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創価学会法華講正信会顕正会妙観講等はカルトっぽいか

772妙薬:2003/09/01(月) 09:38
ガンコさん
 
 誤解を招いたようですね。私が言いたいのは、顕正会本部(他の教団も同じ)として当面、「ネット対策は考えないと思う」ということです。
 富士門系の各団体にとって、会員&信徒による折伏活動は布教上の生命線ですが、ある規模以上の団体組織になると、広報戦略も重要になります。金さえあれば主体的に行える広告活動とは異なり、団体イメージを飛躍的に高めるための広報戦略にはどこの教団も智慧を絞って取り組んでいるはずです。
 そうした中で、ネット(対策)をどう考えているのか? 現時点では一方的にPR情報を送りつけられるHP形式は活用しても、この掲示板のような(教団側にとって)ある種リスキーな存在に対しては、関わりを避けるのは当然の判断でしょう。
 「克服は不可能」と言ったのは、顕正会本部は「君子危うきに近づかず」というスタンスを取りつづけると考えるからです。当然だとも思います。
 だって、このネットに関わっている人達の凄い情報量や教学力、分析力を考えると、おお、こわっ。

773ガンコ:2003/09/01(月) 12:05
妙薬さん

>誤解を招いたようですね。

どうも、失礼しました。読解力のなさを露呈してしまいました。
だいたい、おっしゃるとおりだと思います。

>おお、こわっ。

まったく同感であります。

774疑問:2003/09/01(月) 12:44
皆様、はじめまして。顕正会員です。
御遺命とは、広宣流布の暁に、本門寺の戒壇を建立すると言うことですか?
そして、その戒壇とは「一期弘法付属書」の『国主此の法を立てらるれば』、「三大秘法抄」
『勅宣並びに御教書を申し下して』建立されるものですよね?
つまり、国家意志の表明で立つ戒壇でよろしいでしょうか?
「国立」とは、表現が御書に無いだけで、意義においては国家護持の戒壇ですよね?

775疑問:2003/09/01(月) 12:50
もうひとつ。
もし、浅井先生が間違っているなら、「師は針の如し弟子は糸の如し」で、会員も背いている訳ですよね?
それでも、数々の体験発表に「癌が消えた」「成仏の相で亡くなった」と功徳に満ち溢れているのは何故ですか?
私の隊でも、皆さん功徳の体験は溢れんばかりあります。(私も含めて)
しかし、顕正会が大聖人の教義からずれている説が盛んです。
「国立戒壇」が正しいからでしょうか?
罰もあり、私も体験します。
この現証は、正しく、日蓮大聖人の御意に適っている証とおもうのですが・・・

776モトミナ:2003/09/01(月) 13:07
疑問さん
元顕正会員のモトミナと申します。
まず以前の数多のレスをよく読むことをお勧めします。
その上で「三大秘法抄」及び二箇相承書の真作証明をすべきだと思います。
また功徳や罰は証明不可能の代物です。
個人主観が大いに左右されるので、これを以て正邪を判別することなど不可能です。
顕正会で行われる体験発表の”その後”にこそ真実は隠されているのですが、”その後”を機関紙で掲載することもないでしょうから、会員は素直に会は功徳に満ち溢れている、と勘違いしているわけです。
癌が消滅する事と顕正会で信仰する事の因果関係はどうやって提示できるのでしょうか?
成仏の相で亡くなった、というのはどのような鑑識結果に基づくものでしょうか?
何も癌が消滅したのは顕正会員だけではありませんよ?
世界中にこういった事例は無数に上ります。
他宗派の方でこういった経験をされた方についてはどのようにお考えでしょうか?
個人体験を以て信仰の正当性を訴えるのは非常にナンセンス、いやもっといえば危険であると思われます。

777疑問:2003/09/01(月) 13:51
成仏の相は、実際に拝見しました。会員幹部の葬儀3日前から回向しました。
すると、お題目唱えるほどに、相が変化するのがわかり、通夜では、生きているみたいでした。
普通の人が、穏やかで白くなくなった話もありますが、明らかにそれとは違い、御金言そのものでした。
あと、御遺命戒壇についてもレスお願いします。

778疑問:2003/09/01(月) 14:26
追加です。
では、法華講で、まじめな信心を貫けば、よき臨終(成仏)になれますか?

779モトミナ:2003/09/01(月) 14:47
>普通の人が、穏やかで白くなくなった話もありますが、明らかにそれとは違い
「それとは違う」とは個人の主観以外で判別されたのだろうと思われますが、どのように違ったのでしょうか?

>法華講で、まじめな信心を貫けば、よき臨終(成仏)になれますか?
私は法華講員ではありませんので、これについては回答できませんが、多くの法華講の方がやはり体験発表等で臨終についてたくさん述べられていますね。
そもそも今の私にはよく理解できないのですが、相が柔和になり色白く体が軽くなるとどうしてそれが成仏という証拠になるのでしょうか?
そもそもこれ等は金言に則った表現なのでしょうけれども、白いと成仏、黒いと堕獄という証拠はどこにあるのでしょうか?
お教え願えますでしょうか。

780疑問:2003/09/01(月) 14:59
>>779
ただ、千日尼御返事にあるからです。
大聖人が、古来からの文証により、一点の曇りなしと。

781疑問:2003/09/01(月) 16:17
>>774-778
について、他の方のご意見もお聞かせ下さい。

782モトミナ:2003/09/01(月) 16:26
疑問さん
他の方の意見を聞かれるのもよろしいかと思われますが、ご自身の都合よく回答できる質問のみ回答なされて、他には回答くださらないのでしょうか。

・三大秘法抄及び二箇相承書についての真偽
・功徳や罰の理論的証明(因果等)をどうやってされるのでしょうか。
・他宗派における顕正会と同じような現証についての見解
・柔和な相が成仏、不成仏に関係している事実上の証明

お願いいたします。

783モトミナ:2003/09/01(月) 16:28
追記
・柔和な相が成仏、不成仏に関係している事実上の証明
日蓮信仰をしていない者への解説、というつもりでお願いいたします。

784疑問:2003/09/01(月) 19:25
モトミナさん
正直申しまして、回答不能です。判らないのです。ご存知とは思いますが、顕正会においては、「不思議」で片付けてしまい、疑う余地を与えられません。
そこで、私は、疑問に感じ、レスしたわけです。「現証」しか証明する術がないのです。申し訳ございません。
>・三大秘法抄及び二箇相承書についての真偽
知りません。「信」しか教えられていません。
>・功徳や罰の理論的証明(因果等)をどうやってされるのでしょうか。
これは、信心の状態(感激や、行体)と照らし合わせ判断しています。会員はそれぞれ自分の基準で計っていると思います。
>・他宗派における顕正会と同じような現証についての見解
一時的な現証では判断できません。結果が幸福になって「よかった」となっているか、成仏するかで本物か判断するしかありません。
>・柔和な相が成仏、不成仏に関係している事実上の証明
大聖人さまの御金言を信じるのみです。

以上、勉強不足で申し訳ありません。
モトミナさんも元顕正会員であれば、理論はほとんど学ばず、ただ信じろと指導されてきたでしょう。
詮索するのは、「魔だ」「疑ってるのか!」「怨嫉は功徳をなくす」と指導されます。
(この点、創価学会と変わりないと思いますが・・・)

785愚鈍凡夫:2003/09/01(月) 20:47
横レス失礼します。
疑問さん始めまして。愚鈍凡夫です。
本論とは関係ありませんが念のために、
疑問さんが示されているのは、以下の文証だと思うのですが、

「人は臨終の時、地獄に墮つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、軟かなる事兜羅綿の如し。」(「昭和新定御書」より)

この文証は、『千日尼御返事』の文証ではありません。弘安元年閏十月十九日の『千日尼御前御返事』の文証です。悪しからず。

786犀角独歩:2003/09/01(月) 21:20

しかし、人間が死んだあとに体が柔らかくなれば、成仏だなどいうことが未だに言われていることはほとんど笑止千万です。また、顕正会員というのは百人が百人、同じ葬儀の話をまるで自分が見たように語るというのは一体どういうことでしょうか。上述の疑問さんが本当にそのような葬儀を見たかどうかは知りませんが、わたしは過去、創価学会、法華講、日蓮宗、妙観講、曹洞宗、浄土真宗、念仏宗、キリスト教、その他諸々の葬儀に参列してきましたが、いわゆる日蓮系で言う成仏の相と同じような安らかな、そして、色白く、体も柔らかな遺体を数限りなく拝見してきました。まったく、宗派、故人の生前の信仰と死後の姿に相関性はありませんでした。

以下はかつて紹介した記事です。葬儀社勤務の方の実録からの記述です。
1件2件、あるいは数十件などという少ない体験から語られるものではありません。
これが現実です。


*** 過去ログ『つぶやきスレッド』から転載 ***

159 名前: 独歩 投稿日: 2002/01/04(金) 01:47

…『納棺夫日記』(文春文庫)という本をご存知ですか。著者は青木新門先生。何度かメールのやり取りもしたことがあるのです。この方も葬儀社に勤務され、その経験から記されたのが、この書でした。

このなかに、こんな一節があります。

ある家で納棺した時のことだった。
始めようとしたら、そこに集まっていた全員でお題目を唱え始めた。
その死体はひどく硬直していた。特に腕の硬直がひどく、私はかけ蒲団の下で、腕の硬直を和らげるのに悪戦苦闘していた。指を曲げたり、腕の関節を曲げたり伸ばしたりしながら、やっとの思いで動くようにして、仏衣の袖に手を通そうとした時だった。
「あれ、見てみなされ、あんなに硬直していたのに、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と一人が叫んだ。するとお題目が一斉に止んで、
「ほんとだ、ほんとだ、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と言いながら全員が、私の手元を覗き込むように見ていた。
私はあきれてしまった。
あの時ほど、宗教というものに不信感を抱いたことはなかった。あれは決してお題目を唱えたから柔らかくなったのではない。
宗教の熱心な信者は、往々にしてこうした事象を己の信じる宗教の功徳にしてしまう。(177頁)

毎日毎日、死者ばかりを見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。
それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。…死者の顔を気にしながら、死者と毎日接しているうちに、死者の顔のほとんどが安らかな顔をしているのに気づいた。
生きている間に、どのような悪や善を行なったか知らないが、そんなことはあまり関係がなさそうだ。信仰が篤いとか薄いとか、宗教が何派だとか、宗教そのものに関心があるとか無いとか、そんなことに関係なく、死者の顔が安らかな顔をしているように思えてならない。(72頁)

787犀角独歩:2003/09/01(月) 21:57

もう何度となく、記してきたことですが、『三大秘法抄』の真偽については、以下の秀逸な研究を

『三大秘法抄の真偽』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ssk_sandaihiho_001.html

なお、三大秘法抄は富士戒壇論とは関係ありません。
富士戒壇論は興師が創案され、その後、富士門で定着した考えであることは既に考証した来たとおりです。

「富士山に本門事戒壇」「戒壇院」「戒壇堂」「本堂」というのは、みな同じものと見做すことはあまりにも短絡的な考え方です。

また、「戒壇之本尊」という場合、漫荼羅に「本尊」の文字が見られるのはいわゆる万年救護本尊に限ります。富士の所伝ではこの「本尊」は弘安二年に興師に相伝されたとされます。なお、石山の板漫荼羅、弥四郎国重が本門戒壇の願主として板に掘って造立したことを銘記されるばかりで、これが戒壇堂安置の本尊である証拠はありません。亨師調査の興師の本尊脇書を具に見ればわかるとおり、「本門寺に懸け奉るべし」という本尊は複数存在します。また、重須文献、あるいは道師『御伝土代』でも明確なとおり、興師が重要視した弘安二年漫荼羅は「二千二百三十余年」と記されたものでした。が、これは興師在世に盗難に遭い紛失してしまいました。

以上のような点は過去2年間、こちらの場を借りて、問答名人さんとはっきりとさせてきたことですが、相変わらず、戸田さんの考えをパクッた浅井さんの言を顕正会オリジナルのように思い込む新参の顕正会員があとを絶たないことを残念に思います。

人に教え込まれたことを裏も取らず、自分の言葉のように語ることを恥ずかしいと思うべきであるとわたしは常々申し上げてきたのです。

どうも、ここには投稿を控えようと思っているのに、2年前の何等変わらない議論が繰り返され、放置できないと思う昨今です。まあ、控えようとは思います。

788モトミナ:2003/09/01(月) 22:14
疑問さん
必ず回答に窮する事を理解していながら敢えてお聞きしました。
これに対して誠意ある回答を頂き感謝致します。
しかしながらなぜ、敢えて回答できない事をお聞きしたのかと言えば、つまりそれが顕正会理論の極点・結論・臨界点であると知って頂きたかったからです。
顕正会員はまずこういった事を考える事すら「己心の魔」と指導されて、考える余地すら信仰の邪魔として排除させられています。
既に会員は心をコントロールされてしまっているんです。
こういった考え方をまずニュートラルにしてみないと、疑問さんが解明したいような事柄の真実は見えないと思います。
独歩さんのサイトでしたか、”絶対が限界と考えてみること”という内容を読ませて頂いた時に、ハッとしたものです。
「顕正会は絶対」「浅井会長は絶対」といった考えを一旦放棄して、これらには全て限界があるのだとまず立てた時に、初めて今までの矛盾が一瞬にして氷解した事を思い出しました。
こんな事、活動時期には考えすらしなかった事ですが、「絶対」である故に矛盾があってはならず、その結果自己の心の中に会や信仰に矛盾を感じた時には、解決できるだけの何らかの魔法をかけてしまっていたのだと思います。
この魔法こそが「信」だと思うのです。
私はかつて様々な方より日蓮正宗系信仰ほど理路整然とし、いかなる信仰者、いかなる宗教観すらも破する事ができる、唯一絶対の仏法である、と教わってきました。
しかし結論は最後は必ず「信じよう」「信こそが全て」だったわけです。
「日蓮仏法ほど深く正しい教義はない」としながら結局は「信」で全てを解決しようとするわけです。
そして信じられないのであれば「魔」「罪障を積む」と。

だからもしいずれかの会が「理論」ではなく「信」を最優先させて会員の心をコントロールする組織であれば、これは最も信用してはならない組織の一つである、とすら今は思うのです。
「信じろ」「信じられないのか」「疑問に考える事すら罪」という言葉は「絶対」の前では最強のコントロールでしょう。
この「信」というスタンスを一度外してみて、一方的ではなく冷静に物事を判断してみる、第三者的物事の見方をしてみた時、意外と馬鹿馬鹿しい位に自分の心がコントロールされていた事に気づいてしまうことが多々あります。
疑問を感じるのであれば、そういったスタンスに一度立たれてみてはいかがでしょうか?

789疑問:2003/09/01(月) 22:42
モトミナ さん、犀角独歩 さん、ご丁寧にご意見有難うございます。
今の私は、櫻川さんと似たような心理状況です。
ただ、もしこの仏法が空論ならば、何を信じたらよいのか。
今まで、戒壇の大御本尊を信じ、ただ成仏を願い、国立戒壇に青春をぶつけてきたのは何だったのだろう?
幸・不幸はいかに解決するのだろう?
幸・不幸の因果は、法則ではないのか・・・
ならば、すき放題に生きて、死んだ方がいいのか?
非常に悩みます。
どこか正しい宗教はないのだろうか・・・・

790Jルーカス:2003/09/01(月) 22:53
独歩さんやみなさん
博学そうですから、知ってたら御教示下さい。
死体を修正する仕事があるそうです。
実は昔、そのサイトを見つけたのですが、全く忘却しました(笑)。

たとえば、死相が身内が見るに忍びない程悪かった場合、また硬直が激しかったりする場合死体をマッサージして、柔らかくする技術だそうです。
アメリカでは、ライセンス性になっているんだそうです。
その知識を知ってる方、是非御教示下さい。

そして、その昔、旧顕正寺と提携していた葬儀社は、その技術者を雇って・・・。
と言う話を元顕正会員から聞きました。

791愚鈍凡夫:2003/09/01(月) 23:08
戸田さんの主張を浅井さんがパクった件に関して。

1916
 『牧口常三郎は、1916(大正5)年ごろ、田中智学の講演会に何度か出席している。』(1998年『仏教と出会った日本』P186) (※注1)

1924/08/25
 平楽寺書店、里見岸雄著『法華経の研究』発行。
 P101に『日蓮上人においては、本尊は………価値創造である。』
 P570に『かの曼茶羅は……価値創造』
 等とあり、日蓮の信仰が価値創造、絶対的価値の発現であることが縷々論じられている。
 牧口、戸田が田中智学の三男が書いたこの本を読んだ可能性は高い。
 大正年間の国柱会の出版物や機関誌『毒鼓』などを見ると、生命哲学、価値論、夏季講習会、科学と宗教、政治と宗教、王仏冥合、国立戒壇などの言葉であふれている。 (※注2)

これらのことが事実であれば、元学会員として一抹の寂しさを感じます。

戒壇論パクリの系譜
日蓮正宗→田中智学→牧口常三郎・戸田城聖→浅井甚兵衛・昭衞

※注1
http://snow.prohosting.com/foggyday/1916/1916_01_00.html
※注2
http://snow.prohosting.com/foggyday/1924/1924_01_21.html

792犀角独歩:2003/09/02(火) 00:35

本日、少し酔いどれ
古巣に帰った気持ちで、もう少しだけ書かせてください。

Jルーカスさん:

> 死体を修正する仕事がある…

この件に関してはわたしは少しうるさいのですよ。
大正大学のMHさんというこの手の権威がいるのです。
この人と文筆の仕事をご一緒したことがあります。
西欧では火葬はしません。遺体をエバーミング(という呼称であったと思いますが)処理をします。これは永久に腐らず、死後の状態をそのまま保つ技術です。防腐剤その他を大量に注入し、まるで蝋人形のように現状を保つのです。

仰るとおり、表情その他も修正します。なにより、わたしが衝撃を受けたのは、ベトナム戦争などで遺体の損壊が著しいとき、この“修復作業”に従事する人が、いちばん苦労するのは“舌”を確保することであるという話でした。遺体にキスをするときに舌を差し入れて、遺体の舌に触れないことが彼らにとって、もっとも悲しいことである、故に舌を確保することに最も気が遣われているとのことでした。極端な話、もし、爆撃などで頭部を損壊し、舌が失してしまった場合、何らかの方法で舌に“代わる”ものをその遺体に縫い込むことすら行うということを、これはMHさんの話とは別に苦労談として聴取したものでした。

しかし、同じようなことを、顕正会でも行っているとしたら、これは、やはり、驚きを禁じ得ません。

愚鈍凡夫さん:

この手の話、『近代日本の日蓮主義』の著者大谷栄一師も言っていました。
しかし、資料の確実なグリップに感心いたすものです。

モトミナさん:

わたしは、このような自己の経験反省から文章を記すことをもっとも尊重し、尊敬もします。大切なことです。

自分が(かつて)師と仰いだ人の言を鵜呑みに提示するのではなく、その言を自分で検証して実否を論じる姿勢、これこそがあるべき姿勢であるとわたしも思っています。

疑問さん:

> 幸・不幸の因果は、法則ではないのか・・・
> ならば、すき放題に生きて、死んだ方がいいのか?

これは短絡でしょう。因果がなければ悪いことをしても罰が当たらない、ならば、好き放題に生きてもよい、ではなく、悪いことをしても悪い結果にならなくても、正しく生きようとするとするところに襟度があります。

> どこか正しい宗教はないのだろうか

どこかにあるのではなく、自分で実現することでしょう。
善い行いを積み重ねても、その見返りを期待しない“ものもらい信仰”から脱却が、一切の信仰者に求められるところです。

793顕正居士:2003/09/02(火) 01:19
Jルーカスさん。はじめまして。

「エムバーミング(embalming)」は、古代のエジプト人にはじまる遺体保全術
で、近代ではアメリカで発達し普及しました。火葬など習俗の違いからわが国
では珍しかったのですが、この幾年かでこれを扱う葬儀会社が増えました。

日本の葬儀会社のサイト
http://www.sougi.com/a_sinokagaku/death/embalming.htm
エムバーミングの歴史
http://www.wyfda.org/basics_3.html

死に際して見る幻覚を「臨終の相」といい、読経などによって死に行く人を
落ち着かせることを「臨終の用心」といいます。死相の意味の「臨終の相」は
宗教によらず俗信があります。中国や日本の仏教では49日の「中有」を経て
あらたに六道に生まれると信じたから、これと死相で生処を占うのとは合致
しない所があります。日本の仏教では臨終の用心を無用とする傾向が強いよう
で、亡くなってから葬儀を行ないます。仏立宗や大石寺など日蓮宗の一部には
死相に関する俗信があるようです。小規模なカルトの中にもこれをアッピール
する教団があって、ビデオを見たことがあります。ある程度の割合で良い臨終
の相といわれる外観で亡くなる方が天然におられるのかも知れないが、調査の
仕様はない。独歩さんがお示しのように、お棺に入れるために遺体を軟らかく
する技術などは昔からあったはずです。

794アネモネ:2003/09/02(火) 03:07
成仏の相について少しレスさせて頂きたいと思います。
実際の入信のキッカケの理由として、けっこうこの成仏の相ということで、信心の確信を持った人は多いようですね。
実はこのことについて、医療従事者の方々などに質問をしてみたことがあります。
いわゆる肝機能など内臓疾患によって、皮膚の色が黒くなってしまうことが多いわけですが、また肝臓の病気でなくても、治療の為の投与によって肝臓が弱まり、次第に皮膚の色が黒くなってしまうことが多いわけです。
ところがしかし、そうした皮膚の色も、死後一定の時間が経てば、題目を唱えなくと元の皮膚色に戻っていくらしいのです。これは、医学的な根拠がしっかりあるものらしく、そのような科学的(医学的)根拠を知らない信仰者が大半ですから、たまたま死後施された自分たちの信仰的呪術によって、死相に奇跡が起きたと確信を持って思い込んでしまうわけでしょう。
疑問さんが示された文証は、医学や科学のほとんどない700年以上も前のものであるわけで、日蓮が用いたからといって、今日に通用するものだとはいえないでしょう。当時にとっては、それが最高水準だったかもしれませんが、しかし今日において死後の皮膚の色の違いやその変化については、そのほとんどが医学的に説明のつくものであると思われますし、ましてや私などは、成仏不成仏の区別の目安になるものではないと思っています。
言葉を変えれば、そのような医学の発達していない時代の迷信をそのまま信じこまされているといえるのではないでしょうか。
ちなみに、たとえば白い皮膚の人が成仏の相ならば、欧米の白人は生まれつき成仏しているということになるわけですね。しかし、彼らの大半はクリスチャンです。となると、文証は、まったく辻褄が合いませんね。
だいたい誰しも、成仏を自分自身が実体験していないにも関わらず、この人は成仏したこの人は成仏してないと、もっともらしく見極めたかのように語られること自体、実にいかがわしいということではないでしょうか。
それに、お釈迦様が成道されたのは三十五歳でしたでしょうか。そのとき仏と成られたお釈迦様は、成仏の相といわれるように色白だったのでしょうか。
これはどう考えてみても、地域的、民族的に、褐色か黄色だったのではないかと思われます。
そういった諸々のことを考えてみても、日蓮が用いた文証そのものがもはや現代的には通用しないわけで、それを無理矢理に通そうとするならば、拡大解釈として肌の色による不当な人種差別にも通じてしまうものではないかと思われます。
無理が通れば道理引っ込むとはまさにこのことです。

私は、個人的見解として記せば、どのような死に方であろうとも、またどのような死相であろうとも、そこに人の差別はないと思うところです。

795Jルーカス:2003/09/02(火) 09:38
皆様レスありがとうございます。
エバーミングと云うのですね。
実は、最近土曜ワイド劇場(火曜サスペンス劇場かも)で、その職業の方の話をやってましたね。

さて、私が日蓮正宗の今の寺院についたとき、最初に教わったのが下記のような事でした。

「成仏の相=成仏とは一概に考えてはいけない。死相が悪いからと云って一概に墜獄と断じてもいけない。一見思想が悪くても、成仏している場合もあり、それは佛様にしか分からないので勝手に判断するな。
今、過激な法華講では、極端な両極思想(成仏か墜獄)に走る傾向があるが、単純に考えても十界、大きく見れば百界、そして三千また無限の種類の死相がある。だから決して単純に見てはいけない。そもそも、熱原の法華講衆は首を斬られて亡くなっている。また日蓮正宗信徒でも時代によって、戦死した人や餓死した人の数は多い。歴史的に見れば、現代のような時代の方が珍しく、畳の上で死ぬのが希な時代の方が長かった。そういう先人冒涜につながるから、極端な考えは捨てなさい。」

796Jルーカス:2003/09/02(火) 09:40
>795
×「一見思想が悪くても、」
○「一見死相が悪くても、」

797モトミナ:2003/09/02(火) 10:14
Jルーカスさん
現代の日蓮正宗の言い分だと「千日尼御前御返事」の文を正宗信仰者の死にそのままスライドしてあてはめる事などできない、という弁明になるわけですね。
つまり正宗信仰をしていても相は定められたままにはならず、歴史から見ても多く金言から外れた臨終を遂げた者が多数いる、と。
臨終を以て信仰の正邪を判ずる事はできないということになりますが、では御書で断言した文は一体何なのだ、という疑問が出てくるのですが、これについてはどのように教わっているのでしょうか。

798Jルーカス:2003/09/02(火) 10:42
モトミナさん

> では御書で断言した文は一体何なのだ、という疑問が出てくるのですが、
> これについてはどのように教わっているのでしょうか。

もちろん、御金言は否定してませんよ。
御金言の通りになる場合もあるでしょう。
しかし、個人個人の過去世の罪障は僧俗全ての凡夫には分からない。
それが「墜獄の相なのか」「罪障消滅の相なのか」は分からない。
また逆に「成仏の相」なのか「魔の通力」なのかも分からない。
しかし、それも断言するのでは無く、可能性を論じるだけですね。
その辺は、顕正会さんのように「白か黒かはっきりしている」方が美しいんでしょうがね。

799犀角独歩:2003/09/02(火) 10:56

ご参考の便宜に、わたしが公開しようとしているのは以下の事件についてです。
ここでは匿名としましたがここまで伏せる必要はもちろんないでしょう。いちおう、こちらの掲示板保護のために『個人情報の公開について』の皆さんのご意見と管理人さんのご判断に基づき、細心にわたりました。

重要な点は、この事件が顕正会の一方的敗訴であり、また、その前提で、顕正会は虚偽の報道をしていた事実が白日のもとに曝されたということです。

一般社会から見るとき、宗教団体とその信者について、「何を信じているか」が重要なのではなくて、「何をしているのか」が重要なのです。以下のような違法行為を集団ぐるみで行うのであれば、その団体は違法団体と見做されるのは至極当然のことです。顕正会、ならびにその運営者、さらに信者会員の猛省を促すものです。

*** 以下、添付 ***

神奈川県警による顕正会藤沢事務所の家宅捜索等
 
1.神奈川県警藤沢署は、平成11年7月7日、同年7月3日に傷害容疑で逮捕した顕正会信者・TSの自宅(横浜市港区)及び顕正会藤沢事務所(藤沢市鵠沼)の家宅捜索を行った。
  顕正会は、平成11年8月5日付『顕正新聞』(第805号)紙上において、KA男子部長及び同事案に立ち会った藤沢事務所管理主任・KH、HBの主張を掲載した。
  同記事によると、7月3日の逮捕そのものが違法であり、本来加害者である「Y」の嘘の証言を鵜呑みにして被害者のTSが逮捕された。警察権力を動かしたのはDI(K党)であるなど決めつけている。また、藤沢署による家宅捜索についても違法捜索と位置づけたうえで、同捜索時に撮影した警察官の写真を掲載するとともに、H管理主任が私服警官から集団暴行を受けたとしている。
  これら一連の事件を受けて、同記事ではKHを原告として7月23日付けで横浜地検に対して特別公務員暴行陵虐罪で藤沢署警察官12人を告訴、この暴行傷害事件に対する国家賠償の請求訴訟、さらにTSに傷を負わせた「Y」を傷害罪で告訴したなど記載しているほか、「顕正会として藤沢署とその背後に潜む謀略の実態を白日のもとに晒すべく、今顧問弁護団が法的措置を検討中」としていると記載した。

2.顕正会は平成11年7月26日、横浜地検に訴状を提出。
 原告は宗教法人顕正会(代表・SA)及びKH、原告代理人は弁護士・HO、被告は神奈川県(神奈川県知事・岡崎 洋)となっている。

 その裁判結果は 主文 1.原告らの請求はいずれも棄却する。2.訴訟費用は原告らの負担とする。という判決であり 控訴はしていないので顕正会はすべてを認めた結果で終結した。

800犀角独歩:2003/09/02(火) 11:22

顕正居士さんの博識ぶりにはいつも驚かされますが、今回も実に参考になりました。有り難うございます。

また、アネモネさんのご意見、わたしは全面的に賛同します。


○顕正会員が語る「葬儀参列で見た成仏の相」について

さて、モトミナさんとJルーカスさんの議論とは別に記します。
わたしは現役顕正会員と話すたびに、この成仏相の話を聞かされるのですが、そのうち、大きな疑問を抱くようになりました。脱会顕正会員の方で、以下、わたしが記すことに思い当たり、事実を披瀝してくださる方があることを期待します。

昨年のことですが、入信わずか数カ月という現役会員と話したとき、「顕正会で亡くなった人は成仏の相をしているのです」と、いま話題になっているようなことを得々と語り出しました。相手の年齢はまだ20歳前、入信数カ月ですでに顕正会の葬儀に参列したなどということ事態、俄に信じられるものではないので、寧ろ、その点を尋ねたのです。しかし、相手は「自分は見た」の一点張りでした。このようなことはその前にも何度も経験してきたことでした。奇妙なことに、いちおうに語られる葬儀の様子、その故人の情報が場所を隔てて聴取しても、ほとんど同じなのです。この点に疑いを懐かざるを得なかったわけです。しかし、いくら、その点を質問しても、それぞれ「自分が見た」と言い張るわけです。

その実否を詳細に調査したわけではありませんが、類推するに、

・体験談で聞いた話、語り継がれた話を恰も自分で見てきたことのように語っている
・人の体験談を自分の体験談のように思い込んでいる

と映じたものでした。
これが錯覚、妄想、あるいは思い込みであるとすれば、一種の集団ヒステリー状態、あるいは集団催眠状態となり、自分が見ていないのだけれど、会で語られる体験談が事実に間違いないから「言い切ってしまっても問題ない」と完全な無責任心理に陥っているのだろうとも思えるわけです。「講談師、見てきたような嘘を言う」とは旧い譬えですが、しかし、このような伝播によって虚偽の感動が生み出され、信仰心が深められる点は、極めて不健全なことであり、引いては虚偽勧誘の可能性すら問題にしなければならないことになるでしょう。

蓮師の、成仏相の記述など、一般社会にとって、どうでもよいことと言えるかも知れません。しかし、自分が見ていないことを見たと言い、勧誘が行われているとすれば、それは違法性に抵触する重大問題である点は、けっして看過されてはならないと思うわけです。

801Jルーカス:2003/09/02(火) 11:36
> 799
確認させてください。

まず、この場合「横浜地検に刑事告発」「横浜地裁に民事訴訟」となると
思います。
「主文 1.原告らの請求はいずれも棄却する。
2.訴訟費用は原告らの負担とする。」は民事の方だと思われます。
この場合、控訴断念で、判決確定だと思います。

さて、刑事の方はどうなってますでしょうか。
恐らく「不起訴」又は「起訴猶予」でしょうが、もしそうなら、検察審査会に不服をだしているでしょうか。出さねばこちらも確定したことになりますが。

802Jルーカス:2003/09/02(火) 11:48
独歩さんの云われる、顕正会員が自分で見てないことを見たように云ってるのは事実だと思います。
実は元顕正会員の方の話では、顕正会では「臨終は大切な事なので、やたらと関係薄い方の葬式に行ってはいけない。臨終の妨げになる。」と克衛君が指導しているそうです。
つまり、他人の葬式に行ける機会が、一般人より極端に少ないんだそうです。

803モトミナ:2003/09/02(火) 12:00
Jルーカスさん 有難うございます。
つまり金言に云う内容とは、こういった場合もあるが、別の場合もある、という捉え方という事なんですね。
極論志向の顕正会的な見解を示すならば、「金言とはつまり断言、結論」という見方をするので、こういった捉え方を宗門がされている事に違和感を感じる会員が大勢いると思います。
また、極端すれば宗門側ではそういった見解も示している、という情報を会員側が知れば即「顕正会のみ大聖人の仰せのままの信仰を貫いている証拠。故に会員の臨終は明確であり、宗門側の臨終はこういった曖昧な表現せざるを得ない実情がある」と短絡的に判ずる事と思われます。
主観的感覚で事を判じる会員にとって臨終は白軽、以外は黒重という短絡思考であり、つまり金言のままでなければならないわけです。

独歩さん

藤沢の件については私も知るところですが、この事件の詳細経緯と当時身近だった者の証言からふと思ったことがあります。
それは会員の肯定的心理という問題です。
私の知っている会員達も多々社会的問題を起し、逮捕されたり、報道されたり、と様々な事柄があったのですが、彼等は一律思っている事は、現代社会と顕正会活動が全く相容れないものであるものと当然のように思っているわけです。
勧誘活動は社会的に認可される必要はなく、「ただ大聖人の頷きを頂ければ良い」という発想だけが彼等の行動原理であるわけです。
pundarikaで発言している内容に相当リンクする問題でもあるわけですが、そもそも「大聖人の頷きを頂けるか、頂けないか」などは日蓮師が現在いない以上、誰かがその判断を下しているだけの事でしかないわけです。
そしてその結果は証明不能の功徳として現れると。
そこに信仰責任として能・受(日蓮正宗的に云えば所)のうち特に信仰能側の責任は大であると言わざるを得ません。
かつて顕正会会長はこんな事を公の場で言いました。
「たとえ地球が壊れようとも日蓮大聖人への信仰を貫く、戒壇之大御本尊を絶対だと信じる。この者こそ仏果を遂げる」と。
また「『疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』のごとく我々凡夫は直に疑いの心を持ってしまう。このような信心では絶対に成仏は叶わない」と。
若干言葉の会長発言内容は正確性を欠きますが要旨は上記の如くで、こう会長が云う責任は途轍もなく重い発言です。
そしてこのモデル体こそ熱原法華講衆の斬首事件であり、この斬首事件を強弁することによって会員の心には熱原法華講衆に負けぬ社会的制裁を恐れない信仰心を芽生えさせているものと思われます。
そして会員の心の中には「広宣流布になれば、我々の行動は必ず正義になる」という、勝てば官軍のような発想が常駐しているわけなので、官軍になる日はすぐ近いと教えられている彼等に恐怖はないわけです。
こういった心理が反社会的行為にすら肯定的心理が作用されているようで、藤沢の事件に関しても関係者は一切の自己批判はなく「相手を救うための善意」と思い込み、それゆえ警察の介入は「K党関与」更に飛躍して「大六天の魔の所為」と身勝手に感じているわけです。
そして何よりも滑稽なのは、会本部自らがまた本当にそう思っている事実です。
顕正会に不利な発言、報道、顕正会自らの犯罪等は全て真剣に別団体の所業である、と思い込んでしまっており、彼等会本部の異常ぶりは内部精通者であればよくご存知であられると思われますが、私自身「本当にそう思っているのか」と呆れかえってしまった事柄が何件もあったものです。
こういった事態に至る会員心理を操作する会長及び会には大問題を感じるものです。
また受・所といった指導を受ける立場の者にも、また話を無責任に受け入れてしまう問題点も多々あると思われます。

804Jルーカス:2003/09/02(火) 14:15
モトミナさん
> 故に会員の臨終は明確であり、

そうでもない例があります。
死者を貶めるつもりは無いので、詳しくは書きませんが、浅井昭衛さんの実弟
浅井信衛さんのガンでの壮絶な死は、不幸でしたね。
彼は最後まで妙信講の幹部でした。
この状態を見て脱会した幹部はたくさんおります。
今では全く触れられておりませんが。

805モトミナ:2003/09/02(火) 14:40
Jルーカスさん
ああ、そうでしたね。
現在の顕正会員内では会長実弟の死については、”信仰不信の咎があった”として多くは語らず封印していますね。
また問われても、こういった悲壮な死については”信仰が甘かった”として「信心は表面では判らない」と結論しています。
会長長男がこう切り出すわけですから、人の生き方も死に様も最早彼等にとって都合でクルクル変貌してしまうわけです。
また多くの元幹部、妙信講以来の古参方の死というもの、幾度か直面する機会がありましたが、こういったケースは多々ありますね。

806正宗絶対:2003/09/02(火) 15:56
大石寺第二十六世日寛上人の臨終用心抄(富士宗学要宗・第三巻266〜267)には
一・臨終の相に依って後の生所を知る事。
一・他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
一・法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。
一・臨終に唱題する者は必ず成仏する事。
が明かされています。

807犀角独歩:2003/09/02(火) 17:55

> 他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
> 法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。

要は、寛師は、蓮師と違う説を立てているわけですね。
だいたい、寛師の言が正しい証拠とは一体なんでしょうか。
寛師が言うことであれば、なんでも正しいというこの単純な考え方が間違っているのです。

808犀角独歩:2003/09/02(火) 18:07

モトミナさん:

現状分析、有り難うございます。
自分たちが世間法よりも上であるという考えは、顕正会に限らず、創価学会、また石山にもありますね。この考えはわたし自身の考えでもあったので、わかります。

ここでわたしがいちばん面白いと思うのは、法律も自分たちが上であると思っているのに、法律的に訴えて自分たちの正当性を問うという矛盾です。

わたしが紹介しようとする事件は実に陰険で、暴力が振るったほう(顕正会員)が暴力を振るったと訴えを起こし、それに顕正会が会として訴えを起こしたものでした。顕正会員の嘘、それに応援した顕正会と代表親子の嘘が白日のもとに曝された事件です。世間法の上にあろうがなかろうか、暴力が振るったものが暴力を振るわれたというのは世間法の上にいくはずの仏教、なかんずく、「日蓮大聖人」と「戒壇之大御本尊」に泥を塗るなんとも情けない事件であったわけです。いくら強がっても、嘘は嘘。世間法の上に行くはずのものが、その世間法に基づいて虚偽の訴えを起こしたうえで、その裁判に負けたことは紛れもない事実であり、如何に世間法の上だと豪語したところで自分たちの嘘隠し、言い訳、暴力体質という実態は会員を騙すことはできても世間を騙すことはできません。

裁判に負けた顕正会とその代表親子、この事実は、百万言の言い訳を弄しても消えることはありません。

この点を確認できたことは、たいへんに意義のあることでしたね。

Jルーカスさん:

刑事のほうについて、いまのところ、詳しくは掴んでいません。
しかし、顕正会員が暴力を振るい現行犯逮捕されながら、暴力を振るわれたのは自分のほうであるとした嘘は、明確に暴かれたことは事実です。実際に「折伏」を強行されたうえで、更に暴力を振るわれて怪我をした人への啓示的な責任がどのような結果になっているのかは、追って調べていこうと思っています。

809犀角独歩:2003/09/02(火) 18:13

【808の訂正】

誤)啓示的な責任
正)刑事上の責任

810犀角独歩:2003/09/02(火) 19:05

もう一点、間違っていました。訂正します。

誤)暴力が振るったほう(顕正会員)が暴力を振るったと訴えを起こし
正)暴力が振るったほう(顕正会員)が暴力を振るわれたと訴えを起こし

811犀角独歩:2003/09/03(水) 09:26

以下の文献をわたしのサイトにアップしました。
現段階ではパスワードを設定してあります。
お読みになりたい方はご一報くだされば、お教えします。
ただし、コピペはできません。

神奈川県警による顕正会藤沢事務所の家宅捜索等(全文)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/pas.html

812苦悩乱者:2003/09/04(木) 17:57

807 犀角独歩さん

>要は、寛師は、蓮師と違う説を立てているわけですね。
 だいたい、寛師の言が正しい証拠とは一体なんでしょうか。
 寛師が言うことであれば、なんでも正しいというこの単純な考え方が間違っているのです。

私も同感です。

813?:2003/09/05(金) 00:01
日蓮大聖人様は妙法尼御前御返事(弘安三年七月・新編1482)に
『先づ、臨終のことを習うて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめて此
 を明鏡として、一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向けてみ候へば、すこしもくもりなし』
と仰せであり、臨終の大事を説かれると共に、諸経論に説かれるところの臨終の相(成仏の相・堕地獄の相)と現実の
相とに相違がないと仰せです。
諸経論の説とは、例えば、守護経巻十の阿闍世王受記品第十に
『若し人命終せば当に地獄に堕して十五相あるべし。当に餓鬼に生ぜば八種相あるべし。当に畜生に生ぜば五種相
 あるべし』
とあり地獄・餓鬼・畜生に生ずる臨終の相をそれぞれ明かしています(詳細は省略)。
また、臨終の際の顔色については、摩訶止観巻五の上に正法念処経を引いて
「正法念に云はく『画師の手の五彩を画き出すが如し。黒、青、黄、白、白白なり』画手は心に譬え、黒色は地獄の
 陰を譬え、青色は鬼を譬え、黄は修羅を譬え、赤は畜を譬え、白は人を譬え、白白は天を誓う」
とあります。

そもそも大聖人様の出家得度された動機の一つに諸宗の碩学・大徳と言われる人たち、また身近な人たちの臨終の相が
あまりにも悪相であることに対する疑問があったことが御書に明かされています。
妙法比丘尼御返事(弘安元年九月・新編1258)には
「此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思ひて候ひし程に・・・いさゝかの事ありて此の事を
 疑いし故に一つの願をおこす」とあります。
この「疑い」とは当世念仏者無間地獄事(文永元年九月・新編314)の
「当世の念仏の上人達・・・・臨終に狂乱して死するの由之を聞き又之を知る。其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の
 数を知らず」との仰せと合わせ拝すると明らかでしょう。

大聖人様は成仏の相として、御書中に、
一・色が白い。二・身が軽い。三・やわらかい。四・形を損じない。五・臭くない。六・半眼半口。
七・臨終に唱題する等をあげられています。

千日尼御前御返事(弘安元年十月・新編1290)に
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引きの石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人
 なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、軟らかなる事兜羅面(とろめん)の
 如し」

妙法尼御前御返事(弘安三年七月・新編1482)には
「妙法蓮華経をよるひるとなへまいらせ、すでにちかくなりて二声高声にとなへ乃至いきて候ひし時よりもなおいろも
 しろく、かたちも損せずと云々。法華経に云はく『如是相乃至本末究竟等』云々。大論に云はく『臨終の時に色黒き
 は地獄に堕つ』等云々。守護経に云はく『地獄に墜つるに十五の相、餓鬼に八種の相、畜生に五種の相』等云々。
 天台大師の摩訶止観に云はく『身の黒色は地獄の陰を譬ふ』等云々。

大石寺第二十六世日寛上人の臨終用心抄(富士宗学要宗・第三巻266〜267)には
一・臨終の相に依って後の生所を知る事。
一・他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
一・法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。
一・臨終に唱題する者は必ず成仏する事。
が明かされています。

生死一大事血脈抄(文永九年二月・新編515)
「相構へて相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈これより外に
 全く求むることなかれ。煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」

814犀角独歩:2003/09/05(金) 06:39

> 813

こんな程度の御書の記述は、ここでロム・レスする人であれば、誰しも存知です。
そうではなく、この記述が正しいと何故言えるのかを問うているのでしょう。
それにしても、真跡も真偽未決もごちゃごちゃの引用。溜息が出ます。

少なくても、わたしが過去100回以上、参列した他宗の葬儀、それら人々の臨終の様は、信仰宗派とは何の因果関係も見出せませんでした。

寛師については807に記したとおりです。

いくら議論を重ねても、こうして杓子定規のように蓮師(の記述といわれるものも含めて)引っ張ってきて、「こうある」「これが正しい」とするのであれば、一人で勝手に信じていればよいのです。議論の余地はありません。蓮師、あるいは寛師の無謬性神話に齧り付いている限り、そこから一歩も前に進むことはできません。

臨終の相がどうであるなどという議論より、いかに死を迎えられるのかという議論が世間一般では真剣に論じられているのです。ターミナルケア、インフォームドコンセント、ホスピスなどなど、既に実践段階に入っています。それに比し、「臨終で色が黒かったら地獄だ」などという幼稚な俗信議論を繰り返すことは物笑いの種を提供する以上の意味はありません。

815犀角独歩:2003/09/05(金) 06:45

顕正会の傷害事件、藤沢事務所家宅捜査に関する全面敗訴の資料を匿名にしてアップしました。
顕正会に暴力体質、虚偽の訴えを起こす体質があると認識を固めさせる重大な判決です。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kenshokaijiken.html

816ラキ:2005/05/25(水) 20:37:36
妙観講&法華講は同じ正宗信徒であっても、扱いが違うと感じております。
スレッドテーマの「カルトぽいか」で言わせていただきますと、法華講はそんなにカルトは感じません。
カルトぽいと言うなら、妙観講だと感じます。
理由については。
1)妙観講の名前が日顕氏からの命名であり、エリート意識が強いと感じられます。
2)日顕氏の警護は、妙観講がしてるとの意識。
3)猊下絶対主義。
以上3点を挙げましたが、学会。顕正会と同じ道を歩む可能性があるのではとも、感じております。

それは、機関紙「慧妙」が妙観講独自の機関紙だと思われるからです。
学会の「聖教新聞」顕正会の「顕正新聞」どちらも、宗門所属当時から、独自の機関紙を発刊しているのが酷似してると感じるからです。
暁鐘編集部の発行書籍の著者が「大草講頭」監修が「小川氏」理境坊繋がりで、妙観講であるのが印象的です。
書籍の最後に広告が出てますが「理境坊所属」仏具店だけも、偏りがあると感じずにはおれません。
他の正宗仏具店の広告が一切ないのも、なぜかな〜?と感じております。
第3の独立団体になるのでは?とも思っております。
顕正会はカルト路線まっしぐら。
学会は、路線変更をしてきてる感じが取れますので、独自の新興宗教になるのではとも思っております。
大白蓮華を見たのですが、私が在籍していた当時と、中身が大部変更されていて、御書講義も現代風の解釈が目立つと感じました。

818犀角独歩:2005/05/25(水) 20:59:48

> 妙観講&法華講…違う

それはそうでしょうね。妙観講は理境坊・小川さんの預かりで、いわゆる講組織としては成り立ちが違うわけです。創価学会、妙観講、顕正会、その意味で同じ成り立ちのわけですね。

なお、「妙観講」というのは、本当に阿部さんの命名なんでしょうか。妙観は細井さんのことですから、それを、越洋さんが与えたというのは、どうも頷けません。

819ラキ:2005/05/25(水) 22:47:27
私の聞き違いか記憶違いかもしれません。
後日、確認を取ってみます。

妙観講の今の活動体系は、戸田さんの学会を感じるものがあります。
時の上人絶対。機関紙。書籍の独自発行。活動の激しさ。
似すぎと感じるのは、私だけでしょうか?
けど一つだけ得たものがあります。
自己矛盾を正当化するのは、似たもの組織同士だと。

820ラキ:2005/05/26(木) 01:29:09
公式HPを見ましたら下記の内容が書かれてました。
私の誤認でした。

「妙観講は、昭和55年8月、第六十七世御法主日顕上人猊下の御認可によって結成された、総本山塔中理境坊に所属する法華講中です.
妙観講の名称は、第六十六世日達上人の阿闍梨号〝妙観〟を奉戴したものですが、それは、この講中の基礎が日達上人の格別の御慈悲によって作られた、ということによっています」

一つまた学べました。
妙観講の歴史を見ていて、今に至る経緯が合ったのだと。
そして、正宗信徒団体の内紛は戦後ぐらいから、見え隠れして今に至ったのかと思いました。
独歩さんが前におっしゃった、正宗系団体に何を求めるのかが改めて、無意味だと感じてしまいました。

821ROM専:2005/07/28(木) 12:17:09
こんなニュースがありましたので、転載しておきます。

      ★監禁容疑で「顕正会」会員2人逮捕

・宗教法人「顕正会」の会員2人が、東京都内に住む大学生を勧誘するため民家に
 監禁していた疑いが強まり、神奈川県警は2人を逮捕するとともに、関係先の一斉
 捜索に乗り出しました。

 監禁の疑いで逮捕されたのは、宗教法人「顕正会」の会員で横浜市泉区の大学生、
 石川秀樹容疑者(20)と行徳祐一容疑者(28)の2人で、神奈川県警は、横浜市港
 北区にある「顕正会」の横浜会館など、あわせて5ヶ所を一斉捜索しています。

 調べによりますと石川容疑者ら2人は、今年5月、東京・多摩市に住む20歳の大学生を
 「顕正会」に入会させようと、横浜市内の民家に連れ込み、監禁した疑いが持たれて
 います。
 大学生はこの住宅で携帯電話を取り上げられ、「駄目だ。まだ終わっていない」などと
 言われ、監禁されたということです。

 「顕正会」を巡っては今年3月、別の会員の男が勧誘活動でつきまといをしたとして
 書類送検されています。神奈川県警は、「顕正会」の勧誘活動の実態を詳しく調べる
 方針です。
 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20050728/20050728-00000016-jnn-soci.html

※動画URL: http://www.bcast.co.jp/cgi-bin/yahoo/news.asx?cid=20050728-00000016-jnn-soci-movie-001&media=wm300k

822ラキ:2005/10/17(月) 00:02:54
正宗の御会式に初めて参加したのですが、寺院入り口から2,30m程離れた場所に1台の挙動不審の車が停車!
学会員らしいので知り合いか確認を頼まれて車まで見に行ったのですが、おもっきし挙動不振でした。
新聞や話では聞いておりましたが、実際に目にして一部学会員の行為とは言え、元学会員としても悲しいやら恥ずかしい思いでいっぱいです。
地元周辺の学会員は、そのような怪しい行為をしないと思っていたからです。
自己教団が正しいと主張していても、やってる行いが、おかしいと世間一般の人から思われるような行為をしてる時点で、説得力に欠けると思わずにはおれません。

顕正会。妙観講も同じようなものですが、相変わらず、妙観講員のHPでは、法華経の真偽に対して、法華経は釈迦滅後400年頃の作と宗教学会では定説なのに、釈迦が説いた教えと無智、妄信な事を言っていますね。
一般書店で販売されている、法華経の入門書や解説書にはほとんど、釈迦が説いた教えではないと書かれているのに、自教団発行の書籍だけを証拠に、釈迦が説いた教えと言い張るのは、石山系教団の異常な一面だと思わずにはおれません。
妙観講員も顕正会員と同じで、一番触れられたくない事に触れると、人格攻撃をする”宗教者”としての最低限の事も守れないご都合集団と思います。

823パンナコッタ:2005/10/17(月) 00:24:26
>822
学会員なら、教宣でしょうね。恐らく本人はそれが”使命”だと思いこんでいる人物でしょう。
ある意味宗教の愚かさを、態度で露呈しているのかもしれません。

824犀角独歩:2005/10/17(月) 09:13:42

> 挙動不審の車が停車!

この手のことは、個人、団体で対処するのではなく、速やかに110番通報。警察に委ねるのが一番です。

> …妙観講員も顕正会員と同じ…人格攻撃をする”宗教者”…ご都合集団

石山も末寺も、その坊さん、信徒も同じでしょう。
どこが違うのですか。

825犀角独歩:2005/10/17(月) 12:37:10

かつての創価学会、顕正会の母体は、紛れもなく石山です。
その中心者と進路、教義を批判したことで、それぞれを破門に付したわけです。
それ以降の、この2団体の責任は、各団体の指導者にあるでしょう。

しかし、妙観講はいまでもれっきとした石山の信徒団体です。となれば、この団体の責任は石山が負っています。つまり、書く末寺の住職も負っています。また、その信徒は、自分たちは、妙観講とは別だと考えたいようですが、所詮、同じ穴の狢です。

これらがカルトっぽいかどうか。
カルトというのは認定ではありませんから、その断定はここに避けます。

しかし、一ついえること、論理的に説明をできないことを、信じさせ、それを疑うことを悪と断定し、一切の善は自分たち、悪は外部にあるとすること。信じれば功徳、疑えば地獄という二極論に立って信者を操ること。常に敵を仮想し、それらを憎悪させることによって信者を引き止めること。等
以上の心理技法をカルトは使います。さて、では、創価学会、日蓮正宗、顕正会、妙観講が以上のような技法を使っているかどうか。使っていなければ、カルトとみなされることはないでしょうが、使っていれば、当スレのテーマのごとく、「カルトっぽい」と映じることでしょう。

なお、もう一つのカルトの特徴。金に物を言わせて訴訟・裁判を連発して、批判を封じ込めることも挙げられます。さて、どうでしょうか。

826学会:2005/10/22(土) 20:29:58
学会は滅びる。法華講の御本尊は、日蓮で!南無妙法蓮華経だけど。学会の御本尊は池田大作です。大作は教祖だよ。

827プロムナード:2005/10/28(金) 09:38:09
私は妙観講員です。妙観講は私の目線で見て今の所はカルトのような活動は、していません。ただ日蓮正宗に信仰して皆、崩れない幸福のキョウガイになって欲しいから、ハシャク・シャクブク・法論・妙観講員の後輩指導等を色んな事で頑張っています。ただ妙観講に対して敵対しをしている団体は、魔が来たから、近付かないようにはしていますが・・・!!そのカルトの見方は人それぞれですから、常識的に考えて非常識の所が多いならカルトかもしれません。ただ私の妙観講の知り合いの方は、私含め私の先輩や私の上官も元顕正会がホトンドです。だから上官から紹介するたびに、この方も元顕正会員ですよ。と言われるから、妙観講は元顕正会員が多い事を錯覚します!!これが不思議です。

828犀角独歩:2005/10/28(金) 12:12:38

> 827

取り敢えず、以下のチェックをしてみたらどうでしょうか。

JSCPR集団健康度チェック目録
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHI/index.html

829パン亭スケスケ(大学落研):2005/10/28(金) 13:37:53
>>827

他寺法華講員から妙観講さんへの一考察

一、創価学会・顕正会ならいざ知らず、通常の法華講では、会合にて講頭さんが指導を行うことはあり得ない。元からの慣例として講頭は「挨拶」御住職は「指導」となっている。それを一昨年より「挨拶」を「激励」にしても良いという宗務院からの指示が出て、「激励」と言う言葉を使う事が増えてきたが、「講頭指導」等と言う言葉を使用する等あり得ない。
ところが妙観講さんでは大草さんが「講頭指導」を行っているそうです。

二、また、妙観講さんでは内徳信仰者(御本尊様をお受けしていない方)も、世帯数に数えているが、本来の法華講では「御授戒」を受けても「御本尊様をお受けしていない方」は、世帯数に数えない。そもそも折伏をしても御授戒を受けさせることはさほど困難では無い。御本尊様をお受けさせる事が困難なのである。それを内徳信仰者を世帯数に入れると言う特殊なルールを適用しているのは、数を追うためと言われても反論できないと思われる。

三、また創価学会員からの帰伏者は観誡を受ける必要があり、それが終わってから、自宅の御本尊を拝んで良いというのが、化儀であるが、妙観講さんでは「観誡願」に署名をさせると同時に、自宅の御本尊を拝して良いと言う特殊化儀を適用している。これも二と同様に困難さを回避するための易業化では無いでしょうか?

上記、大石寺化儀違反はどのように説明するのでしょうか?

830ラキ:2005/10/28(金) 13:58:04
プロムナードさん。はじめまして。

妙観講に対して関東圏の法華講の信心が古い方は、嫌っています。
特に、法道院に縁がある方は、大草さんの法道院で当時の住職並び講員の方をつるし上げた経緯があるからです。
若い世代の法華講員とかは、妙観講自体知らない方が多いですよ。
慧妙で法華講との合同折伏をしてるとか記載されていますが、地方ばかりで、関東圏の記載は見た記憶がありません。

>ただ妙観講に対して敵対しをしている団体は、魔が来たから、近付かないようにはしていますが・・・
折伏・破伏・法論をして、日蓮正宗以外の方に幸せになってもらいたい思いでされているのに”敵対組織”の方とは、法論とかの話し合いをされないのは、相手を選んでいるわけで、日蓮大聖人の教えに反する事だと思いますが?・・・

妙観講に元顕正会員が多いのは、顕正会に対して重点的に法論を仕掛けているからだと思います。
何処の組織でも同じですが”身内”には優しく親切に接するのは当たり前だと思います。
自組織に敵対する言動があれば、破伏の名の下に、悪口罵詈の発言もありな組織としての有り方は、異常だと感じますが。
 
ご存知かも知れませんが、妙観講員の個人サイトですが、中立な立場で見てもどっちもどっちの誹謗発言などが応酬していて、妙観講員の信仰者としての節度ある言動は?と考えさせられると思いますが?・・・

「富士大石寺へ帰ろう」
http://hpcgi1.nifty.com/imei/raib.cgi

831プロムナード:2005/10/28(金) 16:38:39
メッセージ書いて下さり有難うございます。取りあえず私はゴジュカイを受けたのが、今年の10月2日です。だから日が浅いから、まだ妙観講の裏の部分が見えていません。スイマセン。そして10月12日に顕正会の上官に、顕正会を止めて、日蓮正宗の妙観講の方に改宗しました!!の報告をしながら、顕正会の上官にハシャクしました。その時点で顕正会の活動を退転しました。で、何で妙観講に入る思いになったのは、ホケチャンネルの顕正会対妙観講の映像を見て、日蓮正宗に行こうと思いました。たまたま妙観講のホームぺージを見ていたら、電話番号が在って、お問い合わせしてアポを取って、10月2日にその今の上官に在って、多分、普通はホウボウ払いしてから、ゴジュカイを受けると思いますが・・・私の場合は、ホウボウ払いをしないでゴジュカイを受けました。やはりホウボウ払いをしないでゴジュカイを受けた事が不思議になりません。

832プロムナード:2005/10/28(金) 16:54:31
『ただ妙観講に対して敵対しをしている団体は、魔が来たから、近付かないようにはしていますが・・・折伏・破伏・法論をして、日蓮正宗以外の方に幸せになってもらいたい思いでされているのに”敵対組織”の方とは、法論とかの話し合いをされないのは、相手を選んでいるわけで、日蓮大聖人の教えに反する事だと思いますが?・・・』その文に対しては、私の文章能力が低く明確に伝わらかった事をお詫びします。【ただ妙観講に対して敵対しをしている顕正会は、魔が来たから、近付かないようにはしています。妙観講は顕正会に法論しましょうとの案内をしているのですが、顕正会は妙観講に法論をしない!!と言う感じで、顕正会はいつも逃げ回っている事を報告したかった訳です。一応、私の班では、創価学会や顕正会に対して、ハシャク活動はしています。

833プロムナード:2005/10/28(金) 17:05:34
「富士大石寺へ帰ろう」と言うサイトは、私の知り合いの方が運営していると思います。だから、普通の日蓮正宗の妙観講以外の方々は、どのように、御奉公とかやっているのでしょうか?アドバイスをお願いします

834プロムナード:2005/10/28(金) 17:28:55
メッセージ有難うございます。そのサンコの質問に置いては私にはニュウコウした日にちが浅いので、説明が出来ないので、私の上官や先輩に相談をしてみます!!【他寺法華講員から妙観講さんへの一考察一、創価学会・顕正会ならいざ知らず、通常の法華講では、会合にて講頭さんが指導を行うことはあり得ない。元からの慣例として講頭は「挨拶」御住職は「指導」となっている。それを一昨年より「挨拶」を「激励」にしても良いという宗務院からの指示が出て、「激励」と言う言葉を使う事が増えてきたが、「講頭指導」等と言う言葉を使用する等あり得ない。ところが妙観講さんでは大草さんが「講頭指導」を行っているそうです。二、また、妙観講さんでは内徳信仰者(御本尊様をお受けしていない方)も、世帯数に数えているが、本来の法華講では「御授戒」を受けても「御本尊様をお受けしていない方」は、世帯数に数えない。そもそも折伏をしても御授戒を受けさせることはさほど困難では無い。御本尊様をお受けさせる事が困難なのである。それを内徳信仰者を世帯数に入れると言う特殊なルールを適用しているのは、数を追うためと言われても反論できないと思われる。三、また創価学会員からの帰伏者は観誡を受ける必要があり、それが終わってから、自宅の御本尊を拝んで良いというのが、化儀であるが、妙観講さんでは「観誡願」に署名をさせると同時に、自宅の御本尊を拝して良いと言う特殊化儀を適用している。これも二と同様に困難さを回避するための易業化では無いでしょうか?上記、大石寺化儀違反はどのように説明するのでしょうか?】取りあえず私の妙観講の今後の出方は大石寺化儀を違反しているのですから、間違っている事を訂正したら良いのですが・・。大石寺化儀を違反となれば、段々日蓮正宗の教学と色んな事で妙観講独自の教学になって、日蓮正宗の破門に成った正信会や学会や顕正会のような末路をたどるかもしれません。今の時点では、日蓮正宗の妙観講以外のお寺さんとかは、どのような御奉公をやっているのですか?お願いします。そして妙観講はどうして日蓮正宗の仲間なのに叩かれいるのでしょうか?その原因を教え下さい。お願いします

835プロムナード:2005/10/28(金) 19:21:25
あのサンコの質問と【下記の事を私の上官では無く、富士大石寺に帰ろうのサイトに投稿して、管理人の答えを聞きます。※多分、このサイトは私の知り合いが運営しています。で顕正会の法論に対して、映像や音声の所がありますよね・・・!!私の妙観講の知り合いですが、なんと直属の班長でも在り、私の上官が映像で写っています。そして私の班の先輩方も!!だから直接、上官に聞かなくても、富士大石寺に帰ろうのサイトの管理人に聞けば、間接的に、私の本名を知らないで解答の答えが解ると思います=何処の組織でも同じですが”身内”には優しく親切に接するのは当たり前だと思います。自組織に敵対する言動があれば、破伏の名の下に、悪口罵詈の発言もありな組織としての有り方は、異常だと感じますが。ご存知かも知れませんが、妙観講員の個人サイトですが、中立な立場で見てもどっちもどっちの誹謗発言などが応酬していて、妙観講員の信仰者としての節度ある言動は?と考えさせられると思いますが?・・・】

836プロムナード:2005/10/28(金) 19:44:33
富士大石寺へ帰ろうのサイトの管理人の投稿サイト発言が、私も見て妙観講のフォローを入ろうと考えましたが・・・。明らか管理人の言葉遣いが下品ですし、汚いです。だから場合によっては妙観講を捨てて、別の日蓮正宗の寺に行く事を考える必要が在るかも知れません!!でも今の所は、普通の妙観講の本部の会合の時や私の質問に対しての解答メールや指導の電話は上官や先輩は親切に普通に対応してくれます。だから、私の事をばらさないで、富士大石寺へ帰ろうのサイトに下記の質問をぶつけ、それを管理人がどう答えかが気になります。もし訳が解らない解答だったら、上官に話を、日蓮正宗の他の所に移り信心をしたいです!!と言う事も考えます。その場合は、何処が良いのでしょうか?アドバイスをお願いします。

837ラキ:2005/10/28(金) 20:11:38
>833
日蓮正宗の妙観講以外の方々は、どのように、御奉公とかやっているのでしょうか?アドバイスをお願いします

私の知ってる範囲で説明させていただきます。

1)朝夕の勤行は基本ですが、寺院支部にての唱題行や行事の参加。
自分自身の確りした信心をできるようにするのが観心と言われております。

2)御奉公にもいろいろありますが、各自でできる範囲でする事を教わっております。
行事等の手伝いや、寺院の清掃などです。

3)教学の勉強は、寺院での法話が主だった勉強になりますが、正宗発行の書籍で独学で学ぶ事しかしていません。
教学に付いての質問は、先輩ではなく、所属寺院の僧侶から教わるのが基本と言われています。
また、御書の勉強に関しては、日顕上人の指導があり、その指導に沿って末寺の僧侶が檀家に教えるとの事で、末寺住職が勝手に御書講義とかはしないと言われました。

4)折伏に付いては、(1)の自己の信心が確りできるようになってから、地道に唱題を重ねて相手を思う気持ちで、時間をかけて対話して行くようにと教わっています。
顕正会見たく結果を競うのではなく、本当に救いたい気持ちで、5年10年と時間をかけて折伏して行く姿が大事だと。
現在の宗門では、年間1名の折伏実践を教えていますが、結果重視ではなく、折伏をする事で自分自身も学ぶ事ができ、成長できるので、唱題根本の自行化他の実践を行うように言われています。

身内と身内ではない方の接し方に差があるのは、菩薩の眷属のする事ではないと私は思っています。
信心をしてるのなら分け隔てがない行いが大切ではないかと感じております。
古い法華講の信心強情な方を近くで見ておりますが、学会員だろうと、他の宗教を信仰していても、言葉使いや親切な行い、態度を見ていると、とても立派な方と尊敬しています。

838犀角独歩:2005/10/28(金) 20:23:41

わたしはまるで妙観講など庇い立てする気はありませんが、829の投稿はたしかに、石山末寺法華講の感覚であることも、十分わかります。しかし、そんな大草さんに重職を与え、いまの活動方向を黙認しているのは阿部さん本人であるわけでしょう。ですから、それに異論を唱えることは阿部さんに異論を唱えることにならないのか?という疑問があります。

また、「観誡」ということについて、一言すれば、わたしが正式に創価学会を脱会し、法華講に移講した段階では、「観誡」という儀式はありませんでした。平成2年のことです。「観誡」が行われるようになったのは平成4、5年以降のことであったと記憶します。

あと、妙観講以外の法華講がどうやって、石山を護持してきたか、そんなことは各末寺が日々運営できるのは、法華講の供養、寺院護持なくしてできるはずがありません。法華講は、末寺にあって寺院を護り、石山に対しても赤誠を尽くしてきたから、今があります。

先祖伝来の法華講、殊に大石寺法華講において700年来、その地域にあって、大石寺を護り続けてきたからこそ、今があります。
徳川時代には、徳川の庇護があって、今があります。
戦後は創価学会の外護があって、大石寺の発展があったのも動かしがたい事実です。

喧嘩別れしたあとは、歴史から葬り去るようなやり方が〝カルトっぽい〟ということでしょう。

なお、妙観講が法華講として認められるようになったのは連合会入りした以降のことであって、現在でも、その地位は法華講でなく理境坊の預かり信徒団体に過ぎないのではないでしょうか。それとも、いまは理境坊法華講として認可されたのでしたか。

いずれにしても、世間一般の批判、また、当掲示板で語られてきた石山教学と本尊に関する議論を無視してなされる他を省みないこの有様こそ、まさに当スレッドのテーマであるカルトっぽさを露呈していることを指摘しています。

ここで妙観講、法華講を名乗って議論をするのであれば、「弘安2年の戒壇の大御本尊」の正当性を証明してからにしてください。

以下は、もっとも簡潔にまとめたわたしのページです。
このハードルを越えてください。

『何故わたしは、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html

839犀角独歩:2005/10/28(金) 22:45:44

ラキさん、一言申し上げておきます。

当掲示板、830に紹介されるような子どものチャンバラのようなお飯事は、次元を異にしています。お子様の喧嘩をここに持ち込むような導入はどうかと思います。

さかずき一杯、コップ一杯程度の規模お飯事教学と集団事情の退屈な議論はここでは下らないのでやめにしましょう。

840問答迷人:2005/10/28(金) 23:50:49

今日、可笑しな話を聞きました。

僕は、所属寺院(一応、お盆と正月の案内は貰っているので、所属している事になっているのだと思います。)では、除名処分相当の待遇なんだそうです。罪状は、日顕師に直訴の手紙を書いたからだそうです。僕が書いたのは、例のクロウ裁判で、宗門が控訴していたときの話。『勝ち目は無いから、今のうちに取り下げて和解した方が、傷口が大きくならなくて済みますよ、もう馬鹿馬鹿しいことはお止めになった方が良い。』との趣旨の手紙を出したわけです。そうしたら、宗務院の庶務部副部長さんが「宗門の方針と異なる考え方をしている人には講頭をしてもらうわけには行かない」という話が有って、住職から役職を降りるように勧告された訳です。「それは『罷免』という事ですね」と問ったら、「そうだ」と住職が言うので、「分かりました。「そうしたら、みんなの前で、『罷免する』と公表してくださいね」と言ったら「了解」と言う。このような経過で僕は講頭を罷免されたわけです。

そして、程なく、宗門は、クロウ裁判の控訴審を和解して取り下げたわけです。当然、一言ぐらい、挨拶があるかな、とも思いましたが、なしのつぶて。だんまりを決め込みましたね。

そして、その住職が地方に配置換えになった後、現在の住職が赴任してきました。そして、なんと、『除名相当』の待遇なんだそうです。

僕は戒壇本尊が日蓮聖人の出世の本懐でもなんでもない、只の模刻本尊だと判ったときから、寺院参詣は一切していませんから、別段、除名処分でもなんでも一向実害は有りませんが、宗門のこの体質には困ったものだと思うばかりです。

都合の悪い事を言われると、問答無用で、切って捨てる体質は良くないですね。もし、宗門の僧侶が掲示板を見ておられたら、感想をお聞きしたいものです。

841ラキ:2005/10/29(土) 00:13:45
独歩さん。
御忠告ありがとうございます。

842プロムナード:2005/10/29(土) 00:22:38
【注意=ゲイカ様を批判すると全てに置いて大聖人様及び御歴代のゲイカ様を批判する事になります。そしてゲイカ様を批判すれば、無限地獄に堕ちる事は避けられません。だから日蓮正宗の事を批判しないようにしましょう!私は何で日蓮正宗に信じたのかと言うと顕正会の信心・二回大きな学会の対論を通して、教学上の三証がしっかりして、そして仏法僧の三宝を在るのは、日蓮正宗がだけしか無い事を気付き、ここで信心しょうと思ったわけです!!後、先輩達の話を聞いて、私のゴジュカイの日に成仏のソウを写真で見る事が出来る指導用のビデオを見て、成仏のソウが現象で在るから、日蓮正宗妙観講は正しいのだ】と思いました。何で妙観講員の事を批判するのですか?ホンモンカイダンの大御本尊様に着いては、私の持っている本を引用して後で説明します。そして私の場合、携帯だからパソコンようの大きいサイトは見える事ができません。悪しからず・・・

843藤川一郎:2005/10/29(土) 01:03:55
>>また、「観誡」ということについて、一言すれば、わたしが正式に創価学会を脱会し、法華講に移講した段階では、「観誡」という儀式はありませんでした。平成2年のことです。「観誡」が行われるようになったのは平成4、5年以降のことであったと記憶します。

横レスです。絶対に「観誡」を受けなければならないようになったのは、創価学会員が信徒資格喪失になった後です。つまり平成9年以降ですね。そこで宗務院の院達が出ていると思います。ご本尊を拝んで良い、拝んではいけない等も全て大日蓮に出ていました。その内容をどこかでHPにアップしていた人がいたように記憶しますが、面倒くさいので誰か探してください(笑)。

844藤川一郎:2005/10/29(土) 01:10:22
ついでに、愚見を申し上げておきますが、掲示板の投稿を他の掲示板に貼り付けたりする行為は、余り好ましくは無いと考えます。その掲示板での投稿はあくまでその掲示板にて行うのがネチケット(ネット上のエチケット)だと考えます。

845ラキ:2005/10/29(土) 02:36:13
「大白法」平成17年10月1日号に「勧誡式」の記事がありましたので参考までに。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/753/678.htm


創価学会員への 折 伏 教 本から

http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/sokagakkai/shakubuku_kyohon/395.html

日蓮正宗総本山大石寺 日蓮正宗入門より。
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/newmon_newshin.htm

846問答迷人:2005/10/29(土) 06:34:42

プロムナードさん

>ゲイカ様を批判すると全てに置いて大聖人様及び御歴代のゲイカ様を批判する事になります。

僕も、そのように教えられてきましたが、そのように教え込み、洗脳するのがカルトの特徴だと言う事に気が付いたと申し上げているのですよ。プロムナードさんの発言は、改めて日蓮正宗がカルトっぽい宗教だと言う事を示してくださった訳です。

847犀角独歩:2005/10/29(土) 07:52:40

プロムナードさん

> …ゲイカ様を批判…大聖人様及び御歴代のゲイカ様を批判する事になります

そうはなりません。重要なことは、なぜ自分がそのように考えるようになったかということです。つまり、教え込まれ、信じ込まされたという心理操作によって、そう考えるようになった自分ということをよく見つめてみることです。

> ゲイカ様を批判すれば、無限地獄に堕ちる事は避けられません

「無限地獄」ではなく「無間地獄」といいます。
また、これもこのようなことはありません。
このように特定個人批判に教務を懐き、罪状があるように‘思い込ませる’ことをマインド・コントロールといいます。

> 日蓮正宗の事を批判しないようにしましょう!

いえ。日蓮正宗には大きな間違いと嘘がありますから、批判をしなければなりません。

> 教学上の三証がしっかり…三宝を在…日蓮正宗がだけしか無い

これはまったく嘘です。そのように信じ込んでいるだけでしょう。
日蓮の確実な遺文を読まず、薄っぺらな資料と先輩の話を鵜呑みにした浅はかな結論でしょう。

> 成仏のソウが現象

これは何の話ですか。遺体を写したビデオのことですか。
では、成仏とは何でしょうか。死んだときに色が白くなり、軽いことですか。体が柔らかいことですか。そうであれば、日蓮正宗における成仏は死んだときにしかないのですか。死んだときにしかない成仏が、日蓮の目標ですか。

> 日蓮正宗妙観講は正しいのだ

これは組織崇拝でしょう。日蓮を信じるはずが妙観講、もしくは日蓮正宗という団体を崇拝をするようにすり替えられています。このように本来、信じるものを信じせせるように見せかけながら、特定の集団、個人を信じるように‘すり替えてしまう’仕組みをマインド・コントロールといいます。

> 何で妙観講員の事を批判するのですか?

わたしは妙観講などという石山の一部分に過ぎない団体を云々しているわけではありません。学会を含む石山、顕正系、妙観講等が信仰の対象にしている本尊が、日禅授与漫荼羅を原本として臨模・作為された彫刻であり、言われてきたような弘安2年10月12日の出世の本懐でも何でもない後世の模造品であるといっているのです。そのようなものをもって、あなたを含めて、信者を欺くことを停止するべきだと言っているのです。
あなたように嘘に振り回される人を減らすためです。

> …大きいサイトは見える事ができません。悪しからず

「悪しからず」ではありません。見ないことでしか成り立たない思い込みは、事実を確認できません。ネット喫茶でも、PCを持っている友人のところにでも行き、自分の目で確認してから議論を続けることです。

あなたの書いていることは、既に議論が終わったことです。ただ、時折、あなたのように操作され、思い込まされ、振り回される人が迷い込んでくるので申し上げているだけです。あなた自身のために見ることを進めているのに過ぎません。

848犀角独歩:2005/10/29(土) 08:32:25

以下は、わたしの知人、パスカル師が記した『親は何を知るべきか』というカルト批判の本に載った整理です。操作されている人は反対者の与える情報は見ることはせず、自分が信じている集団指導者の情報しか見ないものですから、プロムナードさんが以下の文章を読む正常心を保持している可能性は低いと思えますが、資料として挙げておきましょう。まず、G・ジンバルドー師の整理を挙げましょう。
これでも、あなたが治まらないようであれば、さらに「カルト」という心理状態下にある人の特徴を、継続して挙げていくことにしましょう。

■破壊的カルトの八つの特徴

世界中の専門家は破壊的カルトの特徴についてだいたい似たような説明をしますが、アメリカのスタンフォード大学の社会心理学者フィリップ・G・ジンバルドー博士は、次の八つの特徴があると分析しています。(参)P36

1.グループの中で指導者は自分自身を崇拝させ、特別な使命をもっていると教える。

【プロムナードさん】あなたは、「ゲイカ」を崇拝させられています。
崇拝するのは日蓮であるはずなのに、いつの間にかゲイカ=日蓮大聖人と操作されています。このような教義は日蓮聖人の教義にはありません。

2.指導者は自分と教義に対して絶対的な服従を求める

【プロムナードさん】あなたは「ゲイカ」に対して絶対服従を記しています。

3.指導者は大きな権力をもち、しばしばカリスマ的である。それによってメンバーたちに魅力を感じさせ、彼らの行動を管理する。

【プロムナードさん】あなたは、どのように考えなければいけないのかを‘管理’されています。また、「日蓮正宗」「ゲイカ」「妙観講」を批判してはいけないと操作されています。

5.グループの本当の目的を隠している

【プロムナードさん】あなたの所属する団体の本当の目的は何でしょうか。

6.人の善意を利用する

【プロムナードさん】あなたの善意が利用されています。

7.メンバーたちはいろいろな活動を通して、一心にお金を集めています。しかしこのお金は決してその目的のために使われていません。指導者のもとに集められるか、組織の拡大のために使われています。もちろん、この現実はメンバーたちに知らされていません。
【プロムナードさん】御供養は神仏に捧げるものです。しかし、あなた方が出すお金は神仏に届くことはありません。その名前を騙る組織指導者のものになっています。神仏は金銭を欲しません。金銭を欲するのは常に人間です。

849犀角独歩:2005/10/29(土) 08:32:47

―849からつづく―

8.破壊的カルトは人間の五つの基本的欲求を満たしているように感じさせる。

 1.身の安全の欲求

【プロムナードさん】あなたは、いま妙観講にいることで身が安全であると錯覚していませんか。

 2.所属の欲求
…グループの一員になることによって他のメンバーと強い連帯感をもつようになります。
【プロムナードさん】あなたは、このような連帯感を信心と勘違いしていませんか。


 3.社会的要求
…自分が指導者と一体となれば非常に役に立つ人間になると思う…破壊的カルトはメンバーたちにこのような欲求が満たされていると感じさせます。

【プロムナードさん】あなたは、このような錯覚を懐いていませんか。

 4,精神性の欲求
 …自分の弱さを癒されたいのです。宗教はその精神的な支えになります。これを利用して破壊的カルトは、「私たちは本当の宗教です」とか「本当の真理をもっています」とか言って勧誘します。

【プロムナードさん】あなたは、何かを信じ込まなければいられない自分の弱さを、自分より大きな組織、指導者を信じることによって、自分自身が大きくなったと錯覚していませんか。また、あなたがいま信じている内容は、本当の宗教、本当の心理と‘信じ込まされた’ことではありませんか。

 5.依存の欲求
 子どもは両親や先生に頼ります。そして親にほめられると安心します。両親には、子どもの安全と幸福に責任があります。大人になっても多くの人は、無意識のうちに善良な親に依存したいと感じているといわれます。
破壊的カルトの指導者はこうした親の役割を果たすのです。メンバーたちは、指導者に頼れば人生と幸福とを保証してもらえると信じます。一方、指導者は独裁者と同じことをします。私に頼ればすべての欲求を満たすことができる、ただし私だけに従わなければならない、という交換条件を出すのです。そのやりとりのなかで気づかないうちに、個人の自由が失われます。

【プロムナードさん】あなたにとって、この5.は、特に当てはまっていませんか。
あなた個人が失っている自由が何であるのか、それすら考えられないほど、あなたは操作されています。あなたが失った自由、それは自由に考える、自由に考えることができるという精神の自由です。

850犀角独歩:2005/11/09(水) 08:40:11

妙観講別院なるものが、大石寺にできたと聞いたのですが、この詳細について、どなたかご存じの方、いらっしゃいますか。

851ラディッシュ:2005/11/09(水) 09:48:44
妙観講別院を知った所でどうされるんでしょうか。

852犀角独歩:2005/11/09(水) 12:23:56

> 851

そんなことを問われる理由も答える必要もありません。
情報を得ることはわたしの自由意志に属します。

853藤川一郎:2005/11/09(水) 12:29:35
>>850
「妙観講別院」では無くて「理境坊別院(出張所?)」のことだと思いますが!
それなら、大石寺の近く(無理すれば歩ける距離ですが、車で移動した方がベター)に出来たようですが。
趣旨は分かりません。

854犀角独歩:2005/11/09(水) 13:59:11

藤川さん、有り難うございます。
なるほど、これのことですか。

855維摩:2006/05/05(金) 02:04:12
初めまして。横レス失礼します。

私は 元妙観講員でしたが現在は信仰しておりません。

独歩さんが質問されている内容ですが
「理境坊出張所」です。
一番初めの出張所は 千葉県松戸にできました。
何でも、妙観講の本部会館が手狭になったためという理由のようです。
その後 大石寺の近くにも設けられました。

しかし、これらの施設ですが、ある石山僧侶が
「理境坊出張所という名前だけれど、大石寺のものではない。実質的には妙観講の会館だ」
と言っていました。

この辺の詳細がはなはだ疑問です。

妙観講員は、この「理境坊出張所は後に寺になる」と言われ、信じているようです。
「寺の開基檀那になれるなんて、なかなかないチャンスだ」と御供養を集めています。

856犀角独歩:2006/05/05(金) 07:15:15

維摩さん

情報、有り難うございます。
「開基檀那」は代表ですから、献金した全員がなれるわけではありませんね。
石山系では、会から、所属寺院から、さらに本山からもと三重に「供養」という名の寄付を求められてたいへんだと常々思います。創価学会は、石山との関係を絶ったために、このうち、所属寺院・石山への拠出がなくなり、会員の負担は軽減し会員は、これだけでも離間を喜んでいるという話がありました。

857大縫薫:2006/05/05(金) 16:29:23
 妙観記念館(院)の別院は福岡県大牟田市にあります。
日蓮正宗の場合は地方に在住している信徒の拠点道場を別院という形で建立して
そこを活動の道場として、行事のある度に指導教師(住職)が出仕致します。
 本院とは別に別院を構えている寺院の住職はその別院のある地域の寺院に相当
気を配り活動していると、聞いた事があります。
 日蓮正宗信徒(法華講)は夫々に縁故の寺院に所属するのが基本で、その方の
在住している地域の寺院に所属しなければならないわけではない見たいです。
 山梨県の寺院みたいに全国に信徒がいる寺院は特に有名ですね。

858大縫薫:2006/05/05(金) 16:39:05
 あと、日蓮正宗では平成21年の立正安国論奏上750年に向けて信徒獲得の
折伏を展開しているみたいですが、信徒を受け入れる事が出来ない寺院もあります。
香川県の三豊市の本山本門寺さんは、檀家以外は一切受け入れが出来ない特殊な事情
もある寺院もあります。
その他の寺院は折伏をして信徒獲得をしなければいけない寺院は今必死に活動をして
いるのが、実情みたいです。

859維摩:2006/09/26(火) 21:21:39
独歩さん お久しぶりです
>「開基檀那」は代表ですから、献金した全員がなれるわけではありませんね。
これは初耳です。
「開基檀那になれるチャンスだから ご供養をしましょう」
とは妙観講の指導です。
ということは「開基檀那」が代表者なら 妙観講講頭だけが「開基檀那」になるということでしょうか?
妙観講員は そんなこと知らずに 貯金をしてご供養していますが・・・
このことを知ったら妙観講員は可愛そうですね。
また、このたび 法主が変わりましたが その前に「特別ご供養」というのがありました。
何でも宗門の更なる興隆のためとかでしたが、ふたを開けると
67世法主の隠居部屋の改築のための集金であったようです。
この「特別ご供養」は、供養すれば下だけの功徳が…との事だったのですが
事実を知って残念です。
私は 経済的理由で 特別ご供養を払えなかったので ある意味良かったのではないかと思います。
本当に信じてご供養してしまった信徒さんはかわいそうですね。

大縫薫さま
おっしゃるとおり、平成21年には立正安国論の奏上750年法要を大々的にやります。
そのため 登山者を増やすべく勧誘活動に力が入っているようです。
特に妙観講は 法主が引用した立正安国論の一節の「この一凶を禁ぜんにはの一凶は
当時は念仏であったが 現在は創価学会である。創価学会を破折するよう」とのお言葉がありました。
信徒は真面目に信じて 学会叩きに奔走しています。
妙観講のある講員は 複数で学会会館に乗り込み討論しています。
ある種の血は流さないまでも「宗教戦争」ではないかと・・・

860犀角独歩:2006/09/27(水) 07:10:19

859 維摩さん

お久しぶりです。
開基檀那という考えは、そもそも、現代的な発想ではないでしょうね。いまでいえば、さしずめ「願主」と言ったところではないでしょうか。たとえば、かつて創価学会員800万信徒375億円を集めて、(その金額を全部使ったかどうか? 使わなかったと言われている)建立された正本堂は「池田大作」が願主であり、供養者(代表)となっているでしょう。もっとも、この建物の基底部には、その無名の供養者の名前を永久に顕彰するために『正本堂供養者名簿』が埋納されたということでした。この名簿、今回の立て直しでいったい、どうなったんでしょうか。地下はそのままという石山のアナウンスを聞いたような記憶がありますが、当の建造物を破壊した段階で、永遠の顕彰も嘘だったことになったわけです。

要は、何か供養を募るときに、「あなたの名前が残る」というのは、石山常套の‘キャッチフレーズ’だというのが本質です。

余計なことですが、会員が金を拠出し、その願主は代表となり、さらに、ゼネコン体質というのは、バックマージンには、その代表に権利あり、さて、奉安堂といい、今回の建造といい、そのようなものがあったか・あるかどうか、わたしはキャッチフレーズに踊らされる愚を、石山の現場で、まだ繰り返されることを、ただ嘆かわしく思うばかりです。会員の供養心は純粋でも、それを扱う側が、そうであるとは限らないというのが、この手の構造であることは考慮されるべきだと考えます。

861とんちきちゃん:2009/03/02(月) 18:20:22
妙観講及びO草高騰は、盗聴裁判で敗訴しているのにホームページで反論していますが見苦しいですね!!
カルト丸出し!!

862北斗☆:2009/04/27(月) 02:33:26
初めてレスさせて頂きます。

思いっきりカルトだと思います。

昨日、「犀角独歩」で検索したら出て来る出て来る…

大石寺圏信徒による、独歩さんへの悪口のオンパレード。

間違いなくカルトです。

863北斗☆:2009/05/01(金) 06:26:28
皆様こんにちは。

連レスになりますし、ある意味「死について」トピと重なる部分もあるとは思いますが、完全にカルト発言している法華講信徒を見つけたので、こちらにレスしたいと思います。

>投稿詳細
[59]
4月30日 18:15
>大白法にありますが、神戸市長田地区は、学会員が多い地域です。また、法華講も多いです。
実際、学会員のほとんどが、怪我や亡くなっています。
法華講は、退転者以外は助かっています。
 
これについて大聖人様は、「一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」(最蓮坊御返事・御書642ページ)にある通りです。

敵対勢力は、罰として「死」を。

身内は「助かる」

なんて話じたいが、もはやカルトですよ。

864幻論乙坊:2009/05/01(金) 22:24:52
北斗☆さん
はじめまして、幻論乙坊と申します、宜しくお願い致します。

私はこちらでは既に何度も記しておりますが、言われる所の宗教と言うものを一切信仰した経験が
御座いません。

ある特定の宗教を指して「カルト」だとおっしゃる所が私にはもう一つよく理解できないのです。
カルトではない宗教と言うものが存在するのでしょうか?
(私からすれば全ての宗教はカルトだと思えるからです。)

北斗☆さんのカルトの定義を御教示戴けますでしょうか。

865北斗☆:2009/05/02(土) 15:15:53
>864幻論乙坊さん

はじめまして。

えと、私のカルトの定義はこれを元にしています。

>19世紀から20世紀の変わり目の頃、ドイツのマックス・ヴェーバーやエルンスト・トレルチなどの社会学者、神学者による説では、キリスト教団体を「教会」(各国の主要な教団)と「セクト」に分ける類型法があった。セクトは既存の教会を批判し、宗教的により正しい生き方を目指して分派した小規模団体であると定義した。このような教会とセクトの分類は、キリスト教世界内の団体間の緊張関係に着目している。
なお、1950年にアメリカの社会学者のハワード・S・ベッカー(Howard Saul Becker) は、非キリスト教的なスタイルを持つ新興団体を新たな類型として含め、これを「カルト」と定義した。


>ヨーロッパにおいては「カルト」という言葉は用いられず、社会的に警戒を要する団体を、「セクト」と呼ぶ1。
1995年12月、フランスの下院(フランス国民議会)で採択された報告書『フランスにおけるセクト』は「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針の一つとされている。この報告書は、調査委員会の委員長の名前を取って『アラン・ジュスト報告書』ともよばれている。
この中で、セクトの本質を「新しい形の全体主義」と定義した上で、以下のように「セクト構成要件の10項目」を列挙している。
・ 精神の不安定化
・ 法外な金銭的要求
・ 住み慣れた生活環境からの断絶
・ 肉体的保全の損傷
・ 子供の囲い込み
・ 反社会的な言説
・ 公秩序の攪乱
・ 裁判沙汰の多さ
・ 従来の経済回路からの逸脱
・ 公権力への浸透の試み
以上の項目のいずれかにあてはまる団体をセクトとみなしている。


特に、フランスのを私は重視しています。

日蓮正宗は、5つ位当て嵌まるのではないでしょうか?

866幻論乙坊:2009/05/06(水) 12:05:58
北斗☆さん
先ず、お返事遅れました事、申し訳御座いません。

そう言う定義だったのですか。
私はカルトとは
1.信仰、儀式、祭礼。2.崇拝、(一次的)流行、・・・熱
新クラウン英和辞典  昭和48年発行

又、
宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持。大辞泉

で見られる定義を用いていました。
言葉の意味も時間空間で変化しますね。

現時点、存在する既成仏教の宗祖と言われる方々で当時、異端者扱いされていた方もいましたね。
この10項目に相当数触れていたのでしょう。

ですが、その既成仏教も相当年数以前にカルトとは定義しないようですね。

ここで見られるカルトの定義は数の論理の様ですね。

私は全ての宗教はカルトだと思っておりますが、確かにここでも示されておりますが、
私が宗教団体に属したとしたら「精神の不安定化」を来す事でしょう。

街中でよく「縁結び」「諸芸上達」「無病息災」「厄除祈願」「商売繁盛」等など
を掲げた看板をよく見かけますね。
それら看板を指して、世間の方たちは苦言を呈しません。
メディアでも「商売繁盛で知られる・・・」や「縁結びの神様で知られる・・・」等と報道しますね。
その神仏による、ご利益が真実、有るかどうかも検証されていないにも関わらず、その様な報道をし、又、世間もその報道を受け入れますね。

毎年、正月になれば有名な神社仏閣に於いて、多くの参拝者がお賽銭を投じます。
それら神社仏閣に出向き祈願してもらったり又、賽銭を投じる行為は一般ではカルト的行為とは言いません。
が、私にはカルト的だと映ります。

私は数で定義せず、自ら信じ得ない思想・哲学は「カルト」的だと思えるんです。

自ら信じているその思想・哲学に組しない他者はカルト的と映るでしょう。
が、そこに身を置いている方々は自身の言動をカルト的だとは自覚していないでしょう。

人は皆、カルト的でないと言えるだろうし、カルト的だと言えるかも知れませんね。

(人は皆、カルト的だろうなあ)

是全幻想

868顕正居士:2009/05/10(日) 09:46:28
破壊的カルトとは何か
http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/sub4-1.htm

今、日常に使う「カルト」は「破壊的カルト(destructive cult)」の意味で、宗教社会学の
用語(価値判断はしていない)とは無関係です。90年代からアメリカで使われるようになり、
ただし欧州では同じ意味でセクトを使います。新興または分派の教団で相当ていどに
反社会的、反文明的な傾向のものという感じです。
したがって列挙された諸特徴に多く当てはまる、あるいは単に多くの人が破壊的カルトだ
というものがそれであり、操作的定義です。ですから規制などを行なう場合は教団名列挙
であり、むづかしいのは線引きです。

869北斗:2009/05/11(月) 20:22:01
>866:幻論乙坊さん

私も、返事が大変遅れました。申し訳ありません。


>私はカルトとは
1.信仰、儀式、祭礼。2.崇拝、(一次的)流行、・・・熱
新クラウン英和辞典  昭和48年発行
又、
宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持。大辞泉


まぁ、世間的にはこう見る方々が大半ではないでしょうか。


>現時点、存在する既成仏教の宗祖と言われる方々で当時、異端者扱いされていた方もいましたね。
この10項目に相当数触れていたのでしょう。
ですが、その既成仏教も相当年数以前にカルトとは定義しないようですね。


即成仏教が出来た当時に、私が基準にしているフランスの報告書があれば、それはカルトと言われていたかも知れません。

しかし、即成仏教がカルトならばこの現代までは生き残れなかっただろうと私は認識しています。


>私は全ての宗教はカルトだと思っておりますが…


う〜ん、カルトでしょうかね?
その判断は個人の自由だとは思いますが…

私の基準からいけば、そうとは言い切れないと思います。


>毎年、正月になれば有名な神社仏閣に於いて、多くの参拝者がお賽銭を投じます。
それら神社仏閣に出向き祈願してもらったり又、賽銭を投じる行為は一般ではカルト的行為とは言いません。
が、私にはカルト的だと映ります。
私は数で定義せず、自ら信じ得ない思想・哲学は「カルト」的だと思えるんです。


自ら信じ得ないから「カルト」的ってのは、ちょっと…
「カルト」の拡大解釈では?。

870阿佛棒:2009/11/02(月) 02:12:29
カルトというのは便利な言葉ですね。
カタカナ言葉でははっきりしないので。
カルトとは即ち

異端。

です、日蓮系はマルキ印が多いのが悩みの種
しかし狂は聖に通ずるともいうし困ったものだ。

もうすこし丸くなって欲しいもの。
人に迷惑をかける時点でもうダメ、というのは日蓮系全てに言えるが
当の日蓮がいまだにこりず候
なので治らないだろうなとは思う。

救いとか成仏拔きにしても人に迷惑をかける人にはソレ相応の報いあり。


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