。
二十数年ほど前(あるいは、それ以上前)の聞きかじりでは、「韓国では、日本人を教祖とする日蓮系の信仰を持つことが禁止されているので、日蓮正宗・創価学会も韓国への進出は困難である」と理解していました。
この聞きかじりの内容が、そもそも誤っていたのでしょうか。
あるいは、何年か前から、「禁止」の事情が変わったのでしょうか。
ご存知の方がいらっしゃれば、宜しくお願いいたします。
330
:
犀角独歩
:2005/10/05(水) 14:51:16
ケンさん、はじめましてで。よろしいのでしょうか。
329は、わたしの投稿に関するレスでしょうから、お応えしなければなりませんが、あまりこの事情には通じておりません。
ただ、段さんと縁戚の高橋公純さんの奥さんが韓国の人で、その関係から石山布教があり、その後、独自になったということですから、創価学会、大石寺、高橋さんと信者はいることになるのでしょうね。
まあ、日蓮宗の人々に聞けば、アジア一帯で、日蓮関連の布教は一定の成果を上げているようで、まあ、そのなかで韓国の創価学会進出は目立っているとのことでした。
あまり、参考にならないと思え、恐縮です。
331
:
独学徒
:2005/10/05(水) 21:09:14
>328
彰往考来さん
今度お会いする機会がございましたら、是非お手持ちのコピーを拝見させてくださいませ。
犀角独歩さん、
HPにて犀角独歩さんの書籍と論考文を紹介させていただきたいと思います。
事後承諾となり恐縮ですが、どうぞ宜しくお願いいたします。
http://fujikyougaku.fc2web.com/index.html
表紙をさらにシンプルに整理しました。
また資料室に『大石寺蔵「日郷直筆系譜」』を追加しました。
ここのところ、迷惑メールやウイルスメールの処理に追われています。
HPを管理するということがどういうことか、ようやく皆様のご苦労の一端を体験できました。
「日蓮宗教学研究発表大会」の件ですが、以下のページで10月21日・22日となっていました。
http://www.scj.go.jp/gakkai/html/0120.html
この日程ですと、私も今年は拝聴できそうにありません。
来週池上では盛大なお会式が行われると思いますが、大坊の「お会式桜」はこの季節に咲くのでしょうか?
もし開花情報がございましたら、写真を撮りに行きたいので、是非お教えください。
332
:
独学徒
:2005/10/05(水) 21:33:59
自己レスです
>また資料室に『大石寺蔵「日郷直筆系譜」』を追加しました。
やはり画像のアップがうまくいきませんでした。
何度見ても画像が表示されないので、取りやめました。
日郷系譜は後にブログでアップしたいと思います。
すみませんでした。
333
:
独学徒
:2005/10/06(木) 00:49:43
先ほどは失礼しました。
『大石寺蔵「日郷直筆系譜」』につきましては、「冨士教学研究会―独学徒のブログ」(
http://blog22.fc2.com/fujikyougaku/index.php?style2=pop-k17&index
)の『出世の本懐』の文中「直筆系譜」をクリックすると見れます。
「冨士教学研究会―独学徒のブログ」(
http://blog22.fc2.com/fujikyougaku/index.php?style2=pop-k17&index
)『出世の本懐』では、日叡師の著作「類聚記」の一部もアップしました。
ご高覧戴きますと幸いです。
334
:
犀角独歩
:2005/10/06(木) 11:31:43
独学徒さん、日教研の件、失礼しました。
御会式桜は開花はいかほどでしょうか。近く散歩がてら本行寺の境内をのぞいてみます。貴HPでのご紹介、まことに有り難うございました。早速、当方のブログでも紹介させていただきました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50093638.html
郷門系譜、興味深く拝読しました。
アップされた図は興風談所のものですか。わたしはこの図には異論があります。
上古、相承譜は、受法も蓮・目・郷であって、ここに日興は介在しないと、わたしは思います。日興を重視する立場からすれば、これは納得がいかないのでしょうが、この点は、過去に、問答さんと議論をしたことがあります。
過去ログ「大石寺の歴史」の181以降
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/rekisi.htm
やや、付加して記せば、富士門的発想では、どうも「唯受一人」というドグマで知らずに考えてしまうところがあります。ところが日蓮にしても、伝教にしても相承が複数であると窺えます。顕正居士さんがでしたか、寺院・相承というのは、いまで言えば、大学・入学許可みたいなものだから、その教義、口伝、また、蔵書などを拝観するためには相承を受けなければならないというのが一般であったのではないでしょうか。
伝教が真言秘密教学を知るために、空海から授かったのは夙に有名なことです。では、空海から授かった段階で、入唐で授かった天台相承は無効になるかといえば、そんなことはないわけです。そんな感覚もないでしょう。
過日の小松師(立正大学教授)の講義でも話題になったことですが、たとえば日蓮、また、本弟子は阿闍梨号を持っているわけですが、この允可は当初、比叡山ということになります。日蓮門下の全員が比叡山遊学したと考える蛮勇はおきませんが、しかし、日昭は日蓮と共にここに学んでいるわけです。そのうえでの阿闍梨号と考えられます。その允可を、まあ相承という言い方でよいのかどうかわかりませんが、しかし、許可があったわけでしょう。
また、感見記が真筆であれば(わたしはそう考えていますが)、日蓮は間違いなく真言相承も受けているわけです。
日興にしても弘安期まで、四十九院の供僧であったわけで、寺院を持たなかった日蓮の弟子僧は天台宗寺院で寄宿していたわけです。寄宿すると言うことは、その寺院の法義典礼に参列し、その行儀を為していたということでしょう。以上の関係で、「唯受」などあったものではありません。
わたしは2001年頃の問答さんとの議論では、興目両派というのは一種の確執があったのではないのかと疑っていたところがありました。しかし、今回のれんさんのご指摘を踏まえて考え直すと、日目を例に採ったとき、日蓮から受法し、その後、日興からも受法したということは考えられると思ったわけです。この場合、日蓮から日目が直接、拝受したことは日興が介在しないことがあっても、おかしなことではないわけです。感見記、また、第16大本尊を日蓮から直接、日目が受けたからと言って、何ら日興に咎められる筋合いのことではありません。日蓮の裁断だからです。また、こんなことで日興が悪心を抱くこともなかったでしょう。当時の師弟、学問というものがそんなものであったからです。ところがここで「唯受一人」という余計な観念が入ると、日目に伝わったことは日興が介在した‘はず’だと考えることになる。受法も蓮興目だとなります。しかし、これは違うと、わたしは思います。
日蓮の弟子たちがそれぞれの器量により、日蓮からそれぞれ受法され、また、他山でも受け、総合的に仏道の深さを加えようとしたというのは、現在で言えば、たとえば、京都大学を卒業して、東京大学の大学院に入る、さらに海外の大学に入る、それぞれのところで指導教授に師事し、学位も取るといったようなことと、まあ、似ていることだと考えればわかりやすいかもしれません。殊に日興は檀所という意識があったわけで、私塾の規模であったにせよ、学校経営ということになります。優秀な学生であれば、京・比叡山にも遊学させた(日順)のでしょう。日蓮もそうしていたわけでしょう。
以上のことから、事実を冷静に考えていくうえでは、あまり、日興門派に拘る固定観念が存する意見に振り回されないようにする注意が必要なのだと思います。
335
:
独学徒
:2005/10/06(木) 13:37:54
犀角独歩さん、ブログのご高覧ありがとうございます。
「日郷直筆系譜」ですが、これは私が勝手にそう呼称しているだけですが、日郷師の直筆が大石寺に現存しているとの事です。
興風談所の坂井師は、このような系譜が南北朝期に書かれていることは稀であり、日郷師の嫡弟意識を物語るものとしています。
「受法」に関しては「唯受一人」の可能性は有りますが、「学法」に関しては複数に対する伝授があったようで、「日蓮聖人御出世御本懐御法門」も日郷師から法灯を次いだ日伝師だけではなく、「類聚記」の記載内容より日叡師への伝授もあったことがわかります。
ここのところから、万が一にも「受法」が「唯受一人」相伝であったとするならば、それは一つしかない「固体」(物質・物体)の相続ではないかと思い、日郷直筆系譜に見える「受法」とは、所謂「万年救護大本尊」ではないのかと類推した次第です。
当然、「受法」それ自体も「唯受一人」であったかどうかは確定する資料は無く、すべては「類聚記」の記述と日郷直筆系譜より推理したものです。
しかも、あくまで「受法」と「学法」を、「受法」=本尊の伝授、「学法」=法門の伝授、とそれぞれを分けて仮定した類推です。
坂井師の論考によれば、保田妙本寺に現存する「類聚記」には、『「上人四重興廃事」「本迹相違時」「迹門方便品読三義」など、相伝の内容が詳細に書き記されており、まさに一級史料と言える文書である。』との事です。
いずれにしましても、私自身、この「類聚記」の原本・写真等を見たわけではなく、前文を読んだわけでもありませんので、類推の源は、すべて坂井師の論考に拠ります。
保田の虫干では、たしか「本尊類」の展示がほとんどで、重要文献などは巻かれた状態での展示であったと記憶します。
出かけた際には、「類聚記」について、関係者に尋ねてみようと思います。
336
:
独学徒
:2005/10/06(木) 13:43:57
訂正です。
誤
>前文を読んだ
正
全文を読んだ
失礼しました。
337
:
犀角独歩
:2005/10/06(木) 14:07:11
独学徒さん
> 「受法」=本尊の伝授、「学法」=法門の伝授
学法が、法門伝授ではないでしょうか。
法=本尊というのは法本尊観という教学がなければ生じない発想です。
日蓮に遡源できない教学の一つであると考えます。日郷にこのような教学があったのでしょうか。
受法という場合、通常は秘密相伝の類ということで分類されるのではないでしょうか。
第16大本尊は、言うまでもなく、この当時、授与者名の記載がなく、この大本尊もそうです。では、文永11年の段階で、日郷宛にこの本尊を図したとはもちろん考えられません。後代、もし、この本尊をもって、相承の具としたとすれば、必ずや、その旨と日付がどこかに、書き込まれて、しかるべきでしょう。
珍重される本尊ですが、門下の常識に惑わされず、これらの点を直視する必要があると思います。重視すべき本尊かは、信仰のフィルターを取り除いて、考証し直しすということです。
余談ながら、「影版を発表しない文献はないもの、もしくは疑わしき資料と見なす」というのが、文献考証では安全策であるとわたしは考えます。また、学術論証では当たり前すぎる前提であるとも考えます。
坂井氏が、受法に、日興を差し挟む理由はどのように述べているのでしょうか。
338
:
独学徒
:2005/10/06(木) 14:50:25
犀角独歩さん、
>坂井氏が、受法に、日興を差し挟む理由はどのように述べているのでしょうか。
これは坂井師の見解ではなく、大石寺に所蔵される日郷師直筆の系譜がそうなっているということです。
図の中に「日昭」を「日照」としているところなど、原文ママでおこしたものと考えられます。
坂井師は「学法」の伝授に関しては、「家中抄」の日目伝を引用し、日目→日寿の学法伝授があったことをあげています。
坂井師はあくまでも、日郷師は目師より法門伝授を受けた者の一人として見解を述べられています。
「受法」に関しては、坂井師の見解は論述されていませんので、あくまでも私が単純に推理してみたに過ぎません。
もちろん「富士門流全体の」とか「日蓮門下全体の」ということではなく、日郷師の直筆系譜に見える「受法」の推理ということです。
いずれにしましても、保田妙本寺や大石寺より文献原本の開示が無い以上、推論の域を出ることは無いのが現状だと思います。
339
:
犀角独歩
:2005/10/06(木) 15:09:43
独学徒さん、有り難うございました。
参考になりました。
340
:
独学徒
:2005/11/02(水) 00:29:48
お久しぶりです。
本年も東京古典会オークションが面白そうです。
これは三鳥派の曼荼羅でしょうか?
http://www.kosho.ne.jp/~kotenkai/tokusen/gazo/gp2184.html
ほか、保田妙本寺中興の日要師の著作なども出品されているようです。
真偽の程わかりませんが、一様宗祖曼荼羅の出品もあるようです。
一般公開の時に見学に行ってきます。
341
:
独学徒
:2005/11/02(水) 01:12:00
もう一点お薦めします。
身延の祖師堂の映像です。
読経像ですが、見る限り「波木井の御影」を元に彫刻されたものと思われます。
http://www.kuonji.jp/30_virtu/31_gyoji/31_04801.htm
342
:
犀角独歩
:2005/11/03(木) 02:43:51
独学徒さん、お久しぶりです。
342の映像、たいへんに面白かった。
仰るとおり、彼の御影画像に似ていますね。
更衣の最中、後ろの漫荼羅がゆらゆら揺れているのが、とても気になりました。
漫荼羅には、やはり、無頓着だなと思った次第です。
それにしても、このように何でも映像、画像で公開するのはけっこうなことだと思いました。
ご紹介、有り難うございました。
343
:
独学徒
:2005/11/03(木) 10:38:34
犀角独歩さん、こんにちは。
>それにしても、このように何でも映像、画像で公開するのはけっこうなことだと思いました。
全く仰せの通りだと思います。
正々堂々としたインターネット上での映像公開には、富士門系諸山も是非影響を受けて戴きたいと願うものです。
344
:
独学徒
:2005/11/03(木) 21:45:32
既にご存知の方が多いと思いますが、池田令道師の「富士門流の信仰と化儀」が公開されています。
全文打ち込まれた、管理者様に敬意を表しつつ、紹介させていただきます。
http://home.att.ne.jp/blue/houmon/ikeda/kegi.htm
345
:
犀角独歩
:2005/11/11(金) 10:57:19
昨日開催された本化ネットワーク学習会『綱脇龍妙の信仰と福祉―身延深敬園の軌跡』(講師・仏教タイムス編集長・工藤信人師)の講義はたいへんに素晴らしいものであり、自分を反省し、また、新たな視座を与えてくれるものでした。一部、資料をブログに転載しましたのでご参考になさってください。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50187266.html
346
:
01
:2005/11/11(金) 20:52:35
綱脇上人、横須賀大明寺の、かつての住職だよね。
紹介の妹尾の話にもあるけれど、仏教徒は軍隊より平和を、殺戮より人助けを語るほうがずっといいね。
信仰と実生活が一致しているものね。
347
:
犀角独歩
:2005/11/11(金) 22:01:42
>346
よくそんなこと、ご存知ですね。
そのとおりです。綱脇上人は、横須賀大明寺の歴代であり、久遠寺の法主代行も務めたということでした。
現住職に、楠山師がなられたことは、この寺院の人道的な在り方と勿論無縁ではありません。先代住職は、楠山師の社会活動を評価したればこそ、後継に指名されたのだと拝察いたします。
348
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/13(日) 10:50:42
橋口候之助著『和本入門』(2005年、平凡社)を読みました。
橋口候之助氏は神田神保町の誠心堂書店店主で、現在の書籍と和本の違いなどが平易に書かれていて非常に参考になりましたので紹介します。
「現在の書籍は、カバーや箱に書かれた表題も、表紙、とくに背にある題名も、本を開いた最初の扉に出てくる題も奥付も、すべて同じだ。しかし和本は今述べたようにところどころにある題名が必ずしも一致しないことが多いのである。」(112頁)とあります。和本での表題の数として、題簽(外題)、見返し題、複数の序題、版心題、巻頭(内題)、尾題と七箇所以上ある例をあげています。題名が必ずしも一致しない理由は色々のようですが、「外題というのは板元の商業的な事情(売らんかなの姿勢)でつけられたものが多い(118頁)」と指摘しています。氏は内題を正式名として採用すべきと主張していますが、「内題ではよくわからず、外題を採用したほうがよい例」(118頁)もたくさんあり、そう単純ではないようです。
また序ですが、「ほんらい序とは人に贈る文章のことである。だから本に載せるものとは限らない。しかし和本では序といえば今の推薦文のようなもので、これを本の先頭に載せるのが習慣だった。そのとき、文を寄せるだけでなく揮毫もした。つまり、序文を自筆で書いたものを贈ったのである。」(109頁)ということで、一冊一冊手造りなのでできることだったのでしょう。「和本の場合は同じ書名の本でも、ひとつとして同じものがない。一回に板元(はんもと)から出す本は、おそらく数十部という程度なので(百部を越えたら多いほうだろう)、今日残存しているものは、刷られた時期が微妙に違う別の本である。」(100頁)なので、同じ内容で異本があるのは和本ではあたりまえなのです。
また「本の先頭に載せる序文は、著者からみて目上の人で、もし同輩、後輩が書くなら後序として巻末に置くのが和本のしきたり」(111頁)だそうです。
「中国では板木に梓(あずさ)の木を用いていたので、それで出版することを今でも上梓という」(47頁)とか「中国の本をもとにして作ることを翻刻(ほんこく)というが、とくに原本をそのまま板木に貼って彫る「かぶせ彫り」で作製した本は覆刻(ふっこく)という」(45頁)など出版用語の語源を知る上で興味深い記載がありました。たしかに“ふっこく”は覆刻と復刻があり、どう違うのかと思っていたので疑問が解消されました。でも「かぶせ彫り」でどうやって左右逆の鏡文字(判子(ハンコ)と同じで刷る際に左右逆の文字でないと正しい字が出ません。)にできたのかちょっと疑問です。なお、日本では板木に丈夫な桜の木を使用しているそうです。
もうひとつ参考になった点は代表者の書き方です。「代表者を決めるルールがある。(中略)巻頭に校訂者三人の名が並んでいるときは中央の人を採用すると述べたが、この法則は巻末になると変わってくる。本の末尾に人名・書店名などが並んで表記されたときは、末行が最高位となる。奥付も巻末だから、最後に代表者がくるのであるのである。(中略)このように本のなかにも上席と末席の決まりがあって、しかも記載される場所によって異なる。序文では先頭、本文中の巻頭などでは中央、奥付などの巻末では末尾が上席である。これは中国の伝統からきているようだ。こういうところにも書物の作法があったのである。」(182頁)とあり、なるほどこれは中国の伝統からきているのかぁと思いました。
349
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 11:58:07
彰往考来さん
ご紹介、たいへんに参考になりました。
先の稲田師の『御本尊写真鑑 巻の一』と『御本尊写真帖 全』が異名同本であったわけも理解できました。
有り難うございました。
350
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 22:30:11
Pohさん、ご覧になっていますか?
(最近は見てないということでしたね)
過日はご訪問、有り難うございました。
お借りしたNHK特集『ブッダ 大いなる旅路』前5回、一挙に鑑賞しました。インド、ミャンマー、タイ、中国、台湾のそれぞれの仏教。
こうしてみると、わたしにはタイがいちばん納得がいきました。ラーマ4世、なかなかいいですね。それを受けた原点回帰の修行者の姿は凛々しく思えました。ただ、どうもパゴダ、仏像はあまり、興味は惹かれませんでしたが。中国、台湾の近代の観音像は特にどうも好きになれません。しかし、そう思っているところでアーナンダ・マイトレーヤ長老の言葉に、自省するところもありました。
本日から3回に分けて、勝手な感想をブログに載せます。
1回目は以下のとおり。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50194121.html
まずは、御礼まで。
追って、『空海の風景』も見ようと思っています。
有り難うございました。
皆さんにも、この特集はお勧めします。
351
:
れん
:2005/11/19(土) 11:51:07
昨日、国会図書館にいきまして、日蓮宗新聞を読みました。そのなかの中尾師のコラム「ご真蹟にふれる」は大変参考になりました。弘安三年四月の尼日厳授与曼陀羅の裏に蓮師自筆で「持妙之」とあるのが紹介されており、尼日厳=持妙尼であることが分かりました。持妙尼はこれより前、建治二年二月に曼陀羅を授与されており、文永・建治に曼陀羅を授与された信者に、例は少ないものの、このように弘安度に曼陀羅が与えなおされていることは、必ずしも、曼陀羅授与は一人一幅とは限らないのではないかと思いました。
352
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 13:18:55
れんさん、貴重なご指摘有り難うございました。
> 曼陀羅授与は一人一幅
原則一幅というのは、たしか宮崎師だかもお書きになっていたと記憶します。
しかし、原則ですから、理由があれば、複数授与されたこともあったのでしょうね。たしか、六老方全員の授与漫荼羅もそもそも揃っていませんでしたね。
353
:
れん
:2005/11/22(火) 13:38:03
犀角独歩さん
>352
ご教示有難うございました。国会図書館で読んだ「日蓮宗新聞」の記事で目を引いたのが、真間弘法寺(だったと記憶しています)に所蔵されている富木常忍氏と大田乗明氏の持仏の一尊四士像で、記事によれば鎌倉時代後期の作に間違いないそうで、蓮師開眼の伝承があります。この仏像の出自に間違いがなければ、教主は一尊四士(久成釋尊と本化四菩薩)でその教法が大曼陀羅という位置付けも可能かなと思いました。
354
:
藤川一郎
:2005/11/22(火) 15:00:00
浅井氏の著書「阿部日顕管長に最後に申すべき事」への反駁書が「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」から出来しました。浅井氏の著書に一言一句返答している意味において、すごい労力だったろうなとは思いました。
これに対して浅井氏がどうでるかは分かりませんが、「最後に申すべき事」に反論されて、「最後に申すべき事に対する反駁書に最後に申すべき事」なんて書いたら、もはや漫画ですね。
最も浅井氏は過去にも「宗門に申すことはもはや何も無い」「これが最後」と数回言っていた過去があり、それこそ「最後に申すべき事」は何回目の「最後」なのか?等というイヤミが生まれておりますが・・・!
今度は何年後に「最後に申す」のか(何ちゃって)!
355
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 19:04:18
れんさん
> 教法が大曼陀羅
この点、もう少しご説明いただきたくお願い申し上げます。
356
:
れん
:2005/11/22(火) 20:38:08
犀角独歩さん
独歩さんのご教示には、曼陀羅の用途として護符としての用途とともに、日蓮の弟子としての免許状としての意味もあるとのことでしたが、一谷入道百姓女房御書の「又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者んば御用ひあるべからず」の“日蓮が判”とは、私は具体的には曼陀羅と考えますので、曼陀羅は日蓮の弟子としての証明書としての用途もあるという独歩さんの考えに賛同しています。
これは原殿御返事の「南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来」からの私の愚推なのですが、久遠実成釈尊の教法=南無妙法蓮華経で、一尊四士とともに曼陀羅を懸けることによって、一尊四士の教法=南無妙法蓮華経を表する用途もあるのではないかと考えてみたのであのような表現になったものです。
日興門流ではありませんが、富木常忍氏=日常師の常修院本尊聖教目録の冒頭に「一、妙法蓮華経曼陀羅 一鋪 一、釈迦立像並ニ四菩薩」と記されるのは、これを傍証するものではないかと考えています。まあ、これは、あくまで私の愚推ですが…。
357
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 21:22:28
れんさん
早々のご教示、痛み入ります。
『一谷入道百姓女房御書』など。とんと、忘れておりました。適切なご引文、拝受いたしました。
先の一尊四士の造立時期について、日蓮在世当時の可能性という点、実に参考になりました。というのは、先にブログでも覚書したのですが、『大崎学報』104号に載った影山堯雄『御本尊造像史』副題「御本尊形式の変遷について」において、やはり、この時期を在世としておられました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50161687.html
わたしは、『四菩薩像立抄』が真偽未決のこともあり、実はこの点を疑っていました。しかし、今回のれんさんのご投稿を通じて、影山師の説は信頼度があるものであることが確認できました。
> 久遠実成釈尊の教法=南無妙法蓮華経
なるほど。このご説明は合点が行きます。
> 一尊四士とともに曼陀羅を懸ける
中尾師が仰ったことですが、絹本の漫荼羅は幡のように用いられた。(どうも絹本への疑いはわたしにはりますが)また、紙幅は板に張られたということでした。しかし、その前は折り畳むなりなんなりして、持ち歩かれたのだろうと思うのです。(もちろん護符としては折り畳んで布袋に入れていたのだと思います)
このように、首題とともにを認めた漫荼羅を、授与された弟子が、道場に奉懸し、日蓮法座の証としたのだろう思います。
以上の類推を、れんさんの今回のご教示は補完して下るものでした。
有り難うございました。
358
:
ラキ
:2005/12/04(日) 19:30:19
学会系のHPでありますが、顕正新聞の記事情報UPが早く、参考になるHPだと思います。
「VERSUS9」
http://versus9.ld.infoseek.co.jp/index.html
359
:
犀角独歩
:2005/12/10(土) 15:52:02
わたしは、昭和天皇の‘人間宣言’につき、母の体験も踏まえて何回か記しました。
しかし、以下の文章を拝読し、やや自分の考えに修正が必要であると思いましたので、ご紹介しておきます。
玉体繁栄
http://blog.livedoor.jp/seigijuku/archives/64956.html
360
:
独学徒
:2005/12/11(日) 16:07:07
犀角独歩さん、お久しぶりです。
ブログの方、拝見させていただきました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/
一寸驚きました。
昨日夜半、私も同様のタイトルでブログを更新させていただいております。
http://blog22.fc2.com/fujikyougaku/index.php?style2=pop-k17&index
天気のよい日に外へ出て、周りの景色に眼を向けたとき、心和む光景があるということは素晴しいですね。
361
:
犀角独歩
:2005/12/12(月) 19:20:28
独学徒さん
昨晩から家を空けており、今し方、戻りました。
ご返信、遅くなりました。
「紅葉」のこと、気が合いました(笑)
貴ブログの更新、拙ブログのほうで紹介をさせていただこうと思います。
しばらく前、東京よりはまだ少し高い横須賀に行くと、町はすでに紅葉しており、驚かされました。「東京はまだだろうか」と思っていたところ、一挙に紅葉した感があります。拙ブログの写真は家から程近い多摩川駅前の「田園調布せせらぎ公園」で撮った写真です。
http://www.city.ota.tokyo.jp/ota/nishi/machinami/shisetsuannai.htm
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50259258.html
また当地では多摩川台公園とか、田園調布の銀杏並木など、紅葉が本当にきれいです。
そんななかで、独学徒さんがお心に留めていらした御会式桜が池上では観られるのだろうかとなどと想っていました。
本日、晴海、勝鬨橋の辺りを散策したのですが、道に鰹節を広げ、一つひとつブラシをかけながら、日干し、風通しをしていました。そこから、築地市場へ行くと、もう年末の賑わい、正月用の玉子焼きなどの予約も始まっていました。昨晩の東京の初雪といい、もう本年も終わり、新年がやってくるのですね。
362
:
独学徒
:2005/12/13(火) 12:17:30
犀角独歩さん、何時も何時もつたない当HPをご紹介下さり、誠に恐縮です。
本当に有難うございます。
我が家では、正月の前にもう一つ行事がございました。
子供たちもピアノでクリスマス関連の曲を練習しています。
私は何のとりえもないので、スプーン曲げでもと思いましたが、やはりだめのようです。(笑)
363
:
犀角独歩
:2005/12/13(火) 18:39:15
独学徒さんのHPを時折拝見しております。
それにしても、お子さんが弾かれるピアノのメロディーが流れている家庭とは何とも羨ましい光景です。
364
:
ラスカル
:2005/12/14(水) 17:37:07
素朴な質問、疑問というのは教学的な事で一杯ですよね。どなたか日蓮聖人真筆の十界漫陀羅を取り扱う書籍かサイトを御存じの方いませんか。日蓮宗の現代宗教研究所で漫陀羅は授与される一人ひとりの立場や相対・興廃などの教学を考えて書きあげると書いてあったような事を思い出したのでなるべく多く書いてある漫陀羅を取り扱う所が良いのですけれども。
365
:
独学徒
:2005/12/14(水) 19:03:34
犀角独歩さん、何時も有難うございます。
僭越ながら私のブログでも、犀角独歩さんのブログを紹介させて戴きました。
子供たちのピアノは今年最大の買い物でした。今までは電子ピアノだったのですが、ピアノの先生より鍵盤の数が足りないからと、かねてよりピアノの購入をすすめられていましたが、なかなか手が届きませんでした。
今回、妻の実家の近くに、中古ピアノを扱う楽器店がオープンし、ようやくもの的にも金額的にも納得いくものが見つかり、思い切って購入したしだいです。
いつの間にか両手で弾けるようになってました。
ラスカルさん、
>日蓮聖人真筆の十界漫陀羅を取り扱う書籍
参考になるかどうかわかりませんが、「興風17号」に山中弘道師が「日蓮大聖人曼荼羅本尊の相貌変化と法義的意義について」という論文をだしています。
良い資料はたくさんあると思いますが、高額であったり、入手困難であったりすることが多いですね。
「興風17号」は出たばかりなので、入手しやすいと思います。
御書システムのページから、問い合わせれば取り次いでもらえると思います。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/
366
:
犀角独歩
:2005/12/14(水) 22:51:57
独学徒さん、ご紹介、恐縮です。有り難うございました。
ラスカルさん、パンナコッタさんが先にご紹介くださっていませんでしたか。
Nichiren Shonin Gohonzon Shu
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html
書籍では
『御本尊集』立正安国会
『御本尊集目録』〃
『日蓮聖人真蹟の世界 上』雄山閣
367
:
ラスカル
:2005/12/14(水) 22:59:46
独学徒さん、犀角独歩さん、ありがとうございます。私の携帯電話の機能では補完備品が無いと全て見る事ができないので範囲を広げて質問した次第です。書きそびれてしまってすみません。
368
:
犀角独歩
:2005/12/14(水) 23:03:33
ラスカルさん
独学徒さんも、記されていましたが、立正佼成会の図書館は会員でなくても閲覧できます。
立正大学も同様です。時間があれば、足を運んでみるといいですよ。
369
:
ラスカル
:2005/12/15(木) 08:53:41
ありがとうございます。
370
:
独学徒
:2005/12/26(月) 01:52:03
日蓮正宗青年僧侶「邪義破折班」のHPが更新されました。
http://jagihashaku.main.jp/
ここに、顕正会浅井会長の「最後に申すべき事」が、全文公開されていました。
私は初めて、顕正会浅井会長の所謂「最後に申すべき事」を読みました。
同著の中で、浅井会長は
「少しく二月七日付の「河辺メモ」に触れるが、これによれば、汝は「日禅授与の本尊云々」「模写の形跡云々」等と述べている。
この大それたたばかりを見たとき、小生は、かの善無畏が「法華経と大日経とは天竺にては一経」といって一行をたばかった故事が胸に浮んだ。汝は河辺の無智につけ込み、己が博識を自慢げに、「日禅授与の本尊」を引き合いに出してたばかったのであろう。
弘安三年五月九日の「比丘日禅」授与の御本尊については、小生は法道院において十余回にわたって眼のあたりに拝観している。そして当時の早瀬道応主管より、この御本尊が北山から流出した状況、同日付の御本尊が北山に現存する理由、また応師が明治四十一年にこれを買い取り法道会に奉蔵されたときの状況等、再三にわたり克明にこれを聞いている。
これを以て判ずるに、汝の「模写の形跡云々」の思わせぶりのたばかりなど、裏の裏まで見透せる。
但しここには、これ以上は言わぬ。もし対面の機会あらば、必ずや一刀両断して大御本尊の御宝前に五体投地の懺悔をさせること、小生の不変の決意である。」
と述べており、「日禅授与曼荼羅」を何度も拝観していることになっています。
一寸驚きましたので、お薦めさせていただきました。
371
:
パンナコッタ
:2006/01/10(火) 20:57:55
広済寺さんのHPが部分更新していますね。
http://www.kosaiji.org/hokke/nichiren/shakubuku.htm
概に議論された部分ですし、開目抄の「常不軽品のごとし」もそのままですが、
折伏という言葉で煽動させられている富士系各教団の方々にとっては、毒を抜く
絶好のテキストとなるでしょう。
常連の方々も是非ご一読を。
372
:
れん
:2006/01/11(水) 17:28:46
パンナコッタさん、広済寺さんのHP拝見しました。ご指摘の通り、折伏の名の下に扇動されている石山系の信者は一読すべきものですね。それこそ開目できるでしょう。
ただ、ご承知の通り開目抄のあの文章は、犀角独歩さんが現代板で明確に指摘されておられた通りですね。蓮師の言われた“不軽菩薩の利益”も、不軽の行を通じて順逆二縁の衆生に結縁していくことでしょうから、摂折二門の範疇で捌くべきではないでしょうね。
373
:
犀角独歩
:2006/01/13(金) 14:55:28
れんさん、遅ればせながら、わたしの摂折論攷に関するご紹介有り難うございま
す。
松山師の講義を待つまでもなく、摂折論の涅槃経、また、法華経にせよ、大集経
にせよ、それらが後世の創作であり、シャキャムニの直説ではないことが明らかになった現在、折伏もあったも
のではないという気分がわたしにはあります。いまだに鎌倉時代の日蓮教説を無謬信仰の対象とする時代錯誤は
、天動説に対し魔女狩りをする異端審問のようなものですね。
374
:
れん
:2006/01/13(金) 21:26:14
犀角独歩さん
確かに仰る通りですね。法華経にしろ、その他の大乗仏典にしろ、ゴーダマ・ブッダの直説ではなかったことが証明された現在、たとえ依拠とした大乗仏典に折伏の語があっても、それはブッダの思想とは直接関係ないですし、現代にそれを持ち込んでも時代錯誤にしかなりませんから、ここは反省して捨て去るべきものでしょうね。もっとも、後世成立であっても法華経に説かれた不軽菩薩の精神には大いに学ぶところがあり、現代においても生かすべきものは素直に生かすべきものですね。
ですから蓮師の教説を無謬として信仰し、そこから摂折を云々するよりも、独歩さんがブログに紹介されていた「但行礼拝の人」綱脇師の如く真っ向から“不軽”に生きる方が、法華精神がどのようなものかを同時代人が理解する近道となるでしょうね。
375
:
犀角独歩
:2006/01/15(日) 16:30:12
れんさん
有り難うございます。ご同意いただいた点こそ、まさに「現代に通用する仏教」というテーマと、抵触する部分であろうかと存じます。
376
:
パンナコッタ
:2006/03/03(金) 14:18:20
岡山大の研究チームが、”聖武天皇の仏教帰依のきっかけは大地震”との、研究を発表するようですね。
http://www.asahi.com/culture/update/0303/001.html
(リンクが切れる場合があります)
文献上の記述を、地学的に検証し裏付けていく方法は蓮祖の時代にも当然応用ができるでしょうから、
結構、期待が出来る研究と言えそうですね。
377
:
犀角独歩
:2006/03/10(金) 17:25:23
昨日、本化ネット学習会で三土修平師による『靖国問題の原点』の講義を聴講しましたが、これは前評判に違わず、たいへんに勉強になりました。
この本を読まず、靖国問題を語るなと言われる以下の書籍、推薦します。
『靖国問題の原点』(日本評論社)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4535584532/250-4442974-9420245
以下、参考に
三土修平師『わが家と靖国問題との縁』
「明治以来、戦前の日本では、神道は公的な儀式の際には国民はみな当然従うべき宗教で、信教の自由の対象となる一般の宗教と別格とされていた。靖国神社が戦後60年の今、あらためて物議をかもしてしまうのも、この戦前のあり方が尾を引いているからである。
終戦後の改革で、この靖国神社をはじめとする「国家神道」の施設をどうするかは大きな課題となったが、昭和20年12月のGHQによる「神道指令」と、21年2月の日本側による「宗教法人令」改正の結果、すべて民間の宗教法人として扱われることになった。
この改革について、現在詳しい経緯を知っている人は意外に少なく、日ごろのマスコミ報道や評論家の議題では、その経緯を単純化してとらえているがゆえに、話が上滑りになっている面が、多々見られる。靖国支持派と反対派と、両者ともにである。
靖国神社は、降って涌いたような「神道指令」によって有無を言わせず宗教法人にされたのではない。「神道指令」に先立つ2か月前、水面下で駆け引きがあり、「神道指令」発令後もいろいろあったうえで、昭和21年1月25日の閣議で、最終決定がなされたのだ。時の内務大臣は三土忠造であった。(注:著者の祖父)
そんな縁があって、私はここ20年あまり、靖国神社改革について勉強してきたが、史料の中でもう一人、わが家に縁の深い人物に出会った。当時東大総長であった政治学者南原繁である。南原の故郷は祖父と同じ東かがわ市。祖父の没後も昭和40年代まで健在で、ご交誼をいただいた。
「神道指令」発令に先立ち、GHQの宗教政策担当者の勉強を助けたのは当時東大助教授だった宗教学者岸本秀夫だったが、南原は岸本と密に連絡を取り、改革について意見を言っている。実現しなかったが「皇室の先祖祭りの場と、民間の信仰の場は、同じ神道でもきちんと分けるべきだ」というキリスト教徒らしい提議もしている。
これらの経緯は今年(2006年)8月15日に出版した拙書『靖国問題の原点』(日本評論社)にまとめておいた。時事問題を論ずる以前の知識として、多くの人に共有してもらいたい」
(四國新聞『月曜随想』2005年10月17日3面)
378
:
れん
:2006/03/21(火) 21:06:07
十七日の小松師御講義に先立ち購入させて戴いた「平成新修日蓮聖人遺文集」大変よく出来ておりまして、とても素晴らしい日蓮聖人御遺文集と存じます。
ただ、大変僭越ながら、わたしの要望を申し上げますと、本集に引き続き、続編として、真蹟身延山曽存ながら、現行遺文集に収録されていない、以一察万抄・取要抄・撰時抄(異本)、近年新発見の真蹟、真蹟不現存ながら日春・日法・日興等直弟ないし南北朝初期位までの日蓮門弟による確実な写本が現存する遺文、真蹟集成第六巻等に収録される日蓮による要文集の翻刻を収めたものが発刊されれば、もっと多角的に日蓮聖人の教学研さんに資するのではないかと、ふと、思いました。
こちらでも、独歩さんをはじめ、何度かこの「平成新修日蓮聖人遺文集」を推薦されておられますが、僭越ながら、私もお薦めの文献として、改めて推薦するものです。
379
:
犀角独歩
:2006/03/21(火) 23:19:46
れんさん
378のご提案、賛成です。
次回、わたしは参加できませんが、是非とも小松師にご提案ください。
380
:
残念
:2006/03/23(木) 01:26:45
> ゴーダマ・ブッダの直説ではなかったことが証明された現在、
こういう所で頓挫しているのに、自分がマシだと考えるところの大きな疑問を感じます。
大乗仏教の推進者は、皆大乗仏教をゴータマ在世の教説とは、そもそも考えてはいません。
にもかかわらず、久遠の釈尊、即ち本仏の教説として、これを高く尊重する哲学性を見出すことが出来ないのは、非常に残念なことと思います。
381
:
犀角独歩
:2006/03/23(木) 08:54:30
> 自分がマシ
こんなふうにしかとらえないことが残念なわけです。
少なくとも日蓮は、大乗仏教のなか、法華経は釈尊の直説であると考えていたのは、事実なのであって、この点は動きません。
また、この日蓮の意志は明治近代まで不動の確信として伝えられ、それが日蓮法華信仰であったことは動かしがたい事実です。
つまり、大乗仏教推進者が、大乗仏教を「ゴータマ」在世の教説だと考えていないなどというのは、まったくの虚偽です。
久遠釈尊、本仏の教説性に高い哲学性を有するというのであれば、それがどのようなものであるのかを投稿すればよいわけです。
残念がって、何ら具体的な提示も出来ず、「自分がマシだと考えている」などと人を卑下することしかできないところに、哲学性も人間性も見出せません。
382
:
れん
:2006/03/23(木) 20:32:07
犀角独歩さん
>379
平成新修日蓮聖人遺文集が素晴らしい遺文集ですので、思わず出過ぎたことを言ってしまいましたが、今後続編の刊行を米田師、また米田師のご門弟の方がお考えならば、私の愚かな意見も一つの参考にしてお考え戴ければと存じます。
残念さん、初めまして?よく見ましたら、どうも私の投稿に対するもののようでしたので所感を一応記します。
>自分がマシ
私自身は、ゴーダマブッタや法華経の製作者・龍樹や世親・南岳・天台・伝教、そして日蓮やその門弟に遠く及ぶことのない、宗学的に表現すれば、愚かな煩悩垢重の理即短妄・本未有善の荒凡夫の一人にすぎません。ですから、私は今こちらに集われている諸賢人の方々のご教示を拝聴し、また、機会を戴いて松山先生・小松先生の御講義を拝聴致しまして、勉強させて戴いている最中です。そういうわけでして私自身、自分がマシなどとは全く考えてないので誤解なきようにお願いします。
>ゴーダマ・ブッタの直説ではなかった…
これは、現代諸学問の研究の成果により明らかであり、頓挫云々ではなくて、そもそもの前提でしょう。だからといって、私は決して法華経や日蓮をやみくもに否定するのではなく、むしろその現代(21世紀)における価値を再確認したいと思っています。独歩さんが法華経板で紹介されていた澁澤師の「寿量品での大展開」の御発言には、私も大変興味があります。ここのところは、宗学で云々するより、松山先生の法華経講義を拝聴させて戴くなかで考えていきたいと思っております。早々
383
:
小森霧
:2006/03/24(金) 04:23:05
私は日蓮大聖人を仏と信じている者です。
法華経が「ゴータマ」の直説でないことは事実である。
しかし、仏様(日蓮)は「ゴータマ」の直説であると考えておられた…。
これは一体如何なる事なのか…、と私は考えます。
法華経が「ゴータマ」の直説であると考える事は、考古学なら間違いでしょう。
しかし、仏教とは四苦八苦からの開放を教えるものですから、
法華経を「ゴータマ」の直説であると信じて、それで四苦八苦からの開放されるのなら、
それでいいじゃないかと考えるのです。
・・・、いい考えでしょう(笑)
384
:
れん
:2006/03/25(土) 19:10:32
小森霧さん、はじめまして。383の御投稿拝見しました。所感を一言。
>日蓮…仏と信じる
信教の自由の上からは、貴方が何をどのように信じられても、結構なのですが、当の日蓮聖人自身は、もしかしたら上行の自覚はあったにせよ、自身を釈迦仏を超えた仏、まして久遠本仏とは考えたことは、遂になかったことは信頼できる日蓮聖人真蹟遺文・日蓮聖人直弟による写本遺文から明らかなことです。
>法華経…ゴーダマの直説…信じて…それでいい…
貴方の考えは考えとして、しかしながら法華経をゴーダマの直説と信じて四苦八苦から解放されるかどうか甚だ疑問です。法華経をゴーダマの直説と信じる、それは現代諸科学の発展によって解明された法華経は後世の大乗仏教によって創作されたという事実とは背反します。事実でないことを事実であると思い込む、その思い込みに基づく“信心”に執着する時点で、四苦八苦から解放されるどころか、四苦八苦の真っ只中にいて、全然四苦八苦から解放されていないのではないかと感じました。まぁ、これは私個人の感想ですから、お気に障るようでしたらご容赦ください。
先ずは事実は事実として認識した上で、改めて、学術的にその価値や存在を見直し、確認し、現代そして未来に向けて人類にとって必要な精神的遺産はそれを受け継いでいく。そのような広い度量があってもよいのではないかと思いました。
385
:
今川元真
:2006/03/26(日) 11:00:23
小森霧さん、私自身は創価学会の幽霊会員ですが、漫陀羅は修行道具で、色心不二・依正不二を考えるきっかけにしています。学研のわたしの家の宗教シリーズ「目からウロコの日蓮と日蓮宗」と言う本で、日蓮聖人の事、法華経の事、日蓮宗の事が整理整頓されて結構読み易いです。一読されては如何でしょうか。
386
:
今川元真
:2006/03/26(日) 17:27:10
其れと、フィクション物では「(高橋克彦)時宗」大河ドラマの原作本を読むと出来事の見方考え方が、すっきりするかもしれません。
387
:
井戸端会議
:2006/03/27(月) 00:35:27
「わたしの推薦するホームページ」→「法華行者の会」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/
388
:
井戸端会議
:2006/03/27(月) 00:47:49
日蓮聖人が説かれた本仏釈尊と実際の釈尊の関係が疎通できなければ、法華経や日蓮聖人の教学に無意味な批判がなされるばかりです。
389
:
今川元真
:2006/03/27(月) 10:50:39
井戸端会議さん、はじめまして。私は牧口常三郎価値論・創価教育学等に感銘を受けて創価学会を脱会せずに居ます。創価学会は日蓮本仏論に世界の思想哲学を足して(シャカ仏教含め)皆成仏道のルートを造ろうとしています。其の割りに日本創価学会は四分五裂ですけど。日本仏教界が観光だけで無く、学術(仏教伝播を鑑み)に力を入れるのは喜ばしく考えています。仏教を辿れば、シャカ仏教の八正道に帰るのでしょうか。随方毘尼の環境変化型仏教に帰るのでしょうか。日蓮宗派ではインド型仏塔を建てる事が増えると想うのですが、どうでしょう。
390
:
井戸端会議
:2006/03/27(月) 21:42:43
日蓮聖人の高い哲学性を理解できないのが今の多くの日蓮門下でしょう。その哲学は天台大師による止観の到達点を踏襲しながら、より現実的実践的になっているものと思います。教主釈尊を理解すれば、日蓮本仏論は出て来ようがないと思います。お勧めスレッドのなので、これ以上は削除の対象になると思います。
391
:
小森霧
:2006/03/27(月) 23:12:08
れんさん、今川元真さん
所用でPCを開けない状況にあり、返事が遅れました。レスありがとうございます。
私自身の信念は揺らぎませんが、それを表現するにあたっては、
本尊と曼荼羅スレ538の
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/538
顕正居士さんのご意見が大変参考になっています。以下、引用させていただきます。
>大乗経についてはインド以来、これを報身仏(毘盧遮那仏)の説とする。それらが現実の経典
として存在する理由は、応身仏(釈迦仏)の説法中にも高位の菩薩(法身の大士)は大乗経の
内容を感見し、別に結集し竜宮などに埋蔵し、後に竜樹などがこれを見出したとするのである。
歴史的仏陀(応身)と神格的仏陀(報身)は区別されており、大乗経は神格的仏陀の説とする。
そして歴史的仏陀の説は当時の仏弟子(声聞)の機根に応じた厭世教であるとして中国人や
日本人はこれを重んじなかった。すなわち古代、中世の仏教徒は近世以後の仏教徒のように
経典成立史を解明するには至らなかったが、今、仏教の知識が少ない人々が大乗経も釈迦仏
の説とおもっているのとは全くちがうのであります。(引用終わり)
ありがとうございました。
392
:
犀角独歩
:2006/04/02(日) 13:46:44
昨日、天台宗開宗1200年記念『最澄と天台の国宝』展を観てきました。
(東京国立博物館平成館 2006.3.28〜5.7)
詳しくは、改めて拙ブログに載せますが、日本天台宗と最澄に係るこれだけの展示は今後、そうそうは行われないであろうと思われます。パンフレットに「春爛漫、上野。百年に一度の大展覧会」とありますが、「看板に偽りなし」という感を懐いたものです。
「國寶何物寶道心也有道心人名為國寶…」(天台法華宗年分縁起)という著名な一節の最澄真筆は、特に印象に残りました。最澄の‘最’の字が自著ではウ冠に取[ウ/取]であることも、複数の文献で拝観できました。最澄の名筆に触れることが出来ると共に、小野道風の筆跡も展示されていました。
もちろん、書ばかりではなく、絵像木造、宝物類、国宝、重文があまた展示されています。聖観音菩薩像の優美さ、彫刻表面の見事な仕上がりにしばし見とれました。大日如来像(岐阜・横蔵寺所蔵)の表情、絵像では普賢菩薩像(東京国立博物館蔵)なども美しい…、語り出したら尽きないほど、国宝・重文が惜しみなく展示されています。
人気があったのは、『六道絵』(滋賀県・聖衆来迎寺所蔵)で、特に地獄変に人垣が出来ていました。
展示全体の構成も勝れており、天台宗の神仏、念仏、密教、神道との関連を実に整理されてあり、参考になりました。
あと、法隆寺宝物館では、国宝の天寿国繍帳と聖徳太子像(重文・七歳像)が展示されています。(4月9日まで)
こちらは聖徳太子遠忌日記念ということでした。
『国宝 天寿国繍帳』という会場で販売されていたパンフレットを開くと、以下のような記述がありました。
「…『天寿国』とは、そもそも経典に例がない特殊な用語として関心が持たれて来たが、東京三井文庫所蔵の敦煌経(北魏時代写本華厳経)に加えられた随開皇3年(583)の奥書に、『西方天寿国』とあるので、天寿国とは西方極楽浄土を意味する仏教用語であることが判明した。しかもこれが随仏教の用語であることも合わせて知られるようになった。
現存の国宝・天寿国繍帳に西方極楽浄土のモチーフである蓮池や蓮華化生の図像がしきりに表されていることから、天寿国が阿弥陀仏の極楽浄土であることはすでに鎌倉時代に指摘されて来たのであるが、銘文の『天寿国』が随仏教の用語であることが判明すると、聖徳太子の極楽往生思想と随仏教との関係があらためて注目され、飛鳥仏教の解明に向けて新たな視点が加わることになるのである」(東京国立博物館研究員・松浦正昭 P14)
この天寿国繍帳の存在は、日蓮門下の法華解釈でスポイル忌避される阿弥陀と極楽浄土が、法華経、また、随仏教、飛鳥仏教では受容されていたことを意味するのだと思われます。
「後生善処」という一節がありますが、日蓮以前の日本仏教では、この善処は、阿弥陀の極楽浄土往生を意味にしたのかも知れません。
『感見記』真偽論で、「真言亡国」に惑わされる学会を含む石山信念体系下ですが、「念仏無間」からも、以上のような背景を読み違えてきたのだと思った次第です。
393
:
独学徒
:2006/04/02(日) 20:25:05
ご無沙汰しております。
犀角独歩さん、私も3月29日に「最澄と天台の国宝」に行ってきました。
ここのところの多忙な日々の中で、久しぶりに有意義な時間を過ごせました。
犀角独歩さん仰せの通り、ご閲覧の皆様にも是非ともお薦めしたい内容です。
なお下記HPより割引券をプリントアウトしてお持ちになると、少しでも安くなると思います。
http://event.yomiuri.co.jp/2006/tendai/ticket.htm
私も近く、自分のブログで報告する予定です。
394
:
犀角独歩
:2006/04/03(月) 00:06:29
独学徒さん、お久しぶりです。
やはり、お出でになりましたか。
ネットで割引があったのですね。気が付きませんでした。
今回の展示を拝観して、不動信仰がそこに見られるものの、愛染を見ないことに気付きました。日蓮における不動・愛染のセット化は、やはり、真言密教の影響なのだろうと思えました。
395
:
パンナコッタ
:2006/04/03(月) 19:59:04
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの閲覧可能図書が、大幅に増えるみたいですね。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006040300152&genre=O1&area=K20
396
:
顕正居士
:2006/04/04(火) 05:51:46
>>395
日蓮関係書籍もだいぶ増加しました。ちょっと挙げると。
驥尾日守 『末法観心論』その他数編
近藤勇道 『興門正義』、『大石寺分離独立理由書弁妄』
優陀那日輝 『本迹帰宗論』
田辺善知 『肉食妻帯論』
石上敬虔述、高桑慶予『日蓮宗非仏教論』 深密伝系の内容だが一般的に論述
広瀬義造 『邪徒退治篇』 上書への反論
以下の書は以前から閲覧できました。
大石日応 『弁惑観心抄』、『法之道』 富士本智境 『宗内通俗問答大意』
田中智学 『本化摂折論』 清水梁山 『王仏一乗論』 一妙日導 『祖書綱要』
397
:
パンナコッタ
:2006/04/19(水) 12:31:51
今月は池上本門寺の霊宝殿で、102番真筆漫陀羅や「兄弟抄」「報恩抄」「妙法尼御前御返事」
等が展示されていますね。 日曜日にお時間のある方は、是非見学されると良いと思います。
http://www.honmonji.or.jp/05topic/06info/reihoden/reihoden.html
398
:
いちりん
:2006/04/24(月) 12:56:15
ものすごく久しぶりに掲示板を拝見して、この情報を知りました。ごぶさたしております。
で、昨日、池上に用事があってので池上本門寺の霊寶殿に立ち寄ってみました。
「報恩抄」「兄弟抄」その他数編の日蓮さんの真筆、弘安四年に表した漫荼羅、さらには念珠が展示されていました。四月いっぱいの展示だそうです。
まあ「報恩抄」「兄弟抄」などを拝見しますと、あまりに闊達すぎる筆の運びで、これじゃあ、受け取った人がちゃんと読めただろうかとも思いましたね。
漢字にふりがなが振られていましたが、あれは後世の上人が筆を加えたのでしょうかね。日蓮さんのあの闊達な筆運びから、まさかそこまで細やかにふりがなふるとは考えられないです。
日曜日でしたが、館内にはわたししかおりませんでした。会場内には、警備の人もいないんですね。受け付けのおじさんは外ですし、ちとセキュリティ、不安ですね。もちろん展示品は、厚いガラスで仕切られていますが。
本門寺では、ご祈祷を受けている人がいて、白衣の僧侶が呪文のようなお経、九字を斬るようにしてカスタネットのように、カンカンカンと木剣を打ち鳴らしておりました。
それを見ますと、「日蓮宗って、加持祈祷っぽくて、真言密教みたいだなあ」と感じた。
また、そのお堂の上には、神道の切紙(御幣というんでしょうか)がたくさん吊るされていて、袈裟が白衣ということもあり、「日蓮宗って神道っぽいなあ」と感じた。
さらには、本門寺の入り口のところにあるお寺さんに三倍。入り口には鳥居、左右にはキツネの置き物。中に入りますと、本尊はなにかわかりませんでしたが、向かって右には大黒さんがお祭りされていました。大威徳天とかいう旗がありましたから、天部の神さまが本尊なのかもしれませんね。これをみると、「日蓮宗ってヒンドゥー教っぽいなあ」と感じた次第。
大坊の日蓮さん臨終の間にも寄りました。日蓮さんが寄り掛かっておられて柱が、本尊の余にして中央に安置されていました。
また、新緑にそびえる五重の塔、さらには紅色の宝塔など、なかなか見ごたえがありましたよ。
399
:
パンナコッタ
:2006/04/24(月) 20:21:30
いちりんさん、どうも。
あの振り仮名は、興師のものだそうです。
400
:
いちりん
:2006/04/25(火) 22:32:57
パンナコッタさん
ふりがなは、興師でしたか。なにか、几帳面な字体でありました。
日蓮さんが池上兄弟に手紙を書いたのを、日興さんがふりがなを振り、それが池上兄弟に届いて保管されていたんでしょうね。
それとも、池上邸にあったのを、日興さんが収集して、整理の過程で後世のためにふりがなを振ったのでしょうか。
401
:
ワラシナ
:2006/04/25(火) 22:44:05
いちりんさん。私も日曜に行って見てきました。
402
:
パンナコッタ
:2006/04/26(水) 01:08:49
いちりんさん、
それぞれの女房宛の文面(断簡欠損部分ですが)があることですし、その配慮が送る以前にあった
という事が考えられますね。
又、下山抄の仮名も興師の筆だそうですので、後代整理の時(写本制作の時もあるでしょう)に
書き加えた事も十分考えられます。
断定は、ちと難しいですが、仮名その物は明らかに後から書かれたものでしたね。
しかし、何れも後世に分割され、欠損部分があるというのは非常に惜しい所ですが、
それでも今現在、我々が拝観出来る事は非常に幸運なのかもしれませんね。
この次は千部会で混みそうですが、興味を持たれた方は是非、足を運ぶ事をお薦めします。
403
:
顕正居士
:2006/04/26(水) 13:52:36
大日本仏教全書 第18冊 文句略大綱私見聞 天台名匠口決抄
http://www.bk1.co.jp/product/875829
必携の文献です。今、分売しているようです。
404
:
藤川一郎
:2006/04/27(木) 13:04:14
他スレに、アウシュウビッツについての記述がありましたが、ホロコーストが無かったような可能性もあります
下記書籍に細かく書いております。
最も著者はかなり批判されておりますが。。。
言論統制は良くありませんね。
アウシュウィッツ「ガス室」の真実 本当の悲劇は何だったのか?
(西岡昌紀 日新報道 1997)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4817403934/250-2038299-7814658
405
:
維摩
:2006/04/29(土) 14:15:37
はじめまして。
自分は 犀角独歩さんのHPに興味を持ち、掲示板をいろいろと読んでおりました。
自分は かつて石山の信徒(といっても妙○講ですが)でした。
今は 石山系教学に疑問を持ち、これまで石山教学を刷り込まれた脳に悩まされております。
少しでも 石山教学を自分の脳から排出させるために、判りやすい一般仏教書を少しずつではありますが 読んでいる毎日です。
自分が これまで読んだ仏教書でも とりわけ 遠藤誠弁護士の仏教書がわかりやすかったです。
ただし、遠藤誠弁護士は すでに他界されていまして、非常に悲しかったです。
遠藤弁護士の書物の中でも、
「今のお寺に仏教はない」 現代書館
は 石山系は「創価学会を斬る」と題されていますが、ここには創価学会に石山をプラスして石山系教学に対して あまり細かい知識が無い方にもわかりやすく斬られておちますのでご参考までに個人的に推薦いたしたく書き込みいたしました。
石山系だけではなく、諸宗全てを斬っておられます。
406
:
犀角独歩
:2006/05/05(金) 13:02:31
手前味噌で恐縮ですが、『犀の角のように独り歩め』ブログを再開しました。
ご高覧を賜れれば、有り難く存じます。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50541865.html
407
:
ラキ
:2006/05/08(月) 21:53:23
顕正会系の掲示板ですが、今までの顕正会掲示板と少し違う珍しい掲示板なのでご紹介させていただきます。
「自由な茶寮掲示板1F」
http://mt.advenbbs.net/bbs/kensho.htm
410
:
パンナコッタ
:2006/05/12(金) 20:27:48
市川市立歴史博物館には、複製ですが立正安国論と本尊抄が展示されています。
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/net/kyouiku/rekisi/siryou/index.htm
また、現在企画展で紙背文書(これも複製ですが)も数点展示され、非常に興味深いです。
何れも、法華経寺からの寄贈との事です。 他に定光院所蔵の身影の複製もありました。
七月には、中尾教授の「日蓮と市川の地 史実と伝説をめぐって」との講演があるとのこと。
博物館の方も「宣伝になりますので」という事で、紹介させていただきます。
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/net/kyouiku/rekisi/rekihaku/rekihakugyouzi2005htm.htm
411
:
パンナコッタ
:2006/05/12(金) 21:15:48
書き間違えました、すみません。
定光院→浄光院 です。
412
:
ラキ
:2006/05/16(火) 00:26:37
「冨士大石寺顕正会 向上委員会」櫻川氏のプログがありましたので、ご紹介させていただきます。
http://blog.goo.ne.jp/kensho_kai/c/add1663a4a6ff91f5f0eb12cb9d8e5e4
413
:
犀角独歩
:2006/05/16(火) 13:18:51
> 412
この中でコメントもされていますが、妙観講歌集として紹介されている『東洋広布の歌』は学会歌ですね。
また、『武田節』も池田さんが大好きな歌で、創価学会の定番でした。しかし、この歌について、石山からクレームが付いた。その理由は二箇相承紛失にまつわる騒動に関係していました。つまり、北山から暴力をもって宝物を盗み取り、そのあげくに二箇相承を紛失したのが武田の勢であったからです。富士門下にとって、武田は、決して許すことができない連中であるという判断です。そんな経緯から、52度問題以降、日顕さんが、日達さんが降ろした法華講総講頭に池田さんを返り咲かせた以降、学会では、この歌を自粛していた記憶があります。いまは、どうなっているんでしょうか。
学会歌の他団体の活用といったことでは、かつて、妙観講の総会に参加したとき、『同志の歌』をバックグラウンドにして、講旗を大草さんほか幹部が入場してきて、驚いたことがあります。また、このメロディーは、たしか他曲の転用であったと聞いたことがありますが、いまは思い出せません。
414
:
ラキ
:2006/05/16(火) 15:31:57
『武田節』ですが、平成2年頃までは良く歌っていました。
415
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/05/16(火) 15:48:42
>413 『同志の歌』・・・このメロディーは、たしか他曲の転用
曲は三高寮歌です。
http://www.manyoukai.jp/gakkaika.html
416
:
藤川一郎
:2006/05/16(火) 16:28:06
武田節は「武田信玄時代」の武田をうたったものです。
それに対して、二箇相承関係文書を奪ったのは「武田勝頼時代」なのです。
通常、勝頼は信玄の正当継承者とはされておりません。勝頼のさらに子供が後継者で、勝頼はその後見人となっていた訳です。
武田信玄の本来の嫡男は今川の姫を嫁に貰っていた関係上、桶狭間の報復に立ち上がらない信玄に批判的で、最後は切腹に追い込まれ、二男は元からの盲目で、さらに三男は母の身分が低く、そのため諏訪衆の後押しのある四男勝頼が立てられますが、正嫡では無いため、家臣からなめられまくる訳です。そして最後は、家臣に裏切られ、武田家は滅亡します。もっとも武田を裏切った穴山梅雪は、後に本能寺の変の時のどさくさに野党に殺される訳ですから、余り悪いことは出来ないんですが、いずれにしても武田節でうたわれる「人は石垣、人は城」は崩れております。
甲斐では未だに武田信玄と武田家滅亡の立役者勝頼は切って考える傾向があり、それで歌を自粛する必要性は本来無いんですがね。
417
:
犀角独歩
:2006/05/16(火) 16:42:27
藤川さん、蘊蓄溢れる解説、有り難うございます。
なるほど。そうですか。そうなると、石山(の一部僧侶、もしくは法華講?)は、つまらぬ、言いがかりを学会につけたことになりますね。
これまた、数十年来の勘違いが改まりました。
418
:
顕正居士
:2006/05/18(木) 23:28:36
>>415
三高寮歌 人を恋ふる歌 ですね。
http://www15.plala.or.jp/hiroiosa/index-ikinuki-mysong-hitowokouruuta.htm
419
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/05/19(金) 07:54:27
>418 三高寮歌はさすが与謝野鉄幹の作詞ですからよい詩ですね。
人を恋ふる歌(三高寮歌)(明治30年)
作詞 与謝野鉄幹・作曲 不詳
妻をめとらば才たけて みめ美わしく情ある
友をえらばば書を読みて 六分の侠気四分の熱
恋の命をたずぬれば 名を惜しむかな男ゆえ
友のなさけをたずぬれば 義のあるところ火をも踏む
汲めや美酒うたひめに 乙女の知らぬ意気地あり
簿記の筆とる若者に まことの男君を見る
学会歌の「嗚呼黎明は近づけり」は大阪高等学校(現・大阪市立大学)全寮歌そのものです。
この歌は1番の前にサビがありまして、(学会歌ではこの箇所は「武田節」のサビの箇所と同じように唄いません)
東天紅(トウテンクレナイ)を染める金剛の峰にこれを嘯(ウソブ)かば
天下の堕眠一時に破れ夕日沈む茅渟(チヌ)の海に
これを呼ばば魑魅魍魎も影を潜めん
いざ歌わんかな大阪高等学校全寮歌
http://www.eonet.ne.jp/~ougc117/others/Zenryouka.html
とあります。
この歌を歌えば“魑魅魍魎”も退散してしまうということなんですね。顕正会さん、この歌を採用されてはいかがですか。(笑)
420
:
犀角独歩
:2006/05/19(金) 08:38:47
彰往考来さん
『同志の歌』の元歌『三高寮歌』のご紹介有り難うございました。この歌詞で「魑魅魍魎」が出てくるとは知りませんでした。
でも、わたしは退散しませんよ(笑)
421
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/05/19(金) 08:45:54
>420 犀角独歩さん
「魑魅魍魎」が出てくるのは『同志の歌』の元歌『三高寮歌』ではなく『嗚呼黎明は近づけり』です。お間違えのないようにお願いします。
422
:
犀角独歩
:2006/05/19(金) 08:48:40
> 421
失礼、早とちりしました。ご訂正、有り難うございます。
423
:
犀角独歩
:2006/05/20(土) 00:46:37
ブログにやや記しましたが『福神』第11号に掲載されている島田裕巳師『日蓮の書誌学』は一読に値します。
推薦します。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50564915.html
424
:
独学徒
:2006/06/01(木) 21:05:18
学会系の画像付き掲示板に、「大石寺正御影」という画像がありました。
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs
これはまさしく保田妙本寺の御影だと思われます。
もし現在の大石寺の御影が、この写真の通りだとしますと、大仏師越前法橋快恵(えちぜんほっきょうかいえ)は、保田の御影を真似て彫刻を行ったことになります。
さらに保田の御影が、郷師遷座の時以来の姿を保っていることにもなろうかと存じます。
425
:
通り須賀
:2006/06/02(金) 09:17:44
石山の御影とは全く違います。別物ですね。
426
:
犀角独歩
:2006/06/02(金) 09:42:44
独学徒さん
わたしは、石山御影像は数度しか見たことがないので、確かなことは言えませんが、保田御影と似ているかどうか。もう少し顔がふっくらとしており、縦に高かったように思えます。また、もうすこし伏し目がちであったような記憶もあります。北山の御影とも似ていませんし、池上本門寺の御影とも似ていません。
では、何に似ているかと、問われると、これは飽くまでわたしの印象ですが、鏡の御影と言われる図画が近いように思えます。
それにしても、すさまじい掲示板があるものですね。
驚きました。
427
:
独学徒
:2006/06/02(金) 20:39:06
通り須賀さん、犀角独歩さん、今晩は。
私もこの御影は、どうみても保田妙本寺の御影だと思います。
武士の着物のように肩の角ばったところといい、仏像のような眉間といい、保田の御影の印象的なところが完全に網羅されています。
写真の色合いが悪ようで、実際の袈裟の色はグレーで、肌の色は日焼けした皮膚のような色をしていますが、それでも保田の御影にそっくりです。
写真家原進氏の「正法の日々」には、大石寺御影堂の御影が若干写っているところがあり、それを見る限りでは少なくとも肩は角ばっていなかったと思いました。
保田の御影でなかったとしても、おそらく皆様の御教示の通り、大石寺の御影でもないだろうと思います。
428
:
大縫薫
:2006/06/03(土) 00:03:49
独学徒さん、独歩さん今晩は。
確かにあの御影様は、保田妙本寺の御影様です。
読経の巻物は現在のとは違いますが、間違いなく保田妙本寺に伝わる所の
大石寺御影と言われる尊像です。写真の縮尺で見方が大分変わってきますから
戸惑いを感じるのは仕方がないと思います。
正信会主催の日蓮聖人の世界展には、同じ正御影がパネルで展示されていましたね。
日蓮聖人の世界展のビデオには、同様の写真が一瞬ですが写っていますので、確認
してみるといいですよ!
http://www.fujimon.or.jp/knp.html
429
:
犀角独歩
:2006/06/03(土) 00:37:56
大縫さん、有り難うございます。
この保田御影は「大石寺御影」というわけですか、なるほど。
430
:
独学徒
:2006/06/03(土) 09:26:32
大縫薫さん、御教示ありがとう御座います。
私も正信会主催の「日蓮聖人の世界展」は、横浜で参加させていただきましたが、全く気がつきませんでした。
確かに読経の巻物は現在と違いますね。
現在のはたしか、手に持ているものと巻物と合計で、8巻か10巻で数が合っていたと記憶しています。
定かではありませんが、段も一段ではなく、数段重なっていたように思います。
重ねて御教示いただきたいのですが、大仏師:越前法橋快恵(えちぜんほっきょうかいえ)の作品(宗祖御影以外の彫刻も含む)は、大石寺御影堂安置の御影様以外になにかご存知でしょうか?
431
:
大縫薫
:2006/06/03(土) 10:45:28
独学徒さん、越前法橋快恵の彫像した作品は他にもあると思いますが残念な事
に私はその辺りはよく知りません。ただ越前の仏師が彫像したと考える宗祖の御影
は横浜市の南区史(上製本、県内の図書館に収蔵)の寺院の欄で紹介されてる中に
確か越前の仏師が彫像した作品が写真で公開されています。
その御影も読経型で、富士門流独特の端正な顔立をされているので図書館に行って
閲覧をしてみるといいと思いますよ!!
薄墨色の法衣ではないですけど、優しい顔立ちをされているのを思い出します。
432
:
独学徒
:2006/06/03(土) 14:12:18
大縫薫さん、重ねての御教示ありがとう御座います。
「快恵」よるものか否かは不明ながらも、越前の法橋(仏師)による彫刻と伝わる御影が、横浜市内にあるとのこと、実に興味深く拝察しました。
早速、心当たりの図書館に調べに行ってみます。
433
:
独学徒
:2006/06/08(木) 23:07:43
下山御消息の真蹟断簡に関するニュースです。
http://www.sannichi.co.jp/DAILY/news/2006/06/08/5.html
2006年06月08日(木)
日蓮聖人の直筆書簡断片を発見
富士河口湖の常在寺、迫害の事実裏付け
富士河口湖町小立の常在寺(森智洪住職)から、七日までに、日蓮宗開祖・日蓮聖人(一二二二−八二年)が鎌倉での布教中に受けた迫害についてつづった直筆書簡の断片(断簡)が見つかった。
断簡は、縦二十八・八センチ、横二十センチ。七行分の断片が、掛け軸に仕立てられている。立正大名誉教授の中尾堯さんが同寺の依頼で鑑定し、紙質と独特の筆跡から、日蓮の真筆と確認した。
中尾さんによると、鎌倉時代の一二七七(建治三)年、五十五歳の日蓮が身延山から下山郷(現身延町下山)の豪族・下山兵庫五郎にあてた手紙「下山御消息」の一部。自分の体験を交えて法華経の教えを説いたもので、弟子による写本が残っている。直筆書簡は聖なるものとしてお守りなどにするため切り分けられ、増穂・妙法寺など全国数十カ所に散在しているという。
今回確認された断簡には、鎌倉で布教活動をしていた日蓮が「立正安国論」を幕府に進言して他宗徒から反感を買い、迫害を受けた「松葉ケ谷法難」について、夜中に日蓮の庵に数千人が押し寄せ、殺害されそうになったことなどが生々しくつづられている。その後、幕府によって伊豆に流されたことも記している。
中尾さんは「日蓮の法難については不明な点も多いので、確かにあった理由付けにもなる貴重な資料」と評価。森住職は「大切に伝えていきたい」と話している。
434
:
犀角独歩
:2006/06/09(金) 05:17:29
独学徒さん
最新のニュースのご紹介、有り難うございました。
定本番号:247
祖寿:56
系年:建治3(1277)
対告衆:
著作地:身延
真蹟:小湊 誕生寺外29ヶ所
写本:日法筆 岡宮光長寺蔵
日澄筆 北山本門寺蔵
分類:その他
これで30箇所目の発見となるのでしょうか。
435
:
独学徒
:2006/06/10(土) 16:48:46
犀角独歩さん、返レス遅くなり恐縮です。
>これで30箇所目の発見となるのでしょうか。
どうもそのようです。
それにしても『直筆書簡は聖なるものとしてお守りなどにするため切り分けられ、増穂・妙法寺など全国数十カ所に散在しているという。』とのことですが、宗祖遺文を切り分け御守りにするとは、私は初耳でした。
断簡類はみなそのような意味から数行ごと点在しているのでしょうか?
宗祖の守り(サイズの小さな漫荼羅)は、数に限りがあり、しかもこちらは切り分けるのはさすがに不敬と感じたのでしょうか。
また遺文を切り分けてまで守りとしたことが事実であれば、救済の主はどこまでも宗祖であって、歴代の書写では事足りなかったということでしょうか。
色々と考えさせられる記事でした。
436
:
犀角独歩
:2006/06/10(土) 18:08:00
独学徒さん
たぶん、遺文の切り分けはお守りという意味と少し違うのではないのか、要は財産分与のような意味合いのほうが強いのではないかと思います。
実際、所蔵している寺院の感覚はそのようです。
あと、日蓮遺文でもっとも特異なことは、‘文字を飲むこと’で、所謂、護符というのは、このような秘儀にあるようですよ。
よく遺文で□□などとなっている所がありますが、あれが虫食いの場合と、そうでなければ、意図的に何文字か切り取ったもののようです、もちろん不都合な故の削損もあるでしょうが。
日蓮宗の、とある高僧と話したとき、「そりゃ、いよいよ体の具合が悪くなったり、即身成仏を期そうと思えば、真蹟の文字を飲むよ」とのことでした。
437
:
独学徒
:2006/06/10(土) 18:45:44
犀角独歩さん、御教示ありがとうございます。
文字を飲むとのこと、これは遺文守り説にも相通じるところがあるような気がします。
遺文も含め、日蓮の書いた文字には、何らかの威力があると考えられていたということでしょうか。
しかし、一寸、私には真似のできないことです。
たとえ日蓮真筆であったとしても、何百年も昔の紙を飲んで、体を悪くすることはあっても、良くなることはありえないと思います。
438
:
パンナコッタ
:2006/06/10(土) 19:48:56
横レス失礼します。
下山抄は御書システムによると、26ヶ所分蔵・34片のようですね。それぞれプラス1ということでしょうか。
日蓮遺文の断片の多さは、後代に偽書を作り出す下地の一因に案外なっていたかもしれませんね。
しかし、聖遺物信仰として断片を飲むような行為は、カルト的と言えますね。
439
:
犀角独歩
:2006/06/10(土) 21:35:49
独学徒さん
> 日蓮の書いた文字には、何らかの威力があると考えられていたということでしょうか
これは、そうだと思います。その至極こそ、漫荼羅本尊信仰となるのではないでしょうか。しかし、曼荼羅を切り刻んで飲む話はありませんから、これはまた別のことと言えるのでしょうか。
わたしは、中学生の頃、鎖骨を折ったことがあり、このとき、末寺を通じて、御秘符をもらったことがあります。
彫刻本尊を年1回煤払いするわけですが、この時に拭き取りに使った紙を小さく切ったものであるという口上でした。ところが、実際に受け取ってみると、何かビニールのようなもに食紅を塗ったような体裁で、それを盃一杯の水で溶かして飲むというものでした。
この頃、学会では護符というものを出していました。こちらは学会常住の模刻本尊を上述と同じ要領で拭いた紙を切ったものだということでした。ところが、これが石山の許可を取っていなかったとか何とか、一悶着あったことを記憶しています。
これらの起源は、たぶん、ご承知の所と存じますが、以下の写本遺文だろうと思います。
伯耆公御房消息「〔御布施御馬一疋鹿毛、御見参に入らしめ候了ぬ〕。兼て又此御経は廿八字、法華経の七の巻薬王品の文にて候。しかるに聖人の御乳母のひとゝせ(一年)御所労御大事にならせ給い候て、やがて死なせ給いて候し時、この経文をあそばし候て、浄水をもつてまいらせさせ給いて候しかば、時をかへずいきかへらせ給いて候経文也。なんでうの七郎次郎時光は、身はちいさきものなれども、日蓮に御こゝろざしふかきもの也。たとい定業(じようごう)なりとも、今度ばかりえんまわう(閻魔王)たすけさせ給へと御せいぐわん候。明日寅卯辰の刻に、しやうじがは(精進河)の水とりよせさせ給い候て、このきやうもん(経文)をはい(灰)にやきて、水一合に入れてまいらせ候てまいらせさせ給ふべく候。恐々謹言」(弘安5年2月25日)
わたしはこんな経緯があるので、実はあまり抵抗がないのですが、しかし、たった1枚しかない真蹟を飲んでしまうのは如何にも勿体ないという気持ちが先に立ちます。
パンナコッタさん、有り難うございます。
御書システムはすばらしいですね。
しかし、これだけの情報収集と研鑽が、教義と本尊の見直しにまるで役に立っていないというのはいったい、どういうことなのか、これは日蓮門下のミステリーの一つに数えられますね。
まあ、こう書くと「挑発だ」なんて言われかねませんが、正信会というのは日達氏が創った団体でした。氏は僧侶をして「上求菩提下化衆生」といったものでしたね。まあ、四弘誓願を唱えない石山とその破門僧侶には関係のないことなのでしょうか。甚だ疑問です。
440
:
独学徒
:2006/06/11(日) 00:15:42
犀角独歩さん、度重なる御教示、誠に恐縮です。
>実際に受け取ってみると、何かビニールのようなもに食紅を塗ったような体裁で、それを盃一杯の水で溶かして飲むというものでした。
やはり、色々なことをご経験されていますね。
しかし、『彫刻本尊を年1回煤払いするわけですが、この時に拭き取りに使った紙を小さく切ったものであるという口上でした。』とのことですが、学会も宗門も、ようは彫刻の拭き掃除に使った紙くずを、さもありがたそうに信徒に売っていたのですね。
どのくらいの金額なのか想像もつきませんが、この口上が嘘にせよ、あまりにも人を馬鹿にしたような口上だと感じました。
拭き掃除に使った紙くずで一儲けなど、人の信仰心につけ込んだ、とんでもない悪徳商売としか言いようがありません。
441
:
ラキ
:2006/06/11(日) 00:53:18
横レス失礼します。
>彫刻本尊を年1回煤払いするわけですが、この時に拭き取りに使った紙を小さく切ったものであるという口上でした。ところが、実際に受け取ってみると、何かビニールのようなもに食紅を塗ったような体裁で、それを盃一杯の水で溶かして飲むというものでした。
私が聞いたことがあるのは、「お守り本尊を飲む」と聞いたことがあります。(破門前の学会)
私の折伏親が末期癌で頂いたのですが、実物は見た事がありません。
>実際に受け取ってみると、何かビニールのようなもに食紅を塗ったような体裁で、それを盃一杯の水で溶かして飲むというものでした。
ビニール見たいな物て「オブラート」ではないでしょうか?
それにしても、呪いみたいなことを昔からしていたんですね。
442
:
れん
:2006/06/11(日) 01:22:41
横レス失礼します。
>439
独歩さんご教示の「伯耆公消息」は、日朗上人による代筆書状で、真蹟は確かに石山にあり、大正時代でしたか、堀日亨師が出版した石山所蔵の蓮祖御真蹟御遺文の写真帖において写真が公開されています。
しかし、蓮祖の時点では、“薬王品の経文を書いた紙”を焼いた灰だったのに、現在のは彫刻の煤払いに使用した紙とは、この“違い”はなんでしょうね。
現代で云えばプラシーボ効果か?といったところでしょうが、前近代の時点では、現代レベルの科学的知識など一切ありませんから、このような一種の呪術でもプラシーボ的に、一種の効果があったのでしょうか?
443
:
犀角独歩
:2006/06/11(日) 08:54:17
独学徒さん
お人柄がよく表れたご投稿であると思いました。
仰るとおりであろうかと存じます。
以下の点は、『攝受と折伏について』では為政と関連して書こうと思っていたことで、こちらでは医学と関連して少し記します。
保田御影が投稿されていたサイトでも紹介されていましたが、石山では秘薬を売っていたようですね。あそこでの紹介では目薬でした。あと、なにかほかにもそんなものがあったと記憶します。西洋医学が輸入される以前の日本という社会では、医学というものはいまでいうおまじないの類と指して変わらず、そこに漢方薬の知識や、民間療法の知識が取り込まれて、その知識とノウハウは、主に僧侶寺院が独占していたのだろうと思われます。東大寺に行って、わたしがいちばん驚いたのは風呂場の跡で、それが活用されていた頃、入浴は医療であり、かつ仏道に属していたことを物語っていたからでした。行基、空海の土木業績は夙に有名ですが、このような技術と知識も仏教経典とともに伝えられからでした。天台が涅槃經を採って往訪折伏をいい、それを伝教も採用し、日蓮が『立正安国論』を記したのは、為政が仏教と未分離であったからに他なりません。
当時の仏教というのは総合的な学問で、寺院はいまでいう大学のような場所だったわけですね。こんなことは独学徒さんに記すまでもないことだと思います。
以上のような歴史的な推移があり、御秘符というのは、万能的な、いまでいう頓服として最後の秘薬だったのかも知れません。器物信仰からすれば、そこに付着した埃ですら神秘的な霊力を発揮するという感覚も生じたのでしょうか。
オウム真理教で、イニシエーションと称して、麻原が入った風呂の水を飲むなどということが取り沙汰されましたが、本願寺の貫主が入った風呂の水をアリが立って飲んだというエピソードを読んだことがあります。
結局のところ、以上のような非科学的な、まやかしと変わらないことが、信仰として受け入れられていた背景があった。しかし、明治維新と科学文明の摂取は、この中世の無知を次々に克服していった。石山でも、薬は売らなくなったわけですが、依然として御秘符はやっているのでしょう。つい数十年前まで創価学会もそれを受け、されに物真似もしていたというのが、実は学会を含む石山圏の偽らざる実態なのだという認識は間違ったものではないわけです。
しかしながら、今回の独学徒さんほか皆さんのご投稿を拝読し、このようなものを不快感を懐く健全な信仰が育まれていることを拝見し、救われた気持ちになりました。
ラキさん
> お守り本尊を飲む
これは飲めるほど小さなものということでしょうか。
> オブラート
いえ。これは台紙というそのようなもので、それ自体は溶けないのです。
れんさん
『伯耆公消息』に関するご教示、有り難うございました。
そうですか。この書は確実なものなのですか。参考になりました。
> 灰…紙
この差はたしかに不審です。
> プラシーボ効果か
詰まるところ、結局、この説明がしっくりしますね。
444
:
犀角独歩
:2006/06/11(日) 09:05:14
【443の訂正】
誤)知識も仏教経典とともに伝えられからでした。天台が涅槃經を採って往訪折伏
正)知識も仏教経典とともに伝えられたからでした。天台が涅槃經を採って王法折伏
445
:
独学徒
:2006/06/11(日) 11:20:24
犀角独歩さん、そういえば「お茶」も種々効能が聞かれるものですが、確か「禅」とともに日本へやってきた、当時としては秘薬のようなものであったと記憶しています。
また、先般オフ会で参集しました、池上本門寺にも日朝堂にて目薬が売られていました。
これらは中身が「茶」や、れっきとした「目薬」である点で、まあまだ許せる範囲かと思います。
また、れんさん御教示の通り、科学技術未発展の時代においては、『御秘符』のような秘法が信じられていても仕方のないことかもしれません。
しかし現代において、拭き掃除に使った紙くずを、最後の秘薬として売るのは、信仰心と、わらをもつかむおもいで「助かりたい」と願う人の心を逆手に取った、悪徳商法のような感じすら受けます。
これは、前者のお茶や目薬の類とは違い、麻原の入った風呂の湯に匹敵するものとおもいます。
ましてや、拭き掃除を行った彫刻が偽物ではお話になりません。
ところで『御秘符』をもらうには、どのくらいの金額が必要なのでしょうか?
446
:
犀角独歩
:2006/06/11(日) 12:22:52
445 独学徒さん
素朴な疑問に移動しました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/2726
447
:
ラキ
:2006/06/11(日) 20:38:03
独歩さん
> お守り本尊を飲む
>>これは飲めるほど小さなものということでしょうか。
記憶が定かではないのですが、丸めて飲める程度の大きさだったと記憶しています。
448
:
犀角独歩
:2006/06/12(月) 10:52:52
【443の訂正】
誤)指して変わらず
正)さしてかわらず
447 ラキさん
有り難うございました。
現物を見たことがないので、少し調べてみようと思います。
449
:
藤川一郎
:2006/06/12(月) 16:44:29
>>445
大石寺にも、日忍上人の「大石寺目薬」の伝説がありますね。
450
:
大縫薫
:2006/06/12(月) 23:40:58
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs?OF=100&BD=13&CH=5
に御目薬の図
が出ていましたね(^^)//
451
:
犀角独歩
:2006/06/20(火) 09:41:20
島田裕巳師が『オウムと9・11』を発刊します。
推薦します。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50611148.html
452
:
独学徒
:2006/07/01(土) 16:26:14
日蓮正宗本山日知屋山定善寺のHPで、昭和52年に境内に移転した本建寺についての紹介がありました。
http://www16.ocn.ne.jp/~jouzenji/K-honkenji/honkenji.htm
453
:
独学徒
:2006/07/01(土) 18:18:52
こちらは学会員の方にはお薦めかもしれません。
牧口常三郎著「人生地理学」です。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=58005659&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
454
:
犀角独歩
:2006/07/09(日) 09:53:46
今回の顕正会事件については、明日、発表の『週刊朝日』に、記事が載る予定ですが、概ね、被害者、加害者について、情報を訊きましたが、何ともはや。詳しくは、紹介誌をご一読いただければと思います。
455
:
独学徒
:2006/07/09(日) 13:46:37
本日は池上の霊宝殿に行ってきました。
今月は板碑関係の展示との事でした。
今回も伝・日蓮曼荼羅が展示されており、弘安五年の図顕となっています。
全体的に輪郭と墨ののり方に肉筆らしさが感じられませんで、一見御形木を思わせるような感じでした。
前回オフで訪れた時、きゃからばあさんが、本門寺蕎麦をおいしそうに召し上がっていましたので、今回私も食べてみました。
値段は一寸高めですが、天ぷらそばと山菜蕎麦をあわせたような感じで、なかなか良かったと思います。
ということで、今月の霊宝殿と、本門寺蕎麦、お薦め致します。
(なお7月25日は「御風入れ」のため、23日以降は展示内容が変わっていますと思います。)
456
:
独学徒
:2006/07/09(日) 16:27:34
すみません訂正です。
誤:前回オフで訪れた時
正:前回オフ会で訪れた時
457
:
きゃからばあ
:2006/07/09(日) 20:13:51
独学徒さんへ
本門寺蕎麦はおいしいですよね!
実はこのとき、何を注文していいのかわからず、店員さんに「オススメは?」と尋ねたら、この本門寺蕎麦を勧めたので、そのまま注文してしまいました。
またこの蕎麦を食べながら、日本に来日していたマイケルジャクソンが、ひょっとして今、本門寺にいるのじゃないかとドキドキしていたのは、やはり私だけでしょうか?
田舎から上京すると、有名人に会えるなんてすぐ想像しちゃうのです。
次回に訪れたときも、またこの本門寺蕎麦を注文します。
458
:
独学徒
:2006/07/09(日) 21:39:52
きゃからばあさん、
>次回に訪れたときも、またこの本門寺蕎麦を注文します。
私もそうしたいと思います。
本門寺の霊宝殿は、毎月展示替えをしているようなので、これからは可能な限り月に1回は行ってみようと思っています。
この夏は、久遠寺や誕生寺の宝物館にも行ってみたいと思ってます。
それにしても、これらの本山のように、博物館形式で宝物を拝観できるところは、結構あちこちにあるのでしょうかね。
博物館形式は「虫払」と違って、気を使わなくて良いですよね。
459
:
パンナコッタ
:2006/07/10(月) 00:24:05
蕎麦なら、題目塔の脇のお蕎麦屋さんも美味しいですよ。
本能寺の宝物館は、有名ですね。
http://www.joho-kyoto.or.jp/~f-machi/100/dekakeyo/237/index.html
460
:
独学徒
:2006/07/10(月) 23:01:52
パンナコッタさん、今晩は。
京都はいつか行ってみたいです。
要法寺もありますしね。
題目塔の脇のお蕎麦屋さんは、橋の手前のところですよね。
何かお薦めメニューはありますか?
461
:
パンナコッタ
:2006/07/11(火) 00:42:40
独学徒さん、どうもです。
自分はシンプルに”もり蕎麦”が好きなのですが、ソバ湯が美味しかったので
どれでもイケると思いますよ。
以前独歩さんにお聞きした清澄寺の霊宝殿は、蓮祖関係と真言密教関係が分かれて
展示されているとの事で、これも非常に興味深い物がありますね。
462
:
犀角独歩
:2006/07/11(火) 04:51:11
パンナコッタさん
独学徒さん
清澄寺は、元真言宗であったわけですが、「日蓮聖人人に由緒ある所」ということで、同宗から日蓮宗に寄進された寺院であるわけですね。そんなことから、霊宝殿は1階が日蓮宗、2階が真言宗の展示と分かれていたと記憶します。
誕生寺も間近で、さらに鯛ノ浦の遊覧船でみられる鯛の群れは圧巻です。
463
:
独学徒
:2006/07/11(火) 06:55:02
パンナコッタさん、犀角独歩さん、おはようございます。
題目塔脇のお蕎麦屋、清澄寺霊宝殿・誕生寺宝物館・鯛ノ浦の遊覧船、この夏に体験したいと思います。
非常に良い情報を戴きました。
有難う御座います。
464
:
犀角独歩
:2006/07/11(火) 11:42:17
独学徒さん
誕生寺は宝物館はなかったと思います。
ただ、今、公式サイトを見たところ、8月10日に灯籠流しがあること、また本堂が一般公開されるようになったことが、記されてありました。
http://www.tanjoh-ji.jp/
465
:
れん
:2006/07/11(火) 17:29:53
独学徒さん
私は、高校生の時、家族で誕生寺・清澄寺に旅行で行きました。誕生寺
には、私の行きました時には、宝物館はありました。その時の展示品には
所蔵の伝・日蓮聖人筆の曼荼羅・聖人御真蹟の御消息等がありました。
清澄寺の宝物館でも、日蓮聖人に関わる宝物・真言宗に関わる宝物の展示
がありました。
取り敢えずご参考になれば幸いです。
466
:
独学徒
:2006/07/11(火) 20:30:29
犀角独歩さん、
れんさん、
御教示有難うございます。
誕生寺の宝物館は、HPでは「布教殿堂建設期間中、宝物館は仮事務所として使用致します。(2006年8月までを予定)」となっていますね。
出かける前に確認しようと思います。
467
:
真実知求者
:2006/07/11(火) 21:05:49
、、横から失礼いたします。
日蓮様の古い文物こそ、大事です。
昨今は、どこのウマの骨とも不明なええカゲンな本尊をクルクルと変えて組織防衛に熱心な団体も存在です。
小生は、あくまで緊急避難的(こだわりはありませんが)すが、日蓮様の真筆本尊をコピーして内得信仰中です。
どこも、キッチリと謝罪と反省も無いうちは、致し方在りません。
苦しい選択も難儀では在ります。 早々。
468
:
犀角独歩
:2006/07/11(火) 22:24:04
れんさん
独学徒さん
有り難うございます。そうですか、誕生寺にも宝物館があったのですか。2、3度足を運んでいるのに、気づかずじまいでした。参考になりました。
469
:
犀角独歩
:2006/07/12(水) 06:59:53
真実知求者さん
> 日蓮様の真筆本尊をコピー
門下一般で行われるところですね。
けっこうなことであると賛同します。
470
:
真実知求者
:2006/07/12(水) 16:40:48
、、、恐縮いたします、、。 難儀です。 苦慮中です。
471
:
大縫薫
:2006/07/13(木) 00:01:56
日蓮正宗でも、宗祖の真筆御本尊を写真製版から複写した本尊は存在しています。
福島県いわき市妙法寺の本尊は寺史にも複写版と紹介されています。
寺4 1280 宗祖大聖人 弘安3年3月□日 文安二年十一月六日 日有花押
冨士山大石寺重宝紫宸殿御本尊之写也
妙法寺・紙幅(複写版)三二×十七
472
:
真実知求者
:2006/07/13(木) 17:41:07
>>471さん、 、、、在ります。
失礼します、。 真筆様が存在するのに、なぜ、それを重大視しなかったのでしょうか、、?
この一点の軽視、、!!!には、庶民の成仏への願いを無視するような最大の欠陥が存在、のようでしょうか?
今更の「後出しじゃんけん」の様な実感はいたします、。キッチリト謝罪さえすれば「最出発」も可能です。
期待は致します、が、、が、、。
473
:
今川元真
:2006/07/13(木) 23:37:04
横割失礼します。 大聖人の魂魄が板漫荼羅に宿ると言う信仰。 法主教学の変遷。 創価学会の暴走。 ●久遠寺・漫荼羅道場(題目→本尊→戒壇)⇒天照皇大神・宗祖大聖人・漫荼羅→唱題、漫荼羅本尊、戒壇堂 ●密教(毘盧遮那成仏大日如来)、顕教(法華一乗・成仏得道) ●密教も顕教も時代毎に教学が違うようなのでどこに力点を置くのかは大事でしょう。
474
:
きゃからばあ
:2006/07/14(金) 10:19:51
今年も創価大学夏季講座があります。
http://www2.lawsonticket.com/pc/P40/WM80.asp?SI=sok
個人的には講座番号3・菅野博史さんの講座だけが興味あります。
しかし都合が悪く行けそうにありません。
もしどなたかもし参加されましたら、ぜひ内容を教えてください。
勝手なお勧めでした。
475
:
パンナコッタ
:2006/07/25(火) 16:59:01
バーミヤンでペルシャの霊獣の絵を確認したそうですね。
アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン遺跡で保存・調査活動に当たっている独立行政法人
文化財研究所のチームが25日までに、石窟(せっくつ)内の7世紀の仏教壁画を覆っていた
すすの除去に初めて成功、ペルシャ神話の霊獣「シームルグ」とみられる絵柄が描かれている
のを確認した。同じくペルシャ起源の「グリフィン」とする指摘もある。いずれの絵柄でも
バーミヤンで鮮明な形が確認されたのは初めて。
霊獣は1−5世紀に仏教美術が繁栄したガンダーラ風の唐草模様とともに描かれていた。
同遺跡に詳しい和光大の前田耕作名誉教授(アジア文化史)は「シームルグと唐草模様との
組み合わせは独自とみられる。シルクロードの要衝として東西の文化が融合し、発展した
バーミヤン仏教文化を研究する上で極めて重要な発見だ」と話している。(バーミヤン共同)
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=home&NWID=2006072501001262
(更新してリンクが切れる場合があります)
476
:
れん
:2006/07/25(火) 18:22:47
大縫さん
>471
御提示のいわき妙法寺蔵の御形木について質問なのですが、「文安二年十一月六日 日有花押」ということは、当御形木の原本は現在、石山所蔵の弘安三年三月の宗祖御筆漫荼羅を九世日有師が模写したものということでしょうか?また、「富士山大石寺重宝紫宸殿御本尊之写也」の文言は日有師の筆でしょうか?それとも、当御形木が作成された時に、作成者により添書されたものでしょうか?参考のためご教示戴ければ幸甚です。
477
:
大縫 薫
:2006/07/27(木) 01:52:41
れん様
妙法寺さんの所蔵曼陀羅は81番の複写版の御本尊様で、同寺の本堂安置の板御本尊
も独歩さんの著者の中で公開された板御本尊と同様です。
複写版といってもカラーではなくコロタイプ印刷に見えます。
版木から写したののではないので、面白いです。
478
:
彰往考来
:2006/07/27(木) 12:26:18
大縫 薫さん
横レス失礼。
>471, 477 妙法寺さんの所蔵曼陀羅は81番の複写版
これは82番の複写版ではありませんか?
それと、もし82番の複写版とするなら、
文安二年十一月六日 日有花押
冨士山大石寺重宝紫宸殿御本尊之写也
との書き入れはどういう状態で入っているのでしょうか?『御本尊集』の写真ではかかる書き入れは確認されませんが? 大石寺蔵の実物を写真撮影されたということでしょうか?
479
:
大縫 薫
:2006/07/27(木) 16:57:16
失礼致しました。81番ではなく82番でした。勘違いをしていました。
文安二年十一月六日 日有花押
冨士山大石寺重宝紫宸殿御本尊之写也は下部に印刷されており、妙法寺本堂の板
御本尊の凹金文字が墨文字で表現されています。
480
:
れん
:2006/07/27(木) 21:01:19
大縫さん・彰往さん
妙法寺さんの本堂の板御本尊が原本でしたか。「富士…写也」が有師の筆ならば、82番の“紫宸殿”の名称は石山九世の有師まで溯ることになりますね。 お二方のやりとりで、御形木の感じが分かりました。有難うございます。
481
:
犀角独歩
:2006/08/01(火) 13:49:11
ブッダ会が、独自ドメインを取得し、稼働を始めました。
当面、わたしが管理しています。
ご高覧、ブックマークいただければ幸甚です。
中村行明上人とブッダ会
http://buddhakai.jp/
482
:
大縫 薫
:2006/08/02(水) 20:13:27
全くの余談ですが、今年TBSで新春放映された里見八犬伝の撮影地は、西山本門寺
の境内地で撮影され、武田鉄也・綾瀬はるか・押尾学などの俳優さん達が数日間に
わたり芝川町に滞在されたそうです。DVDで販売・レンタルしていますので、興味
があれば確認して下さい。
http://www.filmwork.jp/rokerepo2.htm
483
:
柊
:2006/08/02(水) 21:43:42
西山本門寺、信長の首塚があるってよ。
みのもんたがやってたな。
484
:
犀角独歩
:2006/08/05(土) 15:43:29
『文藝春秋』06年8月号に落合博実氏著『国税「創価学会調査記録を入手」』(P326)が載りました。今朝、楠山師から頂戴し、読みましたが、従来の批判記事とは違い、読むに値する内容でした。
485
:
犀角独歩
:2006/08/12(土) 12:52:15
創価学会の戸田さんをモデルにした『人間革命』が、事実を題材にした小説として話題になっていますので、同じく戸田さんをモデルにし、事実を題材にした小説である志茂田景樹著『折伏鬼』(文春文庫)を挙げておきましょう。
ここで記述される団体と主人公が、事実と相違しているというのであれば、主人公が悟達した仏ならぬ、鬼ではない無いと論証できるや否や(笑)
志茂田景樹『折伏鬼』文春文庫
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167326019/250-3996527-1240227?v=glance&n=465392
486
:
応援団
:2006/08/12(土) 18:30:34
↑ 一見四水って言葉しってるだろうに・・・。
さあ、そこで問題です。
空手馬鹿一代⇒大山さんは馬鹿だったのでしょうか?
論証できるや否や ぷっ (息抜きっつー事で・・・笑)
488
:
犀角独歩
:2006/08/14(月) 09:55:32
学会を含む石山系に誣いられた人々は、自分と異見の人を笑いものにして優位を誇るという習性が身に付くことをしばしば散見します。486の揶揄もそんな一つであると読みました。わたし自身、アイロニカルな書き様をすることもあり、人の様を見て、我が身を直す反面教師として読むことといたしました。しかし、あまり、このようなことを繰り返さないほうが、自身と所存信念体系の品位を疑われない賢明な判断であり、かつ、貴掲示板の趣旨にも添うところでしょう。
小説『人間革命』の「戸田城聖」と『折伏鬼』の「多田晧聖」と、どちらがリアリティがあるのか。創価学会内で前者でしょうし、一般では後者となるのでしょう。
オビに「戸田城聖をモデルに“学会”の栄光と悲惨を描く青春小説」とあり、裏表紙には「『いつか信心をすることになる』とむりやり連れていかれた新興宗教団体の集会で、壇上の会長は中学一年のわたしに予言し、哄笑した。十年の後、まさにわたしは巨大な組織の中にいた。が、数年の激しい活動の末、わたしを捉えたのは大きな疑惑であった。傷つき絶望して、わたしはそこを去った。直木賞作家の自伝的青春小説」とあります。この文言に、小説『人間革命』以上に、創価学会とその指導者に不信を懐いて去った経験者には、リアリティがあります。
491
:
アリャん
:2006/08/22(火) 00:16:29
>学会を含む石山系に誣いられた人々は、自分と異見の人を笑いものにして優位を誇るという習性が身に付くことをしばしば散見します。
ここの掲示板もそうだと思うのは、アチキだけでしょうか?
492
:
犀角独歩
:2006/08/22(火) 09:57:19
> 491
そう思うのであれば、具体的に、その事例を示し、その点を改善しようとしなければ、単なる、アラシ投稿としか映じないでしょう。
494
:
とんび
:2006/08/24(木) 01:58:15
みなさん、こんばんは。
私が、高校生時代に夢中で読んだ、「幻魔大戦」の作者平井和正の言葉です。
http://www.ebunko.ne.jp/naze.htm
どちらかというと、聖書よりですが、私は仏教よりに読み取り、特に「原因と因果」
の法則...などというものを、心に染みこませたものです。
平井和正氏は、かつて新興宗教に所属し、そして幻滅し傷つきこの書を顕しました。
仮に、成仏なるものが、ジャンプであるなら、仏教系の人にも「ホップ」(ステップまではいかないでしょう)
ぐらいの、インパクトはあるかもしれません。
このなかで、作者は、ハルマゲドンとか称していますが、私は、必ずしもその部分については平井氏と
意見は、異にするでしょう。
特に、カリスマの存在、一神教絶対主義などへの、警笛などには、賛同する部分が多くあり
ます。
日連系のページ紹介でなくも申し訳なく思いますし、また、別スレッドに投稿した方が
良かったかもしれません。
ご容赦願えれば幸いです。
495
:
とんび
:2006/08/25(金) 23:05:09
少し訂正させていただきます。
「原因と因果」の法則...ではなく、「原因と結果の法則」「因果の法則」の
打ち間違えです。書の中では、多く、人の心のありようが表現されています。
また、仮に、成仏なるものが、ジャンプであるなら..ではなく、
仮に、「成仏?なるもの自体」が(あるとしたら)、ジャンプであるなら...。
の意味合いです。
平井氏自身の、善悪の闘いの意味はわかりませんが、善人と悪人の闘い..と解釈するのでは
なく、己心の中の「善心」と「悪心」の闘い...と解釈した方が良いかと思います。
あえて11界論でいうなら、地獄界から天上界の六道は「悪心」寄りでしょうか。
声聞界から諸仏界までの五界が「善心」でしょうか。
開目抄に曰く、「又習学すべき物三つあり。所謂、儒・外・内これなり」
ということで、リンクのご紹介にご理解の程よろしくお願いします。
http://www.ebunko.ne.jp/naze.htm
平井和正氏の、発言には、共感すべきことがおおくありますので。
496
:
ハンドル未定考え中
:2006/09/03(日) 16:23:08
とんびさん
平井氏は「狼からの手紙」(徳間新書、のち「ウルフレター」として徳間文庫)で学会員と思われる女性との往復書簡を公開しています。
また、「幻魔大戦」では「某学会」であったか「○○学会」であったかの表記で、数ヶ所で論及していますね。
「幻魔大戦」はカルト教団やそれに傾斜していく心理を理解するには最適のものだと思います。
497
:
パンナコッタ
:2006/09/24(日) 18:38:16
宇治の平等院鳳凰堂の天蓋が修理の為下ろされ、公開になりましたね。
阿弥陀にアレルギーのある方は別として、一見の価値はあろうかと思います。
http://www.asahi.com/culture/update/0922/016.html
『京都府宇治市の世界遺産、平等院鳳凰(ほうおう)堂の本尊の頭上を飾る国宝「天蓋(てんがい)」が
22日、境内の鳳翔(ほうしょう)館内で初めて一般公開された。金箔(きんぱく)を押した荘厳な飾り板に
ジグソーパズルのような透かし彫りの唐草模様が鮮やかだ。普段は約6メートルの高さにあって間近で
見ることは難しいが、04〜07年の「平成の大修理」で下ろされた。一般公開は12月11日まで』
(更新してリンクが切れる事があります)
498
:
藤川一郎
:2006/09/25(月) 14:08:13
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103014512/ref=sr_11_1/250-3726603-5636235?ie=UTF8
伝説と真実と言う意味ではこの書籍は面白い
「大山倍達正伝」
伝説の大山の真実を描いた書籍です。
大山と裏の関係、暴力団、右翼との関係、笹川良一や文鮮明さらに佐藤栄作との関係などかなり詳細にえぐっております。
499
:
パンナコッタ
:2006/10/04(水) 11:37:31
鎌倉期の山王曼羅図が大量に発見され、大津市歴史博物館で公開になるようですね。
http://www3.nhk.or.jp/news/2006/10/04/d20061004000039.html
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/060911.html
500
:
パンナコッタ
:2006/10/04(水) 11:44:16
失礼。
>山王曼茶羅図 ですね。
501
:
犀角独歩
:2006/10/04(水) 14:09:29
パンナコッタさん、興味深いご紹介、有り難うございます。
過日、山王信仰に関する展示を見てきたのですが、真言、阿弥陀などの仏教と習合しており、神仏分離令以降の我々には、なかなかわかりづらいものだと思いました。大津のものは天台系、日吉との習合の様ですね。
この中の猿の顔はリアルですね。これまた、昨年、アンコールワットに係る展示を見たのですが、守護の猿神・ハヌマット(Hanuman)が印象に残っています。この関係などは、どうなんでしょうか。ヒンドゥー ― 密教 ― 法華・日本天台の守護神という輸入関係があってもおかしくないように思えますが、ここら辺のところは、よくわかりません。
502
:
パンナコッタ
:2006/10/05(木) 12:17:24
とりあえず山王信仰の参考として、
http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/kamigami/ooyamakui.html
http://www.niigata-u.com/files/ngt2003/hie1.html
http://www.city.yamato.kanagawa.jp/soumu/shishi/2_sisi_kenkyu/f_sike_02.htm
直接蓮祖との関連はなさそうですが、その前後の時代の天台の流れという意味では、
法華懴法なども含めて蓮祖漫茶羅や思想への影響は少なからずあったように思えます。
503
:
パンナコッタ
:2006/10/09(月) 19:19:04
またまた蓮祖とは直接関係は在りませんが、興福寺で国宝特別公開が始まったようですね。
http://www.asahi.com/culture/update/1009/009.html
『奈良・興福寺(同市登大路町)で8日、運慶の仏像を安置するお堂などを開く「国宝特別公開2006」
(同寺、朝日新聞社、朝日放送主催)が始まった。国宝館では5年ぶりに板彫十二神将立像(平安時代)が
一挙に公開されるなど、奈良〜江戸時代の多様な国宝・重文仏像を見て回ることができ、初日から大勢の
参拝者でにぎわった。11月13日まで。 公開は北円堂、仮金堂、三重塔、国宝館の4カ所。北円堂(国宝)には、
運慶作の本尊の弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう)と無著(むじゃく)・世親(せしん)両菩薩(ぼさつ)像、
四天王像の国宝計7体がある。通常公開しない仮金堂は、薬王・薬上両菩薩立像(重文)などが安置されている。
午前9時〜午後5時で期間中は無休。料金は4カ所共通で、大人1300円、中学・高校生900円、小学生500円』
(更新してリンクが切れる事があります)
504
:
独学徒
:2006/10/09(月) 23:42:47
池上のお会式ですが、一部インターネットでライブ中継がされるそうです。
http://www.honmonji.or.jp/05topic/05event/oeshiki/2006/oeshiki2006.html
505
:
犀角独歩
:2006/10/16(月) 07:56:08
お誘いを受けて、国立博物館で開催されている仏像展を観てきました。
意外だったことが二つ。一つは、背光が外されて展示されていたこと。もう一つは、かなり痛んだままであること。蓮台の花びらがとれてしまったり、欠損した部分が何ら修繕されていない像が多かったことには驚きました。
眼の部分に、明らかに瞳を墨で書き込んだ形跡が、多くの仏像で確認でき、開眼の原景色を見た思いがしました。
鉈彫像については、「本当は制作途中では?」と思うものもありました。
それにしても、円空の迫力には、ただ驚き、アルカイックスマイルというより、まさに円空仏の微笑みといったほうが相応しい表情にはため息が出ました。
この笑いという点で言えば、木喰の仏像は独走していました。笑う尊像が心を癒すという発見は新鮮でした。若いときであれば、「こんなものは仏像ではない」と切り捨ててしまったかもしれませんが、いまはこの悠久の笑いに惹かれます。日本の18世紀から19世紀初頭にウインクをする造形が刻まれたことには、これまた驚きを禁じ得ませんでした。
この展示をお薦めします。
仏像 一木にこめられた祈り
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=3460
あと、科学博物館では「大英博物館 ミイラと古代エジプト展」が開催されています。3Dシアターで、非破壊調査と見事な立体映像は必見です。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/mummy/index.html
506
:
犀角独歩
:2006/10/16(月) 08:09:36
一つ書き忘れました。科博では現在、南方熊楠の展示が無料で見られます。
こちらもお薦めです。
日本科学者技術者展シリーズ4
南方熊楠 ― 森羅万象の探求者 ―
http://www.kahaku.go.jp/event/2006/10minakata/index.html
507
:
曾鶉
:2006/10/26(木) 15:42:39
昭和30年に日蓮宗宗務院から刊行された『創価学会批判』が『創価学会批判 復刻版』として、再び日蓮宗宗務院から刊行されました。
「復刻版について」という文の中では「原本のまま」とありましたが、「言葉に偽りあり」。
「誤字脱字誤植などを修正し、旧仮名づかいを新仮名づかいに改め、サイズをひとまわり大きいA5版にしたほかは、原本のままであるので、「復刻」扱いとした。」
「A5版」というのは「A5判」の誤りですね。
同書の「復刻版修正箇所一覧」を見ても、
「誤字脱字誤植などを修正し、旧仮名づかいを新仮名づかいに改め、サイズをひとまわり大きいA5版にしたほかは、原本のまま」
ではないことは明らかです。
○ 執筆者たちの用字法まで、勝手に改変。
○ 漢字を勝手に平仮名に改変。
さらに「復刻版凡例」では、
○ 「「日興聖人」は「日興上人」に統一した。」
とあり、原著者の考えを無視した改変もあります。
また、原著と比較すると、句読点がかなり付加されてもいます。
執筆者は皆さん既に亡くなられており、ご遺族が著作権を継承されているわけですが、ご遺族には事前に相談していないし、ご遺族もその事実を知らされていないとのことです。
おくづけを見ると、
「編 集 日蓮宗現代宗教研究所
発行者 日蓮宗宗務総長 小松浄愼
発行所 日蓮宗宗務院」
とあります。
明らかに著作権に法違反した、今回の『創価学会批判 復刻版』刊行は、日蓮宗現代宗教研究所所長と日蓮宗宗務総長の責任問題に値するでしょう。
これで処分なしなどとなったら、日蓮宗は非常識だ、ということになってしまいます。
膨大な改変箇所がありますから、参照文献とか引用文献には使えるものではありません。
もっとも、字句が改変されてはいますが、原著は内容的には良いものでしたので、今回の自称「復刻版」も、読書する価値は大いにあるとは思います。
ほんとうに、もったいないことです。
508
:
彰往考来
:2006/11/04(土) 09:24:23
犀角独歩さん
亀レスですが、
>505 鉈彫像については、「本当は制作途中では?」と思うものもありました
に関しまして、鉈彫についての解説がありましたので、
富士教学研究会の掲示板
http://bbs6.fc2.com/php/e.php/fujikyougaku/
に紹介しました。参考にしてください。なお、富士教学研究会のHPアドレスは、
http://fujikyougaku.fc2web.com/index.html
です。
彰往考来
509
:
犀角独歩
:2006/11/04(土) 10:14:25
508 彰往考来さん
有り難うございます。
学者の説はわからないでもないのですが、わたしは、天台寺蔵の聖観音立像(鉈彫)が鉈彫であるということには、いまだに懐疑的です。
現物は見ました。写真をみれば、すぐにわかるのですが、右腕は比較的きれいに削られ、鉈彫になっていません。準じて、足の甲、顔もそうです。全体の統一感がありません。これが、いかにも未完成であるという印象を与えるわけです。
ただし、このような未完成なものを完成品と目すところから、彫刻スタイルができることはあり得るわけで、それが鉈彫という技法になったと考えることはできるかもしれません。
ついでながら、申し上げれば、鉈彫の次のスレッドにある板彫法華経曼荼羅が日蓮漫荼羅の原形ではないかという議論は、顕正居士さんであったか、一字三礼さんであったかとしたことがありました。これも現物は見ましたが、思いの外、小さなものですよね。
もう一点。大縫薫さんが投稿されている妙蓮寺の板本尊、15年以上前にこれまた、現物を見ているのですが、よく覚えていません。
たしかに弘安3年3月から4月頃の特徴が混在しているようですが、この經の字の旁の特徴は安第79、80のようでしょうか。それとも、安第82のようなのでしょうか。
議論に参加したかったのですが、独学徒さんの掲示板の投稿の仕方がわかりませんでした。レスいただければ有り難く存じます。
510
:
独学徒
:2006/11/04(土) 12:22:07
犀角独歩さん、横レスにて失礼致します。
当方掲示板の投稿方法ですが、新規投稿の場合、画面最上部の投稿フォームよりご投稿いただけます。
既存の投稿記事に対する返信は、トピック(最初の投稿記事・親記事)の右下に「返信」ボタンがあります。そこを押していただきますと返信投稿フォームが、画面上に出てくるシステムになっております。
なお、一つのトピックに対する返信投稿は、20件が上限となっておりまして、長期の議論や多人数での意見交換には少々不向きな掲示板であります。
現に大縫さんご投稿のトピック「下条妙蓮寺板御本尊」は、返信限度の20件に達しており、既に返信のでききない状態となっています。
以上の点、御理解下さいませ。
主として画像投稿機能を活用し、「富士門流信徒の掲示板」での議論をサポートできるような御利用をいただけますと幸です。
511
:
犀角独歩
:2006/11/04(土) 14:29:01
独学徒さん、有り難うございます。
追って参加させていただく所存です。
512
:
パンナコッタ
:2006/11/12(日) 22:19:20
バーミヤンで破壊された大仏の中から、玄奘訳「縁起経」の原点にあたる物が発見れたようですね。
http://www.chunichi.co.jp/00/kok/20061112/mng_____kok_____002.shtml
『【カブール=共同】アフガニスタン中部の世界遺産、バーミヤン遺跡で旧タリバン政権が破壊した東西2体の大仏立像のうち、
東大仏の残骸(ざんがい)の中から6−7世紀の文字で書かれた「胎内経」とみられる経典の一部の経文が見つかった。
専門家の解読から、7世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵が漢訳、日本にも伝わった「縁起経」の梵語
(ぼんご=サンスクリット)原典に相当するものと判明。建立時に大仏内部に納められた可能性が高く、謎に包まれた大仏建立の
経緯解明にもつながる第一級の発見だ。
経文は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の協力機関、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)のドイツ調査隊が発見。
関係者を通じて仏教大の松田和信教授が解読した。仏像に納められた経文は日本などでも例があるが、アフガンで見つかったのは初めてという。
経文の解析が進めば、バーミヤン研究の飛躍的な発展につながりそうだ。
松田教授によると、経文は北インドからパキスタン、アフガンにまたがる地域で6−7世紀に使われた「ギルギット・バーミヤン第一型文字」
で書かれていた。縁起経は、万物は永遠不滅ではないことを説く代表的な経典。仏教思想の根幹を表し、これを「縁起」という言葉で表現する。
経文の内容は、ブッダが修行僧に対し「あなた方に縁起(の要点と詳細)を説明しよう。(それを聞いてしっかり)正しく(考えなさい)」
などと説く冒頭部分だった。
調査隊のエドムント・メルツル氏によると、経文は短冊状の樺の樹皮に書かれ、仏舎利(ブッダの遺骨)に見立てたと考えられる泥玉とともに、
布に包まれた状態で見つかった。花の模様をあしらった円形の金属板も一緒に見つかったため、筒状の容器に入っていたとみられる。
直径約1センチの指輪型の土でできた印章も見つかり、蛇と、耳のある鳥のような動物の彫刻が施されていた。特定の集団が使用していた図柄とも推測され、
大仏を建立した寄進者を特定する手掛かりとなる可能性もある。
経文は、東大仏の破壊で崩れ落ちた土砂の回収作業をしていた今年7月に見つかった。地面に積もった大仏の残骸の中に埋もれていたため、
調査隊や専門家は大仏立像の内部に納められていたとみている。
バーミヤン州当局によると、経文は現在、同州にあるアフガン政府の施設に保管されている。
【経文の内容の一部】 発見された断片を基に、松田和信・仏教大教授が解読した経文の内容の一部は次の通り。(かっこ内は同教授による用語説明と欠落部分の補足)
(このようにわたしは聞いた。)ある時、世尊(ブッダの尊称)は園(祇園精舎のこと)に(滞在していた)。その時、世尊は(修行僧たちに告げた。「修行僧たちよ、)
あなた方に縁起(の要点と詳細)を説明しよう。(それを聞いてしっかり)正しく(考えなさい」)。世尊は… (共同)
<胎内経> 仏像の内部(胎内)に納められた経文。日本では仏像に魂を入れる意味合いがあり、小仏像(胎内仏)のほか、建立の経緯、
建立に込めた願いを記した文書(胎内文書)などを納めることがある。東大寺(奈良市)の南大門にある国宝・金剛力士像の「阿形(あぎょう)像」「吽形(うんぎょう)像」の
胎内からも経典などが見つかっている』 (共同)より引用
(更新されてリンクが消えることがあります)
513
:
みかん
:2006/11/19(日) 03:37:29
>>507
名前:曾鶉さん
それでは「復刻」ではなくて、「復刊」ですね。
著作権問題については事情を存じませんが、
現在の出版業界は、復刊を復刻といい間違える
傾向があって困ったものです。
復刻は、元になる本を写真製版するなどして、
一切手を加えることなく、造本、装丁なども
できるだけ同様につくることです。
たとえば講談社の「のらくろ」は戦前の復刻版でした。
岩波文庫などでの、写真製版での復刊も復刻ですね。
体裁が変わる、あらたに一から版を起こしなおす。
校閲を加えるなどは復刊であって、決して復刻とは呼べませんね。
まあ、宗務院は出版社ではないので、そこらへんの
無知は仕方がありませんが。
514
:
独学徒
:2006/11/25(土) 22:17:32
身延山久遠寺のHPに、「円師会」の模様が画像で出ていました。
後半部分では、波木井実長日円の御影も出てきます。
http://www.kuonji.jp/30_virtu/31_gyoji/31_07301.htm
515
:
犀角独歩
:2006/11/26(日) 11:00:33
秋季合宿で、彰往考来さんが紹介されていた以下の本は、面白そうですね。
『「お札」にみる日本仏教』ベルナール・フランク (著) 仏蘭久淳子
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4894345323/ref=pd_ecc_rvi_1/503-3513474-2829531
516
:
れん
:2006/11/26(日) 11:25:11
大明寺貫主楠山上人様、貫名上人様、犀角独歩様、御参集の諸賢の皆様。この度は、私如き弱輩をも、秋季合宿に参加させて戴き、誠に有難うございました。
蓮師の御真蹟の拝観、また貴重な霊宝を拝観し感激いたしました。貫名上人・楠山上人の初日の御講演は、大変すばらしく拝聴いたしました。彰往考来さん、一字三礼さん、藤川一郎さんの二日目の研究発表、何れも、日頃からの御研鑚の深さが伺われ、大変勉強になりました。また、初めて日蓮宗寺院の朝勤にも参加させて頂き、貴重な経験をさせて戴きました。本当に有難うございました。
短文ではございますが、これをもってお礼に替えさせて戴きます。
517
:
れん
:2006/11/26(日) 11:31:05
>516
オフ会のスレッドに投稿したつもりが、こちらに誤って投稿してしまいました。まだ寝不足の影響が多少残っているようです。失礼の段平に御海容下さい。
518
:
犀角独歩
:2006/11/29(水) 11:42:35
今回、『御伝土代』を読み直して、改めて吃驚したのですが、「脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法」だというのです。
『素朴な疑問』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/2933
にも書きましたが、このような考えに、富士門下は、一種の麻痺が生じているのではないでしょうか。
一体仏を終生拝んでいたのは日蓮その人です。その有様を土代作者は謗法だというわけです。日蓮を祖師に仰ぎながら、よくもまあ、こんなことが言えるものだと呆れざるを得ませんが、このような記述自体、『御伝土代』が日蓮を去ること遠い人によって綴られたことを意味するのかもしれません。
要するに、この作者は、日蓮が随身仏を拝んでいたという事実を実感しておらず、一尊四士正義という学風にひたすら染まった人であったことを意味するのかもしれません。「三師御伝」とするわけですから、日蓮を蔑視する目的があったとは思えないわけです。となれば、日蓮の一代に関する誤謬がそこにあったと考えられます。
「弘長元年かのとのとり五月十二日聖人伊豆の国伊東配流。
同三年みづのとのい二月二十二日御赦免。」
という記述は見られますが、ここに一体仏に係る記載はありません。
つまり、土代作者は、日蓮が一体仏崇敬者であったことに疎い、一尊四士義を正当とする、かつ、仏像廃棄漫荼羅正意への変遷過渡期にある、一塔二尊四士を知らない人によって編まれたものであることが想像できます。
その後、石山は仏像廃棄へと傾いてしまうのでしょうが、しかし、日精が「日興御さくの釈迦一そん一ふく」と書き記すような宝物が格護されていたことが知られます。
この“釈迦”が日興作であるか・否かというより、このころの石山は、このような記述が許される風土があったことを意味するのでしょう。はたして、この仏像画、一尊四士であったかどうか、興味が惹かれるところがあります。
また、このような点をやや枠を広げて考えれば、南条日住の日有の言として
「一、日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり内には本尊を懸けらる」
とあることは夙に有名なところです。日有の時代、既に八幡社は廃れていたようですが、しかし、日興は、このようにしていたというわけです。
ここで、少し考えてみます。建物を造り、その中に本尊を懸ける。この本尊が漫荼羅であったとしたら、この建物が八幡社といえるでしょうか。これは富士門下一般の本堂と同じになります。では、八幡社たり得るためには、どうなるのか。日有が言うところの「本尊」が八幡神(大菩薩)であるか、あるいは、漫荼羅と共に、八幡像を置いていたことを意味するのではないでしょうか。この点は、天王堂、垂迹堂でも一緒です。こちらでも、相応の尊像がなければ、それらの堂名と一致しないからです。つまり、日興を去ること漸々くとして、仏像撤廃は為されていったのであって、その落着は、日精以降のことであり、しかし、その後も、たとえば、『明細誌』などからわかるとおり、依然として、漫荼羅以外の、尊像も板に刻まれて堂宇に祀られていたのでしょう。
「天王堂本堂前東方西向向拝唐破風檜皮葺、四間四面、日天月天を勧請す神躰は板本尊。
垂迹堂本堂前東方西向宮造一間四方、天照八幡を勧請す神躰は板本尊。」
「板本尊」とあるから、板漫荼羅であるというのは、漫荼羅正意からの観測でしょう。ここに「神体」とある以上、御神体=日天月天・日天月天を本尊とした板であるという意味にほかなりません。
当掲示板参集の人々、殊に日蓮正宗創価学会を経験した人は、近代以降の極端な漫荼羅偏向で教育された人々ですから、仏像に対して、極端な忌避を示します。しかし、実際のところ、日蓮、日興が仏像を賞翫し、その後、石山に置いても、近代に至るまで、そのような形跡があったことを認めたうえで、歴史上の文献を読み直すと、まったく、違う風景が見えてきます。
漫荼羅偏向の色眼鏡を外すこと。わたしは、これをお薦めしておくことにします。
519
:
天蓋真鏡
:2006/11/29(水) 13:41:29
犀角独歩さん、こんにちは。 ■シャクソン像・漫荼羅図・法華経経典は鎌倉時代の三種神器なのでしょうか。 ■何方か、遺文御書の真筆偽筆真偽未決の一覧表があるサイトHPをご存じ無いですか。
520
:
山下毅
:2006/11/29(水) 13:53:05
前略、初めまして、京都の大石寺研究家です。アマゾンに『日蓮正宗の神話』(松岡幹夫著、論創社刊)の書評を載せましたので、ご一読下さい。
おすすめ度:
あなたのレビューがサイトに載ります。 ※ カスタマーレビューは他のお客様により書かれたものです。ご購入の際はお客様ご自身の最終判断でご利用ください。
日蓮正宗の血脈神話の全貌を解明, 2006/11/29
レビュアー: 山下毅 (京都市) - レビューをすべて見る
一読して久しぶりに興奮を覚えた。何百、何千回と繰り返されてきた創価学会と日蓮正宗の間の血脈論争――それに学問的な立場から決着をつけた大著の出現である。
日蓮正宗の「血脈」は、いかにして形成され、そして解体されていったのか。本書の白眉は、その歴史的な過程を事細かに説明したことであろう。著者によると、日蓮正宗史における血脈神話は次のようにして生まれ、やがて解体されたのだという。
1日蓮大聖人から日興上人へ三大秘法の教義を伝授(13世紀後半)
2宗門上代の学僧が、中古天台の血脈思想と接触( 14世紀〜)
3日有上人が本因妙思想・信心無二の立場から歴代法主の血脈を強調し始める(15世紀前半)
4左京阿闍梨・日教が大石寺門流に「唯授一人血脈相承」の思想を持ち込む(15世紀後半)
5要法寺門流との交流等を通じて「唯授一人血脈相承」の思想が宗門内に定着(16世紀後半〜17世紀前半)
6日寛上人によって「唯授一人血脈相承」の教義が理論的に開示される(18世紀初頭)
7日亨上人が、日寛上人の『六巻抄』『文段集』や相伝書類を出版公開する(20世紀前半)
8創価学会の民衆教学運動によって日寛教学が広く普及。大石寺の相承法門の核心部分は、全て公開される(20世紀後半〜現在)
こうしてみると、現在の創価学会は、途中の「唯授一人血脈相承」思想による教義の神秘化から自由になり、日蓮大聖人・日興上人の時代の三大秘法の信心に立ち返ったのだ、という点が明らかになってくる。著者は、左京日教に端を発する唯授一人の血脈神話が、本来の大石寺教学からみて「一種の外来思想」にすぎないと指弾している。
他にも、本書は、日蓮正宗関係の未公開史料を多数収録している点が注目される。主だったものを挙げれば、
1大石寺・寂日坊の住職が江戸時代に書写し、大石寺近くの神社に安置した曼荼羅本尊の実物写真。
237世・日が脇書きに「氏神本尊也」「山の神の本尊」と認めた神仏混交の曼荼羅本尊の実物写真(2体分)。
3近代の大石寺法主が認めた本尊脇書きにかんする資料。「日露戦争に勝つために」(56世・日応)「宗債整理のために」(57世・日正)。
4墓石に彫り込まれ、道端に放置された26世・日寛の「石本尊」(江戸時代に造立)の実物写真。
5骨壷に四つ折にして入れられ、破損した未来本尊の実物写真。
6常住本尊を数十体も所持している大石寺の根檀家の御本尊箱の中身(写真)。
7昭和30年代に正宗の末寺住職が書写した棟札本尊の実物写真。
8堀日亨師の未発表発言(戒壇・出世の本懐・本尊書写について)の紹介。
917世・日精の未公開文書「舜師矛盾の書付」の全文を収録(この書付の中では、日精が日舜に血脈相承することを拒んで「他家の血脈」を渡したことが、日精本人の筆でつづられている)
注目すべき点は、他にも多々あるが、残りは実際に手に取ってじっくりと読まれた方がよい。本書は、客観的で論証的な研究なので、少し難解な部分もあろう。しかし、その分だけ、深く、スキのない議論が展開されている。日蓮正宗という教団の本質を知るためには、本書のような20年がかりの労作を丹念に読んでみることも必要なのではあるまいか。
関係者以外の一般読者にとっても、創価学会や顕正会を生み出した日蓮正宗という宗派の特異な信仰について理解を深めるには、格好の一書であると思う。
521
:
犀角独歩
:2006/11/29(水) 15:23:51
天蓋真鏡さん
一覧表の載るサイトは、わたしは存じ上げません。
ただ、現宗研の資料は真蹟と写本を分けています。
あとは、全集の目録を見たほうが早いように思いますが。
日蓮宗 現代宗教研究所 文献資料
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm
522
:
犀角独歩
:2006/11/29(水) 15:38:04
山下さん、初めまして。
ご投稿、拝見する限り、従来の松岡さんの主張と、あまり進歩がないようですね。まあ、未公開資料は、興味はあります。
1〜8の分類、何ともはや、まだ、こんなことを言っているのか、という感じがしました。とても学術的とは思えません。日興が三大秘法を受け継ぐなら、他の五老もまた受け継いだでしょう。実際、日像は帝都弘教を果たし菩薩号を得、日蓮もここに大菩薩号を下賜されているわけですから。
要するに日寛によって大成された相承法門は日亨師の発刊ですべて明らかになって、それを受け継ぐのは創価学会であるという為にする文章だと言うことでしょ。日寛教学は、読むには面白いですが、事実だと思う他門下はいないわけで、こんなものが明らかになったからといって、一体、どうだというんだ?としか思われないでしょうね。
まあ、細かい点で、とやかく言うのはやめにしておきます。
読んでからといたしましょう。ただ、一つ言えること。日蓮正宗の神話とは、その集団が生み出した創価学会そのものも有する神話だと言うことでしょう。いまだに日寛教学を最高だと言い、その印刷漫荼羅を拝む創価学会は、その神話の住人だと言うことではないでしょうか。まるで自由になどなっていませんよね。
523
:
れん
:2006/11/29(水) 19:23:09
山下さん、初めまして。ご紹介の書籍、“未公開の資料”というのに興味を引かれて一冊注文致しました。松岡氏は蓮師から興師への三大秘法伝授を主張してますが、石山系では、あきらかに目師直授説が先行してますね(雑雑聞書)。日有の言によれば“門徒の首長”のみが伝えるべき三箇秘法(三口一徹相伝?)や本門の本尊の大事(金口相承?)は日有の先師が書いたとあり、聞書拾遺の記述から日時の作であると思われます。もっとも、目師学法・直授については郷師門流の方の主張(郷師「法系図」薩摩日叡師「類聚記」)が先行しており、日時の石山貫首直伝の相伝書作成の下敷きは、日郷師門下の伝承と主張のパクリと言えなくもなさそうですね。問答さんと独歩さんとの対話の中で触れられている“三師伝”も石山日精の段階までは日時著述の伝承であり、現代の研究者の筆跡鑑別から、やはり日時筆の可能性が高いことが提示されていますから、三師伝の著者も日時である可能性は高いでしょうね。こうして俯瞰してみますと、道師門による石山全域の管領・支配を確立したのが日時であり、こんにちに至る、石山相伝・史伝の原型を纏めたのは日時その人であるというのが理解できるのですから、今後の石山系の専門的研究者には、初期石山の基礎を築いた石山日時の研究をしっかりやってもらいたいものですね。
524
:
天蓋真鏡
:2006/11/29(水) 21:55:03
犀角独歩さん、ありがとうございます。
525
:
れん
:2006/12/06(水) 00:14:07
松岡氏の本、読みました。この本はやはり、氏の所属する団体の立場の正当化が前提となっているため、蓮師御遺文の引用も、それに準じて真蹟遺文と存偽の写本遺文とを区別せず全部蓮師の真撰として引用するなど、詰めの甘さも感じました。まあ、これも氏の所属する団体の内部向けの書籍と理解いたしました。日有の聞書拾遺やそれに関連する雑雑聞書の記述から、私は石山における非公開の相伝書の作者は石山六世日時と考えております。そのネタ元は、郷師や尊師ばかりではなく道師や民部盛師(日時は盛師とも師弟関係があったことが、盛師の書写の文献の日時相伝之等の書き入れから推定できる)にも伝えられたであろう興師や目師等が蓮師在世の身延において習学した法門や、日行や日時が仙波にて摂取したであろう関東の中古天台学にあることは想像に難くないですね。日時が郷師門を退けて石山の全権を掌握し、道門による石山門徒支配を確立し、その最終作業として日時が作成した相伝書そのものは日時の後継者のみの秘密相伝として扱われたため、石山では目師の学法は秘密相伝に組み込まれた結果、門流僧俗一般には忘れ去られ、時代が下るほど他山の相伝書である二箇相承等を用いた日興正嫡論が台頭していったと観察しております。なお日有の時点ですでに石山義として宗祖冥益・当住顕益の思想が見られますから、左京日教が当住本仏論を初めていったのではなく、日教は日有のそれを更に敷延したに過ぎないと考えています。まあ、読後感としてはこんなところでした。
526
:
佐藤
:2006/12/06(水) 10:38:07
いつも時々、この掲示板をのぞく者です。れん氏にお伺いします。雑雑聞書が日有談であることをどうやって立証されますか。私は、写本がかなり下ることや、内容面から見ても、日教文書の影響下に後世の徒が作成した可能性も否定できないと思いますが。さらに、耳引法門が入った条目には「日有云く」とありません。「大石寺は」から始まるあたり、かえって他寺の者の説であることを匂わせ、日要か他の論者の可能性もあると思いますが、いかがですか。
527
:
佐藤
:2006/12/06(水) 10:46:59
>日有の時点ですでに石山義として宗祖冥益・当住顕益の思想が見られますから
追加ですが、この文についても具体的に明示していただけませんか。私の記憶では思い当たらないものですから。
528
:
犀角独歩
:2006/12/06(水) 11:23:11
横レス、失礼いたします。
れんさんが仰っているのは
「弁阿闍梨の筆録したる『日有御談』には
「上行菩薩の後身日蓮大師は九界の頂上たる本果の仏界と顕れ、無辺行菩薩の再誕日興は本困妙の九界と顕れ畢りぬ」
といって、暗に宗祖脱仏、派祖本仏の思想を洩らしている。なお日要述日我記の「顕仏未来記聞書」によれば、日要上人当時、大石寺には「大聖冥益・当住顕益」の思想があったものゝようである」(執行海秀師著『初期の興門教学に於ける本尊意識の展開』)
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_003.html
という点でしょうか。
529
:
れん
:2006/12/06(水) 11:43:19
佐藤さん、初めまして。
雑雑聞書はほぼ、日要師の仰せを中心としたもので、大石云々の項は要師の発言の可能性もありますが、要師は有師と交流があったことが要師の著述からわかりますから、教師文書云々よりも有師からの直接の伝聞の可能性があるでしょう。大石…四帖聖教も、他の日有聞書である「聞書拾遺」により石山日時の著述であることが比定できるのですから、耳引きを左京日教を初出と断定するのはやや早計に属しましょう。
犀角独歩さん、派祖本仏・当住本仏についての記述はご指摘の通りです。
何れにしても、この手の書籍はすべてを鵜呑みにせず、自分で調べて、確かめていくことが必要ですね。
530
:
佐藤
:2006/12/06(水) 11:44:06
独歩さま、初めまして。横レスありがとうございました(笑)。なるほど、そうでしたか。しかし、失礼な言い方ですが、これでは推測の域を出ない感じがします。執行氏の解釈も相当に強引ですね。「暗に」という言葉は、執行氏自身、かなりの論の飛躍を感じていたからだと思います。無辺行菩薩の後身としての日興を「派祖本仏」とするのは、むしろ興門教学に疎い者の発想ではないですか。私は、寛師のごとく、宗祖を本因妙家の果分に主づける考えの方が納得でき、そこからは開山―石山貫主を本仏とする論理は出てきません。いずれにしても、執行氏の論は、まさに学者として「詰めが甘い」ものであり、せめて「これは筆者の憶測にすぎない」と明記してこそ、研究者の良心に恥じないと言えましょう。
531
:
佐藤
:2006/12/06(水) 11:53:27
れんさま、さっそくのお応え、感謝いたします。ご回答の主旨、私としても理解できました。ただ一点、「四帖聖教も、他の日有聞書である「聞書拾遺」により石山日時の著述であることが比定できる」とのお話は、私の勉強不足のため、即座に想起できませんでした。宜しければ、歴代法主全書のページで教えていただけないでしょうか。重ね重ねすみません。
532
:
犀角独歩
:2006/12/06(水) 11:57:41
佐藤さん、初めまして。
何故(笑)なのか、理解できませんが、別に失礼なことはありません。
執行師の例で言えば、たとえば『五人所破抄見聞』について、祖滅99年説を、いちおう、採用しながら、一方で、再考を促すということもありました。学説は、新たな発見で次々と書き換えられていくものですから、斯くあって然るべきです。仰るような、常に挙証をもってする臨み方には賛同します。
以上の点から、ついでながらお伺いしますが、
> 雑雑聞書が日有談…内容面から見ても、日教文書の影響下に後世の徒が作成した可能性も否定できない
とは、どのような根拠によるのでしょうか。
533
:
佐藤
:2006/12/06(水) 12:13:35
独歩さま、
>ついでながらお伺いしますが、
> 雑雑聞書が日有談…内容面から見ても、日教文書の影響下に後世の徒が作成した可能性も否定できない
>とは、どのような根拠によるのでしょうか。
恥ずかしながら、これこそ私の「憶測」でした。一応、申し上げると、例えば「本門の本尊」を教主の「依用」とする点、これは本尊を法主の内証の用とする日教師の論を想起させます。また本尊書写を貫主一人とするのも、日有師の化儀抄の論と矛盾しており、むしろ左京師の主張に通ずるところがあると考える次第です。
534
:
犀角独歩
:2006/12/06(水) 13:00:01
佐藤さん
当掲示板は、過去の取り決めで「さん」付けが慣例となっています。
わたしもそういたしますので、お気軽にお願いいたします。
仰るとおりで、指摘申し上げた箇所は、佐藤さんの「憶測」でしょう。しかし、わたしはこの憶測に頷けるところもあります。これはつまり、他の文献などを渉猟すれば、挙証に至れぬも、そのような思い当たるという意味です。この点は、執行師も同様でしょうから、別段、「憶測」と明示しなくても、文章を断定せず、「…ものゝようである」とか「ではないか」「だろう」といった表現は、既に憶測、推測、検討中を意味した文章といえるでしょう。ですから、「研究者の良心に恥じ」る恥じないなどといった批判に当たるとは思えません。
むしろ、日寛の如き、「宗祖を本因妙家の果分に主づける」ことや、六秘、種脱論、彫刻本尊の喧伝は、論理の飛躍と独断の臭みがあります。批判されて然るべきです。なお、
> 無辺行菩薩の後身としての日興を「派祖本仏」とするのは、むしろ興門教学に疎い者の発想
という点ですが、『百六箇抄』に以下のような記述と、それを「疑義ある所」として、二重線で消した日亨氏の編集が遺ります。
画像は『富士宗学要集 相伝・信条部』(昭和十一年十二月廿四日発行/編輯兼発行者 堀日亨/発行所 雪山書房)です。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/hyakurokka_nikko_muhengyo.html
「編者曰く日辰上人、日我上人等古冩本…依て之を冩し…疑義ある所に二重線」(P41)と記しています。
となれば、日興を無辺行菩薩と写したのは、日辰、日我などとなりますか。驚いたことに、石山の歴代名、また、蔵書を上げていません。しかし、両血脉抄は日寛も引用します。さて、日寛が見ていた本ではどうなっていたのか。それはともかくとして、日興=無辺行の記述はあり、これを消したのは、日亨氏である経緯を、この本は物語っています。となれば、日興=無辺行とい相伝は消したのは日亨氏であるわけですね。つまり、それ以前の「発想」は「興門教学に疎い者」どころか、相伝に預かるものの発想であることが知られます。
また、日興に代表される派祖本仏という「発想」は、『御本尊七箇相承』の「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」という相承と、日寛のいう日蓮本仏論との結合によって帰結されるところであり、疎いどころか、事態はまったく逆ではないでしょうか。
535
:
犀角独歩
:2006/12/06(水) 13:10:33
失礼、打ち間違えました。
誤)日興=無辺行とい相伝は消したのは日亨氏であるわけですね
正)日興=無辺行という相伝を消したのは日亨氏であるわけですね
536
:
佐藤
:2006/12/06(水) 15:58:59
独歩さん、
お説はごもっともで、大変に勉強になりました。独歩さんの見解は、非常に納得がいきます。じつは私が問題視したのは、日興=無辺行の説そのものではなく、無辺行の後身を本仏とする発想が富士門としていかがなものか、という点にありました。だが、独歩さんの創造的誤解が、さらに実りある議論を引き出したと思います。私もまだまだ諸先輩方に学ぶ必要を感じます。これからは、ちょくちょく投稿を差し上げたいと思いますので、れん氏さんと独歩さんとには、御教示を宜しくお願いいたします。
537
:
顕正居士
:2006/12/06(水) 17:21:35
ところで執行師などの説ですが、
釈尊脱仏、宗祖下種仏 と 宗祖冥益、当住顕益 は別のこととおもいます。
脱仏というのは引退した仏という意味ではないんで、完成教育する仏の意味です。
冥益、顕益をいうなら下種冥益、熟脱顕益、つまり宗祖冥益、釈尊顕益です。
当住も熟脱の一分ですから顕益です。
末法は釈尊の未来ではなく、釈尊の過去であると日寛師は述べていますね。
538
:
れん
:2006/12/06(水) 18:48:42
佐藤さん、お尋ねの「聞書拾遺」の件の歴全におけるページですが、426ページに日時師の著作として四帖見聞と言う名称で挙げています。
但し、耳引き伝説は日時の作文の可能性がありますが、郷師の弟子の一人である薩摩日叡師の類集記には「大上人御出世御本懐御法門日目上人御相承ハ弘安五年正月一日也」とあり、この中“御相承”の語句は大げさな気もしますが、目師が“学法”の一環として、蓮師より、“御出世御本懐御法門”(同じく日叡師著述の後信抄には「本仏・本戒・本尊の大事」なる名目を挙げます)の法義の指導を受けたというのは、その可能性はあると思います。かくのごとく耳引き伝説の下地ともいうべき目師の学法の所伝は文献上は郷師門流が先行しますから、石山日時のそれは、直接的には郷師門の所伝や主張のパクリの可能性もありえましょう。ただ問題の日教文献では目師が蓮師より法門を聴聞した時と場所を弘安五年夏・武州池上と設定してますから、この辺りは道門においての潤色がありましょうね。
卑見はこんなものですが、私はここに集われた他の諸賢に較べれば、全然足元にも及ばない人間ですので、お気を使わずに結構です。
539
:
独学徒
:2006/12/06(水) 19:48:59
興風談所の興風18号と興風叢書10が出ました。
興風18号は、設立25周年記念号ということで、川添昭二師や都守基一師の論考も収録されています。
また、これまでベールに包まれていた、保田妙本寺蔵「日叡類聚記」が翻刻され収録されています。
興風叢書10号は、等覚院日全の「法華問答正義抄」です。
資料的価値は十分にあると思い、ここにお薦めさせていただきます。
540
:
佐藤
:2006/12/06(水) 20:18:07
れん氏さん、
御教示ありがとうございました。早速、歴法全にて確認いたしました。たしかに、ここにある日時「四帖見聞」と、雑雑聞書の「四帖の聖教」が同一のものと推測することもできますね。とすると、もう一点、お伺いしたいのですが、「四帖の聖教」が唯授一人の相承書であるという推理は、どこから出てくるのでしょうか。
541
:
佐藤
:2006/12/06(水) 21:10:26
補足的な質問があります。この際、浅学をかえりみず、恥を恐れず教えを乞いたいと思います。「四帖見聞」というのは、四帖分書かれた何かの法義書に関する日時の見聞、という意味にとれないでしょうか。隆師の「四帖抄」は15世紀ですから、日時の時代のものではありませんが、四帖にまとめられた仏書というのは色々とあったように記憶します。そう考えた場合、「雑雑聞書」の「四帖の聖教」は、字の通り「四帖分の(先師の)聖なる教え」との意でしょうから、「四帖(に分けて書かれた何か、恐らく宗開両祖の教示?)に関する見聞」とは自ずと異なるのではないでしょうか。
542
:
犀角独歩
:2006/12/07(木) 13:06:55
佐藤さん
顕正居士さん
ご指摘いただいた点は、わたしは十分に理解しているつもりです。
中世の脱仏思想というのは、現代のように、廃棄され、もはや役に立たなくなった仏のように釈迦仏を扱うものでありませんでした。いまでいえば、「隠居」のような位置づけですね。
先にも指摘し、最近では藤川さんもたしか指摘されていましたが、そもそも「本仏」という用語は、真蹟遺文には一度しか見られず、日蓮が仏を考える必須項目とは言い難い面があります。また、これが日寛の時代までに広げると、その意味は雑多多岐に亘ります。
本地仏/垂迹仏、本門仏/迹門仏、下種仏/脱益仏、最近の誤用では本物仏/偽物仏といった意味にまで拡散しています。
そのなかで脱仏とは、下種仏の相対語でしょうから、本来、これを本仏と対に論じるのは、おかしなことであると思えます。故に顕冥二益から論じる顕正居士さんのご指摘はまことにそのとおりであろうと存じます。
佐藤さんが「日興=無辺行の説そのものではなく、無辺行の後身を本仏とする発想」であるというご主張であったことは理解していました。
わたしが敢えて日興=無辺行を論ったのは、いまの学会を含む石山圏では、信徒会員が手にする頒布資料(御書全集という代物)から、この件が削除されているからです。つまり、議論を日亨氏の削除以前に戻すためです。
戻したうえで、無辺行・後身=本仏という論が本当に富士の所説にないかという構造を探ろうとしたためです。つまり、富士においては、日興を無辺行と言っていた、さらに日興を本仏としたかという2点に分けて、わたしは書いたつもりでした。前者については、かくのごとしですが、では、日興本仏という見解はどうか。結局のところ、顕正居士さんが仰るよう顕益という視点が本仏と見なすところまで転がっていないかどうかということでしょう。本尊相伝を見る限り、ここまで‘逸脱’していたと見るほかありません。近代でも石山の能化文書で「法主上人猊下は戒壇の大御本尊と不二の尊体」とやって、学会の突っ込みを受けました。これは当住が日蓮以上の存在であるというのではなく、日蓮である(代々の聖人悉く日蓮)という意です。
つまり、日興本仏という見解が、富士の所説にあったとすれば、それ派、この本尊相伝を基礎にしたものであることになります。日興が本仏になった段階で、日蓮が脱仏になるという意味ではなく、本仏=日蓮=日興=代々という等式に基づくものでしょう。ただし、本住顕益はもっと悪辣で、当住が一番といった類の論調と同じカリスマ信仰による信徒支配ということです。
つまり、佐藤さんが指摘されるように日興=無辺行=本仏という安直な視点は、もちろん、富士方には闡明ではない。しかし、執行師は、そんなことは、もちろん、言っていないという点も指摘しておかなければなりません。
543
:
れん
:2006/12/07(木) 13:57:00
佐藤さん、仰るところはよく理解できます。同じような質問は犀角さんからも、受けましたが、石山日時の四帖は現物に当たれないので、全て推測になりますが、聞書拾遺と雑雑聞書からの状況証拠からは、何れも“石山の先師の作”・“四帖”というキーワードからみれば、現時点に於いては石山日時の著作と推定できますから、四帖見聞(石山における名称)=四帖聖教(房山で使われた通称)と理解するほうが無難と思います。松岡氏は三大秘法義が日寛により公開されたと言いますが、私はそうは思って居りません。文段や六巻抄に引用の諸文献は殆ど条条事以外、他山成立の相伝書からの引用で、自山分の相伝書である本尊秘伝や三口一徹相伝・十二箇条法門・妙法蓮華経色心実相境智根源口決・鏡像円融本尊口決(何れも石山において日道以降おいおい成立したものでしょう)などからは一度も引用してないことをみれば、自山分のものは、唯授一人の秘密相伝として公開しなかったとみるのが至当で、これらは現在も一般に公開されてないですから、この不文律は石山でいまも守られているのでしょう。
544
:
れん
:2006/12/07(木) 20:45:12
>543
自己レスです。石山日寛が文段や六巻抄に引用しなかった自山成立分の相伝書のなかには当然石山日時作と推定される四帖も入るでしょうね。
545
:
佐藤
:2006/12/07(木) 20:50:08
独歩さん、れん氏さん、
丁寧なご回答、誠にありがとうございました。今、仕事が立て込んでいて、十分な返事が差し上げられません。後でまた、カキコさせていただきます。取り急ぎ御礼まで。
546
:
独学徒
:2006/12/09(土) 16:55:49
伝教大師全集全5巻がテキスト化され、以下のHPよりダウンロードできます。
http://www.biwa.ne.jp/~namu007/txt/txt.htm
なお、検索にはシェアソフト「秀丸」が必要です。
伝教大師全集の画像は、国立国会図書館のHPよりダウンロード可能です。
第1巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00001&KOMA=1&ITYPE=0
第2巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00002&KOMA=1&ITYPE=0
第3巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00003&KOMA=1&ITYPE=0
第4巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00004&KOMA=1&ITYPE=0
第5巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00005&KOMA=1&ITYPE=0
以上、テキスト・画像ともお薦めです。
※ただし、真偽に問題のある著作も含まれています。
547
:
犀角独歩
:2006/12/10(日) 19:31:55
独学徒さん、ご紹介、有り難うございました。
早速、参考にさせていただきました。
548
:
犀角独歩
:2006/12/20(水) 10:07:28
ブログを再開しました。
ご高覧いただければ、有り難く存じます。
犀の角のように独り歩め
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/
549
:
独学徒
:2006/12/21(木) 23:05:38
犀角独歩さん、「日蓮と梵字」(4)まで拝読させていただきました。
これはまたすごい発見ですね。
北林某のギャグめいた論はともかく、既存の認識に一石を投じる内容だと思います。
当方の知識及ばず、議論にはなりませんが、つづきが楽しみです。
550
:
れん
:2006/12/22(金) 10:00:04
犀角独歩さん、私も、犀角独歩さんのブログにおける、蓮師と梵字の関係についての御論考を興味深く閲覧させて戴いております。
蓮師と梵字の関連では、すでに独歩さんはご存じかもしれませんが、日蓮聖人真蹟集成第六巻に、同書同巻掲載の五輪九字秘釈のほかに「秘書要文」にメモ書き風に梵字が筆写されております。秘書要文には不動・愛染の梵字が筆写されてますが、形としては蓮師が文永八年十月九日書の題目に記された梵字に大同の感じです。
以上、ご参考迄。
551
:
犀角独歩
:2006/12/22(金) 12:30:52
独学徒さん、恐れ入ります。
れんさん、その梵字について、それが不動・愛染であることを明記してありましたか。
恥ずかしながら、真蹟集成が手元にありません。ご教示いただければ、有り難く存じます。
552
:
れん
:2006/12/22(金) 13:53:19
犀角独歩さん。
お尋ねの件ですが、確かに、「秘書要文」に書かれていました不動・愛染と思われる梵字の下には、不動、愛染と蓮師の御筆で記されていました。
断定は避けますが、蓮師御筆漫荼羅の左右に記された梵字につきましては「秘書要文」にしるされた梵字の形とそれに対する蓮師の書き入れから、現時点では、従来の所伝の如く、不動・愛染の可能性もあるかと思います。この点からは、日蓮門下において比較的早い時期に成立したとみられる本尊五大口伝・合掌口伝・本尊聞書・本尊相伝(石山でいう本尊三度相伝)の中の漫荼羅左右の梵字についての記述は一応、参考にしてよいかもしれません。
553
:
犀角独歩
:2006/12/22(金) 14:01:09
れんさん、ご教示、まことに有り難うございます。
ご指摘の点、頷けました。追ってブログにおいて、訂正いたします。
学恩、深く感謝申し上げます。
555
:
犀角独歩
:2006/12/27(水) 17:01:21
手前味噌で恐縮ですが、島田裕巳師が『寺門興隆』の連載36 今にして創価学会とは何か『信じてきた本尊は偽物として知ったら信者は』に5頁に亘って、拙書をご紹介くださいました。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/jimonkoryu.html
556
:
再挑戦者
:2007/01/02(火) 22:23:10
、、誠に難儀でしょうか、、。
御開秘と言いくるめて、とんでもないマヤカシ=ニセ・ボロをまんまと拝ませた方側は一体どこの、どなた様でしたでしょう、?
某団体の経営優先の為、の独断としてはいけません、でしょう、? もし、良心=コンプライアンスの保持こそが現実に求められていますならば、。
長年に渡り「偽者を拝ませられた我々は、(知っただけでも感謝だが、)”涙が暇なし、心臓が高鳴る慟哭”に打ち震える毎日」、、でございますです、、!!!
本当に、悔しい限りです。 今は、誰か、どこの団体さまが御書に照らして、「、正しい信・行・学、、」を、、実践をしているのでしょうか、? 一番近いのは「北山様」でしょうか、? 愚考でした。
世も末、、のようです、。 大地震と津波と原発溶解(第二のチエルノブイリ事件)などの次期災害が心配になりました、、。
557
:
犀角独歩
:2007/01/02(火) 22:26:39
再挑戦者さん、本年もよろしく。
北山 ということはないでしょうね。
どこぞの団体が、というより、どのような形が、と考えたほうがよいのではないでしょうか。
558
:
再挑戦者
:2007/01/06(土) 21:43:31
、、>どのような形が、と考えたほうが良いのでは、、、、。
誠に、仰るとおりで御座います。
亥年の過去は1923年の関東大震災、1995年の阪神淡路震災が代表例です、。 一番の懸念は東海地震による御前崎の浜岡原発の被害(週間現代H18年四月の誌、)です。
稼動中の原発が地震で破壊されたなら、電気制御不可能になり炉心溶解まで一本道のようです、、。 その放射能は北西の西高東低の風により、伊豆〜神奈川〜東京〜千葉〜茨城、、などへ流入します、、。
正しく、第2のチエルノブイリの再現が予想されます、?? 心配ですが、。
559
:
パンナコッタ
:2007/01/13(土) 17:53:51
2〜3世紀に書かれた世界最古の大乗経典"賢劫経"が、バーミヤンで発見された との事ですね。
http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070113/bnk070113004.htm
『アフガニスタン・バーミヤン渓谷(バーミヤン州)の石窟寺院跡から1990年代に見つかったとされる仏教経典の写本の中に、
2〜3世紀に書写された賢劫経(けんごうきょう)と呼ばれる大乗仏教の経典のひとつがあることが、佛教大学(京都市)の松田和信教授(仏教学)の
調査で分かった。大乗仏教は中央アジアを経由し中国や日本などに伝わった仏教で、中国・新疆ウイグル自治区のホータン近くの
仏教遺跡からは5〜6世紀の写本が発見されているが、今回の写本はこれより約300年古く世界最古。大乗仏教の成立などを研究する貴重な資料という。
見つかった賢劫経の写本はヤシの葉に書かれた断片計約30点。大きいものは長さ約10センチ。現在は使われていないガンダーラ語で、
古代インドのカローシュティー文字を使って書かれていた。詳しい分析は行われていないものの、経典の後半部分などが残っているとみられる。
賢劫経は、6世紀ごろ西晋(中国)の僧によって漢訳されたとされ、漢訳は全8巻。「1つの時代には1人のブッダが現れ、計1000人のブッダが出現する」と説き、
六波羅蜜(ろくはらみつ)(仏教における6つの修行)についても詳しく説明している。見つかった賢劫経では六波羅蜜の文字が複数確認された。
カニシカ王を輩出し、北インドを中心に栄えたクシャーナ朝(1〜3世紀)は仏教を保護、ガンダーラでは仏教文化が開花した。バーミヤンでもこの時期、多くの寺院がつくられ、
今回、見つかった写本もこの時期に書写されたようだ。
しかし、インドではヒンズー教の普及などで仏教は廃れた。賢劫経を含め、どれぐらいの経典がどのように誕生し、当初の経典が何語で書かれていたのかなど、
大乗仏教成立を伝える資料はほとんどない。このため、見つかった写本は、初期の大乗仏教を考える貴重な資料で、仏教の伝播を研究する上でも重要とみられている。
賢劫経の断片は、ノルウェーの収集家が他の多数の経典の断片(1万点以上)とともに保管。1990年代にバーミヤン遺跡の石窟寺院跡から出土、ロンドンの市場で売りに出され、
この収集家が購入したという。
松田教授は「経典は日常的に読まれたり、写経されたりしていた。漢訳されている経典の中には原典がガンダーラ語ではないか、と想像していたものもあったが、
今回そのような例が初めて見つかった。成立当初からガンダーラ語で書かれた経典があった可能性があり、極めて重要な資料と思う」と話している』
以下略 (更新されてリンクが切れることがあります)
560
:
顕正居士
:2007/01/15(月) 12:38:40
このクシャン朝というのはインドの王朝ということになっていますが、今のインドとは版図が
全く違います。中央アジアの勢力がインド北部を占領して建てた王朝なのです。
大乗仏教は実はインドではなく、中央アジアと関係が深かったことが想像されます。
そしてその背景にあるのはゾロアスター教でしょう。キリスト教もゾロアスター教が土台に
なっています。ゾロアスター教は世界宗教の母胎といえます。
* ただし般若系の大乗仏教は伝説のように南インドと関係がある可能性があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E6%9C%9D
561
:
犀角独歩
:2007/01/15(月) 23:03:30
以前、以下のようなことを記したことがありました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50194744.html
562
:
犀角独歩
:2007/01/18(木) 20:06:12
とある方から、メールで教えていただきました。
わたしの鑑別を確認してくださったようです。
たぶん、まったく面識のない方で、独歩の会にも参加されたこともなく、さらにブログもお読みいただいてはないようですが、まず第一段階、わたしの主張を傍証してくれる形になっています。
価値[再]創造
http://blog.drecom.jp/renoir/
563
:
天蓋真鏡
:2007/01/21(日) 10:15:35
何方か、風水霊障等の家相を見られる能力者の方を御存じないでしょうか。
564
:
偶ロム偶ログ(別HN御免)
:2007/01/22(月) 13:02:06
>563
風水ならば鮑黎明(ほう れいめい)さん、日蓮にも造詣の深いかたです。
気学ならば平山喜道(ひらやま きどう)さん、ス神系の淨霊にも詳しいかたです。
お二方とも、信行学兼備、信頼できると思います。
KパとかF木といった人たちとはレベルがちがいます。
565
:
藤川一郎
:2007/01/22(月) 16:31:36
家相については、私の知人で
九門家相術の安藤昇氏(元安藤組組長)はなかなか研究されてます。
愚連隊時代から研究されていて、「事務所の家相を変えたら殴り込みが無くなった(笑)」
と言う逸話もあります。
566
:
天蓋真鏡
:2007/01/22(月) 22:53:57
偶ロム偶ログさん、藤川一郎さん、ありがとうございます。方々で「家の水周り」の相談にのって下さる方はいらっしゃいませんでしょうか。
567
:
偶ロム偶ログ(別HN御免)
:2007/01/23(火) 14:58:01
>566
とりあえず鮑黎明さんの書かれた本を読まれてはいかがでしょうか。
『風水宅相のすべて』主婦と生活社
『実用正統風水百科』PHP研究所
『風水で運を呼び込む大事典』東洋経済新報社
「家の水周り」とのことですが、厳密には居住されている人と、キッチン、洗面、風呂、トイレ、などの位置それぞれの鑑定をし、さらに全体を観るのが風水とか気学です。
一人暮らしと家族で暮らしている場合は鑑定結果や対処法も異なっています。
まず上記の本を読んで、ご自分で試されてはどうでしょう。
鮑黎明さんはHPがあったと思います。
568
:
犀角独歩
:2007/01/23(火) 19:22:53
明朝、アップしようとしましたが、いまいたしました。
「大石寺持仏堂本尊」、真光寺に伝わる板本尊は、<35><119>の二つの日興本尊を使ったパッチワークでした。大石寺六壺、品川妙光寺の板本尊も同一のものであれば、同じくということです。贋作です。
大石寺の日蓮のものとする所謂「本門戒壇の大御本尊」も贋作なら、日興のものとする大石寺持仏堂本尊も贋作でした。
これが大石寺の偽らざる実態であることを哀しく思います。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50867457.html
569
:
天蓋真鏡
:2007/01/24(水) 11:38:14
偶ロム偶ログさん、其れもそうですね。探してみます。ありがとうございます。
570
:
犀角独歩
:2007/02/08(木) 23:50:45
独学徒さんがご報告くださった文章に対して反論を記しました。
ご高覧のうえ、ご批正をお願い申し上げます。
『風塵舎/本門戒壇大御本尊に対する邪妄を破す』に反証する
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50883764.html
571
:
犀角独歩
:2007/02/08(木) 23:54:30
なお、以上のブログのアップについては、当人にもメールで通知しました。
572
:
犀角独歩
:2007/02/16(金) 09:13:58
「風塵舎/犀角独歩と称する妄乱を憐れむ」に反証する
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50891234.html
以上、アップしました。ご高覧ください。
573
:
偶ロム偶ログ(別HN御免)
:2007/02/16(金) 14:25:47
>572
読ませて頂きました。
つぶやきスレの2405では余計な心配をしてしまったようで、申し訳ありません、お恥ずかしい。
でも、ひとことだけ。
かの御仁は順序を間違えていますね。
独歩さんに難癖をつける前に、日蓮正宗宗務当局へ信徒として尋ねればいいこと。
そうすれば、きっと鮮明な写真を見せて「ご指導」してくれるか、もしかしたら板を直接間近で見せてくれて「ご教示」してくれるかも。
もし、そういったことをしないのであれば、それは日蓮正宗の怠慢、信徒教化を放棄したことになるでしょうね。無慈悲ってやつですか。
偶にはエンタテインメントとして、こういったこともあっていいとも思いますが、いずれにせよ、これ以上の再々は時間の無駄ですね。
お疲れさまでした。
574
:
犀角独歩
:2007/02/16(金) 15:13:27
偶ロム偶ログさん
ご高覧並びにご心配を賜り、有り難うございました。
深く御礼申し上げます。
575
:
ラキ
:2007/03/03(土) 08:08:23
寺院別の御本尊集を見つけました。
皆様ご存知かもしれませんが参考までに。
「日蓮聖人御本尊集」
http://www.lbis.jp/gohonzon/
576
:
犀角独歩
:2007/03/03(土) 16:52:41
昨日、藤川さんから、「ヨウカンからおしるこを作る」話を聞き、早速、やってみました。
実際のおしるこよりは、ずっとなめらかな仕上がりになりますが、これはこれでなかなか美味でした。
作り方。ヨウカンを適量の水に入れ、弱火で煮溶かす。
577
:
藤川一郎
:2007/03/05(月) 09:49:50
>>576
おいしかったですか?
これなら、極端に甘いものが嫌いな方でも、水の加減でおいしくなると思います。
しかし、1つだけ欠点は、食べ残しを冷やしておくと「羊羹に戻る?」事もあることです。
「羊羹をおしるこにしておいたのに、また形が歪な羊羹になった」
なんていうこともありますので御注意下さい(じゃんじゃん)。
578
:
パンナコッタ
:2007/03/05(月) 13:15:23
国会図書館の方は、みなさんご活用になっていると思いますが、
国文学研究資料館のデータベースも、非常に魅力的ですね。
http://www.nijl.ac.jp/
579
:
犀角独歩
:2007/03/05(月) 14:10:22
藤川さん
この葛湯とお汁粉を足して2で割ったような新食感は気に入りました。
鍋に遺したら固まったものも、水羊羹のようで美味でした。
580
:
犀角独歩
:2007/03/05(月) 14:10:45
以下、わたしの彫刻本尊鑑別を追検証してくださっているサイトです。
価値[再]創造
http://blog.drecom.jp/renoir/
板本尊に関する考察
http://blog.drecom.jp/renoir/archive/317
板本尊に関する再考察
http://blog.drecom.jp/renoir/archive/322
581
:
独学徒
:2007/03/05(月) 21:23:21
新刊書籍です。
当分、手元には届きませんが、間違いなくおススメの一書であることでしょう。
『必携 図形鑑別 / 大石寺所蔵二つの彫刻本尊の鑑別』
大石寺所蔵の、日蓮作という「本門戒壇の大御本尊」と、日蓮作という「持仏堂安置本尊」の、両彫刻の真偽を検証する決定版。
http://cart02.lolipop.jp/LA11156772/?mode=ITEM2&p_id=PR00101098357
今なら予約注文で、定価2500円のところを、1800円で購入可能です。
582
:
犀角独歩
:2007/03/06(火) 08:00:06
独学徒さん、恐縮です。
583
:
犀角独歩
:2007/03/06(火) 10:24:31
アロエさんが、さらに再検証してくれました。
http://blog.drecom.jp/renoir/archive/322
584
:
まさ
:2007/03/06(火) 14:46:32
こんにちわ
お尋ねしたいことがあります。
独歩さんの新刊は既に出版されている「必携/図解 大石寺彫刻本尊の鑑別」とは違いものでしょうか?
購入を考えておりまして、2冊とも買うべきか迷っています。
よろしくお願いいたします
585
:
犀角独歩
:2007/03/06(火) 18:21:12
まささん、はじめまして。
この2冊は、内容が違います。
特に違う点は二つあり、前書は相似形鑑別を基礎にしましたが、今回は実寸比較を基礎にしました。
また、前書では体制時事仏道安置本尊については触れていません。
どちらか1冊であれば、やはり、新刊ということになります。
586
:
まさ
:2007/03/06(火) 20:16:49
独歩さん はじめまして
お教えいただき有難うございます
さっそく予約注文し、勉強させていただきます。
587
:
顕正居士
:2007/03/07(水) 17:31:31
『価値[再]創造』を見ていたら、なんとも面白いことが書いてありました。
事実は小説よりも奇、ギャグよりもナンセンスなりですね。
敬子「トルストイのことか.まだまだ浅いね,この著者.ダメよ,こんな本読んだって」
里美「あの〜,これ池田大作さんが書いてるんだけど」
敬子「えっ.なんだ早く言ってよ.一部分のコピーだから,わからなかったわ.実を言うとね,
視点が似ているなあと思ったのよね.いやあ,ちゃんと読まなかったからわからなかったけど,
よく読むとすごいこと書いてあるわね.うん,すごい」
里美「うそよ.わたしが学会の本なんか読むわけないじゃない」
敬子「えっ.だまさないでよね.先生が書いているっていうから,すごいと思ったのに」
里美「所詮,あんたの理解なんか,そんなものっていうことよ.池田さんが書いているかどうかだけ.
中身はどうだっていいの」
http://blog.drecom.jp/renoir/category_2/
588
:
管理者
:2007/03/11(日) 18:22:30
独学徒さん
御参加の皆さん
最近、当掲示板の関連投稿が増えていますので、ご参加の皆様の便宜の為、「冨士教学研究会談議所」を当掲示板のヘッドリンクに設定しました。
589
:
独学徒
:2007/03/17(土) 12:18:15
管理人さん、ヘッドリンクの件確認しました。ありがとう御座います。
こちらの掲示板の議論を、画像をもって補完する場としてご活用いただければ幸です。
以前、「創価学会の功罪を考える」で紹介しました、「新・人間革命」の記事ですが、以下のHPにテキスト化されたものがありました。
既に聖教新聞を購読されていない方が多いと思いますので、ご紹介します。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2009/aho1-20.htm
今、ここに至って、「御本尊七箇相承」を引用した指導が登場するとは思いませんでした。
590
:
パンナコッタ
:2007/03/20(火) 20:25:07
法隆寺の極彩色な毘沙門・吉祥天両立像の復元模造の公開が始まったようですね。
http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070320/bnk070320002.htm
591
:
独学徒
:2007/03/21(水) 23:41:18
最近晩酌で飲んでます。
お酒弱いので、水割りですけど。
アルコール度50%のウイスキーです。強い人にはおススメです。
甘いウイスキーなので、悪酔いしないように注意です。
『富士山麓』
http://www.fujisanroku.jp/index.html
592
:
パンナコッタ
:2007/04/04(水) 11:03:14
今月の池上の霊宝殿では千部会に因んで、再びNo.102の公開が
されているようですね。 (年一回なのかな?)
593
:
みれい
:2007/04/18(水) 01:39:32
竜の口の法難について書かれているところはないですか?
また、小さい頃読んだ日蓮の生涯が書かれた絵本(日蓮正宗バージョン)が、
日蓮宗とどう違うのか気になっています。
幼い頃読んだその絵本が、御書の読み方にも関りそうです。
594
:
パンナコッタ
:2007/04/18(水) 12:31:51
みれいさん、初めまして。 とりあえず龍口寺さん辺りを手がかりに
http://www.ryukouji.com/engi/index.html
絵本の大元となる"日蓮聖人註画讃"を検索してみては、どうでしょうか。
Gohonzon Shu No.56に、解像度のよくないカラー版が付きましたが、
(本國寺のHPに画質の良いNo.51輪寶と、No.56鴛鴦が、掲載されています)
http://www.artmemory.co.jp/honkokuji/original/picture/005.html
写真の版によって、たて×よこ比が、ずいぶん違っていますね。
595
:
ラキ
:2007/04/18(水) 13:31:11
みれいさん、はじめまして。
日蓮宗のHPで「絵で読む日蓮聖人のご生涯」があります。
関係項目の御金言も掲載されているので、参考までに。
「絵で読む日蓮聖人のご生涯」(龍口法難)
http://www.genshu.gr.jp/Center/material/denkie/page13.htm
596
:
顕正居士
:2007/04/18(水) 14:42:51
龍ノ口の法難はこの辺が真相かとおもいます。ただし「日蓮百拝」は偽書です。
足立栗園著「赤裸にしたる日蓮大士」明39年・18「龍ノ口の法難」
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40049105&VOL_NUM=00000&KOMA=47&ITYPE=0
宗教の開祖の奇跡談は突然に作られるのではなく、存在した奇跡談を宗祖の伝記に組み込むと
いう形をとることが多いようです。
597
:
みれい
:2007/04/19(木) 10:55:52
みなさんはじめまして&こんにちは。
無学ゆえ知らないことだらけなので、いたって平坦な文章で書かせていただきます。
また、しばしばスレッドは拝見してますが、細かな流れは把握できていないかと思います。
失礼ありましたらなんなりとご指摘くださいますようお願いします。
●パンナコッタさん
>龍口寺さん
なんともそのまんまゆかりのあるお名前のお寺があるんですね。
ありがとうございます。
参考にさせていただきます。
●ラキさん
>日蓮宗のHPで「絵で読む日蓮聖人のご生涯」
>関係項目の御金言も掲載されている
関連の御金言があるのはとても助かります。
ありがとうございます。
●顕正居士さん
しばしば各所でおみかけしております。
>ただし「日蓮百拝」は偽書です。
了解です。
>宗教の開祖の奇跡談は突然に作られるのではなく、存在した奇跡談を宗祖の伝記に組み込むという形をとることが多いようです
この「奇跡体験」が日蓮聖人のカリスマ化や御利益信仰に結びついていくのだと思いまして。
伝記には事実の有無限らず黄金伝説が盛り込まれてゆくのは日蓮聖人に限らずあるでしょうし、奇跡の起こることやそれを信じること自体は否定はしませんけども、伝え方や扱いが宗派により違うだろうと気になっていたところです。
法難といっても、人災ではなくて自然現象を盛り込んでいるところがちょっとポイントかなと思いました。
598
:
顕正居士
:2007/04/21(土) 12:02:34
最近、発見した仏教サイトです。
空海が最澄にあてた「答叡山澄法師求理趣釈経書」、「大般若理趣分」(理趣経の玄奘訳)、
「維摩経」、「大智度論」(抜粋)などの解釈、現代語訳があります。
大乗仏教の基礎知識についてのたいへんよいサイトです。
つばめ堂通信
http://www.geocities.jp/tubamedou/index.htm
599
:
犀角独歩
:2007/05/06(日) 14:44:24
冨士教学研究会の独学徒さんの今回のブログもよかったですね。
ちょうど、マハーさんと遺骨、墓参といった議論をしているところでもあり、また、皆さんと冨士周辺を車で行ったことが思い出されました。
http://blog22.fc2.com/fujikyougaku/index.php?style2=pop-k17&index
600
:
独学徒
:2007/05/06(日) 21:06:32
執行海秀先生の論文が3本アップされているサイトを見つけました。
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/gyoshobunnko/gyoushoubunnko.html
大変興味深い内容で、お薦めです。
601
:
顕正居士
:2007/05/07(月) 17:15:54
>>600
『日蓮聖人の本尊観』で、始成の釈尊に即して久遠の釈尊(毘盧遮那仏)を認めるのが
「本迹一致」の立場であると述べられています。これは日蓮聖人の教学の分かりやすい
表現であると思いました。
一致派・勝劣派というのは思想の内容というよりは党派の名称であって、本迹についての
考え方は個々の学者で異なります。その上で一致派の人はその考えを「一致」と表現し、
勝劣派の人は「勝劣」と表現するともいえます。
勝劣ということを徹底しますと「二経論」、つまり法華経は異なる二つのお経の合本である、
「(南無)妙法蓮華経」と名は同じでもなかみは二つあることになる。「南無妙法蓮華経」では
なく、「本門八品所顕・上行所伝・本因下種の南無妙法蓮華経」と唱える宗派があります。
しかし通常は勝劣派でも法華経は一つのお経であると考えます。その意味では両派ともに
一致です。けれどもそれでは天台宗は「迹面本裏」、日蓮宗は「本面迹裏」というのはどう
なるのか。応身釈尊に即して報身毘盧遮那を認めるのは天台宗も同じなわけですから。
それが勝劣派のいろいろな考えが出て来る理由です。しかし始成の釈尊を単なる応身と
する真言宗の立場は日蓮聖人の教学ではあり得ないから、執行師のおっしゃる本迹一致は
当然な前提になります。堅樹日寛の宗学においても、その点が異なることはありません。
ただし日寛師の場合は久成の釈尊に因位と果位を認め、かつその因位の中で初住位では
なく名字即位に本仏を見、この本仏がそのまま日蓮聖人であるとするのであります。
602
:
顕正居士
:2007/05/07(月) 18:06:07
執行師は勝劣派の思想は真言宗と同じであると明言されていませんが、その含意が
出てきます。富士派の本仏思想については福重師、松本氏などが指摘しているように
日寛宗学が正確に祖述されず、他派の学者に誤解を与えている憾みがあります。
一致・勝劣は内容より党派の名であって、日寛宗学のいわゆる「文底唯本」の立場は
一致派では「本迹未分」というのであって、同様のなかみを反対に表現するに過ぎない
面が強いのです。唯本とか未分とか、一重立ち入った本迹論に入らざるを得ないのは
法華経そのものはともかく、天台宗によって解釈された本門の教義は十界無始の成仏
を示すから本仏毘盧遮那仏を単に果位に置くことには無理が生じます。チベット密教に
於ても金剛薩埵を元初仏とするように、完全な仏が宇宙より先にあったという有神論は
仏教になじまないところがあるからです。富士派の「因本果迹論」は変な考えでもない。
今日の思想をたとえていえば、「ビッグバン本、宇宙迹」などといえます。原因の中に
結果のすべてが内在するというのは自然科学の基本前提であり、経験に反しません。
603
:
独学徒
:2007/05/07(月) 21:38:23
正信会のホームページで、日興上人伝がはじまりました。
http://www.fujimon.or.jp/nikkoden/00_rensai.html
604
:
犀角独歩
:2007/05/07(月) 23:05:00
顕正居士さん
ひとつ、質問させてください。
仰るように日寛の考えがそうであったとして、では、その日寛の考えと日蓮の考えの差違はどうなりますか。同じでしょうか、違いますでしょうか。
605
:
犀角独歩
:2007/05/07(月) 23:07:59
独学徒さん、ご紹介、有り難うございます。
ちょっと、見ましたが、いきなり、遺誡置文を真偽考証もせず、真筆の如く扱っているのには、唖然としました。
日興のことになると、こんな冷静のない編集をするところに、この集団の問題を、常に感じるところです。
606
:
顕正居士
:2007/05/08(火) 00:18:54
>>604
日蓮は歴史上の人格である釈尊に即して本仏を仰ぐのに対して、弟子たちは日蓮(上行菩薩)
に即して本仏を信ずるという方向の相違があります。日蓮宗は一個の宗教ですから、そういう
形になります。ではその宗教の方面を一時おいて、哲学の方面だけを取り出して日蓮と弟子の
見解に相違はあるのか?
日蓮における歴史上の釈尊、ただし三蔵教のみを説かれた釈尊の意味ではなく、法華経を
説かれた法華神話上の釈尊ですが、この釈尊に即した本仏とは因位の仏なのか果位の仏
なのか?
報恩抄では果位の仏に見えるのですが、本尊抄では十界無始の成仏が示され、己心所具の
十界の聖衆であるとされる。したがって無始の古仏とは在纏位の法身、本覚心如来蔵のこと
になります。したがって日蓮の本仏観は最終的に理即の仏であるといえます。その己心の仏
を信じて菩提心を発したわが身が名字即位の仏、用に出た最初の仏であります。
日寛はこの名字即仏である宗祖を本仏と仰ぎ、わが身は理即におきます。方向の対象性が
宗教としての妙を発揮しますが、哲学の方面では日蓮の最終思想と異ならないと考えます。
大石寺派の本仏とは名字即位の仏ですから、宗祖自身の言明となんらの矛盾はありません。
607
:
犀角独歩
:2007/05/08(火) 05:31:36
顕正居士さん
日蓮の本仏観が名字即位であるということですが、『観心本尊抄』には、「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏也」といいます。日蓮の信仰は寿量仏信仰であり、この寿量仏を名字即凡夫即極の本仏とは見ていないのではないでしょうか。しかし、自分自身を名字の凡夫であると見ています。ここに信仰対象の釈尊と信仰者日蓮の相対する関係が想定されていませんか。
一方、日寛は名字示同凡夫である日蓮を上行の再誕と見なし、その上行は釈尊と一体であるといい本地自受用身・垂迹上行・再誕日蓮を下種本仏と見なします。ここで、信仰対象である本仏と行者日蓮が一体異名である見なすわけですから、日蓮の考えとは異なっていませんか。
また、なにより、日寛の信仰観は三大秘法の解釈において、本門本尊を人即法として、「弘安二年十月十二日本門戒壇之大御本尊」を法とし、本地自受用身・垂迹上行・再誕日蓮を下種本仏と一体不二の関係であるといいます。後世の創作である彫刻をもって本尊とすることを至極とします。このような態度が日蓮に見られるはずもありません。
日蓮自身は、自らを釈尊であるとはしていないのに対して、日寛は日蓮を釈尊と見なす、これを矛盾というか・どうかは別として、同一の考えであるとは言えないと思いますが、如何でしょうか。
608
:
顕正居士
:2007/05/08(火) 10:41:50
富士派に限らず、宗教としての日蓮宗は宗祖に即して本仏を仰ぐから、日蓮自身の信仰とは
方向が異なります。
日蓮における釈尊は果位の仏(教主釈尊)であり、この釈尊に即して無始古仏が存在する。
この仏は己心に存在するから、在纏位の法身である。「如来の法身は煩悩蔵を離れず、
如来蔵と名く」(勝鬘経)。だから理即の仏であります。
「法身はいろもなし、かたちもましまさず」(唯心鈔文意)であるから直ちに信仰の対象には
ならない。この法身を具象化するのに二つの方向があります。宇宙大の法身と己心集約の
法身です。(唯心鈔文意は他力教ですから、どちらの方向でもなく、真如法性より法蔵菩薩
が如来する)。天台宗は己心に集約するのが宗派の特徴です。
日蓮においては釈尊の教によって己心の本仏を信じ、菩提心を発す。すなわち理即仏を
信じることで名字即位に到達する。日寛においては久遠に菩提心を発した名字即位の釈尊
を信じることで理即成仏を果たす。理即、名字即の対称性に宗教としての妙が存在します。
そして久遠名字即位の釈尊とは歴史上の日蓮のことである。釈尊の過去が日蓮であり、
日蓮の未来が釈尊である、末法は在世に対して未来ではなく過去であり、実は久遠です。
「今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし」(寺泊御書)
は久遠と在世の中間、日蓮が初住位に到達した時と解釈できます。つまり日寛の時間反転
の思想も祖書自体に存在します。
なお日寛の本尊思想については寺運興隆の単なる方便であり、その方便が寺運に負の作用を
もたらすに至っても墨守しているのは師の責任には帰せられないと考えます。
609
:
独学徒
:2007/05/08(火) 22:27:33
誕生寺宝物館が復活しました。
http://www.tanjoh-ji.jp/houmotu.html
610
:
犀角独歩
:2007/05/09(水) 06:58:40
> 日寛の本尊思想については寺運興隆の単なる方便
『六巻鈔』に「自受用身は即ち是れ仏宝なり、無作本有の妙法は法宝なり、結要付嘱豈僧宝に非ずや。久遠元初は仏法の根本なり、故に根本を信ず…南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊」とまでいう本尊が方便ですか。
となれば、日寛のいう信心も、所詮、方便に過ぎないことになるでしょうね。
日寛は、顕正居士さんが仰るように、日蓮のこうしょうな教学を継承しながら、その信心は、単なる方便本尊という器物崇拝に落着させてしまった点を、しかし、看過できないと考えます。
611
:
顕正居士
:2007/05/09(水) 10:42:08
>>610
江戸時代の仏教は浄土真宗を除けば、皆どこの本尊には何の利益があるというもので、
宗学とは無関係に寺院が発明したものでした。今日では明治神仏判然の影響も及び、
仏教の利益信仰は衰退していますが。日蓮宗の最も有名な本尊は題経寺の板曼荼羅
で、日蓮自刻と称しており、偽作なことは明らかです。また数多くの御影がありますが、
いずれも日法の作ではありません。大石寺の板曼荼羅は日蓮自刻とも称さず、日法作
と公称もしていません。この板曼荼羅は戒壇の本尊と称するのですから、日蓮が生前に
奠定した証明が必要であり、作者は当然明らかであらねばならず、かつ戒壇論に合致
しなければなりません。この板曼荼羅が戒壇本尊であり、かつ一個の寺宝に宗義の一切
が帰着するというが如き、宗学と無縁な説を日寛師の知力をもって本気で主張するはず
がない。したがって寺運興隆の単なる方便であることは明らかであろうと考えるのです。
612
:
天蓋真鏡
:2007/05/09(水) 14:34:48
横レス失礼します。 鎌倉時代の日蓮の成仏得道と未来万年の皆成仏道を繋ぐ方法論の一つだから戒壇本尊と言う表現、器物に仮託する表現も止むを得ないと言うのですか?漫荼羅を修行の道具とするなら違和感を感じない訳では無いです。
613
:
犀角独歩
:2007/05/09(水) 18:39:14
『六巻鈔』が、信者一般に呈した書であるならばいざ知らず、石山の重鎮に密かに開示された性格すれば、そこで説かれる三大秘法を、開して六、合して一とする人即法本尊が方便であるとは到底思えないからです。
しかし、顕正居士さんが日寛の知性からみるとき、方便と見なしていたというほど、彫刻本尊崇拝は奇異に映じるコントラストは、もちろん、感じるところです。
614
:
きゃからばあ
:2007/06/24(日) 17:26:31
パソコン入力サービスのペンギンズクラブで特別企画があります。
「日蓮聖人真蹟集成」をお持ちの方はお勧めです。
http://www2.ocn.ne.jp/~penguins
615
:
天蓋真鏡
:2007/06/24(日) 21:57:58
所感:石山の教義の内奥応用は日本本尊流布の暁に開示すべき事とし、 彫刻本尊(漫荼羅)を本仏が降臨する為の器、人が金剛宝器戒を具現化して如来神通力を保つ為の法華経典の覚書と割り切り、予測的結果論もしくは理屈で人即法本尊と断言したのでは無いでしょうか。
616
:
犀角独歩
:2007/07/08(日) 10:19:46
島田裕巳師が『公明党VS.創価学会』を上梓されました。
実に秀逸な内容です。お薦めいたします。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51015242.html
617
:
犀角独歩
:2007/07/08(日) 22:21:14
こちらの掲示板の内容をそのまま受けて議論している掲示板があります。
なぜ、こちらに書かないのか不可思議ですが、見ると、こちらの常連さんともダブっているようなので、紹介しておきます。
富士川一郎の仏教掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/study/8513/
ただし、歯にくっついた肉、彫刻の真偽に関してはあまり興味のない掲示板とお見受けしました。
618
:
富士川一郎
:2007/07/09(月) 18:34:25
>>617
犀角独歩さんお久しぶりです。
私の掲示板に書き込んでおられたので、こちらでお答えします。
私の掲示板は、ほとんど管理人無視で進行しておりますが、こちらの掲示板を受けている部分は無いと思います。
元々、私の掲示板は希望者がスレッドを立てるように希望して、それにお答えして始まるものでして、今回も5月に「瑠璃堂さん」と言う方がスレッドを希望したので作成したものです。
そもそも「開眼云々」は、昨今では悪名高きある方(笑)が、法華講のある方と法論(?)をして、その映像がネットに配信されたため、多種多様な掲示板で盛んに議論されております。
一応、申しておきますが当掲示板では、他の掲示板の話を持ち込むのを禁止しておりますので、発見次第有無を言わさず警告をしております。
その位、慎重に対処しておりますので、もしも一致する部分があるのであれば、偶然の一致と思いますが、如何でしょうか?
619
:
犀角独歩
:2007/07/09(月) 18:39:28
富士川一郎さん
そうですか。では、了解しました。
それにしても、いつの間にか掲示板を初めていらしたんですね。
ビックリしました。
620
:
富士川一郎
:2007/07/09(月) 18:45:33
>>619
誤解からとはいえ、掲示板の宣伝にはなりました(笑)。
なお、見て頂ければお分かりのように、管理人本人がほとんど不在の掲示板となっております。
何しろ、仕事が大変でして。。。
621
:
富士川一郎
:2007/07/09(月) 19:05:58
せっかくですので、もう1つ宣伝です。
私がかって作っていた「玉体繁栄」「国史愚考」を閉鎖、整理し、両方を兼ね備えたブログを開始しました。
まだ2回しか書いてませんが、閲覧下さい。
日本国体のブログ
http://blog.livedoor.jp/fujikawa2057/
622
:
独学徒
:2007/07/15(日) 00:41:19
ご無沙汰しています。
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーが更新されました。
神保弁静編『日蓮聖人御真蹟』や、『梵文法華経』などがアップされており、大変に資料性の高いものがあります。
「日蓮聖人真蹟集成」を所持されていない方には、是非とも神保弁静編『日蓮聖人御真蹟』のダウンロードをお薦めいたします。
また『梵文法華経』も、ダウンロードお薦めです。
623
:
犀角独歩
:2007/08/05(日) 17:29:24
独学徒さんの『奥州訪問記①』を拝読しました。
http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-entry-49.html
続きが楽しみです。
624
:
碧い海
:2007/08/06(月) 19:31:44
私は福島県に住んでいます。日尊上人ゆかりの寺院は県内にたくさんあります。
霊山町の出身とも伝えられています。一円寺、仏眼寺、実成寺、満願寺、願成寺など訪問したことがあります。
日蓮本宗のお寺さんは、どこかなつかしい雰囲気がありますが、やはり正宗は違う感じがあります。
きっと御本尊をはじめ、たくさんの宝物が眠っているように思います。確か、どこのお寺さんだったか、
檀家さんが病気を治すために、日蓮上人のご本尊をちぎって、少しずつ食べてしまったと話してくれました。
ぜひ福島県のお寺さんめぐりをされて、いろいろなお話を聞かせてください。奥州訪問記を楽しみにしております。
625
:
独学徒
:2007/08/06(月) 21:57:20
犀角独歩さん、ご期待をおよせ戴き恐縮です。
碧い海さん、はじめまして。ブログのご高覧ありがとう御座います。
到底皆様のご期待にそえるものでは御座いませんが、恥を省みず投稿してまいりたいと思います。
今日は、飼っていた小鳥が亡くなってしまい、気の小さい私はしばらく落ち込みそうですので、奥州訪問記の最終回は、少しお時間をいただければと存じます。
必ず投稿しますので、どうぞよろしくお願いいたします。
626
:
犀角独歩
:2007/08/06(月) 22:01:22
独学徒さん
わたしは貧乏をしていて、旅行ままなりません。
そんな境遇ですから、お記しのところ、実に楽しく拝読しています。
写真付きというのが、特に臨場感を増し、嬉しく思います。
627
:
犀角独歩
:2007/08/07(火) 13:34:00
独学徒さんの『奥州訪問記②』を拝読し、掲載された写真を拝見すると「諸仏三佛眼寺」となっているのですね。
日興の系譜は一仏思想であると考えてきただけに、この山号が印象的でした。
http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/
番神堂の鈴も印象的ですが、ここには賽銭箱が写っていませんが、実際、その手のものはないのでしょうか。
628
:
独学徒
:2007/08/07(火) 18:44:50
犀角独歩さん、
渡利佛眼寺の番神堂ですが、現在は賽銭箱はなかったと思います。
本堂には賽銭箱がありましたので、私も賽銭を入れさせていただきました。
現在は番神堂は「開山堂」として、日興御影が中心にあって、天照・八幡は傍らにあります。
そもそも開山を日尊としている同寺の開山堂が、日興を中心におくことも不思議といえば不思議ですね。
本山要法寺の開山堂は、当然ですが日尊の御影を奉ります。
恐らく、天照・八幡を中心においた、番神堂時代は、鈴の下あたりに賽銭箱があったのではないでしょうか。
その方が自然な感じですね。
629
:
犀角独歩
:2007/08/07(火) 19:28:43
独学徒さん、有り難うございます。
楠山師から「日蓮宗ではお賽銭を集めてアジアに学校を建てたんだ」と聞いてから、以前の禁忌を卒業して賽銭を入れて、カランカランと鳴らしています。ある住職が「賽銭箱には鍵はかけないんですよ。だって、入っているお賽銭の額より、賽銭箱本体のほうがずっと高いですから。壊されるより盗まれるほうが安くつくんです」と笑っていました。
石山では賽銭箱がない替わりに、受付に封筒が置いてあって、それに「御供養」を入れて出すシステム。法華講に言わせると「最初から熨斗袋を用意して、ピン札を入れるのが礼儀」なんだと言われたものでした。
まだ講員をやっている頃、住職に「子供でも御供養できるように、硬貨を入れるような方法はないものですかね?」と提案したら、ものすごく嫌な顔をされたことがありました。まあ、お札のほうが好きなんでしょうね(笑)
それでも石山では御影堂に小袋に入れた米を投げ入れるのが、かつての参詣の習慣だったと聞いています。「散米」と言いましたか。こんな風習はよくて賽銭はダメというのは一貫性がない話だと思ったものです。
ここのところ、伝統仏教教団を含めて耳の痛いことばかり書いているのですが、日蓮宗の坊さん方は大らかで、ぜんぜん嫌な顔をしません。懐が深くていいですね。実は個人的には寺院仏閣の佇まいは大好きで、気になるところがあると、ちょっと、寄り道をしています。
そんなことからも、ブログ、楽しく拝読させていただいております。
お参りをされる寺院のお坊さん方の優しさも伝わる記述が、とても心温まります。
630
:
碧い海
:2007/08/16(木) 10:17:23
一円寺訪問記を読ませていただきました。本宗の寺院にはない、やはりなつかしい香りといいますか、雰囲気がありますね。
福島の土地柄もそうなんですよ。(笑い)きっと、日尊上人もそのようなことをお感じになられたのではないでしょうか。
もっと日尊上人について、詳しく知りたいところです。富士門徒としては、傑出した僧であることは間違いありません。
ぜひまた福島の地にいらしてください。本当に青い空と碧い海のあるところです。また、訪問記を期待しています。
631
:
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講
:2007/09/13(木) 19:07:04
富士派にも過去にさい銭箱はあったようだ。
明治の前後に不受不施派の影響を受けたようだ。
632
:
パンナコッタ
:2007/09/14(金) 14:46:13
大正大学のオープンカレッジは、なかなか興味深い講座が揃っていますね。
http://www.t-map.net/work/kozaitiran.html
633
:
犀角独歩
:2007/09/15(土) 10:15:15
今回、ブログで取り上げたのですが、電子仏典協会は必須だと思います。
電子仏典協会
http://www.cbeta.org/index.htm
脳波、脳内代謝物、そして、呼吸法。ネットを活用した学の薦め
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51067935.html
あと、先の合宿で、顕正会、浅井さん分析は、現時日本の宗教問題の資料となると思いますので、こちらでも紹介させていただきます。
『浅井会長の予言・妄言:宗教法人顕正会の特異な信仰構造』
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kenshokai/kenshokai_tokuisinko.html
第2回夏季合宿報告(2)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51065460.html
634
:
顕正居士
:2007/10/12(金) 07:27:18
ゴータマ・ブッダの人と思想
http://budda.exblog.jp/
最近は旧態依然、十年一日、護教色に溢れた仏教論、仏陀論ではない
清新な考察、批評が少数ながら現れて来ています。一押しのブログです。
635
:
パンナコッタ
:2007/10/14(日) 14:10:00
ご覧になった方も多いと思いますが、唐招提寺プロジェクト2010のドキュメンタリーを
ヒストリーチャンネルで、先月から集中放送しています。
http://www.historychannel.co.jp/cgi-bin/time_t/epg370_title_list.cgi?title_year_date=20071001&title_time=090000&year=2007&month=10
特に、#7 唐招提寺金堂復元・第一夜〜古代の木が創建の真実を語る〜 の、
年輪年代測定の技術には、大変驚かされます。
http://www.nabunken.go.jp/research/maibun01.html
樹皮のすぐ下の白太の部分から、木の伐採年を特定できるという事で
唐招提寺金堂の創建部材の伐採年は、西暦781年との事。(桓武帝即位の年)
636
:
いちりん
:2007/10/18(木) 17:28:26
明日、島田 裕巳氏の講演会があるようですね。
講演題目 : 「師」
平成19年10月19日(金)午後6時より (入場無料)
会場 : 東京大学仏教青年会会館ホール
http://www1.linkclub.or.jp/~bussei/koukai.htm
明日、出かけてみようかと思います。
637
:
犀角独歩
:2007/10/21(日) 18:33:26
以下の島田裕巳師の日記は、共感できると思いました。
http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/2007/10/1020_d571.html
638
:
犀角独歩
:2007/10/26(金) 17:07:41
S・ハッサン師の新刊がようやくと出ました。
推薦します。
『マインド・コントロールからの救出』
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51141939.html
639
:
犀角独歩
:2008/01/31(木) 18:06:54
なにやら面白い発展をしそうなブログを見つけました。
創価学会問題とその周辺
http://siawaseo.exblog.jp/
640
:
犀角独歩
:2008/02/02(土) 09:12:22
639に紹介したブログは、たぶん、現況、最高の創価学会分析となっていくと予想されます。まだ、触り程度ですが、目が離せません。あとから読み出すと、こちらの掲示板同様、浦島太郎状態になりかねませんので、ブックマークし、日々お読みになることをお薦めします。
641
:
顕正居士
:2008/07/04(金) 08:43:37
風人のメモ帳 「真実」と「伝承」分別の時代へ
http://home2.netpalace.jp/kaze/
創価学会の方のサイトです。今の会員の方の一つの考え方として参考になります。
642
:
顕正居士
:2008/07/06(日) 11:22:45
智応居士山川伝之助博士の次の二著が追加されています。
日蓮聖人と耶蘇 / 山川智応著,新潮社, 大正4. - (日蓮主義研究叢書 ; 第1編)
日蓮聖人と親鸞 / 山川智応著,新潮社, 大正5. - (日蓮主義研究叢書 ; 第6編)
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/
643
:
犀角独歩
:2008/08/20(水) 19:55:21
小池靖師著『セラピー文化の社会学』
秀作です。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51394989.html
644
:
犀角独歩
:2008/10/04(土) 18:33:17
問答名人さん、ほか皆さん
“モバイル版仏教再考”を作ってみました。
ご批正を頂戴できれば有り難く存じます。
HP
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/index.html
八幡抄改竄
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/hatimanshokaizan001.html
日興本尊偽造
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/nikkogishohonzon001.htm
戒壇本尊偽造
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/kaidanhonzongizo001.html
何故論じるのか
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/nazeronjiruka001.html
真偽を考える
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/kaidan_singi001.html
645
:
問答迷人
:2008/10/04(土) 20:13:27
犀角独歩さん
残念ながら、僕は携帯でのサイト閲覧を利用していませんので、その点については、コメントできません。
日興本尊偽造 これは酷いですね。大石寺の捏造体質、ここに極まれり、でしょうか。いずれにしても、戒壇本尊の偽造には先例が存在したという事ですね。
それにしても、独歩さんの、この業績は、後世まで語り継がれる事は疑問の余地が無いですね。素晴らしいの一語に尽きます。有難う御座いました。
それと、日顕上人の業績も、独歩さんの業績と共に語り継がれる事でしょう。何しろ、大石寺教学部長として、戒壇本尊が偽物である、と喝破した訳ですから、大変な眼力の持ち主なのだと思います。
646
:
犀角独歩
:2008/10/04(土) 21:33:35
問答名人さん
恐縮です。問答山に敬意を表しまして、以下、1ページを追加しました。
改めて、茲に御礼申し上げるものです。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/mob/shaji.html
647
:
問答迷人
:2008/10/05(日) 08:25:10
犀角独歩さん
>646
文字化けして、読めないようですが・・・
648
:
犀角独歩
:2008/10/05(日) 08:34:59
問答名人さん
失礼いたしました。
いま、調整してみましたが、どうでしょうか。
649
:
問答迷人
:2008/10/05(日) 08:57:40
犀角独歩さん
はい。文字化け、解決しました。
「先駆者」などと持ち上げられると困惑してしまいます。しかし、少しは独歩さんのお役に立てた面も有ったこと、嬉しいです。
大石寺の歴代にしても、そんなに悪気が有ってしたことではないのかも知れないとは思います。貧乏破れ寺を少しでも興隆させようと、いろんな道具立てを考えてこしらえたのでしょう。
戒壇板曼陀羅、お肉牙、両巻相承、宗祖お骨、日興本尊・・・
まだまだあるかもしれない、大石寺の、偽造、ウソの数々。これらを人寄せパンダとして使ったのだと思います。
そんな、田舎の破れ寺の、姑息な手段を、そのまま真に受けた創価学会歴代も、或いは被害者なのかもしれませんが、一番困惑したのは、大石寺歴代で事実を知っていた人達だと思います。日亨上人、そして、日顕上人。まぁ、日顕上人は事実をホッ被りしたまま、人寄せパンダをそのまま利用して、蓄財を果たしたのだから、余り同情はしたくは有りませんが・・・。
650
:
犀角独歩
:2008/10/05(日) 09:31:33
問答名人さん
仰る側面はあるのでしょうね。小学校を卒業して全寮制暮らし。閉ざされた情報と洗脳教育。免許が取れれば万々歳。それが、本尊も教義も、後世の創作。そんなことをあとから言われたら、悪口と思い、他者を攻撃するしかほかはないということになるのでしょう。
石山の反駁?文書を読んでみたのですが、教学に関してはもっともらしいとことを書いているのですが、奈辺に潜む他者蔑視と差別観。人間的な幼稚さを感じました。
21世紀にもなった現在、歯にくっついている肉が生きて成長しているなんて言うオカルトを本気で信じている大人達ですから、仕方がないのかも知れません。
年端もいかない坊さんを指導教師などと豚を木に登らせる仕組みを作ったのは石山にしても、そんな若者を下にも置かない扱いをして勘違いをさせた責任は、わたしどもにもあったのでしょうね。
こうした人々を通じて、日蓮聖人を見ては、日蓮聖人が気の毒ということになります。
わたしは現「日蓮正宗」と顕正会は「オカルトもの信仰」という迷信に惑わされている人々なのだと結論します。オカルトとは生きた肉、ものとは2枚の彫刻板(日蓮作・日興作を偽称する本尊)への信仰です。
ここ10年足らず、問答さんと議論をさせていただいて、すっきりとすべて答えが出ました。ここで議論されたことは、やがて、創価学会、顕正会を含む大石寺圏でも当たり前のように語られる日が、そう遠くなくやってくるでしょう。
石山の坊さん連中、最近、ずいぶんと還俗が増えているようですね。
「日蓮正宗」は終わった。けれど、日蓮聖人の魂は、まだ脈々と生き続けていくと思います。
651
:
そううそ
:2008/10/06(月) 19:42:52
> 風人のメモ帳 「真実」と「伝承」分別の時代へ
>
http://home2.netpalace.jp/kaze/
> 創価学会の方のサイトです。
閉鎖されてしまったみたいですね。
全部読んでいなかったので残念です。
653
:
しゅんかん
:2008/10/10(金) 19:27:02
本山定善寺のHPに於いて
日蓮正宗への帰一と題して以下が載っています。
http://www16.ocn.ne.jp/~jouzenji/index.html
「日蓮正宗帰一奉告法要」日向門中定善寺外六ヶ寺1
「日蓮正宗帰一奉告法要」日向門中定善寺外六ヶ寺2
が
654
:
犀角独歩
:2008/11/17(月) 00:15:56
一読者さんには改めて、ご紹介の御礼申し上げます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1039933512/2567
11月11日に刊行された『民族化する創価学会/ユダヤ人の来た道をたどる人々』のなかで、著者・島田裕巳師は、わたしの研究について、10ページを割いて詳述してくださいました。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032158321&Action_id=121&Sza_id=A0
これは『寺門興隆』'06.10.『今にして創価学会とは何か』の「信じてきた本尊が偽物と判ったら信者は」(P112)で既に紹介くださった内容を、やや書き直して載せてくださったものです。しかし、今回の発刊は講談社であることで、先の坊さん専門誌での掲載より、やや、間口が広がった観があります。
本日、著者である島田裕巳師に確認し、書籍も買い求めて、内容を確認させていただきました。ついでに、島田師を訪ね、しばし談笑しました。
それにしても、島田師の記述は、まったく正鵠を得たもので、わたしの研究内容を見事にダイジェストしてくださると共に、わたしの思いも、見事に表現してくださいました。
この場を借りて、深く御礼申し上げるものです。
貴書の紹介は、追ってブログに載せる所存です。
655
:
一読者
:2008/11/17(月) 22:53:49
私はもう当然、島田教授の書籍が犀角独歩さんがご存知のことと思いまして、書き込んだ次第です。このことで多くの方々が真実に目覚められ、私のようにいろいろな価値の呪縛から離れられたらいいなと思っております。今後もご研究がすすめられて、真実の扉が開かれますよう願っております。一般向けの書籍が田舎の店頭にも並ぶ日が待ち遠しい思いがします。駄文にて失礼いたします。
656
:
犀角独歩
:2008/11/18(火) 20:52:09
一読者さん
重ねて御礼申し上げます。
一昨日、島田先生とお会いしました。
先生は、当方の独歩の会にも講師をお願いしたこともあります。
最近、刊行物も多く、いちいち、贈呈をしたり、ことわったりも、骨が折れるのでしょう。
引用されることには何ら痛痒もありません。
わたしの書いたものなど、全国流通はなかなか難しいと思いますが、ともかく、多くの方が真実に目覚めてくれることを切望しております。
657
:
顕正居士
:2008/12/13(土) 06:24:02
2chの面白いスレッド
織田信長と羽柴秀吉が創価だって聞いたけど本当...2
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1186756957/l50
658
:
犀角独歩
:2009/01/15(木) 22:25:18
紹介させていただきます。
近刊『カルトからの脱会と回復のための手引き
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51485978.html
659
:
偶ロム偶ログ
:2009/01/30(金) 12:48:43
日蓮宗現代宗教研究所の所報 『現代宗教研究』の42号と別冊の『宗教法人の公益性を考える』が発刊されました。
所報はA5判603ページ、別冊はB5判78ページ。
今回の所報には、
小瀬修逹「調査報告 妙満寺伝承塚原三昧堂跡と日蓮正宗建立塚原跡碑の調査報告」
早坂鳳城「『六巻抄』の構造と問題点(五)「依義判文抄」を通して(その一)」
黒木報源「宮崎県の富士門流について」
などが掲載されています。
小瀬氏の調査報告は、犀角独歩さんの板漫荼羅研究にも言及されています。
別冊には
島薗進「宗教法人にとって公益性とは何か」
長谷川正浩「公益法人制度改革の現状と展望」
参考資料が収録されています。
島薗氏は創価学会と公明党の関係について問題ありと述べられています。
お勧めの2冊です。
660
:
犀角独歩
:2009/01/31(土) 20:22:36
偶ロム偶ログさんの紹介の中にも出てまいり、手前味噌で恐縮ですが。
気がつけば1月は3回も“天の配剤”
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51494644.html
661
:
パンナコッタ
:2009/02/06(金) 20:29:57
国宝 三井寺展が、七日からサントリー美術館で開催とのこと。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/09vol01/index.html
662
:
一読者
:2009/02/08(日) 11:49:27
犀角独歩さんの新しい書籍はいつごろになりますか。?これまでの書籍は再販はあるのでしょうか。私は親族すべてが学会のため、少しでも真実を知らせたいと思っております。大変お忙しいとは存知ますが、世にもっと問いてください。
663
:
いちりん
:2009/02/08(日) 17:54:56
戸田城聖氏の質問会、講義録の音声を聞くことができます。
ナマの話っぷりに接すことのできるのは、貴重です。
戸田さんは、あけすけておおらかで楽しい。
しかもびしっと要所は押さえていて、さすが。
http://www.voiceblog.jp/kid_ney/
664
:
幻論乙坊
:2009/02/08(日) 19:35:00
You Tubeで戸田城聖さんの葬儀の様子を拝見しました。
その中で、アナウンサーが「にちれんせいしゅう」と発している事に
当時は情報機能が幼かったのだな、と、思ったものでしたが。
戸田さん自身が「にちれんせいしゅう」と述べているではないですか!
当時、宗門も「にちれんせいしゅう」と口外していたのでしょうが、どうして
呼称変更したのでしょうかね?
こちらの掲示板で勉強させて戴くと、石山って結構変更する所がありますね。
665
:
宮本
:2009/02/08(日) 22:25:37
いちりんさんへ
今晩は。御紹介の戸田先生の肉声、たしか
レコード版で、保存されてたものが、原版で
古くからの学会員の御宅でしかないものかと思います。
しかし、よくあったな。
666
:
いちりん
:2009/02/08(日) 22:52:56
宮本さん
そうですねー。こうして公開されるってのは、とてもありがたいですね。
ただ、こういうサイトは、いつ閉鎖になるかわからないので、データはこまめに保存していこうと思います。
YouTubeやニコ動画でも、貴重な映像がたくさんありますけど、そのたびにこまめに保存しています。
近ごろは、YouTubeをiTuneのようなスタイルで管理するソフトがフリーであったりして、便利になりました。
667
:
いちりん
:2009/02/08(日) 23:09:22
昭和36年の池田大作氏の講演が聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=pKTHf4yRxxc
国立競技場で行われた男子部10万名結集の時のもようです。声だけですが。
これなどみると、さすが池田大作さん。すごいです。
創価学会をここまで発展させた原動力ということが分かります。
668
:
たけぞう
:2009/02/08(日) 23:33:19
私、戸田先生のレコード全集持ってます。
それで、LP用の蓄音機買いました。
669
:
宮本
:2009/02/09(月) 14:31:20
たけぞうさんへ
今日は。
このレコード、何故、貴重かと思いますと。
その内容が、信仰の基本的な部分が多い事なんです。
生活実感に近いので、
新入信者だと、非常に解かりやすい。
(入信暦が長い方には、既知の事が、多くものたりないと思いますが)
新入信者は、何が問題であるのか解からない場合が多いのです。
また、あることが、何故困難(例えば勤行)
であり、どうしたら改善の糸口とできるか
解からにからなのです。
670
:
宮本
:2009/02/09(月) 15:46:10
訂正です
誤>解からにからなのです。
正>解からないからなのです。(御存知だと思いますが)
671
:
顕正居士
:2009/02/14(土) 06:04:39
発見した謎の文章
別に内容は謎ではないのですが、無関係のサイトの中に唐突に日蓮教学の評論があった。
シンガポール留学というページの下半分です。
http://www.osjll.com/024.html
筆者は創価学会の方のようです。要点を非常に的確に把握しておられて、大変感心しました。
672
:
顕正居士
:2009/02/14(土) 19:22:56
謎の無名氏作日蓮教学評論ですが、ちょっとレイアウトが読みにくいのでコピーをアップしました。
http://www.geocities.jp/xianzhengjp/nazo.html
いろいろ実によくまとまっていると思うので、近いうちに適当なスレッドで批評してみたいとおもいます。
末尾に犀角独歩さんのことが書かれていますが、おそらくこの方は日蓮正宗(明治末年に大石日応師
によって開創された宗派)の偽史、偽本尊を取り除いた「正法」に読者を誘導して欲しかったという意味
なのでしょう。
673
:
犀角独歩
:2009/02/15(日) 00:41:37
拝見しました。うーん、なかなか、難しいところですね(笑)
674
:
マターリ
:2009/02/15(日) 16:21:57
謎の文章と、謎の無名氏作日蓮教学評論を、両方拝見しましたが、改行が
ほとんどなく、とても読みにくい文章でした。
自己満足していれば良く、人に読んでもらおう、という気持ちがないのか
な?と思いました。
675
:
顕正居士
:2009/02/25(水) 16:07:18
神秘体験の光と陰 〜オウム真理教における霊力の虚実〜
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/open/11/open11_4.htm
筆者の正木晃さんは「と」な方ではありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%9C%A8%E6%99%83
「すでに『密教の可能性』において、再三にわたり指摘したとおり、霊力の発見に関しては、
次の二点を認知する必要がある。
①霊力(超能力)は実在する。
②霊力は(超能力)は人格とは無関係に発現する。」
霊力実在論を公言する人はカルト商売関係以外では珍しい。
しかし幾らかは信じている方はけっこうおられるでしょうから
「表の世界」でももっと正面から論ずるべき事柄とおもいます。
676
:
顕正居士
:2009/02/27(金) 04:42:48
わたしは超能力の実在については懐疑的です。
「超心理学」というものがいちおう学問として研究されてはいます。
―「超能力の科学」の歴史と現状―
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/index.htm
しかしこの数十年、なんらかの進歩があったようには思えないからです。
けれども考えて見ますと、昔も今も日本の新宗教、新々宗教はほとんどが「霊能系」です。
創価学会とか親鸞会、こういうのはむしろ例外です。霊能イコール超能力ではなくても、
これらの宗教の現場で霊能といわれているものは何なのか。この辺の本格的批判的研究
というものを聞いたことがないなあと、そうおもいます。
677
:
顕正居士
:2009/03/05(木) 19:49:32
東京寺男日記
http://d.hatena.ne.jp/ajita/
日本テーラワーダ仏教協会事務局長佐藤哲朗氏のBlog。日本テーラワーダ仏教協会は
アルボムッレ・スマナサーラ師
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9
らを指導者として設立され、近年教勢を拡大している。それに伴って原理主義*、カルトの声も聞こえる
が、佐藤哲朗氏はインターネット普及期の有名仏教サイト
『大アジア思想活劇 〜仏教が結んだもうひとつの近代史〜』
http://homepage1.nifty.com/boddo/ajia/all/index.html
の筆者で、大乗仏教の知識も豊富であり、テーラワーダ原理主義という印象は感じられない。
*テーラワーダ、チベット仏教、中国・台湾仏教では伝統的な学問を僧侶・在家ともによく学んでいる。
そのかわり欧米・日本の近代仏教学に比較的無知であるという批判がある。
678
:
いちりん
:2009/04/05(日) 14:37:47
東大の理学部の公開講座です。
物理学賞の対象となった「対称性とその破れ」と化学賞の「緑色蛍光たんぱく質」、さらに数学分野で最高の栄誉であるフィールズ賞が贈られた「ポアンカレ予想」をテーマに、各分野で活躍する研究者がその概要と最先端の研究についてわかりやすく解説とありました。
テーマ
・宇宙誕生はじめの1秒間の謎 〜対称性とその破れ〜
・クラゲの光るタンパク質が生命の謎を解く
・ポアンカレ予想
4月26日(日) 14:00〜16:30
東京大学本郷キャンパス 安田講堂入
無料。事前申し込み不要。
定員700名(当日先着順)
http://www.s.u-tokyo.ac.jp/event/public-lecture15/
わたしには、難解すぎると思いますけど、出かけるつもり。
もしどなたかと出会いましたら、終了後、茶店でオフ会などいかがでしょうか。
679
:
れん
:2009/04/13(月) 18:35:41
私の推薦する文献
D・ボーム著 「全体性と内蔵秩序」(青土社刊)
量子力学の世界的権威の物理学者(故人)による著書です。
仏教とは直接は関係のない分野ですが、なかなか面白いのでオススメする次第です。
681
:
顕正居士
:2009/05/14(木) 03:14:14
「神はいない?」偉人たちの無神論的な50の格言
http://labaq.com/archives/50944400.html
22.「不条理なものを信じているものは悪事を犯す」 -ヴォルテール
25.「伝統というものは我々の精神安定剤となる。そして精神が安定すると退廃の道をたどる」
-クリシュナムルティ
34.「宗教があろうとなかろうと、善い人は善い行いを、悪い人は悪い行いをする。しかし宗教に
よって善い人も悪い行いをする」-ワインバーグ
36.「宗教のことを一般人は真実とみなしており、賢者は偽りとみなしており、支配者は便利と
みなしている」-ギボン
名言が精選してあります。
682
:
問答迷人
:2009/05/14(木) 12:30:19
顕正居士さん
ご紹介有難う御座いました。
偉人たちは、宗教の呪縛に苦しめられながら、それを見切った格言をこんなに残していたのですね。
日蓮正宗や創価学会の呪縛と、五十歩百歩という気がしました。
683
:
空即是進化
:2009/05/14(木) 21:01:42
理性で突き詰めれば、やはり無神論に至ってしまうのでしょうか。
無神論者に神の裁きを。 本当に見てみたい。 ついでにゴーストも。
酔っぱらいも信仰者も同類。しかし、酔っぱらいよりしらふの人間の方が幸せだとは
とても言えない。酒がほしい。
人生に疲れ自ら死を願う人々に、我々はどんな言葉を投げかけられるのだろうか。
「神はいない。されど......... 。」 答えがほしい。
今日は少し酔ってます。
684
:
顕正居士
:2009/09/19(土) 05:51:12
無我の誤謬
http://www42.atwiki.jp/thenephospalybintios/pages/23.html
極度に短い要約ながら、批判は実に的を射ています。
685
:
顕正居士
:2009/09/28(月) 19:02:53
討論に際し、ともに語るにふさわしい者とそうでない者との弁別を先に行なう必要がある
との『アングッタラ・ニカーヤ』の教え。
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/mahavagga.html
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