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創価学会法華講正信会顕正会妙観講等はカルトっぽいか

569犀角独歩:2002/12/06(金) 19:28

> 勅額は「本門寺戒壇院」

これは血脉抄から、すればそうでしょうね。
まあ、しかし本門寺内に建つとすれば、単に「戒壇院」でしょうね。

ところで、ここで疑問になるのは、聖人の言う三つの本門中「戒壇」、二箇相承の「富士山本門寺戒壇」、血脉抄の「戒壇院」、精師の「戒壇堂」が、元より、同一のものを指していたのかという点ですね。

三つの法門の戒壇を直ちに堂宇、寺院と見ることに私は疑問があります。
しかし、二箇相承であれば、これは建物を指しているでしょう。
戒壇堂といえば、寺院内の堂宇、しかし、戒壇院といえば独立した寺院と見てもよいのだろうと思えるわけです。

この辺を一括して同一に論じると見落とすものが多すぎると考えます。

570犀角独歩:2002/12/06(金) 19:39

あと、精師が戒壇之漫荼羅を背にして、御影像を入れた堂宇を建立したとき、これはれっきとした本堂であったのでしょう。しかし、その後、戒壇之漫荼羅は、なんと御宝蔵にしまわれてしまうわけです。

達師の言でわかるとおり、石山では、戒壇之漫荼羅が安置されていたところを、古来より本堂と呼んでいた。ところが、その戒壇之漫荼羅をしまったわけですね。ここから、この本堂は本堂の機能を失い、単なる御影堂となったわけですね。

しかし、本当に精師以前、戒壇之漫荼羅を安置した本堂なるものがあったのでしょうか。私はこの点を大いに疑っています。そもそも条々事でも「石寺は御堂と云い墓所と云い、日目之れを管領」というわけです。

もしも、戒壇之漫荼羅を安置する本堂なるものがあったのであれば、筆頭にこの管領を記すはずです。それなのに、ここで「御堂」となっています。また、これを本堂ではなく、御影堂であったはずだと達師も言うわけですね。

もとより、本堂とは石山においては御影堂を指していたのではないでしょうか。御影像が安置されたところが本堂という意味です。

私は、言われるような、戒壇之漫荼羅が安置された本堂、は石山にはなかったのではないのかと思うわけです。

しかし、精師は戒壇之漫荼羅を入れて、その前に御影像を置いた前代未聞の堂宇を建立し、高らかに「本門戒壇本堂」と銘打ったのではないのか、そう考えたほうが自然にとらえられるわけです。

571けい:2002/12/09(月) 08:48
現在の寺号問題から少し離れてしまうのですが、謗法について少々教えて下さい。
どうも謗法の捉え方が顕正会在籍時の判断基準と、宗門の諸書籍から読み取る判断基準と異なるように思えます。
本来の謗法の捉え方、どこまでを謗法とすべきでどこまでが謗法ではないのか、教えて頂けないでしょうか?
よく考えると顕正会では謗法の説明はしていても、どこまでは良いやらどこまでは不可なのか、公式には解説していないように思います。
そのため会員の個々が判断してしまうため、統一されていません。
極端な会員にでもなると、アニメで邪教の寺が出てくるだけで”謗法だから見たくない”とか言い出している姿を見たことがあります。
或いは会員幹部が過去に行った修学旅行の写真を焼き捨てた者も知っています。
この辺本来宗門はどう捉えてどう指導してきたのでしょうか?
教えて頂けないでしょうか?

572犀角独歩:2002/12/09(月) 12:15

571におけるご質問の趣旨は、いわゆる寺院参拝における石山と顕正会の相違点ということと判断して、やや記します。

この根拠となるのは『日興遺誡置文』における

「一、檀那の社参物詣(ものもう)でを禁ずべし、何(いか)に況(いわ)んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや。返す返すも口惜(くちお)しき次第なり。是(これ)全く己義(こぎ)に非ず、経文御抄等に任す云云」

を根拠にするのでしょう。顕正会では、ここまでとなるのであろうと思われます。
しかしながら、石山においては、その後『有師化儀抄』において

「一、他宗の神社に参詣し一礼をもなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり、就中正直の頭を栖と思し召さん垂迹の謗法の人の勧請の所には垂迹有るべからず、還つて諸神の本意に背くべきなり云云、但し見物遊山なんどには神社へ参せん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する」

といい、特に見物遊山に関する禁止は解かれているわけです。
この変化について、亨師は

「信仰帰依の為の参詣にあらざれば差支なし」(註解)

といい、達師は略解において、

「見物遊覧のため神社を見て廻っても、それを禁止する必要はありません。
 (注、日興上人は、遺誡置文に「一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや」と厳重に謗法の寺や、神社を見物することすら止められている、これは未だ宗派の草創時代であったから、他との異を明らかに一線をもって劃したのであり、日有上人の時代は、すでに一宗が確立したから、見物ぐらいで信徒の信心がぐらつかなくなっているからであります)」

といいます。
さらに化儀抄においては、

「一、学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤行の事をなし又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云」

とまで言うのであって、学問修行のために他の寺院、檀林で学ぶときは他宗の袈裟を掛けて勤行しても問題ないとまで言っているわけです。

この学問修行の件は在家分とは無関係のことなので、略しますが、神社・寺院へ赴くとき、謗法云々を分けるのは、そこで信仰を示す礼拝・布施を行うかどうかに力点をもって考えるのが石山儀でしょう。

そもそも現在の顕正会、石山寺院に行くことについては、どんな見解をもっているのでしょうか。また、その信徒家庭に安置される漫荼羅礼拝については、どうなのでしょうか。
もし、これらの点を否定し、謗法などといっているとしたら、顕正会こそ、石山儀に言う謗法に当たる私には思えます。

573けい:2002/12/09(月) 12:36
詳しく説明してくださって有難うございます。
よく分かりました。
顕正会員が大石寺系寺院に行くのは特に謗法とは呼ばないと思います。
信徒の家庭に安置される御本尊に関しては、私には分かりません。
しかし学会員などが顕正会へ入会した場合、御本尊を本部へ一度預かってもらうようです。
学会がコピーした御本尊だからという理由からだと思います。
細井管長や阿部管長の御本尊の場合も取り替えているようです。

574犀角独歩:2002/12/09(月) 15:25

けいさん:

> 取り替えているようです

取り替える?というのは、何とですか。

575けい:2002/12/09(月) 16:06
御本尊を取り替えるのです。
細井管長や阿部管長の御本尊から日寛上人の御本尊へ取り替えるわけです。

576ガンコ:2002/12/09(月) 16:25

「御相承の断絶」 浅井の真意 (上)

平成11年の本部指導会で浅井は、はじめて御相承の断絶に言及しましたが、わたくしは「ああ、とうとう言っちゃったか」と思いました。
ですが、これは浅井の本意(翻意)ではないと考えています。たしかに御相承の断絶を明言していますし、折伏理論書の改訂版でも同趣旨のことが明記されていますので、どうにも否定しようがありません。
それにもかかわらず、わたくしはここで、一般の顕正会員とは異なった見解を示そうと思います。

問題となっているのは、現実に日達上人から日顕上人に御相承があったのかどうか、これについて正信会が、そして創価学会が疑義を呈しているわけですが、御宗門から見れば「顕正会よ、おまえもか」ということになるでしょう。
わたくしは日達上人から日顕上人に御相承があったと信じていますし、おそらく浅井もそうなのだろうと思います。
では、なぜに御相承の断絶に言及したのか?
結論から言えば、「もし迹を借らずんば何ぞ能く本を識らんや」との意であろうと思います。

浅井の真意は、
1、日顕上人を諌め、改悔を促すこと。
2、御遺命の正義を顕わすこと。
3、御宗門の安泰を願うこと。

昭和50年代後半から60年代にかけてのことですが、創価学会の末端では顕正会と正信会を混同している人が多かった、ような記憶があります。学会員のいわく「おまえらは猊下の血脈を否定しているじゃないか」、わたくし「・・・・・・」
当時、入信したばかりのわたくしは国立戒壇くらいしか知りませんでしたので、たいてい班長がかわりに喋ってくれていたのですが、そのときは班長もわからなかったようでした。
それでそのすぐあと班長は本部に電話を入れました。今では考えられませんが、そのころはわからないことがあると班長クラスでも直接本部に問い合わせていたものでした。
班長の話では電話に出たのは現在の主任理事、当時なんだったか忘れましたが本部職員だったのは間違いないと思います。班長のいわく「きょう学会員を折伏したんですが血脈がどうのこうのと言っていたのですがどう応じればいいのでしょうか?」
「血脈についてはこちらから触れる必要はないし、相手が言ってきても答えなくていいから・・・」
ということでした。

今思えば、顕正会がいかにちっぽけな組織だったか、しかも妙信講から名前を変えたばかりの頃でしたから、学会の一般会員は顕正会が旧妙信講であることを知らなくて当然だったかもしれません。
いずれにしても顕正会は、創価学会が血脈否定の側にまわってからも、一貫して御相承については多くを語らないで来たのです。ゆえにわたくしは、この先もずっと言わないだろう、御相承の断絶は言わないだろうと思っていたのでした。
ところが浅井は言っちゃった。なぜでしょうか? なぜあのタイミングで言わなければならなかったのでしょうか?

577ガンコ:2002/12/09(月) 16:30

「御相承の断絶」 浅井の真意 (下)

正信会が相承疑惑を言い出した時も同調しなかった、おなじく創価学会が言い出した時も同調しなかった、ようするに国立戒壇一本で通してきた顕正会がいまさら御相承の断絶を言う必要があったのか、はなはだ苦しむところです。

ひとつ思い当たることがあります。平成3年以降、学会員を折伏すると必ず彼らは「日顕が、日顕が、」と言うのです。言い方はさておき、その内容には困りました。およそ顕正会では取り上げないようなお下劣な話ばかりでしたから、今思えば平成2年以前の宗門学会蜜月時代のほうが折伏しやすかったようにも思えます。いずれにしても顕正会では聞いたことのないようなことを言ってくるので困りました。おそらく本部でも考えたのでしょう、ウブな顕正会員に免疫をつけさせるために創価新報の記事をひところは顕正新聞や冨士によく載せていました。
当然、血脈相承についても避けては通れず、「学会宗門抗争の根本原因」でも触れていますし、顕正新聞の紙上座談会でも取り上げています。しかし、実際に御相承があったのかなかったのかには触れませんでした。
正直に言えば、現場で折伏を行ずるわたくし達と先生の間に齟齬が生じはじめたのではなかったか?
つまり学会員は恐れ気もなく「日顕は相承を受けていない」と言ってくるのですから、本当のところはどうなのか?浅井先生の見解を示してほしい、というのが現場会員の要望・・・声なき声だったのだろうと思います。

インターネットの普及は、浅井のような旧い人間にとっては想像を絶するものであったのでしょう。しかし、ここに来て、ようやくその影響力の大きさを認識し始めたように思います。
心底抄の「兼日の治定」云々について、いままで一度も触れたことがなかったのに御遺命守護が完結した今日になって取り上げざるを得なかったのも、まさにむべなるかなと思います。
もはやこの流れは止めることができない、浅井が目をつぶろうとも顕正会員の目をつぶらせることはできない、となれば正面から取り組まざるを得ない。

「御相承の断絶」に言及せざるを得なかった理由の背景には、上記のようなことどもがあったのだろうと思います。
しかし、本当に御相承が断絶したのかどうか、浅井は知る由もありません。よって、巷間言われているように、正信会学会の言説を鵜呑みにしたことになりましょう。
では、その真意はいずこにあるかと言えば、日顕上人を諌めるにあります。
「断絶発言」の以前以後にかかわらず浅井は一貫しています。すなわち御遺命に背いた罰であると。
早く御遺命違背の罪を懺悔し、速やかに御遺命の正義を顕わし給えと。
而強毒之の意味において、正信会学会が「断絶」を言っているのに猊座を守らんとしてそれには触れないで諌めようとしても、はなはだ弱い諌めになってしまう、よって強い諌めをなさんがために正信会学会の主張を借りているのであって、本当は断絶していないと浅井は思っている・・・とわたくしは思っています。

御相承が断絶したのかどうか浅井は知る由もない。・・・やや、ちがったことを書きます。
日達上人が御遺命違背に同調した時点で血脈は断絶したのではなかったか?
たとえ日達上人、日顕上人の間で御相承の儀が行われたとしても同じく血脈は断絶。
なぜなら、御登座20年余の間、日顕上人には国立戒壇の正義が絶えて見られない、もじどおり断絶してしまっているではないか。ようするに日達上人は授けなかった、日顕上人は受けなかった。
つまり浅井の言う「御相承の断絶」はここに極まるのだと思います。
「唯授一人の血脈相承」を否定するものではありません。
かく見れば、“正しき猊下がお出ましになれば血脈はよみがえる、そういうことになっている”との意味も通じるでしょう。

さて、純然たる法華講員の皆さんはいかが思われるでしょうか?
浅井は憂宗護法の士だとわたくしは思っています。解散処分を受けてすでに年久しいですが、いまもなお御宗門を憂いていると思うのです。
御宗門のために力になりたい、猊下のお味方申し上げたい・・・これが浅井の真意であろうと思います。

578犀角独歩:2002/12/09(月) 16:50

> 日寛上人の御本尊へ取り替えるわけです

在家団体にすぎない顕正会がなんで寛師漫荼羅をもっているわけですか。
また、取り替えるという典礼行事を在家が勝手に行うわけですか。
創価学会と何が違うのでしょうか。
これはまさに石山儀における謗法行為ではないのですか。

579犀角独歩:2002/12/09(月) 16:59

顕師を諫めるために血脈断絶を言うなどという理屈は通りませんよ。
断絶と言えば、断絶です。

断絶していないのに「断絶」したと言えば、浅井さんはただの大嘘つきであると言っているようなものです。

> “正しき猊下がお出ましになれば血脈はよみがえる、そういうことになっている”

こんな前代未聞の与太話は話になりません。
こんな教義は聞いたことがありません。

との意味も通じるでしょう。

> 浅井は憂宗護法の士

教学を弄び、自分の絶対性を言う浅ましい姿以上に映ずるところはありません。

いつまでも、下らない堂々巡りはやめていただきたい。

580犀角独歩:2002/12/09(月) 17:05

『富士一跡門徒存知事』には

「日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり」

と記されているにもかかわらず、漫荼羅を安直に取り替える顕正会もまた、重須已来の興師の伝統を破壊する団体であることを明瞭に理解しました。

581モトミナ:2002/12/09(月) 17:15
ガンコさん
仰られたい事は肯定的に捉えてみます。
しかし真意が何処にあるにせよ、明確に会長として翻っている発言をしている事実は事実だと思います。
正信会は相承否定をした時、「相承の断絶などある筈がない」と言い切っているわけですし、後にそれが授受断絶を発言してしまっている。
どう肯定的に見ても、これは180度転換したとしか言いようがないわけです。
日顕上人を諌めるための方便と言われていますが、「授受断絶」という事は「日顕上人には上人ではない」と言い切ってしまっている事になるんです。
それがどうして諌めるための方便になるのでしょうか?
しかもその後で「もう宗門もたよりにしない。広宣流布は顕正会で行う」とまで言い切っているわけですから、これは顕正会こそが大聖人の命を受けている、宗門など関係ない、としていることになります。
擁護的な発言をどれだけしても、取り返しのつかない方向性を打ち出してしまった、としか言いようがないと思います。

582犀角独歩:2002/12/09(月) 18:36

> 581

モトミナさんが記すところは、そのとおりであろうと私は賛同します。

583問答迷人:2002/12/09(月) 19:21

ガンコさん

>御宗門のために力になりたい、猊下のお味方申し上げたい・・・これが浅井の真意であろうと思います。

僕は、もう、法華講から心は離れており、席だけを残している法華講員なので、純然たる法華講員とは言えませんが、一言、発言させて下さい。

浅井さんが、猊下の味方をしようと思っているとか、そんな認識は、宗門も持っていないし、法華講員も思わないし、第一、血脈の断絶を口にした瞬間、日蓮正宗信徒ではなくなり、異流儀なります。もはや、独自路線を歩むしか、道は残されていないと思います。それにもかかわらず、大石寺戒壇本尊をいくら拝んでも、血脈を否定した以上、何の功徳も無い、それが大石寺の教義です。顕正会の布教によって、血脈がよみがえる、等という話は、その根拠が示されない限り、いかにも浅井さんらしい、ご都合主義的な煽動に過ぎないと思います。

584犀角独歩:2002/12/09(月) 19:48

○目師再来説は郷門の伝説、要師の宣揚物語である

私はここで何度か書いてきましたが、目師再来説というのは保田妙本寺に伝わるところであって、石山はそれを転用したのに過ぎない点を指摘しておきます。

この伝説は房州・中興の祖、我師が『申状見聞』のなかに伝えるものです。

「目上御遺言に曰く此の申状奏せず終に臨終す 此の土の受生所用無し雖も 今一度人間に生れ此の状を奏す可し 若し此の状奏問の人未来に於て有らば 之れ日目が再来と知る可し」

日目上人の遺言に曰く、この申し状を奏せず、ついに臨終する。(こののち)この娑婆世界に生を受けることを用いることはないのであるけれど、いま一度人間に生まれて、この状を奏するべきであろう。もし、未来において、この状を奏する人があれば、日目が再来と知るべきである…

こういう伝説がある。これが目師再来説の根拠です。
しかし、ここだけ引用することは“切り文”であると私は指摘したわけです。
なぜならば、この文章は、このあとに以下のように続くからです。

「爰に日要奏す之れを争か之れを疑ふ可けん乎」

つまり、妙本寺・要師こそ、目師再来その人であるというのが、この伝説の言わんとすることなのです。

このおいしい部部分だけを持ってきて、さらに伝説化した石山の目師再来説を私は嗤うのです。ましていわんや、顕正会の今の大騒ぎをやと言いたいわけです。

585犀角独歩:2002/12/09(月) 20:46

さて、584の要師の言をもう少し紹介しておきます。

「其の上当家の再興行躰の辛苦目上に異らず 如之要上或る時霊夢に大聖開山有り御相伴日郷の御爵にて以て金銚子に酒をうけ飲み玉ふ、爰に日目は見へ玉はず さても不審也と思ふて夢覚めたり平生御雑談也」

そのうえ、当家の再興、行体の辛苦は日目上人に異ならない。しかのみならず日要上人、ある時、霊夢に、日蓮大聖人と日興上人にあらせられた。もてなしに日郷のお酌で金の銚子から酒を受けて飲みたまう。ここに日目は見えたまわなかった。さてもいぶかしく思ったところで、夢が覚めたという常日頃の雑談である

というのです。つまり、この話は夢の中に蓮興二祖が酒を飲んでいるときに、郷師が自分に酌をした、目師は見えなかったので、自分こそ、目師その人であると語る話であるわけです。時に興目寂から167年目、明応8年(1499)の物語です。

このような肝心の箇所は蹴飛ばして、目師再来が近未来のように語ることを、私は欺瞞を通り越して詐欺であると思うわけです。

586モトミナ:2002/12/09(月) 21:04
独歩さん
それで顕正会は「目師が会長」と主張しているわけですね?笑
だとすると石山に拘る必要が浅井会長には何もないですよね?爆
保田系に移れば大いに目視再来を叫んで結構。こうゆうことになりますよね。
それを石山に持ち込むな!と。
元々持ち込んだのは石山なんでしょうけれども。

587犀角独歩:2002/12/09(月) 22:53

モトミナさん、そのとおりですよ。持ち込んだのは石山です。
でも、石山じゃ「我こそは日目の再来…」あるいは「露払いをする者」なんていう変な奴はでませんでしたが(笑)

もっとも学会では「池田先生に衣を着せれば日蓮大聖人」というらしい(爆)

私の知人が「精神病棟に行くといっぱい宗教的有名人がいるぞ」と「私は釈迦」とか、「私はキリスト」「私はマリア」(笑)
これは心の疾病だから仕方ありませんが、野放しの、そんな確信を持って堂々と語る人間には注意しないといけませんね。

588五月雨:2002/12/09(月) 22:56

横レス失礼致します。

ガンコさん

>さて、純然たる法華講員の皆さんはいかが思われるでしょうか?
浅井は憂宗護法の士だとわたくしは思っています。解散処分を受けてすでに年久しいですが、いまもなお御宗門を憂いていると思うのです。
御宗門のために力になりたい、猊下のお味方申し上げたい・・・これが浅井の真意であろうと思います。

元純然たる法華講員の私もひとこと言わせて頂きますと、宗門も法華講員も浅井さんの憂いなど要らぬお世話というところでしょうか。
私は顕正会の存在を法華講に入ってから知りました。学会員当時には全く知らない存在だったのです。法華講に入ってからどのように知ったかというと、原島さんの著書「池田大作先生への手紙」で知ったのです。お寺で顕正会を教えてもらったのではありません。きっと、私の所属する寺院の法華講員の80パーセントの人は顕正会など知らないでしょう。そんな存在薄き顕正会に何の期待などあるでしょうか。
ガンコさんもいつまでも堂々巡りの(浅井、と呼び捨てられていますが、身内なのでしょうか)、浅井さんの擁護はもうおやめになって、教義の上から今一度顕正会を見直されてはいかがですか。

589犀角独歩:2002/12/10(火) 10:21

○謗法厳戒は他者厳戒にすり替えられていないのか

ここのところ、やや謗法ということが取り沙汰されているのだけれど、私には顕正会をはじめとする謗法厳戒は、単なる“他者厳戒”なのであって、自分たち絶対を言う道具とされていると見ています。これらは「狗犬」の誡めに当たる者であると思えます。

真跡を残さない『松野殿御返事』、「此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり」を存し、顕正会も引用する書ですが、この中に以下の一節があります。

「末世には、狗犬の僧尼は恒沙(ごうじゃ)の如しと仏は説かせ給ひて候なり。文の意は、末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟衣を著たれば、形は僧・比丘尼に似たれども、内心には邪見の剣(つるぎ)を提(ひっさ)げて、我が出入りする檀那の所(もと)へ余(ほか)の僧尼をよせじと無量の讒言(ざんげん)を致し、余の僧尼を寄せずして檀那を惜しまん事、譬へば犬が前(さき)に人の家に至りて物を得て食らふが、後に犬の来たるを見て、いがみほ(吠)へ食ひ合ふが如くなるべしと云ふ心なり」

この戒めは何も僧侶のみに当たる者ではないでしょう。集団を運営する似非仏教者すべてに当て嵌まります。

末法には犬のような者どもがガンジス川の砂のようにたくさん出てくると仏は説かれた。形は正しい仏法実践者のように見せながら、内心には邪険の剣をひっさげ、自分の組織に出入りする人々を他の組織に行かせまいとして、悪口雑言の限りを尽くし他を蔑み、信仰しようとする人々のところに他の組織を寄せまいと信者に執着するのである。その有様は、たとえば、犬が、ある家で餌をもらって貪り食うのに、あとから他の犬がやってくるといがみ合い、吠え合い、噛み合うようなものである。

まさに石山、学会、顕正会の互いに謗り合う様は、この「狗犬」の戒めに当たると映じるのです。

要は、この「狗犬」の戒めに当たることをやっておきながら、それを正当化するために悪用されているのが「謗法厳戒」ということである仕組みを見逃してはならないと思うわけです。

590問答迷人:2002/12/10(火) 10:34

>589

賛同します。謗法厳戒を言う裏事情は、このように醜い物なのだと感じてきました。それにしても、石山系の各派がお互いに罵り有っている様は、本当に醜いです。

591菊水護国:2002/12/10(火) 13:15
> 577
ガンコさん
私の考えですが、あの時期に相承断絶(血脈不断絶?)を言った理由は簡単ですよ。
顕正会は前年、無理に「御遺命守護完結宣言」をしました。
旧会員は「御遺命守護完結したら宗門に戻れる」を思い込んでましたから、宗門に戻らない正当理由を、ぶち上げなければならなくなったのです。
その正当理由が「相承断絶」です。

592菊水護国:2002/12/10(火) 13:29
> 私の知人が「精神病棟に行くといっぱい宗教的有名人がいるぞ」と「私は釈迦」とか、「私はキリスト」「私はマリア」(笑)
これは心の疾病だから仕方ありませんが、野放しの、そんな確信を持って堂々と語る人間には注意しないといけませんね。

僕の同級生で、東大で司法試験受験生だった男がいます。彼の口癖は「天から声が聞こえた」でした。
「おい菊水、今日、天の声が聞こえた。今年中に地震が起こるぞ、お前、防災用品を用意しておけ。」
「おい菊水、今日も天の声が聞こえた。今こそ決起して、総理大臣を抹殺しなければ、日本は滅ぶぞ」
等です。当時私は右翼サークルを主催してたから、私を実行部隊にしたかったようです(笑)。
その後、彼は司法試験に合格しましたが、同時に精神病が発覚し、精神病棟に入院し、退院した今でも通院しています。
おかげで、弁護士登録は拒否されてますが・・・。
そのとき、精神病棟で医者から聞いて、知った言葉が「パラノイア」や「誇大妄想」でした。

593犀角独歩:2002/12/10(火) 14:06

天の声…天声ですね。
天声といえば、法の花三法行。この法の花という名前、やめて欲しいと思っていました。法の花って法花(法華)ですから。

それはともかく、福永法源が言った天声は虚偽に基づく脅迫であるということで慰謝料の支払いを命じられたのです。

法律的見地として、予言やらなんやらで、人を脅迫し、労働や出金を強要し、かつそれが虚偽であると証明されれば罰せられることになるわけでしょうね。

有名なところでは宗教法人・明覚寺の系満願寺の2人の坊さんが、“悩みごと相談”で「悪霊が憑いている」と占い、それを祓うためと称して、1億円の謝礼を受け取ったいうことがありました。これは結果的に1996年6月18日、名古屋地裁は両被告に懲役1年2か月と1年(ともに執行猶予3年)の判決を下されたわけです。これは、悩みごと相談を「教団ぐるみの組織的、継続的におこなわれた詐欺行為」と認定されたわけです。認証を受けた宗教法人の布教活動にはじめて有罪判決が出たものとして注目された(1996年6月19日、朝日新聞朝刊)

もちろん、有名なところでは統一協会の霊感商法というのもあります。これも人々の恐怖をあおり商品を売りつけるものであったわけです。この被害を訴えたのが“霊感商法被害裁判”。これに類して、嘘っぱちの教義に騙されて青春を棒に振ったということで起きたのが“青春を返せ裁判”です。

同じように「日本が滅びる」「未曾有の天災が起きる」「他国が攻めてくる」こんなことを放言しておいて、人を煽動するだけして、もし何も起きなかったら、私は同じ事であろうと思うわけです。騒乱罪なんてこともあります。

もちろん、訴えるものがあって成り立つことです。

さてと、顕正会・浅井さんとその会員の騒ぎは、果たして、これに該当するかどうか。
どんなものでしょうか。

594菊水護国:2002/12/10(火) 14:59
浅井さんの発言とその他の予言者の違いは、浅井さんはほとんど学者の見解として発表してる事です。
学者の見解を利用する事で、自らの責任を回避する事は可能かと思います。
彼自身が「大聖人様の声が聞こえ、○○が起こる」とは言ってませんから。

595モトミナ:2002/12/10(火) 15:11
菊水護国さん
私も全く同意です。
自らの責任回避ができて、更に都合よく次の学者の論を引っ張り出してくる事が、得意とされるところです。
かつて浅井会長は小田原地震の切迫について触れ、その論拠として石橋克彦論を持ち出しました。
その論には1998年+−5年として危機的状況にある、と説明し全会員を煽動しましたが、結果は地震発生せず。
その後、溝上氏の東海大地震説を取り出して現在、その危機的状況を訴えている、というものです。
つまり、専門家の論を根拠にして、更に「広宣流布前夜を考えれば、いつ何が起きてもおかしくない」という危機的状況を訴えているわけです。
勿論地震は起こるでしょう。周期説や過去の実例を見ても当然ですから。
しかし問題は長年訴え続けて、それが信者を煽る発言に繋がっているということだと思います。
そう考えると、非常にずるい口実にもなるわけですよね。学者の論を引っ張り出すこと自体が。
そういえば中学時代の同級生がよく、雑誌「ムー」を愛読していて、クラス中に”世界の破滅”を訴えていたものがおりましたが、今となってはあの類にしか見えないわけです、私には。

596犀角独歩:2002/12/10(火) 19:27

浅井さんのやり方は、聞いてみると池田さんとまったく同じ訳ですね。
「…と○○が言っていた」
しかし、学者の言葉を引用しただけだから、責任がないとはならないでしょう。
ただ、単に立件できないだけです。

また、さらに突っ込めば顕正会員は学者が言っているから信じているわけではなく、浅井さんの口をついているから、その段階で信じているわけです。
このような場合、引用だけだから責任が問えないと果たしてなるか、私はならないと思います。
さらに「この信仰をしないと地獄に堕ちる、罰が当たる」などいう発言は学者の言とは関係ありません。
この部分で、宗教の責任問題を考えていこうという動向が今はレアなのです。
脅しで金銭の拠出、行動の煽動を行うことに違法のメスが入る時代になってきています。

597ガンコ:2002/12/11(水) 11:51

「御相承の断絶」 (続編)

わたくしが法華講員の方に申し上げたかったのは次のことです。

日顕上人は御相承を遊ばしたのか? つまり次のお方をお決めになられたのか・・・これがまた悩ましい問題であろうかと思うのです。

申すまでもなく日顕上人は大石寺の御当代、血脈付法の人にてまします。
ところが多くの人がそのことに疑いを抱いている。正信会が、創価学会が、そして顕正会が・・・
このような状態ではたして次のお方がすんなりと猊座にお就きになることができるのか、考えるだに頭が痛くなります。当然その時には創価学会が動きましょうし、正信会もなにかしら手を打ってくるかもしれません。また、御宗門の中でも不穏な動きがあるかもしれません。
唯授一人の血脈相承を信徒の分際で云々するのは間違っている、恐れ多いということを法華講員の方々はおっしゃるかもしれませんが、まさに問題は眼前であろうかと思うのです。ソノトキイカンガセンヤです。

顕正会の主張はきわめてシンプルです。どなたが猊下になられても国立戒壇さえ認めて下されば、直ちに猊下に信伏随従申し上げる。まちがいなく近未来に、ふたたび御相承問題で宗門は大混乱に陥るであろう、その混乱は前に似るべくもない大混乱になるだろう、日蓮正宗の存亡にかかわる大混乱・・・その時もはや打つ手を失った猊下は顕正会を頼らざるを得なくなる。

もっともこんな話は存在しません。わたくしことガンコが勝手に言っているだけです。
ですから浅井に上記のような打算的な考えがあるのか、あるいはもっと別の計算があるのか、あるいはなにも考えていないのか、わかりません。
いずれにしても御相承の問題は過去だけでなく未来の問題でもあるということです。

余計なお世話だったことでしょうが、「法華講支部妙信講」が顕正会の原点ですから、大石寺信徒のハシクレのつもりで書かせていただきました。また、方向性に狂いが生じてきたとされる今の顕正会のあり方に、わたくしなりに釘をさしたつもりでもあります。

独歩さん、モトミナさん、問答名人さん、五月雨さん、菊水護国さん、その他の皆さん、どうもありがとうございました。

598モトミナ:2002/12/11(水) 12:02
ガンコさん
一度私に直メールを送ってみて下さっては?
お会いできるものなら一度して、じっくり話してもいいと思っています。
ここで話してしまっては私が誰なのか、顕正会サイドやガンコさんにすぐに分かってしまうと思われ、隠して顕していないことがたくさんあります。
教学的なことはここの方々にお任せするとして、真実をお望みであるなら、全てお話しても構わないと思っています。
私の話をどう捉えてもらっても構わないと思っています。
ただ、事実を見ないふりをして肯定的に見てしまう顕正会員体質をガンコさんに見てしまうわけでして、それはあまりにもったいない、と思うわけです。

599モモ:2002/12/12(木) 06:36
>597

>顕正会の主張はきわめてシンプルです。どなたが猊下になられても国立戒壇さえ認めて下されば、直ちに猊下に信伏随従申し上げる。まちがいなく近未来に、ふたたび御相承問題で宗門は大混乱に陥るであろう、その混乱は前に似るべくもない大混乱になるだろう、日蓮正宗の存亡にかかわる大混乱・・・その時もはや打つ手を失った猊下は顕正会を頼らざるを得なくなる。

「猊下に信伏随従」とは誤解を招く不適切な表現であると私は理解しております。

600犀角独歩:2002/12/12(木) 11:46

堂々巡りをしていて、何度の同じことを書くのはわたしはあまり好きではありませんが、別段、石山現当職も、先師も国立戒壇を否定したわけではないでしょう。また戒壇建立は四菩薩に掛かること、四菩薩にあらざる貫主は、そのことを述べることを僭越であるとしているのに過ぎないということです。

なお、能化文書でも「(法主上人猊下は)戒壇の大御本尊と不二の尊体」という以上、「猊下に信伏随従」ということは原石山義からすれば少しも違和感はないと思います。

ただ、この件は能化文書で法主・戒壇之大御本尊不二尊体を言って学会に突っ込まれたあと、言葉に窮して自重した流れが法華講に徹底にされた報道管制の一端をモモさんが、元来の石山義の如くとらえてしまっているのに過ぎない点を私は指摘しておきます。

何度も記したとおり、私は教学部と内自部『大日蓮』編集室から仕事をもらい文書を扱っていた手前、石山義が「猊下へ信伏随従」は当然のことであると知っています。

そもそも信伏随従していればこそ、石山において「南無」(帰命)を意味する合掌礼をもって猊下に向かうのでしょう。合掌はするけれど、信伏随従はしていないなどというのは詭弁以外の何ものでもありません。

601犀角独歩:2002/12/12(木) 11:48

【600の訂正】

誤)原石山 内自部
正)現石山 内事部

602菊水護国:2002/12/12(木) 20:34
そもそも国立戒壇であろうと、私立戒壇であろうと、目師を初めとする四菩薩が定めるのであり、それ以外の猊下は目師の御代官に過ぎません。否定も肯定も無いと思います。
そもそも妙信講が解散になったのは「国立戒壇主張のみ」が理由であったのでしょうか。それとも「国立戒壇を強要する脅迫、デモ、暴力行為による宗内秩序破壊」が理由だったのでしょうか。

603犀角独歩:2002/12/13(金) 10:19

誤解を受けると不本意なので、補足します。
私は個人的には、もちろん、石山住職への信伏随従を否定します。
しかし、現石山の本音は、アナウンスとは違うということを言いたかったわけです。

仏法は、先にも記したとおり三帰、すなわち三宝帰命をいういわけですから、現石山
義に則れば、仏に対する帰命は蓮祖に、法に対する帰命は戒壇之漫荼羅に、僧に対す
る興師と歴代師に、という三つを立てなければなりません。もちろん、この場合、僧
宝は興師ですが、それを随一として、唯授一人の相承者として歴代貫主を言うとする
のですから、その人に対して、信伏随従をいうのがおかしいとはならないでしょう。

そして、次に、現石山義で言えば、真偽未決の『真言見聞』に涅槃経を引く「謗法と
は謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」というのであって、その意味からすれば、下
種三宝を言ってしまえば、日蓮、戒壇之漫荼羅、日興と歴代、さらに石山僧全部が一
体の帰命対象というのが、現石山義として導かれるのは、理の運びからすれば、自然
なことです。もちろん、この点については、私は下種三宝を否定しているわけですか
ら、反対の立場です。

しかし、私は注視しているのは「聖人を差し置いて猊下への信を強要している」とい
う論調を、誰が始めたのかということです。これは要するに学会であるという点で
す。また、その批判をかわすために、理解されづらい、三宝一体、不二尊体を下げて
論じた現石山の論調は不誠実であると私は言っているわけです。

だいたい、信伏随従すればこそ、その人が書いた漫荼羅を拝むのでしょう。漫荼羅書、
写・授与の関係というのは、そういうことでしょう。
そうでなければ、ただ1人と定める漫荼羅書写の権能は、学会が言う如く「本尊書写
係」の体をなすことになってしまうでしょう。

604アヤエ:2002/12/16(月) 16:37
ガンコさんは間違いに気がついた今も そこに身を置いてるのですね。
国立戒壇が成される日は永遠に来ないでしょう、そしてそれは永遠に顕正会は
活動を続けていくという事でしょう。
ここでの皆様とのやり取りで 何か変化があったような気がしてましたけど
残念です。
しかし、ガンコさんのおかげでわかった事がたくさんありました、
ありがとうございました。

605五月雨:2002/12/17(火) 12:18

ガンコさんはもう書き込みをされないのですか、597でのご発言の最後でお礼を述べられていらっしゃいますが、まさか引退?宣言だとは思いませんでした。

石山系グループ信者・・・日蓮正宗、創価学会、顕正会はどなたの教えを信仰しているのでしょう、たしか日蓮聖人の教えを信仰しているはずでしたね。
でも現実はそうではないですね、日蓮正宗なら日顕上人、学会なら池田さん、顕正会なら浅井さんを信仰対象としているのです。彼らの話を聞きながら日蓮大聖人の仏法の実践をしている気にはなってはいても、実は教団の長を信じてその言葉を鵜呑みにし、教団の意のままに動かされているだけなんですね。

教団から聞いた日蓮聖人の教えはただの「解釈」だったのですね、日蓮聖人の教えはこうなんだと教えるのではなく、こう解釈しろと言われていただけでした。その解釈を「教学」だと思い込んでいたのです。
日蓮聖人はご本仏、戒壇之漫荼羅は生身の日蓮大聖人と解釈しろと「解釈」を与えられていたのです。日蓮聖人のお言葉に依らないこじ付けを、マジックフレーズで誤魔化して信者に信じ込ませていたのです。それを受け取る信者は疑うのは謗法だと勝手に思い込んでそのまま信じ込んでしまいます。

今回ちょっと顕正会をお勉強してみようと思って、顕正会に詳しいあるサイトで初めて浅井さんの演説を聞きましたが、本当に予言みたいなことを言っているのには驚きました。そして浅井さんの名調子に「講釈師,見てきたような嘘を言い」の格言と「確信ある言葉はたいがい嘘だ」と独歩さんにご忠告頂いたのも思い出しました。なるほどと思いながら浅井さんの名調子を聞きました。

ガンコさんは、日蓮聖人の教えを信じているのですか、それとも浅井さんの教えを信じているのですか。
きっと日蓮聖人の教えを信じたいけど、浅井さんのあの確信溢れる演説にこころが動かされて、どちらを信じていいのか解らないから、この掲示板に書き込まれていたんだと思います。

ガンコさん、独歩さんから皆様からいろんなお話を聞かせて頂いて、どちらを選ばれたのですか。

609犀角独歩:2002/12/17(火) 23:23

ぜんぜん、関係ありませんが、報恩抄にしても、本尊抄にしても、聖人の文章は本当に胸躍るほど、かっこいいですね。

611やーこ。:2002/12/19(木) 03:17
超久しぶりの遅レスです。
今までの議論において、正宗は阿部管長、顕正会は浅井先生を信じることが日蓮の教えを信じることになる旨のレスがありました。
ふと思ったのですが、要するに、上の人に従うことが信心だということでしょう。
上の人の教えが間違っていたら、という考えはその集団の中には毛頭ないでしょう。
それが真実を求める最大の弊害なのでは?
まぁ、今の現状で現宗門と顕正会を比べると、エネルギーや情熱は後者の方が強い、但しカルト性付きで。どっちがいいかって言われれば、後者ですね。宗教にエネルギー無くてはいけないと

612やーこ。:2002/12/19(木) 03:27
(続き)勝手に個人で思っている訳です。教義を信じる事と組織を信じる事は別物だと思います。
私はこの掲示板においては、特定の組織に否定的であっても、その組織を離れろということは致しません。人生を決めるのは全てあなた次第、ということです。生き方を邪魔したくはありませんから。
ごく一部の方にそうした配慮が欠けていると感じます。ここは被害者の会運動促進の掲示板ではありません。以上

613犀角独歩:2002/12/19(木) 03:53

この掲示板では、いろいろな思索があってよいはずです。
配慮云々で批判することも個人の考えの妨害、配慮が不足しています。
なお、現代における信仰形態は組織絶対が教義化されているので、それを単純に別扱いできない仕組みの指摘は大切なのです。

614犀角独歩:2002/12/19(木) 04:09

なお、管理人さんの名誉のために申し上げますが、この掲示板は何らかの被害者家族運動とはまったく無縁なのであって、また、そんな利用をする人間は一人としていないと言うことです

616犀角独歩:2002/12/19(木) 12:11

ここのスレッドは「創価学会法華講正信会顕正会妙観講等はカルトっぽいか」
どこの団体に所属(同意)するどの人が、どんなカルトっぽい発言をしているのかという視点から見ると興味深いものがありますね。

なお、その場合、カルトの意味するところは、元来の「熱狂的(宗教)集団」という意味ではありません。S・ハッサン氏が定義した「破壊的カルト」という意味で、です。

618トゴシ:2002/12/19(木) 19:58
創価学会はカルトっぽい
法華講もカルトっぽい
正信会はしらない
顕正会はカルトそのもの
だって、自分で認めてる

619ガンコ:2002/12/21(土) 13:00
カルトっぽくない、ということなら正信会がいちばんかもしれません。正信会のページを一通り読んでの感想です。叱られるのを承知で言えば、それは活発ではないということかもしれません。サイトそのものは好感のもてるものでした。
ときにトゴシさん。
あなたはどうしてこの掲示板を見るようになられたのですか? もしさしつかえなければ、お話し下さいませんか?

620トゴシ:2002/12/22(日) 18:18
人から質問されても無視して答えない人間からの質問なんか答えましぇん。
ここは顕正会だけのための掲示板じゃないでっしょ。
あんた、ここの掲示板に書きこしてんのは顕正会の宣伝と、反対者いびりのためなのね。

621ガンコ:2002/12/22(日) 20:39
トゴシさん、あなたはよく読んでいらっしゃる。
だからどういう人なのかなあと思って聞いてみたのです。もちろん人それぞれ事情がありますから深く追求しません。かく言うわたくし自身、お話ししていないことがたくさんありますから。

しかしあなた、よく読んでいる割には読み方がなってませんね。
まず顕正会の宣伝なんて、この論客ぞろいの掲示板では通用しません。じっさい、わたくしがひとつ投稿するとたちまちに破折されちゃいます。まるでこちらがパンチをいっぱつ繰り出すとひゃっぱつ返ってくる、こてんぱんにやられてしまう(ちょっとオーバーかしら)。
反対者いびりなど、一度もしていませんでしょう。むしろあなたに対してだって、気が付いたことがあれば言ってほしい旨、申し上げました。

人から質問されても答えない・・・のは事実です。質問者もガンコじゃ回答不能だろうと了解しているフシがありますし、いずれはお返事申し上げようと思っている案件もいくつかあるのですが、いちいち借金返済の延期を申し入れるような書き込みをしていたら格調高い掲示板をますます汚すことになろうかと思うのです。
少なくとも、この掲示板に参加しているうちは「借りは必ず返す」つもりです。

そういうわけですので、トゴシさん、今後ともよろしくおねがいします。

622トゴシ:2002/12/22(日) 21:19
借りは必ず返す、顕正会印が言うと怨念はいつか晴らしてやるぜって聞こえるね。
言い負かされて、出なくなる人、おっかねえ、怨霊になって、ここの常連を恨んでやるぜて感じだね。
ちなみにガンコさんは生霊かしてんね(爆)
よろしくおねがいされてもねえ、こわいからヤダな。

623モトミナ:2002/12/23(月) 08:40
ガンコさんへ
先般、顕正会では2箇所の会館を開所しました。
この時の会長指導は当然ご存知だと思うのですが、これについてはどのように受け止めていられますでしょうか?
内容をご存知ない方もいらっしゃると思うので、ソースは長くなるので要約して記しておきます。
1 2箇所の会館に安置した御本尊は日布上人が唯授一人の相承の心血をかたぶけて、戒壇の大御本尊を書写あそばされたものである。
2 100万達成時期が遅れ、また軌道修正していると騒ぐ輩が多くいるが、広宣流布は簡単にはできない。
  これほど怨嫉・逆縁の多い中にここまでの弘通が為されてきた事が大聖人の御守護である。
問題と思われるのは特に上記の2点です。
まず1について。
顕正会では過去からの指導により、会としては7大幅の御本尊所持となっており、そのうち日布上人の御本尊は2幅。
にも関わらず次々に開所している会館に安置されている本尊は全て日布上人御書写本尊となっています。
この御本尊の出処が不明であること。
2については、100万達成時期の訂正が繰り返された事を暗に認めた上で、謗法や怨嫉が多い中にいよいよ明年達成できる意義が深いことを強弁しているが、私が問題だと思われるのは100万達成の時期の軌道修正ではなく、その時併せて語っている日本の状況の事なのです。
つまり100万達成時期を発表するにあたり、必ず「○○年までにこの100万が間に合わなければ日本は滅びる」等という脅威を会員の意識に盛り込んで、100万達成を煽っている事に思えます。
そもそも100万達成時期が早まる、遅れるという事について「怨嫉・逆縁が多いから簡単にできるわけない」と言っていますが、では100万の誓願をした時点ではその「逆縁・怨嫉」という事を全く考えずに誓願してしまったのか、ということになります。
その程度の算段もできずに「100万を○○年までに」などと安に発言してしまい、会員はそれを見つめてボロボロになるまで戦い抜いて、結果として達成すべき法戦では「100万の路線をいよいよ決定します。○○年まで」と軌道修正を簡単にしてしまう。
そして顕正新聞では「遂に100万の大路線が初めて明かされた」などと掲載する。
古参の会員は「ああ、またか」という感覚でいながら、この程度の事で顕正会に対する信は変わることがないから、会全体がほぼ新しい100万達成の路線を見つめて、過去の路線をすぐに捨て去れるわけです。
今更ながら、かなりいい加減な発言をする団体だな、という印象が強まってしまうばかりなのですが、ガンコさんはこの一連の発言についてはどのようにお考えでしょうか?

624犀角独歩:2002/12/23(月) 10:25

モトミナさん:

横レスごめんなさい。
ちょっと、質問させていただきたいのですが、要するに顕正会は会館安置の漫荼羅を、どんどん作っているということなのでしょうか。

あと、以前もどなたかが、達師、顕師漫荼羅は寛師漫荼羅に取り替えるという発言をしていたのですが、これもつまり作っていることを意味するのでしょうか。

この点の事実関係をお教え願えませんでしょうか。

625菊水護国:2002/12/23(月) 12:06
独歩さん
まずは浅井会長井発言転載
「・・・ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。(中略)
私は、この異常事態の宗門の中で、ひとり顕正会だけが、あの清らかな日寛上人・日布上人の御本尊様を拝めるということ、こんな有難いことはないと思っております。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)

公式見解はこうなっております。

626菊水護国:2002/12/23(月) 12:09
モトミナさん
私の記憶が確かならば、浅井会長が軌道修正を公式に発言したのは初めてでは無いですかね。
今までは、どんなことがあっても、ほうかむりを決め込んでましたからね。

627犀角独歩:2002/12/23(月) 12:15

菊水護国さん:

有り難うございます。
この浅井さんの言う布師形木というのは個人用の小さなものをいうのですか、それとも会館などに懸けられる大幅のものなのでしょうか。

あと、寛師形木漫荼羅を石山から預かっていたというのはわかるのですが、布師の形木が石山が大量に用意していたというのは初耳です。
これは石山が末寺向けに用意したものを指すのでしょうか。

628菊水護国:2002/12/23(月) 12:51
独歩さん
まず、寛師御形木御本尊は、例の学会草創期の頃の小幅なものです。
次に、布師御形木御本尊は、サイズは2種類ありまして、中幅程度と大幅があります。
浅井さんは、松本先生から預かったとしか言っておらず、下付の経緯は不明ですが、戦中法道院で布師御形木が出されていた記録もあり、その関係では無いかと推測してますが、確認は出来ません。

629お暇庵:2002/12/23(月) 14:00
横から失礼いたします、布師の形木ですが九州開導の師、妙寿尼の九州開拓の折りに
堅樹院派の折伏に於いて帰伏信徒の本尊を交換に布師の形木本尊という記述が妙寿尼
の伝にみられます。時代的に言って幾分の残余はあったと思いますが、布師御形木は
明治からの九州や関東の完器講の折伏において作成された物ではないかと思うのです。

ただ、松本日仁師はそんなに沢山のしかも御形木を持ち出すのかなと思うのは私だけ
でしょうか?数々の布教書を上梓され、行き掛かりとはいえど戦前からの正宗の僧侶
であった御方そんなことするかな?と思うのですが、諸氏如何なものでしょうか?

630モトミナ:2002/12/23(月) 15:22
624 独歩さん
証拠がないから困惑してしまうのです。
顕正会が勝手に作成している事実関係は全く不明です。
しかしながら、腑に落ちない事がどんどん起こってきてしまっています。
625で菊水護国さんが仰られる通りの発言が平成11年にありました。
しかし過去の顕正会所持の御本尊数についての会長発言は違っていますよね。
当初は「7幅の上人直筆御本尊と200数十幅の日寛上人の御形木御本尊」と言っております。
妙縁寺住職がこれ等を預けてくれた、という事になっていますが、日寛上人の御形木本尊だけでも当初の数字からはかけ離れた大量の御本尊が下付されているはずです。
例えば会館には日布上人の御本尊が礼拝室にある他、別に用意されている数室の部屋には日寛上人の御本尊が掛けられています。
つまり1会館に少なくとも2幅から3幅の日寛上人御形木御本尊があります。
また自宅拠点といって会員の副長以上の者が地元において、同志(会員)が御本尊様の前に座れるようにと、或いは入信勤行ができるようにと、会員の申し出で下付される御本尊があります。
これが単純計算でも500はゆうに突破しているはずです。
また、例の達師顕師御本尊と差し替えという形で日寛上人御形木御本尊と取り替えられています。
更には平成11年度には隊長・区長・支区部長・支区長といった幹部全員にやはり同様の御本尊が下付されています。
これらの長の人数だけでも100近いはずです。
とすると、当初に言っていた「200数十幅の日寛上人の御形木御本尊・・・」の数字を遥かに超越している数の日寛上人の御本尊が顕正会内には出回っている事になります。
しかしこの事実関係が分からないのです。
一体どこからこれほど大量の御本尊が湧き出てくるのか。
どこぞのサイトでも言っていますが、確かに限りなく黒に近い白、といったところでしかないのです。
628で菊水護国さんが言われる通り、過去実際に布師御本尊が存在していたとしても、会の発表では都合よく途中から日布上人の御本尊が元々預かっていたかのように言っています。
もし当初から顕正会が預かっていたとしたら、きちんと言っていたと思われます。
しかし当初は何度も言うように「7幅の大御本尊と日寛上人の御本尊様200数十幅」と言い切っているわけですよね。
これが最初から1千や2千ではなく、200数十と言っている事が、今更会長がいくら言い訳を言っても首を傾げざるを得ないのです。
そして一番の問題点が、そのような疑惑視される御本尊でありながら、一切証明することなく会館に安置していく顕正会と出処などおかまいなしに、信じきっていく会員なのです。
会長が言っているのだから、というカルト的発想は御本尊という自分達が信じる対境にさえ、反映されてしまっているのです。

626菊水護国さん
全くその通りですよね。
過去何度も学会やらあちこちから批難轟々だった100万達成問題も、100万がほぼ確定した前年になって初めて発言しました。
しかも私から見ると、とても言い訳がましく・・・。
先レスにも書きましたが、当時100万を見つめて本当にボロボロになるまで戦い抜いてきた後輩が、100万路線がパッと変わってしまって落胆し、退転してしまった姿が未だに忘れられません。
にも関わらず「100万大路線が初めて明かされた」等と新聞に大見出しで書かれているのを見ると、当時口惜しくて仕方ありませんでした。
尤も会員としてはこれで「浅井会長はきちんと訂正した」と胸を張っていけるのでしょうけれども。

631犀角独歩:2002/12/24(火) 03:49

モトミナさん:
菊水護国さん:

有り難うございます。
事実は至って単純なのでしょう。
要するに、顕正会は漫荼羅を濫造しているのですね。

632菊水護国:2002/12/24(火) 09:25
独歩さん
私は「顕正会の曼荼羅作成の可能性大」でしょうが、法律家の端くれとして「疑わしきは○○」として、曼荼羅濫造とは言わないのです。
しかし、本音は・・・(笑)。

633菊水護国:2002/12/24(火) 09:28
モトナミさん
私は布師御形木はともかく、寛師の御形木は明らかに学会(宗門)退転者から、提出された本尊の使いまわしで増えたと推測してます。それ自体に問題はたくさん感じますが・・・。

634菊水護国:2002/12/24(火) 09:29
633訂正
モトナミさんはミトミナさんの誤りでした。
モトミナさん、ごめんなさい(謝)。

635モトミナ:2002/12/24(火) 09:50
菊水護国さん
633で仰られる可能性は大きいと思います。
しかし、となると各自宅拠点や会館別室安置の寛師の御本尊が全て真新しい事実と重ねると、表装(表現が的確か不明)したことになりますよね。
御本尊の表装という事について、正宗古来の在り方として在家が何処かの専門店に頼むといった行為はどの程度まで許されているのでしょうか。
私は存知していないので詳しく知っていたら教えて下さい。

636犀角独歩:2002/12/24(火) 10:00

菊水護国さん:

> 「疑わしきは○○」として、曼荼羅濫造とは言わない

これは賢明なご発言、見習わなければいけませんね(笑)

637三学無縁:2002/12/24(火) 20:40
「国立戒壇」の建立ですが、すくなくとも日蓮正宗を称してからは、その大半は国立戒壇建立が宗是でしたね。
日達氏も「ことば、名称は使わない」といっただけで、「その精神は変わっていない」というような発言をしていました。
それが、いつのまにか「ことば、名称」ではなく「考え方そのもの」が誤りであると摩り替えられていったわけです。
その淵源は阿部信雄氏著作といわれる論文にあるのでしょう。
正宗と名乗る以前の戒壇論については時系列でその変化を検証する必要があると思いますが、明治維新以降、日達氏までの「法主」は国立戒壇建立で、ぶれてはいません。
ということは、このことだけは顕正会の主張は正宗的には正しい、ということになりますね。

まあ戒壇に限らず、三秘について現今の正宗は何も語っていませんし、語るものを持ち合わせてもいないようですから、困ったもんではあります。

顕正会の本尊問題も、いまの正宗ではホウボウとなってしまうのでしょうが、法道院製造時代やそれ以前のことを考えれば、ホウボウであると決め付けるのは行き過ぎかもしれませんね。
いずれにしても、臭いものは元から絶たなきゃ駄目、なのではないでしょうか。

ちなみに本尊の表装は基本的にお構いなしですね。
一部の僧侶は知り合いの表具屋を使わせてマージンをとっているようですが、それは商売ですね。

638犀角独歩:2002/12/25(水) 10:58

顕正会は漫荼羅を作っている、こんな疑いがあれば、顕正会のやることはただ一つ。
先に布師7体、寛師200数体と発表したように、他講信者で漫荼羅を預けたのは何人何体であるという発表もすればよいわけです。
しかし、そういうことをしないから疑われるわけです。疑いの形は簡単です。発表できないようなことをやっているのではないのかということです。

また、布師と顕師に限り漫荼羅を使うという論理的説明がまるで不足しているように思えます。
いずれにしても、漫荼羅は授与書、脇書でその性質を決めることが、特に興師においてせんめいになされてきたのであって、これが興門化儀なのでしょう。
それを「間違いないなく実践する唯一の団体」では授与、脇書を無視して、勝手に人に与え、安置場所を定めてしまっています。
これらの教理的過ちを少なくとも言い繕うぐらいのことはあってもよいであろうと思うわけです。

639菊水護国:2002/12/25(水) 13:17
独歩さん
揚げ足を取らせて(笑)。
638の「布師と顕師に限り漫荼羅を使うという」は「布師と寛師に限り漫荼羅を使うという」の誤植ですよね。
悪意はありませんが、勝手に訂正させて頂きました。

ちなみに、本当は顕師と達師以外の曼荼羅は全てOKなはずですよ、顕正会は・・・。
ただし、口コミで、達師と顕師本尊を取り替えているだけで、正式には取替えは強要してませんから、ここが巧妙なんです。
ですから、公式見解などあろうはずがない。

640犀角独歩:2002/12/25(水) 18:49

菊水護国さん:

ご指摘有り難うございます。間違えました。
口コミ操作で、公式見解なしですか。さもやありなん、というところです。

641菊水護国:2002/12/25(水) 22:34
そういえば、口コミ操作と言えば「浅井先生目師再誕説」が書かれてたことがありましたが、私が聞いたのは別です。
「広宣流布の暁には、出家(法主)から浄行菩薩(目師)が生まれ、国主から無辺行菩薩(興師)が生まれ、在家から安立行菩薩(寛師)が生まれる。在家の菩薩は浅井先生に違いない。浅井先生は寛師の生まれ変わりなんだ」とされてました。
しかし、今考えるに、血脉両抄には「広宣流布の日は上行菩薩は大賢臣となり・無辺行菩薩は大賢王と成り・浄行菩薩は大導師となり・安立行菩薩は大関白或は大国母となり、日本乃至一閻浮提の内一同に四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしめんのみ」とありますから、大賢臣=大聖人=浅井先生とも解釈できます。

642モトミナ:2002/12/26(木) 09:48
そういえば、顕正会では過去用いた法主の指導を最近では使用しなくなっている傾向がありますね。
かつては有師等を冨士などでも称えていたものですが、最近では毛嫌いしてわざと避けている傾向すら伺えます。
顕正会では崇高な法主とされているのは、観念文で読み上げる御歴代であって、それ以外の法主の指導は使用しません。
有師等は特に顕正会にとって困ることになってしまう、化義抄などもあるわけですから、仕方ないところかもしれませんね。
要するに顕正会にとって不利な発言をしていない法主が正師であるわけです。
また顕正会所持の書写した法主なども擁護しているようです。
そこで学会は布師の事を蔑んでいき、顕正会は布師の擁護に翻弄する、といったやり取りも見られるわけです。

643モトミナ:2002/12/26(木) 09:50
訂正
>かつては有師等を冨士などでも称えていたものですが、

ここで言う「冨士」とは顕正会発刊の機関紙のことです。

644ガンコ:2002/12/26(木) 15:54

モトミナさん、独歩さん、菊水護国さん、お暇庵さん、三学無縁さん・・・

メールでも少し触れましたが、モトミナさんは始めこそ浅井先生に遠慮があったように見えましたが、だんだんと遠慮が取れて過激になってまいりました。この先なにを言い出すものか、ハラハラドキドキしています。

さて、本尊問題について、ガンコがどんな与太話をするものかと楽しみ?にしてらした方がいるかもしれませんが、残念ながら今回はご期待にこたえられないと思います。ようするに、これは顕正会にとっては致命的であり、もし取りざたされている問題が本当だったら、わたくしとしても重大な決意をせざるを得ないと考えているのです。

そのまえに、100万の下方修正問題について申し上げます。
入信者数に関しては、粉飾決算はしていないだろう、とわたくしは思っています。モトミナさんはご承知でしょうが平成10年以降、顕正会はしばしば誓願に負けています。そこで思うのです・・・なんで浅井は粉飾をやらないのかと。誓願に負ければ、宗門や学会から揶揄されるし会員の士気も低下するし、いいことはないのです。企業戦略的にいえば、ライバル会社に対する見栄だとか株価操作等、さまざまの理由で行われていることですが、なぜに浅井はそうしないのか? なぜにわざわざ何回も繰り返し恥をさらしているのか?
おそらく、入信者数は大聖人様に御報告申し上げる意味があるからだろうと思います。
いわゆる「大聖人の御眼を恐れる」ということ。であるからウソは発表できない。

モトミナさんの問うていることから外れているし、ほかの皆さんも言いたいことがあるでしょうが、いちおう上記のごとくであるならば・・・
・・・ここから本尊問題を考えるならば、おのずと答えは決まってくると思うのです。

ちょっとまわりみちですが、浅井の新刊本について申し上げます。これはいわゆる「平成2年の諫暁書」の復刻本?ですが、一目見てあちこち書き替えられているのがわかりました。
なんでこういうことするかなあと思うのですがそれはさておき、今回あらたに加えられた「あとがき」から一部を次に引きます。

・・・このとき阿部信雄は、まことに荒唐無稽な邪推を以って、戒壇の大御本尊に対し奉り大それた誹謗を加えている。あまりに恐れ多いので、その悪言を私はあえて掲げない。ただし、阿部管長に対面の折あれば、面詰して一刀両断、大御本尊の御前で五体投地の謝罪をさせること、ここにはっきりと記しておく。・・・

この浅井発言に対しても、それぞれの立場に則って大いに言いたいことがあることでしょうが、今回はひかえて下さい。これも本尊問題につなげて考えてほしいのです。

つまり、わたくしを含め多くの顕正会員は浅井先生を信頼しきっている。けれども取りざたされているごとくに濫りに御本尊を複製して会員に拝ませているとすれば、その事実が発覚したときには顕正会は一気に崩壊することでしょう。
カルト団体はつぶれそうでつぶれないもんだ、どんな状況になっても浅井先生についていく者もいることだろう、という意見もあるかもしれません。
しかし、わたくし個人は、ことと次第によっては顕正会と決別せざるを得ない、このように考えていることをここに宣言します。

645犀角独歩:2002/12/26(木) 16:59

ガンコさん:

100万人に粉飾決算をしていないかどうか。
こんなのは答えは簡単ですよ。
100万にいるというのであれば、名簿とその所属を明示すればよいだけのことです。

国勢調査というのがありますね。日本国民全員のその年の出生増から、死亡減まで最後に1人までわかります。そこで国民総背番号制が成り立つわけでしょう。100万人なんて小単位ではなくて億単位でも1人までわかるわけです。

もし顕正会・浅井さんが“御本仏”日蓮聖人に嘘を吐かないと言うのであれば、国勢調査の人口統計のような正確な増減発表を、機関紙上で行うはずでしょう。否、行わなければならない。しかし、そんなことをやったなんて、聞いたこともありません。

ガンコさんをはじめ「浅井先生が100万人と言えば100万人いる」という話だけの数字でしょう。それが本当であるというのであれば、証拠を示せばよいわけです。

わたしは「いない」とは言いません。ここで聞きますが、ガンコさんは何を証拠に100万人…いまは90万人?…いると言うわけですか。


さて、もう一つ、御本尊複製のこと。

いま確認されている125体の日蓮真筆漫荼羅はどこに保管されているのかはすべてわかっています。また、浅井さんが批判する石山だって蓮興目已来、石山住持がいつ漫荼羅を記され、それがどこに保管されているのかをわかる限り調べていますよ。「御本尊を鄭重に扱う」というのは、そういうことですね。

「どこよりも、日蓮大聖人の教えを守る唯一絶対の団体である顕正会」が、殊、御本尊に関して、まさか、まさかですよ、7体ばかりの御本尊の所在すらちゃんとしていないなんてことはあるはずはないですよね。布師漫荼羅7体は、どこに安置されているのですか。

もし、ガンコさんが知らないのであれば、御本尊に関することです。自分で回って数えてみればどうでしょうか。ともかく、布師漫荼羅は7体、それ以上、あれば複製している、簡単な話です。

また、わずか200数十体の漫荼羅でしょう。御本尊の取り扱いに本当に厳格な団体であれば、その所在の一覧名簿は完備されてしかるべきでしょう。
また、仮に他信徒の持ち込み増があれば、その点についてもちゃんと一覧名簿があってしかるべきですね。もし、斯様な証書がないとしたら、もうそれだけでも、御本尊をいい加減に扱っていると言うことでしょう。

命より大切な御本尊、三百体にも満たない漫荼羅の所在を、まさか、顕正会ともあろう団体が掌握していないなんてことがあるのでしょうか。でも実際は、掌握すらされていないのでしょう。不敬ですよ、これは、明らかに。これを「実態」というのです。

あと、寛師漫荼羅に関しての話ですが、会員から集めた漫荼羅を他の会員、あるいは会館に安置しているということですが、この扱いは不敬でしょうね。前にも書きましたが、顕正会本部の漫荼羅に「妙縁寺重宝」ともし入っているとすれば、妙縁寺から持ち出すことを謗法というのでしょう。まあ、それを移管する段階で当代石山住持が次の保管場所を脇書したのであればその限りではありません。板などに改めた複製であれば、その旨がまた記されてあれば、その限りではありませんが。脇書によって安置場所を定めるのは興師已来の伝統儀です。

だいたい、顕正会は独自に本尊授与を行っているわけですね。いったい、何の根拠をもって浅井さんは本尊授与の資格があるとするわけですかね。私がいちばん、ビックリしたのはこのことです。

平成5年9月8日のこと、『聖教新聞』1面トップを飾った見出しは以下のとおりでした。

日寛上人御本尊授与を発表
信心の血脈は唯一、学会に
真の和合僧団に授与の資格

この論調と顕正会の本尊授与、どこが違うのでしょうか。
顕正会が学会の物真似といわれる所以です。

以上のことから、ガンコさんの顕正会決別は確実なこととなった、と私は思います。

646菊水護国:2002/12/27(金) 00:54
ガンコさん
粉飾はしてますよ。恐らくガンコさんが云ってるのは「増加数の粉飾」の事ですよね。でも粉飾は増加数だけでしょうか。減少数について何か聞いたことありますか。
はっきり云います。100万のからくりなど簡単なことです。
顕正会では脱会者も死亡者も全て会員数から減らしません。
減少者(死亡者・脱会者)を考慮しなければ、後は増える一方です。歴史が進めば進むほど会員数は増えることになります。当然100万の中には私も入ってます。これは粉飾とは云いませんか。
「顕正会の会員数は同窓会名簿と同じです。」
この言葉から皆さん想像してください。
顕正会は公称100万足らず、実働5万足らずです。結集者の推移を見れば一目瞭然です。粉飾も粉飾、大粉飾です。

まあ、同じ事をやってる、正宗内某講中と50歩100歩ですが・・・。

647菊水護国:2002/12/27(金) 01:04
顕正会の布師常住は2体だけです。
7体(旧本部も含めて8体)は、常住様のすべての数です。
恐らく布師7体とは、勘違いでしょう。

ちなみに、布師常住様2体の所在は分かってます。
顕正会横浜会館及び高知会館です。
その他も常住様の所在は公表されてます。
問題は、最近増えている、数十存在する出所不明の布師御形木様ですね。
これだけは全く公表されてません。

648犀角独歩:2002/12/27(金) 13:43

> 647 菊水護国さん:

確実な情報有り難うございます。

649モトミナ:2002/12/27(金) 16:11
ガンコさん。
菊水護国さんの意見に賛同させて頂いた上で、更に少し重ねさせて下さい。
>顕正会は公称100万足らず、実働5万足らずです。結集者の推移を見れば一目瞭然です。
これは菊水護国さんがガンコさんを慮って少々多目に書かれた数だと、私は思っています。
実動は私は4万未満だと見ています。
もし真実が知りたければ、総支隊長・支区長クラスの幹部以上なら所持しているはずの成果一覧表を見せてもらって下さい。
ほとんど月ごとに一覧表として渡されているはずです。勿論安々とは見せてくれまないでしょうけれども。
この一覧表には各組織ごとの折伏入信者数(誓願)、御書講義結集成果、総幹部会結集成果が数字になって詳細に記されています。
ガンコさんは実活動人員はどこを指すべきだと思いますか?
通常、各組織の活動陣容は総幹部会の参加人数の80%程度だと考えるべきです。
200人の総幹部会の参加がいるのであれば、160人程度が実活動者だと思われます。
御書講義参加者ではなく総幹部会参加者とする意図はご存知の通り、法戦参加意思のある者が多く参加しているからです。
私は顕正会の実態というのは実に100万に近づこうとしている団体ではなく、100万を強く意識するようになった団体にしか見えません。
実動4万前後の組織が100万達成などと宣言しても、一体そこに何が生まれるというのでしょうか。
実動100万人というならまだしも、累積100万人に一体どんな仏意があるのか、ここが顕正会の場合全く鮮明になっていません。
ガンコさんの言いたい事は活動期に私も思っていたことですからよく理解できます。
しかし入信者を詐称しない事ということと、顕正会総会員数を詐称していることでは、ガンコさんはどちらが大聖人の御眼を恐れる、ということになるのでしょうか。
ただ前者を以て顕正会を信じたいだけ、ということになりませんか?

650モトミナ:2002/12/27(金) 16:11
入信者数の報告のズレを指摘しておきます。
たわいもないこと、と思われるかも知れませんが、ガンコさんがそこまで拘っているわけですから、敢えて書かせて頂こうと思います。
まず、幹部の入信者数の報告ミス。これは以外とよくあります。
通常は翌法戦で帳尻合せをしたりしますが、それでも数が合わない事が発生したりします。
次に入信報告書の紛失等による入信証明が出来ない場合。
これも無視できない程度に存在します。
折伏者が報告書を持ったまま、当月に退転して報告書が提出できない、などという場合や、所持していた幹部が紛失してしまう場合など、相当数に上るものと思われますが、入信事実がたとえあったとしてもこれは会としては証明できないことになります。
しかし入信者として勘定してしまう場合がほとんどです。
そして一番多いのが二重入信でしょう。
過去数年前に入信していて、顕正会の名前すら忘れてしまっていて、再度入信してしまう場合が多くあります。
この場合、入信勤行前や直後なら訂正もしますが、数ヶ月も後に発覚すると、そのまま迷宮入りしてしまいます。
つまり会員数が重複していることになります。
私の後輩が実は数年前に入信していたことに気づいたのが、紹介者だった方が偶然幹部会などで見かけた時発覚したという実例がありました。
未だに重複入信だと気づいていない者すら多くいるのです。
これらが何十年も積もり積もった挙句に総幹部会にて”現在の総会員数は”などとして詳細な数名単位まで発表してしまっている実態の裏側なんです。
そこに発表される詳細な会員数に一体何の効力が見出せるのでしょうか。
ましてや独歩さんや菊水護国さんなどがご指摘の通り、死者、退転者などはマイナスになることなく、常にプラスされ続けている実態を考えれば、呆れてしまいます。
私の知る限りでも亡くなった方など相当数の方が未だに会員数に計算されています。
退転者の中には内容証明書付で退会届を提出している者も多くいます。
それ等は全く無視では、何の為の総会員数になるでしょうか。

651モトミナ:2002/12/27(金) 16:11
ガンコさんが仰られるところの”入信者詐称を一切しないのは大聖人の御眼を恐れるゆえである”というのは、つまり世間などを気にせずにただ大聖人の護法の為に立てている誓願だから世間の批難など恐れていない、という意味でしょう。
だから本部の人間などは”世間に顕正会の崇高な戦いなど理解できるはずがない”と声高に指導し、またそれを受けて熱くなる会員の姿があるわけです。
しかし、私が問題だと思うのは、それほどまでに大聖人の御眼だけを恐れる団体であるならば、もっと深い詳細まで徹底しなければならないのではないか、という事なのです。
多重入信や報告書紛失等は敢えて出したまでの事、尤も問題だと思うのは、大聖人の御眼を恐れる筈の団体が、成果主義で進める折伏の実態こそ大聖人の御眼を恐れていないではないか、ということなのです。
みなさんの指摘されている通り、日蓮大聖人の仏法を教える、というのであれば、ただ入信報告書を見知らぬ所で他人が書いて、御本尊の前で勤行のやり方を一緒にするだけで大聖人の御眼に叶っている、と思われているのでしょうか?
顕正会員は御本尊の前に座らせれば、即下種され、そこから御本尊の御力によって発心するもの、と捉えているのですが、これが本当に顕正会でいうところの、理論書で説いているところの下種に当たるのでしょうか。
そうゆう者も多くいる、のではなく大抵の会員がそうなのです。

顕正会は広宣流布という大願を目的にしているから、一人一人の折伏や入信勤行にいい加減なところがあっても仕方ないのでしょうか。
全くの逆だと思います。本当に顕正会のいうところの大聖人仰せのままの広宣流布を達成する、というのであれば、一人一人の折伏や入信勤行などがしっかりしていなければ何の達成になるのでしょうか。
そんな姿で100万達成しても、その100万の実態がどういったものになるのか、想像するだけでぞっとしてしまいます。
ましてや現在のように全く教学意識がなく、会として”教学!教学!”などと叫んでいるのは、詳細なことや事実を伏した顕正会の御都合に合わせた理論書を学ぶ事だけの実態から眼を背けて、一事を以て大聖人の御意のまま、というのは理解のし難いところです。
願が大きいゆえに小事に眼を瞑るのは仕方なし、とするのであればそもそもの広宣流布達成への道筋が違っているのではないのでしょうか。
ガンコさんの意見をお待ちしています。

652菊水護国:2002/12/27(金) 23:05
> 実動は私は4万未満だと見ています。
モトミナさんの云われるように、確かに、私は多く見積もりました。
本音は、モトミナさんより厳しいですが、3万くらいと見てました。

> 私の後輩が実は数年前に入信していたことに気づいたのが、紹介者だった方が偶然幹部会などで見かけた時発覚したという実例がありました。
はっきり申します。現在顕正会大幹部のYS氏は、会員の入信に当り、既に数年前に入信してることを聞いた上で「あらためて、信心を始める意味で、入信勤行を受けましょう」と言って、入信を受けさせました。このような実例は腐るほどあります。これも当然入信者数ですよね。

653みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2002/12/28(土) 01:15
創価学会もやっていますよ。すでに入会していて、退会していない人を、再入会させることを。

654モトミナ:2002/12/28(土) 08:29
菊水護国さん
>本音は、モトミナさんより厳しいですが、3万くらいと見てました。
更に厳しく活動会員数を把握するというのであれば、実際は8月の合宿研修会の参加人数が実動人数となるでしょう。
基本は班長以上の出席ですが、戦っている者であれば参加枠は簡単に空けてもらえます。
つまり組長や戦いに参加し始めた者も多く参加していることになります。
この合宿参加人数に、地域的な問題や職業的な問題で参加できない者がいると考えて、合宿の参加人数×3割増し とするのが実は妥当な線でしょうね。

655菊水護国:2002/12/28(土) 13:32
昔、顕正会の会員時代に、既に脱会者を減らさないことにつき幹部に質問したところ、
「顕正会の人数は、御本尊に縁出来た人の数であり、会員の興隆の数字ではないよ。何人が大聖人様と御本尊様に縁出来たかが基準だから、辞めた辞めないは関係ないんだよ」と云われました。
しかし、総幹部会の発表では「この大折伏により、本日現在顕正会総会員数は○○人です。」と報告してる以上、上記は詭弁であるのは云うまでもありません。

656お暇庵:2002/12/28(土) 15:33
菊水様、仰せの件のお話し。
>「顕正会の人数は、御本尊に縁出来た人の数であり、会員の興隆の数字ではな
>いよ。何人が大聖人様と御本尊様に縁出来たかが基準だから、辞めた辞めない
>は関係ないんだよ」と云われました。

似たような話を別の所で聞きました。
正宗内SM派某講中はご本尊返却しても名簿から削除しません。学会に再入会
しても削除はいたしません。それでいながら御宗門には累積2万所帯と報告し
ています。宗内最大講中と豪語していますが、世帯の数え方も家族人数5人で
有れば5世帯報告です。その矛盾を問いただす機会に聞いたらいずれ、世帯に
なるからだそうです。途中で誰か亡くなったらどうするんでしょう?
まぁ、覇権主義、数字絶対という妄想は学会の汚染思想でもありますが、その
講中の講頭は件の報告矛盾に対して
「それは数え方がおかしいね」だけで未だに訂正の通達があったとは聞いていま
せん。カルト系組織構成運動論者は矢張り似てくるのですね。

657:2002/12/29(日) 03:41
突然の横レス、すみません。
私が他の掲示板で「顕正会の実勢って、20万ぐらいですか?」と聞いたら、「20万が今のような調子で5人ずつ折伏してみろよ。100万なんか、あっという間じゃねえか、ヴァカ」と言われました。
5万とか4万とか3万とか、なんか、納得できるなあ……。

658つまけん:2002/12/29(日) 23:23
犀角独歩さん 五月雨さん トゴシさん 菊水護国さん
「配偶者がカルト」のレス読みました。ありがとうございました。
>5人ずつ折伏〜100万なんか、あっという間(あ さん)
顕正会に毎月5000〜10000人分の入信報告書が提出されていますね。
12月は特に多くなるようです。あくまで顕正会基準ですが、現在93万?なので
来年中の100万達成はほぼ間違いないところです。
1年後位にはなにか行動を起こしそうです。

661こまった:2002/12/30(月) 20:23
>659 顕正会等ではありえない指導ですよね。

今の越洋会系でもありえないのでは。

662犀角独歩:2002/12/30(月) 22:14

越洋といえば、顕師のことですが、この膝下でも、ノルマのようなものはないと。
となれば、連合会のノルマは柳沢さんの独走ということ…、でもないでしょうね。

663ガンコ:2002/12/31(火) 13:57

独歩さん、菊水護国さん、モトミナさん

借金をきれいにしてから新しい年をむかえるというのが昔からの慣わしではありますが、申し訳ありませんけどこのまま繰越させていただくことになってしまいました。
本年後半は、とりわけモトミナさんがお出でになられてからは凄まじい展開になってしまい、皆さんのお書きになられるものを拝見するのが精一杯だったのです。
そして妙な話ですが、わたくしに対する厳しい破折を拝見しているとなんとも不思議な快感に襲われるのでした。自虐的な快感とでもいいましょうか、そんな悦びに浸っているじぶんに気が付きました。
もしかしたらじぶんは議論を楽しんでしまっているのかもしれません。
それは余裕のなせるわざなのか、あるいはすでに精神に異常をきたしているためなのか、わかりません。

けっこう用心深く書いたつもりでしたが、わたくしとしては本尊問題が究極であろうと思うのです。
ところが皆さんは100万の方に多く筆を費やしていらっしゃる。
おそらくはすでに出揃っている証拠だけでもじゅうぶん顕正会に決別する事由になるとお考えなのでしょう。
それは個人差、その人のカルト度によるとするのが妥当なところ、つまり、わたくしはまだじゅうぶんではないと考えています。宣言のとおり、本尊問題の帰趨によって判断したいと思います。


五月雨さん

605、の仰せを意訳的に拝せば、法華講も学会も顕正会もそれぞれ組織の長を絶対と仰ぐことが正しい信心だと勘違いしていて、本当の信仰を知らない。けれどもこの掲示板に接する者はおのれの間違いに気付き、次々と正しい信仰をつかんでいっている。ガンコの信心は浅井教になっている。はやく気が付きなさい。

カルト度の低いことを自負しているわたくしは、おおむねおっしゃる意味は理解しているつもりです。
すでに再三にわたって堂々めぐりとのご指摘をいただいていますので、明年はすこし趣向をかえてお目にかかりたいと考えています。


アヤエさん

「ガンコさんは間違いに気がついた今も そこに身を置いてるのですね」
お叱りを受けてしまいました。さらにお叱りを受けることになりそうですが、まだまだやめる気はないのです。だってやめる理由がないんですもの。
ですから来年も「顕正会のガンコ」としてお目にかかることになりますが、すこしはマシな投稿ができるように心掛けたいと思っています。

664モトミナ:2002/12/31(火) 17:24
ガンコさん 独歩さん 菊水護国さん 他多くの皆さん
本年は本当にお世話になりました。
特に本年初頭にこのスレッドを知って以来、ROMを繰り返して参りました。
そして様々な方の意見を聞く中に自分なりにも結論的確信から書き込みを繰り返してきました。
私は顕正会以外に在籍した経緯がないので、顕正会を基本としてしか発言することができませんが、その最中に顕正会用のスレッドを立ち上げていただくことができ、今後は私はそちらで思うこと、過去の顕正会の実態を明白にしていきたいと思っております。
明年は更に飛躍できるよう努力していきますので、今後もよろしくお願いいたします。

665犀角独歩:2003/01/01(水) 00:22

モトミナさん:

今年は顕正会のみならず、思索の枠を石山、さらに富士から通日蓮、通仏教まで広げられることを期待します。


ガンコさん:

以下の真偽未決ながら、日蓮の遺文を送ります。意味は理解できるかな。

「非学匠は理につまらずと云ひて、他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間、暗証の者とは云ふなり。都(すべ)て理におれざるなり、譬へば行く水にかず(数)か(書)くが如し」

666アヤエ:2003/01/10(金) 16:30
ガンコさん
叱ってなんてないですよ、ちょっとガッカリしましたが、それはガンコさんにとって
余計なお世話だと思ってますし、私の勝手な期待ですので 気になさらないでください。
五月雨さんへのレスですが、趣向を変えて との事 楽しみにしています。

667ガンコ:2003/04/02(水) 19:10

「投稿再開にあたって」

およそ三ヶ月にわたって沈黙を保ってきた。
それにはそれなりの訳がある。

去年の暮れごろ、本尊問題のなりゆき如何によっては顕正会をやめるとまで申し上げた。
内心ドキドキしながら、いったいどんな情報がもたらされるものかと、じっと待っていた。
ところが一向にそのような情報はあらわれず、それどころか顕正会問題じたいがあまり取りざたされなくなってしまった。

1、本尊問題は事実無根である。
2、否、内部のきわめて少数の人間のみが知るところであって、造反者でも出ない限り事実はあらわにはならない。
3、すでに外部にも情報をつかんでいる者がいるけど、たまたまこの掲示板をしらない。
4、っていうか、だあれも顕正会のことなんて注目していない。(相手にしていない?)

まあ、沈黙の理由はほかにもあります。顕正会擁護の立場に還っていうならば、やっぱりわたくしのやっていることはよくないのではないか、迷惑をかけているのではないのか、と。
「ふざけたマネしやがって」「余計なこと書くんじゃねえよ」とか、まじめな顕正会員なら思うでしょうし、本部の方でも眉をひそめているかもしれません。
しかし、これは自意識過剰だかもしれません。いまや顕正会はそんなことではビクともしない大きな組織であり、また逆に言えばそれだけ大きくなればいろんな人間がいてあたりまえ、わたくしのような変わり者がいたっていいじゃありませんか。

沈黙の理由をもうひとつ。
“くだらないこと書くヒマがあったら勉強しなさい”といわれたものですから・・・
べつにヘソまげて黙り込んでたわけじゃないです。すこしは勉強しようと思ったのです。
ところが元来がナマケモノですから、ボケッとしているうちに気がついたら四月になっていた・・・ってなわけです。

本年もよろしくおねがい申し上げます。(大ボケ)

6682ちゃんより:2003/04/03(木) 17:52
ガンコさんとやら、悪名高き「2ちゃんねる」という巨大掲示板をご存知か?
そこで本尊の問題を問われています。
対処している会員さんが2人いましたが、顕正会を信じる事ができなくなり
一人は退転されましたよ。一人は頑張ってますが、本尊の問題に関しては
「幹部に問い合わせ中」と言う事でずうっと放置されています。
アンチ側は本尊の事を明かにすれば 顕正会の間違いを気付かせると思って
問い詰めていますが、今のところかわされています。
ここよりも ずいぶんと質が悪いところですが 一度覗いてみてはいかがです?
これで行けるかわかりませんが 貼り付けてみます。
スペースを取り除いてアドレスに貼り付けてみてください。

管理人様 もしもこの書き込みに問題があれば削除お願いします。

h ttp://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1048855049/585

669ガンコ:2003/04/03(木) 20:48

これはご丁寧に、どうもありがとうございます。
わたくしあんがいに浮気をしないたちなので、2ちゃんねるは一度も見たことがないのです。
上のアドレスでは、いけないようです。どうしましょうか?

670五月雨:2003/04/03(木) 21:05

ガンコさん 

お久し振りです、お元気そうで何より。
今年は趣向を変えられるとか楽しみにしております。

>本年もよろしくおねがい申し上げます。(大ボケ)

こちらこそ宜しくお願い致します、桜の花が満開ですが、気にしない、気にしない(^^)


2ちゃんねるへのアドレスは下記で行けましたよ。

http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1048855049/585

671ガンコ:2003/04/04(金) 02:46

五月雨さん、どうもどうも。

行けました、行けました。わざとhとtのあいだを空けとくものなんですかね。

ついさっきまで、ざっと読んでいましたが・・・う〜ん、なんと申しますか、わたくしとしては何にも解決にならないという感じです。
本尊問題、2ちゃんでは御本尊問題とみんな言ってますが、ともかく何ら新しい情報はありません。
ようするに疑惑がある。顕正会はちゃんと答えるべきである。今流に言えば説明責任がある。ところが本部は黙して語らない。はなはだ怪しいではないか。
まあ、こんなところでしょう。
それはわかっているんです。だけどいきなり本部に聞けませんよ。だからもっと有力な情報がほしいのです。
そして確かな情報を得て、ばあいによっては本部にかみつくかもしれませんし、静かにやめていくかもしれない、というところなのです。

672ガンコ:2003/04/04(金) 02:55

2ちゃんより さん

もっともわたくしざっと読んだだけですから、読み落としているところがいっぱいありそうです。
どこかにきわどい書き込みがありましたでしょうか?

6732ちゃんより:2003/04/04(金) 09:42
ガンコさん、2ちゃんを覗いてくれたようですね。ありがとうございます。
アドレスの間にスペースを入れたのは リンクを貼り付ける事がここの迷惑に
なるかもしれないと考えたからです。五月雨さんがあっさり貼り付けてくださったので
安心しましたが・・・・
五月雨さん どうもありがとうございます。

あそこに書きこまれている「一刀両断」というHNの方がいらっしゃいますが
あの方は元々顕正会員の幹部です。顕正会の間違いに気付いて脱会した方です。
この方の書きこみをよく読んで頂きたいと思います。
その他、名無し以外の書き込みに注目してください。
2ちゃんは煽りが多いのでたまにウンザリすることも多々ありますが。
【第24回】徹底検証!『宗教法人顕正会』 というスレもあります。
  ↑24回なので過去ログも大量にあります、まあ 全部読むのは大変でしょう。
見ていただいたと思いますが◆◆◆冨士大石寺顕正会 問答編 第2章◆◆◆
こちらも第2章となってますので 1章が存在します。読んでみてください。

覗いてもらったのなら分かると思いますが、
会員はほとんどそこに書き込んでいません。
しかしロムはしてると思います、末端の信者は「絶対の教え」と信じているのでしょうから 
あの場にたむろする多くのアンチを早く破折して欲しいと願っていると思います。
にも関らず「幹部に聞いてきます」といって質問の答えが延び延びになってるのです。
これは何故でしょう、出所がハッキリしているならば答えればいいだけです、
予測や想像に過ぎない会員側の毎度の答えに アンチ側は痺れを切らせてます。
何故答えられないのでしょうか、何故幹部からの返答が得られないのでしょうか。
御本尊が偽物の場合、やはり顕正会のいう「功徳」は得られないという事になりますか?
それを知るのがこわくて本部に聞けないといったところでしょうか。

またよかったら感想を聞かせて頂きたいです。

674黙さず語る者:2003/04/04(金) 10:17
がんこさん はじめまして。

顕正会の諸問題については、幸いに顕正会専用のスレッドが立ち上がっているようなので、そちらに移って私も参加させて頂ければ、と思っています。
しかし、2chにしろ最近よく目につくのは会の指導を会員があまりにも個人的解釈をなしているなぁ、ということです。
もっと会として徹底されるべき指導が、全くなされていない。
だから、本尊問題でも血脈問題でも会員それぞれ独自の論を持っている。
突っ込んでいくと会長の過去の指導と全く違う事を言っている事に気づく。
なんだか会の狙い通りの姿になっている、とも思えてしまうわけです。

>いまや顕正会はそんなことではビクともしない大きな組織であり、また逆に言えばそれだけ大きくなればいろんな人間がいてあたりまえ、わたくしのような変わり者がいたっていいじゃありませんか。
本当にそんなに大きな組織だとお考えなのでしょうか?私は到底100万陣容に相応しい実働人数には思っておりませんが。

時間があれば、活発に議論させて頂きたいと思っております。

675無名:2003/04/11(金) 18:43
はじめまして、今までログしていましたHNはかりに無名としておきます。
このスレッドが適切かどうか解りませんが、去年から今年にかけて某破門団体が某石山内団体に
働きかけて、復帰を模索していた話はご存じですか?
この話がどうなったのかは、未だにはっきりしないのですが某団体の下部組織としての所属で折衝
されていたそうです。破門団体の交渉窓口は長男さん(政治団体持ってるところではない)某団体
はヘッドが出てきたらしい。この話はかなり煮詰められたらしい。しかし、この団体の跳ねっ返り
がそういう話とは別に、法論を持ちかけてどうもおじゃんになったという事らしい。
その後に話が進展したと言うことも聞かないので、恐らく立ち消え乃至、保留になったのではない
かと思われる。この復帰話は住職まで到達していたから、末端会員は気の毒なものである。
結局、上の都合でどうにでも振り回されるのだから。

676ガンコ:2003/04/11(金) 19:30

えーっ? ほ、本当ですか?

といっても某破門団体とか某石山内団体では何がなんだかわからないですけど、わたくし宗門復帰をすごく期待してますのでなんだか勝手に想像を膨らませちゃってます。

677ジャンレノン:2003/04/12(土) 12:13
ガンコさん、
>わたくし宗門復帰をすごく期待してますのでなんだか勝手に想像を膨らませちゃってます。
と思われるのでしたら、みんなでわたれば怖くないではなく、宗門に帰伏されたらどうでしょうか?
本尊問題にしても、あの方の元の家業が印刷屋さんであれば、なんて事ないと思いますがね。
戦中には宗門関係の印刷物刷ってましたし、紙質やら複製技術については、クリソのもの作れるでしょ。
何処かの団体の初期不良の一枚物ビニールコーティングよりも、プロなものやれると思いますよ。

678ガンコ:2003/04/13(日) 16:22

ジャンレノンさんは宗門事情にお詳しいようですね。

わたくしの記憶ではいちども浅井の家業が何であるか、聞いたことがありません。
たしか「王舎城事」の御書講義で“講談社の前に家があった”と言っていたように思うのですが、文京区の音羽といえば講談社、講談社といえば音羽というイメージがあったので、そうした関係のご商売をやっている(いた?)のだろうと推測しておりました。
甚兵衞先生の十三回忌にも同趣旨のことを言われています。
「・・・昭和二十年三月十日の夜、最大規模の空襲があった。・・・このようにして、音羽通りは江戸川橋のほうからどんどん燃えてきた。その延焼の早さは、消防車も逃げるのが間に合わないほどだった。もうウチも焼けると思った・・・しかし音羽の一角は焼け残った。焼け残ったおかげで、父は事業を戦後大いに伸ばすことができたのであります。」

いかなる事業であるか浅井の口からはいちども聞いたことのないウブな顕正会員にひとりで移籍しろとおっしゃる?
まあ、そういう日が来るかもしれません。

音羽といえば、講談社はむかしのままですが他はみんなマンションになっちゃいましたね。(といってもそんなにむかしを知ってるわけではありませんが・・・)

679ジャージルーカス:2003/04/15(火) 09:48
ガンコさん
浅井さんの家業は、印刷屋です。
牧口、戸田、浅井(以下敬称略)等はいわゆる「目白グループ」の仲間でした。
牧口戸田は教育関係者、浅井は教育関係印刷業者でした。
それらで作っていた法華系グループです。
いわゆる「完器講系」「国柱会系」等が多数存在していて、浅井は国柱会系上がりです。
彼が国立戒壇にこだわるのは、系統から言っても分からないでもありません。
正宗帰一後はかなり、宗門出版の印刷をしてまして、戦後も日蓮正宗聖典(初版本)には浅井甚兵衛の名がしっかりと末にでています。
良かったら、古本屋で手に入ると思います。

さて、浅井家は元々文京区音羽の講談社前に居住しておりましたが、講談社とは余り事業的な関係は薄かったようです。
ちなみにその数件奥まった隣に住んでいたのが、鳩山一郎氏でして、浅井さんとも戦前から近所つきあいをしていて、後に総理大臣にもなっているのは御存知かと思います。

680ガンコ:2003/04/15(火) 23:37

ジャージルーカスさん、どうもです。

貴重なお話をいただきましたが、よくわからないのでもう少し教えてください。
顧問先生は牧口戸田氏と親交があったのでしょうか?
また、国柱会系あがりということですが、そうするといつ正宗に帰一したのでしょうか?
わたくしの認識がただしければ、顧問先生は大正十五年十二月二十二歳の時、日蓮正宗に入信したと思うのですが、それ以前に国柱会に在籍していたのでしょうか?

681ジャージルーカス:2003/04/17(木) 08:18
ガンコさん
忙しいので、お答えだけ。

> 顧問先生は牧口戸田氏と親交があったのでしょうか?

もちろん、同志でしたからね。心胆相照らす仲ですよ。

> また、国柱会系あがりということですが、そうするといつ正宗に帰一したのでしょうか?
わたくしの認識が正しければ、顧問先生は大正十五年十二月二十二歳の時、日蓮正宗に入信したと思うのですが、それ以前に国柱会に在籍していたのでしょうか?

そういうことになりますね。浅井甚兵衛さんの先代(名前不詳)が、国柱会員です。
甚兵衛さんもその影響で、国柱会に出入りしてたそうです。

682無名:2003/04/17(木) 12:17
国柱会と正宗の関係というのは日柱上人の時代にさかのぼります。富士の沿革と教義を著した松本佐一郎氏の
お爺さんが国柱会の存在に刮目されて、日柱上人が在家主導の布教方法の利点を調査する意味で佐一郎氏を該
会の外郭精華会に関係させるのであります。この関係の中から正宗の戒壇義や血脈義等の教義を知って移籍す
るものが居たことは想像に難くない。浅井家も恐らくその一家であろう。その後松本氏は国柱会と義絶し、山
川智応氏や智学氏の遺弟に「尋勝論」という一書を献じて峻別をされている。

683ガンコ:2003/04/17(木) 20:51

ううっ、な、なんと・・・(絶句)

日蓮正宗に入信する以前にキリスト教をやっていようがイスラム教をやっていようが、あるいは念仏だろうが真言だろうが関係ない、としたものでしょう。
しかし、よりによって国柱会とは・・・
“田中智学の亜流”というのはあながち間違いでもないということになりましょうか。
学会員からいろいろ悪口は聞かされてきましたが、こんな話は初めてです。

684ガンコ:2003/04/29(火) 13:08

顕正会のカルトっぽさは生来のものか? その1

花粉症の季節も終わりである。
ところがそれはスギ花粉であって、杉の次にはヒノキだそうで、ヒノキの次は何タラカンタラの木・・・といった具合にほぼ一年にわたってなにがしかの花粉が飛び交っているのだそうである。
また一説によれば花粉症は、花粉と自動車の排気ガスのミックスしたものが人体によろしくないという。

まあ、それはそうなんであろう。しかし、それだけでは近年の大流行の説明はつかないと思う。
花粉なんてものは昔からあった。また排ガスだってむしろどんどん規制が厳しくなって、エコだのクリーンエンジンだのといって企業も努力していることだし、してみると花粉症は減ってもよさそうである。
ようするに花粉症の原因は別にあるのではないかと思う。

わたくしの考えを申せば、近年の花粉症の大流行は“レッテル効果”に他ならない。

花粉花粉、かふんかふん、カフンカフン、うるさいのである。おそらくは誰しもが二月から三月にかけて、花粉の話を聞かなかった日はなかったのではと思われるほど、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、その他、ありとあらゆるメディアが花粉を取り上げた。町を歩いてたってそうである。薬局の前にはデカデカと花粉症の薬入荷しましたと貼ってあるし、スーパーなんかでも花粉症に効く〇〇とか書いてるし、デパートなんか花粉症対策特設コーナーなんて仰々しくやってるし、もうやんなっちゃう。
情報番組全盛の時代といわれる。テレビ各局において夕方一時間から二時間のニュース番組をやってるがまったくご苦労なことである。ネタさがしが大変であろう。
仮にNHKラジオの定時ニュースをまねしてみたらどうか、毎日十五分あれば終わってしまうだろう。つまり、タマちゃんだのボラちゃんだのは時間つぶしなのである。(面白いからいいけど)
花粉症もそうである、といったら花粉症に苦しむ人は怒るかもしれないが、怒るならばテレビ局を怒るべきであろう。格好のネタにされていることはまちがいない。

ともかくテレビ等の有力なメディアの宣伝効果ははかり知れないものがある。

685ガンコ:2003/04/29(火) 13:13

顕正会のカルトっぽさは生来のものか? その2

なんとなく話のオチがばればれなので、眩惑的手法を用いることにする。
わたくしの知り合いに「さばアレルギー」がいる。聞いただけでジンマシンが出るそうである。
医学の世界ではプラシボとか二重盲検とか(よくわかんないで書いているが)、純粋に生理学的反応をみてアレルギーかどうか判断するということだが、もちろん彼女の場合もだまくらかして鯖を食べさせようものなら大変なことになる。いちど救急車で運ばれたことがある、と本人が言っていた。
ただ、わたくしの印象としては、聞いただけでジンマシンが出ることのほうが重症という感じがする。
そしてアレルギーのみならず、すべての病気において“心因性”ということは、もはや軽視できなくなりつつあるのではないか、と思うのである。

法華題目抄に「梅子のすき声をきけば口につたまりうるをう。世間の不思議是くの如し。況んや法華経の不思議をや。」との御指南を拝する。

これは懸案となっている本尊問題を考えるうえでも重要である。ぶっちゃけ本尊が偽物だった場合、それを知らずにまじめに信仰している者にどのような作用をあたえるものなのか? これは結構な難題である。

話は前後するが、花粉症の話は「日蓮本仏論」に援用できるのではないか、とひそかに考えているのである。
花粉症がクローズアップされたのに反比例して、“アレルギー性鼻炎”があまり聞かれなくなったように思う。専門的には知らないが両者はおなじものであろう。昔から鼻をグシュグシュさせている者は居ったのである。ようはアレルゲンの特定ができていなかっただけのことではないか。
日蓮大聖人は末法の御本仏であられる、というと反論の嵐が巻き起こるけど、大聖人が末法の法華経の行者であることは異論のないところであろう。では、末法の法華経の行者とはいったい何なのか? これがはじめはよく判らなかった。後代に至ってようやく闡明になった、ということでいいのではないか。
もちろん、なおも反論があるであろう。

「法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照らし給ふ。」と仰せられるのだから、大変な御方であるのはまちがいない。

686ガンコ:2003/04/29(火) 13:17

顕正会のカルトっぽさは生来のものか? その3

眩惑的手法などとふざけたことばかり書いていると、相手にされなくなる(すでに相手にされてない?)ので、そろそろ結論を書こうと思う。
顕正会はカルトである、と思っている人がいるとすれば、それは“レッテル効果”であろう。

“なんだ、まだそんなこと言ってるのかよ”といわれると癪なのでもう少し説明を加えよう。
レッテル効果であるにしても、いくつかの考え方があると思う。わたくしは大雑把にふたつのケースを考えてみた。

1、顕正会ははじめからカルトだった。後年カルトと言われるようになって、本質がようやく見えてきた。

2、   いや、顕正会はいまもむかしもカルトなんかではない。一方的な悪宣伝が奏功しているだけである。

さて、どちらが本当であろうか? もちろん最初はまじめな団体だったけど途中でカルトに変貌してしまった、というのもあるし、これが多数意見だかもしれない。しかし、そうだとすると、ターニングポイントはいつか? 原因は何か? どのような出来事があったのか? いったい何がどのように変わったのか? 等々、詳細に検討していかなければならないだろう。
面倒くさくてやってらんない。

まことに勝手ながら、そろそろカルト問題からは卒業させていただきたいと思っている。
もちろん質問されれば答えなければならないし、新たな事象についてはそのつど考えていかなければならないのは当然であるが、どうもカルト問題というのは自分自身の信仰を深める糧にはなりにくい。
わたくしはいまだに信仰者のつもりでいる。
そして生意気を承知で言えば、信仰を深めるためには御法門を深く学ばなければならない。
ようやくそこに考えが至ったのである。

687無明的ガンコ者:2003/04/30(水) 01:55
御参考::http://www.lbisjp/gohonzon/  にて「当該所有寺院を”クリック”されまして”ホンモノ”」をシカト御確認してくださいませ、、??

688無明的ガンコ者:2003/04/30(水) 01:58
http://www.lbis.jp/gohonzon/ でした、。 御免下さい、。

689ガンコ:2003/04/30(水) 13:42

あなたどなた? まあ、誰でもいいですけどね。

・・・日蓮聖人御本尊集は、全部拝見しました。じつはずいぶん前に図書館でも見たことがあるのですが、その頃はなんとなくイケナイことをしているような気がしてじっくりとは拝見できませんでした。
なんともすごい時代になったものです。

690ジャージルーカス:2003/04/30(水) 14:11
ガンコさん。
日蓮大聖人の御本尊は、一般に立正安国会の本尊集の倍はあります。
富士門でも、天英院殿寄進の御真筆を始め、たくさんを、公開してませんし、
公家の名家は、そもそもどこの馬の骨とも分からない方には、御真筆は拝見させません。
ですから、時代は変わっても、書籍やHPで公家名門の「特殊曼陀羅」はなかなか拝見できないですね。

691ガンコ:2003/04/30(水) 15:20
立正安国会の本尊集の倍?

すごいです。戒壇の大御本尊様は秘仏にてまします、とよく言われますが本宗では伝統的に本尊を見せびらかすことはしないってことなんでしょうね。

「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。」

692五月雨:2003/04/30(水) 16:28

>すごいです。戒壇の大御本尊様は秘仏にてまします、とよく言われますが本宗では伝統的に本尊を見せびらかすことはしないってことなんでしょうね。

本宗とは日蓮正宗のことですか。どうも顕正会員の方がこう書かれるとどこの宗だ、と思ってしまいます。心理的には石山に属している感覚があるのですね。

戒壇之漫荼羅は明治時代に、熊田葦城著『日蓮聖人』(1911年・明治44年11月10日・報知社発行・口絵)り本の表紙になったことをご存知ないのですか。前にもどこかのスレッドで話題になっていました。Googleで検索してお探しくださいませ。

戒壇之漫荼羅の写真のアドレスはこれです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaidanmandara/kaidanmandara.html

693祝八郎:2003/04/30(水) 17:08
横レス失礼します。
熊田葦城著『日蓮聖人』は、ほぼ同じ内容で『日蓮上人』『日蓮大聖人』という書名でも出版されており、菊判、A5判、B6判、四六判
、袖珍本など10種類ちかい判があり、合計では100万部以上売れたといわれています。
板曼荼羅の写真は3,4種類あるようです。
正面写真は、ろうそくの大小で相貌がはっきり見えるものと見えないものがあります。
斜めからの写真も2種類あるようです。

694祝八郎:2003/04/30(水) 17:12
ひとつ書き忘れました。
戦前の総講頭の著書にも板曼荼羅の写真は掲載されています。

695ガンコ:2003/04/30(水) 18:26
五月雨さん、祝八郎さん。

なんだか、わたくし、墓穴を掘ってしまったようです。
しかし、なんと申しますか、当然このことについては御宗門のほうで言い訳といったら叱られそうですが、ともかく今日までになんらかの説明があったんでしょうね?
ご存知でしたら教えてください。

696ジャージルーカス:2003/05/01(木) 03:07
ガンコさん。
そもそも、御戒壇様の御写真を掲載する事に、昔はそれほど神経質ではなかったのです。
御戒壇様の写真を公開する事は、熊田さんの書籍に限らずいくつかあります。
御戒壇様を含み、その他の御本尊も写真をやたらと公開しなくなったのは比較的近年のことです。
古い聖教新聞の写真では、学会本部の常住御本尊や、貞明様の「皇位宣揚御本尊」の写真が掲載されたこともありました。
写真の掲載を中止したのは、それを元に複製を作る輩が出来したからだと言われております。
現に熊田氏の写真を元に(不鮮明ですがね)御戒壇様のレプリカを作った日蓮宗の人もいたそうですから(彼らは御戒壇様を否定してるんだから、そんなもの作らないでもいいのにね)。

697ジャージルーカス:2003/05/01(木) 03:10
ガンコさん。
上記に付随して言いますと、どなたかが、顕正新聞に御本尊の写真があったことを問題視してましたが、実はそんなに気にすることは無いんですよ。
もちろん、TV画面に写した御本尊を拝むのは、問題ですが、新聞を拝むわけでは無いんですから。

698祝八郎:2003/05/01(木) 17:14
>696
>写真の掲載を中止したのは、それを元に複製を作る輩が出来したからだと言われております。
現に熊田氏の写真を元に(不鮮明ですがね)御戒壇様のレプリカを作った日蓮宗の人もいたそうですから(彼らは御戒壇様を否定してるんだから、そんなもの作らないでもいいのにね)。

石山の某寺で同写真から守り本尊を作って配った例は有名ですね。

堀日亨師の雪山荘の御本尊は、紫震殿本尊の写真から作ったものでした。
戸田時代にこのことを指摘質問した人物(故人)は学会から「狂犬」呼ばわりされ除名になっています。
その人物を庇ったのは、石山ではIS師(故人)だけだったようです。

699五月雨:2003/05/01(木) 17:48

ガンコさん

ジャージさんと祝さんが仰ったとおりですよ。
元々石山には「本尊を写真に撮ってはいけない」という不文律など無かったということです。
何でもかんでも「謗法厳戒」だと言ったのは学会だったそうです。
自分達で作った謗法厳戒を逆手にとっての石山攻撃は滑稽ですらありますね。

700ガンコ:2003/05/01(木) 19:02

だいぶ話がデーブになってきたところで、素朴な質問をさせていただきます。

写真は近代以降に限定されますが、それ以前はどうだったのでしょうか?
つまり御本尊を未入信者がやすやすと拝見(拝観)できたのでしょうか?

701保守:2003/05/05(月) 09:20
http://www.buppou.com/

これは、かなりカルトというかDQNだね。

702『日蓮大聖人絶対主義』:2003/05/12(月) 16:49

私は「日蓮大聖人絶対主義」です。
呼称としては「日蓮大聖人」とお呼びするのが、気持ちの上でシック
リしますが、大事なことは「呼称」ではない。
ご本仏を『日蓮大聖人唯一』とシッカリ認識し、「依法不依人」を徹
底する事です。


1)「日蓮大聖人唯一」
2)「依法不依人」

学会も、宗門も1)2)を希薄にして、日顕法主。池田名誉会長に重
きを置きすぎている。仏法混乱の病根です!

日顕法主、池田名誉会長も日蓮大聖人から見れば、マチガイ多き「人師」です。

各教団は「依法不依人」を忘れていないか、戒めなくてはなりません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」を徹底しなければ謗法教団になる。


日顕法主。池田名誉会長に重きを置くは『謗法』です。

すべてのマチガイはここにあります。
日蓮大聖人の前に立ちはだかる「人師」に導かれ、信者はその口より
翻訳された仏法を聞くことになる。
裁判沙汰の「法主」や「教祖」である。大聖人の仏法が正しく伝わる
のかどうか、疑わしい。
信徒も教学を身につけ「依法不依人」を徹底し、『日蓮大聖人唯一』
を再確認しなくてはなりません。

人師にも依存せず、教学を身につけることは困難ではあるが、猊下、
僧侶とてアノ程度である。ここは孤独を覚悟して、題目を羅針盤と頼
り、大聖人のお心を求めていくしかありません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」と心して、仏意をめてゆくならば
道を間違えることはありません。

すべての教団が余念を捨て『日蓮大聖人唯一』に同意ならば、対立の
中に「接点」ができる。
日蓮を『仏』と仰ぐ教団は帰一の可能性が見いだせる。

『立宗七百五十年』各教団バラバラに行われた慶事は、大聖人の発願
の理想の姿ではない。歴史的事情や、先達の経緯によって分裂、分派
し不本意ながら今日の教団の姿になった。
過去を越えて大聖人の『原点』に戻すのも「日蓮が弟子」の使命では
ないでしょうか。「我が弟子、同心すべし!」仏意と思う。

「狭い心」に囚われるべきではない。

703みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/15(木) 20:49
一言だけ。

1)「日蓮大聖人唯一」
2)「依法不依人」

矛盾してるじゃん。日蓮大聖「人」ていうぐらいなんだから人なんでしょ。
人に依っているじゃん。

704日蓮正宗正統派本流支持:2003/05/17(土) 07:02
 4月1日継命で正信会議長が独立し、別法人にする計画と発表しました。

包括法人ならば社団法人でもかまわないのにあえて宗教法人にするのはやはりお金でしょう。
税金が免除されるからです。一見事務的な動きだけに思えますが、さにあらず。三つの大罪、大謗法になります。

 また、将来富士へ帰山する場合にこの法人は解散するとの一項は却下されたので、この法人化は正宗との永遠の
決別を意味します。
正信会設立時に決して独立法人化することはない、安部宗門正常化のときは帰山するとの約束はホゴにされたのです。

うそをつかれ謗法になってしまったからと早まらないでください。まずは連絡を。
まだ計画が文部省に承認されたわけではありませんから。そのとき最善の方法を考えるのが法華の生き方でしょう!


http://www.buppou.com/

断固粉砕するため、全国大会会場周辺で行動を起こします。
賛同する方集まってください。

705波木井坊竜尊へ:2003/05/20(火) 01:51

いやア〜、貴殿の見通しには関心したぜ、間違いなく創価学会は
派閥争いが本格化している。自民党は現執行部(秋谷)とも接触
しているが、別(反池田勢力)とも接触している。

学会内で暗闘している勢力の目的は主導権争いで、組織、金、資産
の支配が目的だ。
自民党の関心は、創価学会8百万票を噦誰が器掌握できるかを見定
めている。
自民党にとって創価学会の魅力は、選挙時の票だけのようだ。
野中、古賀、石原などはポーカーフェイスで模様眺めだ。
内心考えていることは恐ろしい人達だ。

池田亡き後、学会執行部がグラツクことがあれば困る。また、次期
執行部が自民と離反をクワだてる勢力ならば、この時期にツブして
おこうと考えている。完全取り込みか、潰すか。どちらかでしょう。

反池田勢力も政治的に老練なものが多数がいるようで侮れない。
最後は弾(現金)になれば執行部が優勢だ。今世紀最大の弾が飛ぶ
。右翼も、○暴も参戦し、池田氏らしい終末の宴になりそう。

構図は池田家親衛隊VS創価学会伝統派の抗争でしょう。

706名前はまだない:2003/05/20(火) 02:04
池田家親衛隊、創価学会伝統派のメンバーは?

707ははあ:2003/05/31(土) 23:53
裁判沙汰は傑作だ。宗祖の生涯を知らないらしい。流罪死罪をくりかえしているような宗祖に正しい仏法が伝わっているか怪しいものだ、と言わせるスキをつくっている事にも気づいていない。

708ブルー:2003/06/12(木) 17:27
>703
「大聖人」という言葉は、それ自体「本仏」を意味するんです。
だから大聖「人」とあるからといって人師に帰依したことにはならないです。

709日蓮正宗正統派本流支持:2003/06/12(木) 23:02
(阿部)宗門,創価学会、そのほか
宗門

良いところ

小さいながらも現代まで法脈を護ってきてくれたからこそ私達がいると感謝します。

以下謗法

一、御本尊

大御本尊と御影があっても物質としてで、学会の謗法を容認し、また謗法容認を隠
したままですので、神天井の法門で諸天や諸仏は大石寺より「所を辞して」ます。


二、御本仏

現代の貫首を御本仏とするのは誤り。法主は大聖人お一人で貫首は法主ではあり
ません。。

三、血脈

阿部氏の貫首相承の日がいつか未だに正式発表がありません。
誰も知らないまま次の人に相承してもそれも認められるものではないと事前に言って
おきます。

そこで師匠ではないので阿部さんに対しては「氏」を使うのが正解です。
日顕宗では日号を認めることになるので阿部宗が良いでしょう。


創価学会

良い所

宗門活性化。増上慢の僧侶を諫めた。

以下謗法

一、御本尊

日寛上人のご本尊を許可なくコピー印刷していますが、貫首の認めない御本尊
は魂が入ってない血脈のないものです。仏作って魂入れずそのものです。偽札と
同じで本物そっくりに作っても偽物はニセモノです.学会常住の本尊も偽物が作ら
れました。

二、御本仏

人生の師匠も大聖人です。三徳の内、師徳だけが何故池田氏になるのでしょうか。

三、血脈

謗法厳戒に大聖人の命脈は流れます。血脈正義がないので阿部氏などへ憎
しみを出すのが正義と勘違いしています。。

710日蓮正宗正統派本流支持:2003/06/12(木) 23:06
成仏への道

仏法伝承者求む!!

このタイトルを見てピンと来た人こそ私達の仲間で、過去世において流布を
誓い合った真の友です。
また、仏法を追求してみたい人も同士になるでしょう。

その他の人も読んでください。

印度では千年以上昔に、中国では文化大革命で仏法は消滅しました。
そして日本でも敗戦により、本来の仏法者は指で数らえるくらいになりました。


文明はコンピュータ−やロボットを創り出し最高の極みにあるのになぜ自殺者
が増え続けるのか?
人の心は満たされないままなのか?
それは釈尊つまり人生の師匠を持たないからです。

仏様のように迫害にあっても正しさを貫ける人はまれです。
誰にも仏性はあるのですが、仏陀は観れません。

しかし、釈尊と同じように正しさを貫けば、御本仏と話すことが可能です。
釈尊はすべての人に仏性があり、成仏するといいましたが、それは理(論)です。

事(実)の上で可能かは、御本仏の言われたことを聞けるかどうかです。

以下成仏を初めとして、ご利益、オーラ(自体顕照)、神や霊、そして最後の涅槃
(安らぎ)まで全ての章を漏れなく自分に当てはめ、確認していってください。

最後の入門まで到達できた人こそ私たちが探している過去世からの仲間であり
永遠の友、仏法伝承の眷属です。



仏法のことは仏法者に

世の中にはおかしなことがあります。仏法者以外の人が仏法を説いているのです。
禅、念仏、真言、天台、これらは宗教で仏法ではありません。
話の始まりが仏法でも最後には宗教に変わってしまったら成仏も何もありません。

新興宗教は触れる必要もないでしょう。

ですから仏法対話とか折伏と称して人と話をする場合その人が宗教者がほとんど
ですので気をつけなければいけません。

711日蓮正宗正統派本流支持:2003/06/12(木) 23:07
御書どおりこのパソコンで表記できませんので必ず御書をひいて確認してください。

謗法厳戒

富士門流すべてに言えることは謗法厳戒の精神が希薄になってきていることです。

仏法でないものを仏法といってはいけない、正しいものをあくまで正しいと貫く。
それが謗法厳戒の精神で、相手がたとえ幹部役員、住職、会長名誉会長や貫首で
あっても諫めなければ成仏はないのは言うまでもないことです。

「いかに法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし うるし千ばいにかにの
足一つ入れたらんがごとし」(1056)

「謗法と申す罪をば我も知らず人も失とも思わず ただ仏法をならえば貴しとのみ思
いて候程にこの人も又この人にしたがふ弟子等も無間地獄に堕つることあり」
(御書ページ連絡ください)

712日蓮正宗正統派本流支持:2003/06/12(木) 23:09
師弟の法門

 このホームページを出す前に非常に悩みました。
大聖人様が「秘すべし、秘すべし」(877頁)と一度ならず二度までも秘密にせよと
いわれた仏法の奥義法門を白日にさらすことになるからです。
私の命も残り少ないし、かといってこのまま伝承することなく世を去るのはより惜しい。
二つのジレンマと法義を知る人全てに業が出ることでどうすれば良いのか長く悩みました。

この悩みを打ち砕く大事件が起こりました。正信会の独立発表です。
能力も実力もなくても実行しなければならない事態になってしまったのです。
  これがこのホームページ立ち上げのきっかけです。

何度も言いますが一人では仏道修行はできません。
降魔に対処するのが修行だからです。
富士門には異流義四派がありますがどこでも指導は不完全です。
それは仏法、大聖人の指導よりも各派の幹部、住職、トップの言うことを鵜呑みにし
ているからです。
彼らと大聖人様ということが違えばどちらをとるのですか?
指導とはまさに師の道、師道でなければなりません。師の道を同じように弟子として
歩みましょう。

「師弟相違せば何事も成すべからず」(900頁)

713三学無縁:2003/06/17(火) 13:40
以前、ジャージ・ルーカスサンが浅井さんと牧口さんについて述べておられましたので少々。
牧口さんも国柱会にはずいぶんと出入りしていたようですね。
浅井さんの件、キーワードは目白グループですね。
つまり、牧口さんも浅井さんも、三谷門下であり、三谷門下の兄弟弟子ということになるわけです。
牧口さんが正宗で講活動を独自にする前に属していた講がありました。
その講がなくなってから、創価教育学会は徐々に講活動をしはじめ、目白グループも独自に活動するようになったのです。

浅井さんも牧口さんも、三谷門下ですから、石山系法華講ではなく、完器講系ということになります。
だから牧口さんらは淳師と敵対して、同系の堀上人に接近したわけです。
目白グループは、指導僧が「国立戒壇否定」でした。
これは当時の正宗内にあって稀有のひとです。
浅井さんは、牧口さんと淳師が敵対してから、淳師に親近するようになったのです。

石山系の二大在家集団は、ともに石山系ではなく完器講系なのですから、石山とぶつかっても不思議ではありません。

もっとも、石山系はともかくとして、大石寺じたいはなにもない寺といっていいわけです。

なぜ牧口さんも浅井さんも当初、古刹で活動できなかったのか、これが真相の一端ですね。

714ジャージルーカス:2003/06/24(火) 19:02
三学無縁さん
これは面白いですね。
牧口さんは確かに淳師と対立しますね。
そして、淳師が「困った方」と呼んでおられた堀上人に接近する。

そして、逆に浅井さんは淳師に近づく。
うーん。これはなかなか興味深い。

715ガンコ:2003/06/26(木) 11:47

あなた達って、なんでそんなに詳しいのかしら?
まさか同時代の人でもあるまいに・・・ん? ま、まさか本当に同時代の人だったりして。
推定年齢、百二十歳くらいとか。

716アヤエ:2003/06/27(金) 16:44
お久しぶりです いつか友人の事で相談させていただいた者です。
友人が遂に 顕正会から脱会し、洗脳もすっかりとけました。
脱会後しばらくは大変でしたが、今は生活を取り戻し頑張ってます。
ここで皆さんからアドバイスしていただき 大変勉強になりました。
本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。

ガンコさん、貴方と友人を重ねてしまい 時々強く言ってしまったりしましたね。
ごめんなさい。ついムキになってしまいました。
友人は顕正会を離れて 活動をやめてから 洗脳されていた
という事実に気付きました。顕正会では洗脳をほどこしているのです。
いつか ガンコさんが気付きますよう 祈ってます。お元気で。

717ガンコ:2003/06/27(金) 17:45

これはこれは、本当にお久しぶりです。わたくしも年明けより三月ばかりは掲示板から遠ざかっていたのですが、またこの頃は性懲りもなく低レベルの投稿をして皆さんに笑ってもらっています。

じぶんのことはあまり書きたくないのですが、わたくしは十代で顕正会に入信しました。感化されやすい年頃、もっといえばハマリやすい年齢だったかもしれません。それを洗脳というのであれば、まさしくそうだったのでしょう。ただ、信じてもらえるかどうかわかりませんが、顕正会では特に別段、洗脳の技法を用いているとは思えないのです。わたくしなどは純粋に日蓮大聖人の仏法にひかれ、今また、顕正会以外の人たちがどのように大聖人の仏法を拝しているか、この掲示板で学ばせていただいているのです。
つい最近では、れんさんという学会員の方がお出でになっていたのですが、わたくしなどは顕正会の中で学会の悪口しか聞かされていないので誤解していた面もあって学会員はもはや大聖人を見失っているかのように思っていましたが、れんさんなどは全然そうではないと思いました。
まあ、こういった感じで少しは世の中が見えてきた、とは思っているんですけど。
どうなんでしょうか、アヤエさんから見ればまだまだってとこなんでしょうか?

718そら〜り:2003/06/27(金) 18:34
横レス申し訳御座いません。
ガンコさま 洗脳されている時に、その人は洗脳されている事に絶対気付きません。
スレッドテーマからお話しすれば、私のような一般人は「顕正会」はカルトっぽい
と言うよりも、破壊的カルトであると判断していると思います。
以下は顕正会とは関係のない、破壊的カルトのチェックリストです。
(メジャーな物ですので、今更という感じとは思いますが・・・)

・実在のカリスマ的指導者が中心にいて、メンバーは無条件に心酔している。
・新しいメンバーの獲得に余念がない。
・金儲けにのめり込んでいる。
・質問したり、疑問を持ったり、反対意見を唱えることは認められず、 罰せられるケースさえある。
・瞑想や詠唱、体力を消耗させる労働など、精神を麻痺させるテクニックを用いて
 疑いの心を持てないように仕組んでいる。
・指導者がメンバーの考え方や行動、感情を細部に至るまで支配している。
・エリート主義的な発想に立ち、集団とそのメンバーと指導者は特別な高い地位に あると主張している。
・自分たちは善、外部者は悪という「二分法」的な考え方に立ち、一般社会との 軋轢を生み出している。
・主流の宗教の聖職者などとは違って、指導者にはいかなる権威に対しても 従う意思がない。
・倫理に反すると考えられるようなこと(不正な目的の募金活動など)でも、
 目的のためなら正当化されると教える、または、ほのめかす。
・メンバーの罪悪感をあおって、支配力を強めている。
・メンバーは集団に従属させられ、家族や友人との絆は断たれ、
 それ以前の 個人的な関心事も忘れてしまう。
・メンバーは当然の義務として、集団の活動に法外なまでの時間を費やすことを 求められる。
・同じ集団のメンバーとの共同生活や、メンバーのみとの交流が奨励される、
 あるいは、義務づけられている。

顕正会は大部分照合していると思うのですが、如何でしょう?

しかしガンコさまは顕正会員の中でも、非常に稀有な存在かとお見受け致します。
かなり頓珍漢な発言(失礼)を繰り返している様ですが、他の住人さまに
どこか愛されているような感じがして、いつも微笑ましく見させて頂いております。
ガンコさまは学会員である、れんさまと接し考え方を改められる人なのですね。
これからも色々お考えになり、ご活躍して下さい。

719洗脳自覚支隊員:2003/06/27(金) 23:18
  なかなかの御核心の列挙はすばらしい。 某S会など「選挙運動=信心」といえる多忙を強制中ですが、なるほど、体力と思考力をマヒ低下の効果も、存在していたのですネ。 勉強になりました。

720ガンコ:2003/06/28(土) 06:09
そら〜りさん、どうもです。あまりカルト問題はやりたくないのですが、現在のわたくしの顕正会観を示してみました。

○・実在のカリスマ的指導者が中心にいて、メンバーは無条件に心酔している。
◎・新しいメンバーの獲得に余念がない。
×・金儲けにのめり込んでいる。
△・質問したり、疑問を持ったり、反対意見を唱えることは認められず、 罰せられるケースさえある。
×・瞑想や詠唱、体力を消耗させる労働など、精神を麻痺させるテクニックを用いて疑いの心を持てないように仕組んでいる。
×・指導者がメンバーの考え方や行動、感情を細部に至るまで支配している。
○・エリート主義的な発想に立ち、集団とそのメンバーと指導者は特別な高い地位に あると主張している。
○・自分たちは善、外部者は悪という「二分法」的な考え方に立ち、一般社会との 軋轢を生み出している。
△・主流の宗教の聖職者などとは違って、指導者にはいかなる権威に対しても 従う意思がない。
△・倫理に反すると考えられるようなこと(不正な目的の募金活動など)でも、目的のためなら正当化されると教える、または、ほのめかす。
◎・メンバーの罪悪感をあおって、支配力を強めている。
○・メンバーは集団に従属させられ、家族や友人との絆は断たれ、それ以前の 個人的な関心事も忘れてしまう。
○・メンバーは当然の義務として、集団の活動に法外なまでの時間を費やすことを 求められる。
△・同じ集団のメンバーとの共同生活や、メンバーのみとの交流が奨励される、あるいは、義務づけられている

見方が甘いか辛いかで、その人のカルト度がわかるんだそうですね。

721通りすがり:2003/06/28(土) 13:39
通りすがりで失礼します。
ガンコさんのチェックを見て つい書きこむ気持ちになりました。
×が3つありますね。
・金儲けにのめり込んでいる。
これは 確かに頷けます。金儲けどころか、仕事を満足に持ってない人が多い。
しかし 逆に考えれば、功徳を貰える近道として折伏に熱心な面がみられます。
この項目について、あえて○、もしくは◎をつけても良いかもしれないように思いました。
・瞑想や詠唱、体力を消耗させる労働など、精神を麻痺させるテクニックを用いて疑いの心を持てないように仕組んでいる。
これは まさに過剰な勧誘活動が「労働」に当たるのではないだろうか。
・指導者がメンバーの考え方や行動、感情を細部に至るまで支配している。
会に疑問を持った会員が除名処分になってますよ。支配されない人間を排除する
団体だということでしょう。

その他にも言いたい事はありますが、とりあえず これで通り過ぎます。
駄レス失礼致しました。

722そら〜り:2003/06/30(月) 11:51
洗脳自覚支隊員さま ガンコさま 通りすがりさま レス有難うございます。

「金儲けにのめり込んでいる。」この項目についてのみ、見解を述べさせていただきます。
(以下は顕正会の検証しているサイト内容を多数引用させて頂きました。)

顕正会は霊感商法などで数百万円の壺を販売している訳でもなく、社会問題になるような金銭的トラブルも起きていないので「のめり込んでいる」とまではいかないかも知れません。
そのことが会員にとって「顕正会にはお金がない。会長の家も古いままであり、人類の救済のためにすべてを投げ出している。」というような暗示的な事になっているとの見解もあります。
「入会金は無料、お金が掛からない」と強調し折伏?活動おこなっていますが、入会金は無料であっても、数珠や経本の代金として五百円、講演を収録したビデオやカセットテープなどが一本千円前後、また、教学関係の書籍が数千円など、本人の自由意志と言いながらもほとんどの会員が購入することになります。
「お金が掛からない」と謳っていますが、実際は12月に広布御供養として上限八万円を調達しています。上限八万円は対したことない印象もあり顕正会でも「良心的に上限を設定しているのだ」という説明がなされていますが、逆に上限が決めてある、と云う事は会員に上限を出させる為との見解があります。
顕正新聞(年間購読料八千五百円)や各顕正会書籍は、折伏?活動の為や配布する為に一人で多部数買い込みことも多く熱心な会員は相当の出費をしている為、顕正会員は仕事を満足に持っている人が少ない・貧乏な人が多いとの話は、本当の事ではないかと思います。そういった意味で、顕正会の主張とは裏腹に金銭的な問題性が全くないとは言えません。
私見としては浅井会長は金へ執着心はそれ程高くないとの印象があります。しかし本年度秋頃予測される会員100万人達成時に何らかの行動を起こす為でしょうか(10万人の行進は不可能と思いますが)5月に「顕正会典礼院」御入仏落成式が行われ「葬式仏教典型院」のロッカー型納骨堂販売が行われている模様で、完売の場合顕正会に入るお金は17億2500万円ということですので、急激に資金収集し始めていることは間違いないでしょう。

723ガンコ:2003/06/30(月) 15:19

そら〜りさん、わたくしは驚きました。

上記は大変まじめな考察であり、また、かなり正確であると申し上げてよいようです。

>講演を収録したビデオやカセットテープなどが一本千円前後、また、教学関係の書籍が数千円など、本人の自由意志と言いながらもほとんどの会員が購入することになります。

強いて言えば、ここの部分に若干誤解というか、認識不足があります。まず、教学関係の書籍は皆無に等しい。あほうなわたくしを見れば、顕正会がいかに不勉強かわかるでしょうが、ようはさして教学書らしきものはないのです。今は顕正新聞以外には定期的に刊行されているものはありません。ですから新しく入信して、これとこれだけは読んでおきなさい、と勧められる書籍を全部あわせて数千円という意味なら合ってますが、しかし勉強家の人から見ればいかにも不勉強に思えるでしょうね。
もう一点、笑えるのは、顕正会の集会ではそれぞれが勝手にカセットを持ち込んで録音しているのです。さすがにビデオを撮っている人はいませんが、どんな集会でも当たり前のように(10人に1人くらいでしょうか)録音がおこなわれています。
わたくしが入信した頃の御書講義は、簡易のものとは言え、壇上の縁の部分に録音機器がずらりと並んで、しかもこっている人はマイクまで用意するものだから、昔の講義のビデオを見るとまるで芸能人の記者会見みたいにマイクが乱立している中で浅井がしゃべくっているという、なんとも不思議な光景でした。

まあ、どうでもいいことでしたね。

17億2500万円・・・というのはどういう計算に拠るのか、ご存知でしたら教えてください。もちろん顕正会内ではこんな話は微塵も聞きません。

724ジャージルーカス:2003/06/30(月) 16:18
そら〜りさん
一つだけ認識が違ってます。
浅井家は、古いままでは無く、現在の本部に移転したときに新築しています。
大宮市盆栽町に300坪です。
ただし、所詮は坪単価が安いので、豪勢とは言えないでしょうが・・・。
まあ「田舎の成金」といった位でしょうが(差別用語ではありませんので御容赦)。

725そら〜り:2003/06/30(月) 16:22
ガンコさま 早速のレスありがとうございます。

カセットテープ・教学関係の書籍のくだりは、某サイトからの転載かつ情報も最新のものではありませんのでしたので、現状とは若干異なっていたのかもしれません。
カセット録音とは良い節約方法ですね。やはりそれだけ会員は金銭面に苦慮している為でしょうか?
> 昔の講義のビデオを見るとまるで芸能人の記者会見みたいにマイクが乱立している中で浅井がしゃべくっているという、なんとも不思議な光景でした。
そんなこともあったのですか・・・。モニターの中にいる浅井会長に向かっての伏せ拝も異様ですよね。

「葬式仏教典型院」ロッカー型納骨堂販売17億2500万円の内訳は
一体用 20万円X6000個=12億円
二体用 35万円X1500個=5億2500万円
(合祀形式 13万円(ただし分骨の場合は10万円))
といのことです。
この情報は新しいので情報提供者の勘違い・間違いでなければ本当だと思います。

726そら〜り:2003/06/30(月) 16:25
ジャージルーカスさま

すみません。そこも訂正するつもりでした。
その情報も東京在住の時代の古い情報から転載いたしました。
申し訳ありません。

727アヤエ:2003/07/01(火) 10:23
ガンコさん 
私はもう、ここにはくる必要もなくなったのですが、自分の書きこみが気になって
また来てしまいました。レスありがとうございました。
ずいぶん若い頃から入信なさっていたんですね。
昔の顕正会と現在では ずいぶん変わったと言って 止めていく幹部の方も
多いそうですね。ガンコさんの目から見て 顕正会は入信した頃に比べ
変わったと思われますか?

728ガンコ:2003/07/01(火) 12:27

アヤエさん

変わったといえば変わったし、変わってないといえば変わってない・・・これじゃ答えになってないですけど。

はっきりしているのは、カルトと呼ばれるようになったことでしょう。これは外部の評価としてはかなり明確な変化であろうと思います。
ただ、難しいのは、もともとカルトっぽかったのか、途中でカルトに変貌したのか、あるいは一方的な悪宣伝によって誤解されているだけなのか、それはまじめに考察していかないとわからないと思うのです。
ですから、わたくしとしては問題提起されればそれ相応の見解を申し上げなければいけないとは思いますが、じぶんから考えるのは面倒なのでやめたのです。

すでに表明しているごとく、本尊問題の推移いかんによっては、わたくしもやめざるを得ないと思っています。
御宗門、創価学会等の動向によって、あるいは時代の変化に対応して、ある程度は変わっていくものだと思うし、そうしたこまかい点をあげつらっても意味がないでしょう。
もし根本的に変わってしまったとしたら、もう誰から指摘される必要もなく、勝手につぶれていくのではないでしょうか。

729ガンコ:2003/07/01(火) 12:41

そら〜りさん

>一体用 20万円X6000個=12億円
>二体用 35万円X1500個=5億2500万円
>(合祀形式 13万円(ただし分骨の場合は10万円))

顕正新聞に金額は出でいるんですけど、一体用がぜんぶでいくつあるとかは書いてなかったはずです。
いったい、誰がどうやって調べたのでしょうね? まさか見学自由だからといって、わざわざ出かけていって数えたなんてことはないでしょう。いや、あるかな? どうもごくろうさま、と申し上げておきましょう。

>モニターの中にいる浅井会長に向かっての伏せ拝も異様ですよね。

確かに、これは昔とはだいぶ変わった点かもしれません。

732アヤエ:2003/07/03(木) 13:01
>ただ、難しいのは、もともとカルトっぽかったのか、途中でカルトに変貌したのか、あるいは一方的な悪宣伝によって誤解されているだけなのか、それはまじめに考察していかないとわからないと思うのです。

ガンコさんは「変わったといえば変わったし、変わってないといえば変わってない・・・」
とおっしゃってるわけです。つまり中にいるガンコさんからみて、外からの評価が
昔とは違うが、中身は変わってないように思う。という意味なのかと読み取れますが
どうですか?

733ガンコ:2003/07/03(木) 15:30

>つまり中にいるガンコさんからみて、外からの評価が昔とは違うが、中身は変わってないように思う。という意味なのかと読み取れますがどうですか?

あんまり細かいことを言っても顕正会を知らない人は退屈でしょうから、とくに目立って変わった点だけをさがして見ると、あんまりないなあ・・・と思うのです。

あえて挙げるなら、大きくなったことと、反面あんまり勉強しなくなったこと、でしょうか。

しかし内部にいると感覚が麻痺して・・・なーんて書くと誤解されそうですが、そういうことはあるかもしれません。つまり、じぶんの子供の成長はよくわからないが、たまに見る親戚の子供はえらい成長がはやいというような感じだと思います。

734ジャージルーカス:2003/07/03(木) 18:06
>あんまり細かいことを言っても顕正会を知らない人は退屈でしょうから、
とくに目立って変わった点だけをさがして見ると、あんまりないなあ・・・
と思うのです。

ところで、ガンコさんはどのくらい古い会員さん何でしょうか。
私の元にも昭和時代からの古い顕正会員から法華講に移った方がいますが、
入会当時と現在では、大きく変貌してる事を細かく聞いております。
ところが、ガンコさんは、目立って変わった点はあんまり無いと仰るのです。
そこで、ガンコさんの会員歴をお聞きしたいのですが・・・。
大変恐縮です。

735ガンコ:2003/07/03(木) 19:39

やーねー、わたくしをウソつきだと思ってらっしゃる。だから内部にいると感覚が麻痺する・・・って書いたのに。
その人の感受性にも寄るだろうし、大きく変貌しているというにしても、悪くではなく良くなったと感じている人もいるでしょうから、いろいろですよね。わたくしは鈍感ですからあんまし変わっていないと思ったわけですが・・・

さて、会員歴ですが。
困りましたねえ。どうしましょう。まいりました。
何しろ皆さんのおっしゃるには、古い会員はみんなやめていっているとのことですから、ここで入信年を言ってしまうと当時の少ない会員から消去法でわたくしの正体がばれてしまいそうで、それはちょっと困るのです。
ウソをつくのはイヤなので、う〜ん、そうですね〜、10万から20万のあいだ・・・といえば知っている人にはわかるでしょう。
これで許してちょうだい。

736アヤエ:2003/07/04(金) 11:17
ジャージルーカスさんは、ガンコさんを嘘吐きだと思っているわけではないと思いますよ。
ジャージルーカスさんのお知り合いの方とガンコさんのその感覚の違いは
会員歴が関係あるのでは?とお考えになったんじゃないかと思いますよ。

勉強しなくなってしまった、ということは大変な変化ではないでしょうか。
もしもそれが学校なら、ほんの数年経てばあっという間にレベルが下がるのですから。
宗教も学校も会社も、人間が集合して作って存在するものだと考えれば
新しい人間が次から次に入ってくる事を考慮してみると
断然差が出て来るのではないでしょうか。

ところで10万から20万のあいだ、素人の私にはサッパリ分かりません(笑)

737ジャージルーカス:2003/07/04(金) 13:33
アヤエさん
その通りなんですよ。
私が会員歴を聞いたのは、顕正会員は、その会員歴によって、まるで同じ宗派
とは思えないほど認識が違うからです。
たとえば「浅井先生の大信力に護られ」何て言う言葉は古い顕正会員は可笑しい
と云ってました。

ps・
ちなみに10万から20万にから、ガンコさんの会員歴は大体承知しましたが、
あえて公では説明はしません。
ガンコさんの真意に背くでしょうから・・・。

738ガンコ:2003/07/04(金) 16:35

アヤエさん

>勉強しなくなってしまった、ということは大変な変化ではないでしょうか。
もしもそれが学校なら、ほんの数年経てばあっという間にレベルが下がるのですから。
宗教も学校も会社も、人間が集合して作って存在するものだと考えれば
新しい人間が次から次に入ってくる事を考慮してみると
断然差が出て来るのではないでしょうか。

う〜ん、またしても苦しめられるパターンになってまいりました。
けっこう鋭いところを突いていると思います。
この際、除名を覚悟で申せば、顕正会というのはいつの時代も実力は一定なのかもしれません。
一万人の時も十万人の時も百万人の時も・・・
一万人の時は一人一人が百人力だった。十万人の時は十人力。百万の時は一人力。
まったくぶっとばされそうなこと書いてますが、レベルが下がるってことはそういうことかもしれません。

しかしまあ、これは人間に対する冒とくであって、そんなに人間に差があるとは思えませんから、顕正会が大きくなったということはそれだけ顕正会の実力が上がったといえると思いますよ。

739ガンコ:2003/07/04(金) 17:00

ジャージルーカスさん

>たとえば「浅井先生の大信力に護られ」何て言う言葉は古い顕正会員は可笑しい
と云ってました。

折伏成果発表の時の決まり文句ですよね。わたくしの記憶ではずっと変わっていないと思うのです。いつからなんでしょうか? 逆に教えてほしいです。

そら〜りさんも伏せ拝についてふれてましたけど、こうしたことどもが“浅井信仰”の強化みたいな言われ方をどこかのサイトでしていたように記憶しています。
わたくしはそうは思わないです。そういう風になってきちゃったのは事実でしょうが、それを意図的にやっているとは思えないです。

こう書くと信じてもらえそうにないですが、顕正会は案外に自由奔放なところがあります。自由というよりナリユキマカセというべきかなあ。
先生はご自身の影響力をじゅうぶん承知されていて、逆にあんまりかたっ苦しくならないように気を使われているようにも感じるのです。
角を矯めて牛を殺す・・・ということにならないように、あんまり細かいことには関わっていらっしゃらない、という気がします。

740深妙寺 脱退者:2003/07/06(日) 22:48
No.709〜712様の御意見ですが「カナリ一方的?」かと、?。 どうやら「久保川 氏の息のかかった側近方の臭いプンプン、、??」ですか? どうやら「新会派旗揚げの本拠地がバレバレとは、?」 すでに「久保川氏のロビー活動は開始済み、?」かと、。 「それにしましても、やはり、正宗的本仏論固執?」でしょうか?「=僧侶優位論=血脈優位論=信者の成仏無視?」でしょうか、?

741ジャージルーカス:2003/07/08(火) 10:51
私の系列の方で、元顕正会の方がおられます。
その方、未だPC環境が整ってませんので、代わりに代理投稿いたします。

名前 唯一乗
私は元顕正会員「唯一乗」と申します。私が元の仲間にに対して云ったことに対する回答が送られてきましたが、かなり過激ですので、プライバシーに抵触しない範囲で転載します。

①「(天母山を観てきて)天母山はあるが、昔から「天母原」等という地名が無かった。現地を調査しても「天母原」と言う場所は見つからなかった」と言ったことに対して、
回答「脳味噌腐っているんじゃねえの。そんな屁理屈とうに破折済みなのは、唯一乗も知っていたはずだ」(そして、破折済の内容は記載無し)。

②N社の人に聞いて、聞き込み調査をしたが例の「冨士大石寺顕正会」と言う本はヤラセだったと言ったことに対して
回答「著者の下山正如氏が浅井先生の弟子だって言うんでしょう。そんなこと買った3日後から知ってるよ。オメエ知らなかったんか。大体やれ「現地調査」だの「聞き込み調査」だの、さも正確に調べて証拠を握ったかのような表現で誤魔化し謀る詐欺師的トーキングスタイル、バレバレなんだよ。(中略)なめんじゃねえぞ、アホンダラー(感情的な悪口中傷ではない。御書にある「亜法」と言う意味である)」

③電話では、何ですので、会いませんか言ったことに対して
「もう金輪際関わりません(またこれを、「こっちからアポってるにも関わらず逃げる顕正会」だのプロパガンダに利用するならどうぞ御自由に御自分の首を絞めてください。毎回魔民相手にしてる程暇ではありません)」

そして文末に、
「もう一度だけ言っといたるわ。ナメた真似しとったらドタマ七つにかち割れて誰の死体か識別もできへんようになるでえ(ちなみにこれも脅迫では無い。御本尊様の仰せ)。」

なお、彼は東京生まれの東京育ちです。関西弁を使用してますが、関西とは全く関係有りません(爆)。

742ジャンノレン:2003/07/08(火) 15:29
ジャージさん、こんにちわ。
代理投稿読ませて頂きました、しかし、酷いですね。かつての仲間がたとえ、会を辞めたとしても
人間的なお付き合いはごく自然なことかと思いますが、こんな仕打ちをするとは、うーん、やっぱり
カルトなんですね。仮に、一般社会で同僚がライバル会社に転職したからといって、そいつを蛇蝎の
ように憎むなんてあり得ないですよ。たまには飲もうよ、というのが普通ではないですかね。

でもこれって、当宗内でもあるんですよね。聞いた話では某講中を辞めて同門内で円満移籍したのに
退転かのように講中で言われるって事、あるんですよ。あいつは裏切ったとか、哀しいです。

これは私も気をつけなければいけませんが、こういう判断が働いたときは教えがどうとか言うよりも
間違いなく自分がカルト的思想・発想になっているということでしょうね。
いつでも帰っておいで、とかちょっと遊学に行ってられるのだからとか、くらいの度量で見てあげな
いとなぁ。信仰しておる法を下げますよねえ。

743五月雨:2003/07/08(火) 17:28

>これは私も気をつけなければいけませんが、こういう判断が働いたときは教えがどうとか言うよりも
間違いなく自分がカルト的思想・発想になっているということでしょうね。

『破壊的カルトは、だれかが去っていく理由というものは何であれいっさい受け入れない。またカルトグループは、メンバーに恐怖症を吹き込んで、彼らが批判者や元メンバーと絶対接触しないようにする。』

『グループをやめる人々は『まちがった』理由でやめるのであり、それは彼らが弱かったり、修行が足りなかったり、物質主義にひたりたいと思っていたりするとためだという教え込み(をする。)』

こう「マインド・コントロールの恐怖」に書かれているのを知って、なるほどと思ったことがあります。
私が学会から法華講に移った時も、法華講の活動を止めた時も、同信の友に手のひらを返されるような冷淡な態度を見せ付けられたものです。グループから離れる人間は「裏切り者」という発想しかないのかもしれません。
彼らには、グループを離れる人間にはどんな思いがあって、そういう行動に出たのかというのは、全く興味が無いようですね。理由も聞かずに裏切り者扱いは石山系の思考回路なんでしょう。

ジャージさん>東京育ちの方の関西弁はイマイチやと思うわ、ちょっと用法間違とるんとちゃうん。と思いました。

744ジャージルーカス:2003/07/09(水) 12:03
> いつでも帰っておいで、とかちょっと遊学に行ってられるのだからとか、くらいの度量で見てあげないとなぁ。

 うーん。実は、この唯一乗君は、最初に「法華講」にいて、創価・正信等を回って、法華講に帰ってきたんです。
 そのことを、一代の一般法華講の方は「渡り信徒は良く無い」と批判し、某猊下の末裔の代々法華講のおばあさんは「良いのよ。諸国遊学してたんだから。死ぬまでに帰ってくれば良いのよ。」
だってさ。

一代と代々の許容範囲の違いを、感じました。

745アヤエ:2003/07/10(木) 09:46
ガンコさん
>顕正会が大きくなったということはそれだけ顕正会の実力が上がったといえると思いますよ。

大きくなったのと、質が上がったのとはまったく別の次元ではないでしょうか。
私が言いたいのは、顕正会の中の新たに増えたと言う人間の質が下がったのではないです。
何故でしょうか、いつから今のような活動をするようになったのでしょうね。

とはいえ、私も友人が脱会したので 顕正会について具体的に知る由もありません。
今回の経験で、社会に対する危機感が少々高まったように思います。
友人の変貌ぶりもショックでしたし、いろいろ考えを改めさせられました。
疑問も多々残っておりますが、中途半端な気持ちでは とても理解できそうにないので
本当は もう関らない方がいいのかもしれないですね。
ただ ここのガンコさんの事が気になっているのかもしれません(笑)
ガンコさんに 質問させてください、

Q 顕正会は広宣流布をなし、国立戒壇なるものを達成できるとお考えですか?

746ジャージルーカス:2003/07/10(木) 13:17
アヤエさん

>>顕正会が大きくなったということはそれだけ顕正会の実力が上がったと
>>いえると思いますよ。
>大きくなったのと、質が上がったのとはまったく別の次元ではないでしょ
>うか。
>私が言いたいのは、顕正会の中の新たに増えたと言う人間の質が下がった
>のではないです。
>何故でしょうか、いつから今のような活動をするようになったのでしょう
>ね。

顕正会は大きくはなってませんよ。公称人数が増えただけです。現に学会・宗門
正信等へ移った方も、お亡くなりになった方も人数から減らしておりません。
だから質が落ちたんでは無く、増えたフリをしてるに過ぎないと思います。

菊水護国さんが前に言ってましたよね。顕正会員に人数は「同窓会名簿の人数」
と同じで、顕正会の歴史が長くなればなるほど、人数が増えると・・・。
そして脱会者は卒業者と同じだから減らさないと。

747アヤエ:2003/07/12(土) 11:28
ジャージルーカスさん

私は顕正会が大きくなったとか、よく分かりません。知る術もないのです。
そして貴方のおっしゃる情報もよくいろいろなHPで見かけて知っています。
傍から見ても、会員さん達のいう目標など(将来日本が仏国になるなど)は、
非常に難しいものだと思いますし。

ただ あえてここに通い、皆さんから学ぼうとしているガンコさんに
広宣流布や国立戒壇についての考えを聞きたかったのです。
ガンコさんが気になるのは 会った事のある会員さん方と違った面を
彼女が持ってるからかもしれません。質問にもきちんと答えてくださるし。
会った事のある会員さんは、皆テープを繰り返すように同じ事しか言わないんですから

ここに来てる皆さんは仏教を信仰される方が多いと思いますが 顕正会員以外の
皆さんも、将来 日本を仏国にしたい、という事を考えているのでしょうか?
決まった信仰を持たない私には分からないもので・・・。

748ガンコ:2003/07/13(日) 13:17
アヤエさん、ちょっとお返事が遅くなってしまいました。

Q 顕正会は広宣流布をなし、国立戒壇なるものを達成できるとお考えですか?

正直に申し上げましょう。
ちょっと難しいかしら、というのがガンコの正直な回答です。
こんなこと書いていると顕正会をクビになっちゃいそうですが、いまの顕正会の実力では広宣流布などできそうにないと思います。

こういう喩えはいかがでしょうか・・・雲ひとつない快晴の時に十時間後に雨が降ると予言?します。いまなら、天気予報もけっこうな確率で当たるので、信用する人もいるかもしれませんが、まったく雲ひとつない青空からは想像がつきません。
十年後に広宣流布する・・・これはどうでしょうか? とても想像がつきません。
では、なぜに顕正会員はあんなに熱心なのか? (ガンコはすでにあまり熱心ではありませんが)

こういう説明が内部ではなされています。
「たゞをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし。」(大聖人の御言葉)ゆえに諸天善神の働きによって情勢は一気に変わる・・・と。

つまり今はまだ全然その兆しが見えていないが変わる時は一気に変わるということです。一般の言葉でいえば、風雲急を告げる、みたいなことになると教わっているのです。
十年後のことなんか、だあれもわかりませんから、なんとも言えません。ただ、今の実力はまだまだである。まあしかし、顕正会員はみんな承知していることだと思います。

つぎにヘンなエッセイを書きましたので、あわせてお読みください。

749ガンコ:2003/07/13(日) 13:20

このところ、わたくしの贔屓にしていた店が立て続けにつぶれてしまい、なんともやるせない気分である。

店がつぶれたことと、わたくしとに因果関係はあるだろうか? あるといえばあるし、ないといえばない・・・、もっと買い物に行くべきだった、とかなんとか考えるけど、わたくしひとりが頑張ったってどうしようもない。
いかにも不景気なのである。
しかも、わたくしの住む町は時代の流れのなかで取り残されてしまった感がある。
かたや線路の向こう側は大規模再開発で新しいビルがどんどん建設され、おしゃれな店が軒並み開店して活況を呈している。
だものだから、よけいにわたくしの町はみすぼらしく見える。
前置きが長くなった。

顕正会ではこのところ毎年コンスタントに地方会館が建設されている。
事業者・経営者的なもの言いをすれば、じゅうぶんに採算が取れる見込みがあって事業の拡大をおこなうわけであろう。じっさい、顕正会の会館というのは、創価学会の人から見るとじつにかわいらしく見えるようだ。逆にわたくしから見ると学会の会館はおそろしく巨大である。・・・つまり、分相応・実力相応の商売をやっているわけであり、じつに手堅いと思う。
であるから、もし経営不振?によって地方会館を閉鎖するようなことにでもなれば、顕正会もおしまいであろう。
今のところ、コンスタントに業績を伸ばしているように見えるのでまだまだ大丈夫だと思うが、会館建設が過剰投資であるかどうかは、何年か経って見ないと判断しようがない。

なお、ムダな議論を省くために申し添えると、ここ数年は業績不振の兆候が見え隠れしている。ネットの影響が少なくないと考えられるが、これも数年後に判断すべきであろう。つまり、ネットの普及が飽和に達した時、どれだけの影響をこうむるか、あるいは顕正会がそれを克服できるか、という課題である。

750ジャンノレン:2003/07/14(月) 09:20
ガンコさん、おはようございます。
なかなか面白い視点でいつも書かれていますので楽しみにしています。

>店がつぶれたことと、わたくしとに因果関係はあるだろうか? あるといえばあるし、ないといえばな
>い・・・、もっと買い物に行くべきだった、とかなんとか考えるけど、わたくしひとりが頑張ったって
>どうしようもない。
これはこれは、真面目なガンコさんらしいお言葉です。私が思うにはそんなに自己責任に引き当てて考えな
くとも・・・と思ってしまいます。私一人がこの世の中から居なくなっても、もっと卑近な例で言えば、会
社人間であればあるほど、自分が居なくてはと思うのでしょうが、本人の責任感程には何の変化もなく世の
中は回っていくものです。「大公出ずくんば」なんて思う程、自分はたいしたこと無いですよ。

>ここ数年は業績不振の兆候が見え隠れしている。ネットの影響が少なくないと考えられるが、これも数年後
>に判断すべきであろう。つまり、ネットの普及が飽和に達した時、どれだけの影響をこうむるか、あるいは
>顕正会がそれを克服できるか、という課題である。
う〜ん、凄いこと仰せですね。これもやっぱりあれですか、浅井さんの終末思想思いっきり煽り、から来てる
んですか?決してちゃかすわけでは無いですが、顕正会と世の中がリンクしてるとは、私は思えないんですが
ね。よく、御山の売店の出版物コーナー(宗門ではないです)の本に、S学会が謗法したから世の中が乱れて
バブルが崩壊とか、銀行が、あらゆる会社が不景気に巻き込まれてる。なんて論調の出版物が売られています
が・・・そんな訳無いでしょう!一因一果であれば分かり易いでしょうが、事実は多因一果でもあるし、一因
多果でもあるし、諸縁来たって果報を受けるわけですから、何もかも一元的に考える方が謗法ではないですか。

不景気に今遭遇してるわけですが、よく見れば儲かってる人だっているし、結構その人達が謗法の方であったり
するのですから、よおおく世の中を見れば仰せの事柄が的を外してる事がお分かりかと思います。
諸行無常ですから、この状況だっていつか、縁を得てまた何らかの動きが出てくるのでしょうし、眼前の事に
あまり囚われず、気長に生きましょうよ。富士は元々そんな宗旨だったのですから、ガンコさんだっていつか長
い修学から富士に帰ってくるのですから、深刻にならずに「オヤジ又言ってるなぁ」くらいで終末論者を笑い飛
ばしましょうよ。その方がガンコさんの持ち味に合ってると思いますが、、如何でしょうか?
なお、文章途中の非礼・失礼をお許しください。

751ガンコ:2003/07/14(月) 14:56
ジャンノレンさん、慈愛に満ちたお言葉の数々、大変うれしく思いました。

>ガンコさんだっていつか長い修学から富士に帰ってくるのですから

できますれば“オヤジ”の面倒も一緒に見てください。(ちょっとムリかしら?)

それと、わたくしの文章がまずかったのか、少し読み間違えていらっしゃるような気がします。書き直して見ますので、わたくしの誤解でしたらご容赦ください。

・・・顕正会の成長は疑いないところだが、ややこのところ伸び悩みの兆候が感じられる。おそらくはインターネットの顕正会批判が奏効しているのではないだろうか。もしそうだとすると、まだまだネット人口は増えていくだろうから、顕正会の戦いは今後も苦戦が続くだろう。顕正会が飛躍的に成長するためには、どうしても克服しなければならない課題であろう。・・・

評論家みたいなこと書いてるばあいじゃないですけどね。

顕正会が社会とリンクしているかどうか・・・は、確かに顕正新聞等を読むと会員にそのような認識があるし、なにより浅井自身が「仏法は体、世間は影」を強調しているし、否定のしようがないのですけども、ただ上にも書きましたように現場の会員は顕正会の実力をよくわかっているのです。
そういうことで会員はあんがい冷静なのではないかと思います。終末思想に踊らされているわけではなく、日本ないし世界の情勢を見るとき、どうしたって大聖人の立正安国を叫ばずにいられない、という精神であろうかと思うのです。
けっこうまじめなんですよ。(わたくし以外は)
この際、顕正会ぜんぶひっくるめて面倒見てくださるよう、猊下様に御願い申し上げるものであります。

752アヤエ:2003/07/15(火) 10:19
ガンコさん

やっぱりアナタは私の知ってる会員と違ってて面白いです(笑)
彼等は「絶対絶対」とムキになって怒るだけですから。
質問に答えてくださってありがとうございました。
だけど いつも思うのは 顕正会は学会をとっても意識してると言う事ですね。
やっぱり ライバル意識のようなものがあるのでしょうか。
同じお経を読み、同じように見えるのに なぜこんなにたくさんの流派のような
ものがあり、なぜ競うような事をしているのか、いつも不思議に思います。
その事について 双方の会員さんに聞きましたが 理解できませんでした。残念。

ネットの影響は今後もっと出るかもしれませんね。
10年後にはほとんどの人がインターネットをするようになるでしょうから。

なにはともあれ 世界が平和になりますように

753モトミナ:2003/07/15(火) 21:54
ガンコさん。お久しぶりです。
748で仰られている>「たゞをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし。」について

私は会員当時にこの金言を指導され、その時素直に思った事ではあっても当時は口に出せなかった事を思い出しました。
結局、広宣流布というのは梵・釈等の御計らいで為されるのであれば、なぜ顕正会員は時限的な広宣流布観で物事を判断しようとしているのでしょうか?
会長は常に「何時何時までに何万人」と発言し、躍起になって会員は信仰者をつくりあげるわけでもなく、名簿製作に没頭しているわけです。
御書から読み取って”時が近い”と感じたにせよ、結局は梵・釈等働きが無ければ広宣流布はできないわけです。
いや、裏を返せば”顕正会の力のみで広宣流布してはならない、できるわけがない”という文証でも有る訳です。
それを顕正会の熱烈な歓喜で国中に渦巻いた時に、広宣流布を決するかのように指導なされているわけですね。
どうにも許しがたいのは、この程度の信仰しか教えてもらえない、この程度の信仰しかできない団体で広宣流布できるわけがないのに、あたかも会員は顕正会で広宣流布するかのように盲目に夢を見させていることだと思います。
横レス失礼しました。

754愚鈍凡夫:2003/07/16(水) 04:58
横レス失礼します。モトミナさん始めまして。

小生は、創価学会に在籍していた時、
「ただをかせ給へ梵天帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんとおぼえ候」(「上野殿御返事・梵帝御計御書」 学会版P1539)
の文証を、日本国の人々の願いとして広宣流布は達成されるのだと、解釈していました。
そういう白昼夢を見ていたといったほうが正確でしょうかね・・・・。(゚ペ)ウーン
そんな白昼夢も現実の組織活動の中で無惨にも打ち砕かれていきましたが・・・・。(;^_^A アセアセ…
創価学会も、顕正会も、これ以外はみんなゴミみたいな発想がなくならないかぎり、カルト宗教としか受け入れてもらえないでしょうね。

755モトミナ:2003/07/16(水) 12:14
愚鈍凡夫さん はじめまして。
活発な活動期から比べて、冷静にさまざまな事柄を見聞きさせていただく時間が長くなり、ようやくボンヤリと私が所属して活動してきた団体の実態、また信仰の対象としていたものが、どうゆうものであったのかを知るようになってきました。
創価学会に関しては一方的な情報しかなかったので、知りえませんでしたが、私が所属していた団体では、少なくとも御書の解釈が随分と身勝手に変更され、指導されているものです。
しかも団体に有利になるような教義に定義変更し、全く根拠がないのに会員は純粋に受け止める。
こういった団体の信仰姿勢をみるにつけ、団体本来の目的を団体自身が見失っているように思うものです。

756ガンコ:2003/07/16(水) 15:07
モトミナさん、ぜんぜんお見えにならないものだから、どうしちゃったのかと気になっていました。

このところのわたくしの考えをお読みくだされば、すでにガチガチの顕正会的思考からはだいぶん脱却していると感じていただけるものと思うのですが、どうでしょうか?
顕正会が間違っているならそれでもよい、わたくしが信仰しているのは顕正会ではなく、大聖人の仏法なのだから・・・と腹をくくって正しい信心を探求している最中なのです。まあ、実際は、まだまだ顕正会に未練があるというか、べつにそれほど異流儀化しているような気はしないです。ようするに、大石寺の門流という範囲で言えば、お互いにあらさがしをやっていて、どっちもどっちの感じがします。では、他門はどうか? 結局のところ、わたくしの目にはそれほど魅力的には映りません。また、この掲示板ではすでに大聖人すら批判の対象になっているところがあって、すでに日蓮信仰を卒業しちゃっているような人も見受けられますが、さすがにわたくしはまだその境地には達していませんです。
選択肢としては、もはや宗教から足を洗うことも考えられますが、つまり、今までの人生を切り離して残りの人生はまったく違った生き方をするみたいな考えもありますが、しかし、わたくしにはそれはできそうにないので、それに大聖人の仏法はそんなに捨てたもんじゃないと思っていますので、今までの延長線にたってやっているわけです。

わたくしは幸か不幸かモトミナさんほどには傷ついていないのだと思っています。だから結構のんきなことを書いていられるのだし、また、でたらめな発言をしてみんなから顰蹙を買ったりしていられるのだと思っているのですが、わたくしがモトミナさんについて思うことは、一体このさき何をどうなさろうとしていらっしゃるのか、顕正会にはすでに見切りをつけていらっしゃるように見えますが、では大聖人に対する信仰はどうなのか? ここのところがはっきりとしていないように思うのです。
まあ、余計なお世話かもしれませんが、ただ顕正会を批判するだけに人生を費やすのはもったいないことだと思います。もちろん、それが自分の使命であり、有意義なことであると確信していらっしゃるのなら、たいへん結構なことだと思います。もっとも、わたくしとしてはあまりやってほしくないのですが・・・
偉そうにどうも失礼しました。

757モトミナ:2003/07/16(水) 18:08
ガンコさん
私の現在の心境としては、やはり日蓮信仰そのものに、既に見切りをつけてしまっています。
冷静な目から見た時の日蓮正宗系信仰というものは、実に奇怪に映るものでして、その中模索を続けてようやく最近になって日蓮正宗信仰から脱出した感が湧いてきました。
特に顕正会だけを特定して批判に時間を費やしているわけではないのですが、私の身近には未だに顕正会員幹部として多くの人が活動しているもので、また私自身が在籍していた経緯から、どうしても日蓮正宗系信仰の矛先はまず顕正会になってしまうわけです。
自分自身としては、日蓮聖人に対する信仰心という観点よりも、仏教の本来のあるべき姿を知り、その上で日蓮聖人がどのような立場であったのか、という見方であろうとしております。
もちろん日蓮聖人の仏法に対する魅力はありますし、学んでいきたいと思っておりますが、信仰としてではなく、仏法というものを自分の人生の中でどう捉えていくべきか、という視点で進んで生きたいと思っています。
そういった見方からすると、既に私の中では現在の団体信仰という概念は、どうにも受け入れられない姿にも映るのです。
現在のいくつもの日蓮正宗系団体信仰を見る限り、本来団体となる利点がなくなり、団体信仰だからという束縛によって、信仰の方向性が変わってきてしまった、そんな感があるわけです。
日蓮正宗系の権威を持って統率する信仰では団体信仰をすれば当然のように、次第に団体の中心者への忠誠心へと団体自体の考え方が変貌してしまうのも頷けるわけです。
人生の目的。
仏教に、法華経にそれが存在するのかどうか、思索の中でありますが、少なくとも信仰の方向性を強要されることなく、自分で自分自身を磨いていく、そしてその生活の中で、それを生かしていくという現在の生活に、以前の活動と対比しても、いや対比する基準を超えて、充実感を感じているのも本音のところです。

758ガンコ:2003/07/16(水) 19:03

あっ、どうもどうも。

なんと申しますか、ルサンチマン的な批判だったら、いやだなあと思ったんですよ。
ちゃんとした理念を持っていらっしゃることがわかりました。そうした上での批判であれば、わたくしも真摯に受け止めなければならないと思っています。もっとも、わたくしは顕正会の窓口ではないんですけどね。
しかしどうしてでしょうかね、ネット上には顕正会員がほとんどいないみたいですよね。やっぱり謗法だと教わっているのでしょうか?

759モトミナ:2003/07/16(水) 19:24
以前にもそういった話題が持ち上がった事がありましたが、受け止め方はさまざまのようですね、会員は。
基本的な禁止といった方向性は会として打ち出されなかったものの、有名な平成12年の隊長会で浅井主任理事が言った”ネットは仮面をかぶって無責任なことをいえる場だから、話にもならない。癖々する”といった発言がありましたね。
それを各隊がどのように伝えたのか、といった内容によって会員の受け止め方が様々になっているようです。

760ガンコ:2003/07/16(水) 21:02
わたくしが感じるところは、まさしく見てはならないと言われれば見たくなるという心理があって、実際に多くの顕正会員がネットを見ていて顕正会に対する不信みたいなものが内部でくすぶっているのではないか、ということです。
ですから、「有名な平成12年の隊長会・・・」ということを前にもお聞きしましたが、大体その前後くらいから伸び悩んでいるというのが偽らざる実態であろうと見ています。
そういうわけで、ネットの顕正会批判にどう対応するか、今後は非常に重要な課題であろうと考えているわけです。
これを克服できなければ、おそらく先は短いでしょう。

761継続は力:2003/07/16(水) 21:56
No.759 → ネットは仮面、、、話にもならない、、。 全く其の通りでしょう。 コノ、ネットが「現代版の言論の自由に通じる一歩、?」でしょう、。 ネット世界は、幼稚園児〜生徒〜学生〜一般人〜学者〜研究者までの「身分不問の中、目隠しをしたままでの、チャンバラ的なバトルが可能な世界、?」かと思います。画期的な民主制度かも? 当初は不慣れのルールはずれもありましょうが、論戦〜論陣〜考察の進展に応じまして「そこそこの、指針などがボンヤリと判明、?」するかもしれません。 だからドーゾ「議論の御継続だけは、継続」して欲しい。

762MILD SEVEN:2003/07/22(火) 04:12

頭と心のバランスがデタラメで、思慮浅く、詭弁に走る生意気なガキが多い、言葉の羅列型・事務屋左脳派カルト。
右脳派の可能性をも潰す。
国家にとって、マイナスだ!

何が創価なんだろう!?
世界に通用するものは創れないカルト集団。

池田の教学には信仰は無い。
悪霊に支配された、まがい物だ。

池田が死んだら、その支配欲の夢と共に創価は解散。
それがいい。
それが自然だ。

創価の排他的・邪教発言「他宗を全て邪教と呼ぶ事実」で、テロリストが来ないか心配だ!
我々をも、外道などと・・・。

創価は旧約社会には、相手にされない!

詭弁仏法創価学会。

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

764妙薬:2003/08/31(日) 16:15
 ガンコさま、ご無沙汰しています。
 「顕正会のネット対策」は難しいと思います。この掲示板のように、弘安2年の大御本尊の真贋問題などが真正面から問われている掲示板に、顕正会が本部として関わるはずはないと考えるからです。
 「見るなといわれれば、つい見たくなる」という心理はわかりますが、第一線で活躍している会員ほど「見たいという気持を乗り越え、指導に従って見ない」というのが、一般的な信仰者としてのスタンスではないでしょうか。
 これは、「見ている」ガンコさん批判ではなく、私自身のかつての体験上から述べているものです。「悪知識には近づかなかった」ものです。
 こうした掲示板に関わっている人は、よほどの自信家がディベート好き、宗教と人生を真剣に考えている人、サーフィンで悩める子羊(私のレベル)、組織に所属している確信犯、お暇つぶしの人達でしょう。顕正会本部に限らず、組織の論理からすればやっかいな連中なはずです。
 私の結論は、僭越ながら「克服は不可能」だと思いますが。

765ガンコ:2003/08/31(日) 17:54
妙薬さん、どうもです。

>弘安2年の大御本尊の真贋問題などが真正面から問われている掲示板
>克服は不可能

そうすると、正宗系はみんなダメってことですか?
このさい、学会も正信会もぜんぶ復帰させて、一致団結して広宣流布を目指すしかありませんね。それはもっと不可能って言われそうですが。
しかし、どこかの掲示板だったか、学会のほうで宗門と和解しようとの動きがあったとか、書いてありました。

戒壇様の問題はまだまだ一幕も二幕もあると思われます。(いや、あてずっぽうで言ってんですが)

766ガンコ:2003/08/31(日) 17:56
mappyさん

妙観講については、べらぼうに詳しい人がいたんですが、どうしたんでしょうかね、この頃ぜんぜんお見えにならないんですよ。

767Jルーカス:2003/08/31(日) 22:19
>763
不確実とは云え、ネットに本名を書くのはいかがなものでしょうか。
管理人さん、この件につき対処御願いします。

768Jルーカス:2003/08/31(日) 22:20
ガンコさん
ところで、浅井会長が「9月15日前後に相模地方に地震が来る」
と発言されたそうですが、真意について教えてください。

770管理者:2003/09/01(月) 06:35

>767 Jルーカス さん

>不確実とは云え、ネットに本名を書くのはいかがなものでしょうか。管理人さん、この件につき対処御願いします。

禁止事項の「人権侵害」に抵触する恐れは有ります。或いは、「特定組織に対する一方的な攻撃宣伝」に該当する可能性は有ります。しかしながら、掲示板参加者の本名を明らかにした訳では有りませんので。現在の掲示板のルールでは対処は難しいと思います。新しいスレッドにて議論していただき、議論が煮詰まりましたら、掲示板のルールの変更、或いは追加という形で対処したいと存じます。よろしくお願いいたします。

771ガンコ:2003/09/01(月) 08:26
Jルーカスさん

わたくしが先生の発言の真意を知っているわけありません。
わかっているのは、今までは地震を含めて社会のあらゆる事象をあげつらって、「起こりつつある」とか「迫りつつある」みたいな表現をしておったように思うんですが、それに比べると今回の発言はかなり具体的です。
まあ、一ヵ月後にはあちこちの掲示板で、当たっただの外れただのと騒ぐことになるんでしょう。
先生はそんなにバカじゃないから、何か計算があるんでしょうけど、わたくしにはわからないです。

当たってもこまるし、当たらなくてもこまる・・・御書にもそういうのがあったと思います。(めんどうで調べていない)

772妙薬:2003/09/01(月) 09:38
ガンコさん
 
 誤解を招いたようですね。私が言いたいのは、顕正会本部(他の教団も同じ)として当面、「ネット対策は考えないと思う」ということです。
 富士門系の各団体にとって、会員&信徒による折伏活動は布教上の生命線ですが、ある規模以上の団体組織になると、広報戦略も重要になります。金さえあれば主体的に行える広告活動とは異なり、団体イメージを飛躍的に高めるための広報戦略にはどこの教団も智慧を絞って取り組んでいるはずです。
 そうした中で、ネット(対策)をどう考えているのか? 現時点では一方的にPR情報を送りつけられるHP形式は活用しても、この掲示板のような(教団側にとって)ある種リスキーな存在に対しては、関わりを避けるのは当然の判断でしょう。
 「克服は不可能」と言ったのは、顕正会本部は「君子危うきに近づかず」というスタンスを取りつづけると考えるからです。当然だとも思います。
 だって、このネットに関わっている人達の凄い情報量や教学力、分析力を考えると、おお、こわっ。

773ガンコ:2003/09/01(月) 12:05
妙薬さん

>誤解を招いたようですね。

どうも、失礼しました。読解力のなさを露呈してしまいました。
だいたい、おっしゃるとおりだと思います。

>おお、こわっ。

まったく同感であります。

774疑問:2003/09/01(月) 12:44
皆様、はじめまして。顕正会員です。
御遺命とは、広宣流布の暁に、本門寺の戒壇を建立すると言うことですか?
そして、その戒壇とは「一期弘法付属書」の『国主此の法を立てらるれば』、「三大秘法抄」
『勅宣並びに御教書を申し下して』建立されるものですよね?
つまり、国家意志の表明で立つ戒壇でよろしいでしょうか?
「国立」とは、表現が御書に無いだけで、意義においては国家護持の戒壇ですよね?

775疑問:2003/09/01(月) 12:50
もうひとつ。
もし、浅井先生が間違っているなら、「師は針の如し弟子は糸の如し」で、会員も背いている訳ですよね?
それでも、数々の体験発表に「癌が消えた」「成仏の相で亡くなった」と功徳に満ち溢れているのは何故ですか?
私の隊でも、皆さん功徳の体験は溢れんばかりあります。(私も含めて)
しかし、顕正会が大聖人の教義からずれている説が盛んです。
「国立戒壇」が正しいからでしょうか?
罰もあり、私も体験します。
この現証は、正しく、日蓮大聖人の御意に適っている証とおもうのですが・・・

776モトミナ:2003/09/01(月) 13:07
疑問さん
元顕正会員のモトミナと申します。
まず以前の数多のレスをよく読むことをお勧めします。
その上で「三大秘法抄」及び二箇相承書の真作証明をすべきだと思います。
また功徳や罰は証明不可能の代物です。
個人主観が大いに左右されるので、これを以て正邪を判別することなど不可能です。
顕正会で行われる体験発表の”その後”にこそ真実は隠されているのですが、”その後”を機関紙で掲載することもないでしょうから、会員は素直に会は功徳に満ち溢れている、と勘違いしているわけです。
癌が消滅する事と顕正会で信仰する事の因果関係はどうやって提示できるのでしょうか?
成仏の相で亡くなった、というのはどのような鑑識結果に基づくものでしょうか?
何も癌が消滅したのは顕正会員だけではありませんよ?
世界中にこういった事例は無数に上ります。
他宗派の方でこういった経験をされた方についてはどのようにお考えでしょうか?
個人体験を以て信仰の正当性を訴えるのは非常にナンセンス、いやもっといえば危険であると思われます。

777疑問:2003/09/01(月) 13:51
成仏の相は、実際に拝見しました。会員幹部の葬儀3日前から回向しました。
すると、お題目唱えるほどに、相が変化するのがわかり、通夜では、生きているみたいでした。
普通の人が、穏やかで白くなくなった話もありますが、明らかにそれとは違い、御金言そのものでした。
あと、御遺命戒壇についてもレスお願いします。

778疑問:2003/09/01(月) 14:26
追加です。
では、法華講で、まじめな信心を貫けば、よき臨終(成仏)になれますか?

779モトミナ:2003/09/01(月) 14:47
>普通の人が、穏やかで白くなくなった話もありますが、明らかにそれとは違い
「それとは違う」とは個人の主観以外で判別されたのだろうと思われますが、どのように違ったのでしょうか?

>法華講で、まじめな信心を貫けば、よき臨終(成仏)になれますか?
私は法華講員ではありませんので、これについては回答できませんが、多くの法華講の方がやはり体験発表等で臨終についてたくさん述べられていますね。
そもそも今の私にはよく理解できないのですが、相が柔和になり色白く体が軽くなるとどうしてそれが成仏という証拠になるのでしょうか?
そもそもこれ等は金言に則った表現なのでしょうけれども、白いと成仏、黒いと堕獄という証拠はどこにあるのでしょうか?
お教え願えますでしょうか。

780疑問:2003/09/01(月) 14:59
>>779
ただ、千日尼御返事にあるからです。
大聖人が、古来からの文証により、一点の曇りなしと。

781疑問:2003/09/01(月) 16:17
>>774-778
について、他の方のご意見もお聞かせ下さい。

782モトミナ:2003/09/01(月) 16:26
疑問さん
他の方の意見を聞かれるのもよろしいかと思われますが、ご自身の都合よく回答できる質問のみ回答なされて、他には回答くださらないのでしょうか。

・三大秘法抄及び二箇相承書についての真偽
・功徳や罰の理論的証明(因果等)をどうやってされるのでしょうか。
・他宗派における顕正会と同じような現証についての見解
・柔和な相が成仏、不成仏に関係している事実上の証明

お願いいたします。

783モトミナ:2003/09/01(月) 16:28
追記
・柔和な相が成仏、不成仏に関係している事実上の証明
日蓮信仰をしていない者への解説、というつもりでお願いいたします。

784疑問:2003/09/01(月) 19:25
モトミナさん
正直申しまして、回答不能です。判らないのです。ご存知とは思いますが、顕正会においては、「不思議」で片付けてしまい、疑う余地を与えられません。
そこで、私は、疑問に感じ、レスしたわけです。「現証」しか証明する術がないのです。申し訳ございません。
>・三大秘法抄及び二箇相承書についての真偽
知りません。「信」しか教えられていません。
>・功徳や罰の理論的証明(因果等)をどうやってされるのでしょうか。
これは、信心の状態(感激や、行体)と照らし合わせ判断しています。会員はそれぞれ自分の基準で計っていると思います。
>・他宗派における顕正会と同じような現証についての見解
一時的な現証では判断できません。結果が幸福になって「よかった」となっているか、成仏するかで本物か判断するしかありません。
>・柔和な相が成仏、不成仏に関係している事実上の証明
大聖人さまの御金言を信じるのみです。

以上、勉強不足で申し訳ありません。
モトミナさんも元顕正会員であれば、理論はほとんど学ばず、ただ信じろと指導されてきたでしょう。
詮索するのは、「魔だ」「疑ってるのか!」「怨嫉は功徳をなくす」と指導されます。
(この点、創価学会と変わりないと思いますが・・・)

785愚鈍凡夫:2003/09/01(月) 20:47
横レス失礼します。
疑問さん始めまして。愚鈍凡夫です。
本論とは関係ありませんが念のために、
疑問さんが示されているのは、以下の文証だと思うのですが、

「人は臨終の時、地獄に墮つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、軟かなる事兜羅綿の如し。」(「昭和新定御書」より)

この文証は、『千日尼御返事』の文証ではありません。弘安元年閏十月十九日の『千日尼御前御返事』の文証です。悪しからず。

786犀角独歩:2003/09/01(月) 21:20

しかし、人間が死んだあとに体が柔らかくなれば、成仏だなどいうことが未だに言われていることはほとんど笑止千万です。また、顕正会員というのは百人が百人、同じ葬儀の話をまるで自分が見たように語るというのは一体どういうことでしょうか。上述の疑問さんが本当にそのような葬儀を見たかどうかは知りませんが、わたしは過去、創価学会、法華講、日蓮宗、妙観講、曹洞宗、浄土真宗、念仏宗、キリスト教、その他諸々の葬儀に参列してきましたが、いわゆる日蓮系で言う成仏の相と同じような安らかな、そして、色白く、体も柔らかな遺体を数限りなく拝見してきました。まったく、宗派、故人の生前の信仰と死後の姿に相関性はありませんでした。

以下はかつて紹介した記事です。葬儀社勤務の方の実録からの記述です。
1件2件、あるいは数十件などという少ない体験から語られるものではありません。
これが現実です。


*** 過去ログ『つぶやきスレッド』から転載 ***

159 名前: 独歩 投稿日: 2002/01/04(金) 01:47

…『納棺夫日記』(文春文庫)という本をご存知ですか。著者は青木新門先生。何度かメールのやり取りもしたことがあるのです。この方も葬儀社に勤務され、その経験から記されたのが、この書でした。

このなかに、こんな一節があります。

ある家で納棺した時のことだった。
始めようとしたら、そこに集まっていた全員でお題目を唱え始めた。
その死体はひどく硬直していた。特に腕の硬直がひどく、私はかけ蒲団の下で、腕の硬直を和らげるのに悪戦苦闘していた。指を曲げたり、腕の関節を曲げたり伸ばしたりしながら、やっとの思いで動くようにして、仏衣の袖に手を通そうとした時だった。
「あれ、見てみなされ、あんなに硬直していたのに、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と一人が叫んだ。するとお題目が一斉に止んで、
「ほんとだ、ほんとだ、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と言いながら全員が、私の手元を覗き込むように見ていた。
私はあきれてしまった。
あの時ほど、宗教というものに不信感を抱いたことはなかった。あれは決してお題目を唱えたから柔らかくなったのではない。
宗教の熱心な信者は、往々にしてこうした事象を己の信じる宗教の功徳にしてしまう。(177頁)

毎日毎日、死者ばかりを見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。
それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。…死者の顔を気にしながら、死者と毎日接しているうちに、死者の顔のほとんどが安らかな顔をしているのに気づいた。
生きている間に、どのような悪や善を行なったか知らないが、そんなことはあまり関係がなさそうだ。信仰が篤いとか薄いとか、宗教が何派だとか、宗教そのものに関心があるとか無いとか、そんなことに関係なく、死者の顔が安らかな顔をしているように思えてならない。(72頁)

787犀角独歩:2003/09/01(月) 21:57

もう何度となく、記してきたことですが、『三大秘法抄』の真偽については、以下の秀逸な研究を

『三大秘法抄の真偽』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ssk_sandaihiho_001.html

なお、三大秘法抄は富士戒壇論とは関係ありません。
富士戒壇論は興師が創案され、その後、富士門で定着した考えであることは既に考証した来たとおりです。

「富士山に本門事戒壇」「戒壇院」「戒壇堂」「本堂」というのは、みな同じものと見做すことはあまりにも短絡的な考え方です。

また、「戒壇之本尊」という場合、漫荼羅に「本尊」の文字が見られるのはいわゆる万年救護本尊に限ります。富士の所伝ではこの「本尊」は弘安二年に興師に相伝されたとされます。なお、石山の板漫荼羅、弥四郎国重が本門戒壇の願主として板に掘って造立したことを銘記されるばかりで、これが戒壇堂安置の本尊である証拠はありません。亨師調査の興師の本尊脇書を具に見ればわかるとおり、「本門寺に懸け奉るべし」という本尊は複数存在します。また、重須文献、あるいは道師『御伝土代』でも明確なとおり、興師が重要視した弘安二年漫荼羅は「二千二百三十余年」と記されたものでした。が、これは興師在世に盗難に遭い紛失してしまいました。

以上のような点は過去2年間、こちらの場を借りて、問答名人さんとはっきりとさせてきたことですが、相変わらず、戸田さんの考えをパクッた浅井さんの言を顕正会オリジナルのように思い込む新参の顕正会員があとを絶たないことを残念に思います。

人に教え込まれたことを裏も取らず、自分の言葉のように語ることを恥ずかしいと思うべきであるとわたしは常々申し上げてきたのです。

どうも、ここには投稿を控えようと思っているのに、2年前の何等変わらない議論が繰り返され、放置できないと思う昨今です。まあ、控えようとは思います。

788モトミナ:2003/09/01(月) 22:14
疑問さん
必ず回答に窮する事を理解していながら敢えてお聞きしました。
これに対して誠意ある回答を頂き感謝致します。
しかしながらなぜ、敢えて回答できない事をお聞きしたのかと言えば、つまりそれが顕正会理論の極点・結論・臨界点であると知って頂きたかったからです。
顕正会員はまずこういった事を考える事すら「己心の魔」と指導されて、考える余地すら信仰の邪魔として排除させられています。
既に会員は心をコントロールされてしまっているんです。
こういった考え方をまずニュートラルにしてみないと、疑問さんが解明したいような事柄の真実は見えないと思います。
独歩さんのサイトでしたか、”絶対が限界と考えてみること”という内容を読ませて頂いた時に、ハッとしたものです。
「顕正会は絶対」「浅井会長は絶対」といった考えを一旦放棄して、これらには全て限界があるのだとまず立てた時に、初めて今までの矛盾が一瞬にして氷解した事を思い出しました。
こんな事、活動時期には考えすらしなかった事ですが、「絶対」である故に矛盾があってはならず、その結果自己の心の中に会や信仰に矛盾を感じた時には、解決できるだけの何らかの魔法をかけてしまっていたのだと思います。
この魔法こそが「信」だと思うのです。
私はかつて様々な方より日蓮正宗系信仰ほど理路整然とし、いかなる信仰者、いかなる宗教観すらも破する事ができる、唯一絶対の仏法である、と教わってきました。
しかし結論は最後は必ず「信じよう」「信こそが全て」だったわけです。
「日蓮仏法ほど深く正しい教義はない」としながら結局は「信」で全てを解決しようとするわけです。
そして信じられないのであれば「魔」「罪障を積む」と。

だからもしいずれかの会が「理論」ではなく「信」を最優先させて会員の心をコントロールする組織であれば、これは最も信用してはならない組織の一つである、とすら今は思うのです。
「信じろ」「信じられないのか」「疑問に考える事すら罪」という言葉は「絶対」の前では最強のコントロールでしょう。
この「信」というスタンスを一度外してみて、一方的ではなく冷静に物事を判断してみる、第三者的物事の見方をしてみた時、意外と馬鹿馬鹿しい位に自分の心がコントロールされていた事に気づいてしまうことが多々あります。
疑問を感じるのであれば、そういったスタンスに一度立たれてみてはいかがでしょうか?

789疑問:2003/09/01(月) 22:42
モトミナ さん、犀角独歩 さん、ご丁寧にご意見有難うございます。
今の私は、櫻川さんと似たような心理状況です。
ただ、もしこの仏法が空論ならば、何を信じたらよいのか。
今まで、戒壇の大御本尊を信じ、ただ成仏を願い、国立戒壇に青春をぶつけてきたのは何だったのだろう?
幸・不幸はいかに解決するのだろう?
幸・不幸の因果は、法則ではないのか・・・
ならば、すき放題に生きて、死んだ方がいいのか?
非常に悩みます。
どこか正しい宗教はないのだろうか・・・・

790Jルーカス:2003/09/01(月) 22:53
独歩さんやみなさん
博学そうですから、知ってたら御教示下さい。
死体を修正する仕事があるそうです。
実は昔、そのサイトを見つけたのですが、全く忘却しました(笑)。

たとえば、死相が身内が見るに忍びない程悪かった場合、また硬直が激しかったりする場合死体をマッサージして、柔らかくする技術だそうです。
アメリカでは、ライセンス性になっているんだそうです。
その知識を知ってる方、是非御教示下さい。

そして、その昔、旧顕正寺と提携していた葬儀社は、その技術者を雇って・・・。
と言う話を元顕正会員から聞きました。

791愚鈍凡夫:2003/09/01(月) 23:08
戸田さんの主張を浅井さんがパクった件に関して。

1916
 『牧口常三郎は、1916(大正5)年ごろ、田中智学の講演会に何度か出席している。』(1998年『仏教と出会った日本』P186) (※注1)

1924/08/25
 平楽寺書店、里見岸雄著『法華経の研究』発行。
 P101に『日蓮上人においては、本尊は………価値創造である。』
 P570に『かの曼茶羅は……価値創造』
 等とあり、日蓮の信仰が価値創造、絶対的価値の発現であることが縷々論じられている。
 牧口、戸田が田中智学の三男が書いたこの本を読んだ可能性は高い。
 大正年間の国柱会の出版物や機関誌『毒鼓』などを見ると、生命哲学、価値論、夏季講習会、科学と宗教、政治と宗教、王仏冥合、国立戒壇などの言葉であふれている。 (※注2)

これらのことが事実であれば、元学会員として一抹の寂しさを感じます。

戒壇論パクリの系譜
日蓮正宗→田中智学→牧口常三郎・戸田城聖→浅井甚兵衛・昭衞

※注1
http://snow.prohosting.com/foggyday/1916/1916_01_00.html
※注2
http://snow.prohosting.com/foggyday/1924/1924_01_21.html

792犀角独歩:2003/09/02(火) 00:35

本日、少し酔いどれ
古巣に帰った気持ちで、もう少しだけ書かせてください。

Jルーカスさん:

> 死体を修正する仕事がある…

この件に関してはわたしは少しうるさいのですよ。
大正大学のMHさんというこの手の権威がいるのです。
この人と文筆の仕事をご一緒したことがあります。
西欧では火葬はしません。遺体をエバーミング(という呼称であったと思いますが)処理をします。これは永久に腐らず、死後の状態をそのまま保つ技術です。防腐剤その他を大量に注入し、まるで蝋人形のように現状を保つのです。

仰るとおり、表情その他も修正します。なにより、わたしが衝撃を受けたのは、ベトナム戦争などで遺体の損壊が著しいとき、この“修復作業”に従事する人が、いちばん苦労するのは“舌”を確保することであるという話でした。遺体にキスをするときに舌を差し入れて、遺体の舌に触れないことが彼らにとって、もっとも悲しいことである、故に舌を確保することに最も気が遣われているとのことでした。極端な話、もし、爆撃などで頭部を損壊し、舌が失してしまった場合、何らかの方法で舌に“代わる”ものをその遺体に縫い込むことすら行うということを、これはMHさんの話とは別に苦労談として聴取したものでした。

しかし、同じようなことを、顕正会でも行っているとしたら、これは、やはり、驚きを禁じ得ません。

愚鈍凡夫さん:

この手の話、『近代日本の日蓮主義』の著者大谷栄一師も言っていました。
しかし、資料の確実なグリップに感心いたすものです。

モトミナさん:

わたしは、このような自己の経験反省から文章を記すことをもっとも尊重し、尊敬もします。大切なことです。

自分が(かつて)師と仰いだ人の言を鵜呑みに提示するのではなく、その言を自分で検証して実否を論じる姿勢、これこそがあるべき姿勢であるとわたしも思っています。

疑問さん:

> 幸・不幸の因果は、法則ではないのか・・・
> ならば、すき放題に生きて、死んだ方がいいのか?

これは短絡でしょう。因果がなければ悪いことをしても罰が当たらない、ならば、好き放題に生きてもよい、ではなく、悪いことをしても悪い結果にならなくても、正しく生きようとするとするところに襟度があります。

> どこか正しい宗教はないのだろうか

どこかにあるのではなく、自分で実現することでしょう。
善い行いを積み重ねても、その見返りを期待しない“ものもらい信仰”から脱却が、一切の信仰者に求められるところです。

793顕正居士:2003/09/02(火) 01:19
Jルーカスさん。はじめまして。

「エムバーミング(embalming)」は、古代のエジプト人にはじまる遺体保全術
で、近代ではアメリカで発達し普及しました。火葬など習俗の違いからわが国
では珍しかったのですが、この幾年かでこれを扱う葬儀会社が増えました。

日本の葬儀会社のサイト
http://www.sougi.com/a_sinokagaku/death/embalming.htm
エムバーミングの歴史
http://www.wyfda.org/basics_3.html

死に際して見る幻覚を「臨終の相」といい、読経などによって死に行く人を
落ち着かせることを「臨終の用心」といいます。死相の意味の「臨終の相」は
宗教によらず俗信があります。中国や日本の仏教では49日の「中有」を経て
あらたに六道に生まれると信じたから、これと死相で生処を占うのとは合致
しない所があります。日本の仏教では臨終の用心を無用とする傾向が強いよう
で、亡くなってから葬儀を行ないます。仏立宗や大石寺など日蓮宗の一部には
死相に関する俗信があるようです。小規模なカルトの中にもこれをアッピール
する教団があって、ビデオを見たことがあります。ある程度の割合で良い臨終
の相といわれる外観で亡くなる方が天然におられるのかも知れないが、調査の
仕様はない。独歩さんがお示しのように、お棺に入れるために遺体を軟らかく
する技術などは昔からあったはずです。

794アネモネ:2003/09/02(火) 03:07
成仏の相について少しレスさせて頂きたいと思います。
実際の入信のキッカケの理由として、けっこうこの成仏の相ということで、信心の確信を持った人は多いようですね。
実はこのことについて、医療従事者の方々などに質問をしてみたことがあります。
いわゆる肝機能など内臓疾患によって、皮膚の色が黒くなってしまうことが多いわけですが、また肝臓の病気でなくても、治療の為の投与によって肝臓が弱まり、次第に皮膚の色が黒くなってしまうことが多いわけです。
ところがしかし、そうした皮膚の色も、死後一定の時間が経てば、題目を唱えなくと元の皮膚色に戻っていくらしいのです。これは、医学的な根拠がしっかりあるものらしく、そのような科学的(医学的)根拠を知らない信仰者が大半ですから、たまたま死後施された自分たちの信仰的呪術によって、死相に奇跡が起きたと確信を持って思い込んでしまうわけでしょう。
疑問さんが示された文証は、医学や科学のほとんどない700年以上も前のものであるわけで、日蓮が用いたからといって、今日に通用するものだとはいえないでしょう。当時にとっては、それが最高水準だったかもしれませんが、しかし今日において死後の皮膚の色の違いやその変化については、そのほとんどが医学的に説明のつくものであると思われますし、ましてや私などは、成仏不成仏の区別の目安になるものではないと思っています。
言葉を変えれば、そのような医学の発達していない時代の迷信をそのまま信じこまされているといえるのではないでしょうか。
ちなみに、たとえば白い皮膚の人が成仏の相ならば、欧米の白人は生まれつき成仏しているということになるわけですね。しかし、彼らの大半はクリスチャンです。となると、文証は、まったく辻褄が合いませんね。
だいたい誰しも、成仏を自分自身が実体験していないにも関わらず、この人は成仏したこの人は成仏してないと、もっともらしく見極めたかのように語られること自体、実にいかがわしいということではないでしょうか。
それに、お釈迦様が成道されたのは三十五歳でしたでしょうか。そのとき仏と成られたお釈迦様は、成仏の相といわれるように色白だったのでしょうか。
これはどう考えてみても、地域的、民族的に、褐色か黄色だったのではないかと思われます。
そういった諸々のことを考えてみても、日蓮が用いた文証そのものがもはや現代的には通用しないわけで、それを無理矢理に通そうとするならば、拡大解釈として肌の色による不当な人種差別にも通じてしまうものではないかと思われます。
無理が通れば道理引っ込むとはまさにこのことです。

私は、個人的見解として記せば、どのような死に方であろうとも、またどのような死相であろうとも、そこに人の差別はないと思うところです。

795Jルーカス:2003/09/02(火) 09:38
皆様レスありがとうございます。
エバーミングと云うのですね。
実は、最近土曜ワイド劇場(火曜サスペンス劇場かも)で、その職業の方の話をやってましたね。

さて、私が日蓮正宗の今の寺院についたとき、最初に教わったのが下記のような事でした。

「成仏の相=成仏とは一概に考えてはいけない。死相が悪いからと云って一概に墜獄と断じてもいけない。一見思想が悪くても、成仏している場合もあり、それは佛様にしか分からないので勝手に判断するな。
今、過激な法華講では、極端な両極思想(成仏か墜獄)に走る傾向があるが、単純に考えても十界、大きく見れば百界、そして三千また無限の種類の死相がある。だから決して単純に見てはいけない。そもそも、熱原の法華講衆は首を斬られて亡くなっている。また日蓮正宗信徒でも時代によって、戦死した人や餓死した人の数は多い。歴史的に見れば、現代のような時代の方が珍しく、畳の上で死ぬのが希な時代の方が長かった。そういう先人冒涜につながるから、極端な考えは捨てなさい。」

796Jルーカス:2003/09/02(火) 09:40
>795
×「一見思想が悪くても、」
○「一見死相が悪くても、」

797モトミナ:2003/09/02(火) 10:14
Jルーカスさん
現代の日蓮正宗の言い分だと「千日尼御前御返事」の文を正宗信仰者の死にそのままスライドしてあてはめる事などできない、という弁明になるわけですね。
つまり正宗信仰をしていても相は定められたままにはならず、歴史から見ても多く金言から外れた臨終を遂げた者が多数いる、と。
臨終を以て信仰の正邪を判ずる事はできないということになりますが、では御書で断言した文は一体何なのだ、という疑問が出てくるのですが、これについてはどのように教わっているのでしょうか。

798Jルーカス:2003/09/02(火) 10:42
モトミナさん

> では御書で断言した文は一体何なのだ、という疑問が出てくるのですが、
> これについてはどのように教わっているのでしょうか。

もちろん、御金言は否定してませんよ。
御金言の通りになる場合もあるでしょう。
しかし、個人個人の過去世の罪障は僧俗全ての凡夫には分からない。
それが「墜獄の相なのか」「罪障消滅の相なのか」は分からない。
また逆に「成仏の相」なのか「魔の通力」なのかも分からない。
しかし、それも断言するのでは無く、可能性を論じるだけですね。
その辺は、顕正会さんのように「白か黒かはっきりしている」方が美しいんでしょうがね。

799犀角独歩:2003/09/02(火) 10:56

ご参考の便宜に、わたしが公開しようとしているのは以下の事件についてです。
ここでは匿名としましたがここまで伏せる必要はもちろんないでしょう。いちおう、こちらの掲示板保護のために『個人情報の公開について』の皆さんのご意見と管理人さんのご判断に基づき、細心にわたりました。

重要な点は、この事件が顕正会の一方的敗訴であり、また、その前提で、顕正会は虚偽の報道をしていた事実が白日のもとに曝されたということです。

一般社会から見るとき、宗教団体とその信者について、「何を信じているか」が重要なのではなくて、「何をしているのか」が重要なのです。以下のような違法行為を集団ぐるみで行うのであれば、その団体は違法団体と見做されるのは至極当然のことです。顕正会、ならびにその運営者、さらに信者会員の猛省を促すものです。

*** 以下、添付 ***

神奈川県警による顕正会藤沢事務所の家宅捜索等
 
1.神奈川県警藤沢署は、平成11年7月7日、同年7月3日に傷害容疑で逮捕した顕正会信者・TSの自宅(横浜市港区)及び顕正会藤沢事務所(藤沢市鵠沼)の家宅捜索を行った。
  顕正会は、平成11年8月5日付『顕正新聞』(第805号)紙上において、KA男子部長及び同事案に立ち会った藤沢事務所管理主任・KH、HBの主張を掲載した。
  同記事によると、7月3日の逮捕そのものが違法であり、本来加害者である「Y」の嘘の証言を鵜呑みにして被害者のTSが逮捕された。警察権力を動かしたのはDI(K党)であるなど決めつけている。また、藤沢署による家宅捜索についても違法捜索と位置づけたうえで、同捜索時に撮影した警察官の写真を掲載するとともに、H管理主任が私服警官から集団暴行を受けたとしている。
  これら一連の事件を受けて、同記事ではKHを原告として7月23日付けで横浜地検に対して特別公務員暴行陵虐罪で藤沢署警察官12人を告訴、この暴行傷害事件に対する国家賠償の請求訴訟、さらにTSに傷を負わせた「Y」を傷害罪で告訴したなど記載しているほか、「顕正会として藤沢署とその背後に潜む謀略の実態を白日のもとに晒すべく、今顧問弁護団が法的措置を検討中」としていると記載した。

2.顕正会は平成11年7月26日、横浜地検に訴状を提出。
 原告は宗教法人顕正会(代表・SA)及びKH、原告代理人は弁護士・HO、被告は神奈川県(神奈川県知事・岡崎 洋)となっている。

 その裁判結果は 主文 1.原告らの請求はいずれも棄却する。2.訴訟費用は原告らの負担とする。という判決であり 控訴はしていないので顕正会はすべてを認めた結果で終結した。

800犀角独歩:2003/09/02(火) 11:22

顕正居士さんの博識ぶりにはいつも驚かされますが、今回も実に参考になりました。有り難うございます。

また、アネモネさんのご意見、わたしは全面的に賛同します。


○顕正会員が語る「葬儀参列で見た成仏の相」について

さて、モトミナさんとJルーカスさんの議論とは別に記します。
わたしは現役顕正会員と話すたびに、この成仏相の話を聞かされるのですが、そのうち、大きな疑問を抱くようになりました。脱会顕正会員の方で、以下、わたしが記すことに思い当たり、事実を披瀝してくださる方があることを期待します。

昨年のことですが、入信わずか数カ月という現役会員と話したとき、「顕正会で亡くなった人は成仏の相をしているのです」と、いま話題になっているようなことを得々と語り出しました。相手の年齢はまだ20歳前、入信数カ月ですでに顕正会の葬儀に参列したなどということ事態、俄に信じられるものではないので、寧ろ、その点を尋ねたのです。しかし、相手は「自分は見た」の一点張りでした。このようなことはその前にも何度も経験してきたことでした。奇妙なことに、いちおうに語られる葬儀の様子、その故人の情報が場所を隔てて聴取しても、ほとんど同じなのです。この点に疑いを懐かざるを得なかったわけです。しかし、いくら、その点を質問しても、それぞれ「自分が見た」と言い張るわけです。

その実否を詳細に調査したわけではありませんが、類推するに、

・体験談で聞いた話、語り継がれた話を恰も自分で見てきたことのように語っている
・人の体験談を自分の体験談のように思い込んでいる

と映じたものでした。
これが錯覚、妄想、あるいは思い込みであるとすれば、一種の集団ヒステリー状態、あるいは集団催眠状態となり、自分が見ていないのだけれど、会で語られる体験談が事実に間違いないから「言い切ってしまっても問題ない」と完全な無責任心理に陥っているのだろうとも思えるわけです。「講談師、見てきたような嘘を言う」とは旧い譬えですが、しかし、このような伝播によって虚偽の感動が生み出され、信仰心が深められる点は、極めて不健全なことであり、引いては虚偽勧誘の可能性すら問題にしなければならないことになるでしょう。

蓮師の、成仏相の記述など、一般社会にとって、どうでもよいことと言えるかも知れません。しかし、自分が見ていないことを見たと言い、勧誘が行われているとすれば、それは違法性に抵触する重大問題である点は、けっして看過されてはならないと思うわけです。

801Jルーカス:2003/09/02(火) 11:36
> 799
確認させてください。

まず、この場合「横浜地検に刑事告発」「横浜地裁に民事訴訟」となると
思います。
「主文 1.原告らの請求はいずれも棄却する。
2.訴訟費用は原告らの負担とする。」は民事の方だと思われます。
この場合、控訴断念で、判決確定だと思います。

さて、刑事の方はどうなってますでしょうか。
恐らく「不起訴」又は「起訴猶予」でしょうが、もしそうなら、検察審査会に不服をだしているでしょうか。出さねばこちらも確定したことになりますが。

802Jルーカス:2003/09/02(火) 11:48
独歩さんの云われる、顕正会員が自分で見てないことを見たように云ってるのは事実だと思います。
実は元顕正会員の方の話では、顕正会では「臨終は大切な事なので、やたらと関係薄い方の葬式に行ってはいけない。臨終の妨げになる。」と克衛君が指導しているそうです。
つまり、他人の葬式に行ける機会が、一般人より極端に少ないんだそうです。

803モトミナ:2003/09/02(火) 12:00
Jルーカスさん 有難うございます。
つまり金言に云う内容とは、こういった場合もあるが、別の場合もある、という捉え方という事なんですね。
極論志向の顕正会的な見解を示すならば、「金言とはつまり断言、結論」という見方をするので、こういった捉え方を宗門がされている事に違和感を感じる会員が大勢いると思います。
また、極端すれば宗門側ではそういった見解も示している、という情報を会員側が知れば即「顕正会のみ大聖人の仰せのままの信仰を貫いている証拠。故に会員の臨終は明確であり、宗門側の臨終はこういった曖昧な表現せざるを得ない実情がある」と短絡的に判ずる事と思われます。
主観的感覚で事を判じる会員にとって臨終は白軽、以外は黒重という短絡思考であり、つまり金言のままでなければならないわけです。

独歩さん

藤沢の件については私も知るところですが、この事件の詳細経緯と当時身近だった者の証言からふと思ったことがあります。
それは会員の肯定的心理という問題です。
私の知っている会員達も多々社会的問題を起し、逮捕されたり、報道されたり、と様々な事柄があったのですが、彼等は一律思っている事は、現代社会と顕正会活動が全く相容れないものであるものと当然のように思っているわけです。
勧誘活動は社会的に認可される必要はなく、「ただ大聖人の頷きを頂ければ良い」という発想だけが彼等の行動原理であるわけです。
pundarikaで発言している内容に相当リンクする問題でもあるわけですが、そもそも「大聖人の頷きを頂けるか、頂けないか」などは日蓮師が現在いない以上、誰かがその判断を下しているだけの事でしかないわけです。
そしてその結果は証明不能の功徳として現れると。
そこに信仰責任として能・受(日蓮正宗的に云えば所)のうち特に信仰能側の責任は大であると言わざるを得ません。
かつて顕正会会長はこんな事を公の場で言いました。
「たとえ地球が壊れようとも日蓮大聖人への信仰を貫く、戒壇之大御本尊を絶対だと信じる。この者こそ仏果を遂げる」と。
また「『疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』のごとく我々凡夫は直に疑いの心を持ってしまう。このような信心では絶対に成仏は叶わない」と。
若干言葉の会長発言内容は正確性を欠きますが要旨は上記の如くで、こう会長が云う責任は途轍もなく重い発言です。
そしてこのモデル体こそ熱原法華講衆の斬首事件であり、この斬首事件を強弁することによって会員の心には熱原法華講衆に負けぬ社会的制裁を恐れない信仰心を芽生えさせているものと思われます。
そして会員の心の中には「広宣流布になれば、我々の行動は必ず正義になる」という、勝てば官軍のような発想が常駐しているわけなので、官軍になる日はすぐ近いと教えられている彼等に恐怖はないわけです。
こういった心理が反社会的行為にすら肯定的心理が作用されているようで、藤沢の事件に関しても関係者は一切の自己批判はなく「相手を救うための善意」と思い込み、それゆえ警察の介入は「K党関与」更に飛躍して「大六天の魔の所為」と身勝手に感じているわけです。
そして何よりも滑稽なのは、会本部自らがまた本当にそう思っている事実です。
顕正会に不利な発言、報道、顕正会自らの犯罪等は全て真剣に別団体の所業である、と思い込んでしまっており、彼等会本部の異常ぶりは内部精通者であればよくご存知であられると思われますが、私自身「本当にそう思っているのか」と呆れかえってしまった事柄が何件もあったものです。
こういった事態に至る会員心理を操作する会長及び会には大問題を感じるものです。
また受・所といった指導を受ける立場の者にも、また話を無責任に受け入れてしまう問題点も多々あると思われます。

804Jルーカス:2003/09/02(火) 14:15
モトミナさん
> 故に会員の臨終は明確であり、

そうでもない例があります。
死者を貶めるつもりは無いので、詳しくは書きませんが、浅井昭衛さんの実弟
浅井信衛さんのガンでの壮絶な死は、不幸でしたね。
彼は最後まで妙信講の幹部でした。
この状態を見て脱会した幹部はたくさんおります。
今では全く触れられておりませんが。

805モトミナ:2003/09/02(火) 14:40
Jルーカスさん
ああ、そうでしたね。
現在の顕正会員内では会長実弟の死については、”信仰不信の咎があった”として多くは語らず封印していますね。
また問われても、こういった悲壮な死については”信仰が甘かった”として「信心は表面では判らない」と結論しています。
会長長男がこう切り出すわけですから、人の生き方も死に様も最早彼等にとって都合でクルクル変貌してしまうわけです。
また多くの元幹部、妙信講以来の古参方の死というもの、幾度か直面する機会がありましたが、こういったケースは多々ありますね。

806正宗絶対:2003/09/02(火) 15:56
大石寺第二十六世日寛上人の臨終用心抄(富士宗学要宗・第三巻266〜267)には
一・臨終の相に依って後の生所を知る事。
一・他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
一・法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。
一・臨終に唱題する者は必ず成仏する事。
が明かされています。

807犀角独歩:2003/09/02(火) 17:55

> 他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
> 法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。

要は、寛師は、蓮師と違う説を立てているわけですね。
だいたい、寛師の言が正しい証拠とは一体なんでしょうか。
寛師が言うことであれば、なんでも正しいというこの単純な考え方が間違っているのです。

808犀角独歩:2003/09/02(火) 18:07

モトミナさん:

現状分析、有り難うございます。
自分たちが世間法よりも上であるという考えは、顕正会に限らず、創価学会、また石山にもありますね。この考えはわたし自身の考えでもあったので、わかります。

ここでわたしがいちばん面白いと思うのは、法律も自分たちが上であると思っているのに、法律的に訴えて自分たちの正当性を問うという矛盾です。

わたしが紹介しようとする事件は実に陰険で、暴力が振るったほう(顕正会員)が暴力を振るったと訴えを起こし、それに顕正会が会として訴えを起こしたものでした。顕正会員の嘘、それに応援した顕正会と代表親子の嘘が白日のもとに曝された事件です。世間法の上にあろうがなかろうか、暴力が振るったものが暴力を振るわれたというのは世間法の上にいくはずの仏教、なかんずく、「日蓮大聖人」と「戒壇之大御本尊」に泥を塗るなんとも情けない事件であったわけです。いくら強がっても、嘘は嘘。世間法の上に行くはずのものが、その世間法に基づいて虚偽の訴えを起こしたうえで、その裁判に負けたことは紛れもない事実であり、如何に世間法の上だと豪語したところで自分たちの嘘隠し、言い訳、暴力体質という実態は会員を騙すことはできても世間を騙すことはできません。

裁判に負けた顕正会とその代表親子、この事実は、百万言の言い訳を弄しても消えることはありません。

この点を確認できたことは、たいへんに意義のあることでしたね。

Jルーカスさん:

刑事のほうについて、いまのところ、詳しくは掴んでいません。
しかし、顕正会員が暴力を振るい現行犯逮捕されながら、暴力を振るわれたのは自分のほうであるとした嘘は、明確に暴かれたことは事実です。実際に「折伏」を強行されたうえで、更に暴力を振るわれて怪我をした人への啓示的な責任がどのような結果になっているのかは、追って調べていこうと思っています。

809犀角独歩:2003/09/02(火) 18:13

【808の訂正】

誤)啓示的な責任
正)刑事上の責任

810犀角独歩:2003/09/02(火) 19:05

もう一点、間違っていました。訂正します。

誤)暴力が振るったほう(顕正会員)が暴力を振るったと訴えを起こし
正)暴力が振るったほう(顕正会員)が暴力を振るわれたと訴えを起こし

811犀角独歩:2003/09/03(水) 09:26

以下の文献をわたしのサイトにアップしました。
現段階ではパスワードを設定してあります。
お読みになりたい方はご一報くだされば、お教えします。
ただし、コピペはできません。

神奈川県警による顕正会藤沢事務所の家宅捜索等(全文)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/pas.html

812苦悩乱者:2003/09/04(木) 17:57

807 犀角独歩さん

>要は、寛師は、蓮師と違う説を立てているわけですね。
 だいたい、寛師の言が正しい証拠とは一体なんでしょうか。
 寛師が言うことであれば、なんでも正しいというこの単純な考え方が間違っているのです。

私も同感です。

813?:2003/09/05(金) 00:01
日蓮大聖人様は妙法尼御前御返事(弘安三年七月・新編1482)に
『先づ、臨終のことを習うて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめて此
 を明鏡として、一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向けてみ候へば、すこしもくもりなし』
と仰せであり、臨終の大事を説かれると共に、諸経論に説かれるところの臨終の相(成仏の相・堕地獄の相)と現実の
相とに相違がないと仰せです。
諸経論の説とは、例えば、守護経巻十の阿闍世王受記品第十に
『若し人命終せば当に地獄に堕して十五相あるべし。当に餓鬼に生ぜば八種相あるべし。当に畜生に生ぜば五種相
 あるべし』
とあり地獄・餓鬼・畜生に生ずる臨終の相をそれぞれ明かしています(詳細は省略)。
また、臨終の際の顔色については、摩訶止観巻五の上に正法念処経を引いて
「正法念に云はく『画師の手の五彩を画き出すが如し。黒、青、黄、白、白白なり』画手は心に譬え、黒色は地獄の
 陰を譬え、青色は鬼を譬え、黄は修羅を譬え、赤は畜を譬え、白は人を譬え、白白は天を誓う」
とあります。

そもそも大聖人様の出家得度された動機の一つに諸宗の碩学・大徳と言われる人たち、また身近な人たちの臨終の相が
あまりにも悪相であることに対する疑問があったことが御書に明かされています。
妙法比丘尼御返事(弘安元年九月・新編1258)には
「此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思ひて候ひし程に・・・いさゝかの事ありて此の事を
 疑いし故に一つの願をおこす」とあります。
この「疑い」とは当世念仏者無間地獄事(文永元年九月・新編314)の
「当世の念仏の上人達・・・・臨終に狂乱して死するの由之を聞き又之を知る。其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の
 数を知らず」との仰せと合わせ拝すると明らかでしょう。

大聖人様は成仏の相として、御書中に、
一・色が白い。二・身が軽い。三・やわらかい。四・形を損じない。五・臭くない。六・半眼半口。
七・臨終に唱題する等をあげられています。

千日尼御前御返事(弘安元年十月・新編1290)に
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引きの石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人
 なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、軟らかなる事兜羅面(とろめん)の
 如し」

妙法尼御前御返事(弘安三年七月・新編1482)には
「妙法蓮華経をよるひるとなへまいらせ、すでにちかくなりて二声高声にとなへ乃至いきて候ひし時よりもなおいろも
 しろく、かたちも損せずと云々。法華経に云はく『如是相乃至本末究竟等』云々。大論に云はく『臨終の時に色黒き
 は地獄に堕つ』等云々。守護経に云はく『地獄に墜つるに十五の相、餓鬼に八種の相、畜生に五種の相』等云々。
 天台大師の摩訶止観に云はく『身の黒色は地獄の陰を譬ふ』等云々。

大石寺第二十六世日寛上人の臨終用心抄(富士宗学要宗・第三巻266〜267)には
一・臨終の相に依って後の生所を知る事。
一・他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
一・法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。
一・臨終に唱題する者は必ず成仏する事。
が明かされています。

生死一大事血脈抄(文永九年二月・新編515)
「相構へて相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈これより外に
 全く求むることなかれ。煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」

814犀角独歩:2003/09/05(金) 06:39

> 813

こんな程度の御書の記述は、ここでロム・レスする人であれば、誰しも存知です。
そうではなく、この記述が正しいと何故言えるのかを問うているのでしょう。
それにしても、真跡も真偽未決もごちゃごちゃの引用。溜息が出ます。

少なくても、わたしが過去100回以上、参列した他宗の葬儀、それら人々の臨終の様は、信仰宗派とは何の因果関係も見出せませんでした。

寛師については807に記したとおりです。

いくら議論を重ねても、こうして杓子定規のように蓮師(の記述といわれるものも含めて)引っ張ってきて、「こうある」「これが正しい」とするのであれば、一人で勝手に信じていればよいのです。議論の余地はありません。蓮師、あるいは寛師の無謬性神話に齧り付いている限り、そこから一歩も前に進むことはできません。

臨終の相がどうであるなどという議論より、いかに死を迎えられるのかという議論が世間一般では真剣に論じられているのです。ターミナルケア、インフォームドコンセント、ホスピスなどなど、既に実践段階に入っています。それに比し、「臨終で色が黒かったら地獄だ」などという幼稚な俗信議論を繰り返すことは物笑いの種を提供する以上の意味はありません。

815犀角独歩:2003/09/05(金) 06:45

顕正会の傷害事件、藤沢事務所家宅捜査に関する全面敗訴の資料を匿名にしてアップしました。
顕正会に暴力体質、虚偽の訴えを起こす体質があると認識を固めさせる重大な判決です。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kenshokaijiken.html

816ラキ:2005/05/25(水) 20:37:36
妙観講&法華講は同じ正宗信徒であっても、扱いが違うと感じております。
スレッドテーマの「カルトぽいか」で言わせていただきますと、法華講はそんなにカルトは感じません。
カルトぽいと言うなら、妙観講だと感じます。
理由については。
1)妙観講の名前が日顕氏からの命名であり、エリート意識が強いと感じられます。
2)日顕氏の警護は、妙観講がしてるとの意識。
3)猊下絶対主義。
以上3点を挙げましたが、学会。顕正会と同じ道を歩む可能性があるのではとも、感じております。

それは、機関紙「慧妙」が妙観講独自の機関紙だと思われるからです。
学会の「聖教新聞」顕正会の「顕正新聞」どちらも、宗門所属当時から、独自の機関紙を発刊しているのが酷似してると感じるからです。
暁鐘編集部の発行書籍の著者が「大草講頭」監修が「小川氏」理境坊繋がりで、妙観講であるのが印象的です。
書籍の最後に広告が出てますが「理境坊所属」仏具店だけも、偏りがあると感じずにはおれません。
他の正宗仏具店の広告が一切ないのも、なぜかな〜?と感じております。
第3の独立団体になるのでは?とも思っております。
顕正会はカルト路線まっしぐら。
学会は、路線変更をしてきてる感じが取れますので、独自の新興宗教になるのではとも思っております。
大白蓮華を見たのですが、私が在籍していた当時と、中身が大部変更されていて、御書講義も現代風の解釈が目立つと感じました。

818犀角独歩:2005/05/25(水) 20:59:48

> 妙観講&法華講…違う

それはそうでしょうね。妙観講は理境坊・小川さんの預かりで、いわゆる講組織としては成り立ちが違うわけです。創価学会、妙観講、顕正会、その意味で同じ成り立ちのわけですね。

なお、「妙観講」というのは、本当に阿部さんの命名なんでしょうか。妙観は細井さんのことですから、それを、越洋さんが与えたというのは、どうも頷けません。

819ラキ:2005/05/25(水) 22:47:27
私の聞き違いか記憶違いかもしれません。
後日、確認を取ってみます。

妙観講の今の活動体系は、戸田さんの学会を感じるものがあります。
時の上人絶対。機関紙。書籍の独自発行。活動の激しさ。
似すぎと感じるのは、私だけでしょうか?
けど一つだけ得たものがあります。
自己矛盾を正当化するのは、似たもの組織同士だと。

820ラキ:2005/05/26(木) 01:29:09
公式HPを見ましたら下記の内容が書かれてました。
私の誤認でした。

「妙観講は、昭和55年8月、第六十七世御法主日顕上人猊下の御認可によって結成された、総本山塔中理境坊に所属する法華講中です.
妙観講の名称は、第六十六世日達上人の阿闍梨号〝妙観〟を奉戴したものですが、それは、この講中の基礎が日達上人の格別の御慈悲によって作られた、ということによっています」

一つまた学べました。
妙観講の歴史を見ていて、今に至る経緯が合ったのだと。
そして、正宗信徒団体の内紛は戦後ぐらいから、見え隠れして今に至ったのかと思いました。
独歩さんが前におっしゃった、正宗系団体に何を求めるのかが改めて、無意味だと感じてしまいました。

821ROM専:2005/07/28(木) 12:17:09
こんなニュースがありましたので、転載しておきます。

      ★監禁容疑で「顕正会」会員2人逮捕

・宗教法人「顕正会」の会員2人が、東京都内に住む大学生を勧誘するため民家に
 監禁していた疑いが強まり、神奈川県警は2人を逮捕するとともに、関係先の一斉
 捜索に乗り出しました。

 監禁の疑いで逮捕されたのは、宗教法人「顕正会」の会員で横浜市泉区の大学生、
 石川秀樹容疑者(20)と行徳祐一容疑者(28)の2人で、神奈川県警は、横浜市港
 北区にある「顕正会」の横浜会館など、あわせて5ヶ所を一斉捜索しています。

 調べによりますと石川容疑者ら2人は、今年5月、東京・多摩市に住む20歳の大学生を
 「顕正会」に入会させようと、横浜市内の民家に連れ込み、監禁した疑いが持たれて
 います。
 大学生はこの住宅で携帯電話を取り上げられ、「駄目だ。まだ終わっていない」などと
 言われ、監禁されたということです。

 「顕正会」を巡っては今年3月、別の会員の男が勧誘活動でつきまといをしたとして
 書類送検されています。神奈川県警は、「顕正会」の勧誘活動の実態を詳しく調べる
 方針です。
 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20050728/20050728-00000016-jnn-soci.html

※動画URL: http://www.bcast.co.jp/cgi-bin/yahoo/news.asx?cid=20050728-00000016-jnn-soci-movie-001&amp;media=wm300k

822ラキ:2005/10/17(月) 00:02:54
正宗の御会式に初めて参加したのですが、寺院入り口から2,30m程離れた場所に1台の挙動不審の車が停車!
学会員らしいので知り合いか確認を頼まれて車まで見に行ったのですが、おもっきし挙動不振でした。
新聞や話では聞いておりましたが、実際に目にして一部学会員の行為とは言え、元学会員としても悲しいやら恥ずかしい思いでいっぱいです。
地元周辺の学会員は、そのような怪しい行為をしないと思っていたからです。
自己教団が正しいと主張していても、やってる行いが、おかしいと世間一般の人から思われるような行為をしてる時点で、説得力に欠けると思わずにはおれません。

顕正会。妙観講も同じようなものですが、相変わらず、妙観講員のHPでは、法華経の真偽に対して、法華経は釈迦滅後400年頃の作と宗教学会では定説なのに、釈迦が説いた教えと無智、妄信な事を言っていますね。
一般書店で販売されている、法華経の入門書や解説書にはほとんど、釈迦が説いた教えではないと書かれているのに、自教団発行の書籍だけを証拠に、釈迦が説いた教えと言い張るのは、石山系教団の異常な一面だと思わずにはおれません。
妙観講員も顕正会員と同じで、一番触れられたくない事に触れると、人格攻撃をする”宗教者”としての最低限の事も守れないご都合集団と思います。

823パンナコッタ:2005/10/17(月) 00:24:26
>822
学会員なら、教宣でしょうね。恐らく本人はそれが”使命”だと思いこんでいる人物でしょう。
ある意味宗教の愚かさを、態度で露呈しているのかもしれません。

824犀角独歩:2005/10/17(月) 09:13:42

> 挙動不審の車が停車!

この手のことは、個人、団体で対処するのではなく、速やかに110番通報。警察に委ねるのが一番です。

> …妙観講員も顕正会員と同じ…人格攻撃をする”宗教者”…ご都合集団

石山も末寺も、その坊さん、信徒も同じでしょう。
どこが違うのですか。

825犀角独歩:2005/10/17(月) 12:37:10

かつての創価学会、顕正会の母体は、紛れもなく石山です。
その中心者と進路、教義を批判したことで、それぞれを破門に付したわけです。
それ以降の、この2団体の責任は、各団体の指導者にあるでしょう。

しかし、妙観講はいまでもれっきとした石山の信徒団体です。となれば、この団体の責任は石山が負っています。つまり、書く末寺の住職も負っています。また、その信徒は、自分たちは、妙観講とは別だと考えたいようですが、所詮、同じ穴の狢です。

これらがカルトっぽいかどうか。
カルトというのは認定ではありませんから、その断定はここに避けます。

しかし、一ついえること、論理的に説明をできないことを、信じさせ、それを疑うことを悪と断定し、一切の善は自分たち、悪は外部にあるとすること。信じれば功徳、疑えば地獄という二極論に立って信者を操ること。常に敵を仮想し、それらを憎悪させることによって信者を引き止めること。等
以上の心理技法をカルトは使います。さて、では、創価学会、日蓮正宗、顕正会、妙観講が以上のような技法を使っているかどうか。使っていなければ、カルトとみなされることはないでしょうが、使っていれば、当スレのテーマのごとく、「カルトっぽい」と映じることでしょう。

なお、もう一つのカルトの特徴。金に物を言わせて訴訟・裁判を連発して、批判を封じ込めることも挙げられます。さて、どうでしょうか。

826学会:2005/10/22(土) 20:29:58
学会は滅びる。法華講の御本尊は、日蓮で!南無妙法蓮華経だけど。学会の御本尊は池田大作です。大作は教祖だよ。

827プロムナード:2005/10/28(金) 09:38:09
私は妙観講員です。妙観講は私の目線で見て今の所はカルトのような活動は、していません。ただ日蓮正宗に信仰して皆、崩れない幸福のキョウガイになって欲しいから、ハシャク・シャクブク・法論・妙観講員の後輩指導等を色んな事で頑張っています。ただ妙観講に対して敵対しをしている団体は、魔が来たから、近付かないようにはしていますが・・・!!そのカルトの見方は人それぞれですから、常識的に考えて非常識の所が多いならカルトかもしれません。ただ私の妙観講の知り合いの方は、私含め私の先輩や私の上官も元顕正会がホトンドです。だから上官から紹介するたびに、この方も元顕正会員ですよ。と言われるから、妙観講は元顕正会員が多い事を錯覚します!!これが不思議です。

828犀角独歩:2005/10/28(金) 12:12:38

> 827

取り敢えず、以下のチェックをしてみたらどうでしょうか。

JSCPR集団健康度チェック目録
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHI/index.html

829パン亭スケスケ(大学落研):2005/10/28(金) 13:37:53
>>827

他寺法華講員から妙観講さんへの一考察

一、創価学会・顕正会ならいざ知らず、通常の法華講では、会合にて講頭さんが指導を行うことはあり得ない。元からの慣例として講頭は「挨拶」御住職は「指導」となっている。それを一昨年より「挨拶」を「激励」にしても良いという宗務院からの指示が出て、「激励」と言う言葉を使う事が増えてきたが、「講頭指導」等と言う言葉を使用する等あり得ない。
ところが妙観講さんでは大草さんが「講頭指導」を行っているそうです。

二、また、妙観講さんでは内徳信仰者(御本尊様をお受けしていない方)も、世帯数に数えているが、本来の法華講では「御授戒」を受けても「御本尊様をお受けしていない方」は、世帯数に数えない。そもそも折伏をしても御授戒を受けさせることはさほど困難では無い。御本尊様をお受けさせる事が困難なのである。それを内徳信仰者を世帯数に入れると言う特殊なルールを適用しているのは、数を追うためと言われても反論できないと思われる。

三、また創価学会員からの帰伏者は観誡を受ける必要があり、それが終わってから、自宅の御本尊を拝んで良いというのが、化儀であるが、妙観講さんでは「観誡願」に署名をさせると同時に、自宅の御本尊を拝して良いと言う特殊化儀を適用している。これも二と同様に困難さを回避するための易業化では無いでしょうか?

上記、大石寺化儀違反はどのように説明するのでしょうか?

830ラキ:2005/10/28(金) 13:58:04
プロムナードさん。はじめまして。

妙観講に対して関東圏の法華講の信心が古い方は、嫌っています。
特に、法道院に縁がある方は、大草さんの法道院で当時の住職並び講員の方をつるし上げた経緯があるからです。
若い世代の法華講員とかは、妙観講自体知らない方が多いですよ。
慧妙で法華講との合同折伏をしてるとか記載されていますが、地方ばかりで、関東圏の記載は見た記憶がありません。

>ただ妙観講に対して敵対しをしている団体は、魔が来たから、近付かないようにはしていますが・・・
折伏・破伏・法論をして、日蓮正宗以外の方に幸せになってもらいたい思いでされているのに”敵対組織”の方とは、法論とかの話し合いをされないのは、相手を選んでいるわけで、日蓮大聖人の教えに反する事だと思いますが?・・・

妙観講に元顕正会員が多いのは、顕正会に対して重点的に法論を仕掛けているからだと思います。
何処の組織でも同じですが”身内”には優しく親切に接するのは当たり前だと思います。
自組織に敵対する言動があれば、破伏の名の下に、悪口罵詈の発言もありな組織としての有り方は、異常だと感じますが。
 
ご存知かも知れませんが、妙観講員の個人サイトですが、中立な立場で見てもどっちもどっちの誹謗発言などが応酬していて、妙観講員の信仰者としての節度ある言動は?と考えさせられると思いますが?・・・

「富士大石寺へ帰ろう」
http://hpcgi1.nifty.com/imei/raib.cgi

831プロムナード:2005/10/28(金) 16:38:39
メッセージ書いて下さり有難うございます。取りあえず私はゴジュカイを受けたのが、今年の10月2日です。だから日が浅いから、まだ妙観講の裏の部分が見えていません。スイマセン。そして10月12日に顕正会の上官に、顕正会を止めて、日蓮正宗の妙観講の方に改宗しました!!の報告をしながら、顕正会の上官にハシャクしました。その時点で顕正会の活動を退転しました。で、何で妙観講に入る思いになったのは、ホケチャンネルの顕正会対妙観講の映像を見て、日蓮正宗に行こうと思いました。たまたま妙観講のホームぺージを見ていたら、電話番号が在って、お問い合わせしてアポを取って、10月2日にその今の上官に在って、多分、普通はホウボウ払いしてから、ゴジュカイを受けると思いますが・・・私の場合は、ホウボウ払いをしないでゴジュカイを受けました。やはりホウボウ払いをしないでゴジュカイを受けた事が不思議になりません。

832プロムナード:2005/10/28(金) 16:54:31
『ただ妙観講に対して敵対しをしている団体は、魔が来たから、近付かないようにはしていますが・・・折伏・破伏・法論をして、日蓮正宗以外の方に幸せになってもらいたい思いでされているのに”敵対組織”の方とは、法論とかの話し合いをされないのは、相手を選んでいるわけで、日蓮大聖人の教えに反する事だと思いますが?・・・』その文に対しては、私の文章能力が低く明確に伝わらかった事をお詫びします。【ただ妙観講に対して敵対しをしている顕正会は、魔が来たから、近付かないようにはしています。妙観講は顕正会に法論しましょうとの案内をしているのですが、顕正会は妙観講に法論をしない!!と言う感じで、顕正会はいつも逃げ回っている事を報告したかった訳です。一応、私の班では、創価学会や顕正会に対して、ハシャク活動はしています。

833プロムナード:2005/10/28(金) 17:05:34
「富士大石寺へ帰ろう」と言うサイトは、私の知り合いの方が運営していると思います。だから、普通の日蓮正宗の妙観講以外の方々は、どのように、御奉公とかやっているのでしょうか?アドバイスをお願いします

834プロムナード:2005/10/28(金) 17:28:55
メッセージ有難うございます。そのサンコの質問に置いては私にはニュウコウした日にちが浅いので、説明が出来ないので、私の上官や先輩に相談をしてみます!!【他寺法華講員から妙観講さんへの一考察一、創価学会・顕正会ならいざ知らず、通常の法華講では、会合にて講頭さんが指導を行うことはあり得ない。元からの慣例として講頭は「挨拶」御住職は「指導」となっている。それを一昨年より「挨拶」を「激励」にしても良いという宗務院からの指示が出て、「激励」と言う言葉を使う事が増えてきたが、「講頭指導」等と言う言葉を使用する等あり得ない。ところが妙観講さんでは大草さんが「講頭指導」を行っているそうです。二、また、妙観講さんでは内徳信仰者(御本尊様をお受けしていない方)も、世帯数に数えているが、本来の法華講では「御授戒」を受けても「御本尊様をお受けしていない方」は、世帯数に数えない。そもそも折伏をしても御授戒を受けさせることはさほど困難では無い。御本尊様をお受けさせる事が困難なのである。それを内徳信仰者を世帯数に入れると言う特殊なルールを適用しているのは、数を追うためと言われても反論できないと思われる。三、また創価学会員からの帰伏者は観誡を受ける必要があり、それが終わってから、自宅の御本尊を拝んで良いというのが、化儀であるが、妙観講さんでは「観誡願」に署名をさせると同時に、自宅の御本尊を拝して良いと言う特殊化儀を適用している。これも二と同様に困難さを回避するための易業化では無いでしょうか?上記、大石寺化儀違反はどのように説明するのでしょうか?】取りあえず私の妙観講の今後の出方は大石寺化儀を違反しているのですから、間違っている事を訂正したら良いのですが・・。大石寺化儀を違反となれば、段々日蓮正宗の教学と色んな事で妙観講独自の教学になって、日蓮正宗の破門に成った正信会や学会や顕正会のような末路をたどるかもしれません。今の時点では、日蓮正宗の妙観講以外のお寺さんとかは、どのような御奉公をやっているのですか?お願いします。そして妙観講はどうして日蓮正宗の仲間なのに叩かれいるのでしょうか?その原因を教え下さい。お願いします

835プロムナード:2005/10/28(金) 19:21:25
あのサンコの質問と【下記の事を私の上官では無く、富士大石寺に帰ろうのサイトに投稿して、管理人の答えを聞きます。※多分、このサイトは私の知り合いが運営しています。で顕正会の法論に対して、映像や音声の所がありますよね・・・!!私の妙観講の知り合いですが、なんと直属の班長でも在り、私の上官が映像で写っています。そして私の班の先輩方も!!だから直接、上官に聞かなくても、富士大石寺に帰ろうのサイトの管理人に聞けば、間接的に、私の本名を知らないで解答の答えが解ると思います=何処の組織でも同じですが”身内”には優しく親切に接するのは当たり前だと思います。自組織に敵対する言動があれば、破伏の名の下に、悪口罵詈の発言もありな組織としての有り方は、異常だと感じますが。ご存知かも知れませんが、妙観講員の個人サイトですが、中立な立場で見てもどっちもどっちの誹謗発言などが応酬していて、妙観講員の信仰者としての節度ある言動は?と考えさせられると思いますが?・・・】

836プロムナード:2005/10/28(金) 19:44:33
富士大石寺へ帰ろうのサイトの管理人の投稿サイト発言が、私も見て妙観講のフォローを入ろうと考えましたが・・・。明らか管理人の言葉遣いが下品ですし、汚いです。だから場合によっては妙観講を捨てて、別の日蓮正宗の寺に行く事を考える必要が在るかも知れません!!でも今の所は、普通の妙観講の本部の会合の時や私の質問に対しての解答メールや指導の電話は上官や先輩は親切に普通に対応してくれます。だから、私の事をばらさないで、富士大石寺へ帰ろうのサイトに下記の質問をぶつけ、それを管理人がどう答えかが気になります。もし訳が解らない解答だったら、上官に話を、日蓮正宗の他の所に移り信心をしたいです!!と言う事も考えます。その場合は、何処が良いのでしょうか?アドバイスをお願いします。

837ラキ:2005/10/28(金) 20:11:38
>833
日蓮正宗の妙観講以外の方々は、どのように、御奉公とかやっているのでしょうか?アドバイスをお願いします

私の知ってる範囲で説明させていただきます。

1)朝夕の勤行は基本ですが、寺院支部にての唱題行や行事の参加。
自分自身の確りした信心をできるようにするのが観心と言われております。

2)御奉公にもいろいろありますが、各自でできる範囲でする事を教わっております。
行事等の手伝いや、寺院の清掃などです。

3)教学の勉強は、寺院での法話が主だった勉強になりますが、正宗発行の書籍で独学で学ぶ事しかしていません。
教学に付いての質問は、先輩ではなく、所属寺院の僧侶から教わるのが基本と言われています。
また、御書の勉強に関しては、日顕上人の指導があり、その指導に沿って末寺の僧侶が檀家に教えるとの事で、末寺住職が勝手に御書講義とかはしないと言われました。

4)折伏に付いては、(1)の自己の信心が確りできるようになってから、地道に唱題を重ねて相手を思う気持ちで、時間をかけて対話して行くようにと教わっています。
顕正会見たく結果を競うのではなく、本当に救いたい気持ちで、5年10年と時間をかけて折伏して行く姿が大事だと。
現在の宗門では、年間1名の折伏実践を教えていますが、結果重視ではなく、折伏をする事で自分自身も学ぶ事ができ、成長できるので、唱題根本の自行化他の実践を行うように言われています。

身内と身内ではない方の接し方に差があるのは、菩薩の眷属のする事ではないと私は思っています。
信心をしてるのなら分け隔てがない行いが大切ではないかと感じております。
古い法華講の信心強情な方を近くで見ておりますが、学会員だろうと、他の宗教を信仰していても、言葉使いや親切な行い、態度を見ていると、とても立派な方と尊敬しています。

838犀角独歩:2005/10/28(金) 20:23:41

わたしはまるで妙観講など庇い立てする気はありませんが、829の投稿はたしかに、石山末寺法華講の感覚であることも、十分わかります。しかし、そんな大草さんに重職を与え、いまの活動方向を黙認しているのは阿部さん本人であるわけでしょう。ですから、それに異論を唱えることは阿部さんに異論を唱えることにならないのか?という疑問があります。

また、「観誡」ということについて、一言すれば、わたしが正式に創価学会を脱会し、法華講に移講した段階では、「観誡」という儀式はありませんでした。平成2年のことです。「観誡」が行われるようになったのは平成4、5年以降のことであったと記憶します。

あと、妙観講以外の法華講がどうやって、石山を護持してきたか、そんなことは各末寺が日々運営できるのは、法華講の供養、寺院護持なくしてできるはずがありません。法華講は、末寺にあって寺院を護り、石山に対しても赤誠を尽くしてきたから、今があります。

先祖伝来の法華講、殊に大石寺法華講において700年来、その地域にあって、大石寺を護り続けてきたからこそ、今があります。
徳川時代には、徳川の庇護があって、今があります。
戦後は創価学会の外護があって、大石寺の発展があったのも動かしがたい事実です。

喧嘩別れしたあとは、歴史から葬り去るようなやり方が〝カルトっぽい〟ということでしょう。

なお、妙観講が法華講として認められるようになったのは連合会入りした以降のことであって、現在でも、その地位は法華講でなく理境坊の預かり信徒団体に過ぎないのではないでしょうか。それとも、いまは理境坊法華講として認可されたのでしたか。

いずれにしても、世間一般の批判、また、当掲示板で語られてきた石山教学と本尊に関する議論を無視してなされる他を省みないこの有様こそ、まさに当スレッドのテーマであるカルトっぽさを露呈していることを指摘しています。

ここで妙観講、法華講を名乗って議論をするのであれば、「弘安2年の戒壇の大御本尊」の正当性を証明してからにしてください。

以下は、もっとも簡潔にまとめたわたしのページです。
このハードルを越えてください。

『何故わたしは、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html

839犀角独歩:2005/10/28(金) 22:45:44

ラキさん、一言申し上げておきます。

当掲示板、830に紹介されるような子どものチャンバラのようなお飯事は、次元を異にしています。お子様の喧嘩をここに持ち込むような導入はどうかと思います。

さかずき一杯、コップ一杯程度の規模お飯事教学と集団事情の退屈な議論はここでは下らないのでやめにしましょう。

840問答迷人:2005/10/28(金) 23:50:49

今日、可笑しな話を聞きました。

僕は、所属寺院(一応、お盆と正月の案内は貰っているので、所属している事になっているのだと思います。)では、除名処分相当の待遇なんだそうです。罪状は、日顕師に直訴の手紙を書いたからだそうです。僕が書いたのは、例のクロウ裁判で、宗門が控訴していたときの話。『勝ち目は無いから、今のうちに取り下げて和解した方が、傷口が大きくならなくて済みますよ、もう馬鹿馬鹿しいことはお止めになった方が良い。』との趣旨の手紙を出したわけです。そうしたら、宗務院の庶務部副部長さんが「宗門の方針と異なる考え方をしている人には講頭をしてもらうわけには行かない」という話が有って、住職から役職を降りるように勧告された訳です。「それは『罷免』という事ですね」と問ったら、「そうだ」と住職が言うので、「分かりました。「そうしたら、みんなの前で、『罷免する』と公表してくださいね」と言ったら「了解」と言う。このような経過で僕は講頭を罷免されたわけです。

そして、程なく、宗門は、クロウ裁判の控訴審を和解して取り下げたわけです。当然、一言ぐらい、挨拶があるかな、とも思いましたが、なしのつぶて。だんまりを決め込みましたね。

そして、その住職が地方に配置換えになった後、現在の住職が赴任してきました。そして、なんと、『除名相当』の待遇なんだそうです。

僕は戒壇本尊が日蓮聖人の出世の本懐でもなんでもない、只の模刻本尊だと判ったときから、寺院参詣は一切していませんから、別段、除名処分でもなんでも一向実害は有りませんが、宗門のこの体質には困ったものだと思うばかりです。

都合の悪い事を言われると、問答無用で、切って捨てる体質は良くないですね。もし、宗門の僧侶が掲示板を見ておられたら、感想をお聞きしたいものです。

841ラキ:2005/10/29(土) 00:13:45
独歩さん。
御忠告ありがとうございます。

842プロムナード:2005/10/29(土) 00:22:38
【注意=ゲイカ様を批判すると全てに置いて大聖人様及び御歴代のゲイカ様を批判する事になります。そしてゲイカ様を批判すれば、無限地獄に堕ちる事は避けられません。だから日蓮正宗の事を批判しないようにしましょう!私は何で日蓮正宗に信じたのかと言うと顕正会の信心・二回大きな学会の対論を通して、教学上の三証がしっかりして、そして仏法僧の三宝を在るのは、日蓮正宗がだけしか無い事を気付き、ここで信心しょうと思ったわけです!!後、先輩達の話を聞いて、私のゴジュカイの日に成仏のソウを写真で見る事が出来る指導用のビデオを見て、成仏のソウが現象で在るから、日蓮正宗妙観講は正しいのだ】と思いました。何で妙観講員の事を批判するのですか?ホンモンカイダンの大御本尊様に着いては、私の持っている本を引用して後で説明します。そして私の場合、携帯だからパソコンようの大きいサイトは見える事ができません。悪しからず・・・

843藤川一郎:2005/10/29(土) 01:03:55
>>また、「観誡」ということについて、一言すれば、わたしが正式に創価学会を脱会し、法華講に移講した段階では、「観誡」という儀式はありませんでした。平成2年のことです。「観誡」が行われるようになったのは平成4、5年以降のことであったと記憶します。

横レスです。絶対に「観誡」を受けなければならないようになったのは、創価学会員が信徒資格喪失になった後です。つまり平成9年以降ですね。そこで宗務院の院達が出ていると思います。ご本尊を拝んで良い、拝んではいけない等も全て大日蓮に出ていました。その内容をどこかでHPにアップしていた人がいたように記憶しますが、面倒くさいので誰か探してください(笑)。

844藤川一郎:2005/10/29(土) 01:10:22
ついでに、愚見を申し上げておきますが、掲示板の投稿を他の掲示板に貼り付けたりする行為は、余り好ましくは無いと考えます。その掲示板での投稿はあくまでその掲示板にて行うのがネチケット(ネット上のエチケット)だと考えます。

845ラキ:2005/10/29(土) 02:36:13
「大白法」平成17年10月1日号に「勧誡式」の記事がありましたので参考までに。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/753/678.htm


創価学会員への 折 伏 教 本から

http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/sokagakkai/shakubuku_kyohon/395.html

日蓮正宗総本山大石寺 日蓮正宗入門より。
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/newmon_newshin.htm

846問答迷人:2005/10/29(土) 06:34:42

プロムナードさん

>ゲイカ様を批判すると全てに置いて大聖人様及び御歴代のゲイカ様を批判する事になります。

僕も、そのように教えられてきましたが、そのように教え込み、洗脳するのがカルトの特徴だと言う事に気が付いたと申し上げているのですよ。プロムナードさんの発言は、改めて日蓮正宗がカルトっぽい宗教だと言う事を示してくださった訳です。

847犀角独歩:2005/10/29(土) 07:52:40

プロムナードさん

> …ゲイカ様を批判…大聖人様及び御歴代のゲイカ様を批判する事になります

そうはなりません。重要なことは、なぜ自分がそのように考えるようになったかということです。つまり、教え込まれ、信じ込まされたという心理操作によって、そう考えるようになった自分ということをよく見つめてみることです。

> ゲイカ様を批判すれば、無限地獄に堕ちる事は避けられません

「無限地獄」ではなく「無間地獄」といいます。
また、これもこのようなことはありません。
このように特定個人批判に教務を懐き、罪状があるように‘思い込ませる’ことをマインド・コントロールといいます。

> 日蓮正宗の事を批判しないようにしましょう!

いえ。日蓮正宗には大きな間違いと嘘がありますから、批判をしなければなりません。

> 教学上の三証がしっかり…三宝を在…日蓮正宗がだけしか無い

これはまったく嘘です。そのように信じ込んでいるだけでしょう。
日蓮の確実な遺文を読まず、薄っぺらな資料と先輩の話を鵜呑みにした浅はかな結論でしょう。

> 成仏のソウが現象

これは何の話ですか。遺体を写したビデオのことですか。
では、成仏とは何でしょうか。死んだときに色が白くなり、軽いことですか。体が柔らかいことですか。そうであれば、日蓮正宗における成仏は死んだときにしかないのですか。死んだときにしかない成仏が、日蓮の目標ですか。

> 日蓮正宗妙観講は正しいのだ

これは組織崇拝でしょう。日蓮を信じるはずが妙観講、もしくは日蓮正宗という団体を崇拝をするようにすり替えられています。このように本来、信じるものを信じせせるように見せかけながら、特定の集団、個人を信じるように‘すり替えてしまう’仕組みをマインド・コントロールといいます。

> 何で妙観講員の事を批判するのですか?

わたしは妙観講などという石山の一部分に過ぎない団体を云々しているわけではありません。学会を含む石山、顕正系、妙観講等が信仰の対象にしている本尊が、日禅授与漫荼羅を原本として臨模・作為された彫刻であり、言われてきたような弘安2年10月12日の出世の本懐でも何でもない後世の模造品であるといっているのです。そのようなものをもって、あなたを含めて、信者を欺くことを停止するべきだと言っているのです。
あなたように嘘に振り回される人を減らすためです。

> …大きいサイトは見える事ができません。悪しからず

「悪しからず」ではありません。見ないことでしか成り立たない思い込みは、事実を確認できません。ネット喫茶でも、PCを持っている友人のところにでも行き、自分の目で確認してから議論を続けることです。

あなたの書いていることは、既に議論が終わったことです。ただ、時折、あなたのように操作され、思い込まされ、振り回される人が迷い込んでくるので申し上げているだけです。あなた自身のために見ることを進めているのに過ぎません。

848犀角独歩:2005/10/29(土) 08:32:25

以下は、わたしの知人、パスカル師が記した『親は何を知るべきか』というカルト批判の本に載った整理です。操作されている人は反対者の与える情報は見ることはせず、自分が信じている集団指導者の情報しか見ないものですから、プロムナードさんが以下の文章を読む正常心を保持している可能性は低いと思えますが、資料として挙げておきましょう。まず、G・ジンバルドー師の整理を挙げましょう。
これでも、あなたが治まらないようであれば、さらに「カルト」という心理状態下にある人の特徴を、継続して挙げていくことにしましょう。

■破壊的カルトの八つの特徴

世界中の専門家は破壊的カルトの特徴についてだいたい似たような説明をしますが、アメリカのスタンフォード大学の社会心理学者フィリップ・G・ジンバルドー博士は、次の八つの特徴があると分析しています。(参)P36

1.グループの中で指導者は自分自身を崇拝させ、特別な使命をもっていると教える。

【プロムナードさん】あなたは、「ゲイカ」を崇拝させられています。
崇拝するのは日蓮であるはずなのに、いつの間にかゲイカ=日蓮大聖人と操作されています。このような教義は日蓮聖人の教義にはありません。

2.指導者は自分と教義に対して絶対的な服従を求める

【プロムナードさん】あなたは「ゲイカ」に対して絶対服従を記しています。

3.指導者は大きな権力をもち、しばしばカリスマ的である。それによってメンバーたちに魅力を感じさせ、彼らの行動を管理する。

【プロムナードさん】あなたは、どのように考えなければいけないのかを‘管理’されています。また、「日蓮正宗」「ゲイカ」「妙観講」を批判してはいけないと操作されています。

5.グループの本当の目的を隠している

【プロムナードさん】あなたの所属する団体の本当の目的は何でしょうか。

6.人の善意を利用する

【プロムナードさん】あなたの善意が利用されています。

7.メンバーたちはいろいろな活動を通して、一心にお金を集めています。しかしこのお金は決してその目的のために使われていません。指導者のもとに集められるか、組織の拡大のために使われています。もちろん、この現実はメンバーたちに知らされていません。
【プロムナードさん】御供養は神仏に捧げるものです。しかし、あなた方が出すお金は神仏に届くことはありません。その名前を騙る組織指導者のものになっています。神仏は金銭を欲しません。金銭を欲するのは常に人間です。

849犀角独歩:2005/10/29(土) 08:32:47

―849からつづく―

8.破壊的カルトは人間の五つの基本的欲求を満たしているように感じさせる。

 1.身の安全の欲求

【プロムナードさん】あなたは、いま妙観講にいることで身が安全であると錯覚していませんか。

 2.所属の欲求
…グループの一員になることによって他のメンバーと強い連帯感をもつようになります。
【プロムナードさん】あなたは、このような連帯感を信心と勘違いしていませんか。


 3.社会的要求
…自分が指導者と一体となれば非常に役に立つ人間になると思う…破壊的カルトはメンバーたちにこのような欲求が満たされていると感じさせます。

【プロムナードさん】あなたは、このような錯覚を懐いていませんか。

 4,精神性の欲求
 …自分の弱さを癒されたいのです。宗教はその精神的な支えになります。これを利用して破壊的カルトは、「私たちは本当の宗教です」とか「本当の真理をもっています」とか言って勧誘します。

【プロムナードさん】あなたは、何かを信じ込まなければいられない自分の弱さを、自分より大きな組織、指導者を信じることによって、自分自身が大きくなったと錯覚していませんか。また、あなたがいま信じている内容は、本当の宗教、本当の心理と‘信じ込まされた’ことではありませんか。

 5.依存の欲求
 子どもは両親や先生に頼ります。そして親にほめられると安心します。両親には、子どもの安全と幸福に責任があります。大人になっても多くの人は、無意識のうちに善良な親に依存したいと感じているといわれます。
破壊的カルトの指導者はこうした親の役割を果たすのです。メンバーたちは、指導者に頼れば人生と幸福とを保証してもらえると信じます。一方、指導者は独裁者と同じことをします。私に頼ればすべての欲求を満たすことができる、ただし私だけに従わなければならない、という交換条件を出すのです。そのやりとりのなかで気づかないうちに、個人の自由が失われます。

【プロムナードさん】あなたにとって、この5.は、特に当てはまっていませんか。
あなた個人が失っている自由が何であるのか、それすら考えられないほど、あなたは操作されています。あなたが失った自由、それは自由に考える、自由に考えることができるという精神の自由です。

850犀角独歩:2005/11/09(水) 08:40:11

妙観講別院なるものが、大石寺にできたと聞いたのですが、この詳細について、どなたかご存じの方、いらっしゃいますか。

851ラディッシュ:2005/11/09(水) 09:48:44
妙観講別院を知った所でどうされるんでしょうか。

852犀角独歩:2005/11/09(水) 12:23:56

> 851

そんなことを問われる理由も答える必要もありません。
情報を得ることはわたしの自由意志に属します。

853藤川一郎:2005/11/09(水) 12:29:35
>>850
「妙観講別院」では無くて「理境坊別院(出張所?)」のことだと思いますが!
それなら、大石寺の近く(無理すれば歩ける距離ですが、車で移動した方がベター)に出来たようですが。
趣旨は分かりません。

854犀角独歩:2005/11/09(水) 13:59:11

藤川さん、有り難うございます。
なるほど、これのことですか。

855維摩:2006/05/05(金) 02:04:12
初めまして。横レス失礼します。

私は 元妙観講員でしたが現在は信仰しておりません。

独歩さんが質問されている内容ですが
「理境坊出張所」です。
一番初めの出張所は 千葉県松戸にできました。
何でも、妙観講の本部会館が手狭になったためという理由のようです。
その後 大石寺の近くにも設けられました。

しかし、これらの施設ですが、ある石山僧侶が
「理境坊出張所という名前だけれど、大石寺のものではない。実質的には妙観講の会館だ」
と言っていました。

この辺の詳細がはなはだ疑問です。

妙観講員は、この「理境坊出張所は後に寺になる」と言われ、信じているようです。
「寺の開基檀那になれるなんて、なかなかないチャンスだ」と御供養を集めています。

856犀角独歩:2006/05/05(金) 07:15:15

維摩さん

情報、有り難うございます。
「開基檀那」は代表ですから、献金した全員がなれるわけではありませんね。
石山系では、会から、所属寺院から、さらに本山からもと三重に「供養」という名の寄付を求められてたいへんだと常々思います。創価学会は、石山との関係を絶ったために、このうち、所属寺院・石山への拠出がなくなり、会員の負担は軽減し会員は、これだけでも離間を喜んでいるという話がありました。

857大縫薫:2006/05/05(金) 16:29:23
 妙観記念館(院)の別院は福岡県大牟田市にあります。
日蓮正宗の場合は地方に在住している信徒の拠点道場を別院という形で建立して
そこを活動の道場として、行事のある度に指導教師(住職)が出仕致します。
 本院とは別に別院を構えている寺院の住職はその別院のある地域の寺院に相当
気を配り活動していると、聞いた事があります。
 日蓮正宗信徒(法華講)は夫々に縁故の寺院に所属するのが基本で、その方の
在住している地域の寺院に所属しなければならないわけではない見たいです。
 山梨県の寺院みたいに全国に信徒がいる寺院は特に有名ですね。

858大縫薫:2006/05/05(金) 16:39:05
 あと、日蓮正宗では平成21年の立正安国論奏上750年に向けて信徒獲得の
折伏を展開しているみたいですが、信徒を受け入れる事が出来ない寺院もあります。
香川県の三豊市の本山本門寺さんは、檀家以外は一切受け入れが出来ない特殊な事情
もある寺院もあります。
その他の寺院は折伏をして信徒獲得をしなければいけない寺院は今必死に活動をして
いるのが、実情みたいです。

859維摩:2006/09/26(火) 21:21:39
独歩さん お久しぶりです
>「開基檀那」は代表ですから、献金した全員がなれるわけではありませんね。
これは初耳です。
「開基檀那になれるチャンスだから ご供養をしましょう」
とは妙観講の指導です。
ということは「開基檀那」が代表者なら 妙観講講頭だけが「開基檀那」になるということでしょうか?
妙観講員は そんなこと知らずに 貯金をしてご供養していますが・・・
このことを知ったら妙観講員は可愛そうですね。
また、このたび 法主が変わりましたが その前に「特別ご供養」というのがありました。
何でも宗門の更なる興隆のためとかでしたが、ふたを開けると
67世法主の隠居部屋の改築のための集金であったようです。
この「特別ご供養」は、供養すれば下だけの功徳が…との事だったのですが
事実を知って残念です。
私は 経済的理由で 特別ご供養を払えなかったので ある意味良かったのではないかと思います。
本当に信じてご供養してしまった信徒さんはかわいそうですね。

大縫薫さま
おっしゃるとおり、平成21年には立正安国論の奏上750年法要を大々的にやります。
そのため 登山者を増やすべく勧誘活動に力が入っているようです。
特に妙観講は 法主が引用した立正安国論の一節の「この一凶を禁ぜんにはの一凶は
当時は念仏であったが 現在は創価学会である。創価学会を破折するよう」とのお言葉がありました。
信徒は真面目に信じて 学会叩きに奔走しています。
妙観講のある講員は 複数で学会会館に乗り込み討論しています。
ある種の血は流さないまでも「宗教戦争」ではないかと・・・

860犀角独歩:2006/09/27(水) 07:10:19

859 維摩さん

お久しぶりです。
開基檀那という考えは、そもそも、現代的な発想ではないでしょうね。いまでいえば、さしずめ「願主」と言ったところではないでしょうか。たとえば、かつて創価学会員800万信徒375億円を集めて、(その金額を全部使ったかどうか? 使わなかったと言われている)建立された正本堂は「池田大作」が願主であり、供養者(代表)となっているでしょう。もっとも、この建物の基底部には、その無名の供養者の名前を永久に顕彰するために『正本堂供養者名簿』が埋納されたということでした。この名簿、今回の立て直しでいったい、どうなったんでしょうか。地下はそのままという石山のアナウンスを聞いたような記憶がありますが、当の建造物を破壊した段階で、永遠の顕彰も嘘だったことになったわけです。

要は、何か供養を募るときに、「あなたの名前が残る」というのは、石山常套の‘キャッチフレーズ’だというのが本質です。

余計なことですが、会員が金を拠出し、その願主は代表となり、さらに、ゼネコン体質というのは、バックマージンには、その代表に権利あり、さて、奉安堂といい、今回の建造といい、そのようなものがあったか・あるかどうか、わたしはキャッチフレーズに踊らされる愚を、石山の現場で、まだ繰り返されることを、ただ嘆かわしく思うばかりです。会員の供養心は純粋でも、それを扱う側が、そうであるとは限らないというのが、この手の構造であることは考慮されるべきだと考えます。

861とんちきちゃん:2009/03/02(月) 18:20:22
妙観講及びO草高騰は、盗聴裁判で敗訴しているのにホームページで反論していますが見苦しいですね!!
カルト丸出し!!

862北斗☆:2009/04/27(月) 02:33:26
初めてレスさせて頂きます。

思いっきりカルトだと思います。

昨日、「犀角独歩」で検索したら出て来る出て来る…

大石寺圏信徒による、独歩さんへの悪口のオンパレード。

間違いなくカルトです。

863北斗☆:2009/05/01(金) 06:26:28
皆様こんにちは。

連レスになりますし、ある意味「死について」トピと重なる部分もあるとは思いますが、完全にカルト発言している法華講信徒を見つけたので、こちらにレスしたいと思います。

>投稿詳細
[59]
4月30日 18:15
>大白法にありますが、神戸市長田地区は、学会員が多い地域です。また、法華講も多いです。
実際、学会員のほとんどが、怪我や亡くなっています。
法華講は、退転者以外は助かっています。
 
これについて大聖人様は、「一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」(最蓮坊御返事・御書642ページ)にある通りです。

敵対勢力は、罰として「死」を。

身内は「助かる」

なんて話じたいが、もはやカルトですよ。

864幻論乙坊:2009/05/01(金) 22:24:52
北斗☆さん
はじめまして、幻論乙坊と申します、宜しくお願い致します。

私はこちらでは既に何度も記しておりますが、言われる所の宗教と言うものを一切信仰した経験が
御座いません。

ある特定の宗教を指して「カルト」だとおっしゃる所が私にはもう一つよく理解できないのです。
カルトではない宗教と言うものが存在するのでしょうか?
(私からすれば全ての宗教はカルトだと思えるからです。)

北斗☆さんのカルトの定義を御教示戴けますでしょうか。

865北斗☆:2009/05/02(土) 15:15:53
>864幻論乙坊さん

はじめまして。

えと、私のカルトの定義はこれを元にしています。

>19世紀から20世紀の変わり目の頃、ドイツのマックス・ヴェーバーやエルンスト・トレルチなどの社会学者、神学者による説では、キリスト教団体を「教会」(各国の主要な教団)と「セクト」に分ける類型法があった。セクトは既存の教会を批判し、宗教的により正しい生き方を目指して分派した小規模団体であると定義した。このような教会とセクトの分類は、キリスト教世界内の団体間の緊張関係に着目している。
なお、1950年にアメリカの社会学者のハワード・S・ベッカー(Howard Saul Becker) は、非キリスト教的なスタイルを持つ新興団体を新たな類型として含め、これを「カルト」と定義した。


>ヨーロッパにおいては「カルト」という言葉は用いられず、社会的に警戒を要する団体を、「セクト」と呼ぶ1。
1995年12月、フランスの下院(フランス国民議会)で採択された報告書『フランスにおけるセクト』は「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針の一つとされている。この報告書は、調査委員会の委員長の名前を取って『アラン・ジュスト報告書』ともよばれている。
この中で、セクトの本質を「新しい形の全体主義」と定義した上で、以下のように「セクト構成要件の10項目」を列挙している。
・ 精神の不安定化
・ 法外な金銭的要求
・ 住み慣れた生活環境からの断絶
・ 肉体的保全の損傷
・ 子供の囲い込み
・ 反社会的な言説
・ 公秩序の攪乱
・ 裁判沙汰の多さ
・ 従来の経済回路からの逸脱
・ 公権力への浸透の試み
以上の項目のいずれかにあてはまる団体をセクトとみなしている。


特に、フランスのを私は重視しています。

日蓮正宗は、5つ位当て嵌まるのではないでしょうか?

866幻論乙坊:2009/05/06(水) 12:05:58
北斗☆さん
先ず、お返事遅れました事、申し訳御座いません。

そう言う定義だったのですか。
私はカルトとは
1.信仰、儀式、祭礼。2.崇拝、(一次的)流行、・・・熱
新クラウン英和辞典  昭和48年発行

又、
宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持。大辞泉

で見られる定義を用いていました。
言葉の意味も時間空間で変化しますね。

現時点、存在する既成仏教の宗祖と言われる方々で当時、異端者扱いされていた方もいましたね。
この10項目に相当数触れていたのでしょう。

ですが、その既成仏教も相当年数以前にカルトとは定義しないようですね。

ここで見られるカルトの定義は数の論理の様ですね。

私は全ての宗教はカルトだと思っておりますが、確かにここでも示されておりますが、
私が宗教団体に属したとしたら「精神の不安定化」を来す事でしょう。

街中でよく「縁結び」「諸芸上達」「無病息災」「厄除祈願」「商売繁盛」等など
を掲げた看板をよく見かけますね。
それら看板を指して、世間の方たちは苦言を呈しません。
メディアでも「商売繁盛で知られる・・・」や「縁結びの神様で知られる・・・」等と報道しますね。
その神仏による、ご利益が真実、有るかどうかも検証されていないにも関わらず、その様な報道をし、又、世間もその報道を受け入れますね。

毎年、正月になれば有名な神社仏閣に於いて、多くの参拝者がお賽銭を投じます。
それら神社仏閣に出向き祈願してもらったり又、賽銭を投じる行為は一般ではカルト的行為とは言いません。
が、私にはカルト的だと映ります。

私は数で定義せず、自ら信じ得ない思想・哲学は「カルト」的だと思えるんです。

自ら信じているその思想・哲学に組しない他者はカルト的と映るでしょう。
が、そこに身を置いている方々は自身の言動をカルト的だとは自覚していないでしょう。

人は皆、カルト的でないと言えるだろうし、カルト的だと言えるかも知れませんね。

(人は皆、カルト的だろうなあ)

是全幻想

868顕正居士:2009/05/10(日) 09:46:28
破壊的カルトとは何か
http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/sub4-1.htm

今、日常に使う「カルト」は「破壊的カルト(destructive cult)」の意味で、宗教社会学の
用語(価値判断はしていない)とは無関係です。90年代からアメリカで使われるようになり、
ただし欧州では同じ意味でセクトを使います。新興または分派の教団で相当ていどに
反社会的、反文明的な傾向のものという感じです。
したがって列挙された諸特徴に多く当てはまる、あるいは単に多くの人が破壊的カルトだ
というものがそれであり、操作的定義です。ですから規制などを行なう場合は教団名列挙
であり、むづかしいのは線引きです。

869北斗:2009/05/11(月) 20:22:01
>866:幻論乙坊さん

私も、返事が大変遅れました。申し訳ありません。


>私はカルトとは
1.信仰、儀式、祭礼。2.崇拝、(一次的)流行、・・・熱
新クラウン英和辞典  昭和48年発行
又、
宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持。大辞泉


まぁ、世間的にはこう見る方々が大半ではないでしょうか。


>現時点、存在する既成仏教の宗祖と言われる方々で当時、異端者扱いされていた方もいましたね。
この10項目に相当数触れていたのでしょう。
ですが、その既成仏教も相当年数以前にカルトとは定義しないようですね。


即成仏教が出来た当時に、私が基準にしているフランスの報告書があれば、それはカルトと言われていたかも知れません。

しかし、即成仏教がカルトならばこの現代までは生き残れなかっただろうと私は認識しています。


>私は全ての宗教はカルトだと思っておりますが…


う〜ん、カルトでしょうかね?
その判断は個人の自由だとは思いますが…

私の基準からいけば、そうとは言い切れないと思います。


>毎年、正月になれば有名な神社仏閣に於いて、多くの参拝者がお賽銭を投じます。
それら神社仏閣に出向き祈願してもらったり又、賽銭を投じる行為は一般ではカルト的行為とは言いません。
が、私にはカルト的だと映ります。
私は数で定義せず、自ら信じ得ない思想・哲学は「カルト」的だと思えるんです。


自ら信じ得ないから「カルト」的ってのは、ちょっと…
「カルト」の拡大解釈では?。

870阿佛棒:2009/11/02(月) 02:12:29
カルトというのは便利な言葉ですね。
カタカナ言葉でははっきりしないので。
カルトとは即ち

異端。

です、日蓮系はマルキ印が多いのが悩みの種
しかし狂は聖に通ずるともいうし困ったものだ。

もうすこし丸くなって欲しいもの。
人に迷惑をかける時点でもうダメ、というのは日蓮系全てに言えるが
当の日蓮がいまだにこりず候
なので治らないだろうなとは思う。

救いとか成仏拔きにしても人に迷惑をかける人にはソレ相応の報いあり。

872樽之助:2012/03/10(土) 17:44:52
日蓮正宗と関係が深いのは中国マフィアが絡む大麻ビジネスだと言われています。

大草一男が講頭をしている妙観講では大幹部を中心に組織ぐるみの麻薬販売ルートが摘発され、大幹部が逮捕され実刑判決を受けています。

それから『創価学会の麻薬ビジネス』なるものは、創価学会と敵対関係にある日蓮正宗の機関紙『慧妙』の記事であり、ノリエガ将軍と池田大作が面会したことを強調し、また、池田大作の秘書(通訳)が大麻常習者だったことを殊更に強調したものであって、日蓮正宗妙観講のように組織ぐるみで大麻を売りさばいていた訳ではありません。


因みに僕は日蓮正宗でもなければ創価学会でもありませんから、あしからず。

873通りすがり:2018/03/21(水) 16:54:26
基本的に全て(笑)

874通りすがり:2021/02/24(水) 14:31:40
勉強になった


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