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創価学会法華講正信会顕正会妙観講等はカルトっぽいか

101三学無縁:2002/10/11(金) 20:01
菊水護国さん

>いやいや「現時における事の戒壇」なら問題はありません。
>「広宣流布の暁の戒壇」とは一言もいってませんよ。

>「・・・大本尊即ち「爾実不滅度常住此説法」で主題の妙法が法で日蓮御判が人で人法一箇であり
>御本尊まします処が義の戒壇(事の戒壇と言うべきも論議上今は道本が義と唱えるのである)・・・」
>(弘安二年大曼陀羅と日興師・松本道本著)
>以上のように、本来は「御本尊まします処」が事の戒壇ですから、達師の説法に問題があったとは思えません。

でも、この考え方は、一致派の理壇論、即是道場論ですよね。
正宗大石寺が国立戒壇論を主張していたときには、他の日蓮系のそのような戒壇論を、真っ向から否定破折していました。
理壇論、即是道場論は不相伝の輩のたわごとである、と。
またまた正宗大石寺の矛盾がでてきちゃいましたね。

102犀角独歩:2002/10/11(金) 20:10

100 菊水護国さん:

これはちょっと無理があるでしょう。

第一、「現時における」というのは「今の段階ではそうで、将来は変わる」という未来の変更を示唆しています。それに対して、「広宣流布の暁」というのは未来完了でしょう。

現時は、いまは事壇で未来は違う。
暁は、いまは違うが未来は事壇。

この差は歴然としています。だいたいもって、「現時における事の戒壇」てなんですか。現時における事の戒壇ならば、その段階で事の戒壇でしょう。ところがそうじゃないという、こういう屁理屈を「詭弁」というのです。達師が学会と妙信講に挟まれた結果、苦し紛れに上げた悲鳴でしょう。

> 「御本尊まします処」が事の戒壇

これは寛師教学の二重性を敢えて無視して弁明に使っていますね。菊水護国さんらしからないですよ。

寛師の教学で、そりゃ戒壇之漫荼羅があるところを事の戒壇という、それはしかし、他の義の戒壇に対した場合です。この場合、本門戒壇義は含みません。戒壇未だならず、です。しかし、広宣流布の暁・本門寺改称後に建つ事壇は、このような相対論ではない。本門戒壇の意義を含んだ、事の戒壇です。即ち三大秘法総在の事の戒壇でしょう。

前者と後者、同じ事の戒壇であっても意味は違う。こんなこと、寛師教学の基礎じゃないですか。達師をかばう気持ちはわかりますが、こんな子供だましを言ってはいけませんよ。

「現時における事の戒壇」を認める寛師教学など、存在しません。
こういう言い逃れを達師がした恥ずかしさは反省して訂正することが潔いのです。
時の猊下であろうと間違うことはあります。

103犀角独歩:2002/10/11(金) 20:15

99 三学無縁さん:

> カルト論ではなく、セクト=チャーチ論で考えたほうがよいかもしれません

これは宿題として、少し考えさせてください。

104三学無縁:2002/10/11(金) 20:17
103 犀角独歩さん

はい、こちらもいただいた宿題は溜まりっぱなしですので。

105犀角独歩:2002/10/11(金) 21:33

102の自己レス

戒壇について、日蓮は述べずに終わった、と私は思っています。

日蓮滅後、そのために戒壇を考える教学的動向は起きていったのでしょう。
その中で戒壇については理壇(漫荼羅安置の所が戒壇)、それに対して、事檀(戒壇堂の建立)を言うようになったわけですね。事檀で言う戒壇とは建造物としての堂宇を言うわけですね。

ところが寛師の言う理壇・事檀は、ここに戒壇之大曼荼羅を戒壇堂本尊に据えた理論構成になるので、それまで理・事では説明しきれないことになったわけです。これが義戒壇・事戒壇ですね。

理・事でいう事戒壇、義事でいう事戒壇は意味が違うわけです。ですから、他日蓮門下で言われる事檀に、もう一重(義・事)事檀を言っているわけです。


理・事戒壇と義・事戒壇、なんだかややこしくて、どこが違うのだと言いたくなります。
簡単に言えば、理・事の事檀は堂宇の建造を、義・事の事檀では漫荼羅を問題にしているわけです。

だから、漫荼羅を中心に義・事を言えば、戒壇之漫荼羅が事で他は義で、本尊安置のところが戒壇(理壇)、しかし、戒壇堂建造まで含めれば、国主帰依・戒壇之漫荼羅安置という条件を満たして戒壇(事檀)と事檀の事檀を言っているのが寛師なんではないでしょうか。

もちろん、これは戒壇之漫荼羅絶対論の立場の話で、この寛師説が正しいなんて、話ではありません。けれど、この寛師戒壇論から言うとき、正本堂とまで銘打って堂宇を作って、その中に戒壇之漫荼羅を入れた上で、「現時における事の戒壇」なんて詭弁を弄するべきではないと言うのが、私が書いたことです。正“本堂”の建立でやったことは、既に事檀の事檀の条件を満たしてしまったわけです。もちろん、実際は「国主帰依」の条件を満たされていません。けれど、この意義の改変までやってしまったんだから、もう言い訳は聞かないでしょう。

まだ、「本門寺に改称していないから」なんて言い訳は立たないわけです。本門寺に改称していないのであれば、本堂は建てちゃいけないし、「××の事の戒壇」なんて言ってはいけないと言うのが、石山の伝統であったからですよ。

しかし、誤解がないように記しておきますが、こんな石山で言われきた戒壇論は、もともと北山が二箇相承をもって言ってきたことであって、石山とは実際は関係のないことであったと言うことです。

…ややこしいですね、まったく。

107ガンコ:2002/10/11(金) 23:20
独歩さんへ。

やや言い訳めいたことを書きますが、あれは純粋な顕正会員の感想です。
それ以前にどなたかsunyaさんの批判をされてましたでしょう。浅井の本の丸写しだ
みたいな・・・。わたくしは浅井の本を熟読してますので、微妙な違いは感じ取って
いたつもりです。けれども昭和45年以降の記述は同じにしか読めなかったものです
から、そう申し上げたまでです。それに対するsunyaさんのご説明は実にすばらしい
ものでした。

108犀角独歩:2002/10/11(金) 23:38

ガンコさん:

私は浅井さんの熱情は好きですよ。それはたしかにここ過去50年ぐらいしか通じない石山義であったとしても。しかし、実際は日蓮の教えはもっと深い、仏法は更に深いんですね。国立戒壇云々なんてそんな浅薄なことはどうでもいいほどです。戒壇が建ったって、なんにも変わらないわけです。たかが建物です。建物が建って、世の中が変わるのであれば苦労は要りません。それなのに浅井さんは息張っていますね(笑)そんなおまじないみたいなことをsunyaさんが書くはずはないんですよ。あれだけ、通仏教に通じられているわけですからね。

この点をsunyaさんは熟知されている。ガンコさんは「浅井さんすばらしい」範囲でsunyaさんを見ているかも知れませんが、sunyaさんが言いたいことは、そんなちんけなことではないんですよ。

はっきり言って、私は顕正会は嫌いです。でも、sunyaさんの見識は高く評価します。だから、おままごとみたいないま顕正会で言われている日蓮教学“みたいなもの”でsuunyaさんの言っていることをわかった気になると、大事な部分の多くは見えずに終わってしまいますよと私は言いたかったわけです。

私たちはガンコさんが知らない、まあ、文章に書くと訴えられたり、命に関わるようなことを、本当にたくさん知っているのです。そんな現実の上で、訴えられない、命に及ばない範囲で書いているだけです。

しかし、もっと現実は甚だ深いのですよ。そんな現実にそろそろガンコさんも気付いてほしいと思います。

109ガンコ:2002/10/12(土) 11:10
独歩さん

仰られていることは理解しているつもりです。「なにもわかっちゃいない」と言わ
れればそれまでですが・・・。

池田会長は「戒壇建立は形式に過ぎない」と言っていると思いますが、あれは確か
39年だったのではないでしょうか。考えてみると変な話です。数年後には仏教三
千年史上空前の偉業だなんて言うのですから。
浅井は、形式だとか記念碑だとか従の従といった池田会長の発言をみて、なんて信心
のない男なのだろうと思ったのでしょう。
そして戒壇建立の重大意義がまったくわかっていないと。
ですからのちに学会側の思惑を見抜き、欺瞞であるとして弾じたのでしょう。

独歩さんもまた戒壇建立は重要でないと仰る、そして浅井の情熱は認めるが教学は
認めないと仰る、それに早く気付けと仰る、・・・どのようにお返事申し上げて良いか
わかりません。

浅井は好きだが顕正会は嫌い? わたくしのような無知蒙昧な顕正会員をお嫌いなの
でしょう。
じゅうぶん命に関わること仰ってますわよ(笑)。

110:2002/10/13(日) 00:15

しばらく、ごぶさたしていました。ですから、話の流れが、わかっていませんが……、

「命にかかわる」ですか。恐ろしい宗教ですね。本心から言ってます。
この掲示板の皆さんは、私が知らない、命にかかわるスゴい裏を、知っていらっしゃるのでしょう。
私は石山系を見ていて、「こりゃ、ヘタなことを言うと、命にかかわるな」と思うことが時々あります。

命にかかわるような恐ろしいを宗教を、よく、広宣流布だなんて、人に勧められるもんだ、と思います。

111犀角独歩:2002/10/13(日) 10:42

109 ガンコさん:

ちょっと、誤解があるようですが、私は戒壇建立を重要なことと思っていません。
建物が建っても何も変わらないことを知っているからです。

それと石山で言われてきた戒壇建立は天皇が帰依をして建てる建立なのであって、学会がいう民衆立、顕正会の言う国会決議は、逸脱したものであるというのが言ってきたことです。

しかも、浅井さんの言うことは、まるで学会2代の戸田さんが言うこととほとんど同じで、40年前のリバイバルで退屈だと言ってきたわけです。

また、浅井教学はほとんど戸田教学と変わらない。しかし、その戸田教学は日蓮の祖意から懸け離れたものであることを、ずっと書いてきたつもりです。

それと浅井さんが好きなのではなくて、その熱情には好感が持てないこともないという意味です。

なお、「無知蒙昧の顕正会員」を嫌いなどと言うことではありません。
ガンコさんをそのようにも思っていません。
けれど、無知蒙昧は間違った結論しか見出せないし、自分で考えることを放棄すれば、そのツケは必ず払わなければならないときが来ます。たとえば、私のようにです。
また、各会の会員は、ガンコさんは私にどんな印象を懐くかは別として、私も敬愛する日蓮を仰ぐ意味で、同じ仲間であると思っているわけです。そこには憎しみも悪感情もありません。ただ、私が言っているのは「それは日蓮が言っていたことと違う」、この1点だけです。

「坊主にくければ袈裟まで憎い」式に自分たちに反対するものは、人格まで攻撃してしまうように躾る団体に所属すると、この点は見えないかもしれません。間違った(と自分たちが考える)相手は、正しい(と自分たちが考える)自分たちを憎んだり、嫌ったりしていると思うことは、その会から刷り込まれた固定観念に過ぎません。

私はそんな「刷り込み地獄」から生還した数少ない生き残り組なのです。

112犀角独歩:2002/10/13(日) 11:15

私は鈍いので、あさんの書き込みを読むまで、ぴんと来なかったのですが、要するにガンコさんは、私の「命に及ぶ」と脅しているわけ。それはそれは(笑)

113ガンコ:2002/10/13(日) 14:12
独歩さん

数々のご無礼をお許しください。つたない知識でわかったような口を利きましたこと、
深く反省いたします。

わたくしは御遺命守護の戦いを実地には知りませんし、はじめは本を読んでもピンと
きませんでした。ところが創価学会から顕正会に入ってくる方たちはものすごく感銘
をうけるみたいです。特に年配の人がそうなのです。
独歩さんの書き込みを読んでいて思ったのですが、学会では戸田門下生と言うでしょう、
もしかしたら真の戸田門下生とは池田氏ではなく浅井なのではないか、すでにそういう
指摘をなさる方もいらしたような記憶があります。

戒壇に関しては異論があります。国会の議決というのは「勅宣・御教書」のうちの御教書
に約して言うのであって、勅宣を否定する意図はありません。それどころか浅井は、
必要欠くべからざる手続きと言っています。もちろん歴代上人に国会の議決をもって
戒壇建立の条件とする御説法はないでしょう。ですが、勅宣も必要なし国会の議決も
必要なしとする学会の民衆立と顕正会の国立戒壇を同一徹のように仰るのは納得でき
ません。
さらに申し上げます。(これは菊水護国さんにもお伺いしたいですが)浅井は守護付属
の上から日本には「本有の王法」とも言うべきものがあると言います。これが歴代上人
の御説法に基づくものかどうか今のわたくしにはわかりませんが、いずれにしても
国主帰依=天皇帰依を念頭においていることは間違いないと思います。

114犀角独歩:2002/10/13(日) 19:01

113 ガンコさん:

> 学会の民衆立と顕正会の国立戒壇を同一徹

いや、そうではなくて、民衆立は後天的な変更なのであって、元よりとするところは類型をなしていると言うことです。

たぶん、ガンコさんが言いたいことは、勅宣、御教書のうち、学会は片方で、顕正会は両方であるということでしょう。しかし、この変更は実は、学会であっても、池田さんにおいて、後天的なことであるということです。

以下、富士の所伝に基づいて記します。

さて、顕正会において、私はこの二つを満たせば、広宣流布とするという考えは、もっとも重要な富士の所伝を欠いていることを指摘しておきます。

それは何かといえば、「目師再天奏」ということです。
勅宣、御教書は国側の話ですが、富士側に最も重要な条件です。それは目師が再来して、天奏をするという条件です。これは目師にあらずんば、その資格なしという極めて厳正な条件です。有名な我師『申状見聞』に

「目上御遺言に曰く 此の申状不奏せずして 終に臨終す 此の土の受生所用無しと所用雖も 今一度人間に生れ此の状を奏す可し 若し此の状奏聞の人未来に於て之れ有らば 日目が再来と可し知る」
(日目上人の御遺言にいわく「この申状を天皇に奏することなく、ついに臨終する。本来であれば、蓮興の相伝を受けた自分は臨終ののちは成仏して、霊山浄土に赴き娑婆世界に生まれる必要はないのである。けれど、今一度、人間に生まれて、この申状を天皇に奏しよう。もし、未来において、この申状をもって、天皇に奏するものがあれば、その人を日目の再来と知りなさい」)

つまり、「目師が再来して、申状を天皇に奏する。それによって天皇が帰依する」という目師による天皇折伏が実はもっとも重要な条件なのです。この意味において、勅宣・御教書は、その副次的条件に過ぎません。

目師の再来、さらに目師申状の再奏がなされていない現在、在家分が、勝手に勅宣・御教書を騒ぐことを「僭越」というのです。この点において、学会も顕正会も、目師を飛び越えて、国立戒壇を唱えることを誤りであるというのです。

また、血脉両抄の意を持てば、

「広宣流布の日は上行菩薩は大賢臣となり・無辺行菩薩は大賢王と成り・浄行菩薩は大導師となり・安立行菩薩は大関白或は大国母となり、日本乃至一閻浮提の内一同に四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしめんのみ」

現代語に書き下す必要もないでしょう。また、この四菩薩につき、この前文に

「日興先をかくれば無辺行菩薩か・日朗後にひかうれば安立行菩薩か・日蓮大将ならば上行菩薩か・日目は毎度幡さしなれば浄行菩薩か」

とあります。広宣流布の時は日本国だけでなく一閻浮提一同に南無妙法蓮華経と唱えるというのです。広宣流布の暁に国立戒壇というのであれば、全世界一同に題目を唱えることが条件と言うことでしょう。さらに四菩薩の関係を整理すれば、

上行菩薩 =日蓮=大賢臣
無辺行菩薩=日興=大賢王
浄行菩薩 =日目=大導師
安立行菩薩=日朗=大関白・大国母

となります。ここ数年で、顕正会は広宣流布し、国立戒壇を建てると豪語しているそうですが、では、その時まで全世界の民衆が題目を唱えるのでしょうか。四菩薩の変化(へんげ)人たる蓮興目朗は既にこの世にいますのでしょうか。大導師・目師は大賢王・日興に再奏するのでしょうか。この時の天皇は日興の再来であり、首相は日蓮の再来であり、また関白・大国母に当たる何らかの役がいまあり、それが日朗の再来なのでしょうか。

以上の条件を果たしているとガンコさんはお考えですか。このような点を隠し、人心を煽るいまの顕正会を、私は不正直というのです。

この意を如何にお考えになりますか。

115菊水護国:2002/10/13(日) 21:53
富士の伝説で言えば、未だ日目上人は天奏の途上なのです。
旅の途中の目師は広宣流布の時「天奏を果たし」帰ってこられます。
それまでの法主は伝法目師の留守居役であるから、勝手に動けないのです。
法主ですらそうですから、在家をいわんやです。
天皇御帰依だけで済めば、すでに「広宣流布」は果たされている可能性もあります。
数人の陛下が入信していた可能性はあります。
しかし、広宣流布はしてないのです。
浅井さんは「時を待て」と云う事を重視しながら、「勝手に時を定める」という自己矛盾をしているのです。

116犀角独歩:2002/10/13(日) 22:13

115 菊水護国さん:

そのとおりですよね。
それに「日本一同」じゃ駄目なんですね。
なぜならば観念文にあるとおり、目師「一閻浮提の御座主」ですもの。
まさに「日本乃至一閻浮提一同」でなければならないわけですね。

まさか浅井さんが目師でも、他の三師でもないわけですから、浅井さんが決めて善いことは何もないわけです。

ここのところ、国立だとか、民衆立だとかと言った議論が続いていますが、二箇相承に随えば、国主立ということになるんでしょう。しかし、私は血脉抄の意に従えば、これは「四菩薩立」ということになると思います。それは以下の一文によって、そう思うわけです。

「四大菩薩同心して六万坊を建立せしめよ、何れの在所為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可き者なり時を待つ可きのみ云々…日蓮在御判」

117菊水護国:2002/10/13(日) 22:38
>116
上記には同意します。
また四菩薩についても独歩さんの言われる

上行菩薩 =日蓮=大賢臣
無辺行菩薩=日興=大賢王
浄行菩薩 =日目=大導師
安立行菩薩=日朗=大関白・大国母

で云うとしても、目師が最初に現れなければ仕方ないと思います。
その時には、それぞれの立場でその他の菩薩が現れる事になるんですから。
いずれにしても、大導師となっている以上、僧侶から目師が現れる事になるでしょうから、
在家から目師は現れることにはなりませんね。
目師で無い以上、越権行為は良くありませんね。
もっと云うと「国立」「民衆立」どのような方法でも、目師が定めると考えても良いと思います。

118ガンコ:2002/10/14(月) 12:52
独歩さん、菊水護国さん

たいへん驚いています。富士の所伝によれば・・・一国広宣流布の時に戒壇を建立するのではありませんでしたか?
すなわち近代の御上人は国立戒壇云々、それ以前には天子将軍御帰依あって云々、国主此の法を立てらるれば云々と。
一閻浮提広宣流布の時に戒壇建立とははじめて聞きました。たぶんお戯れで仰られたのでしょうけど、もしそうでないのでしたらもう少し詳しく教えていただかないと、とても信じられません。

四菩薩についても驚いています。顕正会では長らく三菩薩しか教わっていませんでした。上行、無辺行、浄行をそれぞれ大聖人、日興上人、日目上人と。
なぜ安立行菩薩については誰も知らないのだろう? 幹部に聞いても誰も知らないのです。
ところが昨年でしたか、浅井は四菩薩について言及し、ついに安立行菩薩がどなたであるかを示しました。
すなわち上野殿であると。やや意外な感じを受けましたが・・・
独歩さんの資料が正しいとすると、浅井は安立行菩薩が日朗では具合が悪いので故意に替えてしまったのでしょうか? これはショックです。
日蓮=大賢臣も驚きです。記憶がはっきりしませんが「大聖人様は戒壇の大御本尊様におなりになったのだから、もうお出ましにはならない」と聞いたように思うのです。
これも常住此説法の御本仏様が大賢臣では具合が悪いということでしょうか。

「僭越」とのご論難は浅井のもっとも畏れるところであると、わたくしには思えます。
広宣流布は大聖人の御力によってなされる・・・我々はそのお手伝いをさせていただいているとか、顕正会は日目上人の露払いを申し上げていると言うのです。浅井の姿勢はきわめて謙譲であろうと思います。
ただし現宗門を師敵対と断じ、もう顕正会以外に広宣流布のお手伝いを申し上げる者はいないと繰り返し言うことは、大いに反感を買うことでしょう。そこに「僭越」「逸脱」あるいは「分派独立指向」の論難が生じるであろうことも、承知しているつもりです。
顕正会は存立基盤が不安定ですから「顕正会以外になし」を強調して組織の引き締めを図っている、そういう止むにやまれぬ事情があることをここの皆さんなら容易に理解されると思います。
組織の独自性をアピールしたい、けど過剰であれば叩かれる。あれ? なんだか妙観講のこと言ってるみたい。ごめんなさい。
話が流動的になってしまいました。

菊水護国さんにご質問いたします。「勅宣」は必要ないのでしょうか? 創価学会に言わせれば時代錯誤もはなはだしいということなのでしょうが、右翼でいらっしゃるあなたなら勅宣は必要とお考えなのではありませんか?
質問の発しかたがやや失礼かもしれませんけど、なにとぞお許しくださいませ。

119犀角独歩:2002/10/14(月) 14:07

ガンコさん:

私が挙げた資料は、従前のものです。何もいじっていません。
ところが顕正会はそれを好きなように「解釈」しているわけです。
この点は学会はさらに著しい。その真ん中に立って、言葉を右に左にしてきたのが石山です。

これは駄目です。「一閻浮提一同」も文献に残る動かし難い事実です。
また、日蓮=大賢臣も、安立行=朗師もそうです。戯れ言ではありません。挙げた文献の如きです。

なぜ顕正会では全文資料も、全文御書もないのか、その理由はこんな所にあるわけです。私がいつも顕正会員に「真面目に勉強しなさい」というのは、このことです。
組織が資料を言いように解釈することに騙されるな、原文に当たれというのも同様です。
目師とは、一閻浮提御座主たる大導師に、頼みもしない露払いなど、無用です。
御座主とはもちろん石山住持(いまは猊下などと言いますが)を指すことは勿論です。
日蓮が「上行菩薩の魁(さきがけ)」などの表現を使った物真似をして、勝手に自分の役割を決めることを僭越というのです。いま、いずこに目師が再来され、顕正会に指示でも出しているというのでしょうか。

富士の義に従えば、目師の再来はまさに仏意でしょう。日蓮の御命をそれを勝手に騙り、人を動かす愚を私は文献を挙げて論じているのです。

以上のように富士の所伝の範囲で論じても、その浅はかさは闡明となる、この点をよくよくお考えください。

120菊水護国:2002/10/14(月) 15:04
> 菊水護国さんにご質問いたします。「勅宣」は必要ないのでしょうか? 創価学会に言わせれば時代錯誤もはなはだしいということなのでしょうが、右翼でいらっしゃるあなたなら勅宣は必要とお考えなのではありませんか?
質問の発しかたがやや失礼かもしれませんけど、なにとぞお許しくださいませ。

本門寺の戒壇建立の時には、当然勅宣は必要ですよ。そんなことは常識です。王法の主たる帝の御帰依無くして、戒壇建立はありえません。
ただし、帝御一人が御帰依しても「詔勅」は発せても「勅宣」は無理なのです。
詔勅は天皇陛下御一人の御意志で発せられますが、勅宣は帝と文武百官の意思が必要なのです。

また戒壇について「兼日の治定、後難を招く」ともあります。
治定とは「じじょう」と読みますよ。どこかのM講みたいに「ちてい」と読んではいけません。
御治定は天皇陛下の御意志ですよ。勅の必要性も、不必要性も治定の範疇です。
伊勢の遷宮でも「御治定」と「勅使」は発せられます。
つまり浅井さんや戸田さんの論は「今上陛下」に対して、僭越の極みなのです。
独歩さんは富士義で論じましたが、私は帝の名の元に論じます。
「勝手な、治定は下克上の行いにして、国賊の極みなり」。

121犀角独歩:2002/10/14(月) 15:40

菊水護国さん:

この目師(浄行)再来時の天皇(大賢王)は興師となるわけですね。そして、大賢臣・日蓮の意をももって成就していくということになるのでしょうね。ここに関白・朗師も連なり、四菩薩御談合がつまりは勅宣・御教書ということですね。

また、この広宣流布論というのは一閻浮提の中心は大日本国であるという前提にも基づくのでしょうね。

現代の人たちが訊けば、ぎょっとしますが、ここには厳然として尊皇護国論が生きているわけですね。この基を為すところに本地垂迹説も生きているのであろうと思います。

顕正会は勅宣を言わぬから学会が駄目というわけですが、これはつまり、条件を満たさず勝手解釈が遺憾という意味ですね。しかし、より原義が見れば顕正会のいうことも原義の条件を満たしていないわけです。この点を確認することは大きな意義があったと思います。如何でしょうか。

122菊水護国:2002/10/14(月) 17:09
>また、この広宣流布論というのは一閻浮提の中心は大日本国であるという前提にも基づくのでしょうね。
現代の人たちが訊けば、ぎょっとしますが、ここには厳然として尊皇護国論が生きているわけですね。この基を為すところに本地垂迹説も生きているのであろうと思います。

仰るとおり、世界の中心に帝を据えるという考えはあったと思いますよ。
だからと言って、戦中の石原将軍のように武力で制圧せよとは違うとは思いますがね。
独歩さんの仰るとおり、確かに現代から見れば、ギョッとするのは分かりますが、そもそも天皇と言う称号にも、中華思想の皇帝とは違う、八紘一字、万世一系の意義があると思います。
なお「古神道は蘇る」という書籍の中にもあったように万世一系は血縁の事ではありません。
なお、この間櫻川さんから、最近浅井さんが「日本の天皇を世界の中心にする」(趣意)と言う発言があったと聞きましたが、これとて結構的を得ている考えとも思われます。

なお、学会は勅宣を言わないのは当然です。池田さん以降のあの会には浅井さんと正反対の「天皇制廃止」のテーゼが内在されていたと推察しております。
そうでなければ間違っても自分を「現代の有徳王」と模すような池田さんの発言は出来ないのであって。

123犀角独歩:2002/10/14(月) 20:52

> 戦中の石原将軍のように武力で制圧せよとは違う

いや、私はこんなふうには思っていません。

そんな形で日蓮主義が悪用されたことはあったにせよ、血脉両抄が意味するところはそうではなかった。だって、大導師・目師(浄行)が天奏する相手は大賢王・興師(無辺行)のわけでしょう。その補佐たる関白・朗師(安立行)、大賢臣・日蓮(上行)の四菩薩による広宣流布、事壇建立という台本は、つまり王仏冥合を意味するのであって、この大賢王は、当然、出家となるでしょうし、関白、大賢臣も出家して本門寺上行院を建立して、政務も司ることを意味しているであろうと観察します。これは元来、完全な非武力を意味しています。しかし、この時、反対勢力が武力を持ってくれば、それに対して、大賢臣は「寧喪身命」を尽くすことを有徳王(興師)・覚徳比丘(蓮祖)としてまで、考えられていることは血脉抄の紙背にあるわけでしょう。

ここでは大賢王・関白・大賢臣・大導師は元より決まっており、その四菩薩が一時に現れて広宣流布、事壇建立するというのが血脉抄のいうことです。

その仁にあらざる者が、軽々に広宣流布・事壇建立を語るなど僭越だというのが、この相伝が言いたいところでしょう。

要するに、このような富士戒壇論達成のシナリオは、在家が不自惜身命の赤誠を尽くすと勝手に言う顕正会の浅井さんの錯誤とは、ぜんぜん別の次元であるわけです。

> 池田さん以降のあの会には浅井さんと正反対の「天皇制廃止」

こういった観点も可能ですが、学会は創価王国で池田さんは「庶民の王」を自称。要するに天皇制廃止と言うより、自分が庶民の王=天皇という自覚でしょうね。それがまた、自分を頂点にした“民衆立”の意味でもあるのだと私は観察しています。
これまた在家分が勝手に語る広宣流布ということでしょう。

まあ、もちろん、以上のことは富士の所伝が、本来、意味していたことを素描したのであって、私がそれを指示していると言うことではもちろんありません。

また、以上のことは石山に係ることでもないと私は思っています。理由は至って簡単で、二箇相承は重須の文書、血脉抄は尊門の文書であり、これらは石山とは何ら関係ないからです。この点は、以上の原意の次に来る問題であって、この点は、詳しく問答名人さんと語らってきたとおりです。まあ、この点は菊水護国さんは異論はあるでしょうが(笑)

124ガンコ:2002/10/15(火) 19:26
独歩さん、菊水護国さん

一閻浮提の広宣流布を待って戒壇を建立すべし・・・この類文はあるのでしょうか? 重要法義であるならばたくさんあるはずでしょう。
わたくしはあくまで日本の広宣流布の暁に本門寺の戒壇は建立されるべきと思います。阿部管長=日顕上人の「国主立」にしても学会の「民衆立」にしても「国立戒壇」にしても、それ以前の富士義にしても、それぞれの主張に誤差はありますが日本の広宣流布という視点においてはあまりかわらないと思います。
ようするに他門はさておき当門流においては戒壇建立を重大事とするわけでしょう、ですからいついかなる時に建立すべきか、たくさん御指南があるわけです。

僭越ということを浅井はもっとも畏れると書きました。もう少し言うと浅井はそうした批判を気にしているのです。
かつて妙観講の新聞にでかでかと出ましたでしょう、一閻浮提の座主気取りは止めよ、とかなんとか色々あったと思います。
これは浅井にとってはまったく心外でして、そのような批判が強まるにしたがって浅井の講義講演は言葉の一つ一つにまで気を配って、つまり誤解を生じないように慎重を期している、そのようにわたくしは感じています。
ですから、浅井は会員に日目上人の再誕だと思い込ませようとしている、などと言われればたいへん気にするわけです。
露払い云々はこうした事情の副産物であって、もしこれとても僭越と言うなら浅井は二度と使わないことでしょう。浅井の心中をお察しいただけたらと思います。

勅宣の要不要を論ずるのは僭越である・・・これはそうかもしれません。しかし経緯を踏まえてほしいのです。当時、学会は民衆立をうたって勅宣を時代錯誤と罵っていたし、宗門もそれに同調したのでしょうか建築許可証があれば勅宣は不要とするかの論を展開していたのです。
つまり宗門に皇室を軽んずるかの風潮があったのではないでしょうか。ですから敢えて言わせていただくならば、浅井は猊下の意に背いたけれども皇室に対しては忠の者であったと言えまいか、と思うのです。

宗門において逆賊との汚名をきせられ、今また国賊と言われてしまってはもはや立つ瀬がありません。

なるほど、これがカルトということなのかもしれませんね。
やや自嘲ぎみにそう思いました。

125無徳:2002/10/15(火) 23:55
横レス失礼します。

これは質問になりますがご存じの方にご教授願いたいと存じます。

確か、戦後に天皇は人間宣言を成されたのですよね、まあ、天皇自らの意志で
は有り得ないでしょうが、少なくとも人間天皇となられたわけですから現在時
点で勅宣を天皇の名において発するわけには原理的にはいかないように思われ
ますが如何なものでしょう。(勅宣とは天使の詔を意味しますから現在の天皇
は天使では無く人間天皇ですからそのように私は考えます)

とすれば、顕正会が主張するように戒壇建立の際に勅宣を求めるとすれば現憲
法変えざるを得ないように思います。

もしそうだとすると勅宣なる語彙に時代錯誤を感じるのはやむを得ないように
も思われますが如何なものでしょう。

126犀角独歩:2002/10/16(水) 07:14

124 ガンコさん:

> 一閻浮提の広宣流布を待って戒壇を建立すべし・・・この類文はあるのでしょうか?

では、逆にお尋ねしますが、「日本の広宣流布を待って戒壇を建立すべし」という類文がどれほどあるというのですか。

二箇相承の「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」は広宣流布とはなっていませんね。また三秘抄にしても「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」というも、ここには「広宣流布」の言葉は見えませんね。

単に国主帰依、王法冥仏法・仏法合王法で戒壇建立を言うばかりでしょう。これを広宣流布と勝手に解釈しているのに過ぎないのではないでしょうか。

> 重要法義であるならばたくさんあるはずでしょう。

そうですか。では、戒壇の大御本尊に関する類文はたくさんあるのでしょうか。
三大秘法は重要法義ですが、どれだけ類文があるのでしょうか。
重要法義ならばたくさんあるというのは勝手な想像でしょう。

> わたくしはあくまで日本の広宣流布の暁に本門寺の戒壇は建立されるべきと思います

証拠はなんでしょうか。また、日本の広宣流布というのは何を根拠にその成就と定めるのでしょうか。ガンコさんの勝手な己義に過ぎないのではないでしょうか。

> 浅井は猊下の意に背いたけれども皇室に対しては忠の者

忠とは正法を勧めるをもって「忠」でしょう。
どのような形で皇室に勧めたのですか。また、目師にあらざる浅井さんが、どうやって、そのような忠を示せるのですか。

真偽未決ながら、当体義抄に「如来の滅後後五百歳中広宣流布の付嘱」とあります。

そもそも、浅井さんはいかなる付属、いかなる資格をもって目師の代わりを務めるのでしょうか。

ここのところ、いわゆる石山義に基づいて記述していますが、その範囲で考えても、どうにも承伏しかねるわけです。

ガンコさんは自嘲は当然のことであろうと思います。

127犀角独歩:2002/10/16(水) 07:16

125 無徳さん:

いまの時代に「勅宣」を言うのが時代錯誤なのではなく、条件が整わないいまの時代に戒壇建立を言うこと自体が時代錯誤なのでしょう。

128犀角独歩:2002/10/16(水) 07:37

○ポイントは勅宣・御教書にあるではなく“王仏冥合”にある

私は三秘抄の真筆たることを信じません。しかしながら、富士義は、この真筆であることを根拠に広宣流布・戒壇建立を言っています。その富士の言説に基づいて、この三秘抄を考えてみます。

三秘抄に

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」

この一文をもって「勅宣だ、御教書だ」という議論に終始しています。
しかし、この文は勅宣・御教書に力点があるのではなくて、「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持」つ、すなわち“王仏冥合”に力点がある文章でしょう。

先の議論で「日本国一同」か「日本国乃至一閻浮提一同」でガンコさんは拘りを見せたわけですが、結局、いくら勅宣が下ろうが、御教書が下ろうが日本(乃至一閻浮提)一同の条件が整わなければ戒壇建立の条件を満たしていないわけですから、空手形に過ぎないわけです。

同様に王仏冥合をせず、勅宣・御教書がでたところで、そんなものは空手形に過ぎないわけです。民衆レベルの条件が日本(乃至一閻浮提)“一同”であれば、その国王・為政者では王臣“一同”が条件となりましょう。すなわち(はなはだ現代にはそぐわない一文ですが)「上一人より下万民」に至るまで“一同”に三秘密の法を持(たも)つことが戒壇建立の条件なのであって、その結果、当然の如く下されるのが勅宣・御教書に過ぎないわけです。

すなわち、王仏冥合なき勅宣・御教書は空手形である。
三秘抄の教えは王仏冥合であることを忘れ、民衆レベルで事を進めようとしている点で、学会も顕正会も、この王仏冥合を反故にしており、同轍であると私は思うわけです。

以上、富士義に基づいて記しました。

130犀角独歩:2002/10/17(木) 11:40

菊水護国さんの話の腰を折るようで悪いのですが、「天」と「神」は、同じ deva という語の訳語であることが知られています。つまり、同じ意味です。

岩本裕師の解説を載せます

天子 ―― デーヴァ=プトラ devaputra の訳。この語はインド最古の文献である『リグ=ヴェーダ』では「神(deva)の子(putra)を持つ」という意味に用いられ、天地(dyavaprthive,rodasi)の修飾語とされる。しかし、その後この意味には用いられず、西暦紀元後になって文献に見える場合は常に「天(deva)の子(putra)」の意味とされる。その初めはカニシカ王などクシャン(貴霜)朝の諸王が照合に用いたのに始まるが、この時代に中央アジアを媒介として古代中国文化と接触し、その「天子」思想がインドに伝来したものと考えられる。Levi,S:Devaputra, Jounal Asiaique,tome CCXXIV, No1(1934)所載参照。仏教およびヒンドゥ教の聖典でも「天の子」の意味であるが、漢語の「天子」のように国王を意味することはなく、天に住む神霊ないしは鬼霊の一種とされる。(岩波文庫『法華経 上』P377)

ただし、現人神、天子云々ではなくて、三秘抄に基づいて事檀を言うのであれば、当たり前のこととして、勅宣なしなんてことは言えるはずはないという点では、私は菊水護国さんに賛成です。

それにしても現人神って、凡夫(人)本仏という表現と似ていますね。
人を神仏に見立てることには、私は反対です。

131菊水護国:2002/10/17(木) 12:16
独歩さん。
お言葉を返すようですが、私は皇国に2000年続いた、天子を論じたのであり、海外は関係有りません。
語源がどうであれ、2000年の歴史は、日本独特の天子観を作ったのです。
天子は天孫ですが、天ではありえません。
それに日本人は須らく天孫であるのが日本の思想です。
天孫の本家が、天皇家、分家が臣民と言うのが日本の思想です。
天皇家には姓がありません。分家すると分かりにくくなるので姓が発生すると言うのが日本の伝統です。

いずれにしても、現人神は「神」を表現しますが、天子は「人間」です。
人間宣言は「神から天子に帰る宣言」です。

132犀角独歩:2002/10/17(木) 19:08

131 菊水護国さん:

いや、そうではなくて、一般的には、渡来人がこの日本を制圧して国を開いた、その前の思想的系譜を示したまでです。仰る天子観は了解しています。

要するに菊水護国さんが仰っているのは「人王」のことでしょう。
しかし、日蓮の天皇観は人王に限りませんね。この点は『神国王書』の如くです。

漫荼羅に「天照大神」とあります。天皇観の一環ではないでしょうか。まして、興師が再臨する聖天子は神(菩薩)ではないのですか。

現人神は、この際、どうでも好いのです。近代に属する話ですから。ですから、人王としてのご意見は賛同しますが、神国王の部分、また興門の聖天子観を、菊水護国さんは、どうお考えになっているんですか。

133菊水護国:2002/10/17(木) 22:48
私は広宣流布の暁に、本化聖天子が現れると思ってます。
当然、日興上人が生まれ変わるとも考えております。
それまでは、聖が付かない天子です。

神代には日蓮大聖人が天照大神として現れたとも考えております。
これが私の神観です。
天照大神は日輪であり、これが日蓮につながります。

134犀角独歩:2002/10/17(木) 23:38

133 菊水護国さん:

ここに記されるところは、まさに石山の元来の考え方ですね。
まさに民衆立など、入り込む余地はありません。
この原則から日蓮の三つの法門を考えるべきであると、私も思います。

135ガンコ:2002/10/27(日) 14:46
無徳さん、こんにちは。

勅宣を時代錯誤とするご意見について、常連の方以外に投稿がありませんので、元々わたくしが提起した問題でもありますし、わたくしなりにお答え申し上げたいと思います。
以下、見当違いのことを書きます。

わたくしは今、ほとんど折伏をしていませんので昔の話になりますが、皆さんにしたってそれぞれの組織で熱心に折伏なさっていれば経験があることと思います。
「なにぃ? 仏法? キミは頭がおかしいんじゃないの? 今の時代に神様仏様なんてバカバカしい。そりゃキミ、時代錯誤だよ。」
こんなことを何度言われたことでしょう。わたくしなりに工夫して喋っているつもりでしたが、こういう人を納得させることは一度もできませんでした。
顕正会の折伏ではなおさらそうなのかもしれません。というのは、こんなこともありました。
「自分は創価学会の話も聞いたことがあるけど、う〜んキミの話はなんていうか、妙に神がかり的に聞こえる・・・」
仏法なのに神がかりと言われて結構ショックでしたけど、おそらく今ならカルト的ということなのでしょう。まだカルトという言葉が一般化していない頃のことです。

さて、わたくしの言わんとすることが見えてきたと思います。
そもそも宗教そのものが時代錯誤なのではないか? このように考える人たちがたくさんいるという事実に対し、どのように取り組んだらよいのでしょうか。法華講でも学会でも一応それなりの模範解答みたいなものがあるのでしょうが、実際に相手を納得させるのは相当困難なことだと思います。
ようするに、教義論争のむなしさです。勅宣をどのように解釈しようとも、大聖人の仏法を信じていない人にとっては同じなのです。おそらく解釈というのは現代人に迎合するような側面を持っているのだと思います。しかし、どれほどうまい解釈があっても信じていない人にとっては「どっちでもいいよ」ということになるでしょう。
このように考えていきますと、勅宣を重視する立場もご理解いただけるのではないでしょうか。

大聖人の御法門を現代にあわないからといって、あちこち切り取っていったならば、いずれは大聖人の仏法とはまったく違うものになってしまうでしょう。
独歩さんに言わせれば、自分たちの都合にあわせて切り取ったり貼り付けたりしているのが、大石寺とその周辺グループということらしいですが。(すぐツッコミが入るので、先に言っちゃえ!)

もともと無徳さんのご質問にお答えするだけの能力などわたくしにはありませんので、おそらく見当違いのことを書いてしまったことと思います。どうも失礼しました。

136ガンコ:2002/10/27(日) 16:31
独歩さんへ。

実は反論めいたことを長々と書いていたのですが、完成直前に全文消去しました。
自分で読み返してみて、あまりにもハシタナイ文章であることにがく然としました。あんな文章を載せてしまったらお終いだと思ったのです。それこそお里が知れるというものです。

おそらくお読みになっている方は、舌足らずのわたくしにもどかしさのようなものをお感じになられていらっしゃるのではないかと思います。それぞれが、自分ならこう反論するのだが・・・といったお考えをお持ちでしょう。わたくしだってそれほどバカじゃありませんから、いろいろ考えて書いてはみたのです。
しかし、それはそれはヒドイ文章でした。相手を負かしてやろうという気持ちが支配しているうちはダメですね。

議論がかみ合っていないと感じられた方もいらしたことでしょう。実は最初からわかっていたのです。
たとえば独歩さんがいう富士義とは、北山はもちろんのこと要法寺妙本寺等を含めておっしゃるわけですが、わたくしは意地を張って知らんふりして議論していたのです。かみ合わないのも当然ですよね。
顕正会では、富士といえば大石寺、大石寺といえば富士なのです。皆さんご存知のように「冨士」というのがありましたし、「正系門家」は浅井の好む表現ですし、「富士の清流」などは法華講でも言うところでしょう。
こまかい点についてはそれこそ揚げ足取りになりかねないし、時間のムダでもありましょうから止めます。

独歩さんは議論を楽しんでいらっしゃるように見えます。だからといってわたくしがそれに甘えていてはいけない、いつまでもオママゴトにつきあわせていたらいけない、このように考えた次第です。

137犀角独歩:2002/10/27(日) 17:36

> …自分ならこう反論するのだが

この点の反論は歓迎です。途中で投げ出したり、応えなかったり、言い張ったり、論拠を挙げなかったりというズルをしない誠実なやり取りであれば、きちんと対応します。

ただし、不誠実、無礼、卑怯、人身攻撃への転嫁に関しては、私は是としません。


ガンコさん:

ともかく、真面目に勉強してみることです。さすれば、私がここに書いてきたことは容易く理解できるでしょう、事実を正直に受け入れていく勇気があれば。

自分の信じてきたもの、それに費やしてきた時間と熱意、それを否定しなければならない事態に直面しても、真実を受け入れる勇気があれば、自然(じねん)に聖人の祖意に達することが出来るでしょう。

しかし、多くの人は自己弁明と、信じてきた指導者と団体と、何よりナルシズムの虜となって、事実を突きつけられても、無視して、自分と団体の殻に閉じこもり、逃げながら、罵声を浴びせるぐらいのことしかできないものです。

そんな情けない人間にはならない人であると、ガンコさんのことを私は信じます。

以下二つのスレッドに記した内容をしっかり吟味してください。

『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=364&KEY=1015557630
『「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について』
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=364&KEY=1015334405

なお、私は議論など少しも楽しんでいません。事実を認められない卑屈な自分と日々戦い、それに打ち克って、血を墨とし、骨を筆とする気持ちでここに書き留めているのです。

138菊水護国:2002/10/27(日) 19:20
「冨士大石寺顕正会」の「冨士」の字は何故「富士」では無いのでしょうか。
浅井さんの真意はどこにあるのでしょうか。
単純に疑問を感じました。

139無徳:2002/10/27(日) 21:15
ガンコさん今晩は、

私は宗教を時代錯誤と主張する人達の気持ちはよく解るような気がします。何故かな
らば私自身が嘗てそのように思っていたからです。

今でも現代社会にそぐわない宗教は沢山あるように思えて仕方ありません。先日池上
でのミニオフ会で独歩さんともお話ししたのですが、日蓮仏法を含め仏教を時代精神
に昇華する必要があるのではないかと強く感じています。

私はこの昇華という後を現代思想用語での脱構築という程の意味に使用しました。化
学的には個体が液体となる過程を飛び越えて気体に変化することを昇華というのだそ
うです。

仏教というパラダイム(思想の枠組み)を大切にしつつ、現代社会に開かれた(適合
した)特に若い人々が納得でき得る思想運動としてダイナミズムをもったものに昇華
していかねば、嘗てのインドにおける仏教のようにヒンズー教に呑み込まれ埋没して
しまった二の轍を踏みかねないと恐れます。

確かにガンコさんがおっしゃるように<大聖人の御法門を現代にあわないからといっ
て、あちこち切り取っていったならば、いずれは大聖人の仏法とはまったく違うもの
になってしまうでしょう>との危惧もよく解りますが、時代精神に日蓮仏法を昇華す
るためには、現在の日蓮正宗のように旧態前とした在り方に固執していたり、独歩さ
んが主張されるようにカルト集団化した教団では、時代精神どころか日蓮仏法を貶め
る結果となるのではないかと心配します。

したがって、勅宣という語に拘るのではなく今という時代をどう見るのか、また日蓮
仏法の展開が現代社会において如何にあるべきなのかを深く見極めるべきではないか
と私は考えます。その意味からも現代社会においての勅宣なる語は時代錯誤的に感じ
ざるを得ないのです。

140菊水護国:2002/10/27(日) 22:17
確かに、私は化儀改変容認主義であり、時代に併せて変遷可能だと思ってます。
しかし、石山教学において、勅宣等皇室との関係は、時代不変な要素だと思ってます。
大聖人の仏法で、不変なのは「題目」と「皇室の存在」の2点だといっても過言では無いと思ってます。
そうです。
「神道と仏法の習合」の究極が大聖人仏法であり、そうである以上、天孫降臨末裔たる帝を無視は出来ないでしょう。

141アヤエ:2002/10/28(月) 12:58
しばらくぶりに訪れました。
友人が顕正会に入信してしまい「顕正会って右翼団体?!」のスレで
皆様にお世話になった者です。
友人は相変わらずです。変わらず、というよりも最近更にパワーアップしたようです。
自分が折伏した人の指導とかでかなり楽しそうに活動してるようでした。
今回ガンコさんの書き込みから皆様の解答を見て また少し顕正会の事が見えてきたように思います。
素人の私でもちょっと理解できました。ありがとうございます。
今後もロムが多いと思いますが、宜しくお願いします。

142五月雨:2002/10/29(火) 10:55
アヤエさん

お久し振りです、お元気でしたか。

>友人は相変わらずです。変わらず、というよりも最近更にパワーアップしたようです。
自分が折伏した人の指導とかでかなり楽しそうに活動してるようでした。

ご友人はますますパワーアップされていますか、これは困ったことですね(笑)
折伏した人の指導をされているそうですが、これがまた楽しい活動なのです、人の為に役に立っているという大きな自己満足を得られますので、ますます信仰にのめり込むワケです。実は私にも経験があります、これが組織のアメの部分です。ではムチの部分は何かというと、「活動しないと罰が当たる」になるでしょう。どちらにしろ組織に利用だけされているのですが、本人は全く気が付きません。
そんなお友達の姿を見て意見をしたい時もあるかと思いますが、酔って浮かれて、いま一番気分の良い時ですから、何も耳に入らないどころか「教義にもっと執着」してしまいます、これも経験者談です。
アヤエさんは賢く、また思いやりをお持ちの方ですから、その点は十二分に考慮をされておられることでしょう。どうぞいつまでもお友達を温かく見守ってあげてくださいね。

143菊水護国:2002/10/29(火) 16:16
牧口さんは「罰論」を表に出した。
戸田さんは「利益論」を表に出した。
特に戸田さんは「幸福製造機論」のように、欲望剥き出しの現世利益主義に走った。
その両者を巧妙に継承してるのは顕正会に他なりません。
もっとも、最近の若者の折伏はあきらかに「金が儲かるよ」的になってまして、戸田さんをもっとも継承しておりますが。

144アヤエ:2002/10/29(火) 16:30
五月雨さん
>賢く、また思いやりをお持ちの方ですから、
いえいえ、とんでもないです、私に「慢心してる!罰がでるから!!」と
怒ってました。何度会っても仏法をしようとしない私にイライラしてる様子でした

>折伏した人の指導をされているそうですが、これがまた楽しい活動なのです、
人の為に役に立っているという大きな自己満足を得られますので、
ますます信仰にのめり込むワケです。

そう まさに「楽しそう」でした。
仕事から離れて、久々の責任や役割に、それはもう張り切ってました。
今は黙って見守るしかないのですよね。
私の知識はネットに依存しているので、全然信用できないそうで 
まったく聞く気がないみたいです(笑)

毎日新聞からカルトに関する本を購入したので、対処法をもっと勉強します。
みなさんの意見交換はすごく参考になります。これからも宜しくお願いします。

145:2002/10/30(水) 03:18
アヤエさん、お久しぶりでやんす。
お友達を理解するために、がんばって顕正会について勉強なさってるのですね。

お友達が「あなたは慢心している!」とアヤエさん向かって言ったのですか。創価学会を離れて久しい自分には、なつかしいというか、今は意味もわからなくなってしまった、というか……。
石山・用語集でも欲しいところです。

仏法=自分の所属する団体の教義のこと。他団体の教義のことは「仏法」とは言わない。
慢心=自分が言うことを信じないこと。転じて石山においては、自分が所属する団体に入会しないこと。必ず罰が当たるとされている。
ニ乗=本来は、悟った人を指すので、良い意味であったはずだが、現在は「エゴイスト」の意味で使われている。
菩薩=自分のこと。自分の所属する団体に奉仕する行為は、他人がどんなに迷惑に思っても、それは菩薩行である。

用語集というのを作る、というのはどうですか、皆さん?

146菊水護国:2002/10/30(水) 10:13
あ さん
申し訳ないのですが、石山用語に誤解を受けますので、訂正します。

仏法=自団体はもちろん、他団体の仏法も仏法と呼びますよ。そうでなきゃ「仏法の正邪」という言葉が成立しません。
慢心=団体に所属しなくとも全てを慢心とは呼びません。慢心は信心してる中に発生します。やらない人を慢心とは呼びません。正法護持してる人に慢心が発生します。

147菊水護国:2002/10/30(水) 10:17
日達上人は信者で無い方との交流が盛んでした。
笹川良一さん、田中角栄さんなどです。
その方々を、有識者と絶賛されております。
また、地獄落ち等と考えてはいなかったと思いますよ。

148五月雨:2002/10/30(水) 16:19

アヤエさん

>>賢く、また思いやりをお持ちの方ですから、
>いえいえ、とんでもないです、私に「慢心してる!罰がでるから!!」と
怒ってました。何度会っても仏法をしようとしない私にイライラしてる様子でした。

そういう意味ではなくて、そう言われるアヤエさんが「賢く、また思いやりをお持ちの方」なんですよ。思いやりのある方が罰がでるとは言いませんね。

>そう まさに「楽しそう」でした。仕事から離れて、久々の責任や役割に、それはもう張り切ってました。今は黙って見守るしかないのですよね。

そうなんですよ、お友達は気持ちの良いお酒を飲んですっかり酔っ払っている状態ですから、そんな人に何を言っても通じないのはお分かりになるでしょう。ですから、放っとくというのが一番の酔い覚ましになるのです。そして、お友達が信心の話をし始めたらもう聞かないか、別な話題に持っていって、アヤエさんには信心の話をしても仕方がないと思ってもらえるようにするしか方法は無いと思います。お友達を救ってあげたいというお気持ちは、とても素晴らしいけれども、信心にのめり込むのは教義のせいではありません、「マインド・コントロール」のせいです。

>私の知識はネットに依存しているので、全然信用できないそうで 
まったく聞く気がないみたいです(笑)

ネットの情報はまやかしだと教えられているのでしょう、世間一般的に見ても、インターネットのイメージは良くないと思いますから尚更でしょう。私も学会員と対話していて、この掲示板を見ることを勧めたことがありますが、学会でもインターネットを信じるなと教え込んでいるみたいで、私の話に眉をひそめる学会員の表情がいまだに忘れられません。お友達が全然信用出来ないと言うのも頷けます。
私は組織活動を辞めて二年経ちますが、いまだに組織活動していたら、インターネットでの話なんて信じなかったでしょう。まあ、お友達には言うだけ無駄という話になりますね。

>毎日新聞からカルトに関する本を購入したので、対処法をもっと勉強します。

そうですね、マインド・コントロールとは一体どういうものなのかをお勉強することは、いま一番必要なことでしょう。マインド・コントロールが解けるというのは、とても大変なことだと分かると思います。ですから、お友達の言動にはイライラするかも知れないですが、信心の話には乗らずに気長に見守ってあげて下さい。

149ガンコ:2002/10/31(木) 12:44
独歩さんへ

いつもお返事が遅くなってしまいます。とても緊張してうまく言葉にならないのです。なぜかなら、独歩さんはいつも宿題をお出しになられます。しかも超難問です(わたくしにとっては)。
ですからいつも後回しになってしまいます。ごめんなさい。

結論から申し上げれば、戒壇の大御本尊様がまっかなニセモノであれば、いつまでもしがみついている義理はないのです。

わたくしが問題としているのはその前の段階なのです。
浅井は「偽作説」を熟知していることでしょう。あるいは偽作であるとの結論に達しているかもしれません。もしそうだとすると、どういうことになりましょうか?
「本物だろうとニセモノだろうと構いはしない、商売になりゃいい!」・・・こういう風に思っているとも考えられるわけです。
地涌の菩薩だの仏弟子だのとおだてておいて、結局のところわたくし達は「お客様」に過ぎないということになります。
これが、わたくしが掲示板に参加するようになった出発点なのです。

ですが今のところ、先生はそんな人ではない! というのがわたくしの正直な気持ちなのです。
わたくしをニセ会員だと思っていらっしゃる人がいるのでは?と最近気にしているのですが、まだまだこの点では純粋な顕正会員のつもりです。

問題の核心から逃げている・・・ことも事実です。法華講の方も同じでしょうけど、戒壇の御本尊様を云々するのは恐れ多いのです。「偽作説」に足を踏み入れてしまったらもう後戻りはできない、無間地獄は必定という恐怖もあります。

進歩がないなぁ、と思っていらっしゃるかもしれませんね。わたくしは右も左もわかっていませんから、いきなり御本尊様のことを論ずるのは僭越であろうと・・・ですから外堀から埋めていくのが順序と考えるのです。

そういうことで、独歩さんの域に達するのはとうぶん先、いいえ、永遠に来ないと思って下さったほうがいいかもしれません。

これからもトンチンカンなことを書きますので、その都度よろしくご指導ください。

150犀角独歩:2002/10/31(木) 16:25

149 ガンコさん:

人間が自分の信念体系を変えていくことがどんなに大変なことであるか、私は自分の経験からよくわかっているつもりです。時には転向より死を選び場合だってあるくらいでしょう。でも、生きなくてはいけない。かけがえのない生を貫き、望まずとも訪れる死の床で、人生に悔いなしと言えるように、大きな転換を自分に課す瞬間を選択する勇気を持つことも大切なときはあります。私は苦悶のなかでその選択をしました。

トンチンカンなんてことはありません。

どうぞ、お気軽にお声をおかけください。

151アヤエ:2002/10/31(木) 17:54
五月雨さん
私は頭で分かっていてもどうしても言い返してしまうのです。
ひどくむきになってしまう事もあります。ですから彼女に
「慢心してる」などと言われてしまうのでうす。
賢ければ 彼女の言う事をやんわりと受け止めて また会いたいと思って
私のところに来たい、そう思ってもらえるような関係を築けるはずなのに。
だから「賢い」と言われると 穴を掘ってでも隠れたくなるのです。

ガンコさん
貴方はとても柔軟な考えになりつつあるのだと思います。
友人はごつごつとした重たい石のように 今は私の手の届かない水の中に
沈んでいるようです。
それに引き換え あなたは自分で水面に向かって泳いでいけるお魚です。
ご自分の行きたい方へご自身の意思で行けるのです。
友人がガンコさんのようになるまでには まだまだ道は遠いなと思いました。
私は貴方に注目しています。私は知識もないしガンコさんに何もしてあげれませんが
これからも見守らせていただいて良いでしょうか?

152sunya:2002/11/01(金) 03:00
 マックス・ヴェーバーと“知的誠実性”を論じた「マックス・ヴェーバーの犯罪」(羽
入辰郎著、ミネルヴァ書房)という記事(東京新聞、2002,10/30 夕刊)が、たまたまわた
しの目にとまりました。
 ヴェーバーといえば社会学を創始し、宗教社会学や社会科学方法論等の大きな業績とそ
の知的誠実性の主張から“学者の鑑”とも言われ、わたしもヴェーバーを尊敬すること・
人後におちません。もっとも、トーシロがいきなりヴェーバーに歯が立たないことは云う
までもなく、“大塚社会学”等から・かいま見るレベルですが。(^^;

 さて羽入氏は、ヴェーバーの主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』か
ら、その“一次文献”を調べてみて、ただ・そんな「単純な方法」で“驚くべき事実”を
発見した、というのでした。

 その一例として、『宗教改革の祖・ルターがギリシャ語の聖書をドイツ語に訳す際、“ク
レーシス”(原義は「呼び掛け、召し」)を Beruf という独語で訳してしまった』とヴェ
ーバーは指摘し、そのことがヴェーバーの「論理」にきわめて重要な“基礎”を与えたこ
とでした。
 しかし、羽入氏がヴァイマール版ルター聖書を調べてみると、ヴェーバーが指摘するよう
な「訳」は、実は一つもなかったのでした。ヴェーバーはルターがそう訳したのではなく、
後世の誰かがそう訳したことを承知の上で、“そう主張”していたことが明らかになった
と、羽入氏は指摘します。
 そして、その他にも「意図的に資料のでっち上げを行っていた事実」が四ヶ所あって、そ
れは世界で“初めての発見”であった、と云われます。( この一連の業績から、1999年の
第50回 日本倫理学会大会で、羽入氏は「和辻賞」受賞 )

 そうした<捏造>は“自語相違”ではないか、それはヴェーバーが晩年に至るまで主張
し続けた「知的誠実性」に、自ら反する“犯罪的行為”ではないか。
 しかし、世に数多いる“ヴェーバー学者”達はどうして、いままで誰一人としてそうと
気づかなかったのだろうか。相手が「大学者」であろうと「聖人」であろうと、<学問>
として取り組む以上、“検証作業”は不可欠ではないか。
 ヴェーバーのようにあまりに偉い“大学者”の言うことだからという“思いこみ”、そ
れを<わたしが唯一人>で疑うという恐怖、そういった“心理障壁”を後生の学者先生達
は乗り越えられなかったのだろう、と羽入氏は結びます。

 そして、「もう一度原点に選って自分の頭で考えてみる作業、それが必要であろう。た
とえ相手がヴェーバーであっても」と。
 さて、「富士門流信徒の掲示板」に集うわたしたちはいま、この“言葉”「たとえ相手
が○○○○であっても」に、それぞれがいろいろな“名前”を思うのでしょうね。(^^;

 その上でわたしは、こうした<世俗>における「知的誠実性」と<仏法>における「知
的誠実性」とには、いささか<差異>があることを“認める”者でありました。<仏法>
における「知的誠実性」とは、<方便>ということを“抜き”にしては語れないことであ
る、とわたしは思うのです。
 そしてまた、<仏法>がすべて<世俗>に還元し得るなら、今日において<仏法>にも
はやその「意義」はないこと、でありましょう。

 しかして、いまの宗門僧俗の指導者諸氏等に、そうした“思索”や”反省”があるとは、
わたしには見えません。そして、もっともそこから“遠い地点”にあるのは、残念ながら
我が顕正会であることでした。

153ガンコ:2002/11/01(金) 04:21
アヤエさん

どのようにご挨拶していいかわからないので、いきなり質問させていただきます。
独歩さんの一年折伏、菊水護国さんの十年折伏にくらべれば、顕正会の折伏はハードルが低いといえます。
おつきあいで入信してみようと思ったことはないのですか?

それと顕正会をどのようにご覧になっていらっしゃるのか、つくろわずありのままにお話し下さいませんか?

154アヤエ:2002/11/01(金) 11:16
ガンコさん
私は顕正会員です。顕正会が言っている80万人か90万人の中の一人です。
ただ、心から信仰したことは一度もありません。

彼女とは古くからの付合いでしたが、彼女が引越すと 自然に会う回数も減って
時々電話で話すような感じになってました。
ただ、お互い確かめる事はなかったのですが 親友と思ってました。
引越し先でいろいろトラブルがあり かなり落ち込んでいたので心配してました。
連絡をしても暗く、忙しいからと話す機会も減ってきて引越し先を訪ねてみようか
そう思った矢先に 元気な声で電話があり 是非会いたいという事になって
引越し先へ訪ねる事にしました。しかし行き先は彼女の家ではなかったのです。

はじめて行った土地で待ち合わせをし、車で彼女の「友達の家」だと
知らない人のマンションに連れて行かれ、5時間ほどでしたか、折伏を受け
いくら断わっても平行線の会話に疲れ果てて、友人がどういう教団に入ってしまったか
興味もあり、「断わらなきゃ」と言うより、分かったと言えば帰してもらえると考え
入会をしました。まさかその場で入会の手続きに連れていかれるとも思ってなかったので
会館へ連れていかれた時は 泣きたいくらい後悔しました。
そもそも私は優柔不断なので はっきり断わる事ができなかったのです。
恥かしい事です。
言い訳に聞こえますが 友人が心から私のためを思って入信を迫っていると思ったので
それを怒ったりする気になれなかったのです。
これが顕正会に私が関わった経緯です。

155アヤエ:2002/11/01(金) 12:08
ガンコさん
顕正会をどのように感じているか という事ですが
ありのまま 感じたままに と言うと 
顕正会は破壊的カルト集団である と考えてます。
世の中は正しい事がたくさんあります、正しい事は一つではないのです。
自分達だけが正しい、そういった思想は危険だと思うのです。
そう思うから戦争が起こるんじゃないかと そう思うのです。

156アヤエ:2002/11/01(金) 17:44
連発してしまってすみません…

ガンコさん
151でおかしな表現をしてしまってゴメンナサイ。
ガンコさんは疑問に感じる事を素直に疑問として受け止め 解決しようと
努力なさっている、ここが私の友人とは雲泥の差だと感じたので ああいった表現をしました。

私の友人は 疑問に思う事はいけない事だと言って 一心にお題目を唱えるそうです
何か問題が起きると、直接的な努力をせずに 勤行するという行動に出ます。
これは 彼女だけの特殊なやり方で 他の顕正会の方々は違うのでしょうか?
例えば肌荒れも、勤行する事によって治ると思っているのです。
ガンコさんも 肌荒れなども勤行によって治ると考えてますか?
彼女は家族の理解も得ていて、仲良くやっていると言ってましたが
ご家族に直接聞いてみると 毎日喧嘩が絶えず、家の中は空気が重くて
休まらない、と聞きました。この温度差はどういうことでしょう。
彼女がつくそういった小さな嘘が分かる度 本当に心が痛みます。

157ガンコ:2002/11/01(金) 20:48
アヤエさんへ。

たいへん苦慮しています。どのようにお返事申し上げていいか悩むところです。

実はひと月ほど前に、やーこ。さんから質問をいただきながら、まだ答えていないことがあるのです。
「今の若者のしゃくぶくについてどのようにお考えでしょうか、ぜひお聞かせください」と。
わたくしはうっかり者ですから顕正会の恥をいっぱい書いてきましたが、よく読んで下さればそんなに悪口を言っていないことにお気づきいただけるものと思います。
顕正会の評判がメチャメチャ悪いのは事実です。だからといって世間の評判にお追従を言うほど愚かではありませんし、逆に顕正会の中で言われていることをそのまま書くほどバカではありません。どっちに転んでもここの常連の方々に通用するものではありません。
そうなると、わたくしの立場で「顕正会の折伏」 を云々するのは難しいのです。だからずっと考え中だったのです。

まだ考えがまとまりません。
アヤエさんに申し上げても仕方がありませんが、おおむね次のようなことを考えています。

・顕正会の折伏は大聖人の御意に適うのか
・「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起こる」とも「忠言は耳に逆らう道理」とも言うから、顕正会の折伏が反発を買うのは当然と教わるが、本当か
・折伏は感激を伝えるものと言うが、罰を聞いて感激するのか
・罰は「無間地獄の大苦を今生に消さしめん」との大聖人様の「大慈大悲」であられると浅井先生は言う
・ノルマに追われて慈悲を欠いた折伏になっていないか
・ノルマは先生が決めている
・「おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候」の御金言を顕正会でも引用するが、今の基準は甘過ぎなのではないか

・・・ノルマ、ノルマと書きましたが、顕正会の中で言ったら叱られちゃいます。誓願と言います。それ以外はほぼ顕正会用語(?)にそって書きましたのでお友達に読ませてあげたらいかがでしょう。
おそらくアヤエさんとお友達の中間くらいにわたくしはいるのだと思いますが、お友達から見ればわたくしも「慢心している」グループに入るでしょうね。

今回はずいぶん思い切ったことを書いたの(内心ビクビク)ですが、あくまで疑問形です。これが最終結論ではありません。考えがまとまり次第、書いてみたいと思います。

>連発してしまってすみません…

いいんですけど、わたくし頭の回転が遅いし、ワープロの操作もヘタですので、宿題にさせて下さい。

158顕正居士:2002/11/02(土) 08:48
sunyaさん。はじめまして。

『ヴァイマール版ルター聖書』って何を指すのでしょうか?東京新聞の記事に
今少し何か書いてありませんでしょうか?Luthers Werkeの意味でしょうか?
ルターが職業の意味でBerufを使ったというのは、『ベン-シラの智慧の書』で
Luthers Bibelに含まれてはいない筈なのですが?

159アヤエ:2002/11/02(土) 10:05
ガンコさん
ありがとうございます、書き込んでから 言い過ぎたのでは?と不安で
ガンコさんが傷つくのではないか、せっかく疑問を受け止めようと努力なさっているのに
そこに水を差してしまったのでは、、と不安でした。

私はここに来て 基本的には同じはずの日蓮様の教え、仏様の話が
どうして顕正会の言うことと こんなにも食い違うのか不思議でビックリしました。
友人に聞くと「顕正会以外の教えは全部嘘なの」と言うのですが、
彼女はもう顕正会以外の情報を信じようとしないので 会話になりません。

貴方の書き込みを拝見していて いつも「苦しんでるんだな」と感じていました。
今まで信じていたものが もしかしたら間違いかもしれない、、という事は
とても大変な事だと思います。でもそれは ご自身でしか掴む事の出来ない
ガンコさん自身の「気付き」であり「真」なんだと思います。
どうぞ、じっくり時間をかけて考えてください。焦って結論を出す必要はないと思います。
私も時間をじっくりかけて考えていきたいと思ってます。
本当にどうもありがとう。これからも宜しくお願いします。

160sunya:2002/11/02(土) 15:19
 > 158 顕正居士さん。お話ができますこと、嬉しく思っております。

>> 『ヴァイマール版ルター聖書』って何を指すのでしょうか?東京新聞の記事に
今少し何か書いてありませんでしょうか?Luthers Werkeの意味でしょうか?

 詳細は、ミネルヴァ書房の羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』をごらんいただ
くのがよろしいかと思いますが、東京新聞での羽入氏自身の手になる“本書”の紹介記事
の文章は、こうなっていました。

《 では、そんな大学者の“犯罪”とは何か。本書はごくシンプルに、彼の代表作である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下、『倫理』論文)を対象として、ヴェーバーが読んだと称する一次文献を調べてみたものである。方法の単純さに比べて、出てきた事実は驚くべきものであった。一例だけ挙げてみよう。

 この論文の主要な論点の一つとは、▽プロテスタント諸民族のみにおいて、「世俗的職業」を意味する独語のBerufという語に、「神から与えられた使命」という宗教的合意が存在する▽その理由は、宗教改革の祖ルターがギリシャ語の聖書を独語訳する際に、元来は「仕事」とか「労苦」だけを意味したはずの二つのギリシャ語を、もともと宗教的意味を含んでいたBerufという語で訳してしまったために生じた事態である ▽この事態の根本原因は結局、宗教的意味しかなかった“クレーシス(原義は「呼び掛け、召し」)”という別のギリシャ語をルターがBeruf、という独語で訳してしまったこと、しかもこの“クレーシス”が文脈上「身分」の意味を持っていたことに自ら引きずられたためである -- というものである。

 緻密な論理で隙などないように見える。だが、ルターの一次資料として最も信頼できるヴァイマール版ルター聖書を調べてみると、ヴェーバーが指摘する部分の“クレーシス”をルターがBerufと訳したことなど一度もなかったのである。これがヴェーバーの勘違いなら、論旨は成立しなくなるが、彼の作意までは認められない。だが、彼はルターがそう訳したのではなく、後世の誰かがそう訳したのを承知の上で主張していたのである。さらに調べるにつれ、次々とおかしな点が出てきた。
 本書は彼が『倫理』論文の中で、意図的に資料のでっち上げを行っていた事実を四点明らかにしており、世界で初めての発見である。それは彼が晩年に至るまで強く主張した「知的誠実性」に最も反する犯罪的行為であったのに…。 》と。

 羽入氏は、Luthers Bibel について「ルターの一次資料として最も信頼できるヴァイマ
ール版ルター聖書」と、この記事では言及するのみでした。
 ヴェーバーの“知的誠実性”にするどく迫る羽入氏ですから、“ヴァイマール版”が何
故にして“一次資料として最も信頼”し得るのかは、おそらく“本書”の中で充分に吟味
されていることなのでしょう。

161SGI:2002/11/02(土) 23:36
横レス失礼いたします。ご参考までにどうぞ。
国内の創価学会と法華講の実勢分析です。
 
◎まず、学会から―
 ①公称820万世帯
  これは、過去からの累積数で、脱会者・退転者・死亡者等で統監処理されていない数を含み、かつ行方不明世帯=転居先不明世帯等も多数カウントされているので、全く当てにならない。あくまでも公称数にすぎない。

 ②「聖教新聞」公称発行部数550万部
  「毎日」「産経」を凌ぎ、「読売」「朝日」に次ぐ国内第3位の発行部数を誇る。凄い事だ。しかしながら、会員の新聞啓蒙による外部購読者や、1世帯で数部購読する家庭も珍しくないので、学会の実勢を示しているとは言い難い。

 ③「創価新報」130万部・「大白蓮華」200万部
  「新報」は青年部を中心に活動家世帯は購読していると思われ、「大白」は熱心な会員世帯は1人1部購読していることが多いので、この当たりの数字が学会の実勢を表しているのだろう。この数字は、政令都市・札幌市の180万人に匹敵する。学会が、一大勢力であることには間違いない。
  そこで、自覚的学会員の数を220万人だとすれば、いわゆるABCランク分けで、Aクラスは3割といわれるので、割り返すと会員全体数は730万人。1世帯1.7人(学会員は“1人信心”が多い)として、学会世帯数は430万世帯。日本の一般世帯数は約4600万世帯だから、だいたい10軒に1軒は学会員世帯となる(地域的なバラつきは大きいが)。

 ④財務4000億円・公明党800万票
  毎年の財務が、だいたい4000億円前後だという。されば、毎年財務に拠出する会員の1人当たり平均値は約10万円。この他に新聞代・書籍代・民音・活動費など、会員の経済的負担は相当なものだ。
  公明党のここ10年の支持率は4%前後(新進党時は別)で推移している。しからば有権者総数は約1億人に対して400万人と算出され、これは「必ず・ほぼ・たいてい公明党に投票する」A・Bクラスの合計会員数と見合う。選挙のない時の世論調査(政党支持率)は正直だ。
  公明党の国政選挙での得票数が800万弱。本人を入れて、概ね3.5票を選挙活動を通して生み出しているといえよう。やはり、この組織力は、建設業界や医師会、労働組合、民青・民商等と比べても突出しているといわざるをえない。

 ⑤常識人は学会にソッポ
  活動家の主体は、何といっても婦人部。圧倒的な存在感を示す。婦人部が学会を支えているといっても過言ではなく、婦人部がなければ学会は存立できない。次いで青年部だが、壮年部は、02年度の活動大綱でも「広宣流布の黄金柱・壮年部の強化」を掲げなくてはならないほど影が薄い。
  活動家壮年部の大半は、職業幹部(学会関連者)か自営業者、公務員(教師を含む)。比較的自由な時間を持てる人たちだ。民間企業に勤め、一般社会と接する機会が多い、常識人であればあるほど、学会に後ろ向きである傾向がうかがわれる。また自営業者も、仕事を通して学会との関係がなければ、多忙を理由にあまり活動に参加していないのが一般的ではなかろうか。

162SGI:2002/11/02(土) 23:37
◎一方、法華講は――
 ①「法華講三十万総登山」
  本年は立宗750年。正宗(宗門・法華講)は、4月から10月まで「三十万総登山」を行った。先日、宗務院が最終的に登山者数は約35万人と発表している。
  しかしこの数字は、2回以上登山した講員もカウントした延べ人数。したがって、35万人=法華講員数にはならない。重複登山者の割合は、法華講支部によってマチマチだが、平均して3割強〜4割弱と見込まれる。であれば、登山講員数は約24万人となろう。 

 ②脱会者は18万人
  法華講は、平成2年、まだ学会との軋轢が表立っていない夏に3万名登山を行っている。したがって、この12年間で20万人以上の講員が増えたことになる。このうち、学会からの移籍者以外の入信者を1割とみると、脱会者は18万人というところ。この数は、学会員総数730万人に対して約2.5%。つまり脱会者は、せいぜい3%弱にすぎない。「学会独立=SGI路線」の戦略は、今のところ大成功といえよう。

 ③池田教信者は150万人
  法華講筋の情報では、学会員に再折伏に行くと、概ね2:6:2の割合で学会員を色分けできるという。学会にも正宗にも全く関心がない人と、バリバリの学会員で“池田教信者”が、それぞれ2割。残り6割の学会員が、学会に対して何らかの不信や疑問、不満を抱き、できれば学会を離れたいと考えている、というのが法華講からみた印象のようだ。
  この印象から推測すれば、極めて活動的な学会員(バリバリ学会員)は150万人と弾き出され、「創価新報」購読者数+アルファの数字となり、前記の「学会」での分析値に近くなる。

 ④退会希望者450万人
  日顕上人猊下は、先月の奉安堂落慶法要で、平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年に「地涌の友の倍増ないしそれ以上の輩出と大結集」を新たに掲げた。
  これまでの法華講の伸張具合に基づくと、たいへん厳しい数字となる。が、③の印象を踏まえると、濃淡はあるものの退会希望者は450万人。そのうち1割の会員が法華講に移籍すれば、この命題は易々と達成することができる。また、6年間に「1人が1人の折伏」をすれば成就できる。信者の奪い合いという様相はみっともないが、もともと退会希望の会員の想いを引き受けるという意味では、法華講の奮起が望まれる。

 ⑤高齢者中心で組織力なし
  法華講の場合、多少女性の参詣者が多いが、学会ほど極端ではない。しかし大半が年配者。信仰における組織活動を全面的に是とするわけではないが、組織力という点では到底学会には及ばない。
  もともと法華講は、各寺院(支部)が単独で独自に活動しており、統一的な取り組みをしてこなっかた。寺院(支部)によって様々な状態である。組織活動が一切ないところもあるし、熱心なところもあるという具合で、住職と講頭らの力量次第といった感じだ。
  聞くところによると、明年から第1日曜日に唱題会・第2日曜日に報恩御講を全国統一的に開催奉修することになったという。これを、宗門・法華講の組織力の向上と捉えるのか、中央集権化による統一と捉えるのか等々、評価の分かれるところであろう。

163いちりん:2002/11/02(土) 23:47

SGIさんの実勢分析。すばらしい。
とても参考になりました。ありがとうございました。

164富士桜:2002/11/03(日) 00:41
SGIさん
日蓮正宗法華講の実態、経過を冷静に見させて頂きました。
自分は法華講ですが、この分析には相当説得力が感じました。うなずけます。
さらに言えば「組織力」の面は、自分に当てはめてみると納得の行く解説でした。
いちりんさんに引き続き、とても参考になりました。ありがとうございます。

165やーこ。:2002/11/03(日) 04:09
SGIさんには私も感服です。
確かに今の法華講には組織力はない。来年を楽しみにします。
組織は強くなるのかそれとも脱落者が増えるのか。
しかしながら例の登山が延べ人数は認めて当然でしょう。大百法に小さく「のべ」の文字が。
富士桜さん久々の登場ですね。

166顕正居士:2002/11/03(日) 09:20
sunyaさん。長い文章をアップしていただいて有難う御座います。

『ワイマール版ルター全集』(Luthers Werke)
http://www.kyobunkwan.co.jp/FBooks/weimar.htm
の中の"Deutsche Bibel"のことでありましょうね。

"Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus"は英訳が
Webにありました。
-例の部分
http://xroads.virginia.edu/~HYPER/WEBER/WeberCH3.html
-その注釈
http://www.ne.jp/asahi/moriyuki/abukuma/weber/world/ethic/pro_eth_note_3a.html
"Arbeit"の意味で"Beruf"と訳されたのは二箇所。
"en tw ergw sou palaiwyhti"→ "beharre in deinem Beruf"
"kai emmene tw ponw sou"→ "bliebe in deinem Beruf"

『Ben-Siraの智慧』がLuthers Werkeに収録されているのかは判らなかった。

167SGI:2002/11/03(日) 11:46
◎ついでに厚かましくも、SGIの基礎データ
 1)会員数………150万人(学会の公称数)
       内訳)北米:35万2千人 中米:1万5千人 南米:22万6千人
          アジア:85万8千人 欧州:4万1千人 その他:1万人
  ①あくまでも公称数。
   海外のSGIの場合、出入りがかなり自由(いわゆる会友方式)で、御本尊下付もそれほどこだわっておらず、また、日本以外は政治活動は一切やらないことを明言しており、実際は、国によっては公称数の1/10〜1/30位と推定される。
  ②日本以外の最大なSGI組織は、韓国。
   韓国SGI自身の公称数は、120万人。韓国マスコミは30万人弱と推測。それでも他国のSGI組織をはるかに超える教勢を誇る。しかし宗門問題以前より内紛が絶えず、四分五裂の状況。現在も、改革派グループ「善の連帯」と執行部が激しくバトルを展開中。

 2)主な会員居住国……会員が居住しているのは、世界180カ国と地域。
   そのうち一定の会員が集まって団体を構成し、「SGI加盟団体」として
   認められているのは、以下の76カ国と地域。
  ①<北米> アメリカ カナダ の2カ国
  ②<中南米> メキシコ パナマ ブラジル ペルー チリ 等25カ国・地域
  ③<アジア> 日本 香港 韓国 台湾 シンガポール インド 等13カ国・地域
  ④<オセアニア> オーストラリア ニュージーランド 等4カ国・地域
  ⑤<アフリカ> ザンビア ガーナ ケニア ナイジェリア 等11カ国・地域 
  ⑥<欧州> イギリス フランス ドイツ イタリア オランダ 等20カ国・地域
  ⑦<独立国家共同体> ロシア連邦 の1カ国

 3)組織形態
  ①韓国SGIのような大きな組織になれば、日本に準じ、壮年・婦人・男子・女子といった各部や圏体制を構成するが、ほとんどの国では、同じ信仰を持つ者の同好会という趣で、互いに連絡を取り合い親交を深めているといった感じ。
  ②全てのSGI加盟団体が、その国で法人格を得ているわけではない。
   多くは任意団体にすぎない。
  ③そもそも、SGI(創価学会インターナショナル)自体が任意団体。
  〈…のはず。こっそりと法人登記を済ませているかもしれない。正式発表がなく確認できず〉
  ④早くから組織化されていたところは、当初「日蓮正宗」の文字が名称として使われていたが、平成4年には名称変更と法人化を進めた。
   例えば、香港仏教日蓮正宗→香港SGI 日蓮正宗・オブ・ブラジル→SGIブラジル 
       日蓮正宗・オブ・アメリカ(NSA)→SGIアメリカ
       フランス日蓮正宗→フランス創価学会  など。

168SGI:2002/11/03(日) 11:47
 4)財産
  ①世界各地に200の会館。
   その地の会員の浄財で立てることが基本だが、日本からの持ち出しもあるとか。
  ②イギリスのタプロ・コートや、フランスのユーゴ文学記念館、アメリカの創価大学やサンタモニカのセンターなど、各国の中心拠点やシンボル施設の所有者は未確認。
  ③『創価学会財務部の内幕』(「学会マネー」研究会著・小学館文庫)によれば、
   創価学会の国内預金残高は、1兆円を超えるという。「うち、最大の預金は創価学会インターナショナル名義であることもわかった。同口座に次いで預金残高が多い口座は、宗教法人・創価学会や会長、理事長口座に集中していることも推測できた」と記述している。
   これは、同書によれば、95年の宗教法人法の改正により、所轄官庁へ財産目録の提出が義務づけられたためだという。〈やや異なる見解を持つが、いずれにしろ学会からSGIへの財産シフトは進んでいることは間違いない〉

 5)正宗の状況
  以前、掲示板「創価学会をみんなで考えよう」に、この基礎データを書き込み、それに対して、法華講員の法次郎さんが情報を提供してくれた。以下、そのコピー。

  平成2年までは、海外に関しては、学会が主導権を握り、国情や言語などを
  理由に、言葉巧みに宗門の干渉を排除していたそうな。
  お厨子の横に池田さんの写真を置いたり、三色旗を掲げたり、寺院の建立・寄進を
  現地の人が推進してもSGIの指示でご破算になったり、日本に行っても「私に
  会ったから、無理に総本山に行かなくてもいい」と言われたりしたという。
  だから、
  学会が破門になると、おかしいと思っていた人たちが、雪崩を打つようにSGIを抜けて
  宗門についた。スペインは、理事長を筆頭に活動家のメンバーが、インドネシアや
  ガーナは組織ごとに。米国、ブラジル、仏国、韓国、台湾、マレーシア、タイなど40数国、
  どどっと大勢の人が脱会した。
  現在、正宗海外部が掌握している信徒数は、60万。
  平成3年までは7ヶ寺しかなかったけど、今は12ヶ国に20の寺院・布教所あり。
  海外部の御僧侶方は、英語、仏語、スペイン語、中国語、タガログ語などの習得に懸命や。
  経本や御書などの翻訳も進み、何種類もの言語のものがある。

169ガンコ:2002/11/03(日) 17:12
アヤエさん

およそ20年前の記憶で不正確なのですが、新聞の人生相談でこんなのがありました。

問、妻が新興宗教に入ってしまい、活動に熱心のあまり外出が多く、家事をしなくなりました。せめて最低限のことだけでいいからやってほしいと頼んでいるのですが、まったく耳を貸してくれず困っています。
答、どのような宗教か書いてありませんので正確なアドバイスはできませんが、ひとまず奥さんの入られた教団の幹部に会って事情を打ち明けてみてはいかがでしょうか。まさか教団のイメージダウンになるような教育を施しているとは考えられません。奥さんが熱心でいらっしゃるということであれば幹部の言うことならよく聞くでしょう。

カルトたけなわ?の今日、はたして回答者は同じことを言うものかどうか、たいへん興味があります。

つぎに顕正新聞に載っている浅井先生の指導を書きます。(第861号)

・・・秋田の一高校では、顕正会に入信している生徒が大勢いたことに校長さんが驚き、誰に煽動されたのか顕正会を中傷するビラを全校集会で配り、その校長が言ったそうです。
「どんな宗教に入ってもいいから、顕正会だけには入るな」と。そして入信した生徒の中で熱心な女子部の総班副長を、みんなの見せしめとして退学させようとした。
・・・あまりに理不尽なので、私は弁護士二人をつけてその生徒を守ってあげた。
・・・弁護士との話し合いの中で、校長はたちまち非を認めて「退学させない、追試も受けさせる」ということになった。
・・・まあ、この追加試験で落っこっちゃったら、それは本人の責任だ(大爆笑)。

この先生の指導に対応したものが2ヶ月後、本人の体験発表として出ています。(顕正新聞第866号)

・・・今まで私は勉強が苦手でした。しかし、これほどの先生の御慈愛を頂いて、万一にも私のいらなさで「追試」に失敗してしまったら申し開きもできないと心して、苦手意識など眼中に置かず、折伏のご奉公と両立して試験勉強にも猛然と取り組み追試に望みました。・・・

わたくしにはきわめて常識的に映りますが外部の人間にはちがって見えるのかもしれません。
顕正会はカルトではないという説明をしているつもりなんですが、アヤエさんにはどう映るんでしょうね? 
浅井先生は顕正会の会長として会員を守る責務がある、けれども試験勉強の面倒までは見てらんない、という話です。
ですから、「何か問題が起きると、直接的な努力をせずに 勤行するという行動に出ます」というのは顕正会の正しい信心ではないのですが、こういう人が多いのはわたくしも実感しています。いや、わたくしもそのひとりかもしれませんけど・・・
ただし、お題目を唱えてから勉強するとよく身につくとは言います。

今回は、顕正会ギライの人にはムッとする書き込みだったと思います。失礼しました。

170犀角独歩:2002/11/03(日) 18:11

> 168

横レス失礼。ムッとはしないでしょう。笑うだけでしょうね。
常識的に“記述された”手前の新聞記事を鵜呑みにするなんて、浅はかなことをガンコさんがするとは思っていませんよ。
こんな“常識的”なことばかりではないのは、ガンコさんもよく知っていることでしょう(笑)

171ガンコ:2002/11/03(日) 18:39
独歩さん
さっそくのご助言、ありがとうございました。
今後とも、“適時適切”なるご指導を賜れますよう、お願い申しあげます(笑)

172やーこ。:2002/11/03(日) 19:09
168、ガンコさん

非常に興味深いです。人生相談でも女子高生総副班長の事でも。
人生相談で、身の周りのことが日頃の活動で出来ない、それは問題だと考えます。
やはりイメージダウンは怖いですよ。
実は、お山から戻った後仕事で行けなかった所属寺院の御講に参詣し、帰ろうとしたらある女子部に呼び止められ、参詣の感想文を書くように言われました。
今回多数の参詣者が係りの人に従わず流れ出たのが不愉快だから書きたくない、展示の事なら書けると答えたら、驚いた事に彼女は(続く)

173やーこ。:2002/11/03(日) 19:25
(続き)「依法不依人でしょあなたは大御本尊様を信じていないあなたは信心がおかしい(要約)」と私の話を遮りながら否定しました。
そこまでいわれたんならちょー腹立ちます、(-_-;)
だって自分の意見自体否定されたのですから、
ただ参詣者のマナー違反で宗門離れが起きているということを知らせたかっただけなんですけどね。
頭に来たのですから、母に止められて帰りましたが、このことを地区長に愚痴ったら、地区長は、
(彼女には)罰があたるよ。参詣者のマナー違反には怒っているよ。本当にゆるさん、と。
みなさんどう思いますか?

174ガンコ:2002/11/03(日) 20:20
やーこ。さん、ありがとうございます。
独歩さんにイヤミを言われた後だけにうれしさひとしおでした。まぁ、どこの組織も同じですよ。顕正新聞に載っていることはキレイごとばかり。もっともわたくしはウブな顕正会員ですから、それしか知りませんけどね。

175犀角独歩:2002/11/03(日) 20:59

ガンコさん:

冗談じゃない。私はイヤミを言ったわけではないですよ。

私の手許に2002年9月から10月の浅井さんの話の録音テープがあります。
これを聞いて、その非常識さに呆れ果てていたところに、あなたが顕正会が常識があるという書き込みをした。私は文字通り冗談だと思ったわけです。

いまから、その非常識な部分はテープから起こしてアップします。

176やーこ。:2002/11/03(日) 20:59
私、まだ二件目の女子高生についてはまだかいてないんですけど(^^;)
ガンコさんにはとても感謝です。(^^ゞ
私が思うには顕正会がどーのこーの、というのは問題ないんですが、
問題なのは校長の態度であり団体は関係ありません。
要は、特定の宗教を気に入らないからと理由無く否定するという事だけに問題があるという事です。
教育者たる校長の態度が問われるべきです。
彼女はどのような手段で入会を勧めたのか分かりませんが、彼女が自分の実体験からなのか脅しからなのかについては問題を論じるについては全く関係ないです。

177やーこ。:2002/11/03(日) 21:07
少なからず、最近問題があらわになってきたらしい浅井先生を除いて、やはり常識的な会員も普通にいますよ。全部まとめて非常識というのはどうかと思います。
比較的古参の方はまともな振る舞いをされていますが、若い方は、ノルマを気にして非常識に走る傾向が多いです。
非常識化している原因は、古参が少なくなり、指導者がノルマ中心にしている為指導がおざなりになっているからです。
これは私の組織人ウォッチングによるものです。

178犀角独歩:2002/11/03(日) 21:19

やーこさん:

全部、まとめて非常識というのがいけないのであれば、全部まとめて常識があるというのもおかしいのではないでしょうか。

179犀角独歩:2002/11/03(日) 21:20

ガンコさん:

9月22日に浅井さんは

「北朝鮮への植民地支配…小泉首相は歴史を知らないのです。本当の当時の歴史を知らないから謝るべきではない。謝るべきものではない。これは“ならず者”が言いがかりでもって、日本に対して、そういうようなことを、言いがかりをつけているだけのことであります」

また、9月29日は、

「北朝鮮の『挑戦中央通信』というメディアがあるんですね。これは国内には一切放送しない。外国に対する、いわゆる宣伝をするメディアでありまするが、こういうような脅迫をしてきましたね。いよいよ、“ヤクザ”が本音を吐いてきたみたいな意感じであります」

と北朝鮮を「ならず者」「ヤクザ」と愚弄しています。

現在、拉致問題、また日朝正常化交渉の重大な歴史的な側面を迎えているときに、ガンコさんが言うように“常識”があれば、このような表現はしないものではないでしょうか。

私は、このならず者・ヤクザ発言を聞いて、ほとほと呆れ果てたのです。

そればかりか『顕正新聞』第911号(平成14年10月25日)において、これを受けた青年部の決意なるものが掲載され、そこには、このならず者・ヤクザ発言に対して

“真に国を憂えられるのは先生のみ”「北朝鮮問題」の指導 心腑に染む

などという美辞麗句にすり替えられています。

隣国をならず者・ヤクザなどと詰ることは、人種偏見に基づく差別に抵触するのであり、このような非常識な発言は厳に慎まなければならないと私は思います。

常識的な顕正会、そんなきれい事を、ガンコさん、あなたは書くべきではないでしょう。

180犀角独歩:2002/11/03(日) 21:26

校長の態度に問題があるのは事実ですが、だからといって、高校生が全面的に正しいと言うことにはなりません。

校長はどこが悪かったか、高校生はどこが悪かったのか、それぞれに分析し、それぞれの功罪を考える必要があるのではないでしょうか。

私は作られた美談である可能性も考慮すべきであると思います。

181犀角独歩:2002/11/03(日) 21:31

> 178の補足

第一、私は全部が非常識であるなどとは一言も言っていません。

182犀角独歩:2002/11/03(日) 21:32

【179の訂正】

誤)『挑戦中央通信』
正)『朝鮮中央通信』

183やーこ。:2002/11/03(日) 22:07
独歩さん
確かに、全部非常識とは一言も言っていませんですね、失礼しました。
しかしながら、少なからず独歩さんは顕正会に悪いイメージをおもちのようです。
私は両方持っていると考えます。
良い点では、例え美辞麗句だとしても、自国を意識している、行動力の凄さ、悪い点は指導がここ最近変わっている、目標達成予告がずれていくこと。
浅井先生が北朝鮮をけなすというのは、大した根拠は無いですが、私は仮説として、拉致事件により北朝鮮に対する国内世論が悪い方向に行っている事、また大聖人様の蒙古襲来のイメージ等考えています。

184やーこ。:2002/11/03(日) 22:22
また、校長と女子高生それぞれの功罪については、考えてもしょうもないと思います。
彼女は女子高生→未成年です。なおかつ、総副班長であります。現在の組織でその地位にいるということは、かなりの数を入信させかつその人を育成していかないと相当難しいと思われます。さらに、これは珍しいケースと考えられます。
(珍しい理由としては、他のメディアの被害報告の傾向では、高校生を勧誘するのは先輩や先生等立場の高い人が殆どだが今回は高校生同士で同じ学校に多数)
校長が悪いと考えたのは、オウム、法の華、統一教会同様、顕正会も(続く)

185やーこ。:2002/11/03(日) 22:35
マスコミに悪いところばかり取り上げられ世論で非難の対象となっている為、同調してしまった、または学会等対立団体にいるから、または過去に顕正会に嫌な事があった等でしょう。
女子高生に問題がもしあるとしても、あまり問われるべきではないでしょう。問われるべきなのは成年の先輩格でしょう。
しかし、女子高生が布教の元だとして、かなりの信仰者が同じ学校にいることを考えると、彼女は生徒から信頼されている可能性もあると思います。もし脅しとかなら同じ学校(社会)の多数がひいてしまいます。
未成年信者に責任はないと思います。

186やーこ。:2002/11/03(日) 22:42
尚、全部常識でもおかしいという事ですが、宗教では理想論として目指す目標としてはおかしくないでしょう。でないと信仰者は困ります。(笑)

なお前の書き込みは顕正会がいいとか悪いとかは不問です。

187犀角独歩:2002/11/03(日) 23:04

やーこさん:

少し視点を変えて考えてみませんか。
日本が帝国主義であった頃、中国、朝鮮は他国侵逼難に遭いませんでしたか?
日本という国から侵害されたのです。こんな視点はぜんぜんないでしょう。

私が常識ばかりを言うなというのは、当たり前でしょう。
そんな自分を慰める言葉より、否定されている点を率直に認識し、是正するほうが進歩があるでしょう。

宗教が目指す常識は、通常、世間からすれば常に迷惑なことなのです。

188ガンコ:2002/11/04(月) 03:28
ありゃりゃ、知らない間にずいぶん会話がはずんでいらしたようですが。
それにしてもやーこ。さんは義侠心のお強い方ですね。尊敬申し上げます。
独歩さん。北朝鮮問題についてはわたくし、しばらくコメントを控えさせていただきます。ただし、おっしゃる通り、幹部の言っていることは浅井の受け売りであってオリジナリティが感じられない。同じ話がこれでもかというくらい出てくる。これも洗脳の手法なのかなぁ。…ありゃりゃ、わたくし顕正会からどんどん離れていくぅ。

189やーこ。:2002/11/04(月) 03:38
日中戦争の原因と中国側の視点から考えるというのは宿題にするとして、いまだ謎と矛盾の多い日中戦争を出汁にするのはいかがなものか。
例えば被害のひとつ、南京大虐殺の死亡者数。確か、公式な数字としては三万だったと思いますが、(違っていたらすみません)中国側の発表は根拠もないのに百万という数字に膨れあがり、日本の教師は膨れあがった数字を真実として教えていることもある。
また従軍慰安婦についても、確かにさせられたという事実はあったにしても、生活苦から自ら進んで売春をした分もカウントされ、過去に新聞の投稿欄に(続く)

190ガンコ:2002/11/04(月) 03:44
高校生の話はほんの一例であって、もはや挙げればキリがありません。当然、都合のいいことしか載りませんけど、わたくしウバな顕正会員ですから信じちゃってます。

191やーこ。:2002/11/04(月) 03:52
元日本軍兵士から批判の投書が相次いだ時期もありました。
今生きている兵士の証言は何故か世論にとりあげられずに終わったようですが、従軍慰安婦を証明出来るものが無いという外国人調査の人の意見もあり、いつの間にか話題から消えていきました。
また日中戦争で論じるならば、やま大国の昔から中国から圧力がかかっていた事、アメリカ軍の宣戦布告無き卑劣な攻撃、特に実験を兼ねた原爆を考慮に入れるべきです。日本からはちゃんと宣戦布告してましたし。

192やーこ。:2002/11/04(月) 04:06
アメリカは日本よりも卑怯で、原爆被害者をGHQが治療するとか言っておいて、実は何もせず放置し被害データを取っていたというのが被害者により分かってしまいました。が今もその件についても放置のまま風化されました。
またアメリカの攻撃も卑怯でした。あまり戦争とは関係ない広島長崎を攻撃し、一般市民を殺しました。
現代でも、平和の名のもとに、アフガン、イラク、ベトナム等でも基地だからと攻撃し、蓋を開けば病院とかだった。
自称世界警察のアメリカの方が卑怯なのに一方的に日本が悪いと言われると心外です。

193やーこ。:2002/11/04(月) 04:20
それと、私の言う常識というのは、宗教の中で正しいと思ったのを社会の常識にするのではなくて、例えば、総本山で発生したごみは持ち帰るとか、折伏の際、時と場所等を考え言論に注意するとか、そういうことです。
私の言う常識のある信者と無い信者とは、折伏の際、時と場所等を考え言論に注意するのとしない信者の区別の事です。説明に不足がありました。
しかしガンコさん、せめて体験談は認めてあげるべきです。体験に嘘はかけないし、真実は書いて発表してよいはずです。
問題にすべきものは、体験談で美化された団体の陰で、悪い事をするもの

194やーこ。:2002/11/04(月) 04:34
尚、私の戦争に関する書き込みについては、中国側の被害の否定をするものではありません。

しかし、日本は気付くべきです。我々は日教組による日本人のアイデンティティを喪失させる間違った自虐的教育を受けている事に。
世界中何処を探しても自分の国に誇りを持たない国は日本以外にありません。
アメリカも南北朝鮮も中国も皆自分の国を愛しているのに。

だから顕正会がはやるんですよ。例え悪の団体だとしても美辞麗句だとしても日本魂と行動力は見習った方がよいです。気力の無い日本人が水を求めるように組織にすがるのも分かる気がする

195sunya:2002/11/04(月) 04:58
 > 179 犀角独歩さん

>> 隣国をならず者・ヤクザなどと詰ることは、人種偏見に基づく差別に抵触するのであり、このような非常識な発言は厳に慎まなければならないと私は思います

 さて、「隣国をならず者・ヤクザ」と云うことが「人種偏見に基づく差別」に、どうして
<一直線>に抵触・帰結するのでしょうか。わたしには理解できない、犀角独歩さんの論
理展開です。
 小泉首相も平壌宣言の後、国内の遊説でたしか“同様の発言”をしていたことでした。
ブッシュ大統領は、“悪の枢軸”と云っていましたね。

 “ならず者・ヤクザ”などという、生やさしいレベルではありませんよ。“ならず者・ヤ
クザ”などより、はるかに<悪質>きわまりない数々の「国家犯罪」を平然としている「犯
罪国家」であるという認識はお持ちでしょうか。
 浅井発言などどうでもいいですが、いまや友党だった社民党ですら云わないような、犀
角独歩さんのこの「発言」に、わたしはかなり驚きました。

 いはんや、他者に対して「非常識な発言は厳に慎まなければならない」などとは、この
国にあって北朝鮮にない「言論の自由」を、犀角独歩さんどのようにお考えなのでしょう
か。

196菊水護国:2002/11/04(月) 11:06
9月22日に浅井さんは
「北朝鮮への植民地支配…小泉首相は歴史を知らないのです。本当の当時の歴史を知らないから謝るべきではない。謝るべきものではない。これは“ならず者”が言いがかりでもって、日本に対して、そういうようなことを、言いがかりをつけているだけのことであります」
さすが浅井さん。この意見には賛成です。そもそも朝鮮という国名は、中華思想の中心国に貢物を贈って下付された国名です。意味も「野蛮な国」と言う意味です。その中華傲慢思想を日清戦争で排除し「大韓帝国」と言う独立国を樹立したのが日本です。さらに日露戦争を経て、韓国一進会及び王室の依頼から保護国にした日本の伊藤博文翁を安重根が射殺すると言う暴挙をしたため日本は植民地にしたのです。
しかも、その政策や、日本国費の持ち出しで近代化を推し進め、一面一校制度で、学校を増やし、教育を高めました。そこに謝るべきことは無い。

また、9月29日は、
「北朝鮮の『朝鮮中央通信』というメディアがあるんですね。これは国内には一切放送しない。外国に対する、いわゆる宣伝をするメディアでありまするが、こういうような脅迫をしてきましたね。いよいよ、“ヤクザ”が本音を吐いてきたみたいな意感じであります」
こんなの当然です。ヤクザなんて甘いよ。大体ヤクザは義理人情を重んじるけど、彼の国に義理も人情も条理も無い。浅井さんには腐れ外道国家と言って欲しかった。

197sunya:2002/11/04(月) 13:38
 > 195

 現代政治用語辞典に「ならず者国家」の項がありました。『国際社会の無法者国家とい
う意味合いで、米国のマスメディアや議会などで広く用いられている言葉。通俗的な用語
であり、厳密な定義は無いが、国内的に独裁的・権威主義的な国、さらには対外的にテロ
支援国家、大量破壊兵器保有を狙う国家、などのような意味を指す事が多い』と。

 具体例としては、今年九月二十日ブッシュ大統領が発表した「国家安全保障戦略」にも、
『 米国と世界が直面する最大の脅威は、大量破壊兵器の保有を企てる国際テロ組織や「な
らず者国家」である 』とし、『 対テロ戦で先制攻撃が必要となる理由について、
 〈1〉「ならず者国家」は、自国民を危機にさらすことをいとわない
 〈2〉「ならず者国家」は大量破壊兵器を「最後の手段」でなく、兵器の選択肢の一つ
   としか考えない
 〈3〉テロリストは破壊が目的で国家を持たない
--- として、報復の脅しによって敵国の攻撃を思いとどまらせる「抑止」は機能しないと
分析、「我々は、敵が最初に攻撃してくるのを待つことはできない」 』としています。

 また、反対に『米国こそ今後「ならず者国家」として世界から嫌われ、その腰巾着の日
本は世界から蔑まれることになると私は思う」(小出裕章氏)という意見も、当然ながら
あるのでした。
 そしてこれは余談ですが、一般論として仏典にも“国家は泥棒である。暴力の代わりに、
権力で税金を取る”(出典は忘れました)と、云われていますね。(^^;

 さて、昭和四十五年の創価学会本部総会における池田会長の“お詫び講演”で、ボルテ
ールの言葉が引かれました。「私は、お前のいうことに反対だ。だが、お前がそれをいう
権利を、私は命にかけて守る」と。( もっともその“舌の根”も乾かぬうちに、共産党議
長の私宅を盗聴するという卑劣な“犯罪行為”をしていたことが、後に発覚しましたがそ
れはさておき )
 “言論”には“言論”を以て、根拠と論証を以て<批判>をするべき、でありましょう。
自身のスタンダードに合わない他者の“言説”を、「このような非常識な発言は厳に慎ま
なければならない」と封殺するのは、犀角独歩さんとも思えません。
 「厳に慎まなければならない」とは、“自分自身に云った言葉だ”などと云う遁辞を構
えることなく、ご自身の“発言”と向き合っていただけますよう、わたしは願っておりま
す。

198やーこ。:2002/11/04(月) 14:11
菊水護国さん、全くおっしゃる通りですよ。
テレビで前、北朝鮮の子供たちを見ていて、何だか表情が不自然なので、絶対なんかある! と思いました。

199ガンコ:2002/11/04(月) 14:22
皆さんへ

はじめに反省の弁を申し上げます。わたくしの不用意な発言が思わぬ方向に飛び火してしまったようでして、なんとも申し訳ない思いでいっぱいです。

顕正会においては近年、急成長にともない新しい人材が次々に抜擢登用されています。ここにおいて、さまざまな問題が生じてきており、そこに世評カルトと目される要因も見え隠れしているように感じている次第です。
すなわち独歩さんのいわく「そればかりか『顕正新聞』第911号(平成14年10月25日)において、これを受けた青年部の決意なるものが掲載され、そこには、このならず者・ヤクザ発言に対して・・・」と。
これを受けてわたくし言いました。「おっしゃる通り、幹部の言っていることは浅井の受け売りであってオリジナリティが感じられない。同じ話がこれでもかというくらい出てくる。これも洗脳の手法なのかなぁ」と。
ようするに、促成栽培のような幹部は教学的深まりもないし、ことに青年部は社会常識をわきまえない者が少なくない、これらの者が先生の指導を正しく受け留めきれずにインパクトの強い「ならず者・ヤクザ」などの形容詞ばかりを聞きかじって、それを全国レベルで伝播流布していくならばみずからカルトであるようなイメージを蔓延させていることになるのではないか、と思うのです。
いかほどに顕正会を嫌いであっても、一定以上の知性を持たれた方であれば浅井先生の見識にはいちもく置かざるを得ないとわたくしは思います。
ところが先生と一般会員とのギャップがあまりにも大きい。なぜに教学力の向上、一般常識を身につけさせる教育をしないのか、そこに「依らしむべし知らしむべからず」的発想が見え隠れしているようにも思えるのです。
さらに独歩さんは、浅井氏ほどの者であれば自分の発言がどのような効果を発揮するか、そこまで計算して発言している、とお考えなのでしょう。
つまり、意図的な操作が行われていると。
これは言われても否定できない面があります。早い話が世雄会の一件がそうです。顕正会があれを黙認しているということは、まさしく浅井先生を日蓮大聖人の生まれ変わりのように思わせようとしていることになる、少なくとも与同罪になるでしょう。
わたくしのようなものには浅井先生の歴史認識が正当なものかどうか俄かにはわからないのですが、ともかくも今の顕正会員はインパクトの強い「罰」だとか「無間地獄」、あるいは「巨大地震」「経済崩壊」等の言葉ばかりをならべるので、どうしても悪い評判にならざるを得ないということがあるのだと思います。
こうした分析もせずに自派の宣伝よろしく顕正新聞を丸写しする愚を、ご指摘くださったのだとわたくしは思っていますので、どうか皆さんにおかれましてはそこのところを踏まえていただきたいと思います。

いずれにしましても、もとはわたくしがアヤエさんにあてた文章にことを発するわけでして、これではかえってアヤエさんに失礼と言うものです。
過去においても「顕正会は右翼か?」でアヤエさんを置いてけぼりにするようなやりとりがありました。

皆さんほどの知性の方々がこんなことやっていては笑われてしまいます。

200ガンコ:2002/11/04(月) 15:16
やーこ。さんの
「だから顕正会がはやるんですよ。例え悪の団体だとしても美辞麗句だとしても日本魂と行動力は見習った方がよいです」
これは名言ですよ。なかなか言えるものではありません。「悪の団体」はポイント高いです。浅井先生に読ませてあげたいと思いました。

201やーこ。:2002/11/04(月) 18:38
ガンコさん
別に悪の団体と決めた訳でもありません。
私は今の若い顕正会員を見てきて、たしかに勧誘等の点で迷惑はかかっているけど、でも会員って今までさえなかったような人が、入った後妙に生き生きしてるんですよね。
不思議なお話です。
かといって、団体を肯定とか否定とかするものでもないです。

202犀角独歩:2002/11/05(火) 00:02

sunyaさん:
菊水護国さん:
やーこさん:

私は申し上げたいのは、こと法華経を依経とする立場のものが、ならず者・ヤクザといった類の言動をもって仏法を語るべきではない、二十四文字の法華経における不軽菩薩の如くあるべきであるという点を申し上げているのです。

203無徳:2002/11/05(火) 00:24
sunyaさん今晩は、sunyaさんらしい鋭い突っ込みではありますが、私は浅井氏
の発言に関しては独歩さんの意見を了とする者です。

ならず者やヤクザなる言い方が人種差別的であるかどうかはともかく、北朝鮮
が何らかのきっかけで現在のような柔軟路線と言いましょうか?少なくとも嘗
ての頑なな在り方を変えて、国際社会の中に一歩足を踏み出そうとしているや
見える現今において、その方向性にブレーキを掛けるかのような発言には賛成
できません。

浅井氏は顕正会という若者を中心にした数十万とも一説には百万を突破したと
も言われる勢力を有する団体の長であり、なおかつ絶対的指導性を持つことを
考えるとその影響は軽視出来得ません。

第二次世界大戦の後アメリカとソビエトという二大超大国による覇権争いの中
で朝鮮戦争が勃発し、38度線が残されて共産主義国家の仲間入りをした北朝
鮮が、ヨーロッパにおいては東ドイツが西ドイツに吸収され、ソビエト連邦の
崩壊と共に東ヨーロッパ諸国が次々に自由主義国家の仲間入りを果たし、中国
でさえ解放政策によって国際社会の中で経済的な力を付けていく中で、大変な
危機感と焦りを覚えたとしても不思議ではありません。

更にはアメリカによる武力を持ってしてもイラクのフセイン政権を打倒するか
の強硬路線にイラクと共に<悪の枢軸>と名指しされた北朝鮮は全く追いつめ
られた状況にあると言って過言ではないと思われます。

ただ、現代の政治用語に<ならず者国家>が有るとしてもアメリカ的スタンダ
ードの中で語られるタームであると私は考えます。確かに北朝鮮やイラクは全
体主義国家であり様々な国家犯罪を犯してきた国であることは否定できません。
しかし、現在の世界は自由主義国家体制(資本主義)が正義であり善であると
する価値基準が世界を覆い尽くそうとしていますが、その自由主義体制(資本
主義)とされる国家も今や様々な困難に直面して喘いでいるように思えて仕方
有りません。特に世界的な温暖化現象のような環境破壊の元凶は自由主義諸国
の繁栄に依るところ大で有ると言わざるを得ません。

それに、世界には極端に貧しい人々が我々の想像以上にたくさん居ります。そ
れらの極貧の人々を生み出す要因に一部の自由主義国家(資本主義国家)の繁
栄があり資本の独占があるとの考え方がテロを頻発する集団を生み出し、イラ
クや北朝鮮のような全体主義国家の存立を許してきたもの思われます。

今や世界は自由主義(資本主義)万能でもなく、ましてや全体主義やテロなど
もってのほかであり、人類は全く新たな段階を迎えたのではないかと思われて
仕方有りません。

この新しい段階を迎えた人類にとって仏法というパラダイムが確かな燭光とな
ることを願わずにはおれません。

204犀角独歩:2002/11/05(火) 00:45

やはり、北朝鮮=ならず者・ヤクザに過敏反応したのは、皆さん顕正会に係る人々ばかり、これは単なる偶然でしょうか。

sunyaさんはブッシュ・アメリカ、小泉首相、政治用語にも「ならず者国家」の使用があるからよいというわけですか。寧ろ、私はこの発言には大いに驚かされました。

sunyaさんは北朝鮮がならず者国家であるから、そう言っていいのだというわけでしょうか。私はこの手の言動は日本が言おうが、アメリカが言おうが反対です。現代政治用語辞典に用例があろうと反対です。

ついでに、御三人に、朝鮮半島並びに中国に日本が起こした他国侵逼難についても語っていただきたいと思います。

先の戦争とそれ以前の日本の支配において、多くの苦しんだ朝鮮の方々がいらっしゃったのは事実です。中国においても同様です。

それらの点がまったく語られないのは一体どうしたことでしょうか。

もちろん、菊水護国さんは右翼思想家でしょうから、日本の戦争責任など考えないでしょう。ですから、この点について、私と話が折り合うことはないでしょう。ですから、この点に時間を費やすことはしません。無駄です。

しかし、sunyaさん、やーこさんも同様なのですか。

世界平和、仏国土、立正安国、広宣流布、一切衆生皆成仏道という仏法の理想に基づく人々が隣国・ならず者国家といって、それを正当な発言であるということに私は寧ろ理解に苦しみます。

日朝国交正常化は、相手国である北朝鮮をならず者・ヤクザ、あるいはsunyaさんの是とするならず者国家などと断定することによって進めるべきことなのでしょうか。

私はまったく、そうは思いません。
そのような卑下した表現を用いず進めるべきであると思います。

ですから、このような言葉の使用自体に人種偏見・差別を看て取るのです。
sunyaさんと私の考えの違いでしょう。


なお、この点について、総括してくれたガンコさんの199については、私の意をよく汲んでくださったものであると思います。

ただし、「顕正会を嫌いであっても、一定以上の知性を持たれた方であれば浅井先生の見識にはいちもく置かざるを得ない」ということは、言葉を返して申し訳ありませんが、あり得ないことでしょう。私は2002年9月1日から29日に至る5つの話を聞いてみましたが、“見識”といえるほどのレベルに達した話は何一つなかったと思ったからです。

205犀角独歩:2002/11/05(火) 01:01

> 203 無徳さん

このご意見に私は大いに賛同します。

そして、私が何より、浅井さんが北朝鮮をならず者・ヤクザと言った点を指摘したのは、suyaさんが言われるような言葉の用法についてではありません。

このような言葉を持って“憎悪”を煽る心理操作の非を申し上げてのことでした。
ですから、無徳さんが

> 仏法というパラダイムが確かな燭光となることを願わずにはおれません

という結論に私は深く賛同します。

憎悪操作を留め、法華経の精神、慈悲・菩薩道からの発想を教えるものであるべきであるというのが言いたいことでした。

それをsunyaさん方のような言葉尻をとらえた反論となったことに、驚きもし、悲しむべきことであるとも思ったのです。

206菊水護国:2002/11/05(火) 02:34
そもそも西洋植民地主義が常識であった明治に何時までも鎖国を守り、西洋国の使者を殺害する等の行為をして前近代主義的政策を取っていたのが朝鮮です。
そこにアジアでまとまり、対等外交で、大東亜の共栄を目指す外交を目指した日本に対し「日本は西洋の真似をして恥じ入る事を知らぬ野蛮国家」と言ってのけたのが当時の朝鮮です。
そして、清国は何時までも朝鮮はもちろん、日本すら属国扱いで独立を許さなかったのです。
そのような無礼な清国体制時代に身分的差別を受けてきた朝鮮人の下級階層(奴)の人たちは、日本の力を借りて、近代化をしようと云う方と、清国の力を借りる派閥に分かれたのです。
また、王室も二派に分かれました。言うなれば、大義名分をもって朝鮮の独立をはかり、日清戦争で勝利した日本は朝鮮を「大韓帝国」として独立させたのです。
その後も、朝鮮王室は二派状態が続き、そこに弱くなった清国に取って代わり露西亜が台頭してきました。そこに日露戦争が勃発しました。勝利した日本は韓国の保護国化をはかりました。
保護国は植民地とは違います。前近代的国家を近代国が指導する体制です。両班階層に圧迫されてきた奴階級の人たちはこの際日本の指揮下に入ることを望みました。
そこに、韓国右翼闘志安重根は誤解と勘違いから統監伊藤博文を殺害しました。それに対する報復と云う大義名分で日本は韓国を植民地にしました。ここまでも国際法上問題はありません。
実は極東軍事裁判でも、この行為は戦争責任には入ってません。
中国についても細かい事情はありますが、辛亥革命以降は、満州は無政府状態であり、中国領土ではありません。
また、中国も数十の軍閥がそれぞれ正当性を主張し、当時正当性を持っていたのは、始皇帝以来の冠を継承していたラストエンペラー溥儀皇帝だけです。その溥儀皇帝が進出を容認したのですからこれも本来は問題はありません。

戦後の感覚で戦争責任などは論じれません。ここに複雑怪奇な利害関係があった訳で、全体として、当時の大日本帝国に国際上責任はありませんでした。もちろん欲得算段もありましたが、結果として問題は無かったのです。
韓国にしても、当時両班階層はトイレに入っても自分で尻拭きもせず、奴に行わせていました。また椅子に座るときも自ら引かず奴隷に引かせるのです。このような社会を改革したのは日本であり、近代国家に脱皮させたのも日本であったことを今では無視してます。
プラスとマイナスを論じたら日本支配がプラスであることは間違いありません。その辺は台湾のほうが公正に見ております。日本の恩義を感じてます。

さて、最後にマッカーサーが議会で語った言葉
「日本の戦争行為は概ね、防衛行為であった。極東軍事裁判を行わせたのは私の最大の誤りであった。」を記しておきます。

207犀角独歩:2002/11/05(火) 02:46

> 206

ですから、この点は、私と考えが噛み合うことはないでしょう。

私は国家というより、実際に苦しみ、殺され、傷つき、愛する人々を失った個人を考えながら記しているのです。

その痛み分けにおいて、「どっちのほうが」は、よもや尺度になり得ないと思っています。この点は、語っても折り合いがつくことはないでしょう、残念ながら。

208sunya:2002/11/05(火) 04:45
 > 205 犀角独歩さん。

 わたしは、「浅井発言などどうでもいい」(#195)のであって、あなたご自身のここで
の“言明”に対して申し上げているのです。
 わたしの発言の趣旨を、犀角独歩さんは「sunyaさん方のような言葉尻をとらえた反論」
と理解され、そのように「ご自身の“発言”と向き合」われたということを、わたしとし
て了解しました。
 これ以上この件で、申し上げることはありません。

209sunya:2002/11/05(火) 05:18
 > 203 無徳さん。

 わたしはいささかも、顕正会やアメリカの弁護をしているのではありません。誤解なき
よう、あえて『米国こそ今後「ならず者国家」として世界から嫌われ、その腰巾着の日本
は世界から蔑まれる』(#197)と、語句の“用例”をも示したことでした。

 わたしは、無徳さんの北朝鮮は「国家犯罪を犯してきた国」と同じ見解ですし、「自由
主義体制(資本主義)とされる国家も今や様々な困難に直面して喘いでいる」にも、まっ
たく異論はありません。

 ただ、#179の「人種差別」という“別の問題”へのスリ替えと、他者に対して「非常識
な発言」は慎めという言説を目撃して見過ごし・放置することができなかった、というだ
けのことでした。

210やーこ。:2002/11/05(火) 06:58
独歩さん。
まず、菊水護国さんのおっしゃるように、戦争の原点は日本の侵略ではありません。
侵略自体なかったと考えます。私は日清戦争を日中戦争と間違える程の浅学しか持ち合わせて居りませんが、
少なくとも今現代で語られる戦争の歴史はねじまげられ隠されたものです。一方的な日教組による偏向教育からです。証拠に、ラストエンペラー等の記述は少しだし、教師の中には根拠の無い殺害人数を教える人もいる事が挙げられる。
その時の教師の独りが私に語りました。モロ日教組派です。「今の歴史教育は我々が運動して作ってきたものです」と。

211ガンコ:2002/11/05(火) 07:08

どうしようか迷ったのですが書いて置きます。

sunyaさんのおっしゃることは、至極もっともなことで、わたくしにはなんら異存がありません。
今後ともご健筆をお祈り申し上げます。

なにを迷ったかと言うと、こんなこと書く必要ないことだから。おそらく黙って読んでいらっしゃる方々がいちばんよくわかっているでしょうから・・・

212やーこ。:2002/11/05(火) 07:12
(続き)その時の教科書の中身は、日本がドイツ、イタリアとならぶファシズム国家であり、三国同盟を結んだとあります。
ドイツはご存知ヒ(ッ)トラー、イタリアはムッソリーニ、、、
日本はさて誰なんでしょうね。他の二国と比べ体制が違います。
まさかみなさんの中には「天皇」と答えそうな方もいらっしゃるでしょうが、とんでもない。
「当時の軍事体制」が例の教育では正解だろうと思います。そこから私の疑問は膨らみました。何で体制が違う日本が、三国同盟を根拠に独裁国のひとつでしょう。何で教科書を翻す元兵士等の証言が出てくる?

213やーこ。:2002/11/05(火) 07:31
(続き)小判が出てくるように疑問が湧き、あれから手探りで真実の歴史を探すようになりました。
話が横道にそれてしまったので元に戻しますが、先ほどの教師の話と私の疑問が結び付き、「今の歴史とやらは作られたものなんだ」と思い、今日本人が誇れるような思想、真の歴史に巡り合いたいと思い、今の思考となった訳です。本当にひどいひどいお話です。
独歩さん、菊水護国さん同様、この点に関しては歴史認識の違いによりこれ以上論争しません。また団体話から戦争話になった事は私の責任であります。失礼しました。

214やーこ。:2002/11/05(火) 07:38
最後になりましたが、以上の書き込みは私の記憶によるものであり、おそらく若干の誤りがあると思います。よろしくご指摘下さい。特に菊水護国さん、歴史に関するご教示ありがとうございます。本当に博学で尊敬しました。
師匠と呼ばせてください。

これから仕事なので、何故ならず者発言に同調したのかについては、後ほど。

215犀角独歩:2002/11/05(火) 10:30

再度記しますが、私は隣国をならず者・ヤクザと詰ることは人種偏見からくる差別と取られるからやめるべきである、仏法を名を以て、国の問題を語るのであれば、隣国の民も衆生済度の対象である点を忘れるべきではないと申し上げたのです。
これは言説のすり替えではありません。

sunyaさんには、私の言を「スリ替え」としか認識されなかったことを残念に思います。

216アヤエ:2002/11/05(火) 11:45
顕正会は「国の為」という名目の為に 活動の士気が高いように思います。
でも 実際はどうでしょうか、
自分の仕事(家事なども含めて)を放棄して 折伏と言う勧誘活動に没頭してます。
仕事をして会社を盛りたてる事が日本経済の為であり、家庭円満こそが平和への
第一歩なんじゃないでしょうか。
焦ってやたらに折伏する事が社会の為になってるとは到底思えません。
その辺りに顕正会の矛盾を感じます。

小さないざこざの延長線上には戦争があるし、個人破産は日本経済の破綻に繋がるのです。
大袈裟な と思われるかもしれませんが、私はそう考えてます。
ですからガンコさんと私のここでのやり取りが このような大きな問題に発展したのは
自然な事だと考えてます。

ここでのやり取りはとても有意義だと思います。
皆さんの意見は とても勉強になります。これからも宜しくお願いします。

217犀角独歩:2002/11/05(火) 11:57

> 216 アヤエさん:

私は、この観察に賛同します。

少し自分の考えを付します。

今回、浅井さんのスピーチを聴いて、いちばん驚いたのは現段階でも未だに北朝鮮からの他国侵逼難を言い、さらに日本の広宣流布(つまり、事檀建立のことでしょうが)が北朝鮮2000万人の民を救うと言った論調で、さらに会員を煽っています。

この構造は北朝鮮問題を、自分たちの勧誘の手段にすり替えるというレトリックが含まれている点です。この結論は平たく言えば、北朝鮮(他国侵逼難)の解決は顕正会の勧誘拡大と事檀建立しかないと言う煽動です。

以上の点を踏まえ、

> 焦ってやたらに折伏する事が社会の為になってるとは到底思えません。
> その辺りに顕正会の矛盾を感じます。

という観察に私は賛同するものです。

218アヤエ:2002/11/05(火) 12:10
ガンコさん
>いずれにしましても、もとはわたくしがアヤエさんにあてた文章にことを発するわけでして、これではかえってアヤエさんに失礼と言うものです。
>過去においても「顕正会は右翼か?」でアヤエさんを置いてけぼりにするようなやりとりがありました。

確かについていけない事が多いですが、勉強になりますので失礼なんかじゃないですよ。
それよりも皆さんの真剣なやり取りにいつも感心してます、これからも宜しくお願いしますね。

219五月雨:2002/11/05(火) 12:16
仏教を信じ、実践しようとする人は、少なくとも世論に同調して世論と同じ言い方をしてはいけないと、独歩さんは言われているのですよね。
私とて北朝鮮という国が今まで犯してきた犯罪を許せないものと思っていますし、「ならず者国家」という言い方も言われても仕方がないと思います、言った張本人がブッシュでさえなければね。
日本の植民地支配は政策でしたが、朝鮮の人は皆が皆幸福を感じていたでしょうか、物事は両面から見て判断しなければ分からないと思うのです。もしかしたら判断出来ないかもしれません。けれど北朝鮮に否応無く生まれ、そんな酷い体制の中で生きて暮らしている人、死んでいった人がいるのです。同じ人間としてそのことを忘れてはいけないでしょう、仏教の教えには二十四文字の法華経があるのですから。人が人を敬うことを忘れる仏教信徒にはなりたくないと思うのです。

220アヤエ:2002/11/05(火) 12:26
独歩さん
賛同して頂いてありがとうございます。
ガンコさんへのメッセージを書いていて気付きませんでした(^^;
これからも宜しくお願いします。

221sunya:2002/11/05(火) 15:37
 > 215 犀角独歩さん。

>> 再度記しますが、私は隣国をならず者・ヤクザと詰ることは人種偏見からくる差別と取られるからやめるべきである、仏法を名を以て、国の問題を語るのであれば、隣国の民も衆生済度の対象である点を忘れるべきではないと申し上げたのです。

 では上記の“言説”について、もう一度お話をいたしましょう。「隣国の民も衆生済度
の対象である点を忘れるべきではない」には、全く異論はありません。
 「人種偏見からくる差別と取られる」については、『米国こそ今後「ならず者国家」と
して世界から嫌われ』という言葉も示したように、こうした言明まで「人種偏見からくる
差別」に結びつけることになるような・かたくなな“思考法”は、すくなくともわたしは
取ることはありません。そして以上のことについては、これ以上言うことはありません。

 さて、わたしが一つだけ申し上げたいのは、自身のスタンダードに照らして“非常識”
となる他者の「言葉」の用法に対して、“慎むべきだ”“やめるべきだ”とする「言葉刈
り」の立場を犀角独歩さんが<堅持>されている、ということです。

 「ことば」はその文脈において、“生きて”用いられていることでした。仏法の文脈で
例を出すなら、「末法の法華経の行者」を自認された日蓮御房はこう言います。
 「邪法なるゆへに、皆一同に持斉になりて国の百姓をくらう蝗虫(いたむし)となれり」
(報恩抄)、「真言の善無畏・禅宗の三階等・浄土宗の善導等は仏教の師子の肉より出来
せる蝗虫の比丘なり」(同)「天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の
師子の身の中の三虫なり」(同)と。

 「ならず者・ヤクザ」より、見ようによってはひどい「ことば」ですね。この例をみて、
またただちに、“じゃあ日蓮御房が云っているから使っていいのか”などと短絡思考をし
ないでください。そんな薄っぺらい事を、云っているのではありません。
 ある「言葉」に対して、“慎むべきだ”“やめるべきだ”として「○○の不自由な人」
などと言い換えることが流行っています。そうしたことを押し進め(極論です)れば、法
華経だって日蓮御房の御抄だって“伏せ字”にしなければならない箇所も、多いことでし
ょう。そして、もともと善意から発したはずの“言い換え”や“伏せ字”は、反面「問題
の隠蔽」を来すことは、釈迦に説法・犀角独歩さんにあらためて申し上げることもない、
ことでしょう。
 
 犀角独歩さんの“常識”と異なる“常識”に基づいた「ことば」は、また世にあふれて
いることでしょう。そして、“常識”と判断・了解する基準もまた“相対的”であると知
ることが、まさに「脱カルト」の基本でもあるとわたしは思うのです。
 犀角独歩さんがご自身の“常識”を語ることと、他者の「ことば」に“慎むべきだ”“や
めるべきだ”と云われることの<その間>に、わたしは何か深い“溝”を感じたというこ
とを、一言申し述べておきたいと思います。

222トゴシ:2002/11/05(火) 20:24

僕は「在日」です。
ここのスレッドは実に不愉快です。
ならず者、やくざ、日本に戦争責任がない。
何を言ってるんですか。
右翼も反対です。

223トゴシ:2002/11/05(火) 20:35

>221

ならず者、やくざ発言を認めるあなたこそ、常識を相対化して考えたほうがいいんじゃないの。
顕正会員のようだけど、脱カルト?、そんなことがいえるわけかい

224菊水護国:2002/11/05(火) 23:51
トゴシさん
知ってる人は知ってますが、私の右翼の上部団体の長は韓国人です。
在日右翼は全国で数千人おられます。しかも活動家の中心は韓国人の方のほうが激しいです。頭が下がります。
しかもほとんどが戦後韓国で教育されて育った方です。
その方が真実に目を向け、日本の右翼団体を起こしたのです。
私の歴史観はその韓国人の方から培ったことが多いです。
日本そのものの事は私のほうが長けてますが、韓国での両班の迫害などはその方から学びました。
在日だから右翼が嫌いと言うのは成立しませんよ。

なお、浅井さんがならず者と云ったのは「北朝鮮」です。
「韓国」は違います。日本と同じくならず者国家の被害者です。
ここに人種差別などありません。

225やーこ。:2002/11/06(水) 07:03
トゴシさん
ダカーポ502号参照の事。在日韓国人の右翼の方の顔写真あります。

私はならず者に同調した理由をいいましょうか。ヤクザはあてはまらないですが。
北朝鮮に日本は米支援をしましたが、果たして末端に届いたのでしょうか。相変わらずとうもろこしと草木です。亡命者による絵では食料を盗むと死刑になるので人をゆでて食べているのを見てしまったそうです。ではお米は何処に消えてしまったのでしょうか。
拉致帰国者がいい身分で過ごせたのにもかかわらず痩せていましたが、何故か金正日氏の写真はぷくぷく太っています。

226やーこ。:2002/11/06(水) 07:51
上記レス、間違えてオフ会スレにやってしまったのでどうしよう、と思ったのですが、いつの間にか移動になってましたので、感謝です。
続きは後ほど書きますが、北朝鮮に対しては怒りがこみあげてきます。特に飢餓等で子供が犠牲になっているので許せません。要はそういう事ですが。

227やーこ。:2002/11/06(水) 07:54
訂正 いい身分、の前に比較的を入れて下さい。
これでは悪口になってしまいます。

228犀角独歩:2002/11/06(水) 08:48

221 sunyaさん:

顕正会に馴染んできた方々と、私とでは感じ方が大きく違うことを認識したやり取りでした。

私は顕正会・浅井さんの言説に人種偏見並びに差別を見て取ります。しかし、sunyaさんは違う。これは個人差です。

私はならず者・ヤクザという表現を隣国にすべきではないと思う。しかし、sunyaさんは、是く私が記すことを“言葉狩り”であるという。これは感覚の相違でしょう。私は少しもそのようなつもりはない。先には私の記述を「放置」できないとまでしるしていました。放置とは辞典によると

ほうち はう― 【放置】
(名)スル
ほうったままにしておくこと。また、置きっぱなしにしておくこと。
「駅前に―された自転車」

とあります。つまり、モノが放り置かれた状態を言うわけです。私は記述はもちろん放置自転車ではありません。このような語彙を以て、私の記述に抗議するsunyaさんの感覚からすれば、なるほど、「ならず者・ヤクザ」は受容範囲なのでしょう。

また、常識の相対化などと記していますが、あなたが記すことは少しも相対化されているとは思えません。

今回の常識・非常識は、ガンコさんが紹介した高校生と校長の話から、顕正会・浅井さんが常識的であるか否かに端を発しているわけです。私はその非常識の例として、浅井さんの「ならず者・ヤクザ」発言を引きました。しかしながら、私が同会・同氏を非常識と感じるのは、言うまでもなく、この発言に限るわけではありません。

私は日本には天皇を頂点にして、戦争責任があると考えます。しかし、浅井さんはないと断言しています。もちろん、拉致事件の責任は北朝鮮にあるでしょう。しかし、戦争責任と拉致事件の責任問題は別のことです。この点について、sunyaさんは、どのように考えているの知れませんが、浅井さんは日本に戦争責任なしという前提に立って、北朝鮮をならず者・ヤクザ呼ばわりした。責任を考えるほうからすれば、これは暴言に属する。私は日本の支配によって朝鮮の方々は多大な迷惑と被害を蒙ったと考えます。ですから、その日本の責任をまったく認めず、被害を与えておきながら、それを省みることもなく一方的に「ならず者・ヤクザ」などという点を非常識と言ったのです。

故に、いくら相対化したところで、顕正会・浅井さんが常識の範囲に入るとは到底思えません。

以上のことから、常識・非常識を計る基準を相対化する必要性は、むしろ、sunyaさんご自身が考えるべきことであると私には思えます。

229犀角独歩:2002/11/06(水) 08:49

―228からつづく―

なお、

> “常識”と判断・了解する基準もまた“相対的”であると知ることが、まさに「脱カルト」の基本

とのことですが、これは何を根拠にこのようなことを言われるのか理解できません。
この脱カルトという言葉が私に向けられているのか、あるいは顕正会・浅井さんに向けられているのか、あるいはsunyaさんご自身に向けられているのか判然としておりません。

「脱カルト」というのは、脱カルト団体、すなわち、カルト団体を脱(ぬ)けるという意味を先ず持ちます。カルトとは西田公昭師の定義に基づけば

「カルト(cult)とは、何らかの強固な信念(思想)を共有し、その信念に基づいた行動を熱狂的に実践するように組織された集団のことをいう。「カルト」という言葉は、本来は、儀礼、崇拝、熱狂などの意味をもつ英語である。それから派生して、既成宗教の信者が、新宗教や異端的な宗教を「邪教」としてのレッテルを貼る意味で偏見的、差別的に用いることがある」(『マインド・コントロールとは何か』P12))

ということですから、特定の集団とそこに所属するメンバーに係ることとなります。
この場合、私は何れの団体にも所属しませんので、顕正会・浅井さん、sunyaさんご自身を指していると言うことでしょうか。

仮にもし私を指してのことであれば、致し方がありませんが、以下のハッサン氏の言葉を申し上げるほかありません。

「皮肉なことに、カルトのメンバーたちはおたがいに、ほかのカルト集団に入ったものを見下げている。すぐ、『あの人たちは、カルトに入っているのだ』とか『【彼らは】洗脳されている』とか認めてしまう。自分自身の状況から抜け出して、自分を客観的に眺めることができないのである」(『マインド・コントロールの恐怖』P150)

なお、脱カルト支援の現場では脱カルトという用語は、脱カルト団体として用いられることは例外の属します。通常、社会心理学、宗教病理学などで言われる脱カルトとは、脱・破壊的カルト・マインド・コントロールを略して用いられます。では、破壊的カルト・マインド・コントロールとはと言えば、たとえば、ハッサン氏は

「(マインド・コントロールとは)個人の人格(信念、行動、思考、感情)を破壊してそれを新しい人格と置き換えてしまうような影響力の体系(システム)のことである。多くの場合、その新しい人格とは、もしどんなものか事前にわかっていたら、本人自身が強く反発しただろうと思われるような人格である」(同P26)

というのです。また、その前提において、脱カルトという場合、通常挙げられるのは8つの鍵などといいます。

第一の鍵 親密な関係と信頼関係をきずく
第二の鍵 目標重視のコミュニケーションをする
第三の鍵 人格のモデルと作りあげる
第四の鍵 カルト以前の人格に触れる
第五の鍵 現実世界をいろいろな角度から眺めさせる
第六の鍵 間接的な情報を与えて、思考停止の作用をさける
第七の鍵 カルトの外でしあわせな未来を思い描かせて、恐怖の教え込みを解く
第八の鍵 マインド・コントロールとは何か、また破壊的カルトの特徴とは何かを具体的に説明してやる。

故に、sunyaさんが言う如き、基本は私は存じ上げません。

しかし、仮に「“常識”と判断・了解する基準もまた“相対的”」というのであれば、ご自身の了見について、よく当て嵌められて、お考えになればよろしいと思います。
「慎むべき」「やめるべき」が私自身の常識に基づき、相対化されない結果であるといわれながら、また、ご自身も「見過ごし・放置することができなかった」といい、私の言説に慎め・やめるべきを説いている点に気付かれない点に非相対化を見るわけです。

いずれにしても、この問題は、顕正会の在り方を論じ合っていたところ、それが私の個人攻撃になっていった点に、大石寺系グループによく見られる攻撃技法を垣間見た思いがしたものです。

230犀角独歩:2002/11/06(水) 09:02

■[在日]の大辞林第二版からの検索結果 

ざいにち 【在日】

(名)スル
外国人が、日本にいること。

・在日は韓国の方に限る言葉ではないでしょう。

231菊水護国:2002/11/06(水) 09:26
あえて客観的に書きます。

> 私は日本には天皇を頂点にして、戦争責任があると考えます。
当然、独歩さんの考えとして、そのような考えであるのは問題ないと思いますし、思想信条の自由だと思います。

> しかし、浅井さんはないと断言しています。
これも、浅井さんの考えとして、そのような考えであるのは問題ないと思います。同じように思想信条の自由でしょうね。

> もちろん、拉致事件の責任は北朝鮮にあるでしょう。しかし、戦争責任と拉致事件の責任問題は別のことです。この点について、sunyaさんは、どのように考えているの知れませんが、浅井さんは日本に戦争責任なしという前提に立って、北朝鮮をならず者・ヤクザ呼ばわりした。責任を考えるほうからすれば、これは暴言に属する。私は日本の支配によって朝鮮の方々は多大な迷惑と被害を蒙ったと考えます。ですから、その日本の責任をまったく認めず、被害を与えておきながら、それを省みることもなく一方的に「ならず者・ヤクザ」などという点を非常識と言ったのです。
ちょっと待ってください。日本に「戦争責任有り」と考えるのは自由ですが、浅井さんは「戦争責任無し」を前提に、拉致事件等をもって「ならず者国家」としたのですよ。
それを非常識と言うのは、前提条件として間接的に「戦争責任有り」を押し付けている事になりませんか。
少なくとも浅井さんは「戦争責任無し」の自説の元に論を展開しています。対して独歩さんは「戦争責任無し」の自説の元に論を展開しています。そこには同じ土俵に立ってないのですから、非常識か常識かは定まらないのではありませんか。

232犀角独歩:2002/11/06(水) 09:35


「同じ土俵に立ってないのですから、非常識か常識かは定まらないのではありませんか」というのが菊水護国さんの考えであることはわかりました。

同じ土俵に立たなければ定まらないのであれば、「ならず者国家」であるかどうかも定まりませんね。

233菊水護国:2002/11/06(水) 09:56
ちなみに、私は戦後、昭和20年以降の教育を受けた世代が「マルクスカルト」の中にいたと思ってます。
学校では、自虐史観を叩き込み、日本史の起源を教えず、戦争責任絶対論等大変な刷り込みをしました。これも洗脳であると思っております。
私の右翼の師(韓国人)の話では、同じく韓国でも「李朝の横暴(売国奴)」「日本の横暴」「天皇の戦争責任」を刷り込んだそうです。
ここに韓国でも挙国一致の政策のためやむをえない部分が多かったと判断しております。
なお、我らの主張は「戦争責任ナンセンス論」です。
「戦争に善悪無し。」「戦争責任に意味無し」と言う考えです。広義に言えば全ての戦争関係者に戦争責任はあります。しかしそこに正義も不正義もありません。あるのは国益と防衛です。ですから戦争責任と言う言葉自体がナンセンスだと考えております。

私は父方祖父は陸軍少尉、母方祖父は憲兵准尉、伯父は少年航空兵、父は17歳で深川警察通信士(モールス)として東京大空襲を逃避しておりました。
対して、何故か叔父3人は左翼革命闘志であり、天皇制反対を唱え、戦後皇居にデモを起こした1人でした。
その中に両方の思想を見てきました。両者の史観は正反対であり、戦争責任も正反対でありました。私は少年時代から頭が混乱するくらい違うことを言う親戚に矛盾を感じ、自ら歴史勉強に、邁進し、ここに私と言う存在があります。
正直、顕正会時代でも、浅井さんの歴史観すら私の中では幼稚な物で不徹底さを感じていました。浅井さんは「仏法は体、世間は影」を強調するあまり、冷静な世法判断を失っていると感じたものです。
戦後何を言っても自由になったのは、素晴らしいことだと考えます。
戦争問題も常識は定まっていません。また常識と言う絶対公約数思想を作り上げることこそ、村八分の思想であると考えます。
私は高校時代に、教師に日本に侵略行為は無かったと言っただけで、単位を貰えなかった経験があります。それ以来私は「マルクスカルト」学校と思い、その教師とは挨拶もしなくなりました。今考えると面従腹背しておけば良かったと考えますが、十代には無理でした。

234菊水護国:2002/11/06(水) 09:59
> 同じ土俵に立たなければ定まらないのであれば、「ならず者国家」であるかどうかも定まりませんね。
そのとおりです。だから浅井さんの思想信条の自由であり、彼の表現の自由であると考えます。
浅井さん自体は「ならず者国家」と考えると言う事でしょう。

ちなみに、私は「腐れ下道国家」「大犯罪国家」と考えますが・・・。
これも表現の自由として表明します。

235五月雨:2002/11/06(水) 10:30

横レス失礼致します。

菊水さん

浅井さんは顕正会の代表ですよね、大きな団体の長というのは社会的責任を負っていませんか。その方が無責任な発言をされることを

>戦後何を言っても自由になったのは、素晴らしいことだと考えます。

と、一般大衆と同様にして何を言っても良い事になると考えるのは、違うのではないでしょうか。
社会的責任のある立場にいる人間が何を言ってもいい事になれば、秩序が乱れてくるのではないですか。影響力のある人間は自分の発言に責任を持つのは当然です。浅井さんにはその自覚がないから、問題視されるのです。

236犀角独歩:2002/11/06(水) 11:19

なんだか論点がずれていますね。「ならず者国家」「ヤクザ」「腐れ外道国家」「大犯罪国家」は表現自由であるから何でも好い。となれば、大石寺、創価学会、顕正会の貶し合いも好いとなるのでしょう。

だから、そんな表現でやりたいのであれば、2ちゃんに行けばどうですか。
ここでは表現上の襟度は重んじられればこそ、冷静な議論が成り立ってきたのです。

しかも、板のテーマも「創価学会法華講正信会顕正会妙観講等はカルトっぽいか」なのですから、この線に沿って記しませんか。

そのテーマ下で、…何度も記しますが…、この常識・非常識はガンコさんが挙げた高校生と校長の話から顕正会は常識的であるというところから始まっているのです。だから、私は非常識な面もあるだろうと言ったわけです。その一例としてのならず者・ヤクザが非常識であるという見解です。顕正会の常識か、非常識かで議論するためです。これは顕正会はカルトっぽいかという前提で団体のその長に関する議論です。

それが非常識などという他者攻撃はけしからんという個人攻撃に変わってしまいました。顕正会の常識を言うことはよいけれど、非常識だといった途端に個人攻撃です。

まあ、菊水護国さんの論調から言えば、どうやら私にも表現の自由はあるのでしょうから、私が顕正会・浅井さんを非常識と思う自由もあることになるでしょう。ですから、この個人がテーブルに挙げた「顕正会・非常識という議題」を、私の人格を論じる形ではなく、「顕正会がカルトっぽいか」どうかというスレッドのテーマに沿って考えて貰えませんか。

これはまた、私も話を拡散させてしまった日本の戦争責任、あるいは右翼思想も取りあえず、横によけて、仕切り直してください。(右翼の話は別スレッド「顕正会って右翼団体?」ででもやってください。)

菊水護国さん、だから、この線から聞きます。では、顕正会は常識的な団体であるといえるわけですか。それとも非常識ですか。カルトっぽいですか。

237菊水護国:2002/11/06(水) 11:20
五月雨さん
だから、浅井さんは一団体の長として責任を持って、自らの信念を言ってると思いますよ。
決して無責任じゃ無いでしょう。彼の言ってる事は結構的を得てますよ。
影響力があることも分ってると思いますよ。自らの考えを出来るだけ広めたいのだと思いますよ。
浅井さんは自分の影響力を大きく思いすぎなくらいですよ(誇大妄想・笑)。

浅井さんは決して、飛び抜けてとんでもない事は言ってませんよ。
今の常識に近いくらいです。現代拉致問題を毎日の如くテレビで放映してますでしょう。
そこでは、浅井さんよりもっと有名な有識者の過激な論が展開されてますよ。

238菊水護国:2002/11/06(水) 11:25
分かりました。話を戻します。

> 菊水護国さん、だから、この線から聞きます。では、顕正会は常識的な団体であるといえるわけですか。それとも非常識ですか。カルトっぽいですか。
顕正会ですか。浅井さんが自ら「正当なるカルト」と言ってる位ですから、自他ともにカルトでしょう。
ただし、常識、非常識については、何が常識かを定義付けなければ始まりませんから、止めておきます。

239犀角独歩:2002/11/06(水) 11:58

ガンコさん:

で、私が挙げた顕正会非常識のネタ「ならず者・ヤクザ」はちょっと置いて、高校生の話に戻します。

この高校生には信教の自由、布教の自由という基本的な人権があります。
だから、校長が謝罪したという点は、そこからはわかるのです。

しかし、一方、ガンコさんもよおくご存じのとおり、その高校生が勧誘をするのに使うのは学校から配布された『学級名簿』であったのではないでしょうか。もし、そうであった場合、この名簿を利用した勧誘行為は、社会通念上、果たして「常識」に属すると言えるかどうか、私は言えないと思います。また、名簿の内容を顕正会、もしくは会員に伝えたとすれば、個人情報の漏洩という違法行為にも抵触するのではないかと思います。

次に、私は顕正会からの被害を訴えるご家族と500名近くお会いするのです。
その中で親御さんが訴えることは子どもが友人に無理な勧誘をしたことに拠る被勧誘からの苦情で神経障害になりそうだという悲痛な訴えです。

顕正会勧誘で暴力事件を起こした子供を持つ親御さんの相談、顕正会勧誘が高じて高校をやめてしまった子供の相談など数限りがありません。また、勧誘に遭って、なかば軟禁状態で複数の人間に囲まれて強制的に入会をさせられた人々の訴えも多くあります。もちろん、これは個人のプライバシーに属することですから、ここに記すことはできません。しかし、常にそのような顕正会に悩まされる親御さんの悲痛な訴えを聞く私からすれば、ガンコさんが挙げた高校生の例は噴飯物であると感じるわけです。

顕正会勧誘の裏でどれだけ多くの親御さんが泣いているか、お考えになったことがありますか。

しかし、これらの問題を起こす勧誘者もまた、顕正会の危機意識・他者憎悪に基づく操作に基づく強迫観念によって翻弄されていると判断します。ですから、私は藤田庄一氏が提唱した「スピリチュアル・アビューズ」という視点から、会員そのものも被害者であるとは思います。しかし、被勧誘者については、マインド・レイプという被害的な側面から見ているわけです。そして、勧誘者家族もまた、その重大な被害者です。

このような実質的な被害に泣く人々の渦中にある私からすれば、顕正会が常識的であるとはとても思えるものではありません。また、強烈な他宗批判と憎悪を植え込むこの団体が「ならず者・ヤクザ」という言説をなせば、それは他者蔑視に基づくものとしか判断しようがないというのが175、179の記述です。まあ、この記述が不適切であるというのであれば、下げても構いません。

たぶん、アヤエさんが記したかったこともそのような点であったのでしょう。
ただ、私はこの点について、レスをしなかったのは、話題にされる特定個人もまた被害者であると思ったからです。これはまた他のスレッドでTGSさんが記されたことも含めれば、大石寺系グループ全体の問題でもあろうかと思います。この点はしかし、恋学などで取り上げられていますから、ここでは私は触れません。

以上、記したような実質的に被害と感じ、悲痛な訴える、少なからぬ人がいることをどうか忘れないでください。ここから顕正会・浅井さんの常識・非常識を考えてみてください。私が言う常識・非常識は他の3人の方がいうそれとは論点・視点が違うのです。

240犀角独歩:2002/11/06(水) 12:14

法律に詳しい菊水護国さん:

学級名簿、社員名簿、その他の名簿を、宗教勧誘に使うことは法律に抵触しませんか。
議論の流れとは別に純粋に法律的な見地からご教示いただけませんか。

241五月雨:2002/11/06(水) 12:28

菊水さん

浅井さんは自分の社会的責任の立場を理解して、そして責任のある発言をされたというのですね、責任のある“憎悪の煽り”という訳ですね。
顕正会って基本の教えは日蓮聖人の説かれた教えを用いていると受け取っているのですが、これは間違いでしょうか。日蓮聖人が拠り所とされた経典「法華経」には「我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。」と説かれていますが、これを宗祖と同じく用いる事が日蓮門下だと思います。
ひとりひとりの仏性を重んじられた聖人の教えを汲んでいるはずの、顕正会のトップが信仰者としての何の弁えもなく、他国を詰って信徒に憎悪を植え付ける行為は、結局聖人の仏法を信じているのではないとよく分かりました。

独歩さんの話の腰を折りました、お詫び致します。

242菊水護国:2002/11/06(水) 12:47
> 学級名簿、社員名簿、その他の名簿を、宗教勧誘に使うことは法律に抵触しませんか。

学級名簿の性質にもよります。PTA名簿ならそれ以外の行為に使うのは、プライバシー権を侵害するでしょう。また学生同士が交流を図るために作られたものや、同窓会名簿なら学生がが使うのは問題ないと思います。
ただし、都立教師が生徒勧誘に学生名簿を使用するのは、刑法上公務員職権乱用罪の恐れがあります。
また、社員名簿もその名簿の性質にもよります。たとえば、その名簿が仕事上使用する事を基本に作られたものならば、それ以外に使用するのはプライバシー権の侵害に当たるかも知れません。
要は名簿と言っても、その作成性質によります。
上記、判断は「営業勧誘」に使った場合の判例に基づきました。宗教も同じだと思いますよ。

243犀角独歩:2002/11/06(水) 12:55

> 242 菊水護国 さん:

有り難うございました。
参考になりました。

244犀角独歩:2002/11/06(水) 12:56

五月雨さん:

> 話の腰を折りました

いえいえ。ぜんぜん、そんなことはありませんよ。

245菊水護国:2002/11/06(水) 13:27
五月雨さん
“憎悪の煽り”と言うのは我々側の解釈に過ぎず、浅井さん自身が憎悪を煽るために発言してるかどうかは分からないでしょう。ただ悪い事を悪いと言っただけかも知れません。
だから、憎悪の煽りと決め付けるのはいかがでしょうか。

246菊水護国:2002/11/06(水) 13:31
独歩さん
ついでに、名簿とは関係有りませんが、数年前、顕正会員の区役所福祉担当者が福祉受給者を勧誘した事があったでしょう。
この場合、まかり間違えば「福祉受給中止」される恐れがあり、逆らえずに入信したと聞きました。
このような勧誘は明らかに違法ですね。
福祉担当者はその後区役所から処分されて、今処分について係争中だそうです。

247犀角独歩:2002/11/06(水) 13:41

横レス失礼します

> “憎悪の煽り”と言うのは我々側の解釈

なるほど。菊水護国さんは個人的にはこの見解に賛同と言うことなのですね。

> 浅井さん自身が憎悪を煽るために発言してるかどうかは分からない

これは、ご本人でなければわからないのは、事実です。
しかし、その指導を受けた人々がそのような憎悪感を懐くに至っているとすれば、…たとえば創価学会池田さんに対するように…結果論的にはそうなったと言えるでしょうね。

248五月雨:2002/11/06(水) 13:49

菊水さん

>浅井さん自身が憎悪を煽るために発言してるかどうかは分からないでしょう。ただ悪い事を悪いと言っただけかも知れません。

何度も言いますが、宗教団体の長という責任ある立場の人間が他者への影響を考えず(考えてるらしいですが)何を言っても良いということにはならないと申し上げているのです。
それと、浅井さんは取り合えずでも、聖人の仏法を信奉するポーズを取る信仰者として考えなくては、菊水さんの仰ってることは浅井さんをただ庇っているとしか私には思えません。

>だから、憎悪の煽りと決め付けるのはいかがでしょうか。

ブッシュが「ならず者国家」と発言した時に、聞いた人々の中にはやっぱりと思い、悪印象を強くして憎しみさえ感じた人がいたのではないでしょうか、ではブッシュが悪いものは悪いと言っただけで何の責任も無いのなら、不用の憎悪を植え付けた責任はどこにも無く、聞いてそう思った人間にあるのですね。

それは違うでしょうと言わせて貰います、ブッシュの発言があった、それを聞いた人が憎悪を感じた、これこそ「憎悪の煽り」をしたブッシュの責任です。と言っても厚顔無恥を恥じないアメリカ合衆国大統領にその責任を言っても無駄ですが。

浅井さんは日本における宗教団体の長ですから、ブッシュと同じには論じられないでしょう。
浅井さんが厚顔無恥でないことを祈ります。

249犀角独歩:2002/11/06(水) 13:53


> 246

ええ、ありました。
そうですね。まあ、世雄会のことを蒸し返すわけではありませんが、会員が行き過ぎた勧誘をしたときはしっかりとした罰則明示をしないと、会の質を疑われることになりますね。しかし、あまり言い過ぎれば、やる気を殺いでしまう。この辺のさじ加減は会側としては難しいのでしょうね。だから、会員にはそんな記事はなるべく伝われないように済ませる(苦)

もう一つ、法律的なことをお尋ねしてよいでしょうか。

随分前なのですが、うる覚えの記述で恐縮ですが、池田さん側がプライバシー侵害ということで裁判を起こしたことがありました。司法の判断としては池田さんはすでに公人と目されるのであって、その意味にプライバシー侵害に当たらないという結論であった記憶します。

こういった法律上の私人・公人の峻別はいったいどの辺りで引かれるものなのでしょうか。池田さんが公人である場合、浅井さん、顕師はどうなりますか。

250ガンコ:2002/11/06(水) 14:18
独歩さん

ずいぶん回り道をしてらしたこと。いったいどこに行っちゃうのかと心配してましたが、ようやく戻っていらしたようですね。

だいたい独歩さんがわるいんですよう、「これはまた、私も話を拡散させてしまった」・・・とおっしゃってますけど、sunyaさんにもちゃんとご挨拶なさったほうがよいと思いますよ。

生意気のようですが、わたくしが心配したのはアヤエさんのことでした。皆さんがあーだこーだ言うものだから、参加しづらくなっているのではないか、と思っていたのです。
けれども杞憂でした。アヤエさんはしっかりしていらっしゃるし、五月雨さんのおっしゃるように賢くていらっしゃる。かなりややこしい議論になっていましたけど、よくポイントをつかんでいらっしゃる。それどころか、議論が紛糾することは顕正会の体質をあらわすこと・・・という意味のことまでおっしゃっているように思え、かえってわたくしのほうが教わることが多いように思いました。

そういうことで独歩さん、よろしくお願いしますが、少し時間を下さい。

あと、はずかしい話ですが「恋学」というのを知りません。教えてください。

251菊水護国:2002/11/06(水) 14:24
五月雨さん
>菊水さんの仰ってることは浅井さんをただ庇っているとしか私には思えません。
残念ながら、既に顕正会と言う団体の悪しき情報を知ってしまっている色眼鏡ですね。
もっと客観的に見れませんか。今回の浅井さんの発言を富士門とは無関係な色々な人に提示しましたが、正論だと言う方がほとんどでした。
また、拉致被害者の会関係の方からは、浅井に会ってみたいなと言われて、返答に窮しました(笑)。
私はいまや浅井さんなど庇う必要性はありませんし、人間的にも組織的にも問題を感じております。その上で、客観的に感想を述べているだけです。
たとえ悪い団体でも全てを悪いとしてしまうのは危険です。悪しき部分は悪しく、良き部分は良く論じてみませんか。
今回の浅井さんの発言には、既に有識者の間では結構買われております。ここまで浅井さんが狙ったとすれば、大した悪党ですが・・・(爆)。

252犀角独歩:2002/11/06(水) 14:29

250 ガンコさん:

私を責めることより、私が記述した内容をしっかりと読んでください。
顕正会から主観的な視点を少しずらしてみなさいよ。
なんて、私が悪いことになるんですか。

恋学は以下のとおり
http://www.koi-gaku.net/cgi-binbin/bbs1/index.html

253菊水護国:2002/11/06(水) 14:37
>随分前なのですが、うる覚えの記述で恐縮ですが、池田さん側がプライバシー侵害ということで裁判を起こしたことがありました。司法の判断としては池田さんはすでに公人と目されるのであって、その意味にプライバシー侵害に当たらないという結論であった記憶します。こういった法律上の私人・公人の峻別はいったいどの辺りで引かれるものなのでしょうか。池田さんが公人である場合、浅井さん、顕師はどうなりますか。
少し書籍を紐解きましたが、明確な判断は出てませんね。各々裁判で判定するんでしょう。
ただし、一つの組織の長位では公人とは扱われませんね。公人と扱われなかった例として曹洞宗永平寺の管長がプライバシー権を認められました(公人ではない)。
また、あごん宗のあの方(知ってますよね)も公人にはなってません。
池田さんにしても、一創価学会の会長だけだったら、公人では無かったのでしょうね。一体不二の公明党と言うまさに公人(議員)組織の精神的長であることが加味されたようです。
さて浅井さんも日顕上人も残念な事に一般的に公人と言うには小さいですね。信徒はがっかりするでしょうが、一宗一派の主に過ぎません。公からは池田さんより遥かに小さく見られてますね。

254犀角独歩:2002/11/06(水) 14:41
> 251

また、よく言いますよ。
あの話の結論は、

「煎じ詰めて言うならば、これも私が常々言っておりまする日本が亡国の坂道を転がりつつある。その一つ、現れなのだというのです。もう広宣流布する以外に根本の解決は絶対にないんです。三大秘法を根底とする新しい国を作る以外には国家は安泰は絶対にあり得ない。これから月々日々にですね、いろんなことが起きてまいります。そこに、いま真に国を救うのは顕正会以外にはあり得ないんですね。いよいよ、大事な9月の、今日を入れて、あとで3日でありますが、一念心を貫いていきたい。何としても、共に励まし、真心を尽くしきっていこうではありませんか。以上」

こんな部分を識者が認めているのですか。北朝鮮問題を解決する方途は顕正会の言う広宣流布だというのですよ。もっと色眼鏡を濃くしたほうがいいんじゃないんですか(笑)

是非とも、そのご立派な識者のご芳名を賜りたいものです。

255犀角独歩:2002/11/06(水) 14:43

> 253 菊水護国さん:

有り難うございます。参考になりました。
もっともなご判断であろうかと思います。

256菊水護国:2002/11/06(水) 14:46
心配要りません。
終局のこの部分は認めてませんから(爆)。
要は泥棒にも三分の理的な受け取り方ですから、ただし、あの浅井さんの発言を見れば、何か政治的な行動をしてくれるんでは無いかという期待が抱けるでしょう。
もちろん、あの方たちがそんな真似はしませんが。
ただし、部分的に認めていると言うことですよ。

257菊水護国:2002/11/06(水) 14:51
私が言いたいのは結論が間違ってても、中間部分で認めるべき部分はあると言う事です。
また浅井さんは何時もそうですが、まず①世法上の問題提示をします。②そこに無理やり仏法に結論を持っていきます。
②は無理があっても、①は言えてる場合が多いでしょう。
その①の部分は認める方はいると言う事ですよ。
ただし②は認めないとは思いますが・・・。

258菊水護国:2002/11/06(水) 14:54
浅井さんの①の部分を認めたのは、昔からそうですが自民党のHKさんですよ。
一時期、田中真紀子さんに味方してた人・・・分かりますよね。
イニシャルは姓・名の順番ですよ。

259五月雨:2002/11/06(水) 15:09

菊水さん

物事を客観的に見るという姿勢は大変によろしい事だと思います、だったら、浅井さんは一信仰者と見られますよね。私はその点が重要だと言っているのです、仏法を信じていると会員の前では言っているのでしょう、独歩さんが教えて下さったスピーチの中には「三大秘法」という言葉を使っていますから、それは間違いないですよね。そんな浅井さんが、日蓮聖人が重んじられた人間の仏性を無視した上に、憎悪を煽るような話をしてもいいのですか。
世間でどんな話がなされてもいいのではないですか、それは富士門とは関係ありません。

>今回の浅井さんの発言を富士門とは無関係な色々な人に提示しましたが、正論だと言う方がほとんどでした。

では富士門のまともな信心をされている人に聞いてみてください。

260五月雨:2002/11/06(水) 15:16

横レス失礼致します。

ガンコさん

>だいたい独歩さんがわるいんですよう、「これはまた、私も話を拡散させてしまった」・・・とおっしゃってますけど、sunyaさんにもちゃんとご挨拶なさったほうがよいと思いますよ。

えーと、私はずい分と熱心にこのスレッドは読んでいたのですが、独歩さんのどこが悪かったのでしょうか気がつきませんでした、独歩さんも戸惑っておられるようですが、どこがどう悪いと感じられたのでしょうか。ご提示して下さいませんか、私の読解力不足があるみたいです。

261sunya:2002/11/06(水) 15:20
 > 229 犀角独歩さん。

>> 故に、sunyaさんが言う如き、基本は私は存じ上げません。

 第五の鍵 現実世界をいろいろな角度から眺めさせる
 第六の鍵 間接的な情報を与えて、思考停止の作用をさける

 これが、“わたしのことば”で述べた「“常識”と判断・了解する基準もまた“相対的”
であると知ること」に、ほぼ相当するとわたしは思います。

 いずれにしても、わたしの言明が犀角独歩さんには「個人攻撃」と受け止められたこと
は、残念でした。そのように受け止められるような“言い方”しかできなかったことは、
わたしとして反省をしなければなりません。

 「見過ごし・放置することができなかった」と述べたのは、日頃“顕正会員”がさまざ
まにお世話になり・尊敬する犀角独歩さんであればこそ、わたとして「慈無くして詐り親
しむは即ち是れ彼が怨なり」(開目抄)の“怨”を免れようとこころみた、そうした存念
によるものであったことを、申し上げておきましょう。

>> 私の言説に慎め・やめるべきを説いている点に気付かれない点に非相対化を見るわけです。

 そこまで「無自覚」ではありませんが、わたしとして犀角独歩さんご自身における“気づ
き”を願ったことはたしかなこと(ついに叶いませんでしたが)であり、そうおっしゃら
れるのなら甘んじて、お言葉を“受け止めたい”と思います。

262ガンコ:2002/11/06(水) 16:02
五月雨さん、はじめまして。

おそらく現役顕正会員の「主観」が言わせた本音だったのでしょう。

ただし、独歩さんご自身が反省とも取れる言葉を述べていらっしゃるのも事実です。

>このような実質的な被害に泣く人々の渦中にある私からすれば、顕正会が常識的であるとはとても思えるものではありません。また、強烈な他宗批判と憎悪を植え込むこの団体が「ならず者・ヤクザ」という言説をなせば、それは他者蔑視に基づくものとしか判断しようがないというのが175、179の記述です。
>まあ、この記述が不適切であるというのであれば、下げても構いません。

これを反省ではないというのであれば、もはやわたくしは何も申し上げることはありません。

>独歩さんも戸惑っておられるようですが・・・というのはちがうと思いますよ。百戦錬磨の独歩さんがわたくしの言葉などに戸惑うわけがないです。いつも翻弄されているのはわたくしのほうですから。

263犀角独歩:2002/11/06(水) 16:05

菊水護国さん:

>> 254
> 終局のこの部分は認めてませんから(爆)

これだものな。
まあ、しかし、それならばわかります(笑)

私は浅井さんのスピーチは王仏の中には王。王については政を語っている。
その分析は、まあ、頷く者はいるでしょう。けれど、政策、肝心の政の結論がない。
それを、私がテープから起こしたように、仏法で締めくくってしまっています。
私はここに浅はかさを感じるわけです。政策を述べず、貶すばかりだから悪口としてしか響かないからです。政治というのはもっと具体的なことですよ。(まあ、菊水護国さんに言えば釈迦に説法だけれども)

三大秘法・広宣流布、さあ、国は安全なんてなりはしないわけです。そんな簡単ならば、誰も苦労しませんよ。

ですから、政を語るのであれば昼のワイドショーじゃないんだから、政策まで論じるべきである、これが一点。

もう一つは顕正会的に言えば王政は未分であるわけでしょう。広宣流布なんて言うのであれば、本化聖天子への働きはどうしたのだ、子供にハッパかけるばかりが能じゃない。天皇に対して、一宗の長として何をしているのだ。これが2点。

そして、顕正会は宗教法人なのであれば、仏法を政論の分析ぶってごまかすんじゃない、無理矢理つなげて、子供を煽動するんじゃない、これが3点です。

以上の点から、私が浅井さんのスピーチを聴いて感じたのは政策なしの悪口のみの政論、子供を煽るばかりの仏法論。これを私は実のあるスピーチとは呼ばない、悪口と煽動しかないではないかと批判しているわけです。

弁士の如く流麗な語りは名調子(あの声を私は嫌いですが)に聞き入ってその気になるけれど、実がない話であると思うのです。まあ、菊水護国さんも、そう思っているようだから、いいけれどもね。

しかし、煽動される子供達に行く末が心配ですね。

264犀角独歩:2002/11/06(水) 16:17

sunyaさん:

では、個人攻撃としか取れなかった私の浅はかさはお詫びいたしておきます。

> “気づき”を願ったこと

これが言葉狩りの堅持と仰るのであれば、私は日蓮の言説であれ、法華経であれ、この点はやめません。言葉は暴力たり得ます。差別される側に立つことを是とする以上、この点は、残念ながら譲れません。

なお、脱カルという側面から申し上げれば、私はsunyaさんを筆頭に、顕正会員にはその理解の助となりたいと思っています。しかしこれはsunyaさんにも気付いていただきたいことがたくさんあるという私のメッセージとして受け取ってください。

265犀角独歩:2002/11/06(水) 16:21

262 ガンコさん:

誤解しないでください。

「下げてもよい」と言ったのは顕正会の常識・非常識を考えるうえで、この部分が役に立たないのであれば引っ込めてもよいから、顕正会とその長の常識・非常識を考えようと言う意味です。

もう一度、記しますが、私は顕正会被害者の側に立っています。
むしろ、ガンコさんを含めて、顕正会とその構成員に反省を促しているのですよ。

266五月雨:2002/11/06(水) 17:16

ガンコさん 

初めましてでしたか、これは失礼を致しました、どこかでご挨拶はもう申し上げたつもりでした。

>>まあ、この記述が不適切であるというのであれば、下げても構いません。

>これを反省ではないというのであれば、もはやわたくしは何も申し上げることはありません。

前言を取り下げるのが、反省なのですか。それは違うと思いますと私が言うからと“申し上げることはありません。”と黙らないで下さいね。

>百戦錬磨の独歩さんがわたくしの言葉などに戸惑うわけがないです。いつも翻弄されているのはわたくしのほうですから。

独歩さんにこの間初めてお会いさせて頂きましたが、普通の人間でしたよ(独歩さん失礼)
ガンコさんと同じ人間なのですから、独歩さんも戸惑いを感じられる時もお有りでしょう。
そんなに決め付けをしないで、独歩さんのご意見を今一度読み返されたら、また違った部分が見えてくるのではないでしょうか。差し出がましい言い方で申し訳ないのですが、そう思います。

267アヤエ:2002/11/06(水) 17:36
顕正会で新しい若手の信者さんが 何かと問題を起こしている、という事のようですが
古参の先輩信者さんからのきちんとした指導が浸透してないのですか?
週末に毎週のように集っていて 何故きちんとした指導がされないのでしょうか。
古参の信者さんが減っているのは何故でしょうか。

私の友人はどうも「折伏することで自分が救われる」という餌に踊らされているような気がします。
折伏=相手の幸せの為でもある と教えられている為に 何の罪悪感もなく
相手が迷惑になっているとは少しも考えられずにいるのではないかと感じます。

話しがさかのぼってしまって申し訳ないですが 女子高生の件では 学校に直談判しに行く事が
愛情なんでしょうか、彼女が学校でどのような勧誘をしていたのか 成績や生活態度に問題が
あったのではないでしょうか。
校長がビラを配ったとありますが、生徒の親に注意を促すプリントを配ったのではないでしょうか。
その方が自然かな、と思ったのですがどうでしょう。

独歩さんの言う美談に作り上げた、体験談の創作と思えなくもありません。
愛情があるならば、この事件を機に正しい(?)勧誘活動の指導をするべきなのでは?
と 感じました。
学校で派手に宗教活動をされたのでは、子供を預ける側の親としてはそれこそ大問題
安心して預けられませんよね。
それは 宗教の自由 という前に 最低限のルールなのではないかと思います。

スピーチなどで浅井さんが何を話しているのか私はよく知りませんが
敵を作り上げることは 活動を活発にさせる為の起爆剤だったりするのではないでしょうか。
現に時間がない、と言って会員達は毎日のように熱心に勧誘活動してるじゃないですか。

どうか冷静になって自分達のしている事を見て考えて欲しいのです。
本当に日本の為にするべき事は何か、もっと具体的に考えてそして行動して欲しいです。

頭の回転が遅いので 亀レスになってしまいました。どうもすみません。。

268ガンコ:2002/11/06(水) 20:39
独歩さん、五月雨さん。

誤解でしたか・・・そうであれば申し訳ありませんでした。

どうやら五月雨さんがお出ましになって、話がまとまりはじめたように思えます。
脱帽しました。

269アネモネ:2002/11/07(木) 01:22
横レス失礼いたします。皆さんお久ぶりです。ちょと、仕事が忙しくなってしまってロム中心になっておりました。
話を蒸し返しては申し訳ないのですが、興味を持ちましたので、少しレスさせて頂きたいと思います。

179>の独歩さんがテープから起こされた、浅井さんの発言内容面白いなと思いました。

北朝鮮という国家が「ならず者」「ヤクザ」なのだから、小泉首相は謝るべきではないということかと思いますが、小泉さんのお祖父さんの、元逓信大臣の小泉又次郎さんこそ、れっきとしたヤクザさんなんですよね。背中には立派な刺青の入った、薩摩隼人の勝負師だったそうで、これは有名な話ですね。小泉首相は、この勝負師のお祖父さんに大変可愛がられて育ったそうで、しっかりと勝負師の血を受け継いで、ある意味、今回の日朝正常化交渉は大勝負に出たとみることが出来るのではないでしょうか。ですから、ヤクザの血が流れているのは、むしろ小泉さんのほうですね。

もうひとつ、聞きかじりを書いておきますと、小泉さんのお父さんの、元防衛庁長官の小泉純也さんは、戦後、半強制的日本に連行されてきた朝鮮人の方々を本国へ帰す運動が起きたとき、政治家の立場で大変尽力をされた方なのだとか。そういう因縁もあって、小泉さんは日朝正常化交渉にこぎつけたわけですね。この歴史的意味はかなり大きいのではないでしょうか。

私個人の考えとしては、今の北朝鮮の金正日の政権は、最終的には打倒することが望ましいのではないかという考えを持っています。今の政権が、「悪の枢軸国」「ならず者」「ヤクザ」などと言われても、納得してしまうような国家体制であることは、日に日に明らかになってきています。何より、経済的に完全に破綻した国家であることは間違いないでしょう。
しかし、その前にもっと大事な認識が忘れられているのではないかと思うのです。それは、金正日も、そしてその父、金日成も、また北朝鮮そのものも、このような「悪の枢軸国」と呼ばれるような国家体制になった背景には、東西冷戦という世界的な構図があり、その代理戦争として、朝鮮は北と南に分断されて戦わされてきたという歴史的背景があるということです。この前提を頭に置いておくことは重要なことではないでしょうか。
さらには、朝鮮半島が北と南で代理戦争の形で緊張関係にあることで、日本は戦後五十年以上もの間、第三次世界大戦とまで呼ばれる、東西冷戦のさなか平和を享受してくることができたといえるのではないでしょうか。朝鮮半島の犠牲の上に成り立った、平和だったという側面、見過ごしてはならないと思います。

そもそも金日成はソ連の傀儡だといわれてますし、北朝鮮はその当時からソ連の以降を受けた形で今の国家体制を築いてきたわけです。しかし、ソ連が崩壊したことで事実上、北朝鮮という国は傀儡の糸を操る後ろ盾をなくしたところで、アメリカから「悪の枢軸国」と呼ばれるようになったわけです。本当のならずもの国家は、シレッとして、アメリカと仲良くやっている、大国なのではないでしょうか。この構造はアフガニスタンを巡るこれまでの歴史の状況においても同じことが言えると思います。

ですから、何が正しいかというとをよくよく考えてみると、結局は、一言で片付けないという思考の柔軟性、つまり幅を持たせることが、正しいことなのではないかという気がしてきました。

270アネモネ:2002/11/07(木) 01:23
菊水護国さん

こんにちは。私の聞きかじったことと若干違う点がありましたので、少しレスさせて下さい。
随分前のレスになって申し訳ありませんが、196>において、

>そもそも朝鮮という国名は、中華思想の中心国に貢物を贈って下付された国名です。意味も「野蛮な国」と言う意味です。

ということですが、私が聞きかじったところでは、朝鮮側の大使が中国にいくつかの国名を提案し、その中からひとつ選ばれたのが「朝鮮」という国名で、その意味は、「夜明け前のように清々しい国」という意味だと聞きました。
日本人は、どこかに差別意識を持って、いつしか「朝鮮」という名称を見下す言葉のように使ってきた経緯がありますが、朝鮮の方々にとっては、この国名は非常に誇らしい意味があり、「朝鮮人」「朝鮮語」「朝鮮料理」などなど、本来尊重して用いられるべき言葉ではないかと思います。

224>のレスでも興味深い内容に目が留まりました。
>知ってる人は知ってますが、私の右翼の上部団体の長は韓国人です。‥しかもほとんどが戦後韓国で教育されて育った方です。その方が真実に目を向け、日本の右翼団体を起こしたのです。私の歴史観はその韓国人の方から培ったことが多いです。

とのこと。この韓国人の方々の意識というのは、東西冷戦の中での、対共産主義における思想なのではないでしょうか。私は右翼団体については、詳しくはありませんので、変なことを書いていたら申し訳ないのですが、なんというか、統一教会と勝共連合との関係と非常によく似てるなと感じました。

233>のレスもとても興味深かったです。読ませていただき、思い起こしたことは、かつて学生運動にゲバ棒を持って参加したマルクス主義の人が、その後、右翼になっているケースが多いと聞きいたことがあります。暴力革命も辞さずマルクス主義を唱えていた人たちが、国家体制側の検事などになっていたりもしています。なぜ、極端から極端へと移るのか、つまり、極左から極右へとなるのか、不思議なものだと思いましたが、実際にこのースが多いそうなんですね。
菊水さんにおかけれても、御祖父母様の影響を受けていらっしゃると思われますが、ところがご親戚の方々の中には御祖父母様に反発するかのように、左翼思想だったわけですね。菊水さんの育った環境には、はっきりとした右と左の思想をご覧になってきたこと、とても興味深いと思いました。

しかし、菊水護国さんにしても、またたくさんご意見を書かれているやーこさん。にしても、お若いのに随分と国のことを考えられていらっしゃること、非常に感心いたしました。詳細部分で、意見がわかれるとしても、その心意気は尊いものだと思いました。

271アネモネ:2002/11/07(木) 01:26
最期に若干、カルトということでまとめておきたいと思います。
個人がどこの組織にいるかどうかということは、これは個人の自由選択ですから、最終的には他人がどうこういえることではないですね。「私だったら‥こうする」ということまでしか言えません。
その上で敢えて私の意見を記すならば、どこそこの組織に所属しているからといって、その組織のトップの言論をそのまま鵜呑みにしてしまうということ、これは自分のための止めるべきだと思うのです。浅井さんがこう言ったから、猊下がこう仰せだから、池田先生はこう言っているから、このようなことを聞いてそのまま自分の考えだ思って人に話すようになっていたら、その組織の内在するカルト傾向の影響を受けつつあるとみることが出来るのかもしれません。どんな組織にいようとも、トップの言論に対して、自分はどう考えるのか、どう思うのか、そのことが自由に思い定められる自分であることが、カルトから逃れる最初の方策ではないかと思います。発言はできなくてもいいから、まず心の中で自由に考え思い定めるということで、心の自由を決して失わないことが大事なのではないかと思います。

272菊水護国:2002/11/07(木) 02:01
アネモネさん
極右から極左については確かにそのとおりなところがあります。
ただし、韓国系右翼については意味が違います。
韓国右翼団体についてはK社が有名ですから、綱領の一部を抜粋します。
一、我々○○社は、我が祖国近代の父たる、天皇陛下を東亜大天子と頂いて、大天子の恩を忘れた我が人民を啓蒙するを目的とする。
一、我々○○社は、不知恩この上なき、悪しき同胞の手により放逐された、李王朝を再興し、東亜大天子の允可の元、わが祖国に開闢以来の良き伝統を取り戻す。
一、我々○○社は、東亜の安寧は東亜大天子の御慈悲にあるものと信じ、ここに絶対忠誠をお誓いする。
(後略)
この後も天皇賛美の雨あられで十個まで続くんだが、これを読む限り、すごい思想だよ。怖いくらいの天皇崇拝ですよ。東亜大天子とはさすがに私にも云えんよ。
私は天皇を制度として崇めている処が強いんだが、他国人の崇拝はほとんど宗教だよ。彼らに言わせると私など不敬の塊だよ(爆)。
さて、他もいくつか韓国系右翼団体はありますが、東亜大天子という言葉を使ってるのが特徴的ですね。
この用語を誰が作ったか今調べてますが、戦中にはあったんだそうです。

273やーこ。:2002/11/07(木) 08:05
遅レス失礼いたします。独歩さんのおっしゃるように、別スレで話し、北朝鮮の件は以後よほどの事が無い限りレスしません。
また右翼左翼思想と宗教、または富士門との関連、等別スレもうけたらよろしいのでは?

274アヤエ:2002/11/07(木) 10:43
271 アネモネさん
本当に、心の自由だけは失って欲しくなかったです。
私の友人は失っている事すら感じてない、、見ていて悲しくなります。
考える事を抑えようとする顕正会は、本当に破壊的カルトと言えると思います。
でも、「考えなくていい」という事はある意味 楽なのかもしれません。
そういった甘い罠にいつまでも溺れていて欲しくないのです。

顕正会はこの北朝鮮の件を利用して ずいぶん活発に活動しているようです。
いろんな意味で 早く今度の交渉が成功して治まって欲しいです。

275犀角独歩:2002/11/07(木) 10:59

> 顕正会はこの北朝鮮の件を利用して ずいぶん活発に活動している

そう。この点が重要ですね。
ですから、北朝鮮批判はこの観点から読まないといけないと思うわけです。

276やーこ。:2002/11/07(木) 13:32
274 もそうなんですけど、北朝鮮の利用はまだおつまみ程度に過ぎないのでは。
というのは、妙観講の体験談集「そうへき集」(漢字忘れた)の6に、元会員の渡辺氏の体験談があって、その中に、平成19年迄に全国民が入会しないと人類が滅びるとあった。
そちらを利用しているのが多いのでは?
しかし何故全世界ではなく日本人だけなんでしょう。

277菊水護国:2002/11/07(木) 13:42
> しかし何故全世界ではなく日本人だけなんでしょう。
浅井さんはね。国立戒壇建立が世界平和の元と考えています。
国立戒壇建立のためには全日本人入信がキーだと考えてます。
そしてそれが遅れれば、世界は第三次世界大戦で滅びると考えています。
日本に国立戒壇建立が、出来れば雪崩を打って中国、インド全世界と入信すると根拠無い考えをもってます。
それだけの事であり、そこに深い理論はありません。
書いてて、空しくなってきた。こんな論拠無い理屈を良く信じてたな私は(爆)。

278やーこ。:2002/11/07(木) 14:11
レスありがとうございます。

日本は狭い(笑)
井の中の蛙大海を知らず(爆)

外国の方が入会したらその教えは理解できなくなりますし。

279アヤエ:2002/11/07(木) 14:30
やーこさん
友人は来年か再来年には国教になっていると信じているようです。
時間が経てば、なかなか現実にならない顕正会の目標や教えに
疑問を持ってくれるかな、と思います。だけど平成19年と言ったら5年後ですね…
が、身近にいる人間のストレスたるや、想像を絶するものがあり
先日 友人のお母さまにバッタリ会いまして、その時には公道で人目もはばかる事が
できないほど ポロポロと涙を流されてました。
一日も早く 目を覚ましてほしいと思いますが 今は何を言っても無駄なようです。

277 菊水護国さん
深い理論はなくても 疑問を持つことはいけないことで それを打ち消す為にも
活発に勧誘活動をし続けているような印象です。
忙しくすることで、考える暇をなくすような活動内容のようなのです。
朝から夜遅くまで毎日のように外出してます。これも信者を繋ぎとめる手なのですね。

280アヤエ:2002/11/07(木) 14:34
おかしな日本語を書いてしまいました。。
「疑問を持つことはいけないことで」じゃなくて
疑問を持つことは 信心が足りないと上から叱られ、・・・・
と言うような意味で書きました。誤字脱字、それ以前の問題か、恥かしいですね(赤面)

281犀角独歩:2002/11/07(木) 16:13

聖天子というのは日本の長であるという意味ではない。
尊門以来、石山に継承された四菩薩再誕・事壇建立というのは、日本の聖天子が全世界の中心、世界の支配者として君臨することを前提にした思想ですよ。

それを「一天四海皆帰妙法」というのです。114に記したとおりです。

目師が一閻浮提(全世界)の座主であるように、聖天子国主は、全世界を支配する転輪聖王であるという徹底した大日本中心思想です。

それを日本限定版というミニチュア版にしたのが、今の顕正会がいうところ。

田中智学の論理構築からしても、そう言う意味になるでしょう、菊水護国さん。

282菊水護国:2002/11/07(木) 17:33
独歩さん
そのとおりです。現代の日本人の感覚ではびっくりするでしょうね。
この思想から見れば、大東亜共栄圏も浅井仏法も小さい小さい(笑)。

283ガンコ:2002/11/07(木) 17:45

現役顕正会員としては、これはたいへん旗色のわるい状況になってきて、いよいよ逃亡を図らねばならなくなってきました。
さて、わたくしはどうしたらよいものでしょうか。
やーこ。さんのおっしゃる妙観講の渡辺氏とは、別名下野正信氏のことでしょうが、ひところは顕正会のなかで彼のことをいろいろ言ってました。「アイツは折伏法戦に勝てなくなって、逃げ出したんだ・・・、今ごろになってインターネットでえらそうなこと言ってるが、しょせんはグチを吐いているだけ・・・」みたいなことです。
ところが最近はまったく言わなくなりました。
この限りでは顕正会のほうに何かヤマシイことがあるのではないかと考えざるを得ませんが、さすがに幹部に質問する勇気はありません。
少し前の顕正新聞に藤沢で学会魔民部を蹴散らしたむねの報告が載っています。男子部の方々は立派なものだなぁと思っていたところ、下野氏のページを見るとなんと同じ時期に妙観講ともイザコザがあったようです。しかも顕正会側が逃げたというではありませんか。
これについて、顕正会の中ではまったく触れていません。やっぱりヤマシイことがあるのかなぁ。
どなたか、顕正会に有利な情報をご存知ありませんか?ってここで聞くのもバカでした。
非常にあたまが痛いです。

284菊水護国:2002/11/07(木) 17:53
ガンコさん
顕正会に有利な情報ならありますが、ここでは云えません。裏情報は空メールを頂ければお教えします。
ここで一言だけ言っておきますと、あのページをそのまま鵜呑みにするのは危険です。顕正会にも一理ある部分をお教えいたしても構いませんよ。

285犀角独歩:2002/11/07(木) 18:02

そうですね。
ですから、日(太陽)が一切の根源であるように日蓮は一閻浮提の中心であり、その日の降りた聖天子また、中心であって、その中心・日の本・日本における神道と仏教が融合した世界統一思想であるというのが事壇建立論でなければならないわけです。

その観点からすれば、顕正会の言っていることは、まったく矮小化した単なるお茶濁しに過ぎないことになるわけです。ここいらが菊水護国さん達が標榜するところでしょう。

まあ、こう書くと私もそれを指示していると思われそうですが、これくらいの理解はもって興門・事壇論から顕正会を見ていることを闡明にするために、敢えて記しました。

その是非をここで議論するのはやめます。個人的にはやりたいですが(笑)

いわゆる、興門・石山義の正論からしても、顕正会理論など子供騙しに過ぎないわけです。これは仏法本義、日蓮本義からの批判とは、もちろん別の観点ですが。

286やーこ。:2002/11/07(木) 19:29
やっと、パソコンの前に到達しました。今まで携帯だったので
全部見れなかったですけど。

アヤエさん

267 名前: アヤエ 投稿日: 2002/11/06(水) 17:36

顕正会で新しい若手の信者さんが 何かと問題を起こしている、という事のようですが
古参の先輩信者さんからのきちんとした指導が浸透してないのですか?
週末に毎週のように集っていて 何故きちんとした指導がされないのでしょうか。
古参の信者さんが減っているのは何故でしょうか。

私がもっとも感じたことはそれそのものです。
私の職場内外である元女性スタッフ他の起こした短期間に沢山の勧誘をしたという
騒動について考えて、被害を受けそうになっただろう数多くのスタッフに
ヒアリングして…なんでああなっちまったんだろう、と考えて、
たどりついた疑問はアヤエさんのそれでした。両親がいた時代にはそもそも
あんな現象なんてなかったです。…ということは、やはり指導がどこかで
ねじれてしまったのではないのでしょうか。
しかも多数の若者が、仏法を理解しないまま、人数集めばかり重視して、
でたらめな勧誘をやって、ずさんなまま倍化した、としか思えないです。

>友人は来年か再来年には国教になっていると信じているようです。
時間が経てば、なかなか現実にならない顕正会の目標や教えに
疑問を持ってくれるかな、と思います。だけど平成19年と言ったら5年後ですね…

それを聞いてびっくりしました、あの、まじめにやっていた顕正会が、
根拠のない予告(予言ではない)をいうとは…。
しかも平成19年がタイムリミット。
法華講は平成21年に60万登山。
うちのある組織では、いまだに顕正会のことを
活動実数実働1万人とかいっていますが
危機感がまったくありません。
こうしてる間にも次々と無茶な勧誘が行われているのです。宗門にとって
ここからは早めに手を打たないとまずいことになります。2年早い!!

287やーこ。:2002/11/07(木) 19:56
216 名前: アヤエ 投稿日: 2002/11/05(火) 11:45

顕正会は「国の為」という名目の為に 活動の士気が高いように思います。
でも 実際はどうでしょうか、
自分の仕事(家事なども含めて)を放棄して 折伏と言う勧誘活動に没頭してます。
仕事をして会社を盛りたてる事が日本経済の為であり、家庭円満こそが平和への
第一歩なんじゃないでしょうか。
焦ってやたらに折伏する事が社会の為になってるとは到底思えません。
その辺りに顕正会の矛盾を感じます。

アヤエさんにもうひとつ。
これって、顕正会のみならず他の団体にもあてはまることではないでしょうか。
本人たちは、その辺の思考があまりないと思います。
しかしながら、一般的に、良かれと思ってやっていることがはずれだった、
ということはよくある話です。
仕事をして、家庭円満であれば、平和か、と思えばそうではないみたいです。
人間は病気をします。思わぬ運命にも遇います。など、
そういう突発的なイベントによって人生や世界が変わってしまうことを考えると、
結局、宗教活動に頼らざるを得ないのではないでしょうか。

288やーこ。:2002/11/07(木) 19:57
…って、これ顕正会だけのスレッドではないんですけど…

289菊水護国:2002/11/07(木) 20:00
平成19年広宣流布は昭和60年代の浅井さんの方針です。とっくに変更されてますよ。
浅井さんは平成7年の大総会で「後15年で1000万人入信」と言いましたから、その後の経過も考えますと少なくとも平成20年代後半広宣流布が現在の予定でしょう。
また変更するでしょうが・・・(笑)。

290やーこ。:2002/11/07(木) 20:31
独歩さん

>第七の鍵 カルトの外でしあわせな未来を思い描かせて、恐怖の教え込みを解く

これに関して私が思ったのは、「カルトの外でしあわせな未来を思い描かせて」
というのは、もしもこの世が地獄絵のような世界であるときには、とてもではないけれども
使えないのではないかということです。だから仏法がある、と誰かに言われればおしまいですけど。

また、北朝鮮が出ていて申し訳ないのですが、
アサヒ芸能に、北朝鮮のマインドコントロールの解き方の記事がありまして、
日本脱カルト研究会の西田氏が書いたものですが、
うち、
1.北朝鮮の言うことだけが正しいわけではないという認識作り

とありました。固有名詞を該当する宗教団体に当てはめると、
自分として以下の疑問が出てきます。

そもそも何が正しくて何が間違っているのか、と、
一体どうやって認識作りをするのか
(菊水護国さんが常識と非常識の区別の難しさをおっしゃったこととにていると
思います)

独歩さんはこの点どのようにお考えでしょうか。

また、

>次に、私は顕正会からの被害を訴えるご家族と500名近くお会いするのです。
その中で親御さんが訴えることは子どもが友人に無理な勧誘をしたことに拠る被勧誘からの苦情で神経障害になりそうだという悲痛な訴えです。

顕正会勧誘で暴力事件を起こした子供を持つ親御さんの相談、顕正会勧誘が高じて高校をやめてしまった子供の相談など数限りがありません。
また、勧誘に遭って、なかば軟禁状態で複数の人間に囲まれて強制的に入会をさせられた人々の訴えも多くあります。もちろん、これは個人のプライバシーに属することですから、
ここに記すことはできません。しかし、常にそのような顕正会に悩まされる親御さんの悲痛な訴えを聞く私からすれば、
ガンコさんが挙げた高校生の例は噴飯物であると感じるわけです。

日頃の相談についてもしかしたらおそらくなかなか聞けてないかも
しれないから答えられるだけで大丈夫な質問ですが、
さて約500人の事例の中で、子供が「どういうきっかけ」で「誰の紹介」で入信し、
活動するようになったのか、また、「どういう活動」を行ってきたのか、
できる範囲内でお答えいただければ幸いです。もしかしたら、今の過激な顕正会の若者
による折伏の原因を突き止めることがそれでできるかもしれないと思ったからです。
どれだけの被害を受けたか、ではなく、加害者がどのような経緯で今の行動に走ってしまったか
だと思うのですが。それがわかれば、被害者は増えないだろうと思うのですが。
ちなみに今の私は顕正会については半分弁護半分糾弾という立場におります。
昔の勧誘はそんなでたらめはさせませんでしたから、少なくとも。
いつからああなってしまったのかも知りたいですし。(一旦きります)

291やーこ。:2002/11/07(木) 20:59
続きです。

ここで自分の会社の元スタッフの事例をもういちど挙げてみます。

ある日のこと、私が神奈川県某所で配布の仕事をしていたら、
同業者の固定スタッフのひとりから話を聞いて、
私の会社のスタッフの人が自分に宗教団体に入らないと罰が当たるよ、
と言われてしまった。「日蓮系」「罰が当たる」の台詞から、
私は顕正会だと推測しました。他にも学会とか他の団体も考慮に入れてました。
それから、ある消費者金融の会社員も「相談に乗って」と言われてついてきたら
勧誘され始めてビンタした、等と私に話してました。
このことをただちに会社に連絡しました。すると、担当者から、
今までの情報によると、電話番号を仕事で聞きだされた後、電話がかかってきて
しつこく勧誘されたから仕事やめたい、とのスタッフの話があって、調査中だった、
とのことでした。その後会社ではその件に関し調査をはじめ、私は知っているすべての情報を
会社に提供する傍ら、片っ端から同じスタッフや同業者などにも聞きだしました。
すると、ほとんどのかたが僕も私も、と答えました。しかもほぼ同時期です。
話によると、日本が滅びるとか、北朝鮮が攻めてくるとか、人類が滅びる…しまいには地獄に落ちる、
罰が当たる、命が小さくなる、と。肝心の仏法関係の話はありませんでした。
彼女が会員だと決定的にわかったのは、K-menというHPの教学部登用試験合格者名簿に
彼女の名前があったからでした。彼女は会社を辞めました。

そこから、私が考えるには、
短期間で数多くの人、彼女が会社に入りたての際私と遇っても話しなかった
→ノルマとかによる焦りの勧誘?
彼女の話→仏法の話がない
HPの日付→合格したのは1月→まだ入って間もないが、去年には入信しているものの、
他の上級試験には受かってないことから仏法が分からなかった
ということです。ただひとつ分からないのは、彼女がなぜ入会し、ここまで走ってしまったのか
ということです。それさえ分かれば彼女と話ができたのだが、今は会社をやめており、
連絡がつきません。
ただ、その後の話で、何人かが、別の人から過去に勧誘を受けたことがある、
と私に話してくれました。
この件をきっかけに、もしかしたら、このまま放置すれば危ない! と感じながらも、
でも、何かが分かるような気がして、このジェネレーションを終わらせることが
できるかもしれないと思いました。

独歩さんや私、他、この掲示板の経験者の方が力をあわせれば、顕正会の暴走は
止められると思います。独歩さんだけでなく、他の皆さんも…どうか、お願いいたします。

とここまで書いてみましたが、自分って文章力がない…。

しかしながら、少なくとも、顕正会には若者のほしがる何かのエネルギーが
あるような気がします。いい意味でも悪い意味でも。

292やーこ。:2002/11/07(木) 22:35
超連続レスすみませんです。

私が思ったのは、一般的に学会と顕正会は怖い所が違うという事です。

学会→出た後が怖い
顕正会→入る迄が怖い
あとの団体は対して怖くないと思います

293犀角独歩:2002/11/07(木) 23:04

やーこさん:

ご質問のところ、解決の方途を探る上で実に重要な点であると思います。
ですから、なるべくわかりやすく、具体的に記したいと思います。

>> 「カルトの外でしあわせな未来を思い描かせて」
> …この世が地獄絵のような世界…使えない

そのとおりですね。しかし、現実はそんな地獄図ではないですね。

> 西田氏…北朝鮮の言うことだけが正しいわけではないという認識作り

先のご質問と併せて、この二つは同じく社会心理学の立場から提言されるところです。
ここでまず留意すべきことがあります。
カルト、北朝鮮では共通点があります。それはたった一つの選択肢しかないという点です。カルト・メンバーは信仰世界の外で幸福になれると考えることはできません。北朝鮮の人はこの国以外で自分が生きていける考えることはできません。まず、これを前提にした提言なのです。

つまり、一つしかないと信じ込まれている選択肢は、「実は一つではない」という認識を与えるという点を西田先生もハッサン氏も言っているわけです。

また、宗教病理学の立場からすれば、他の選択肢を考えられない精神状態は、「妄想」に抵触していると見做されることになります。

妄想とはKarl Jaspersによれば「間違った考え」「強い確信」「訂正不能」ということになるわけです。このような病理にまで発展していなくても「外の世界では生きられない」「ここしかない」という間違った考えが強い確信となって訂正不能な状態になっているのがカルト・メンバーであるわけです。けれど、これは病理にまで発展していなければ、正しい情報、客観的な認識を得られれば、出口を見つけられることになります。

私がいつも唯一絶対信仰から脱却と言ってきたことはこの点です。

> 「どういうきっかけ」「誰の紹介」「どういう活動」

きっかけの多くは、やーこさんが示されているような特定情報を用いた(名簿など)無差別接触に基づく勧誘行為です。

誰の紹介という点については、知人・友人という知己の関係にある人。
活動内容については、やーこさんが記されている点と変わりません。

ここで、重要な点は、誰であっても、勧誘の虜になる可能性はあるということです。

294犀角独歩:2002/11/07(木) 23:05

―293からつづく―

> 顕正会の暴走は止められる…

顕正会に限らず、これらの勧誘を止める方途は、もっとも有効な手だては「予防」ということです。つまり、カルトとはどういうものか、与えられる教えとはどういうものかを前もって認知させることがもっとも勧誘の予防になります。

なお、常識・非常識の峻別は難しいという菊水護国さんのご指摘はそのとおりなのですが、カルト問題などで、通常言われる常識とは「科学的な」という意味合いで使われています。

たとえば「麻原彰晃が空中浮遊をするとは常識では考えられない」という場合の常識とは科学的に証明されてきたこと常識といい、それを否定したという意味合いです。。

しかし、ここで問題になるのは、「科学で証明できないことはある」という宗教者側から提示される反論です。各宗教にはそれぞれの常識があるであろうと言うことになります。しかし、カルト問題というレベルを扱うとき、このような宗教で言う常識は、取りあえずよけて考えます。それは宗教を否定しているからと言うより、宗教教義に係る正否は、科学は扱わない姿勢で一貫しているからです。

カルト入会は宗教的な側面と心理学的な側面を併せ持っています。
ですから、宗教的な側面は宗教教理からのアプローチを、心理的側面は科学的アプローチとその役割は分担されて、対処することになります。

通常、脱カルトといわれる問題は、科学に基づく対処です。つまり、科学的な常識に基づく、統計的経験主義に基づいて、その解決に当たることになります。ここでは科学的という限定はつきますが、常識は極めて重要な役割を果たすことになります。

もちろん、宗教的なアプローチも重要な意味を持ちます。この掲示板はその意味で最前の情報を提供しているでしょう。

> 若者のほしがる何かのエネルギーがある

これは何れの団体でも増加するところにはあります。
カルトとはある意味、夢を提供する装置であると思うとわかりやすいかも知れません。
人によってメリーゴーランド症候群などと表現する人もいます。

宗教世界は、科学的な証明を介在しませんから、テレビ、映画、小説と同じく、無限の、かつ制約のない夢を人々に与えることが可能です。ですから、それを一度、リアリティとして認識されるとき、信者は限りない至福感を得ることになっていきます。その結果、その世界から出たがらないことになっていきます。ここでは人々は祈れば願いは叶い、自分たちの活動で世界は平和になり、永遠の生命までも約束されます。

けれど、現実社会ではけっしてカルトが用意するような甘く魅力的な世界を提供してくれません。ですから、子供は、メリーゴーランドから降りたがらないように、遊園地から帰りたがらないように、いつまでも熱中してそこから離れようとしなくなるわけです。

ここ場では、強烈なエネルギーが生じ、それがさらにリアリティを強め、さらに人々が引き寄せる「場」を生み出していきます。

しかし、これは顕正会に限ることではありません。カルト(熱狂的な集団)と言われるところでは、常に生じる場の原理です。

私たちのように、そのようなグループを数百と知り、また、多くの宗教団体の信仰者と実際に面談しているものにとって、功徳と罰、唯一絶対も、宗教の数だけあるという認識を得ることになりますが、熱中する人々にって、その場は唯一絶対の安全圏と認識されることが常なのです。

以上、尽くせませんが、不明な点は何度でもお問い直しください。

295やーこ。:2002/11/08(金) 00:31
ご回答ありがとうございます。不特定多数との接触、ということなどについては、
わかりました。しかしそれだけですと、入会に踏み切るか、踏み切らないかの決め手が
わからないと思います。

たとえば、勧誘者の言葉の中に、「節目ごとにばちがあたるよ」とかいわれて、
3ヶ月たったら不幸なことがおきたから、入会したとか、あるいは、自分の悪い状態を
ずばり勧誘者に言われてしまったから入会した、とかあると思います。
入会にいたる、上の事例のような決め手があれば教えていただけますか?

昔は私の両親が脱会する平成2年頃までは、少なくとも高校生や若者たちが
今の勧誘方法をとるというのは全く聞きませんしほとんどありませんでしたが、
もしできたら、今の勧誘方法が定着した時期、またそのとき顕正会に何があったかを
おしえてください。
再び、よろしくお願いいたします。

296犀角独歩:2002/11/08(金) 00:47

やーこさん:

> 入会に踏み切るか、踏み切らないかの決め手

これは千差万別で、特に「これ」というものはないようです。
また、顕正会、創価学会などの場合、入会の敷居はかなり低いわけです。
ですから、入会は学校のサークル並み、その後、度重なる参加斡旋で、会に馴染みながら、いつしか活動家になっていくという過程が見られるように思います。

> 今の勧誘方法が定着した時期

この点については、私は情報が不足しています。
けれど、被害者家族との接点を持ち出した4年前には似たような訴えを既に受けていました。

勧誘方法の変遷は、私より、sunyaさん、あるいはワラシナさんなどが詳しいのではないでしょうか。

297やーこ。:2002/11/08(金) 01:39
また、ご回答ありがとうございます。

>ですから、入会は学校のサークル並み、その後、度重なる参加斡旋で、会に馴染みながら、いつしか活動家になっていくという過程が見られるように思います。

この点は、自分の法華講でも学会でもあると思いますが…

298犀角独歩:2002/11/08(金) 02:03

やーこさん:

> 自分の法華講でも学会でもある

そうですね。
ですから、顕正会だけ、ということは、では、なにがあるでしょうか?

299やーこ。:2002/11/08(金) 06:52
おはようございます。三時間しかねてません。

独歩さん、不思議ですよね、それ。

何故顕正会だけか、といいますと、多分、若者の入会及び遭遇率が高いということと、他の団体よりも活発だからだと思うのですが(眠い)、何だか不思議に感じた迄です。
いや、あとの団体がそんなに活動してないから目立たないだけなのかなぁ〜ふぁ〜あ。

通勤中です。

300ガンコ:2002/11/08(金) 09:05
顕正会はなぜあんなに折伏ができるのか? 注射でも打っているんじゃないか? というウワサがあるそうです。
わたくしは一度も打ってもらったことありませんけど。

301犀角独歩:2002/11/08(金) 10:00

> 300

でもね、やーこさん。私が大学生になったとき、「下種先がいません」と先輩に言ったら、「何を言っているか。中学・高校の名簿があるだろう」と言われたものでした。それで電話をかけまくって勧誘に走り、ついに相手が尽きたとき、その先輩曰く「何を言っているか、キャンパスに出てみろ。下種する人間が群れをなして歩いている」(笑)

これ、冗談のような話ですが、本当の話。

ですから、今の顕正会がやっていることは、創価学会もやっていたこと…、今もやっているかもしれません。ただ、要するに程度の違いということです。

ところが創価学会にはそれまで、本尊下付というハードルがあったわけです。また、仏壇を買って家に置くというただならぬ事態もあった。これが勧誘の障害になっていたわけです。これを撤廃して、かつ付加価値をつけたのが今回のアクセリーに縮小印刷の漫荼羅を仕込んだ、彼らが言う「携帯本尊」とかいう代物であるわけです。だから、あのアクセサリーまがいの代物は、うまく今まで障害になっていた部分をクリアしたわけです。

顕正会では漫荼羅下付はしない分、付加価値では創価学会が勝ったということなのでしょう。

こう見ていくと法華講だけがまとものような気がしますが、結局のところ、やーこさんが納得しないように、それまでの戒壇義を外してしまったり、天皇崇拝をやめてしまったりと、時代に迎合して、教義の変更をしてしまっているわけです。

もちろん、私は事檀否定論者ですが、しかし、石山教義は天皇事檀論であるわけです。それなのにそれを放棄しています。

これ要するに大石寺系グループはどこもかしこも不正直、(社会的な観点から見れば)非常識と私には映ずると言うことです。

302菊水護国:2002/11/08(金) 10:21
タウンページを片っ端から当たって「そちらは創価学会の○○さんですか」と聞きまくる団体も現在も正宗内にありますがね。
ちなみに学会員で無かったら「すいません。間違いました」と言うんだがね。
「ちょっと待て。何宗でも折伏してやれよ(笑)。」

303アヤエ:2002/11/08(金) 10:39
独歩さん、やーこさん
顕正会が今のような活発な勧誘活動をいつからしているのかは知り得ませんが
私の友人から聞いた事ですが、折伏する事によって功徳がある、という教えからでは
と思い当たります。この折伏の意味を会員である友人に聞いたところ
「仏法の話しを人に伝える事だ」と言う事でした。
これは 折伏の意味がずいぶん軽いものになっているのではないのでしょうか。
折伏の本当の意味を私は知りませんが、そんな簡単なものとは思えないのです。
それから 折伏とは縁のある方にするもので、人を選んではいけない そうです。
そして、一人でも多く話す事で功徳が得られます。
それに 折伏した相手にも日蓮様と縁ができ、それは幸せな事であると考えています。
なんだか悪循環と言うか、活動に拍車がかかるのが分かるような気がしませんか?
だんだん、折伏するといい事がある、という風に簡単な修行のようなものとして
会員の皆さんに浸透してるのではないでしょうか。
そこに日本経済の破綻、大地震の予言(?)広宣流布のタイムリミット
これらの要素が活動をさらに拍車をかけているのではないでしょうか。

私の友人は 以前 勧誘された時には入信勤行までしたのですが、
その後家族に反対されて退転してました。
退転中にいろいろ辛い事があり、別の顕正会員に再び勧誘され それらの辛い出来事は
すべて罰だと言われ 信心するに至ったわけですが
退転していたことを挽回できるように、朝から晩まで一生懸命活動しているように見えます。

ガンコさん
会員の方が注射を打っているなんて 酷い中傷ですね。
私はそんな事があるとは思えません、一般の人々が宗教にただならぬ偏見を持っていて
憶測で誰かが言った事が「薬をやっている」という噂に発展したと思います。
でも 聞く耳を持たず 喋りたい事だけをしつこく言ってくる様子は 一般人から見て
とても異様に感じるのではないでしょうか。
それにしても真面目な信者さんには迷惑なうわさですよね。お察しします。

304アヤエ:2002/11/08(金) 11:49
やーこさん
>アヤエさんにもうひとつ。
>これって、顕正会のみならず他の団体にもあてはまることではないでしょうか。
>本人たちは、その辺の思考があまりないと思います。
>しかしながら、一般的に、良かれと思ってやっていることがはずれだった、
>ということはよくある話です。

そうですね、顕正会だけが当てはまることではありません。
友人も自分の為、ひいては家族の為、日本の為 と考えているようですから。
では 問題なのはどこなんでしょうか

>仕事をして、家庭円満であれば、平和か、と思えばそうではないみたいです。
>人間は病気をします。思わぬ運命にも遇います。など、
>そういう突発的なイベントによって人生や世界が変わってしまうことを考えると、
>結局、宗教活動に頼らざるを得ないのではないでしょうか。

そうなんです、私も考えました。私も何か予測ができない事が起きたら
今と同じように顕正会を否定できるのか、友人はなんと言うだろう、罰だというだろうか。
でも思うのは 現在起きていることは過去でしてきた事の結果なのです。
原因は過去にあるのです。
本人が悪いばかりとは言えません、でもすべての現象には何か役割があるんじゃないかと思います。
自分の役割を当たり前にこなす、これは基本中の基本だと思うのです。

地震などは日本にいれば絶対に起こるのですから
それが怖いなら地震のない所へ引越せば良いのです。

宗教は必要ないとは考えてません。だけどそこに依存するのは違うように思うのです。
顕正会は特に自分達だけは、と言う考えがどうもチラチラと見えてしまうのです。

顕正会の方々が仏教は終っている宗教だ、と言いますが終るものなのでしょうか。
仏の教えを少し聞いた事がありますが、とても広い尊い、そして偉ぶらない教えで
とても感動した覚えがあります。
その心を揺さぶるような教えが、最近聞く宗教にはないような気がしました。

なんだかまとまりのない文章になりましたが。。。

305五月雨:2002/11/08(金) 12:03

横レス失礼致します。

アヤエさんご自身も顕正会員だそうですね、嫌々ながら入会されたという経緯があるけれど「心から信仰したことは一度も」無いのですね。だけども教義に中々お詳しいのは、いつも心配されているお友達とかなり対話をされたから、知り得たことなのでしょうね。

アヤエさんは心優しい方ですから、お友達が顕正会の教えにのめり込んでいく様が心配で心配で堪らないと思うのですが、アヤエさんご自身のことはどうなのでしょうか。

「マインド・コントロールとは何か」という本の中に、こんな記述がありました。

『軽はずみな接触』
「多くの人は「やってみなきゃあ、わからない。とりあえず、経験してみてからでも遅くない」という軽い気持ちで接触してゆくが、それは非常に要注意なのである。」

アヤエさんの場合は仕方が無しに入会されたみたいですが、嫌だと言えなかったのが「軽はずみな接触」になると思うのです。アヤエさんは今はまだ顕正会のおかしさが見えているけれども、何がどんなきっかけになって、そのおかしさが見えなくなるかも知れません、私はそれを心配するのです。お友達はもうマインド・コントロールの世界にどっぷりと浸かってしまっているから聞く耳を持ちませんでしょう、何を言っても無駄だと判っていると思います。けれど、アヤエさんはまだ引き返せます。アヤエさん御自身がカルト・マインド・コントロールの扉を開けて、一歩を踏み出していることに気づいて下さい。

学会でも法華講でもそうでしたが、「活動家を増やす活動」がありました。すなわちマインド・コントロールを深くかける活動です。きっと顕正会でもあるでしょう、その手がアヤエさんに行き着く前に、アヤエさんは一切顕正会からの関わりを絶たないと引きずり込まれる可能性はあると思います。
「活動家を増やす活動」をしてきて、活動家が増えていく様を実際に見てきた私の経験です。

306犀角独歩:2002/11/08(金) 12:17

> 305

私も五月雨さんのご意見に賛成ですね。
おかしいと思うことは継続しないこと。
友人の心配をするより、先ずご自身が脱会することが先決であると思います。

会をやめても、なにも悪いことは起こりませんよ。
せいせいするだけです。

307やーこ。:2002/11/08(金) 13:22
休憩中でぐったりしていて書き込み読み切れてないのでひとつだけ書いて後はパソコンで。

注射の件
もしかしたら、緑の注射の事でしょう。正体は知りませんが、研修会の時に打たれるものらしい。真実かどうかも分からないが、確かK-menのHPにあったような。

308アヤエ:2002/11/08(金) 13:26
五月雨さん 独歩さん
ご心配いただきましてどうもありがとうございます。
私の家族も お二人がご指摘頂いている事をとても心配しています。

実は折伏された時は心が揺らいでしまいました。
家族に帰ってからすぐに話したところ、家族会議になり 自分自身の目が覚めた感じでした。
言付けを守って3ヶ月間誰にも相談できずにいたら きっと私も今頃は友人と一緒に活動していたでしょう。
 これが洗脳というものか という自覚をした事がありました。
入信した時に買った数珠とお経本をしばらくの間罰が怖くて処分できずにいた事です。
たった5時間ほどの折伏で、マインドコントロールができてしまうものなのだという事を
その時痛感し、友人との縁を切ろうかと考えた事がありました。
後日、信頼できる方に事情を話し 脱会届けを出した方が良いかという事について
相談したところ、勧誘した相手に信仰する意思のない事を伝え、その教団の活動をせず、
そこの為にお金を使わずにいれば 事実上の会員とは言えないので どちらでもいいのでは、
と言う返答をいただきました。
内容証明で脱会届を書く事も考えましたが、それをどう扱われるか分かりませんし
信仰とは心の問題で、心から信仰していないのであれば会員とは言えない、と
半ば開き直り 脱会届を出さずにいました。

ところが、友人の身内の方から電話がありまして、「○○が迷惑をかけたようで」
と できれば会ってお話がしたい と言うような申し出がありました。
勧誘され入会してしまった事を話すと 脱会届を私に出してきて
ここに署名をして欲しい と言われました。よくよく聞いてみると、その方は学会の方でした。
私としてはどっちでもよかったのですが、その方がそれが友人の為でもあるので
どうしても署名して欲しい と言うことでそこにサインをしました。
後日 その話しは友人の知る事となり、サインした事について「何の意味もない事」と言ってました。
その時は学会の方と顕正会の友人の争いに巻き込まれたような気分になりました。
しかし それは最初にハッキリと断わる事をしなかった自分に原因があるので反省してます。

以前このスレに 自分は顕正会員であると言いましたが、私自身そういった自覚はありません。
今はマインドコントロールについて書かれた著書を いろいろ読んで勉強してます。
友人がこんな事になって 悲しい事でしたが 私がカルト宗教について真剣に考えるきっかけになったと思います。
こういった危険が極身近にあるなんて思ってもいなかったのです。
友人は私に大変貴重な経験をさせてくれたのかもしれないとも 最近は考えます。
そして友人が気付いた時に 絶対に責めたりせず 適切な対応ができたら良いと考えて
マインドコントロールについて勉強しています。
ここで皆さんの意見交換を読み 接する事はその危険から身を守る事だと思います。
これからもご意見ご指摘、宜しくお願いいたします。

309アヤエ:2002/11/08(金) 13:29
やーこさん
注射の件、、本当ですか?? それなら大変な事ですね。顕正会はそんな事まで… 
上の書きこみが済んで やーこさんの書き込みを見付けてすごく驚きました。
何かの間違いという事を祈ります…

310アヤエ:2002/11/08(金) 13:40
連続書き込み失礼します。。

五月雨さん
教義に詳しいかどうか分かりませんが 祖母が小さい時に仏様に関する漫画を私に与えてくれてました。
とても分かりやすい漫画でした。祖母の家でその本を読むのがとても楽しみでした。
内容的には「人のものを盗ってはいけない」とか当たり前の事が描いてあったように覚えてます。
私の知っている仏様の教えのベースはここからきてるのだと思います。
べつの親戚では 神社を守っている人もいて 遊びにいくとお説教をしてもらいます。
私はとても良い話しだと思って聞いていました。
聖書も分かりやすく描かれた漫画があって ちょっとだけ読んだ事があり それも良い事が描いてあるな
くらいに思ってました。ほんのちょっとかじっただけですが
宗教と言うか信仰にとても興味があるので 旅行先でもその国や地方で信仰されてるものを
見聞きするのが好きなのです。
もしかして これがマインドコントロールされていると言う事なのでしょうか。。

311五月雨:2002/11/08(金) 14:54

アヤエさん

アヤエさんの書き込みを読むと、少し優柔不断なところがあるのではと思います。これからは誰かから誘われた時には、会う前に必ず用件の確認をして会われた方がいいと思いますよ、用件を濁す人はろくでもない話しかしない人だと思って会われないことです。
もうひとつ思うのは、すべてお友達のこととして、まるで他人事に全てを受け止めていることが気になります。もっと危機感を持って、自身の問題としての解決をされたらいかがでしょうか。

>もしかして これがマインドコントロールされていると言う事なのでしょうか。。

アヤエさんの読まれているマインド・コントロールの書かれた著書には、どう書かれていますか。照らし合わせてご自分の頭で考えてみてください。
自分の頭で考えられないのがマインド・コントロールの特徴です。

312顕正居士:2002/11/08(金) 14:56
アヤエさん。はじめまして。

>勧誘した相手に信仰する意思のない事を伝え、その教団の活動をせず、
>そこの為にお金を使わずにいれば 事実上の会員とは言えないので 
>どちらでもいいのでは、と言う返答をいただきました。

会費の規定がある場合は契約の条項にしたがって解約しませんと、未納会費
が累積します。会費の規定がない場合は「入会」にいかなる意義もないので、
「脱会」する必要もありません。ご相談の通りであります。

313アヤエ:2002/11/08(金) 16:45
>五月雨さん
私が入信に至った件は私の優柔不断が招いた事です。当時の事を振り返ると本当に自分の
いい加減さがよくわかります。分かっていて恥をしのんで書き込みました。
この件があったのは二年近く前の事です。そしてその頃から顕正会についてカルトについて
考えて いろいろなHPを見させていただき自分なりに勉強してきました。
だから 一般の方よりは知識があるのかもしれません。
他人事のように見えたなら誤解だと思います。もちろん当時は困惑しましたが
長く関わるにつれ 怖がるのではなくカルトとはどういうものか知る方がいいのでは
と考えるようになりました。 今読んでいる本は朝日新聞社から出ている本です。
読んでいる限り 自分と当てはまらないと思います。

以前マインドコントロールを勉強する前に 洗脳されている人間の対応の仕方が
分からずに 友人に指摘した事がありました。その時彼女はマインドコントロールされている
という事について 激しく否定しました。自分の意思で行動しているのだと。
五月雨さんに指摘されてドキッとしました。大丈夫と思う自分と 洗脳されてる人間は
自分が洗脳されているなんて気付いていないのだというのを思い出したからです。
危機感をまったく持っていないわけではありません、
危機感を持っているからこそ 時々友人と連絡をとって様子を見ているのです。
でも 五月雨さんのご指摘で 友人から離れて自分の時間を取り戻した方がいいのでは、、
そういう選択もあると分かって関わってきたつもりでしたが・・・
いつのまにか意地になっていたかもしれません。

314アヤエ:2002/11/08(金) 17:17
考えれば 自分が友人を脱会に導けるかもしれないなどとおごった考えが
心のどこかにあったのかもしれません。友人から慢心していると言われても
仕方ないのかもしれませんね…
きっかけになってくれたら と期待していたのは確かに自覚してます。
うーん・・・
書けば書くほどいいわけがましいので、ちょっと頭を冷やしたいと思います。
ロムは欠かさないと思いますので これからも宜しくお願いします。

315犀角独歩:2002/11/09(土) 10:11

このスレッドのテーマは「カルトっぽい」

特定の団体とその長がカルトっぽいかどうか、それを見極めるのは簡単です。
その構成員、信者に、自分が所属している団体の間違っている点を聞いてみればよいわけです。

カルトでは自分たちの団体と長の間違っている点を示せないところに特徴があります。

また、その信者も「うちの団体と、ここは間違っている」と率直に語れる人であれば、カルト度は低いと言えるでしょう。

・団体(集団)と自分の心の健康チェックは以下のところで

■集団健康度チェック
 http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHI/

チェックしただけでは、なにも転送されませんから、皆さんもチェックしてみてください。学術研究に協力する意思のある方は是非とも送信を。

316五月雨:2002/11/09(土) 11:14

アヤエさん

>書けば書くほどいいわけがましいので、ちょっと頭を冷やしたいと思います。
ロムは欠かさないと思いますので これからも宜しくお願いします。

ご自身の問題だと受け止められたのですから、ロムするだけでは無くて、これからはご自身のことを書かれたらいかがでしょうか。

お友達がもしもこの掲示板を読まれた時に、アヤエさんご自身が悩まれて打開されていく姿から何かを感じられることがあるかも知れないですね。

私の方こそこれからもどうぞよろしくお願い致します。

317ガンコ:2002/11/09(土) 11:40
じぶんでは結構カルト度低いと思ってるんですけどねぇ。
端から見ればまだまだなのかしら。

318犀角独歩:2002/11/09(土) 12:35

ガンコさん:

嫌みでも何でもなく、カルトっぽく見えますよ。
だって、私が書くことの中で自分に都合の悪いところはちゃんとよけて、見なかったこととして、自分を守り続けていますもの。
脱カルトというのは徹底して自分を客観的に見ていくこと、情報を自分の都合で選び・使い分けないことですよ。

集団健康度チェックで、確認してみるとよいでしょうね。

319ガンコ:2002/11/09(土) 17:40

ただ今より、集団健康度チェック判定結果を発表します。

1.入脱会の自由に対する侵害 1〜15 の合計得点 12
2.信教・思想の自由に対する侵害 16〜25 の合計得点 9
3.通信・居住の自由に対する侵害 26〜32 の合計得点 0
4.性・子供の権利に対する侵害 33〜42 の合計得点 1
5.健康・文化的生活の権利に対する侵害 43〜 60 の合計得点 5
6.民主教育に対する侵害 61〜 69 の合計得点 2
7.組織の民主制に対する侵害 70〜 87 の合計得点 3
8.プライバシーに対する侵害 88〜93 の合計得点 2
9.その他の人権に対する侵害 94〜114 の合計得点 9
総合健康度 全項目の合計 43

以上、報告を終わります。

320犀角独歩:2002/11/09(土) 18:20

ガンコさん:

私のところに相談を寄せるご家族からの情報で顕正会員をチェックすると大体160点前後となります。

それに比べれば、ガンコさんの得点は極端に低いことになります。が、それをわざわざ発表してみせる理由は何でしょうかね。

参考に記せば、私はチェックしても0点でした。

321犀角独歩:2002/11/09(土) 18:59

ちなみに私がもっとも過激かつ、熱心に活動しているときを正直にチェックした結果は以下のとおりです。ここから0点に戻るには、30年近い歳月と、多く犠牲、そして学びと努力が必要でした。


1.入脱会の自由に対する侵害 1〜15 の合計得点 36
2.信教・思想の自由に対する侵害 16〜25 の合計得点 27
3.通信・居住の自由に対する侵害 26〜32 の合計得点 0
4.性・子供の権利に対する侵害 33〜42 の合計得点 8
5.健康・文化的生活の権利に対する侵害 43〜 60 の合計得点 21
6.民主教育に対する侵害 61〜 69 の合計得点 17
7.組織の民主制に対する侵害 70〜 87 の合計得点 37
8.プライバシーに対する侵害 88〜93 の合計得点 18
9.その他の人権に対する侵害 94〜114 の合計得点 57

   総合健康度 全項目の合計 221

322ガンコ:2002/11/09(土) 20:00
統計というのは虚心坦懐を前提とするものです。正直に申し上げたまでです。
第一、じぶんの点数がなにを意味するか、わかっていませんでした。
独歩さんの零点というのは顕正会を対象にしたものではないですよね?

323犀角独歩:2002/11/09(土) 20:30

ガンコさん:

> 正直に申し上げたまでです

この言葉を信じます。
ここで、問題意識をもって考えられ程ですから、点数が低いのは当然かも知れません。
でも一般的な活動をしているだけでも、もう少し高くなると思えますから、実はかなり顕正会の活動、及び教義には疑問を持っておられるのか?と拝察しました。

> 顕正会を対象にしたものではないですよね

これはもちろん違います。
私は顕正会の経験はありません。
現時点で、私はどこの組織に所属していませんし、科学的検証に耐えない教えは、全部、排除しているから0点となるのでしょう。

でも大乗仏教と言われるものを信奉しているとすれば、加点されるのは当然ではないでしょうか。むしろ一般の会社員の人でも、会社を集団と見做して、チェックしても加点されるはずです。特に営業職にあるような場合、加点率は上がるでしょう。私は会社員でもありませんから、この点でも加点される該当はないわけです。

得点の意味するところは集団健康チェックのところにもジャンプが設けられていましたが、以下の中間報告を参考にされれば、目安になるでしょう。

http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHIweb/ol002_nishida.html

324やーこ。:2002/11/10(日) 09:27
今度は法華講について近くレスしたいと思います。
今朝、うちの青年部長にメールを出しました。
それを載せますので、ご意見下さい。
尚、個人名、支部名は伏せさせて頂きます。

325犀角独歩:2002/11/10(日) 09:55

○『報恩抄』に見る日蓮の他国侵逼難観
 ―興門所伝と相違する日蓮の国・王観―

先頃、復刊になった高木豊師著『日蓮』でも指摘されていたことであるけれど、日蓮の他国侵逼難観は、蒙古・賢王=神、という伏線に基づいて展開されたものでした。この賢王を神とする点は血脉抄の記述(王=菩薩)を受ける興門流の所伝と相違し、賢王が蒙古国王であるとする点とも相違します。

文応元年(1260)7月16日『立正安国論』の記述は、建治2年(1275)7月21日時点の『報恩抄』、すなわち15年後と同様の国・王観に基づいていたかどうか不明ですが、以下の点は真跡にしっかりと残された日蓮の考えです。

「正法を行ずるものを国主あだみ、邪法を行ずる者のかたうど(方人)せば、大梵天王・帝釈・日月・四天等・隣国の賢王の身に入りかわりて其の国をせむべしとみゆ」

特筆しておくべき点は、ここで「国主」とされるところです。
日本は国“主”とするのに、隣国は賢“王”とされている点です。
『立正安国論』は、北条時頼に上奏されたのであって、当時の国王・亀山天皇になされたものではありません。

ここから考えると日蓮が言う国主とは実質的な執政者であり、当時で言えば武家の大将を指していたと考えられることになります。

要は、「国主=執政者・武家大将が正法を行ずる日蓮を仇み、念仏・真言という(日蓮から見た)邪法を行ずるものの味方をしたので、梵帝・日月・四天が蒙古国・賢王に身に入れ替わって、日本を攻める」というのが日蓮の他国侵逼難観であったと見られます。ここでは隣国の王を賢王といい、罪悪視することは一顧も与えていない点も注目されます。

326犀角独歩:2002/11/10(日) 17:33

○真跡に見る「国主」語の使用

真跡に見られる「国主」語の、意味が取れる使用は以下のとおりです。

『災難興起由来』正元2年(1260)2月上旬39歳
「人身を受て国主と成るは必ず五戒十善に依る」

『真言諸宗違目』文永9年(1272)5月5日51歳
「大阿修羅王有り。禅宗・念仏宗・律宗等の棟梁(とうりょう)の心中に付け入りて、次第に国主国中に遷(うつ)り入りて賢人を失ふ」

『祈祷抄』文永9年(1272)51歳
「国主と成り給ふ事は、過去に正法を持ち仏に仕ふるに依って、大小の王皆梵王・帝釈・日月・四天等の御計らひとして郡郷を領し給へり」

『顕仏未来記』文永10年(1273)閏5月11日52歳
「悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍(つか)へ奉らんことよ。願はくは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」

『国府尼御前御書』文永11年(1274)6月16日53歳
「結句は国主より御勘気二度、一度は伊豆の国、今度は佐渡の島なり」

『太田殿許御書』文永12年(1275)1月24日54歳
「所詮天台・伝教の如き聖人、公場に於て是非を決せず、明帝(めいてい)・桓武(かんむ)の如き国主之を聞かざる故か」

『新尼御前御返事』文永12年(1275)2月16日54歳
「此の法門弘通せんには「如来現在猶多怨嫉況滅度後」「一切世間多怨難信」と申して、第一のかたきは国主並びに郡郷等の地頭・領家・万民等なり」

『曽谷入道殿許御書』文永12年(1275)3月10日54歳
「例せば王女(おうにょ)と下女(げにょ)と天子の種子を下さヾれば国主と為(な)らざるが如し」

『曽谷入道殿許御書』文永12年(1275)3月10日54歳
「国主持者を誹謗(ひぼう)せば位を失ひ、臣民行者を毀呰(きし)すれば身を喪(ほろぼ)す。一国を挙(こぞ)って用ひずんば、定んで自反(じほん)・他逼(たひつ)出来せしむべきなり」

『法蓮抄』建治元年(1275)4月54歳
「当に知るべし、此の国に大聖人有りと。又知んぬべし、彼の聖人を国主信ぜずと云ふ事を。問うて云はく、先代に仏寺を失ひし時何ぞ此の瑞なきや。答へて云はく、瑞は失の軽重によりて大小あり。此の度の瑞は怪しむべし。一度二度にあらず、一返二返にあらず、年月をふるまヽに弥(いよいよ)盛んなり。之を以て之を察すべし、先代の失(とが)よりも過ぎたる国主に失あり、国主の身にて万民を殺し、又万臣を殺し、又父母を殺す失よりも聖人を怨む事彼に過ぐる事を」
「此の国の一切の僧は皆提婆・瞿伽利(くがり)が魂を移し、国主は阿闍世王・波瑠璃(はるり)王の化身なり」

『撰時抄』建治元年(1275)6月10日54歳
「国主等其のいさめを用ひずば、隣国にをほせつけて彼々の国々の悪王悪比丘等をせめらるヽならば、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起こるべし」
「我並びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入って、或は謀反(むほん)ををこし、或は悪事をなして、皆関東にほろぼされぬ」
「今の大地震・大長星等は国主日蓮をにくみて、亡国の法たる禅宗と念仏者と真言師をかたうど(方人)せらるれば、天いからせ給ひていださせ給ふところの災難なり」
「此の国に智人あり。国主此をにくみて、あだ(怨)すという事も又疑ひなし」
「王に近きもの、王に心よせなる者、我がたっとしとをも(思)う者のいうことなれば、理不尽(りふじん)に是非を糾(ただ)さず、彼の智人をさんざんとはぢ(恥)にをよ(及)ばせなんどせば、其の故ともなく其の国ににわかに大兵乱出現し、後には他国にせめらるべし。其の国主もう(失)せ、其の国もほろびなんずととかれて候」

『強仁状御返事』建治元年(1275)12月26日54歳
「我が国を逼(せ)むべき由兼ねて之を知る。故に身命を仏神の宝前に捨棄(しゃき)して刀剣・武家の責めを恐れず、昼は国主に奏し夜は弟子等に語る」

『減劫御書』建治元年(1275)54歳
「今の代には正嘉の大地震、文永の大せひせひ(彗星)の時、智慧かしこき国主あらましかば、日蓮をば用ひつべかりしなり。それこそなからめ、文永九年のどしうち(同士打)、十一年の蒙古のせめの時は、周の文王の太公望をむかへしがごとく、殷の高丁王の傅悦(ふえつ)を七里より請(しょう)ぜしがごとくすべかりしぞかし」

327犀角独歩:2002/11/10(日) 17:39

―326からつづく―

『松野殿御消息』建治2年(1276)2月17日55歳
「法華経を持つ人は男ならば何(いか)なる田夫(でんぷ)にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因(しゃくだいかんにん)・四大天王・転輪聖王(てんりんじょうおう)・乃至漢土日本の国主等にも勝れたり。何(いか)に況(いわ)んや日本国の大臣・公卿(くぎょう)・源平の侍(さむらい)・百姓等に勝れたる事申すに及ばず」

『兄弟抄』建治2年(1276)4月55歳
「法華経の行者をあだ(仇)む国主にあへり」

『報恩抄』建治2年(1275)7月21日55歳
「仏法を習ひ極めんとをも(思)わば、いとまあらずば叶ふべからず。いとまあらんとをもわば、父母・師匠・国主等に随ひては叶ふべからず」
「国主は但一人なり、二人となれば国土おだ(穏)やかならず」
「国主これをあだ(怨)み数百人の民に或は罵詈(めり)、或は悪口(あっく)、或は杖木(じょうもく)、或は刀剣、或は宅々ごとにせ(塞)き、或は家々ごとにを(追)う。それにかなはねば我と手をくだして二度まで流罪あり。去ぬる文永八年九月の十二日には頚(くび)を切らんとす」
「正法を行ずるものを国主あだみ、邪法を行ずる者のかたうど(方人)せば、大梵天王・帝釈・日月・四天等・隣国の賢王の身に入りかわりて其の国をせむべしとみゆ」

「人ごとに真言を尊(とうと)む、真言は国をほろぼす悪法という。国主は禅宗を尊む、日蓮は天魔の所為というゆへに。我と招けるわざわひなれば人のの(罵)るをもとが(咎)めず」

『四信五品抄』建治3年(1277)4月初旬56歳
「仏法漸(ようや)く廃(すた)れ、王法次第に衰(おとろ)へ、天照太神・正八幡等の久住の守護神(しゅごじん)は力を失ひ、梵(ぼん)・帝(たい)・四天は国を去って已(すで)に亡国と成らんとす。情(こころ)有らん人誰か傷差(いたま)ざらんや。所詮三大師の邪法の興(おこ)る所は所謂東寺(とうじ)と叡山(えいざん)の総持院(そうじいん)と園城寺(おんじょうじ)との三所なり。禁止せずんば国土の滅亡と衆生の悪道と疑ひ無き者か。予粗(ほぼ)此の旨を勘(かんが)へ、国主に示すと雖も敢へて叙用(じょよう)無し。悲しむべし悲しむべし」

『下山御消息』建治3年(1277)6月56歳
「法華経と涅槃経との仏鏡をもって、当時の日本国を浮かべて其の影をみるに、誰の僧か国主に六通の羅漢の如くたとまれて、而も法華経の行者を讒言(ざんげん)して頚をきらせんとせし。又いづれの僧か万民に大菩薩とあをがれたる。誰の智者か法華経の故に度々処々を追はれ、頚(くび)をきられ、弟子を殺され、両度まで流罪せられて最後に頚に及ばんとせし」
「彼の国主の僻見(びゃっけん)の心を推するに、日蓮は阿弥陀仏の怨敵、父母の建立の堂塔の讎敵(しゅうてき)なれば、仮令(たとい)政道をまげたりとも仏意には背かじ、天神もゆるし給ふべしとをも(思)はるゝか、はかなしはかなし」
「相州は謗法の人ならぬ上、文武きはめ尽くせし人なれば、天許して国主となす。随って世且く静かなりき。然るに又先に王法を失ひし真言漸く関東に落ち下る」
「先づ大地震に付いて去ぬる正嘉元年に書を一巻注したりしを、故最明寺の入道殿に奉る。御尋ねもなく御用ひもなかりしかば、国主の御用ひなき法師なればあやまちたりとも科(とが)あらじやとおもひけん」
「国主も讒言(ざんげん)を収(い)れて、流罪し頭にも及ばんずらん」
「抑(そもそも)日本国の国主となりて、万事を心に任せ給へり。何事も両方を召し合はせてこそ勝負を決し御成敗(ごせいばい)をなす人の、いかなれば日蓮一人に限りて、諸僧等に召し合はせずして大科に行なはるらん」
「孔子の云はく「身をわするゝ者あり。国主と成りて政道を曲ぐる是なり」云云。将(はた)又国主は此の事を委細には知らせ給はざるか」
「日蓮が出現して、一切の人を恐れず、身命を捨てゝ指し申さば、賢(けん)なる国主ならば子細を聞き給ふべきに、聞きもせず、用ひられざるだにも不思議なるに、剰(あまつさ)へ頚に及ばんとせしは存の外の次第なり」
「法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界・迹化他方・二聖・二天・十羅刹女・鬼子母神は他国の賢王の身に入り易(か)はりて国主を罰し国を亡ぜんとするをしらず。真(まこと)の天のせめにてだにもあるならば、たとひ鉄囲山(てっちせん)を日本国に引き回(めぐ)らし、須弥山(しゅみせん)を蓋(おお)ひとして、十方世界の四天王を集めて、波際(なぎさ)に立ち並べてふせがするとも、法華経の敵となり、教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭(こうべ)を打ち、十巻共に引き散らして散々に踏(ふ)みたりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ。日本守護の天照太神・正八幡等もいかでかかゝる国をばたすけ給ふべき」

328犀角独歩:2002/11/10(日) 17:39

―327からつづく―

『松野殿御返事』建治4年(1278)2月13日57歳
「然るに予は凡夫にて候へども、かヽるべき事を仏兼ねて説きを(置)かせ給ひて候を、国主に申 しきかせ進(まい)らせ候ひぬ。其れにつけて御用(おんもち)ひは無くして弥(いよいよ)怨をなせしかば力及ばず、此の国既に謗法と成りぬ。法華経の敵(かたき)に成り候へば三世十方の仏神の敵と成れり。御心にも推(すい)せさせ給ひ候へ」
「其の時其の国に持戒(じかい)・破戒(はかい)等の無量無辺の僧等集まりて国主に讒言(ざんげん)して、流し失ふべし」と説かれたり。然るにかヽる経文かたがた符合(ふごう)し候ひ了(おわ)んぬ」

『治病大小権実違目』弘安元年(1278)6月26日57歳
華厳(けごん)経・深密(じんみつ)経・般若(はんにゃ)経・大日(だいにち)経等の権大乗の人々、各々劣謂勝見(れついしょうけん)を起こして、我が宗は或は法華経と斉等、或は勝れたりなんど申す人多く出来し、或は国主等此を用ひぬれば、此によて三毒・八万四千の病起こる」
「人王第三十代並びに一・二の三代の国主並びに臣下等、疱瘡(ほうそう)と疫病に御崩去(ごほうぎょ)なりき」
『種々物御消息』弘安元年(1278)7月7日57歳
「譬へば謀反のものをしりながら国主へ申さぬとが(失)あり」
「かの人々は諸人ににく(憎)まれたりしかども、いまだ国主にはあだ(怨)まれず。これは諸人よりは国主にあだまるヽ事父母のかたきよりも、す(過)ぎたりとみよ」

『千日尼御前御返事』弘安元年(1278)7月28日57歳
「たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるヽゆえに、女人こぞりて国主に讒言(ざんげん)して伊豆国へながせし上、又佐渡国へながされぬ」
「日蓮佐渡国へながされたりしかば、彼の国の守護等は国主の御計ひに随って日蓮をあだむ」

『兵衛志殿御書』弘安元年(1278)9月9日57歳
「命つれなくて生きたらん眼(まなこ)に見よ。国主等は他国に責めわたされ、調伏の人々は或は狂死、或は他国或は山林にかく(隠)るべし」

『神国王御書』弘安元年(1278)歳
「国主をたづぬれば神世十二代、天神七代地神五代なり…」
「此に日蓮大いに疑って云はく、仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈(たいしゃく)・日月・四天・転輪聖王(てんりんじょうおう)・諸王の師なり、主なり、親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり」
「此の三師を用ふる国主終(つい)に皇法尽き了(おわ)んぬ。明雲座主の義仲に殺され、承久に御室(おむろ)思ひ死にせし是なり」

『閻浮提中御書』弘安元年(1278)57歳
「国主は讒臣(ざんしん)等が凶言ををさ(収)めてあだをなせしかば、凡夫なれば道理なりとをもいて退する心なかりしかども、度々あだをな□(す)」

『諌暁八幡抄』弘安3年(1280)12月59歳
「去ぬる弘長と又去ぬる文永八年九月の十二日に日蓮一分の失(とが)なくして、南無妙法蓮華経と申す大科に、国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひ(引)きは(張)らせて、一国の謗法の者どもにわらわせ給ひしは、あに八幡大菩薩の大科にあらずや」
「真言・禅・念仏者等の讒奏(ざんそう)に依りて無智の国主留難(るなん)をなす。此を対治すべき氏神八幡大菩薩、彼等の大科を治せざるゆへに、日蓮の氏神を諌暁(かんぎょう)するは道理に背くべしや」

329犀角独歩:2002/11/10(日) 18:04

以上のように、日蓮の国主の用法は多岐に亘りますが、当時の国主とは立正安国論・上奏の対告衆を指していることは明らかです。

また、注目するべき点は『神国王御書』の「此に日蓮大いに疑って云はく、仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈(たいしゃく)・日月・四天・転輪聖王(てんりんじょうおう)・諸王の師なり、主なり、親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり」の一節です。

ここには後代、展開される垂迹説(仏本神迹・神本仏迹)は見られないので、むしろ、日蓮は三界釈尊御領観であることが知れます。これはまた、『法門申さるべき様の事』の

「日本秋津島(あきつしま)は四州の輪王の所従にも及ばず、但(ただ)島の長(おさ)なるべし。長なんどにつかへん者どもに召されたり、上(かみ)なんどかく上(うえ)、面目なんど申すは、かたがたせん(詮)ずるところ日蓮をいやしみてかけるか」

という三界御領国主・釈尊の使者である自負から、自らを日本島の長の上位に位置づけている点とも一致します。

しかし、後代、特に尊門系において、広宣流布の暁の天王を聖天子と見做し、四菩薩の変化(へんげ)とする血脉抄の“伝”は、この相伝書が制作された背景に強い皇室・公家との関わりがあったからであると想像させます。ここでは日本を中心とする一大ファンダメンタリズムが展開されるわけです。

しかし、日蓮は釈尊の御領を一閻浮提とするのではなく、「三界国主」としています。このスケールの大きさには、今さらながら、驚かされます。

以上、真跡に基づき、“伝”依存を廃した観点から記しました。

330やーこ。:2002/11/10(日) 18:43
またまた横レス失礼します。
sunyaさんの連載レスと反論を、個人的に本にしたいです。うちのプリンタは両面印刷が可能だからです。

331ガンコ:2002/11/12(火) 13:06
しばらく目を離していたら、あまりにも難しい論文が発表されてしまって、皆さん退いてしまったようです。
おそらく顕正会のカルト性を、教義面からあぶりだそうとのお考えであろうかと思います。それはそれとして、申し訳ありませんが少し話を戻させていただきます。

顕正会のカルトっぽさをたくさんの方が論じられてきたわけですが、どうも今ひとつはっきりしないことがあるように思います。

>顕正会勧誘の裏でどれだけ多くの親御さんが泣いているか、お考えになったことがありますか。

これは独歩さんがわたくしにおっしゃられた言葉ですが、これまでの議論をまとめてみるとこれは必ずしも顕正会固有の問題ではないということになります。
ようするに今現在、顕正会が活発であるから相対的に苦情が多い、宗門関係者にとっては「なんで顕正会はあんなに折伏ができるのだろう」という疑問があるように思われます。この点が今ひとつはっきりしていないのではないでしょうか。

創価学会が宗門とたもとを分けてすでに10年を過ぎました。いわゆる宗創戦争を延々と繰り広げていますが、いったいいつまで続けるつもりなのでしょうか。
ただし、ここ数年は多少おもむきが変わってきたように思われます。
ようするに、いつまでも信徒の奪い合いをやっていてもラチがあかないから新規開拓をやろう、という動きがあるように思えるのです。

学会の携帯本尊・・・これは独歩さんが早々とご指摘になっていることですが、顕正会なみにハードルを下げて新規開拓を、とりわけ若年層をねらったものと考えられます。どういうことになるか、今後の動向をみまもる以外にありません。
いっぽう宗門はいくらなんでもそんなデタラメはできませんから、従来通りの折伏をやっているのでしょうけれども、なかなか思うように折伏が進まないわけです。
そうなると顕正会がガゼン注目をあびることになるのです。

もちろん顕正会の折伏はハードルが低いです。本尊下付もありませんから、宗門の折伏とは同日に論じるわけにはいかないのですが、ともかく活発であることは疑いようのないところです。

しらべるいとまがないので記憶で書きますが、数年前にものすごい大折伏の叶った法戦がありまして、浅井はそのとき、「宗門でも学会でも思っているでしょうね、顕正会はなんで折伏がすすむのか? 注射でも打ってるんじゃないか(爆笑)」と言ったのです。ちなみに・・・この情報源がネット上のものだとすると、浅井ないしその側近はけっこう入念にネットを見ている・・・今の時代、あたりまえと言えばあたりまえですが・・・。

注射はもちろんありません。そうなるとなおさら顕正会がなぜにかくも活発であるのか、この点がいまだ明瞭にはなっていないように思うのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか?

浅井はこのように言います、「大聖人様が顕正会の手を引いて下さっているから・・・」と。

あら、また笑われるようなこと、書いてしまったかしら?

332犀角独歩:2002/11/12(火) 13:25

ガンコさん:

ちょっと、難しいことを書くと「頭が休みになりますか」(笑)
思考停止はカルトの特徴ですね。

どうも文章をちゃんと読んでいないようなので再度記しますが、以下の点ははっきりしています。

> 顕正会が活発であるから相対的に苦情が多い

活発といえば、聞こえは好いですが、私は「非常識な」と思います。
この場合の常識は社会規範を基準にしてのことです。

> 宗門関係者にとっては「なんで顕正会はあんなに折伏ができるのだろう」という疑問がある

ですから、こんな疑問ありませんよ。ちょっと話して経文と数珠買わせて、一緒に勤行したら、「はい、入会」、そんなインスタントラーメンみたいな勧誘を、誰も、折伏とも成果とも思っていませんよ。ただ子供をかき集めているだけとしか映じていません。

しかし、そんな煽動に巻き込まれる方はたまったものじゃない。私のところだけでも年間500人方の相談があると言っているわけです。

もう恥を晒したり、社会に迷惑をかけるのはやめてくれないかと言ってきたわけです。

こう書いても、書かれた文章の意味がわからないのであれば無駄ですから、ちゃんとお勉強をしましょうね。

まあ、あんまり嗤わせないでくださいよ(笑)

333五月雨:2002/11/12(火) 13:35

独歩さん

小さい声でこそこそっとお聞きしますけど、顕正会って本尊が無いのですか?ガンコさんのレスを読んで頭の中は?マークだらけです。

本尊が無いのに、折伏だとか究極的には宗教団体だと言ってるのでしょ。信じられなーい、と年甲斐も無くカワイク言ってしまいました(笑)。

信心の根本は本尊だと聞かされてきた、学会・法華講経験者ですから、それが無くてそれで信仰が成り立つのかとおおいに疑問です。
信じてしまう人がいるのですねぇ・・・

334犀角独歩:2002/11/12(火) 14:52

> 333

顕正会は破門になっているわけですから、石山側でも無関係の団体と、こういうわけで、その破門以前に下げられた漫荼羅を本部に安置し、そこに集まって勤行するということ。古い会員は破門前に漫荼羅を借りているので、家庭でそれに向かって勤行をするけど、借りていない会員は、朝晩、石山の方向に向かって遙拝勤行というのをするということでした。(私は個人的にはメッカに向かって拝む違う宗教にしか思えませんが)

「戒壇の大御本尊」とか言っても、見たこともない人がほとんど。石山も訪れたこともない人がほとんど。つまり戒壇堂に入れると主張する漫荼羅を見たこともないし、戒壇を建てるという場所も見たこともない人がほとんど。

だから、何百回も行って、参拝(内拝とは言いません)したこっちからすれば、空想世界の空理空論と見えるわけですが、そう言えば反論するでしょうね。まあ、話が噛み合わないのもこのせいかなと(笑)

335五月雨:2002/11/12(火) 15:43

独歩さん

>借りていない会員は、朝晩、石山の方向に向かって遙拝勤行というのをするということでした。(私は個人的にはメッカに向かって拝む違う宗教にしか思えませんが)

遙拝勤行というのがあるのですか、本当にまるで○ス○ム教みたいですね。

>つまり戒壇堂に入れると主張する漫荼羅を見たこともないし、戒壇を建てるという場所も見たこともない人がほとんど。

あんなに一生懸命「国立戒壇」建立と命を懸けて頑張っている顕正会が、そこに安置する曼荼羅を見たことがないとは、どう言えばいいのか分かりませんけれど、すこしピエロみたいな悲哀を感じますね。

石山も他団体がこんなに思ってくれる「戒壇之漫荼羅」を、大事に大事にしなくてはいけませんね、ちょっと意味合いが違うかな・・・

336アヤエ:2002/11/12(火) 16:36
ガンコさん
ご自身で指摘されてますね、
>顕正会固有の問題ではないということになります。
そう カルト共通の問題じゃないでしょうか。

折伏が何故活発なのか。それは恐怖を煽りたてているからに過ぎないのでは?
とりあえず広めておけば自分自身の功徳となることを期待した行動なのではないでしょうか
独歩さんのおっしゃる「インスタントラーメン」とは的確な表現だと思いました。
 古参信者が少ない、、退転する人が多いのはどういうわけでしょうね…

337Kaname:2002/11/12(火) 18:01
顕正会の人って,戒壇本尊を見たこともないどころか,大石寺から破門になっているなんて,ウソでしょ.
だって、わたしの友だち,日蓮正宗顕正会っていったよ.日蓮正宗が大石寺じゃないの.いくらなんでも,そんなウソつかないよ.

338問答迷人:2002/11/12(火) 19:03

Kaname さん

少し前までは、そう言っていましたね。今は、「冨士大石寺顕正会」と名乗っていますが、大石寺の信徒とは認められていません。信徒と認められていない以上、当然、戒壇板本尊の内拝は出来無いわけです。

339犀角独歩:2002/11/13(水) 11:55

五月雨さん:

遙拝勤行。実は私はこの言葉を長らく知りませんでした。

そもそも「遙拝」という語彙は、真跡にも、真偽未決にも、富士宗学要集にすら、使われていません。

つまり、「遙拝勤行」なるものは顕正会が作り出したものです。聖人にも、興師にも、石山にもない、聞いたこともない、浅井さんが作ったものなのでしょう。

石山義を知っている人であれば、漫荼羅の前を離れて、勤行をしたり、唱題をするなどという化儀がないことは誰しも知っていることでしょう。

私は学会から石山に移り、教学部の仕事をしていたときに、教学部長から、この点を指摘され、改めました。

談話中、私が「旅先では大石寺に向かって勤行します」と言ったら、「うん??」と、ものすごく不思議そうな顔をされたのです。

そうして、「読経は御本尊様にするものだぞ。御本尊様がないところでしてどうするんだ」というわけです。

ですから「じゃあ、ないところではどうすればよろしいのですか」と聞くと、「守があるだろう」というわけです。

これは唱題でも同様で「わたしはいつも車を運転しながら題目を唱えています」と言ったら、「御本尊の前じゃないところで題目を唱えてどうするだ?」とまた不思議そうな顔。
つまり、これらは学会が言いだしたやり方であったと、その時、始めて気付きました。戸田さんの影響を受けている浅井さんもそれに倣ったのかも知れません。

まあ、いまとなってはどうでもよいことばかりなのですが、こんなことは顕正会員は想像だにもつかないことでしょう。

漫荼羅を離れて、勤行・唱題をしても無意味であるというのが石山化儀であることを彼らは知って敢えて隠しているのでしょうね。

だいたい、勤行・唱題に漫荼羅が必須であればこそ、あんなに一所懸命になって印刷漫荼羅を濫造貸与したのでしょう。遙拝なるものでよいのであれば、この貸与は意味をなさなかったでしょう。

ただ、もちろん、唱題に限って言えば、日蓮は題目の流布が先行したわけです。ですから、この時点では太陽に向かって唱題をしたりするなどの行を、勧められていたのでしょう。

しかし、石山では漫荼羅正意論が定着したのち、教学部長が論ずる如き、漫荼羅を拝した勤行・唱題を正意とするようになり、現在に至っているのでしょう。

破門で、印刷と雖も漫荼羅が貸与されなくなったために、苦肉の策で考え出されたのが「遙拝勤行」なるものであったのでしょう。

この点で、顕正会は会員を欺いていると私は指摘しておきます。

340ガンコ:2002/11/13(水) 12:13
独歩さん

やっぱりお笑いになりましたわね。それにしてもおっしゃることがきつうございます(五月雨さんも)。
まぁ、思考停止に陥らないよう努力したいと思いますので、今後ともよろしくおねがいします。

341犀角独歩:2002/11/13(水) 12:36

ガンコさん:

「きつい」と思うとすれば、それは顕正会から植え付けられた固定観念に振り回されているからでしょう。

だから、そのガンコさんの固定観念打破のために「これからもよろしくおねがい」されましょう。

342五月雨:2002/11/13(水) 12:58

ガンコさん

独歩さんとひそひそ話をしていたのですが、聞こえましたか(笑)

>それにしてもおっしゃることがきつうございます(五月雨さんも)。

私がなにかきついことを言っちゃいましたか、気付きませんでしたよ。まぁこんな私ですが、これからもよろしくお願いしますね。

独歩さんに「これからもよろしくおねがい」されて良かったですね。

343ガンコ:2002/11/13(水) 13:15
ありがとうございます。
次にアヤエさんに書いたものを入れますので、よろしくご批評ねがいます。

344ガンコ:2002/11/13(水) 13:18
アヤエさん

大分おっしゃることが厳しくなってきました。
おそらくわたくしの進歩のなさをご覧になってハガユイ思いをなさっていらっしゃるのでしょう。
あるいはお友達とわたくしとが重なって映っていらっしゃるのかもしれません。
まぁ、じぶんではそれほど重症ではないと思っているんですが、端から見ると重症なのかもしれませんね。
顕正会の中にはわたくしよりもはるかに重症の者が少なくとも1万人はいることになりましょうか。
これを多いと見るか少ないと見るかは判断のわかれるところでしょう。

少し話を戻します。267でアヤエさんがおっしゃったことはたいへん勉強になりました。ですが少しばかりわたくしの立場で言わせていただきます。

校長が配ったビラというのは創価学会の謀略ビラであろうと思います。顕正会内部ではそのように言ってます。全国で起こっている苦情の類はすべて学会の仕業だと言うのです。もちろんわたくしは全部がそうだとは思っていませんが、各所で学会の謀略であることが発覚しているのも事実です。
このさい創価学会は対顕正会工作を凍結ないし完全撤退してはどうかと思います。
ようするに、そうすれば顕正会の問題がより鮮明になって、問題解決が早まるのではないかと思うのです。なにしろ内部では何か問題が起こると、「学会のたばかり」といって済ませてしまうのです。これは楽ですよね。

ですが秋田の高校生の話はかならずしも学会の謀略を言わんがために引用したわけではなく、皆さんがあの話から何をどのように感じ取られるかを知りたかったのでした。
おそらく彼女はひどく成績がわるかったのでしょう。教師から見れば「ただでさえ勉強ができないのに宗教なんかに夢中になられては困る」と思うのが自然でしょう。
ようするにわたくしは学会の関与をなしとして考えているのですが、ここでは信教の自由を当然として考えるならば、彼女が留年ないし退学になる理由は何かといえば、すでにアヤエさんがご指摘になられているとおりだと思うのです。
まさしくこれは顕正会固有の問題ではありません。成績や生活態度に問題があって退学になるのは顕正会員に限った話ではないです。もちろんだからといって自己正当化をするつもりはありませんが、わたくしが言いたいのは次のごとくです。
もともと勉強ギライの彼女がなぜに一生懸命勉強したのか? ひとことで言ってしまえば「浅井先生のご命令」だからなのです。
ようするにこれが端から見れば実に「カルトっぽい」ことなのだろう、ということを皆さんに問うたつもりでした。
先生のご命令なら何でもするのか・・・殺人でも・・・ということが行き着くところにあるのかもしれません。なるほどこれはコワイですよね。
ですがわたくしは今のところ、浅井先生はそのような人ではないと思っているのです。

掲示板に参加するようになって1ヵ月たちましたがいまだにこの点は変わりません。

345五月雨:2002/11/13(水) 13:21

独歩さん

学会・石山では本尊がなければ、信仰が成り立たないと教わってきましたから、顕正会では本尊下付が無いと知った私の驚きは、石山義の信仰をしているものなら皆持つものだと思います。現・学会でも破門直後には、学会独自の本尊がまだ無かったものですから、学会員にどうするのと聞くと「胸中の肉団におはしますだから、要らない」とよく言ってました、ところがいざ学会本尊が下付され始めると、今度は「勤行・唱題には対象物が必要だ」と本尊の必要性を認めていました。教義のどんな変遷でも言われるままに受け入れる学会員こそ思考停止の典型例だと思います。だけど石山信徒にも顕正会員にも同様のことが言えますよね。

「オフ会開催案内」スレッドの267で顕正居士さんがこう述べられいます。

「これは在家が騙されない程度に仏教学や宗学を学ぶしかないでしょう。」


このお言葉は心にしみました、日蓮聖人の正しい教えは「唯受一人の御法主上人猊下にしか分からない」とマインド・コントロールされて、御書さえも読まない、法門を知ろうともしない、結果騙されていた自分しか残りませんでした。
自分で文献を読んで、自分で学び、自分の頭で考えることが、騙されないための唯一の防衛方法はなのですね。

346ガンコ:2002/11/13(水) 13:26
Kanameさん

おっしゃる意味を正確に理解していないのですが、わたくし達が一般の人に仏法の話をするとき、創価学会との違いはかなり詳しく説明するけど、日蓮正宗との関係については説明しない場合が多いです。
なぜかというと、説明がややこしいからです。いずれは宗門に復帰できるという淡い期待もあって、あまり悪く言わない傾向があるかもしれません。
客観的には問答名人さんのおっしゃるとおりです

347犀角独歩:2002/11/13(水) 13:30

ガンコさん:

> 校長が配ったビラというのは創価学会の謀略ビラ

これは何を証拠に学会の謀略であるというわけですか。「思います」ではなくて、ちゃんとした証拠を上げてください。証拠も上げず、そう決めつけるところに、「悪いことは何でも創価学会のせいにする」顕正会の誘導を私は見ます。

繰り返します。証拠を上げてください。

348犀角独歩:2002/11/13(水) 13:44

五月雨さん:

顕正居士さんが仰ってくださったことは、この掲示板の意義も闡明にする、まことに勝れた箴言であったと、私も思います。

自分が所属する組織、指導者が言うことは絶対である。他より正しい“はずだ”から、その根拠を自分で調べるまでもない、こういう無責任さが、無謀な勧誘と、そして、個人が騙される原因になっているわけですね。

知る権利の行使こそ、重要であり、そのためには自らの頭を使うことであると私も思います。

349ガンコ:2002/11/13(水) 13:59
独歩さんのおっしゃるとおり、わたくしは顕正会の言うことを鵜呑みにしているのです。

これはいけないことですから、自己批判を込めて『なにしろ内部では何か問題が起こると、「学会のたばかり」といって済ませてしまうのです。』と書いたのですが、それでもなお許されざるとおっしゃられるのであれば、以後は気を付けたいと思います。

350犀角独歩:2002/11/13(水) 14:08

349 ガンコさん:

なるほど、了解しました。
「学会のたばかり」で今後は済まさないという意思表明であったわけですね。
それならば理解できます。

351アヤエ:2002/11/13(水) 17:53
ガンコさん

厳しかったですか、そんなつもりは全然なかったのですが。
そうですね おっしゃるように私の友人とガンコさんを重ねてしまってるのかもしれません。
高校生の件は、結果がよければいいのかしら、というような感想です。
つまづいて気付く事もあるし、身をもって気付く事がその人の為なんだと思いますが。

先生の命令ならなんでもするのか・・・今までの人間関係を壊すような事をしても・・・

あるサイトでこういう記事をみつけました。
オウム真理教の実行犯の裁判を傍聴した、かつて自分もカルトにはまった事のある方の記事でした。
実行犯を「井上くん」と呼び、容疑者席にいた井上くんと自分がだぶって
とても他人事には思えなかったそうです。その方が洗脳されていた時何をしたかと言うと
別の宗教団体に所属していたのですが、2千円募金と言うのをしたことがあって
その2千円募金と無差別テロをイコールとして考えてました。
2千円募金の延長線上には、命令とあらば殺人もあり得た、、というような事でした。
スケールの問題ではないと。

皆さんはどう思われますか?

352犀角独歩:2002/11/13(水) 22:21

ちょっと、ここのスレとも関係するかな?と思うニュースを紹介します。

○ネット上の差別的言論の非合法化で対立に向かう欧州と米国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021113-00000008-wir-sci

・以下、上述頁から転載


  http://www.coe.int/ 欧州会議(欧州評議会)は、インターネット上で差別的な言論を犯罪と見なす規定案を承認した。差別的なコンテンツを含むウェブページへのハイパーリンクも有罪となる。

 この http://www.coe.int/T/E/Communication_and_Research/Press/Events/3.-Committee_of_ministers_Sessions/2002-11_Strasbourg/CP_554.asp#TopOfPage 規定案は、欧州会議の意志決定機関(閣僚委員会)が承認したもので、欧州会議の『 http://conventions.coe.int/Treaty/EN/CadreListeTraites.htm サイバー犯罪条約』の改正案にあたる。

 具体的に言うと、この改正案は「いかなる個人や集団に対しても、人種、肌の色、血統、民族に基づき、あるいはこれらの要素の口実としての宗教に基づき、憎悪、差別、暴力を提唱、助長、扇動する意見を、文章や画像などいかなる方法でも表現してはならない」とするものだ。

 さらに、遠回しにホロコーストにも言及し、人間性に対する犯罪、とりわけ第2次世界大戦中に行なわれた犯罪の存在を否定、軽視し、あるいはその犯罪を肯定ないし正当化するサイトを禁止している。

 同改正案に関する欧州会議の報告書は次のように書いている。「インターネットのような国際通信ネットワークの出現により、ある種の人物が、人種差別や外国人嫌悪を主張する強力な手段を手に入れ、そうした思想を含んだ表現を簡単かつ広範に広めることができるようになった。そのような人物を捜査し起訴するためには、国際的な協力態勢が不可欠である」

 ヨーロッパ諸国の多くでは、インターネットを使った人種差別行為を禁止する法律がすでにある。米国では、これら行為は言論の自由のもとで一般に保護されている。欧州会議は、4000にのぼる人種差別的サイトのうち2500が米国で作られた、との調査結果も示している。

 欧州議会の改正案に対しては、差別的なグループが仮想店舗を米国に開設するだけに終わるかもしれないとの批判もある。その根拠になっているのが、米国の裁判官が昨年、米ヤフー社にはナチス記念品販売サイトへのフランス国民のアクセスを遮断する義務はないと裁定したことだ。ナチス記念品のオンライン販売はフランスでは http://www.hotwired.co.jp/news/news/Business/story/20000524102.html 禁止(日本語版記事)されている。しかし裁判官は、米国のウェブサイトは米国の法律にのみ従えばいいと判断したのだ。

 「このことは文化の衝突につながりかねない。もしフランスの警察が米国の地方警察に対して、サイト運営者に関する情報を要求しはじめたらどういうことになるだろう」と、 http://www.epic.org/ 電子プライバシー情報センター(EPIC)の政策アナリストを務めるベルギー人のセドリック・ローラン弁護士は懸念する。

 バルセロナで開業しているサイバー犯罪専門の http://www.bufetalmeida.com/ カルロス・サンチェス・アルメイダ弁護士は、ヨーロッパ諸国はスペイン政府のように、独自に米国サイトのコンテンツの検閲に踏み切るかもしれない、と指摘する。

 「もしヨーロッパ諸国が欧州会議の(反人種差別)改正規定を批准すれば、[言論の自由を規定した]米国憲法修正第1条とはかかわりなく、米国のウェブサイトへのアクセスを遮断できる」

 スペインは先ごろ、国内のウェブサイトを閉鎖したり、同国の法律に反する米国のウェブページへのアクセスを遮断したりする権限を裁判官に与える法案を可決している。

 欧州会議に加盟する44ヵ国の代表は、条約改正案を採択するか否かを、来年1月に開かれる総会で決定しなければならない。改正を支持する国は、これを立法化する前に自国の議会で改正条約を批准する必要がある。

[日本語版:中沢 滋/山本陽一]日本語版関連記事

353五月雨:2002/11/14(木) 13:14

アヤエさん

頭は冷えましたか?

>2千円募金の延長線上には、命令とあらば殺人もあり得た、、というような事でした。
スケールの問題ではないと。

カルト信者ならそんな気持ちになっても不思議はないですよね、善悪全てをコントロールされているのですから。

>皆さんはどう思われますか?

アヤエさんご自身はどう思われているのですか。

354菊水護国:2002/11/14(木) 13:15
> 352
なるほど。確かにネット野放し状態には一石を投じそうですね。
しかし「思想信条の自由」「表現の自由」との兼ね合いはどうするのですかね。
欧米は人権先進国である以上「悪魔崇拝者(サタニスト)」すら自由だったはずですがね。
私はこのような考えが「逆差別」(差別主義者への差別否定者からの差別)を生む危険性を感じました。

355犀角独歩:2002/11/14(木) 13:28

> 354

そう。この件に関しては、私も全面的に賛同しているわけではないのです。
菊水護国さんのご意見も含めて、ネットに関わるものとしては意識に留め、大いに議論すべきであると思っています。

356アヤエ:2002/11/14(木) 14:54
>353 五月雨さん

ロムに徹するなんて言っておいて 舌も乾かぬうちにとは私の事ですね(苦笑)

頭が冷えたかどうか、あの時は洗脳されかかっていた経験を書きこみましたが
時間が経ち、今はそれを克服してちゃんと自分の頭で考える事ができるようになりました。
過去の事を書いたので 洗脳されかけていると誤解を生んだのだと思います。
気に留めていただいてありがとうございます。現在は心配はご無用です。

以前、小さな争いの延線上には戦争があるのだと言う意味の事を書いた事がありました。
私の意見としては、2,000円募金とその殺人は同じ線の上にあると思いました。
そして「私達だけが正しい」と主張する顕正会は危険なカルトであり、折伏と言って
嘘をついて名前を書かせたり、強引に居座って帰らないような行為は
インチキ募金や殺人と同じ線上にあると考えています。
そして信徒がそのような行動をするには 頂点にいる教祖が元凶であり
ガンコさんがいくら「浅井はそういう人間じゃない」と言おうと切って離せないと思いました。
私が折伏された時に創価学会について
「池田さんが曲がった教えをしている 続く信徒は針に続く糸のように間違っている」
と聞きました、そっくり顕正会にあてはまると考えてます。

独歩さんの記事を読んで
サイトを見る側のモラルを信じるだけでは やはり難しいのでしょうね。
ある程度の基準があると楽で安心かもしれませんが、あまり規定があっても
ネットの意味がないような、、、でも 難しい問題ですね。

357モトミナ:2002/11/14(木) 16:08
横レスすみません。独歩さんには御本尊問題でお世話になりました。
>校長が配ったビラというのは創価学会の謀略ビラ
に関しては顕正会員は確かに異常なほど”学会の謀略”と決め付けています。
決定的な証拠もないのに、何かと言えば”謀略”という考えは間違っているのですが、
私の経験上から考えると、確かに顕正会がそう考えてしまうのも無理はないと思います。
実際に活動していた時に、ビラを後輩の自宅にばらまかれた事が何度もあり、犯人を突き止めようと早朝(真夜中3時頃配布されるので)待ち伏せした事がありました。
そして配布した人間を捕まえて問いただした所、たしかに地元の学会員だったのです。
或いは私の自宅の母のところへ数人が来て、私の活動を誹謗中傷した挙句に顕正会を中傷するパンフレットを渡された事がありました。
彼等は”顕正会被害者の会”と名乗っていましたが、そのうちの一人が自宅の近所の人間で、その家は近所の学会員を集めて座談会を開いているご主人だったこともあります。
そういった中傷の類にぶつかると、以外と学会員が中心となってやっている、という事実も多数あるわけです。
そうゆう話を会員内で聞いてしまうと、何でもかんでも”学会の謀略”という位置づけになってしまってくるのだと思います。
もちろん全てが学会員の仕業だとは考えにくいのですが、私の経験上で証拠まで掴めた場合は100%学会員だったわけです。
顕正会の活動者の多くがそういった証拠を持ち寄ると、”全ては学会員の仕業”と簡単に結論付けられてしまうのでしょう。
顕正会を擁護する気持ちはこれっぽっちもありませんが、まあ事実は事実としてあるわけなので、顕正会員が何を批判されても”学会の謀略”という発想を持ってしまうのも頷けるわけです。

358モトミナ:2002/11/14(木) 16:30
今ログをひっくり返してじっくり読んでいたら、ガンコさんの発言で以下のようにありました。
>ですがわたくしは今のところ、浅井先生はそのような人ではないと思っているのです。
私も若干ながら活動続行不能に陥る前に真剣に考えたところです。
様々な難題は顕正会にはありました。また見聞きする信じがたい事実に、これが”仏弟子の大集団”などと言っている組織のやることか?と深い不信感でいっぱいでした。
ですが、会長だけは違うんだ、会長の発言を受けて実行する者の捉え方、活動の仕方が諸問題に発展しているだけで、”会長は断じて間違いない”と、この点だけはどうしても拭いきれなかったのです。
実際に会長とじっくり腰を据えて話したことはないので何ともいいようがありませんが、時間と共に私はこう考えるようになってきました。
”会長は悪くなく、その下がいけないというのなら、その活動を監視する義務がある会長が見過ごしているのならこれは怠慢ではないのか?それとも諸問題も可としているのか?そこに責任は必ず発生する筈”と。
つまり、現在全国で問題化している顕正会の折伏は、末端の会員が行き過ぎでやってしまった事で、会としてはそんな命令は出していない、というのが会本部の見解なんですが、これを監視できなかった監督不行届は誰の責任になるか。
一般的に見れば会長にその責任はあるはずです。徹底もせず、ただ”末端のやり過ぎ””会として許可した覚えはない”などと言いますが、その全責任は会長にある筈なのです。
ところが顕正会という組織は面白いもので(どこでも同じかもしれませんが)”末端のやり過ぎ”で済まなくなるほど問題が肥大化してくると、その監督不行届は直の上長になるわけです。
つまり隊長や区長が引責辞任となって、新しい長が抜擢されるわけです。
そこでまた問題が発生すれば・・・この繰り返しなわけです。
部長クラスの交代などは完全にデキレース的なもので、まず部長クラスに去就問題など出てくる事はありません。
要するに会としての体質が全く変わっていないわけです。
このような諸問題はおそらくよほどの重大な事でない限り、会長には届かず会本部で処理しているでしょう。
しかしこれらを会長自らがまかせっきりでいることこそが、非常に問題だと私は考えるようになりました。
”会長は絶対”という観念に一針自分で刺せない限りは、こうゆう問題すら考えることもなかったわけです。

359ガンコ:2002/11/14(木) 18:02
モトミナさん、はじめまして。
あなたは相当の幹部でいらしたようですね。わたくしのような末端会員とはちがった視点でお書きになっていらっしゃいます。
たいへん興味ぶかいので、他にも何かご存知であれば、どんどんお書きになって下さい。
わたくしは浅井先生を信頼してますけど、盲信的であってはならないと考えていますので、遠慮は無用です。

360菊水護国:2002/11/14(木) 18:47
ある元顕正会本部職員によると、顕正会では「1から10まで」浅井先生抜きに進まないそうです。
たとえば顕正新聞1つでも、浅井先生が端から端まで目を通し、誤字脱字があってもそのまま打ち込まねばならないんだそうです。
また入信報告書も全て目を通しているでどうです。ある意味パワフルな方です。
今回はあえて顕正会員になりきり、昔を思い出しながら「浅井先生」と表記しました。

361犀角独歩:2002/11/14(木) 20:27

モトミナさん:

学会謀略説、まだこんなちんけなことを言っているのですか。

「学会の謀略」は「顕正会の謀略」でしょう、逆側からみれば。

私がかつて妙観講本部に行ったとき、当時部長職であった、出版担当のNさんという人に私は言ったのです、「あなたのところの新聞じゃ、犬性会とか、浅い教学と新聞に載せているけれども、あんなことを言って正義もないものでしょう」。

すると、その部長は照れくさそうに笑いながら、「でもね、私、顕正会から法論を申し込まれて『1人で来い。こっちも1人だ』と言うから真っ正直に一人で行ったんですよ。そうしたら、向こうは監禁したうえ、10数人で取り囲んで写真撮影する係まで連れてきていたんです。こういう謀略にはめられると、言葉は悪いですが、犬性会の浅い教学くらい書きたくなりますよ」と、こういう話でした。

実際、私も「差しで勝負」と言うから1人で言ったら、顕正会員は5人。「この謀略集団が」と思った経験もあります。学会員の時です。

それなのに、そんな実態は見ぬふりをして、敵対団体の謀略体質ばかり書き連ねるというのが、私は好かんわけです。で、高校生と校長の臭い美談を聞いても、何を言っているんだかと思うわけです。

学会の謀略なら謀略でもよい、では、自分たちは反省すべき点は何なのか、それを考えるほうが健全であると私は思います。

まあ、「浅井さん絶対、これはいかん」、これを書いたことは評価します。私もかつて顕正会員の謀略にはめられた一人ですが、他者批判ではなく、自己の問題として、考えることをするほうが建設的であると思うので、現役顕正会員が語る「顕正会、ここが悪い」をどしどしと記してもらいたいものです。直すべきところは山ほどあるでしょう。教理面を含めて、宿題はガンコさんに対しても、答えられないほど出してあります。

賢明な回答をお待ちします。

ところで、、モトミナさんとは本尊問題でいつ頃話したんでしたかね。
私、無礼ながら失念しております。

362犀角独歩:2002/11/14(木) 20:29

しかし、どこの団体も「先生」が好きですよね。
「池田先生」は人生の師なんだそうですが、「浅井先生」は一体なんの先生なんですか。
「会長先生です」なんていう、学会と同じ答えはナシで、誰か答えてください。

363やーこ。:2002/11/14(木) 22:22
大風邪の最中なので、これだけしかレスできませんが、独歩さんの下の答えなら答えます。
私が浅井先生と呼ぶのは、(まだ年齢が幼かったので会員ではありませんがなりきって答えますが)
浅井先生みずから会合の度にレジメを用意し、参加者に配布し、みんなでことばを一緒にいいながら、教学を勉強させたこと。御書はありませんでしたが。
もう一つは、常に世相と国を意識して講演をすすめたこと。バイタリティも魅力的でした。例え方法結果が間違ったとしても見習えます。宗門や学会にはない熱心さが伝わりました。(続く)

364やーこ。:2002/11/14(木) 22:32
また、今のように雲の上の偉い人という感じではなく、底辺とよく付き合っている人、という感じでした。だって、浅井先生とは旧本部の一階廊下でよくすれ違っていましたから。
ただし、18〜14年前の出来事なので今は全然違うと思います。
しかしながら、つい最近まで(小学3年から法華講に映っても)こっそり顕正会のテキスト等をベースにしていました。だって古文の読めない私にはとても分かりやすいし、宗門にはないから。
うちの家族が脱会したのは、単に学会を破門したのと変化についていけなくなっただけで、(続く)

365やーこ。:2002/11/14(木) 22:39
浅井先生を尊敬出来なくなったわけではないので、顕正会っぽい法華講員として生きて来ました。なので今の不祥事さえなければいつだって戻りたいですが、最近いろんな変な事件が起きているのでショックです。
今の私の前向きな生き方も、浅井先生の影響が強いと思います。

でも、なんで幼児だったのにそんなこと理解できたのだろう?(幼稚園の時から普通に新聞とか読んで理解出来ましたよ←自慢ですみません)

366やーこ。:2002/11/14(木) 22:45
おっと、結論を忘れてました。

生き方の師

あんな、自らをカルトというような恐ろしいけど力強くて熱くて前向きな姿は他の指導者にはないでしょう。

367ガンコ:2002/11/15(金) 02:02
やーこ。さんは神童?だったんですねぇ。
わたくしなんか、最初の本部会館の記憶、ほとんどありませんもの。
それにつけても、あなたの文章を読んでいると、なんとも言えない気持ちになります。ヘタな顕正会員(わたくし)よりも、よほど浅井先生のことをわかっていらっしゃる。

お身体お大事になさって下さい。

368やーこ。(漢字検定二級):2002/11/15(金) 07:01
ガンコさんへ

文章よぉぉぉぅーく読んで下さいよぉ(泣)
18年前、と変化についていけなくて脱会という事に注目して下さい。
18年前は私は三歳、浅井先生は50代位。学会が破門されたのは平成二年。そして当時いた会員達は現在40から50代。
ですからガンコさんの浅井先生と私の浅井先生は全く違っていると思いますよ。五月雨さんアネモネさんモモさん菊水護国さん等はたぶん高校生に近いかそれ未満だと思います。sunyaさん等とは私の時代より深いからまた違うと思います。
だから今の浅井先生は想像出来ないし、頭の中は18年前のままです。

369やーこ。(現在21歳):2002/11/15(金) 07:05
それと私が神童なんてとんでもないです。理由は後で自己紹介かつぶやきに書いておきます。

370五月雨:2002/11/15(金) 08:47

アヤエさん ガンコさん モトミナさん

モトミナさんは初めまして、ですよね。多分最近物忘れがひどくていけません、二度目ならご容赦下さい。

顕正会の謀略体質はよっく分かりました、どこぞの団体と全く同じです。元にする教義が一緒だから、必然的にこうなるのでしょうね。それでも政治に参加していない分少しはマシだと思います。

お三人さんは、顕正会の悪行の数々を書き連ねておられますが、それをされてどうなると言うのでしょうか、あなた達もその悪行を重ねている顕正会を支えている顕正会員なのでしょう。一翼を担っているのです。それを忘れて人ごとのように言うのは、何の説得力もありません。

顕正会がおかしいのは分かったと思います、それではそこに所属する自分はどうするのか、顕正会の悪行に知らないうちにでも加担した自分を反省するのか、どうしても浅井さんが好きだから、まだ顕正会員を続けるのか、オサラバしてしまうのか、これは信教の自由だからどんな道を選ぶのも個人の勝手ですが、いつまでも他人事のように考えていては、進歩が無いと思います。

個人的には顕正会の悪事を暴いたレスはもうこれ以上は見苦しい、と思います。私は学会にも法華講にも所属していたから、このふたつの組織の問題点を知ってはいます、けれど書こうとは思いません、そんなのは枝葉の問題だからです。問題の根本が違うからです。

どうぞ問題の本質を見失うことなく、議論をお続けください。

371五月雨:2002/11/15(金) 08:51

文章の訂正

ですよね。多分最近物忘れがひどくていけません、

ですよね、多分。最近物忘れがひどくていけません、

句読点を打つ場所を間違ってしまいました。

372犀角独歩:2002/11/15(金) 10:27

「浅井」を連発するの皆さん:

皆さんの特徴は、書き込みの中に「日蓮」の文字より、圧倒的に「浅井」の文字が多いことですね。

心理学的にみれば、いまだ「浅井」支配下にあるということではないでしょうか。

日蓮を信奉する人々の中でも浅井さんが日蓮の教えに忠実であると思っているのは顕正会員だけでしょう。また、彼の教学、言説が優れていると思っているのも同じです。
また、浅井さんを立派だと思っている人に顕正会の外で私はあったことがありません。元、顕正会員は別ですよ、もちろん。

このスレでは300回近くも「浅井」と出てきます。
そして、どちらかというと浅井さん個人は肯定的にとらえられていながら、顕正会には否定的という構造があります。

不気味ですよね、この有様は。顕正会に多くの過ちがあれば、その責任の一切は浅井さんにあるに決まっています。しかし、浅井さんが大なり小なり「理想化」されている構図があるからです。

この前、久しぶりにテープで浅井さんの話を聞きました。皆は話がすばらしいという。私はまったく逆の感慨を懐いたわけです。政治評論は立派でも、実践的には何もなく、薄っぺらい煽動しかないからでした。

五月雨さんと、ちょっと論点が違うのですが、私は浅井さんは魅力があるとかどうとかという話にはうんざりしています。

もっと、日蓮、あるいは仏法の本質に係るところから顕正会と浅井さんの見直しをしませんか。

373アネモネ:2002/11/15(金) 11:02
ちょっと、所感です。

>しかし、浅井さんが大なり小なり「理想化」されている構図があるからです。

そこがカリスマ信仰、組織信仰というものの源なんでしょうね。
信徒がそこに嵌っている限り、自分の姿はとうてい客観視できないわけで、いつまでもそこに酔いしれながら、結局はその枠組みから逃れようとはしない。そうさせないような思考原理が、トップの魅力とともに刷り込まれているのでしょうね。
いや、魅力ではなくて、魅惑かもしれません。要するに惑わされている。そこが、カルトなのかもしれませんね。そんなことを感じました。
当然それはきっと、お釈迦さまの示された教えからは、遥かに遠い姿なのだろうと思います。

374アヤエ:2002/11/15(金) 11:03
五月雨さん

>顕正会を支えている顕正会員なのでしょう。

ええ??私が?!確かに名簿には今も乗っているのかもしれません。
しかし「支えている」と言われて「はいその通りです」と言いたくありません。

以前に自分が会員だと告白したことがありましたが、関わった経緯を説明したかったからで、
そういう自覚はまったくありませんでした。
勧誘された友人に信心するつもりがない事を宣言する事でとっくに「オサラバ」したつもりでいました。
内容証明での脱会届がどうしても必要だとは思えなかったし 相談したところそのような
解答もプロの方から頂いていたので そのままでも構わないと思ってました。
あえてここで自分の優柔不断を反省してます、と何度も書く必要もないような気がしてましたし。

でも 五月雨さんは私の書き込みを見る度に呆れていらっしゃったのでしょうね。
真面目な議論をするスレッドを意識的ではないにしろ荒らしてしまったようです、
不愉快な思いをしたのは五月雨さんだけではないでしょう、申し訳ございませんでした。
ここの掲示板には私はそぐわないようです。日蓮の教義を知らないしついて行けない事が多いです。
このスレッドで議論されている事と自分の意見がずれているんですね。
少しでも友人が顕正会から足を洗う糸口はないかとここに参りましたが
私のしていることは だんだんずれてしまったようですね。恥かしいばかりです。
顕正会の悪いところをいくらあげても、ネットに依存した私の知識を友人は納得しないでしょう。
他人事のように考えているつもりはないのですが 今は顕正会員でなくても
幸せで前向きに生活できると言う事を 口で説明するのではなく
態度で示すしか 成す術がなかなか見付らないと言うところです。

辛抱強く私へのレスを書いてくださった方々には本当に感謝してます。
どうもありがとうございました。まだ 気になる事もありますし
もうちょっとこの掲示板で勉強させてください。宜しくお願いいたします。

375五月雨:2002/11/15(金) 11:41

アヤエさん

>勧誘された友人に信心するつもりがない事を宣言する事でとっくに「オサラバ」したつもりでいました。

それなのに、未だに顕正会が気になるのは、お友達のことばかりではないようにお見掛けします、自分のことが客観的に見られないのは、マインド・コントロールの支配下にアヤエさんご自身がいるのではと、穿った見方だとは思いますけれど。
私の勝手な思い込みだったらゴメンなさい。

>でも 五月雨さんは私の書き込みを見る度に呆れていらっしゃったのでしょうね。

いえ、何を仰りたいのかよく分かりませんでした。

>真面目な議論をするスレッドを意識的ではないにしろ荒らしてしまったようです、

荒らしてはいないでしょう、管理人さんから何のご注意も受けられていないのですから。

>ここの掲示板には私はそぐわないようです。日蓮の教義を知らないしついて行けない事が多いです。

顕正会の教義は、日蓮大聖人の教えを唯一受け継いでいるという日蓮正宗大石寺を基としているのですから、日蓮の教義をここでお勉強なされたらいかがでしょうか。本当の日蓮の教えをご教示して戴けますよ。
そこから見た顕正会は、また違って見えるでしょう。

>幸せで前向きに生活できると言う事を 口で説明するのではなく
態度で示すしか 成す術がなかなか見付らないと言うところです。

これはいい視点だと思います。私も信心していない人の方が幸せなのはどうしてなんだろうかと、長年の疑問でした。
信心していなくても、こんなに幸せだという姿は百万言に勝るでしょう。

>辛抱強く私へのレスを書いてくださった方々には本当に感謝してます。
どうもありがとうございました。まだ 気になる事もありますし
もうちょっとこの掲示板で勉強させてください。宜しくお願いいたします。

アヤエさんもレスをどうぞお続けください。よろしくお願い致します。

376モトミナ:2002/11/15(金) 14:12
五月雨さん、はじめまして。
私もアヤエさんと同じく、全く活動をしていません。
名簿上ではどうやっても会から脱会できない、といった状況であるだけです。
ただ、私は少なくとも顕正会の実態を書き連ねる事に、現在活動している会員の心理状態も踏まえた上で、もっと冷静にそしてどう考えるべきなのかという役に立てればと思うのです。
顕正会を離れて何年も経つうちに、今まで自分が顕正会員として生きてきた考えがどうだったのか、よく分かる訳です。
だからできるだけ一方的な見方で中傷を連ね書きするつもりは毛頭ないのです。
事実は事実としてあること。これだけは私の感情移入せずに伝えたいと思うのです。
ようするに私の発言は教学的な視野で思考するのではなく、感情的な思考で考えて欲しいと思うのです。

独歩さん。
少なくとも私は浅井会長の支配下であったという事実を極力避けているつもりです。
顕正会、創価学会、正信会、法華講といずれにせよ、日蓮正宗系の信心している人は自らの組織が絶対だという妄想が多すぎると思うのです。
私の場合の顕正会と同様なように良い部分もあれば悪い部分もある。
その実態を曝け出す事はただの中傷ではないと考えています。

377ガンコ:2002/11/15(金) 18:04
五月雨さん

また話がややこしくなってきたので、お休みしようかと思っていたのですが、皆さんがちゃんとお返事を書いているのを見て、わたくしも書くことにしました。
五月雨さんのおっしゃる意味は行き着くところ149なのだと思います。
わたくしの目の前には深いふかい堀があって一歩も進めないのです。その堀を一生懸命埋めようと努力しているがぜんぜん埋まらない、いや、堀はとうの昔に埋まっているのかもしれませんが、わたくしの目には満々と水をたたえた堀が見えるのです。これを病理と言うのかもしれません。

モトミナさんはすでに堀を越えていらっしゃるし、アヤエさんはもともと別のところに立っていらっしゃるから、三者三様だと思います。
だいいち、わたくしはそんなに顕正会をわるく言ってません。むしろアヤエさんから厳しい追及をうけて四苦八苦している状態です。

変なことを書きますが、わたくしはここに書かれているさまざまのことを浅井に読んでほしいと思っているのです。

五月雨さんは「顕正会の悪事を暴いたレスはもうこれ以上は見苦しい・・・」とおっしゃいますが、わたくしは、まだまだこんなものでは足りないと思っています。三行前の「四苦八苦」とはなはだ矛盾するように思われる方もいらっしゃるでしょう。この辺にも病理があらわれているかもしれません。

独歩さんにもよろしくお伝え下さい。(これもかなり変ですよね)

まだ文章が書けているうちは大丈夫だと思ってんですけど・・・

378やーこ。:2002/11/15(金) 20:43
ガンコさん他

みなさん、どうかレスをお続け下さい。確かに、私たちはマインドコントロールして支配され断ち切らなければいけないかもしれないけれども、みなさんの考え、主張は決して無駄ではありません。いろいろな考え方や見方が存在し、みなさんの述べている事に嘘はありません。
浅井先生または顕正会に関する問題は、その存在自体が善か悪かを考えるのではなくて、何処がいいか何処が悪いかを内部または外部から様々な角度で因数分解していくべきでしょう。なんだかみなさん考え方が偏ったり否定したりしているような気がします。

379やーこ。:2002/11/15(金) 20:53
私はみなさんの考えを尊重します。
今の所、18年前の浅井先生は私にコトバを教えてくれた恩人で、存在なしに自分が今ここにいるのは語れないと思います。
今の浅井会長については知りませんが、今の若い会員を見て考えると、やはりほうっておけないような。

380犀角独歩:2002/11/15(金) 21:47

モトミナさん:

あなた、私の書いたことをちゃんと読んで書いているのですか。

あなたが顕正会が中傷したなどと一言も書いていません。
そうではなくて、「学会謀略説」の肯定ばかりを書いている場合ではないと記したのです。

私は五月雨さんの意見は尊重しますが、しかし、個人の被害感覚から、もっと顕正会と浅井“さん”のことを書いたらどうかと言ったのです。

それにしても仏教を語ると言えば、顕正会、顕正会といえば浅井さん、これしか書けない心の状態は何であるのか、顕正会、浅井さん、あるいは創価学会、池田さんの問題ではなく“第一人称”で考えてみてはどうかと提案しているのです。これは顕正会を経験した皆さんへ、問いかけることです。

顕正会、浅井さんを離れたところに膨大な仏教の海が広がっているのです。

381犀角独歩:2002/11/15(金) 21:47

もう一度、重ねて記します。

人の心配をするより、自分の心配をすること、これが大切なのです。

382犀角独歩:2002/11/15(金) 22:05

もう一度、重ね重ねに書きます。自分を見つめることから逃げないこと。

383菊水護国:2002/11/15(金) 22:08
そもそも創価学会が謀略を使ってまで、追い落とすほど顕正会って大きな存在なのでしょうか。
顕正会を離れて冷静に考えますと、大創価学会は小顕正会にそこまで拘ってないのでは無いのでしょうか。
もちろん全てが嘘とは申しませんが・・・。

384五月雨:2002/11/15(金) 22:35

「どうぞ問題の本質を見失うことなく、議論をお続けください。」

と、書いたのは正しい日蓮の教えの元での議論をされるのが、本筋だと思ったからです。顕正会の悪事をいくら暴いたところで、何の真実も見えてこないのではないでしょうか。
顕正会の教義は日蓮の教えを根本にしていると理解しておりました。

ガンコさんの浅井さんを信じていたいというお気持ちは痛いほど分かります、私はいまでも日蓮正宗の信心が正しいと誰か証明してほしい、と思ってますから。

本当に、真実を正直に受け止めることは、苦しいことです。でもその一歩はいつまでも、他人事に考えず、自分のこととして受け止めて考えることから始まるのではないでしょうか。

そんな気持ちで書いたレスでしたが、私の言葉足らずが原因で、もう書き込みをされないお気持ちになったのなら、お詫び致します。

どうぞ、独歩さんが仰るように、ご自分の心配をされて、そして自分を見つめることから逃げないで戴きたいのです。

385犀角独歩:2002/11/15(金) 22:38

> 383

この菊水護国さんの発言に私は賛成です。

私は創価学会に35年いましたが、はっきり言って、顕正会など物の数に入れて考えることなど、ありませんでした。
「細かいところが騒いでいる。蚊が刺している。鬱陶しい」、そんな認識でした。

だから、創価学会が自分たちを危険視しているほど、すごい団体なのだという歪曲した自己宣伝があるだけでしょう。
極端なことを言えば、学会員の中には顕正会は全滅したと思っている人も多くいます。
そういう現実を知るべきです。

386やーこ。:2002/11/16(土) 00:50
今またパソコンの前にいます。
ちょっとまった、 といいたいことあります。

> 宗門関係者にとっては「なんで顕正会はあんなに折伏ができるのだろう」という
疑問がある

ですから、こんな疑問ありませんよ。ちょっと話して経文と数珠買わせて、
一緒に勤行したら、「はい、入会」、そんなインスタントラーメンみたいな勧誘を、誰も、折伏とも成果とも思っていませんよ。
ただ子供をかき集めているだけとしか映じていません。

あくまでもうちの組織のお話に限ってしまいますが、自分たち(法華講)よりも
教学を学び、真剣に折伏に励む顕正会、創価学会の方も実際におり、疑問を持っている方も
少なくありません。たまに聞きます。否、宗門がぬるま湯状態だからかもしれません。

また、勧誘に名簿を使う方法についてですが、最近ではプライバシーやテレアポ販売防止の為に
発行されなくなりましたので、もうすぐなくなると思いますよ。

それから、私たちが顕正会員だったころ、新聞配布などの活動をしていて、
確かに、学会に妨害されまくりでしたね。学会と顕正会は対立関係ですし。
謀略説がはやるのもわからなくはないですけれども、だからって、
顕正会員はそれに甘ったれるんじゃないって感じです。
自分たちのやった行動が結果的に悪いことを生み出しそうになって、
それを防ごうとして、ほかの方が介入して解決しようと妨害させられたことまでも
学会の陰謀だと騒ぐのは…。現会員は、冷静になって取り組むべきでしょうね。

387やーこ。:2002/11/16(土) 00:55
今またパソコンの前にいます。
ちょっとまった、 といいたいことあります。

> 宗門関係者にとっては「なんで顕正会はあんなに折伏ができるのだろう」という
疑問がある

ですから、こんな疑問ありませんよ。ちょっと話して経文と数珠買わせて、
一緒に勤行したら、「はい、入会」、そんなインスタントラーメンみたいな勧誘を、誰も、折伏とも成果とも思っていませんよ。
ただ子供をかき集めているだけとしか映じていません。

あくまでもうちの組織のお話に限ってしまいますが、自分たち(法華講)よりも
教学を学び、真剣に折伏に励む顕正会、創価学会の方も実際におり、疑問を持っている方も
少なくありません。たまに聞きます。否、宗門がぬるま湯状態だからかもしれません。

また、勧誘に名簿を使う方法についてですが、最近ではプライバシーやテレアポ販売防止の為に
発行されなくなりましたので、もうすぐなくなると思いますよ。

それから、私たちが顕正会員だったころ、新聞配布などの活動をしていて、
確かに、学会に妨害されまくりでしたね。学会と顕正会は対立関係ですし。
謀略説がはやるのもわからなくはないですけれども、だからって、
顕正会員はそれに甘ったれるんじゃないって感じです。
自分たちのやった行動が結果的に悪いことを生み出しそうになって、
それを防ごうとして、ほかの方が介入して解決しようと妨害させられたことまでも
学会の陰謀だと騒ぐのは…。現会員は、冷静になって取り組むべきでしょうね。

388やーこ。:2002/11/16(土) 00:55
↑2重です、すみません。

389やーこ。:2002/11/16(土) 01:37
324 名前: やーこ。 投稿日: 2002/11/10(日) 09:27

今度は法華講について近くレスしたいと思います。
今朝、うちの青年部長にメールを出しました。
それを載せますので、ご意見下さい。
尚、個人名、支部名は伏せさせて頂きます。

以上の件については、なんと回答が…なしで、メールで話し合いする価値がありませんでしたのでやめますもっと、日蓮、あるいは仏法の本質に係るところから顕正会と浅井さんの見直しをしませんか。


>もっと、日蓮、あるいは仏法の本質に係るところから顕正会と浅井さんの見直しを
しませんか。

それについては、大いに賛成できますが、カルト化、過激な勧誘問題としてかんがえるにあたっては、
日蓮仏法とは全く関係ない視点から見ていったほうがよいと思います。
また、顕正会の問題は、学会的、宗門的な視点ではたいしたことないかもしれません。
しかしながら、私たちの世代では接触率が多いわけで見過ごすことができないほど大きいのです。
また、似たような問題は、ほかの団体でもありうることだと思いますから、
やはり、真剣に取り組んでいかなければならないでしょう…。
それには、五月雨さんなどが不快に思うような内容、自分たちが疑いたくないようなこと
までも、メスを入れなくてはならないでしょう。

しかしながら、顕正会を語るには、浅井先生抜きでは難しいでしょう。
浅井先生のカリスマ性から切り離して考えることはできないでしょう。

もう少ししたら、実家に帰るので、弁護士4人の書いたカルト対策の本を
持ってきます。そこには、フランスだかどこぞの国の、セクトの基準があったと思います。
宗教チェックとは似たようなものですが、さて、顕正会、学会、法華講…
さていくつあてはまるでしょうか???

390モトミナ:2002/11/16(土) 01:39
独歩さん レス有難うございます。
自分自身を見つめることから逃げてはいけない、という風なことを書かれておられましたが、私自身は特に逃げているつもりはないのですが、発言からそう捉えられる点があるのなら反省しなければならないものです。
ただし、あった事実を公にすることは決していけないことではないと思うのですが・・・
そんな事を書き連ねたところで人の事より自分の事を考えた方がよろしい、と言われるならもはや私にはここでの発言権など存在し得なくなると思うので、以後は控えさせて頂こうと思います。
しかし自分の事を完全に理解し終えている上で発言しなければならないものなのでしょうか?
考えが偏った人は多く存在すると思います。
私がよく知るところでは顕正会員がそれにあたると思います。
しかし人の事考えている暇があったら自分の足元見つめてみなさい、そんな事もわからないのか?と言ってしまうなら、何も始まらないと思うのですが。
私が発言したのはあくまでも謀略=学会という図式が成り立つはずがない、といった雰囲気だったので、顕正会サイドではこれこれこういった事実も踏まえて学会の謀略だと短絡的に捉えてしまうのです、という事例を挙げたまでであって、他意はありません。
ましてや顕正会を擁護するつもりの発言では一切ないのです。
どうも私は言葉が足りないようなので、思案しながら少しずつ参加させて頂いた方がよろしそうですね。失礼いたしました。

391やーこ。:2002/11/16(土) 01:41
>以上の件については、なんと回答が…なしで、
メールで話し合いする価値がありませんでしたのでやめますもっと、
日蓮、あるいは仏法の本質に係るところから顕正会と浅井さんの見直しをしませんか。

意味不明なミスです。やめますに。をうって、あとは削除してください。
それから、独歩さんの質問のあとに答えようとしたら、携帯で打っているのを
すっかり忘れてしまい、下の質問、となってしまいました。上の質問が正解です。
…まったく、私は次のレスに独歩さんの質問が来るとでも予言したのでしょうか(爆)

392やーこ。:2002/11/16(土) 01:54
モトミナさんはじめまして。

390のようなことはないですよ。独歩さんのおっしゃる通りですが、
しかしながら、他人がどこかおかしいということを感じてから、暫くたって、
やっと、自分に気がつくというパターンは多いです。だから発言権などないということは
ありません。どんどん自分の気持ちをぶつけちゃってください。そのほうが、
ご自分の置かれている状況がクリアに見え、書き込みのみなさんにとっては
アドバイスも批判も、できると思いますよ。

なにもしないこと、が、逆に逃げてることだとは思いませんか。
なにもしないではカルト問題は先に進みません。
レスをどうかお続けください。

しかし、それにしても、自分が立てた
このスレ大半が顕正会関係で400近くもいってしまうとは
驚きです。隠れた組織の影響によるものなんでしょうかね。

393ガンコ:2002/11/16(土) 04:50
やーこ。さんは筆力旺盛ですね。
自己紹介のほうも拝読させていただきました。

394犀角独歩:2002/11/16(土) 07:27

モトミナさん:

> あった事実を公にすることは決していけないことではないと思う

当然でしょう、それは。あとは要は、それをどう考えるかでしょう。
モトミナさんは、私が記した妙観講、また、私が受けた顕正会の暴力についてはどう思いますか、こういうところにちゃんとレスをしないと学会謀略だけを記したと思われてしまうんですよ。

> そんな事を書き連ねたところで人の事より自分の事を考えた方がよろしい、と言われるならもはや私にはここでの発言権など存在し得なくなると思う

なんで、こういう発言になりますか。学会の謀略説以外に書くことはないのですか。
上にも記した顕正会の謀略はどうですか。それをどう感じますか。
あなたが身丈印象会はどうでしたか。どんな不快な思いがありましたか、善いことがありましたか。

一番大切なこと、自分を客観化して記してみることです。
「顕正会はどうだ」ではなく、「顕正会に接した自分はこうだった」です。
こう言われると書けなくなる自分は何故かを考えてみると言うことですよ。

まあ、「顕正会の謀略をどう自分はとらえるか」からでも答えてみてください。
言い訳や、前置きはいりません。ストレートにどうぞ。

395犀角独歩:2002/11/16(土) 07:28

おっと間違えました。訂正します

>394

誤)顕正会の暴力
正)顕正会の謀略

396犀角独歩:2002/11/16(土) 11:26

> 394

誤)あなたが身丈印象会はどうでしたか。
正)あなたが見た印象はどうでしたか。

397モトミナ:2002/11/16(土) 11:41
独歩さん
最初に断っておきたいのが、私は顕正会を否定、という考えを現在持っています。
ただレスを最初に入れた時点ではスレ自体が 顕正会への中傷 NOT = 学会の謀略 という図式が固まりつつあったので、実際には学会の謀略も多くありました、と書いただけです。
確かに私の発言だけを振り返ってみれば、何だかんだと言いながら顕正会擁護の姿勢に受け止められるかもしれません。
では今度は顕正会内部にいて、顕正会自体はどうだったのかということにも触れなければなりませんね。
顕正会は謀略体質を持っていませんか?と問われれば即答できます。応えはYESです。
例は数多に上りますが、状況によって謀略体質の実態は明らかにしていこうと思います。
取り敢えず私が内部にいて一番自身の心が痛い思いをしたのが、本部クラスの幹部の身勝手さです。
何が身勝手なのか。それまで顕正会にとってどれほど有益な活動をした幹部とて、部長クラスの保身からなのでしょうけれども、我が身よりも人望が集まろうとしていることを察知すると、内部から悪口中傷を繰り返させ(つまり他の組織から噂を吹聴させたりする)、その情報を入手した本部は捨て置けないとして本人に問い詰める、つまり自作自演で人材登用などを操作してしまうわけです。
追い詰められた幹部はあまりの馬鹿馬鹿しさに会から離れてしまうわけで、その後会内では「元々信心が薄かった」「何もわかっていなかった」と噂して解決してしまうのです。
顕正会員の方がご覧になられていれば、多くの幹部が出ては消え、という繰り返しを思い出すに違いありません。
そして確かに「あの人は元々おかしかった」等と噂が出ていることでしょう。
会員の一人一人が考える「もしかしてあの人のことか」と思われたなら、その人も間違いなくこういった経緯で大抵第一線を退かされています。
まるで生殺与奪の全権を好き勝手に振舞うような行為を目の当たりにした時、それまでの私の顕正会像が根底から崩れてしまったのです。
トップクラスで行われている醜い謀略体質、会員はまだ顕正会のみ正統という心があるうちは、そういったトップの操作にすら「大聖人の御意」などという訳の分からない理由で首一つ傾げる事無く無理やり納得してしまうわけです。
そして末端会員は何も思考せずにそのまま受け止め、幹部からの「本当に魔というのは怖い」という履き違えた理由を押し付けられて、自分だけはそうなりたくない、と思い込んでしまうわけです。
この本部レベルでの見るに耐えない実態を知った時、私は顕正会との決別を決心したわけです。
その後に振り返った時、はじめて独歩さんなどが受けた謀略体質も見えてくるわけなのですが、会員は常に「正義」を信じていればこそ、強引な事をいとも簡単にやりのけてしまい、それをやってはいけない行為だとは思わないのです。
会員の強引さには一般常識は通用しないでしょう。素直に入信すれば「祈った御守護だった」としますし、強引に誘って相手が怒るなら「元本の無明を引き出したから罰が出る、入信は早い」と思い込んでおります。
いずれの場合も自分の一念が全て大聖人直結だと短絡させているわけです。
だから無茶を平気でする。嘘偽りで固めた話で入信させ後で「それは仏法を教えるための方便だった」と何が何でも正当化できるような理論展開(?)を会で教わるわけです。
まあ、顕正会員は怒り狂うでしょうが、間違いなくやっている活動内容は「カルト」であると断言できるでしょう。

398犀角独歩:2002/11/16(土) 13:09

モトミナさん:

ようやくと俎上に乗ってきましたね。
で、そのなかで、どうすれば、よいと考えるわけですか。

399モトミナ:2002/11/16(土) 16:52
私が顕正会はこうであるべき、という考えはおこがましいのかも知れませんが、
私自身が考え、またここや様々サイト、書籍等を参考に出た現段階での結論としては、まず、次のようなものでした。
・戒壇論云々(国立・民衆)という日蓮正宗との今日まで経緯で考えたとき、顕正会の方が分があると思える。
・それでは顕正会が日蓮正宗の中では最も優れている団体なのかと考えた時、とてもではないがそう呼べるほどのシロモノではない。
 特に折伏や入信の仕方等はもはや勧誘レベルではないのか?と疑念しか湧かず、また本尊下附問題や会員の信心の在り方、会の謀略体質など、様々な諸問題と正宗の歴史的位置から分析しても顕正会が正統でありえるはずがないと結論付けられる。
・とすると顕正会をも含めるそもそもの日蓮正宗自体の教義に日蓮大聖人の御意というものが時代と共に自己の都合で変化して固定されてしまったのではないだろうか?と考えられる。
といった感じです。
”大聖人の御意にただ応えられるのは仏弟子の大集団である『顕正会』のみ”という根本的に間違った考えが、会を身勝手な行動にさせ、謀略体質すらも”大聖人の御仏智”として自己暗示をかけられるそもそもの悪因ではないのでしょうか?
これは私が様々な会や講を実際に経験していないので難しいところですが、日蓮正宗にはこうゆう”自分達こそが唯一”的な発想がそもそも備わっているところに問題があるのではなかろうかと思ってしまいます。
浅井会長しかり、池田会長しかり、阿部上人しかり。
言葉は悪いですが、それに追従する者は、更に下の者を追従させるよう長を神格化的に祭り上げ、そのためには何をやっても良い、という発想が出てきているように思えるのです。
そうなると末端にも伝わってきますね。顕正会がよく使う言葉のままでいえば「仏法曲がれば影ななめなり」と。
会の体質が末端に現れる。いかにそれを指摘しても会は「末端のやったことで会として指導した憶えはない」とトカゲの尻尾切りを平然と行う。
それで分が悪ければその者を管理している長、隊長やら区長やらのレベルを交代させてしまえば、それで終わりにしてしまう。
会として事実を隠蔽せずに実態を報告できる組織でない限り、真実の組織ではない、ということだと思います。
以前総幹部会に出席した時、こんなことがありました。
会の重鎮のような大幹部がある月から全く出席しなくなった。
まだそこそのの役職でしかなかった私でしたので平然と隊の座談会レベルで部長に対し「○○さんがいなくなってしまったがどうしてなんですか?」と平然と聞いてしまったのです。
するとその場は一瞬凍りつき、部長が回答したのは「仏法には魔がある。信心なき者は上目はやっているように見えても最後は必ず滅びる。君も裏表ない信心で望め」と、その人を魔で退転した、そもそもの信心が曲がっていた、と退いた者を中傷していました。
私はその数年後に事実を知ることになるのですが、事実は全くの逆でその人は会内の謀略で陥れられただけだったのだと、知った時には愕然としました。
結局、事実を曲げて伝えてしまう、臭い部分には蓋をしろ、どころかファブリーズで匂いを表面上は消し去ってしまうわけです。
醜い部分だろうと、事実を伝えられない組織は結局、そこに真実などあるわけない、と思ったわけです。
それがどれだけの功績を残していようとも。
そういった組織の元で日蓮大聖人の信仰をしていきたい、と思うのですが、皆無ではないでしょうか?
結局はどこにも所属せず、ニュートラルの状態で自分自身が日蓮大聖人を求めていく、というスタイルを持った者同士が集まった組織があれば、それが一番理想なのではないだろうか、と思うようになりました。
殴り書きをしたので、ちょっと文面的に理解しずらいかもしれませんが、私の意としているところ、ご理解いただけるでしょうか?

400モトミナ:2002/11/16(土) 16:54
「仏法曲がれば・・・」は「体曲がれば・・・」とします

401モトミナ:2002/11/16(土) 16:57
更に訂正です
信心なき者は上目はやっているように見えても
信心なき者は上辺はやっているように見えても

それがどれだけの功績を残していようとも。
それがどれだけの功績を残している団体であろうとも。

402犀角独歩:2002/11/17(日) 12:20

> 399

モトミナさん、よく理解できました。
経験者の非常に有効な分析であると思いました。

403モモ:2002/11/18(月) 04:29
> 399

私も同様の経験をしたのでよく理解できます。

404犀角独歩:2002/11/18(月) 08:30

モモさん:

少し伺ったことのある点だと思います。
個体差というか、団体によって、何か違いがありますか。
モモさんの経験とモトミナさんの経験との団体による相違点みたいなものです。

405アヤエ:2002/11/18(月) 13:30
モトミナさん
貴方を誤解していたようです、最初は顕正会を擁護しているんだと思いました。
中にいたからこそわかる事がありますよね。
これからも ご経験を活かして いろいろ教えてください。

以前どなたかが御本尊なしでは云々という話をしていたので思い出しました。
高校生の頃、体調などを崩していた私の所に創価学会に所属している友人が来て、
断わったのですが とりあえずとお経本とお数珠を置いて帰ってしまいました。
(いろいろやり取りがあったのですが 今回は必要ないので省きます)
その時にやり方として とにかく朝日に向かって勤行するように と言われました。
確か夜は西を向いて という事だったような、、忘れちゃいましたけど。。
その後すぐに「本当にやる気が無い」と説明すると納得してくれましたが
学会の人でも 御本尊がない場合には東に向かって勤行するみたいです。
十年以上前の話ですが。ふと思い出したので ちょっと投稿してみました。

406菊水護国:2002/11/18(月) 15:32
本来「遥拝勤行」は、客殿において法主が「戒壇本尊」に向かって行う勤行のみを云いました。
また代々檀家の方によると、内得信仰の方のみ、日輪を日蓮に見立てて勤行を行ったそうです。
これを「遥拝勤行」ではなく、ただ「遥拝」と呼んだそうです。
学会や顕正会はそれを真似たのでしょう。いずれにしても東を向くのが正当です。
顕正会は大石寺の方角を向くとしてますが・・・。

407アヤエ:2002/11/18(月) 15:54
菊水護国さん
早速解答いただきましてありがとうございます。
では 勤行と呼ばないだけで そういったやり方がないわけではないのですね。
分かりました ありがとうございます。

408お暇庵:2002/11/18(月) 16:43
遙拝という内得信仰の勤行を5年続けた法華講の方を存じ上げています。
学会出身者からは信じられない根気強さです。晴れてご本尊下付された時にはその方の折伏入信者は20名を越えていました。某カルト系法華講です。

409独歩:2002/11/18(月) 17:01

どうやら、石山系の中でも、傍系は遥拝“勤行”が好きだと言うことですね。
戒壇之漫荼羅への内拝、漫荼羅貸与を略せるわけですからところに主要な理由がありと見えますね。

410独歩:2002/11/18(月) 17:19

> 朝日に向かって勤行…確か夜は西を向いて 

学会では「朝日」というより東に向かってということは言われていました。
しかし、これは変ですね。東天に向かうのは諸天供養(初座)の勤行のことですから。

西に向かうと言う話は聞いたことがありません。
そもそも西方は阿弥陀如来の極楽世界の方向ですから、そちらに向くことはないでしょう。

411アヤエ:2002/11/18(月) 17:37
西に向かってと言うのは 覚え違いかもしれません。
軽はずみにはっきり覚えていない事を発言してしまいました。すみません。
実行もしてないので 本当にちゃんと覚えてないのです。
ただ 朝晩するように言われたのははっきり覚えてます。
その友人はご両親が学会で 生まれた時からそういう環境に置かれてる方なので
そういう基本的な事を間違って人に伝えるという事は考え辛いです。
なんせ 十数年前の話なものですから、、失礼いたしました。

412独歩:2002/11/18(月) 17:41

アヤエさん:

いや、別段、責めているわけではないので、あまり気にしないでください。
勘違いは誰でもあります。

413ガンコ:2002/11/18(月) 17:42

いよいよ大詰めを迎えた、とわたくし自身は思っています。

モトミナさんの告白は大変なものです。わたくしはかなり衝撃を受けています。もちろん覚悟の上でしたが、あまりにも生々しい話です。思い当たるふしがたくさんあるのでした。

モモさんが書き込んで下さったのでわかり易くなったことがあります。
わたくしはここ何回か「顕正会固有の問題ではない」と書いてきました。ようするに、どこだっておんなじなんだから顕正会ばかりわるく言いなさんな、というような、顕正会のイメージダウンを薄めようとのコンタンがあったのです。
モトミナさんの話はキョウレツですが、やはり今の段階ではまだまだどこにでもあるありふれた話と思います。宗教団体にかぎらず、あらゆる組織にありがちな問題・・・ことに人事抗争、責任転嫁等、上部の傍若無人はだれだって一度や二度は経験するところでしょう。
ようするにこれは顕正会にかぎった話ではない。

いや、正直に書きましょう。モトミナさんの文章ではまだはっきりしていませんが、「本部クラスの幹部の身勝手さ」という意味は、ほぼ間違いなく浅井の子息をさすわけです。わたくしのような末端会員でも易々とわかってしまうくらいですから、おそらく皆さんもわかるでしょう。

いよいよ大詰めです。世襲が取り沙汰されてますが、これは一概にわるいとは思いません。
ですがまわりの有望な人材を、汚い手を使って追い落としていることが事実であるならば、これはもうダメです。広宣流布なんて口にすること自体、バチあたりな話です。

さて、最後にモトミナさんにおっしゃっていただかなければなりません。
浅井先生はむすこカワイサのあまり、それをやっているのでしょうか? あるいはそれに目をつぶっているのでしょうか?
確証はあるのでしょうか?

もし、このことが事実であれば、わたくしの“浅井信仰”は、ほぼ崩壊することになるでしょう。

415モトミナ:2002/11/18(月) 18:44
ガンコさん。
少なからずかつては顕正会に身を置いていた私ですので、私自身が痛烈に批判する側になるまでには、かなりの時間を要しました。
しかし事実は事実として受け止めなければならないのであって、その事実の存在を知っていながら「信心で乗り越えよう、様々な事があっても顕正会から離れてはいけないんだ」という問題から逃げてしまう安易な結論を出すことは、終には顕正会から離別した時、後悔しか残りませんでした。
”なぜあの時点でしっかりと真実として受け止めなかったのだろうか”と。
しかし顕正会という組織、いや信仰というのは改めて恐ろしいものだと思ったものです。
顕正会在籍当時、顕正会の不穏な動きを感じながらも散々に聞かされていた「顕正会を謗ると大罰」「顕正会唯一」「広宣流布は顕正会が成す」などの言葉に躊躇したもので、ちょうどガンコさんの状態であったわけです。
しかしはっきりと言わせてもらうと、今考えれば須らく信仰というものは疑問や悩みが起き、それを解決できる理論と実践と結果がなければ意味がないと思うのです。
疑問から逃げる事は真実から逃げる事になってしまいます。
ガンコさんは充分理解できると思いますが、顕正会に不利だと思える疑問を上長に投げかけた事があるでしょうか?
この疑問すら問えない、という状況を作り出してしまうのが恐ろしいと思うんです。
きっと上長からはこんな答えが返ってくるのではないでしょうか。
「あなたは信心が弱くなってきている証拠だ。祈っていこう」「全てご奉公で乗り越えよう」「魔というのは紛然としているから見破り難いんだ。己心の魔ほど怖いものはない」等。
全然回答になっていない事を言われて、”ああ、そうかも。勤行に身が入ってなかった。折伏もあまり頑張れてなかったし”と頷いてしまうわけです。
それとこれとは違うのですが、そうゆう回答しかできないんですよ、上長も。
要するに顕正会に不利な事は避けろ、という空気がどこそこにも存在するわけです。
そう考えてみた時、少し冷静に考えられるのではないでしょうか?
ガンコさんは
>ではまだまだどこにでもあるありふれた話と思います。宗教団体にかぎらず、・・・
云々と言われていますが、”絶対正しい顕正会”にこんなことがあっていいのでしょうか?
そこらに転がっている団体とは違うんだ、こんな清らかな団体がどこにある!と、自らが言っているわけですから、あってはならない事でしょう。
事実あるわけですから、この時点で信じるに足りない団体に成り下がってしまっているんです。

さて本題ですが
>浅井先生はむすこカワイサのあまり、それをやっているのでしょうか? あるいはそれに目をつぶっているのでしょうか?
私が知っている限り、浅井会長が息子可愛さのあまりにそうやっている、という判断はしていません。
命令系統を考えてみて下さい。浅井会長が発したことを顕正会として活動指針にしていくわけですが、実働の指揮統括は本部にあります。
本部が会長の発令を詳細に指揮しているわけです。それが各組織へと伝わる。
そしてその活動は逐一会長に報告されます。
ここが問題なんです。
会長に内容を報告するのは誰でしょうか?この人物こそが情報をコントロールできてしまうわけで、会長はその報告以外にまず耳にすることはないでしょう。
正直に私が思うのは、浅井会長は詳細はこの報告する人物の捏造された結果が報告されているのだと思っています。
それに対して会長は判断を下すわけです。
つまり息子可愛さから会長がやっているとは考えにくいと思います。
しかし現在に至るまであまりにおびただしい謀略を何の疑いもなく会長は報告者のいうまま結論を出してしまっているわけですから、私はこれも問題だと思っているのです。
つまり会長は飛行機を目的地だけを定めて自動操縦にして飛行させているわけで、この自動操縦がコンピュータではなく本部になるわけです。
自動操縦中に何か不穏なメッセージが入った場合、それが正しい情報なのかそうではないのかを考えずに舵取りをしてしまうわけです。

だから私は、結局は一人で正しいのか正しくないのか、或いは同じ立場でいる人同士でなければ問題解決などできないのではないだろうか、と思っているわけです。
組織は自己組織の防衛が必要になります。
そのために画策された謀略でも、”御法のため、正義のため”という理由で平然と行われてしまう。
もう正直言ってうんざりですね。
それがこのサイトにはない。自分が思っていることを思うがままに言え、相手の真剣な訴えに冷静に間違えは間違えだと反省できる。

長文になりました。中途半端ですがいったんこれで終わらせて下さい。
まだ何かお役に立てるのであれば、私みたいな者をいつでも呼んで下さい。

416トゴシ:2002/11/19(火) 11:58
モトミナさん
はじめまして。

>それがこのサイトにはない

という一節だけ、前後の意味のつながりがわかりません。
補足してください。

417モトミナ:2002/11/19(火) 12:20
>それがこのサイトにはない。
すみません。意味不明な文字羅列でした。
つまり上文は以後の内容を指しています。
つまり、自分が団体に所属していることによって、団体を防衛しなければならない立場になり、言いたい、聞きたい事も発言を自粛してしまうことになってしまう、ということです。
それがこのサイトにはなく、自分の思っていることを素直に言えるし、相手の発言にも素直に耳を傾けられる、という意味です。
御理解頂けますでしょうか?

418トゴシ:2002/11/19(火) 12:28
モトミナさん
ありがとうございます。このサイトを批判した発言ではなかったのですね(笑)
ヨカッタ

419犀角独歩:2002/11/19(火) 20:28

ちょっと、話が見えづらいのですが、いまの顕正会の浅井親子の関係は、これはどう見たって、世襲そのものです。言ってみれば、創価学会とも、北朝鮮と何等変わりません。

世襲が善いか悪いか、ここでは言いませんが、端から見て、こんなこと、「どうなんだろうか」と考えている人はいません。世襲であると映ります。そして、それに追従する周囲を固める人間も悪いのです。

また、いちばん上にいる人間はそれを伝える人によって認識判断が誤っているとすれば、そのとおり、誤っているだけの人間です。伝達する人間も悪いが、それを鵜呑みにして真実を掌握できない人間も悪いのです。もちろん、それがモトミナさんの言いたいことでしょう。

「あらゆる組織にありがちな問題」、ガンコさんはこう書いた。しかし、これは言葉が足りないでしょう。正確に記述すれば、「あらゆる“間違った”組織にありがちな問題」ということです。

420菊水護国:2002/11/19(火) 23:43
浅井さんは世襲準備を始めているのは見え見えです。
昔は日曜勤行の指導は浅井さんの生とテープしかありませんでした。
最近は克衛青年部長が1回は行っています。
だんだんと、変わっていくでしょう。
男子部副部長制度も無くなりましたしね。
これも城衛男子部長の権限拡大ですよ。

421モトミナ:2002/11/20(水) 09:47
犀角独歩さん。
全くその通りです。世襲問題など肯定的に考えられる理由など何もありません。
会長が実際に息子可愛さで行動していないとしても、息子を即部長や理事に抜擢してしまったり、日曜勤行の代行をさせたりする時点で”そもそもおかしい”わけです。
実際には支隊長を経験して隊長を経験して・・・と実績を積んだように見えますが、平らに並べて比較すれば他にももっと活躍したり、実力があった人はいたわけですし。
これは次男にも言えるでしょう。謀略能力がある長男に比して全くそこら辺にいるような部幹事クラスと能力が変わらない次男。
次々に抜擢されてしまう事実は、内部にいても歯がゆい思いでした。
体制が徐々に移行されて、会員に何の不審も与えないように準備を整えているのは菊水護国さんの言われるままであって、それ以外の目的はまず考えられません。
ようするに”広宣流布直後に顕正会は解散”という意識は言葉の上で会員には言っているだけであって、実際には永続し続けようという意図が一族にはあると思われます。

422犀角独歩:2002/11/20(水) 10:12

モトミナさん:

そう。私はすぐ忘れてしまうのですが、顕正会は広宣流布したら解散するということでしたね。しかし、これは空手形ですよね。人間の寿命は100年にも満たないわけです。
広宣流布の成就は次の広宣流布の始まりであるわけでしょうし、その言葉の意味、広く宣(の)べ流布することは常に現在進行形でしょう。

私は広宣流布というのは聖人が畢えたことであって、その後は流通であるとは思っています。けれど、その点を差し置き、いまは石山義で言えば、顕正会の言う「広宣流布で解散」というのはまるで欺瞞であると思うわけです。

あと、会というのはひとつの目的に向かう共同体であるということであって、その性質から(超法規的見解ですが)いずれの個人もその財産を占有してはならないのでしょう。指導者というのは先に記したとおり、100年の寿命を越えない、であれば、次々と時代にバトン・タッチしながら、皆の共有の会であり続けることが健全な運営であるわけです。

ところがここに世襲制を持ち込むとすれば、その底意に指導者個人が会を私物化している現実と、さらにそれを自分の子供に引き継ぎ私物化しようと言う黒い意図が蠢いていることを語っているわけです。要は浅井さんは顕正会を私物化し、自分の財産と考えるが故に世襲制の意図があることになるわけです。すでにここには広宣流布であるとか何とか言う崇高な使命感は弁舌だけの虚しいものであって、人々の煽動の一々が自分と自分の子供に継ぐ財産の上増しの役割しか果たしていないことがわかります。

私有財産…これには地位・名誉も含みますが…を増加させるために日蓮聖人の教えを利用しているに過ぎないと言う構図がはっきりと見て取れます。まして、数年、数十年ですぐにでも広宣流布ができるような錯覚を会員に与えながら、そのときは解散して「自分は顕正会を財産にしていない」ようなパフォーマンスを演じるところに、言われてきたような浅井善人説に私は大きな疑いを懐くのです。

423アヤエ:2002/11/20(水) 10:53
なるほど、、などと感心しながらしばらくの間ロムってました。
こうなると やはり宗教と言うよりは、商売といった所ですね、、
やっぱりね、と言う感想を持ちました。
醜い欲の塊が渦巻いて 目に見えるような気がします。

424モトミナ:2002/11/20(水) 10:54
付加して筆すれば。
祖父  講頭
父   会長
長男  理事
次男  男子部部長
長女  婦人部副部長
長女夫 理事
これだけ中枢を担う能力を全員が持っているわけないですよね?
この系統はサラブレッドなのか?と疑問を抱かずにいない方がおかしいです。
他から一族組織と言われてしまうのも尤もです。
どう考えてもこんなに組織統率の能力がある人間が揃うわけはない。
それを揃えてしまう理由はただ一つでしょう。
組織統率の能力で人事しているのではなく、防衛能力に長けているという理由で人事しているわけです。
絶対に批判するわけないですよね。
悪く言えば自分の生活を滅ぼす事になるような事をするわけないんですから。
独歩さんがいわれるとおり、広宣流布を生活の糧にしている、もっと言えば飯の種にしているだけのことです。

425犀角独歩:2002/11/20(水) 11:12

浅井崇拝者からは、ここでかかれていることに反論もあろうかと思います。
ですから、ここは冷静に、とまずお願いして、「私物化していない」という反論があれば、以下のような点はどうなっているのか、浅井さんの名誉のために記してみたらどうかと思うわけです。

・会の財産は公開されている
・会の収支は公開されている
・職員の給与は公開されている
・毎年、決算は公開で報告されている
・長の任免は選挙による

上述で「職員」という宗教法人の職務に従事をして給与を得ている者のことです。

以上の点が健全に行われていれば、世襲制、私物化と非難される理由はないことになるでしょう。もちろん、もっとたくさんのチェック次項はあります。

426モトミナ:2002/11/20(水) 11:45
私は全くの無智でこんな質問するのは恥ずかしいのですが、確か宗教法人は財務が誰でも閲覧できるようになったんですよね?
どうすればその団体の財務を知ることが可能なのでしょうか?

427犀角独歩:2002/11/20(水) 11:51

> 426

上述のご質問は菊水護国さん辺りがお詳しいのではないでしょうか。
私もさすがに、この閲覧請求はしたことがありません。
専門家にも問い合わせてみます。

428ガンコ:2002/11/20(水) 11:52
遅くなりました。
今、上のもろもろを読ませていただいて、どうにも腑に落ちないものがあります。

モトミナさんいわく、「ようするに”広宣流布直後に顕正会は解散”という意識は言葉の上で会員には言っているだけであって、実際には永続し続けようという意図が一族にはあると思われます。」

独歩さんいわく、「私有財産…これには地位・名誉も含みますが…を増加させるために日蓮聖人の教えを利用しているに過ぎないと言う構図がはっきりと見て取れます。まして、数年、数十年ですぐにでも広宣流布ができるような錯覚を会員に与えながら、そのときは解散して「自分は顕正会を財産にしていない」ようなパフォーマンスを演じるところに、言われてきたような浅井善人説に私は大きな疑いを懐くのです。」

ひっきょう、浅井先生は広宣流布など信じていない、目師御出現も口先だけなのでしょうか?

オオボラ吹きというのは世の中たくさんいるでしょうがこれほど大勢の人間を巻き込むことが可能なのか、しかも半世紀近くにわたって外部からはあることないこと言われながら・・・それがカルトなのだと言われればそれまでですが・・・。
わたくしが思っていますのは、日目上人がお出ましになられれば、その時の顕正会会長がだれであろうと目師の前に平伏せざるを得ないということです。
しかし、おそらく普通の人の感覚では、広宣流布も目師出現もありえないことなのでしょう。

すると先生は、永久に達成されない目標を掲げることで会員をいつまでも利用し続けるということなのでしょうか?

それはムリだとわたくしは考えます。いくらなんだって、そんな手がいつまでも使えますかってんです。
もし浅井先生がそんな考えであったならば、とうの昔に顕正会はつぶれていることでしょう。少なくともこの先いくらも伸びないでしょう。最悪、一気に破綻を迎えるでしょう。

429ガンコ:2002/11/20(水) 12:14
ようするに、先生は別格ですから御身安泰でしょうけど、一族といえどもモトミナさんのおっしゃるように必ずしも人望があるわけではないわけですから、これはアヤエさんの言葉をさかてにとっていえば“商売柄”はなはだ不利、致命的といってもいいでしょう。
世襲はかならずしもわるいとは思いませんけど、そんな人望のない人間を使うとは考えにくいわけです。
これはどの世界も同じだと思います。
かりに時期体制を思い描いてみましても、人望のない人が会長になってどうなりましょうか?
おそらく顕正会はダメになるでしょう。結果として“一族”にとってそれはいいことではありません。

430犀角独歩:2002/11/20(水) 12:24

ガンコさん:

あなたはとても善人で、また、カルトという者の本質をわかっていないのでしょう。

終末論を掲げるカルトのいちばんの“ノウハウ”は「如何に現実感をもって未来を予言してみせるのか」ということです。「100年」も先では自分に関係なとなる、では「明日、明後日」と言えば、外れることがすぐにばれてしまう。ですから、もっとの現実味をもって迫り、人々が燃え上がるように、その日を…顕正会で言えば、自界・他国難(終末論)→広宣流布→目師再誕まで…を設定してみせるのかが、腕の見せ所となるわけです。

さて、ガンコさん。この手腕に、私は顕正会は長けていると思いますが、どうでしょうか。ガンコさんは他宗派の人の言葉を参考にできる心のキャパがあるかどうかわかりませんが、終末思想を学者の立場から分析して見せた神学者・浅見定雄師の言葉を以下に紹介しておきます。

「『カルトの終末論は非常にくだらない』ということでした。要するに、信者獲得、お金の獲得の手段にしかなっていないのです。…カルトの終末論は、私に言わせると、基本的には、馬を走らせるためのニンジンのようなものです。馬の背中から首にかけて竿をつけて、その先にニンジンをぶら下げると馬が一所懸命に走ると言います。これは実際には、そうではないそうですが(笑)…

メンバーの、特に若い人たちは、あまり『世の終わりが遠い』と言うと、まだ間があると思い本気になりません。そこで、ある程度、熱中できるぐらい近く、しかし、『明日だ』と言うと、一晩寝ると世の終わりが来ないとわかってしまいますから、そうはならないように、つまり『幻滅しない程度に遠く、情熱がわく程度に近く』、こうして予定日をいろいろと延ばしてきたわけです」(『日本脱カルト研究会報』P18)

431犀角独歩:2002/11/20(水) 12:34

さて、ここでポイントなのは、終末論は、度々、日延べされるという点です。顕正会はどうでしょうか。よく目標の設定が書き換えられていませんか。

この時点で幻滅して多くのメンバーが辞めます。しかし、また新しいメンバーが加入し、熱中することによって繰り返されます。このようなグループでは古い人間は残っておらず、常に10年以内数年以下の所属期間しか持たないメンバーによって構成されるのが常です。現代の顕正会はどうでしょうか。

また、創立の当初は老若男女広い年代層にメンバーは分布しますが、末期になると、簡単に騙せる若年層、あるいは女性、未婚のハイティーン、あるいは主婦(女性蔑視ではありません)というメンバーが大半を占めるようになります。この点は顕正会はどうでしょうか。

要するに人が恐怖感を懐き、切迫感をもって熱中する教義に与えること、しかも、容易く騙される層の人々によって構成されているので、いつまでもこの詐術が繰り返されていくことになります。

最も溜息が出るのは、仮に予言がはずれたとしても「先生の信心、私共の活動で危険を回避することができた」と、うまく理由付けもされることもカルト共通のテクニックです。

432犀角独歩:2002/11/20(水) 12:36

429のガンコさんの発言は「人望がある会長でない都会は駄目になる」という前提で、論が成り立っています。
しかし、煽動、専横というのは長の人格で左右されません。
人気も人望も、作られるものであるからです。

433犀角独歩:2002/11/20(水) 12:37

432、失礼、打ち間違えです。

誤)「人望がある会長でない都会は駄目になる」
正)「人望がある会長でないと会は駄目になる」

434犀角独歩:2002/11/20(水) 12:39

431の以下の部分もちょっと言葉が足りませんでした。

元)常に10年以内数年以下の所属期間しか持たないメンバーによって構成
補)常に10年以内数年以下の所属期間しか持たないメンバーによって大半が構成

435ガンコ:2002/11/20(水) 12:39
>・長の任免は選挙による

これはとくに規定はなかったと思います。えーと、会長の任免です。

つまり、今のところ時期体制などということは、まったく眼中にないと考えられます。
先生がいらっしゃるうちに広宣流布してしまおう・・・これが現役顕正会員の共通の認識なのだと思います。

わたくしの勝手な想像ですけど、主任理事は「先生でなければ広宣流布はできない、とても自分なんかではつとまらない」と思っているような気がします。

436モトミナ:2002/11/20(水) 12:56
ガンコさん
>主任理事は「先生でなければ広宣流布はできない、とても自分なんかではつとまらない」と思っているような気がします。
これは実際に言っている事なのですが、果たしてそう思っている、と言っているだけのように思えます。
それが私や独歩さんが示している事実が物語っている、裏づけできてしまう、と言っているのです。
”下衆の勘ぐり”といわれてしまうかもしれませんが、本部幹部についていえば、近づく(つまり役職が上がる)につれてその人望のなさ、力のなさを感じてしまうわけです。
この人達を中枢幹部に登用する理由はどこにあるのか?ここに回答を求めざるを得なくなってしまうのです。
一代で広宣流布達成をする、というのは良いのですが、だったらもっと力のある血族外の人間を評価すべきだと思います。
その血族以外の人間が大抵退いかされてしまう。いや退いてしまうのです。

437アヤエ:2002/11/20(水) 12:57
ガンコさん
>いくらなんだって、そんな手がいつまでも使えますかってんです。
>もし浅井先生がそんな考えであったならば、とうの昔に顕正会はつぶれていることでしょう。
>少なくともこの先いくらも伸びないでしょう。最悪、一気に破綻を迎えるでしょう。

では、顕正会が魔民などと言っている創価学会が潰れないのは何故だと思いますか?
あのオウムだって未だになくなっていないのです。
「間違った事をしている団体は必ず消えてなくなる」
と言うのは残念ですが理想に過ぎないのではないでしょうか。
目標が少しづつ少しづつ先延ばしになることに疑問を持った古参会員が
会長のハッタリに気が付いて どんどんやめていっているのではないですか?

私は430の独歩さんが掲載してくださった論文を読んで、顕正会だけに当てたものではない筈なのに
よくもこんなにピッタリと顕正会に当てはまるものだと 改めて顕正会がどういった団体なのか
浅井さんという方がどういう方か 分かったような気がしました。
私は これはかなり気持ちを引き締めていかなければいけないぞ と思いました。

438ガンコ:2002/11/20(水) 12:58
わたくしは先生のいらっしゃるうちに広宣流布できなければ、その時が顕正会の終わりのような気がしているのですが、その時になればそれなりにうまくやっていくものだというのでしょうか?
ましてや今の時代、顕正会の過去などバレバレではないでしょうか?
なにしろ、それ専門に、つまり顕正会のあらさがしを熱心にやってらっしゃる方々がたくさんいますでしょう。
ダマサレにくい時代です。
ですから、そこらのインチキ商売ではしょっちゅう名前をかえてやってますでしょ。
まさか顕正会が・・・それはできませんでしょう。

いつまでも国立戒壇をかかげる不器用な団体ですよ

439犀角独歩:2002/11/20(水) 13:11

> 顕正会のあらさがしを熱心

というのは実に言葉が悪い。が、今はそれを問題にしないで書きます。
だいたい、顕正会は完全な報道管制を布いているわけです。

顕正会以外の言うことは何一つ信じてはいけない、読んではいけない、見てもいけない、「謗法だ」というわけです。

ですから周囲がいくら真実を告げても…断じてあら探しなどではありません…それを聞く耳を持たない、そんなことはガンコさん自身、百も承知のことでしょう。

何かやましいことをやる団体・個人は必ずこうです。「他の言うことを信じるな」ということを恐怖心まで煽って徹底的に刷り込んでいます。

440犀角独歩:2002/11/20(水) 13:15

> 不器用な団体

これも作られた虚構でしょう。

純朴、素朴、実直、そんな印象で顕正会と浅井さんをとらえているのは内部だけのこと。
いつまでも国立戒壇しか言わないのは、要するに真面目に教学、仏教を浅井さん自身が研鑽しないから。だから、いまだに100年前に崩壊した幼稚な日蓮・仏教を、批正もせず、平然と語れるのでしょう。

端から、見れば狡猾、不勉強、自分勝手、傲慢、専横としか映っていないのです。

441犀角独歩:2002/11/20(水) 13:25

アヤエさん:

浅見師の文章が掲載されている『日本脱カルト研究会報』第5号は以下のサイトで購入できます。他の文章もお読みになると参考になるところはたくさんあろうかと思います。

日本脱カルト研究会
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/

なお、併載されている高橋紳吾師の『宗教病理と犯罪』はネットで読めます。
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/open/ol001_takahasi.html

442ガンコ:2002/11/20(水) 13:57


独歩さんのおっしゃることは相変わらず厳しいです。

>顕正会以外の言うことは何一つ信じてはいけない、読んではいけない、見てもいけない、「謗法だ」というわけです

これなんですが、正直に書きまして、わたくしはこのような指導を一度も聞いたことがありません。何年か前、サンデー毎日で顕正会を特集したことがありました。たしか千葉会館の御入仏式で先生はこれを取り上げられ、「これからいろいろ書かれるでしょうが楽しみに読んでいって下さい」と言っていたように記憶しています。顕正新聞に出ているかどうかはわかりません。モトミナさん、どうでしょうか?

ただし、謗法に対する忌避はおそらく神経質とも思えるくらいの厳格さがあり、それが遠回しに作用しているのかなぁ、とは思いました。

443ガンコ:2002/11/20(水) 14:15

>だから、いまだに100年前に崩壊した幼稚な日蓮・仏教を、批正もせず、平然と語れるのでしょう。

じつは今年の合宿研修会で先生は、十数年振りだと思うのですが仏滅年代について言及していました。正直に書きますが、ほとんど以前と言うことに変化はありませんでした。
ようするに、大聖人様の採用された説が正しいということです。

444犀角独歩:2002/11/20(水) 14:27

ガンコさん:

また、自分の都合に好いところだけ切り出していますね。

> …楽しみに読んでいって下さい…

この『サンデー毎日』は始めて顕正会の名前がマスコミに露出したもので、内容も可否を問うものではなかったでしょう。書いた記者の方が誰であるかも私は知っていますよ。

私は四つ言ったのです。(1)信じてはいけない(2)読んではいけない(3)見てはいけない(4)謗法である

このうち、浅井さんの言で該当するのは(2)読んではいけないだけでしょう。

(1)他の言うことを信じて好いのですか。例えば私が記すこと、学者が記すこと、他宗の記すことをです。

(3)インターネットを見て好いのですか。勝衛さんは好きだそうですが(笑)
また、お祭り、キリスト教の賛美歌、他宗の読経、念仏、その他宗教行事に参加して見てもよいのですか。冠婚葬祭すら参加を謗法だと言って止めているのではないのですか。
だいたい未だに御書全集もないような団体でしょう、顕正会は。

(4)謗法は、これは顕正会で言う謗法であって、いまや戒壇之漫荼羅がある場所にも行かせないわけですから、石山義から言えば、こちらのほうがよほど謗法でしょう。

まあ、責められると、そうやって防御に回ってしまうというのは人間の性です。
また、あなたは顕正会、顕正会経験者の言葉は信じるけれど…という前提が働いているますね。ですから、私の言葉は厳しいとか、攻撃とかにしか取れないでしょう。

私は既にガンコさんの中では答えは出ていると思います。
ただ、それを認めたくないだけでしょう。過去と自分が信じてきたことが無駄になると思うからでしょう。しかし、真実に正直であることが大切なのですよ。ここでカミングアウトしなくてもよい。けれど、自分自信の良心を大切にしてあげてください。顕正会、浅井さんよりも、です。

445犀角独歩:2002/11/20(水) 14:32

> 先生…仏滅年代について言及…大聖人様の採用された説が正しい

前にも記しましたが、浅井さんは何の先生なのですか。

仏滅年代の言及はけっこうですが、この根拠は何でしょうか、文献学、考古学、史学、民俗学、化学、それとも何でしょうか。

446ガンコ:2002/11/20(水) 17:40
ぼくが口を出すのも変ですが顕正会の人って、顕正会の人の言うことしか信じてないでしょ。

447菊水護国:2002/11/20(水) 17:57
そういえば「顕正会版御書全集計画」というものがありましたね。
昭和60年代と平成7,8年位と浅井氏は宣言されました。
特に平成の計画は「①2年おきに3冊に分けて発刊する。②主要御書には全て浅井氏の講義をつける。」と言うものです。
そのため「御書編纂委員会」が発足したと記憶しています。
でも、どうなったんですかね。顕正会は会員が常に入れ替わっているから、新しい会員には分からない計画が出ては消えてます。
計画頓挫はあるでしょうが、だったら正式に発表して欲しいですね。
また、それまでは「石山版御書」なり「学会版御書」なり暫定的に使用しても良いと思いますがね。
また僕がいたころは、教学試験も「登用試験、5級、4級、3級、2級、1級」と行われてましたが、今は「登用と5級のみ」です。
これは明らかに会員の教学力を落とす「愚民化政策」としか考えられませんね。
しかも登用5級の問題すら、レベルは年々下げてます。
あまり教学力をつけると顕正会の矛盾に気づいてしまうからでしょう。

448アヤエ:2002/11/20(水) 18:01
独歩さん ありがとうございます、
早速問い合わせたところ、滝本先生はすばやい対応をしてくださいました。

ガンコさん 私も独歩さんの意見に同感です。
ご自身の良心を大切になさってください。

449モトミナ:2002/11/20(水) 20:06
外部の情報を入手してはいけない。これは顕正会の徹底した指導です。独歩さんの言われている事に間違いは一つもありません。
>(1)信じてはいけない(2)読んではいけない(3)見てはいけない(4)謗法である
というのは的確な表現という以外に私は形容が見つかりません。
これは跨聞きなのですが、事実その手の指導がありました。
わずか数年前の話なんですが、本部会館に隊長連中を結集させ、隊長会なるものを開いた場での事らしいのですが、その席で驚くべき事を主任理事は指導徹底したというのです。
内容は完結に書くと以下のようなものでした。
1 最近インターネットで隊同士の交流が深まっているらしいが、これは廃止すべきである。
2 インターネットでの謀略が盛んに行われているが、不特定多数の人間が身勝手な事を言っているだけで、身元不明の者の発言などに耳を貸すべきではない。
3 たとえ顕正会の書物であっても、過去のものは今には通用しない。読んだり読ませたりするべきではない。
1については当時顕正会員同士がサイトを作りあって、○隊サイトみたいな感じでお互いに交流を深めていたようなのですが、これは誰に情報が漏れるか分からないのでやめるべきである、というものでした。
2についてはこの頃から顕正会批判のサイトが多く立ち上がり、これらを顕正会員が見るのは好ましくない。理由は上記の通りだそうです。
これは下野氏等に触発されて顕正会へ質問をし、”先生を信じなければ顕正会には不要”として破門された総班長の件があったから、またそれに付随する件が多くあったからだと思われます。
3については私が指導の生テープを入手して聞いていた中で最も理解し得ないものでした。
理由付けは次のような事でした。指導内容にできるだけ忠実に記載させて頂きます。
”最近、本部に退転したので今までの書物やら班長辞令などを送り返してきた者がいる。別にその者がやめるのは構わないが、その中を見て私は驚いてしまった。
何かというと『組長訓』が大事にファイルされていたことです。あんな古い書類を今でも大事にして組長が輩出されると見させていたんです。これにはびっくりした。
昔の組長と今の組長では質も戦い方も全く違う。これを今読ませたって意味がない。”
と前置きした上で
”機関紙や冨士にしたってそうだ。過去の顕正会の戦いと現在の顕正会の戦いでは全く違う。今は御遺命守護の戦いではない。最終段階の戦いに昔の指導を引っ張ってきて読み返してどうする。
特に昔の機関紙等は私は全く読まない。昔の機関紙などを読むと今は退いている者だっている。浅井先生の戦いをその場は分かった風な口を聞いてその当時は登壇などをしていても、
結局は退いてしまっている。そうゆう者の登壇が載っている記事など馬鹿馬鹿しい。腹が立つだけで何の感激も出てこない。
現在の顕正会の戦いに昔の顕正会の指導などは適切ではないのでこういったものは使用しないで、今発行されている機関紙で信心を深めさせていけ。”

私はこのテープを入手し、聴いた時には開いた口が塞がりませんでした。
しかも前置きで”これから話す内容は一般に聞かせるべきものではないので隊長は録音をするな”と言っているわけです。
テープの持ち主もどう対処していいのか分からず当時は困っていた、と語っていました。
要するにこういった所が謀略体質だ、といいたいのです。
会員には過去の指導は読ませたくない、というのが本音であって、それに理由付けするために退転した幹部の登壇など見たくもないという言い訳がましい言葉で隊長に徹底しているわけです。
インターネットの件も同様です。
今巷では顕正会インターネット閲覧禁止令の真偽が問われていますが、およそここが出処でしょう。
何も考えない隊長はそのまま隊員に流したでしょうし、困惑して処理できない隊長の組織では”禁止など言われた事がない”というでしょうし。
一例として、禁止令発布のいきさつを提示させて頂きましたが、ガンコさんはこれについてどう考えられるでしょうか?

およそ一切の命令等は本部は理由付けを考え、無理やり納得させて発令してしまうわけです。
過去の指導は読むな、とはすなわち現会員に読まれてはいけない内容が存在するから、としか解読不能なわけです。
実際に現会員が過去の退転者の指導を聞いて、奮い立った事例は数多にのぼりますし、別段読ませるなと、徹底した禁止令を出すだけの内容ではないのですから。
読ませたくない理由にそんな馬鹿げた話を持ち出して納得させようとしている本部らしいやり方が滑稽に見えるわけです。

450モトミナ:2002/11/20(水) 20:24
菊水護国さん
>これは明らかに会員の教学力を落とす「愚民化政策」としか考えられませんね。
>しかも登用5級の問題すら、レベルは年々下げてます。
>あまり教学力をつけると顕正会の矛盾に気づいてしまうからでしょう。
思わずふきだしてしまいました。あまりに適切なので。
現顕正会員は4級(立正安国論)すら勉強せず、読まずに隊長になっていくのです。
これについての理由は確かこうではなかったでしょうか?
現在は入信者も多く、その先輩となって後輩を指導していく立場の班長以上が、自分の教学研鑽で手一杯になって後輩の研鑽の面倒を見てやれないなどという事になりかねない。
今は広宣流布の最終段階にあたって、理論書を心肝に染めれば良い。勤行と折伏と国立戒壇。これを忘れなければ大きな功徳となる、と。
信行学兼備はどうなるのでしょうか?今は冨士もなくなって実質教学書は数点の出版物しかありません。
これでどうやって広宣流布を進めるのでしょうか?だから問題化しつつある「押し付け」的な幸福論・罰論になり下がってしまうのだと思います。
少々智者が相手になると、暴論を投げつけて「必ず無間に落ちる」などと捨て台詞を吐いて帰ってしまうわけです。

また計画頓挫についても同様です。一番困ってどう言い訳するのかを真剣に考えているのが末端から中核の会員なわけですから。
弟子の自分達が会長の誓願を破っただけ、と会員は言いますが、言った者にこそ責任があるわけです。
10年在籍すると計画頓挫が5個位はすぐに見つかります。2年に1個は多すぎです。
何十年もいる人は、計画頓挫には慣れっこですから耐性が完全に出来上がっているのでしょうね。

451アネモネ:2002/11/20(水) 21:34
横レスごめんなさい。

>外部の情報を入手してはいけない。

結局、これが思想戦における洗脳教育の、いわば鉄則なんでしょうね。
宗教に限らず、戦前の日本の教育だってそういうものだったと思われます。赤本といわれた共産主義の本を持っているだけで、非国民として特高警察に逮捕されていた時代があったわけですから。

また具体例として思い浮かぶことに、エホバの証人もそのような指導を受けてます。自分たちはせっせと家庭訪問しては、あれこれいろんな印刷物を読んでもらおうと手渡したり投函したりするにも関わらず、こちら側がお返しに「じゃあ、これを読んでみて下さい」などと、たとえば仏教に関するものでも渡そうものならば、「ものみの会で全て学んでますので、ご遠慮いたします」などと、絶対に受け取らないんですね。
また宗教とは関係のない印刷物を渡そうとすると、「こういうのを読んだことがないんです」などと言う人もいました。
また、六十代くらいのご婦人がいらしたときに、ある本の内容の話をしてみると「私も、昔は本の虫で、いろいろ読んでたんですよ」などと懐かしそうに口にしていたくらいです。恐らく入信してからは、「ものみの会」で発刊されているもの以外は、害悪か不浄のものと刷り込まれて、あらゆる外部情報を遮断していることが伺えます。もちろん、インターネットもご覧にはならない方ばかりのようです。

結局、洗脳というのは、思考方法とそれに伴う言語統一の徹底から始まることでしょうから、その組織の存続にとって個々の信徒が自由に外部情報に触れることは、その組織の体質を客観視することにつながることであり、一番脅威的なことなのでしょう。だから初めからその根を摘んで阻止しておかなければならないわけで、どの教団も、そこを宗教的言い回しでもって、「そんなことしてると、地獄に落ちるよ」とオドロオドロしく脅すものでしょう。

振り返ってみると、私がいた法華講だって似たような指導だったと思います。
「大聖人様の仏法だけ学べはいい」から始まって、結局は「大聖人様の仏法を正しく教えるのは日蓮正宗だ」に行き着く指導ですから、顕正会やエホバと似たようなものです。

でも私は、そんなことは「おかしい」「いやだ」「できない」と思いながら、いつしか内心で強く抵抗するようになりました。
そのように抵抗する意識のほうが、「自己の尊厳」というものにつながっていくものなのではないかと振り返ります。

452犀角独歩:2002/11/20(水) 22:24

アネモネさん:

> 抵抗する意識のほうが、「自己の尊厳」というものにつながっていく

これは核心を突いた名言であると思います。

453犀角独歩:2002/11/20(水) 22:40

モトミナさんが書かれていることで、改めて驚かされることは多いのですが、

> 広宣流布の最終段階

こんな意識が顕正会の中にあるわけですか。びっくりですね。半世紀かけて、たかだか子供ばかりの勧誘が目立つ100万人達成を、したとかしないとかという規模で広宣流布の最終段階ですか(笑)

私はもちろん真偽未決の故、依用しませんが

「剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」

ではなかったのではないでしょうか。日本一同なのに、100万人で、もう最終段階(笑)
随分と気が早いですね。
まあ、確かに

「梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし」

という真跡はあるわけですが、しかし、顕正会の計らいでも、浅井さんの計らいででもありませんし、そんな兆候はまったく見えません。
更にいえば、先にも挙げましたが、血脉両抄によれば、

「広宣流布の日は上行菩薩は大賢臣となり・無辺行菩薩は大賢王と成り・浄行菩薩は大導師となり・安立行菩薩は大関白或は大国母となり、日本乃至“一閻浮提の内一同”に四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしめんのみ」

であり、日本だけではなく「一閻浮提の内一同に四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしめん」です。

それなのに広宣流布の最終段階などとどうして言えるのでしょうか。

こういう肝心のことは何も悟られないように、菊水護国さんの言を借りれば、「愚民化」を進め、何もわからない幼気な子供たちを煽動する有様にはまったく呆れるばかりです。

454モトミナ:2002/11/20(水) 23:25
独歩さんのおっしゃられている事で、改めて思った事があります。
以前から活動会員数云々の話はあちこちで出ているのですが、実際に広宣流布という姿はどういった姿なのだろうか、と真剣に考えた時、顕正会が達成と宣言した時点ではあまりにお粗末な現実しか待っていないような気がします。
実活動人員があまりに少なすぎる。それに比して会員数は着実に増加の一途を辿っているわけですから、広宣流布達成時の実活動人員はどの程度のものなのだろうかと考えると、逆におぞましくなるものです。
私が概算で計算しても現在1万5千前後が実際の活動人員だと思います。
概算とはいうものの、決して適当な事を言っているわけではありません。
折伏法戦と銘打って戦った直後の総幹部会の後、隊長・総支隊長クラスには御書講義の参加人数や折伏の実績などが詳細としてA4サイズで配布されています。
当時50万とか60万とか言っていた時期ですら、御書講義の参加が会合計2万数千がいいところでした。
この人数が実活動者かというとそんなことはなく、組織によってまちまちとはいっても平らに並べて考えれば1人の班長がおよそ3人連れてきてビデオ放映に参加させるのがいいところだと思います。10人連れてくる者もいれば1人で参加する班長も大勢いますので。とすると自発的な参加人数はせいぜい3分の1程度であって、残りは引き連れられてくる程度です。
これが100万達成眼前だとはいっても、何倍にもなっているはずもなく、せいぜい3万人超が参加総数だと思われます。
ここから換算しても1万5千の実活動者は多すぎと思いますが、いってもこの程度でしょう。
これが100万の威容というなら、1千万、1億は一体どうなるのでしょうか。
そして顕正会では現実広宣流布達成と発表しなければならない時点が到来してしまうでしょう。
その時会員は小躍りするものの、何も変わっていない世の中に愕然となってしまうのではないでしょうか。
そもそも会員の計算方法が間違っていると思います。
会(講)の発足から勘定してプラスのみカウントされていくわけですから。そりゃ100万にもなるでしょう。
通常こうゆう計算方法は用いないはずです。
例えば人類は現在一体地球上に何人いるのでしょうか。
これを計算するのには普通現在生きている人を勘定するわけです。
ところが顕正会はこの例をとれば人類は有史以来の累計人員になってしまうわけですから、数百億にもあるいはそれ以上にすらなってしまう可能性だってあるでしょう。(実際計算してないのでこの数字はテキトウです)
亡くなった方は除外されない、退転者も除外されない、というのであれば、顕正会公称人員など全く意味がありません。ましてや時間、つまり人間の寿命を計算に入れていないわけです。
それなのに○十○万○万○千○百○十○人、などという詳細まで出てくるのは首をかしげてしまうのも無理はないでしょう。
このままの計算方法でいった場合、21世紀の四半世紀内に広宣流布を達成する、と宣言して実際そうなったとすると、広宣流布達成時の顕正会会員数は1億3、4千万になっていても未だに入会していない者が日本に大勢いたり、と訳のわからないことになってしまうはずです。
まあ、どこかで会員数の修正を行わざるを得なくなるのは明白でしょうけれども。
そもそも人数計算する事に問題があるようにも思うわけですが、それを会の1月の指針として目標を掲げる会も、何の疑問も持たないで達成に向けて努力する会員も、これはもうただ口をあんぐりとさせるばかりです。

455菊水護国:2002/11/21(木) 09:39
恐らく、どんな状態になっても、顕正会は「広宣流布宣言」はしないと思いますよ。
顕正会にとって「広宣流布」とは会員鼓舞のための表題に過ぎず、言葉遊びに過ぎないと思います。

456トゴシ:2002/11/21(木) 17:12
>446

すみません。ガンコさんにと書こうと思って、名前のところにガンコさんの名前を書いてしまいました。
投稿したのは、ぼく、トゴシです。

ガンコさん、ごめんなさい。

457アヤエ:2002/11/21(木) 17:55
わかっていた事ですが 顕正会の方々は皆さん利用されてるんですね、
改めて こうして皆さんに具体的に教えていただくといても立っても居られなくなって
一刻も早い友人の脱会をと思いますが、なかなか心まで届きません。
毎日勧誘活動にいそしんでいる為に 最近は電話にも出なくなりました。
私が やめさせようとするような事ばかり言うので 向こうから距離を置いてるみたいです。
しかし 利用されてる一方では加害者であるのですよね。

慌てて行動してみても まだまだ私には力が足りません、もっと勉強しなくては
まともに会話もできなくなります。
以前相談した方から 時間と言う薬もまた必要だといわれました、
ガンコさんのように 自分から少しづつ疑問を感じてくれるようになるまで
もうちょっと様子を見なくてはならないように思います。

458ガンコ:2002/11/22(金) 12:21
独歩さん、トゴシさん、菊水護国さん、アヤエさん、モトミナさん、アネモネさん、

わたくしと同姓同名(?)の方がお出ましになったのかと思いましたがトゴシさんでしたか・・・
どうやら顕正会にいい材料は出てきませんですね。困りました。
とりわけモトミナさんのお出しになられた「隊長会での主任理事の指導」は文字通り驚きました。疑う余地がありません。いかにも、という内容でした。
こんな指導をしているようではダメですね。
顕正会は一貫不変、正々堂々を売り物にしているのだから、古い資料を読まれて困るはずがないのです。
だいたい今だって、御遺命守護の戦いを繰り返し学ばせているのです。ようするに都合のいいところだけ学ばせて、都合のわるいところにはフタをしようというのでしょうか。困りました。

ですけど、先生がそのように指示しているとは思えないんですけどね・・・

なんの先生かって言われましても、わたくし知りません。わたくしが入信した頃、すでにそう呼ばれていたのです。
仏滅年代もよくわかりません。先生は結論だけをズバリと言って、詳しい説明を省く場合があります。

459トゴシ:2002/11/22(金) 18:26
ガンコさん、ごめんなさい。でも顕正会の人の話にしかまともにレスをしていないのは事実ですよね。

460ガンコ:2002/11/22(金) 18:58
トゴシさん、どうも。

おっしゃる意味がよくわからないのですが、よろしければ今少しご説明ねがえませんか?

461トゴシ:2002/11/22(金) 19:20
ガンコさんのレスって、相手が何らかの形で顕正会とかかわった人でないとまともに受け答えしないという意味です。

462ガンコ:2002/11/22(金) 20:44
トゴシさん

わたくしとしては、ぜんぜんそういうつもりはないんですけど、無意識の内にはあるのかもしれません。
反省したいと思います。
ほかにも何かありましたら、どんどんおっしゃって下さい。

463アネモネ:2002/11/22(金) 21:16
ガンコさん
はじめまして。
少し気にかかったところ、私の考えをお読み頂ければ幸いです。

>ですけど、先生がそのように指示しているとは思えないんですけどね・・・
>先生は結論だけをズバリと言って、詳しい説明を省く場合があります。

言葉というのは、一人歩きして広まっていくことが往々にしてあると思うんですね。言葉を発する人の真意はひとつだとしても、聞く側の人間は、それぞれ歩んできた人生も違えば抱えている問題も違い、そして培われてきた思想も違います。個々の人々がそれぞれの思いで受け止めること、それはそれでいいと思うのですが、しかし、そこから言葉が一人歩きして末端に伝わり、一人歩きした言葉の精神でもって活動に乗じていくとき、もはやその組織はトップの命令などなくてもカルトと化していくのではないかと思います。
そしてトップの一言の指導が波紋を及ぼし、そして四方八方に言葉が一人歩きしはじめるということ、そもそも組織のトップとして言論する人は、そこまでのことを想定した責任を負わされるものではないかと私は考えます。

自分の発した言葉が、どれだけ信徒に影響を及ぼすか、そして社会に影響を与えるかということに、その組織のトップが社会的責任という意識を持っているならば、そこを十分に思慮することは当然のことなのではないでしょうか。私はそこまでの責任をもってはじめて信頼に値する組織の長ではないかと思います。最低限。
少なくとも、日蓮聖人はそのような方、つまり自分の発した言葉に対してどこまで責任を持っ方だったと私は思うのです。またそこが敬慕してやまないところでもあるのです。

自分の発した言葉が正しく理解されないがために起きている社会的問題に、発した本人がなんら目を向けていないとするならば、それは場合によってはむしろそこを意図して狙った発言という見方もあるかと思います。もちろん、そのような意図が浅井さんにあるのかないのか、それは私にはわかりません。だけど、信徒の活動全般の責任は浅井さんにあるということは免れないと考えます。ですから、「先生がそのように指示しているとは思えない」は全く通らない弁解であり、むしろそこまで疑問を持ったならばもう一歩踏み込んで、なぜそのようなことになったのかということを厳しく分析するべきではないかと思います。それも顕正会という組織のためにではなく、仏法を求めようとする自分自身の尊厳のためにです。

464アネモネ:2002/11/22(金) 21:21
(つづき)
少なくともどんな組織であれその上層部は、組織の構成員、つまり自分の組織の信徒がどのような活動をしているのかということの正しい情報と認識を得ていなければならないですね。その行為が公共の福祉に反し、さらには一般市民の人権まで侵害するような行為であるならば、そこは組織の責任において厳しく指導していかなければならないわけです。しかしそのような活動も仏法の上からは正しいことだ、などと考えるのであるならば、もはや顕正会は「反社会組織」という烙印を押されてもいたし方ないわけです。
これら一連のことを当然、そのトップつまり浅井さんは知らなかったとか、そんなことを言った覚えはないとかでは済まされるものではないでしょう。それが組織のトップの立場というものではないでしょうか。むしろ一般社会の組織のほうがその点の責任の所在は、実に厳しく明確なものだと思います。
この責任の所在ということにおいては、私はこれまでこの掲示板で、日蓮正宗・法華講に対しても厳しく批判の言葉を書いてきたつもりです。ですから日蓮正宗に対する批判と同じことを、顕正会に対しても言っているわけですね。
顕正会も法華講も恐らく創価学会も、カルト性についていえば全く同じ体質のものであり、しかもトップの無責任さばかりが目につくわけです。さらにそれを正当化し温存し助長しているのが盲信の徒という構図も全く同じです。

そして、もしも顕正会も法華講と同じように一般社会を世法と蔑み、自分たちの目差す理想は別ものだという考え方であるならば、無責任な憲法改正論など掲げないでほしいものだというのが、顕正会に対する私の本音なわけです。

浅井さんが仮に善意で崇高な精神の真意で言葉を発していたとしても、それはそのまま信徒に伝わるものではないということです。そのことに対する意識が浅井さん自身にないとするならば、その時点でもはやトップの資格はないと、私はみなします。
そもそも日蓮門下が求めるのは日蓮聖人のご真意のはずで、浅井さんの真意ではないはずです。しかし、浅井さんが日蓮聖人のご真意をご存知だとするのが、顕正会なのでしょうから、すでにそこに言葉の飛躍と解釈、つまりマジックがあるわけです。

もしも自分の所属する組織のカルト性というものに、自分の社会的責任において目を向けようと思うならば、そこまで思いを巡らせてほしいと思うんですね。少なくとも私は、そこまで思いを至らせ組織を離れました。懐疑を持ち、否定していくことは、つらいことですが、広めてはならない考え方だという結論に至ったんです。それは私自身の責任においてです。この結論の責任は、他の誰でもない私自身にあると思ってます。思想を広めるということは、自分自身の責任というところが最も大事なことではないかと考えるものです。

465犀角独歩:2002/11/23(土) 08:34

> 463〜464

私はまったく賛同します。

アネモネさんは長の責任について、記されましたから、私は信徒であった自分について少しだけ書きます。

私は35年間、「日蓮正宗創価学会の言うことは絶対だ。池田先生は絶対だ」と信じて、会の言うことに全幅の信頼を置いて人々に語っていました。その後、法華講に移り、今度は「日蓮正宗の言うことは絶対だ。日顕上人は絶対だ」と信じて5年間、石山と末寺に滅私奉公をしたのです。

この「○○は絶対だ」という絶対信仰は、信者としては純粋で疑わず、ひたすらに精進する美徳と映ずるものです。けれど、実は無責任な、人任せな、あってはならない怠慢がひそんでいるのですね。何かといえば、自分が「絶対」であると語る“裏を取っていない”ということです。「絶対の組織・人が言うことであるから間違いがない」という大前提によって動いてしまっているのですね。

私は、その自分が絶対であるといってきたことの裏を取る作業を実はここ7年間やってきました。その結果、自分が絶対であると語ってしまったことが、何等証明することもできない虚偽であったことを知るに至ったわけです。この虚偽は、単に大石寺一山に留まるわけではなく、創価学会にも、顕正会にも、正信会にも相通じるものです。更に言えば日本の全仏教界にも通じるものでした。

ここに至って、私は自分が豪語してきた絶対信仰の過ちを否定せざるを得なくなったのです。それは換言すれば、ある意味の過去の自己否定です。しかし、真実に正直に生き、そして、過去の自分の重罪を償うために、この場を借りて、真実を記してきたのです。


あと、もう一つ。絶対信仰、あるいは絶対者に服従した人の心理は共通しているということです。そのとき、個人は自分自身を組織・指導者の「代理人」と見なすようになります。ですから、自分のことを語っているうちにいつの間にか組織・指導者のことを語るということが起こることになります。さらにこのときに起きるもっとも大きな心理的特徴は「無責任」ということです。それは特に言論・活動に現れるのであって、何等責任を負うことを考えなくなります。それをもっとも端的に表すのは自分が語り、人を勧誘する言論における“根拠を何も自分で調べようとせず、すべて絶対なる組織と指導者に委ねてしまう”のです。

社会心理学者・S=ミルグラム師が分析してみせた代理状態下にある無責任という特徴です。

【代理状態】「権威組織にはいった個人は、自分自身を自分の目的のために行動しているのではなく、他人の要望を実行している代理人と見なすようになる。ひとたび個人が自分の行動をこの観点から考えるようになると、彼の行動および内的機能様式に深い変化が起こる。この変化はきわめてはっきりしているので、個人は、この態度の変化によって、ヒエラルキーに組込まれる前にいた状態とは別の“状態”におかれたのだと言うことができよう。わたしはこの状態を“代理状態”(agentic state)と呼 ぶことにする。それは、個人が自分自身を他人の要望を遂行する代理人と見なしている状態である。この用語は、“自主性”、すなわち、個人が自分自身を自分の意志で行動している見なしている状態と対比して用いられるよう」(『服従の心理』(河出書房新社)P178)

【責任感の喪失】「代理状態のもっとも重大な結果は、個人が自分の指図している“権威に対して”は責任を感じるが、権威に命じられた行為の内容“については”責任を感じなくなるということである。道徳は、消滅するのではなく、根本的に違った点に集中される。従者が感じる恥や誇りは、自分が権威に求められた行為をどれほどうまくやったかということで決められる」(同P193)

さらに重要なことは、この組織・指導者(権威)に服従している個人は、カルト内では、自主的に行動していると“思わせる”ように操作されている点です。この点について、ハッサン師は

「マインドコントロールは、露骨な物理的虐待は、ほとんど、あるいはまったくともなわない。そのかわり催眠作用が、グループ・ダイナミックス(集団力学)と結合して、強力な植え込み効果をつくりだす。本人は、直接おどされるのではないが、だまされ、操作されて、決められたとおりに選択をしてしまう」(『マインド・コントロールの恐怖』P109)

と指摘しています。

458のガンコさんの発言は実は、上述の社会心理学上の分析から来る指摘とピタリと一致しています。でも、たしかに目覚めまで、もう一歩のところまで来ています。目を見開く勇気を持ってください。しかも、これはガンコさん一人に限ることではなく絶対信仰にほだされるすべての人に向けるメッセージであると考えていただきたいのです。

466ガンコ:2002/11/23(土) 10:17

アネモネさん、独歩さん

傾聴に値するなどと言ったら生意気ですが、アネモネさんのお叱りにも似たお言葉を拝見してうれしく思いました。

>自分の発した言葉が、どれだけ信徒に影響を及ぼすか、そして社会に影響を与えるかということに、その組織のトップが社会的責任という意識を持っているならば、そこを十分に思慮することは当然のことなのではないでしょうか。私はそこまでの責任をもってはじめて信頼に値する組織の長ではないかと思います。最低限。

浅井においては、当然それを計算に入れているだろうと、わたくしは思います。
笑われるのを承知で書きますが、浅井の想定するところは国会喚問であろうことです。
そのためには世論の喚起が必要です。浅井は言います、善につけ悪につけ顕正会の名前が広まることはいいことだ、と。
平成9年、50万達成を遂げて、顕正会は一国諌暁に立ちました。これは知る人も多いでしょう。
じつは5万達成の時にも諌暁をやっているのですが、古い冨士を調べましたら驚くことが書いてありました。
なんと浅井みずから国諌状を携えて首相官邸に訪れているのです。
この浅井の意気込みは今なおいささかも変わらない、とわたくしは感じているのです。
ですから、顕正会が社会問題化しているというのなら、このまま行けばかならず責任問題に発展するでしょう。そのとき浅井がどのようなふるまいをするか、一顕正会員として見届けたいと思っています。
もっとも、折伏もしないでこんなことしてたら、おん出されちゃうかもしれませんけど。

>浅井さんが仮に善意で崇高な精神の真意で言葉を発していたとしても・・・

いや、顕正会員は本当にそう思っているんです。だまされてるんですかねぇー、独歩さん?

467トゴシ:2002/11/23(土) 19:10
ガンさん
いつまで朝井さんの道化師、やっているんですか。
自分のこと、言いなさいよ。
あなた、浅井さんのなに?
奴隷?

469犀角独歩:2002/11/24(日) 01:45

ガンコさん:

騙されているんでしょう。
それと、自分の発言の根拠を調べない無責任ということでしょう。
私の書いたことをちゃんと呼んで参考にしてください。

470ガンコ:2002/11/24(日) 06:59

菊水護国さんのおっしゃる通り、なんだか飽きてきました。
わたくしの参加によって、格調の高い掲示板をおとしめてしまった感があります。
ことに、独歩さんには失礼なことばかり書き連ねてしまいました。慎んでお詫び申し上げます。

471トゴシ:2002/11/24(日) 22:32
飽きてきた!!!
あんた、自分のために人が時間を割いてものを書いてくれってこと、何だと思ってます。
信じられない人間性です。あきれたもんだね。
失礼なこと書いて詫びるって、「飽きる」っていう言い草がいちばん、失礼じゃん。
最低だよね。別にぼくが怒ることないかも知れんけど、もう信じられないよ。

472みかん:2002/11/25(月) 00:45
飽きてきたという言葉は、刺激的な発言かとは思いますが、
顕正会についてガンコさんご自身が書き込まれること自体に
飽きてきたということかもしれませんので。
お相手の発言に飽きてきたということではないと思いますが
(推測ですが)。

お互い、冷静にクールダウンして話しましょうよ。
(私も他所の掲示板では感情的に書き込むこともありましたので、
あまり説得力がないかもしれませんが。反省してます。)

473モトミナ:2002/11/25(月) 09:04
みかんさん はじめまして
ここは信徒団体のカルト性を語り合う場なので、一方的に顕正会のみを論じていても他の方から見れば、顕正会一色になる事は不満に思われるのも仕方ないと思っています。
飽きる、という表現が適切かどうかは別として、もし深く個別の団体について論じあうならそれぞれ別のスレッドを立てる方が賢明なのかもしれませんね。

475犀角独歩:2002/11/25(月) 14:01

トゴシさん:

有り難うございます。

476菊水護国:2002/11/25(月) 14:17
> 話の中で「戒壇の大御本尊様は日蓮大聖人様がお作りになった」というので、「伝説じゃ、彫ったのは日法師でしょう」というと、「いや、そんなことはない。大聖人様です」と、こうでした。
うーん。大聖人は器用なんですね(笑)。彫刻の技術もお持ちだったと。

> 「日目上人は唯授一人の血脈相承に拠らず、この世に出現され、誰が見てもすぐにこの方とわかる」
などとのたもうていましたから(爆)
その方、前世所持の血脈を持ってるって言ってませんでしたか。
今度顕正会に遭遇する事があったら、浅井さんは、「(血脈)相承は断絶したが、血脈は永遠である」と言う説を立ててますが、どういう意味なのか聞いてみてください。

477アヤエ:2002/11/25(月) 14:25
ここでの長い話し合いで、たくさんの疑問が浮かびあがりたくさんの葛藤があったと思います。
疑問を打ち消す、見ない振りをする。
顕正会に身を置く人は そういう訓練をずっとされてきたのだと思います。
ガンコさんは長い事思考停止させてきて、その機能はなかなか思うように動かないのだと思います。
だけど もう疑惑だらけになってしまった顕正会に長く身を置くことはできないでしょう。
疑問から目をそらす事に飽和状態になっているのでしょう。
「やめようと思った時にやめられるかどうか」ここが危険か危険でないかの境目らしいです。
顕正会は危険なカルト教団です、間違ってたから辞めた!と簡単じゃないのかもしれません。
HNも悪いかもしれません、名は体をあらわす というじゃありませんか。
飽和状態にある、という事はガンコさんが次のステップに上がった、という事かもしれません。
(そう信じたいです)

478犀角独歩:2002/11/25(月) 14:27

菊水護国さん:

> (血脈)相承は断絶したが、血脈は永遠である」と言う説

まあ、そんな宿題にしないで、ちょっと、この点、解説していただけませんか。
お願いします。

479モトミナ:2002/11/25(月) 14:30
独歩さん
顕正会では日法師彫刻ということで認識していると思います。
会員が大聖人作成といったのは、返答に窮して身勝手な判別で言っただけの事、フライング的な発言だと思われます。
2人来た、と仰られていますが、どの程度の人間がやってきたのか、かなり新しい入信の会員ではないでしょうか。
要するに以前より指摘している会員の低レベル化の現れ、一端でしょう。

>「日達、日顕は大聖人に背くとき、正しい信仰は浅井先生の一身に流れる」
呆れ果てて物も言えませんね。
これも教学薄弱化によってそう思い込ませてしまっている、としかいいようがありません。
非常に面白い傾向に傾いていますね、顕正会は。会の真骨頂とでもいいましょうか。
会としては表向きは”断じてそのような言い方はした事がない”と公言するでしょうが、教学の薄い会員には会の言っている言葉がどうしても、顕正会に血脈が水平移動したように移る。
インプリンティングは顕正会の最も手腕の見せ所でもありますし。

そういえば、狡猾という言葉で思い出しましたが、当時は”下らない”として私自身も取り上げもしませんでしたが、会の歌で自らの作詞作曲としている歌詞で”孤中貫く師の苦闘”というのがありましたね。
もし会長自身の作詞作曲であるなら自分自身を”孤中貫く”とか”師”なんて言葉を使っている時点で、言葉は悪いですがイッちゃってますし、会長の作詞作曲でないのなら、虚偽になりますし。
こういった端々にポロポロと出てきてしまうんでしょうね。

480犀角独歩:2002/11/25(月) 15:01

戒壇之漫荼羅の材となった楠については、少なくても石山では2説あるわけです。

一つは法師寄進説です。精師の『家中抄』日法伝に見られます。

「或る時日法御影を造り奉らんと欲す七面大明神に祈念し給ふ感応の至りか浮木出来せり、此の木を以つて戒壇院の本尊を造立し次に大聖の御影を造ること已上三躰なり」

もう一つは弥四郎国重寄進説で、量師の『大石寺明細誌』です。
この場合、弥四郎国重は波木井円師の嫡男であるといいます。

「古伝に云はく、此木甲州七面山の池上に浮び出て夜々光明を放つ、南部六郎実長の嫡男弥四郎国重之を取り上げ以て聖人に献ず等云云」

精師の言では何と七面大明神に祈念して浮かんだ木となるわけですが、これは現在の石山教学にとっては、まことに都合が悪いわけです。ですから、亨師が奇怪の書と言ったにせよ『大石寺明細誌』のほうがまだましということになります。しかし、ここでは今度は弥四郎国重が身延の波木井円師嫡男となってしまい、これまた、都合悪い。結局、これらは伝説として片付けられながら、しかし、法師彫刻説のみが残り、現在に至っているという経緯があると私は見ているわけです。

しかし、もっと、厳正を期せば、法師は春師の流れなのであって、となれば『富士一跡門徒存知事』の

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり」

に実は該当してしまいます。
結局のところ、法師彫刻説は幾重にも都合の悪いところなのでしょうが、造初御影、生御影を法師作に据える石山としては苦肉の選択と言うことになるのでしょう。

要はこれを浅井さんも踏襲しているわけですね。

まあ、以上のことは、それとして、私に議論をふっかけた会員は、どうやら随分と“青かった”というのがモトミナさんのご指摘ということになるでしょうか。

しかし、インプリンティング、フライングは、実は隠し立てする本音が出たものなのでしょうね。

それにしても「孤中貫く師の苦闘」と自らを師と呼んでしまうところにまた、浅井さんの本音もあるのでしょうか。

私が勝手に名付けた「謙遜内証告白」における日目・浅井再誕説、この点を外すと、顕正会の動向というのは分析が立たなくなるだろうというのが、私の意見です。何故、そう述べるかというと、今を時機の到来と見るとき、目師の再誕はないわけですから、このときに時を得た人と名指されるのは浅井さんしかいないからです。要は浅井さんを中心にして、顕正会理論が成り立っているとすれば、この人が特別な師であるということを無言に支持することになるわけですね。

481犀角独歩:2002/11/25(月) 15:02

480はモトミナさん宛に記したものです。失礼しました。

482モトミナ:2002/11/25(月) 16:19
まことにもって独歩さんのご指摘にはいつも驚かされます。
顕正会員はご指摘の『富士一跡門徒存知事』を聞いたら大混乱してしまうでしょうね。
ほとんどそんな事知る者はいませんから。

また目師最誕説における会員の意識もまたご指摘の通りだと思います。
本山が御遺命破壊の当事者であり、他の在家も本山に追従する中、顕正会のみがただ我が身を顧みず、大聖人に忠誠を尽くした”正しき団体”な訳ですから。
これを会長が命がけで守ったことになるわけですから、表向きは会長は”私は目師出現の露払いができればよい”と言っても、会内では実しやかに”謙遜”と受け止められているわけです。
そう言いながらも様々な場面では”大事に併せて時を感じて大事な方が出現される。それが日寛上人であり、日霑上人である。またこの広宣流布眼前の時、そして宗門濁乱の時、大事の使命を持って生まれ合わせたのが顕正会である。また広宣流布を成し遂げるのはもう顕正会しかない”と言っているわけですから、これはもうそのものズバリを指している事になりますよね。
このカラクリが会内にいて、信奉しきっていると見えてくるはずはないのです。
私もまたそうでした。

会員の何よりの悲しきはただ無智な事です。
教学研鑽は”信心は頭で理解するものではない、命で感じるもの”とし”ただ智慧の有無に頼らず顕正会で御奉公すれば大功徳が出る”という方針が彼等をこうさせてしまっているのです。
その癖”仏法に矛盾点など一つもない。その仏法を正しく実践している顕正会に矛盾点などある道理がない”と、いかにも仏法の実践は顕正会の活動が究極であるかのように言い切れてしまう会員が悲しいわけです。

483ファン:2002/11/25(月) 22:06
独歩さん
独歩さんの立場は何でしょうか?
何宗になるんですか?

484菊水護国:2002/11/25(月) 23:23
独歩さん
浅井さんの指導をそのまま転載します。
前段で「御遺命破壊」を指導した後に宗門の罰として、以下のように述べました。
「これは、どういうことんなって現れたかというと、御相承の断絶であります。細井管長は、昭和五十四年の七月二十二日、入院していた白糸の滝の側にある富士山病院で、臨終思うようにならず急死を遂げた。これも罰ですね。貫主の立場にある人が、誰も側にいない時、一人でもって急死してしまったんです。よって、御相承をすることが出来なかった。まさしく、御遺命に背いた故にですね、細井管長は、御相承を授けることが出来なくなってしまった。次の阿部管長また、御遺命違背の失によってですね、これを受けることが出来なかった。すなわち、御相承の授受っていう、授ける受ける、この両方がですね、出来なかったわけであります。まさに、七百年来、富士大石寺門流において、未だ曾て無いっていうことが起きた。
(中略)
それでは、重大なことは、これで、正系門家の血脈は断絶してしまうのか、そんなことは断じてありません。たとえ、六十六代・六十七代の間でもって、相承の授受が出来なかったとしても、どんなことが事態がおころうとも、この、大聖人・日興上人・日目上人から伝わってきた、本宗の血脈ということは、絶対に断絶しないんですね大聖人様の、万々の御配慮が在す。御相承というものは、口伝えとか、その様な一つのものではない、如何なることがあっても絶対断絶しない様に出来てんです。故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです。
況や、広宣流布の時には、既に前生、前の世に御相承を所持された、日目上人が御出現なるんでしょ。ですから、少しもその様な断絶は、心配する必要がないってことであります。但し、それ以前に、末法濁悪の徴として、この様な異常事態が正系門家に起こるんです。そして宗門が、物凄い抗争に陥って泥沼んなる。仏法の世界がそれならば、世間もまた今度は濁乱を起こして、ついには、自界叛逆から、そして他国侵逼に至るんだ、まさに広宣流布の前夜だ、私がいうのはここにあるわけなんであります。
そしてですね、この異常事態こそ、広宣流布前夜の出来事でしょ、「末法濁悪の未来にうつさん時」てことでありますから、この異常事態の中にです、広宣流布はしんしんと進むんですね。これを進めるのは、御遺命を正系門家の中で、独り命をかけて守り抜いてきた顕正会以外にはない、まさに、大聖人様が、顕正会をして、立たしめ、戦わしめ給うのであります。

485犀角独歩:2002/11/25(月) 23:32

モトミナさん:

取り敢えず、石山義に基づいて記します。
戒壇建立、この場合、勅宣・御教書ということが問題になると思うわけです。

で、目師は再誕して、一閻浮提の座主として、聖天子として再誕する興師へ再度、天奏するというのが、富士門の広宣流布のシナリオですね。

現在、顕正会は憲法改正だなんだと騒いで、いわゆる御教書について取り沙汰しているわけです。しかし、わたしはこれを甚だ“僭越”であると思うわけです。

上に記したとおり、目師が再来、天奏という儀式を受けて興師が聖天子として、勅宣を出す。それを受けて御教書が続くわけですが、政治の立場から決済をするのは誰であるのか、ここでもう一度、富士門のシナリオを考えてみます。
114に記したことですが、もう一度記します。

「広宣流布の日は上行菩薩は大賢臣となり・無辺行菩薩は大賢王と成り・浄行菩薩は大導師となり・安立行菩薩は大関白或は大国母となり、日本乃至一閻浮提の内一同に四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしめんのみ」

現代語に書き下す必要もないでしょう。また、この四菩薩につき、この前文に

「日興先をかくれば無辺行菩薩か・日朗後にひかうれば安立行菩薩か・日蓮大将ならば上行菩薩か・日目は毎度幡さしなれば浄行菩薩か」
とあります。広宣流布の時は日本国だけでなく一閻浮提一同に南無妙法蓮華経と唱えるというのです。広宣流布の暁に国立戒壇というのであれば、全世界一同に題目を唱えることが条件と言うことでしょう。さらに四菩薩の関係を整理すれば、

上行菩薩 =日蓮=大賢臣
無辺行菩薩=日興=大賢王
浄行菩薩 =日目=大導師
安立行菩薩=日朗=大関白・大国母

ここで、御教書に係る政務、大賢臣は誰人ですか。すなわち、日蓮大聖人その人であるというのです。その補佐は富士門としてはやや違和感があるかもしれませんが朗師であるとも言います。

要するに広宣流布、戒壇建立というのは弟子・檀那・信者などが云々することではなく、四菩薩が再び、この世に応誕しその一切を取り仕切ることなのです。これは上一人から下万民に流れ伝う壮大な広宣流布のドラマです。

民主主義という現代思想に慣れていると、「民衆が希求が総意になるとき、日目上人が再誕される」などという下から上への流れを考えてしまいます。しかし、これは富士義から大きく逸脱しています。
勢い、露払いだなんだと言って、勝手に人を集めて「日目上人の物真似をすること」を、私はこの富士義に立つとき、“僭越”であるというのです。

神力品の「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し 無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん」という一節を、この富士門広宣流布の有様に見ているはずです。

愚民100万が集まってとやかく言っても始まりません。
四菩薩が再度、応誕されるとき、あたかも夜明け前の漆黒の闇を一挙に晴れ渡す如く、衆生の第二位に位置する菩薩までも畢竟して一乗に住せしめてしまうというのです。

衆生を済度する四菩薩にとって、ちんけな露払い、前準備など、まったく不要の要らぬお世話に違いありません。

富士門の所伝から言えば、勅宣は興師に係り、御教書は蓮祖に係ることである、それを一介の凡夫が云々することは、僭越であるというのです。

それとも浅井さんは目師であるどころか、興師、あるいは蓮祖であるとでも言うわけでしょうか。

486犀角独歩:2002/11/25(月) 23:39

ファンさん:

はじめまして。

> 立場は何でしょうか?

質問の意味がよくわかりませんが、私は日蓮・日興は果たして何を語ったのか真実のままに見ようとする立場です。

> 何宗になるんですか?

創価学会35年、法華講に5年。今は私独歩は名で表すとおり独歩です。
いずれの集に属するものではありません。
自覚としては釈子であり、その流れを日蓮・日興に汲みます。
しかしながら、その流類を無謬と見るのではなく、その是正と将来の可能性を鑑みるものです。

487犀角独歩:2002/11/25(月) 23:44

菊水護国さん:

資料のご紹介有り難うございます。

まったくもって笑止千万の暴言。
牽強付会、御遺命曲解、謗法、ここに極まるものと拝見しました。

かつて小野寺直(自称・法皇日了)の僭称を菊水護国さんが糾弾をなした如く、日目にあらざるものが日目の真似事をするのみならず、衆目の尊敬と「先生」「師」を僭称せんが為に富士義を私する浅ましい所行であると私は読みました。

488犀角独歩:2002/11/26(火) 10:39

浅井さんの相承論というのは、ここまで、ひどいものであるとは知りませんでした。
証拠を示さず、ありもしない嘘をまことしやかに語り、会員を騙すあくどい手口。
要するに浅井さんのやり方というのは池田さんの口コミで会員を煽動し、会長本仏論、池田本仏論を浸透させていったやり方と変わるところはありません。

以下の言は特にひどい。

「本宗の血脈ということは、絶対に断絶しないんですね大聖人様の、万々の御配慮が在す。御相承というものは、口伝えとか、その様な一つのものではない、如何なることがあっても絶対断絶しない様に出来てんです。故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです」

いったい、何を根拠にこんなことを言っているのでしょうか。
そもそも宗教法人として大石寺とは別の顕正会・浅井さんがいう「本宗」とは何ものでしょうか。また、言われていることは富士教学というより、経巻相承などと類型をなす異流儀というしかありません。

顕正会は石山教学に拠っている、と私自身考えてきたのですが、ここにその考えを撤回します。

顕正会では寛師の絶対性を言うようですが、寛師には上述のような血脈断絶・蘇りなどという考えは毛筋ほどもありません。蓮興目已来、自分(寛師)を経、未来永劫に金“口”嫡々相承を言うのです。つまり、浅井教学は寛師教学とも違背する、富士から見れば謗法教学であるというのが正体です。

もっとも卑劣なこと、それは日蓮の言葉でないことを日蓮の言葉のように語ることです。そして、それが「自己の絶対性を証明する道具」とされていることです。

浅井さんの言葉はよくよく見れば、それは日蓮の絶対性を言うように見せかけながら、実は「自分こそ絶対であること」を論じるために日蓮とその権威を利用していることがわかります。これはまさに浅井氏を頂点とする浅井教に他なりません。

浅井教であれば、何の説明もなく、浅井氏が言うこと自体が絶対の権威たり得ます。
顕正会員が言う「浅井先生は絶対に正しい。浅井先生しか御書の御意がわかる人はいない」という呪文はまさにその事情を雄弁に物語るものです。

もっとも危険なこと、浅井氏が何を言っても語っても、それこそが日蓮の教え、日興の教え、日寛の教えそのものであると理解されてしまうことです。

日蓮門下教学・解釈というのは、経(法華経)釈(天台)御書(日蓮)によって徹底検証するというのが日興已来在り方です。

ところが、その根拠とする御書の解釈を発言者に委ねることは教学の自殺行為であることをロムの皆さんはしっかりと肝に銘じていただきたいと思うのです。

489問答迷人:2002/11/26(火) 10:55

菊水護国さん
独歩さん
モトミナさん

>御相承というものは、口伝えとか、その様な一つのものではない、如何なることがあっても絶対断絶しない様に出来てんです。故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです。

なるほど、これは本当に酷いものですね。僕は、顕正会は、富士門流の原理主義だと考えてきましたし、この掲示板でも、そういう意味から顕正会擁護の発言をあちらこちらでしてきましたが、全て、撤回させていただきます。不明の段、謹んでお詫び申し上げます。今後、浅井氏の発言を厳重に監視し、問題点を指摘して参ります。

490菊水護国:2002/11/26(火) 11:45
> 故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです。

どういうことになってるんだ(笑)。根拠が無いぞ(大笑)。
まあ『「顕正会の考えに反する猊下には血脈は無い」が、「顕正会の考えに従う猊下には血脈は蘇る」から、管長は顕正会に同意しなさい。』
何ていう所でしょうか(爆)。

491モトミナ:2002/11/26(火) 15:02
独歩さん 菊水護国さん 問答名人さん
全く以て仰られる通りです。
いつから顕正会はこんな無謀な独自理論を展開して、”これが本山古来の教学”となってしまったのでしょうか。
思い当たる節はいくつかあるのですが、どうも完全に逸脱し始めたのが正本堂消滅以後にそれが極端になっていったように思います。
正本堂崩壊は顕正会が主張するところの”究極の戒壇ではなかった。本門戒壇などではなかった”として撤去された事実が顕正会の絶対なることを証明したものだと会は誇示し、会員も信奉を深めるようになったようです。
そこからが会内部では凄まじい理論の数々を披露していく展開になってしまうのですが、私がついていけなくなったのも丁度その辺りでした。

今心を鎮めて思い起こせば、そういった慢心から来る理論展開をいくつもされてきたようにも思います。
かつては会長は管長代行を務めた中島氏から”秘中の秘を明かされた”と言い、能化であった妙縁寺住職から仔細を話され、結論として”冨士の奥義は会長しか知らない”というような事を吹き込まれていました。
そういった事を含めて、正本堂のあの事態を会員として目の当たりにした当時は、さすがに”顕正会こそ、会長こそ”とも思ったものでした。
しかし、それ以降急激に変貌する教学論に次第に疑問が沸いては自分で押し込め、多くの会員と同じように”深い教義は凡夫の自分に理解などできるわけがない”と片付けてきてしまったわけです。
結局は顕正会は自らが言い放った事柄が事実になった時、それまでひたすら隠していた毒牙をついに顕した、という事なのでしょう。
読み返していて呆れ果ててしまいました。

菊水護国さんが仰られるままの感想を私も持ちました。
>> 故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです。

血脈の消滅、そして復活。
それを補佐して御書を引くのかと思えば、”そういうことになってんです”。
どういうことになっとるんじゃい!と誰もが聞き返したくなりますよね。(爆)
この言葉、私は生(ライブ)で聞いてしまった生き証人なんですね。ハハハ。

492犀角独歩:2002/11/27(水) 00:20

モトミナさん:

> 中島氏から”秘中の秘を明かされた”と言い、能化であった妙縁寺住職から仔細を話され、結論として”冨士の奥義は会長しか知らない”

これって、変ですよね。
だって、中島氏、妙縁寺住職から聞いたわけですから、少なくともこの2人は知っているのに、「会長しか知らない」というのは(笑)

それにしても、「日蓮大聖人のいうとおり唯一実践する団体、先生」というのは、私はものすごい傲慢だと思うわけです。

血涙を流し、肉を裂いて、骨を筆とし、血を墨とし、皮を紙として、日蓮の教えを実践しようとも、万分が一も及ばないと自省するのが弟子・檀那というものです。

「自分は日蓮大聖人のいうとおり実践している」、こんな戯言を吐く人間を増上漫というのですよね。

私は浅井氏を三類の敵人の「俗衆増上漫」であると思うわけです。

二十行の偈に言う、比丘にもあらざるに「未得謂為得 我慢心充満(未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん)」とは、まさに浅井氏を指す経文であると私は思うわけです。

493モトミナ:2002/11/27(水) 17:57
独歩さん
>「自分は日蓮大聖人のいうとおり実践している」、こんな戯言を吐く人間を増上漫というのですよね。
顕正会員はこの文を見たら、”そんな事はない”と言い切るでしょうから、きちんとした表現で言い代えさせて下さい。
「浅井先生は日蓮大聖人の仰せのままを実践している無二の師匠である」と。そしてまた
「その浅井先生の指さされるまま信心していくなら、これは即ち大聖人の仰せのままの信心である」と。
総幹部会などではいくらでも聞ける会員の発言ですが、問題なのはこれを本人ではなく会員に思い込ませて平然としている、という事でしょうね。
上辺では”私は広宣流布の時、正しき貫主がおでましの時、末座で立ち合わせて頂ければそれでいい”と謙遜しているのですが、本当の謙遜というのは違うはずです。
少なくとも会長出席の総幹部会等で目の前で”先生の驥尾に付し”とか”先生の戦いの一翼を担う事こそ我が本望”などと会員が言っている事を知っているわけですから、これを目の前で打ち消してこそ”謙遜”になるはずです。
会長絶対を大声で叫ばせて煽動している事態、これどこに謙遜などあるのでしょうか。

494モトミナ:2002/11/27(水) 17:59
補足させて下さい。
要するに自分では言っていないが、会員に言わせしめている、という事が現在の顕正会であるということです。

495トゴシ:2002/11/27(水) 19:59
>”先生の驥尾に付し”とか”先生の戦いの一翼を担う事こそ我が本望”

結局、「先生」「先生」なんですよね。うん。

496犀角独歩:2002/11/27(水) 22:57

モトミナさん:

記述を正確に期していただき、有り難うございました。

497菊水護国:2002/11/27(水) 23:23
もう一つ付け加えますと、顕正会では会員が登壇して「浅井先生の大信力に護られ・・・」と言いますが、この言葉に疑問を呈する者はいないのでしょうか。
「大聖人様の佛力・法力に護られ・・・」なら分かりますが、何故「浅井先生の大信力に護られ」るのでしょうか。こんな言葉を会員に吐かせて平然としているとは大した方ですよ。

498犀角独歩:2002/11/27(水) 23:41

うーん、こんだけの浅井分析、ちょいと特筆ものですよね。
まあ、私は浅石の声と喋り方は気持ちが悪い(管理者からのお願いに引っかかりそうですが)から、単に始まったのですが、しかし、実のない、自画自賛は、聞いて腹が立つ、でも、尊敬している人は「あばたもえくぼ」は、どこも同じなのでしょうね。

499犀角独歩:2002/11/27(水) 23:42

すみません。打ち間違いです。「浅石」は「浅井氏」です、もちろん。

500ガンコ:2002/11/28(木) 13:25
 浅井昭衛物語(ガンコ編)

・昭和32年 妙信講発足
・   33年 日淳上人より直々に認証を賜る。
・       妙縁寺住職 松本日仁尊能化 妙信講指導教師となる。
・   37年 法華講連合会結成
・       連合会と妙信講の間に種々のトラブル出来す。
・   39年 松本御住職 指導教師を辞すむね妙信講代表に伝え、本山に辞表を提出す。
・   40年 妙信講 正本堂の御供養に参加 ところが御供養金を浅井が着服したかの誤解出来す。
・       連合会との確執いっそう激化 御登山も認められず、これより奉安殿前での遥拝が始まる。
・   44年 5年振りの御登山叶うも御本尊紛失事件の嫌疑をかけられる等、忌まわしきこと多し。
・       御遺命守護を決意す。
・   45年 「正本堂に就き宗務御当局を糺し訴う」をもって宗門諌暁開始
・   49年 妙信講に解散処分下る。
・       首脳幹部 信徒除名に処せらる。
・       松本尊能化 住職罷免 宗門追放に処せらる。
        
      ・・・これより3年後、松本御能化逝去
      ・・・10年後、妙信講初代講頭 浅井甚兵衛逝去
      ・・・浅井昭衛 いまだ宗門復帰のめど立たず

上記は顕正会の資料から、わたくしが思うままにピックアップした、いわば恣意的なものです。
なにに主眼を置いているか、飾って言うならば「悲劇のヒーロー物語」です。
今の新進の幹部はいざ知らず、ベテラン幹部は皆「御遺命守護の戦い」「試練と忍従の歴史」の2冊を熟読し、育っていったのです。
もちろん感じ方は人それぞれでしょう。
おそらく初めてお読みになった方の中には、なんだ浅井というのは元からトラブルメーカーだったんだ、とお感じの方もおいででしょう。それを承知で書いたのです。

501菊水護国:2002/11/28(木) 13:38
ガンコさん。
> これより奉安殿前での遥拝が始まる。
この事について、顕正会では「毎年12月28日に浅井先生が石畳の上での遥拝勤行」と言われてますよね。
これは少し脚色があります。
本当は「大石寺の外にパイプ椅子を置いて、幹部とともにマッハスピード勤行(全部で5分位)を行って、即時撤収します。」
ちなみにその場所ですが、本山近くの土地を浅井名義で持ってます(数坪ですが)。そこに昔は「御遺命守護の看板」を建ててたんですが、その土地です。

502菊水護国:2002/11/28(木) 13:43
ガンコさん。
ところで、妙信講の悲劇は本当です。
創価学会には舐められる。
親父は連合会にいじめられる。
まあ、子供がグレるような動機で浅井さんは可笑しくなっていたんですよ。

503犀角独歩:2002/11/28(木) 14:22

ところで浅井氏を筆頭に、この一族って、何で飯を食っているのですか。
これだけの仏法の正義を言うわけですから、まさか顕正会で飯を食っているわけじゃないでしょうね。
この一族の職業ってなんですか。

504モトミナ:2002/11/28(木) 15:05
独歩さん
浅井甚兵衛氏の代より印刷業にて生計を立てていましたが、現在はご奉公に専念という事で、顕正会の収入しかないはずです。
甚兵衛氏系統(浅井会長の兄弟等)に関しては、どこどこに在住している、どうなったこうなった、というのは知っていますが、何で生計を立てているのかは知りません。
浅井会長の直系は皆さん顕正会の主任理事や理事といった顕正会の職員として生計を立てています。
つまり、言い方を変えると”顕正会は飯の種”という事になります。
大宮に転居してかなりの豪邸に住み替えたのですが、貧乏暇なしで御奉公している末端会員には辛い話でしょう。
本部移動で即座に新居を構えられる優雅さ。
そういえば主任理事も結婚後に旧本部(常盤台公園隣接)が建設された後、さらに前の旧本部(浅井会長宅隣)を更地にした後、新居を構えていたはず。
何度もホイホイと自宅を立てられる理由はただ一つ、といったところでしょう。

菊水護国さん
これは私は知りませんでした。マッハスピードというのも笑えました。

505犀角独歩:2002/11/28(木) 15:28

モトミナさん:

早速のご回答、有り難うございます。
やはり、宗教法人という名の株式会社でしたか。
会長は文字通りの会社企業の会長ですね。
顕正会の教義は、収入を得るための道具であったわけですね。
しかし、「ご奉公」とは便利な言葉ですね(笑)
法華講でも使います。

何度も挙げたのですが、私は『四菩薩造立抄』の以下の一節に、いつも聖人の実像を見るのです。それに比し「会長先生」とか言われる族長は、どいつも俗物の極み、“食法餓鬼”の誡めに当たる罰当たりな連中であると思うわけです。

「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり」

いつから、仏教は飯の種、名誉賞賛の道具とされるようになったのでしょうか。
池田さんと正本堂、非難された致し方ないものですが、それと浅井さんの国立戒壇、大した差を私は感じないのです。

これまた、以前、挙げた文章ですが、『宗教の自殺』という本に、以下のような一節があります。顕正会・浅井さん、「お前もか」と思いながら、読み直したものでした。

「既成の宗教によって点火されなかった宗教心に新興宗教が火を着け、人々を巨大な信仰集団の徒にしたことは新興宗教の功績であり、それ以外に救われる術がなかった人々をして、心の安定を得させたことは高く評価されるべきであろう。
 しかしながら、私にはこの新興宗教がたちまちに金集めの組識に変化することに深い憂慮をおぼえるのである。新興宗教がある程度大きくなると、必ずその教祖を絶対者として、神あるいは仏の再来としてあがむ。そして教祖をピラミッドの頂点とする教団を拡張することが最大の善と考え、そのために猛烈な金集めが行われる。そのことが私は、大きな疑問なのである。……
 宗教の教祖というものは、多かれ少なかれ詐欺師の能力を持っているといえる。詐欺師はというのはいささかいい過ぎであるが、あるいは役者の才能といってもよいかもしれない。つまり、ひょっとしたら間違っているかもしれない自分の教説を百パーセント真実であると思わせる才能である。そのためには自分自身が自分の教義を百パーセント信じなければならないが、このような才能を持たない人々は、決して多くの人に影響を与える宗教家になれない。
 しかし、真の宗教家は自分の詐欺師的な才能に十分警戒している…」(PHP研究所・P210)

506犀角独歩:2002/11/28(木) 15:38

「100万人達成、一国諌暁」というキャッチ・フレーズが、人集め、出版収入という現段階から、次のステップ、本格的な集金体制へのスライドを意味することになるのだろうと私は予測しています。

507菊水護国:2002/11/28(木) 15:45
モトミナさん
仰る通りですが、優雅といっても田舎の成金親父程度ですよ。
大宮市盆栽町の300坪程度の家で喜んでるなんて、学会から見れば小さい小さい。
やっぱり本部移転は都落ちだったのは事実でしょう。

また何故大宮の本部に移転したかについて書ける範囲で情報開示します。
平成9年頃から、浅井さんは右翼結社○○社から脅迫されてました。ネタは控えさせて頂きますが・・・。
そして脅しに屈した浅井さんは、大宮の菱屋会館の空家を莫大な金額で賃借させれれる事になりました。
これが青年会館です。さて、そこに青年会館を置くに際して工事準備を行っていたとき、哀れになったその結社から、安い費用で本部土地の斡旋がありました。
その結果、現在の本部会館があります。

ところがこれにも裏がありまして、その右翼結社はそこに支部会館を置くつもりで、土地を別人名義で購入してあったのですが、資金繰りに失敗したので、会館建設を中止し、甘言で顕正会に土地を売りつけたのが本当です。結構哀れですがね。

508犀角独歩:2002/11/28(木) 16:28

> 507

この話、菊水護国さんが書かれるだけに現実味があって、面白いですね。
賭けない範囲はお会いしたときにお聞かせ願いたいと。

509モトミナ:2002/11/28(木) 16:58
菊水護国さん
>仰る通りですが、優雅といっても田舎の成金親父程度ですよ。
(爆)それでも身も財も削って御奉公(?)している会員にとっては、夢のようなことなんです。
私自身が最先端にいたのでよく分かりますが、末端の真剣な会員の暮らしはかなり酷いものです。
それだけ傾倒しているということなのですが、時間も金も余裕ができるべき立場になれる20代30代でもジリ貧生活なわけです。
詳しくは別途にでも実態を掲載させて頂こうとは思いますが、その会員の真心であっという間に建ててしまえる神経が理解できないわけです。

右翼結社の話は軽く知っていました。
やっぱりそうだったか、という感じでしかないのですが、それでも移動に関してあれだけ理由を付けて会員を説得している姿はそれはそれで哀れなものですね。

510菊水護国:2002/11/28(木) 17:06
しかし「東京直下大地震を避けるために」同じ関東圏内に引っ越すのは意味無いぞ。
東京直下大地震が来たら大宮だって、十分圏内だよ。

511菊水護国:2002/11/28(木) 20:28
>(爆)それでも身も財も削って御奉公(?)している会員にとっては、夢のようなことなんです。
私自身が最先端にいたのでよく分かりますが、末端の真剣な会員の暮らしはかなり酷いものです。

私は末端班長の頃から、金銭的な貧窮はしなかったから分からないのですが、貧窮してた子には結構恵んであげてたもんね。
そういえば、年金も保険も入ってない若者がいて、本当はいけないんですが、医者に行くとき健康保険証貸してあげたこともあったな(笑)。

512トゴシ:2002/11/28(木) 21:58
>「東京直下大地震を避けるために」同じ関東圏内に引っ越すのは意味無い

だって、もうすぐ広宣流布するから日本は自然災害なんか起きなくなるんじゃないの?
法華経の行者は守られるんだから、何が起きても、どこにいても平気なんじゃないの?
変なの。

513犀角独歩:2002/11/29(金) 12:02

そう言えば池田さんも「法華経の行者には守護がある」とか何とか言ってるのに、自分や、自分の家を特別警護させたりしていますよね。

仏教を信じるのであれば、自分の警護なんかさせなければいいわけですよ。
ま、こんなところに真実というのが見えるわけです。

広宣流布が来れば、天災も起こらないようなことを言っているのに、地震を心配して会館の場所を決めているわけですか(笑)こういうところを見て、わたしも「やっぱりな」と思うわけです。

これは石山でもそうですよ。「大聖人は生涯、質素な薄墨衣であったから、その衣を着る」みたいなことを言って、実のところは色ばかりは薄墨でも高価な衣なんですよね、織り紋まで入った。

「日蓮大聖人の精神でやっている」なんて、どんなにやり尽くそうがおこがましくて言えるセリフではないのに、たやすくこういうことを言う人間が、結局、尊敬を集めるわけです。集まる人間に見る目がないのか、仏教がわかっていないのか、まあ、両方なのでしょうね。

514モトミナ:2002/11/29(金) 12:25
トゴシさん
いや、顕正会の考えている広宣流布までの道筋としては以下のようになっています。
顕正会の大弘通->三類の強敵の出来->大地動乱->自他の二難出来->民衆の改悔->広宣流布達成
簡単に言うと、現在、最終段階といっているのは、顕正会の大弘通が開始された事によって次々に事相となる、といっている段階です。
つまり大地動乱(大地震)は近く発生するということなわけです。

独歩さん
>仏教を信じるのであれば、自分の警護なんかさせなければいいわけですよ。

そうですね。でもそうゆう会員をいいくるめる方法として必ず顕正会で用いる話があります。
目師は東北弘通の際等、帯刀されていたという事です。
あと日興上人の文言など。
法の為には外敵から身を護る術もまた必要だというのが顕正会の理由です。

515モトミナ:2002/11/29(金) 12:35
ようするに仏法の行者でも油断があれば魔に付け入れられる。
用心堅固がなければだめだ、ということなわけです。

516菊水護国:2002/11/29(金) 13:33
今、顕正会の警護は「衛護隊」って言うんですが、昔は「整理部」だったんですよね。
衛護隊は24時間浅井邸を警護してるんですよね。
会員使えば無料ですもんね。多分警備会社頼むと結構高いよ(爆)。

さて、旧浅井家の時はこんな24時間体制の警護なんて無かったんですよ。それが今や24時間私邸警護だもんね。
私は「整理部」〜「衛護隊」に名称変更した時、及び埼玉に移ったときに変貌があったように思います。

ちなみに「衛護隊」は「諸天昼夜常に衛護す」から取ったんだろうが「昭衛、克衛、城衛を護る」と言う意味だと言う説もあります(笑)。

517モトミナ:2002/11/29(金) 14:18
旧浅井宅には衛護はありませんでしたね、確かに。
しかし、考えてみると宗教団体というのは本当に金がかからないものですよね。
顕正会しか詳しくないので例にとらせて頂きますが、本部職員はまずびっくりするような賃金労働ですからね。
労働時間もかなり厳しく朝6時頃から夜遅くまでなんてことはざらで、休日はあるものの会の折伏で動きまわっているわけですから。
衛護隊も賃金ゼロ、つまり無報酬で数時間から十数時間も労働させられるわけです。
せいぜい顕正会で作った弁当が配られる程度です。
また会合でも衛護隊は活躍する場が与えられ、会員の動員処理や会長の警護など、セキュリティ面での出費が会としては全く無いわけです。
地方会館などを例にしてみると会館に割り当てた本部職員が2人程度、後の衛護隊や会館清掃者や受付などは無賃金なわけです。
しかも出仕させる理由は”仏法守護”という名目なわけですから率先してくる者は無論、顕正会で少なくとも信心している者は、そう言われたら出ないわけにもいかないんです。
通常一般の会社は人件費がとにかくかかってしまうわけでして、その点税金面でも多くのメリットがある宗教法人に加え、その他の労働者が自主的(?)に無賃金で働いてくれるわけです。
いろんな宗教法人が存在するのもいたしかたなし、といったところですね。

518モトミナ:2002/11/29(金) 14:20
訂正
>本部職員はまずびっくりするような賃金労働ですからね。

本部職員はまずびっくりするような低賃金労働ですからね。本部会長直系の人は抜いて。

519菊水護国:2002/11/29(金) 15:00
平成5年頃、富士の発送手伝ったとき「浅井先生のお気持ち」と言う寸志を頂きました。
封筒の中に1000円でした。

520トゴシ:2002/11/29(金) 19:08
モトミナさん
でも、大地震が起きたってなにしたって、顕彰会・浅井さんだけは大丈夫って教えじゃないの?
それとも、やっぱ、会館は建物だからだーめってこと(大笑)

521トゴシ:2002/11/29(金) 20:17
しかし、ただで会員使って、自分と、自分の家と家族を警備させるなんて、ほんとにいやなヤツ。
なんで、そんなことにモトミナさんはかばいたてるだろか。

522モトミナ:2002/11/30(土) 18:06
トゴシさん
かばい立てはしてませんよ(笑)
ただ会員に会って突っ込む際に、会員側の認識レベルをしって頂きたく会員側はどう思っているか、というスタンスで書いているわけです。
私自身の中では顕正会は完全にカルト化していると思っています。

523トゴシ:2002/11/30(土) 22:57
モトミナさん
そういうこと。では、「顕正会員は」って、主語をお忘れなく。
ロムの人も誤解すると思うな。

524みかん:2002/11/30(土) 23:09
>>152 >>158 >>160
sunyaさん、顕正居士さん、こんばんは。

ウェーバー学にもルター学にも新約学にも門外漢なので、アレですが。
当該書籍(『マックス・ヴェーバーの犯罪―『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』)も読んでませんし。そもそもドイツ語できませんし。
ワイマール版というのは、ワイマール版ルター全集所収のルター訳新約聖書のことだと思われます。
http://www.kyobunkwan.co.jp/FBooks/weimar.htm

ベン・シラの知恵の書というのは、わたくしは知らないのですが、シラ書(集会の書)のことでしょうか?
シラ書はアポクリファ(外典・続編)なので、プロテスタントは使用しないのではないかと思うのですが詳しいことは知りません。
それにシラ書は旧約(ヘブライ語)なので新約であるクレーシス(ギリシア語)とは関係ないのではないかと愚考します。

以下は田川建三の『書物としての新約聖書』(1997 勁草書房)からの知見。518-522頁参照。
ルター訳新約聖書といっても、ルターの生前になんども改定されいくつものバリアントがあるそうです。また没後も20世紀に至るまで改定されているそうです。なので、どのバージョンをさしているのか気になります。ウェーバーが所持していたのがどのバージョンか、羽入辰郎氏は全てのバリアントをチェックしたのか、当該書籍を読まないとなんともいえませんが。
書誌学についての書籍なので、当然チェックしていると思いますが。
ふつうルター訳の定本は1545年版だそうです。最終版は1546年。最初の版は1522年(Septembertestament)。

525顕正居士:2002/12/01(日) 20:14
みかんさん。

Webで検べた範囲のことを"166"に書きました。

ルターが職業の意味でBerufと訳したのは『ベン・シラの智慧の書』(『集会の
書』とも訳す)の2箇所だそうで、Luthers Bibelにはありません。旧約外典は
ユダヤ教徒の聖書からははやくにはずされ、『シラ書』の原文はありません(
20世紀に断簡が発見された)から、『七十人訳聖書』から重訳したものです。

526モトミナ:2002/12/03(火) 13:59
ふとした事なので唐突ですみません。
顕正会の会則を読んでいくうちに、前の会則を思い出しました。
第十五条 本会は、日蓮正宗に国立戒壇の正義が蘇り本門戒壇の大御本尊に対し奉る不敬が解消されたときには、時の富士大石寺法主上人に、昭和四九年八月一二日付を以て本会(当時法華講支部妙信講)に下された不当なる解散処分の撤回を申し出るものとする。
として平成6年3月31日付で会則が設けられていましたが、現在は改定されて上記の文はなくなってしまいましたね。
顕正会としては当時、本門戒壇本尊の不敬(正本堂遷座)が改められるという事は即ち、正しい法主が出てきて忽ちのうちに之の義を砕き、日蓮正宗として国立戒壇を掲げるという姿になると思っていたようですね。
実際に私もそう思っていました。
しかし現実には正本堂から戒壇大本尊は移されたものの、国立戒壇を宣揚するわけでもなく、ましてや阿部上人がそのまま法主だったわけですから、これは顕正会としては会則を変更せざるを得なかったのでしょう。
それゆえに”御遺命守護完結式”なる本部式典に出席した時は、今までの顕正会員の想像していた”御遺命守護完結=宗門復帰”とは全くかけ離れたものになってしまった事に驚いたものです。
現在の会則はまた国立戒壇を謳っているものの、内容に若干の差があるわけです。
なんだか都合良く変更されていくわけですね。

527ガンコ:2002/12/03(火) 14:56
>それゆえに”御遺命守護完結式”なる本部式典に出席した時は、今までの顕正会員の想像していた”御遺命守護完結=宗門復帰”とは全くかけ離れたものになってしまった事に驚いたものです。

もじどおり「不思議の還御」だったのですから、先生だって驚かれたでしょう。平成6年には想定し得ぬ展開だったろうと思います。
だからといって先生の大御本尊様に対し奉る恋慕渇仰はいささかも変わらない、宗門復帰を願われていることは間違いないと思っています。
現状としては解散処分の撤回を申し出る時機ではないのですから致し方のない面があります。
いずれにしても平成2年の諌暁書で要求したことが通ったのですから、わたくしも驚いたものでした。

ちなみに先般の総幹部会で先生は、平成2年の諌暁書を学ぶよう、全幹部に指示されました。

528モトミナ:2002/12/03(火) 15:31
ガンコさん
さてそこ何ですね、問題点は。
会員心理は常に顕正会に対して肯定的であるわけですから、振り返って思考するという事が往々にして欠如してしまいがちです。
そもそも「御遺命守護」という言葉は顕正会は何を指して叫んできたのでしょうか?
文字通り顕正会の言う「御遺命」とは国立戒壇そのものズバリを指しているわけですよね?
それが正本堂以降の経緯の原点だともいえるわけです。
それ故に顕正会は「御遺命違背」といえば”国立戒壇放棄”となったわけですし、「御遺命守護」といえば”国立戒壇の正義”を指したわけです。
そこで私が甚だ疑問に感じたのが、「御遺命守護完結式」なわけです。
式典に出席した当時、帰り道で気心を知れる後輩に対してすら「あれで完結になっちゃうんだ?」と話して困惑したものです。
ガンコさん、よく思い出して下さい。
私が言いたいのは”正本堂から戒壇の大御本尊が御遺命守護完結に当たるのか?”という事です。
あくまでも事実は顕正会のいうところの”正本堂から不思議の還御された”だけの事であって、御遺命守護=国立戒壇の正義 は完結していないはずです。
御遺命守護完結とは、当時の顕正会員の認識からすれば、「正本堂から戒壇の大御本尊が清浄の御宝蔵へ戻られ、宗門に国立戒壇の義が戻る」ことを指すわけです。
いや、当時の顕正会員の認識ではありません。
顕正会自体が御遺命守護完結を上記と定めていたところなわけです。
それが”正本堂から不思議の還御”となっただけで、国立戒壇の御遺命は何ら宗門には蘇らないうちに、”守護完結”とは一体どうゆうことなのか?と疑問視するわけです。
実際、観念文より四座の広宣流布祈念から”御遺命守護完結”の文字は抹消されてしまったわけですから。
観念文はまたそれで飛び火してしまいそうな論題なのですが、とりあえず今は、あの完結式を私は御遺命守護完結の詐称と判じる以外にはできません。

529モトミナ:2002/12/03(火) 15:34
訂正です
×私が言いたいのは”正本堂から戒壇の大御本尊が御遺命守護完結に当たるのか?”という事です。
○私が言いたいのは”正本堂から戒壇の大御本尊が御宝蔵に戻る事だけで御遺命守護完結に当たるのか?”という事です。

530犀角独歩:2002/12/03(火) 15:57

モトミナさん:

私は、あまり聞き慣れない言葉なので、お聞きしますが、「正本堂から不思議の還御」というのは正本堂から仮奉安殿に戻ったことを言うわけでしょうね。

ここで「不思議」という言葉が使われていますが、ぜんぜん不思議でもなんでもありませんよ。私は正本堂の解体については平成改元前後の早い時期に風聞していました。要するに大前机の池田さんをモデルにした裸像に向かって拝む形となっているのが不愉快だというところから始まっているのです。

学会の破門が決まったころには正本堂解体は当然の目標になっていました。しかし、勘違いしてほしくないのは、この決定は、顕正会とは何の関係もない、宗創不和の当然の帰結であったということです。もう一つは正本堂の高さ66mは達師の66世を表していましたから、それを67m、すなわち顕師の67世に変える目論見があったわけです。

当時、宗門内で、その時期を論議される中で言われていたことは「正本堂はいつ壊してもいいんだけれど、顕正会に勝利宣言なんかされたら不愉快だ」ということでした。

あと、もう一点、「還御」というのは文字通り、還るということなのでしょうが、新奉安殿は正本堂を壊して同じ場所に建ち、そこに同じように安置され、同じように参拝が繰り返されているのです。外から見ていると何か大きな変化があったように見えているのかもしれませんが、何も変わっていません。変わったのは創価学会・池田寄進であった建物ではなくなった、ただその一点だけです。

要するにこんなことで、なんで顕正会と浅井さんはお祭り騒ぎができるわけなんでしょうかね。

531モトミナ:2002/12/03(火) 16:23
独歩さん
全くその通りです。
しかし面白いものでして、顕正会員として活動していた当時は「不思議の還御」(不浄の正本堂からの戒壇の大御本尊の御生還)を驚いていたわけです。
本当に「顕正会の言うとおりになった」と思い込んでもおりましたし、だからこそ「顕正会しかもう広宣流布を成せる団体はない」と本気で気持ちを固めてしまいました。
しかし、一旦離れてしまうと何と馬鹿馬鹿しいカラクリでしょうか。まさに独歩さんが仰る通りのままでした。

先にも申し上げましたが、「顕正会は凄い、絶対だ」と言い切る前に会員の方は考えてみて欲しいのですが、顕正会としては話が前後しているわけです。
つまり、宗門の国立戒壇論復活がありて後、戒壇の大御本尊の御宝蔵遷座、という順序があったわけです。
だからこそ私は国立戒壇の義も宗門に復活していないのに、「御遺命守護完結」とは的外れではないのか?と思ったわけです。
ところがガンコさんのように”正本堂より御宝蔵へ遷座”という事が前面に押し出されて、あたかも顕正会はこの一事だけを見つめていたように宣言され、それを会員は間に受けてしまうわけです。
今の私にしてみれば、カラクリを紐解いてしまえば、事前にこんな事程度は察知できてしまっただけの事、としか捉えられませんが。

で、独歩さんの話を聞いて顕正会員はどう受け止めるのかというと、顕正会では”戒壇の大御本尊=日蓮大聖人”となっているわけですから、あれこれ言われても動じないんですよね。
「人法体一」からこうゆう考え方が固定観念化されているわけですが、顕正会は戒壇の大御本尊を即日蓮大聖人と拝み参らせているということは、学会の破門や宗門内部での正本堂解体などは全て日蓮大聖人が”もう、ここには居られたくない”と考えたから、そう動かされていった、と考えているわけです。
つまり、御在世の蒙古襲来によせて蒙古帝国の王に諸天其の身が入り、謗法の日本を攻めさしめた、の如く、諸天が宗門・学会のトップの身に入り自界叛逆せしめた、と受け止めているわけです。
そしてそれを唯一人孤中貫かれた会長先生だけが、大聖人の御意を聞き奉り、大弘通を以て正本堂の誑惑(たぶらかし、まどわす)を崩壊せしめた、という筋書きになっているわけです。

532犀角独歩:2002/12/03(火) 16:31

531 モトミナさん:

なるほど。今回の解説は実に興味深く拝見しました。

> 戒壇の大御本尊を即日蓮大聖人…正本堂解体などは全て日蓮大聖人が”もう、ここには居られたくない”と考えた

面白いですね、こうきますか(笑)
となると、今は新奉安殿に安置されているのも「日蓮大聖人が、ここにおる」と、こう考えるから、つまり、顕師は御意のままに新しい建物を建てて、遷したと、こうなってしまうわけですが、ここのところは言われないのでしょうね(爆)

ところで「正本堂より御宝蔵へ遷座」というのは何のことでしょうか。
確か正本堂から元の奉安殿に遷したのであって、御宝蔵へは一度たりとも戻っていないはずですが。

533モトミナ:2002/12/03(火) 16:42
追記させて下さい。
独歩さんが言われる
>新奉安殿は正本堂を壊して同じ場所に建ち、そこに同じように安置され、同じように参拝が繰り返されているのです。
と仰られている点は重要だと思います。
なぜなら>531で言ったとおり、顕正会は国立戒壇の正義が宗門に戻ってこそ、正本堂から御宝蔵への御遷座、というのが条件であったわけですから、何も変わってない、ということになってしまうわけです。
つまり顕正会では正本堂さけ崩壊すれば”事(御遺命守護)は完結した、後は広宣流布(国立戒壇)だけだ”と思っているのですが、私が顕正会の御遺命守護完結は間違いだと何度も言っているのは、まさしくここを指しているわけです。
未だ国立戒壇を主張しない法主が中心となって建てた新奉安殿もまた、顕正会側の意味あいからすれば正本堂と何も違いはないはずなのです。
顕正会的な表現で指摘させて頂くなら、次のような事になってしまいます。
・国立戒壇を放棄し、顕正会を破門し、相承の授受が断絶してしまった法主が建立した「正本堂」
・国立戒壇の正義を護持せず、顕正会の破門も解かない、相承の授受が断絶してしまった法主が建立した「新奉安殿」
何が違うでしょうか?共に国立戒壇の正義を貫いていない。
にも関わらず正本堂は駄目だが、新奉安殿なら良い、というのであれば、その差は創価学会が絡んでいたか、いなかったか、という違いだけではないでしょうか。

ここがペテンだ、と思うのです。会員はその場の雰囲気に酔いしれ、顕正会こそは、と思っているかもしれませんが、顕正会会長は「もう宗門もあてにしない、顕正会が大聖人の御遺命をただ成就する」とまで言い放っているわけですから、現在の宗門が腐敗堕落していると顕正会では認識しているはず。
それでもその腐敗堕落の宗門が建立した新奉安殿は良い、というのが会員は理解できていないわけです。

534菊水護国:2002/12/03(火) 16:44
実は「正本堂解体」と「奉安堂建設」は同時計画だったんですが「還御を寿ぎ奉る記念大会」を行うまでは、後者の「奉安堂建設」は会員には隠していました。
ですから、一部を除いて(私は知ってましたが)、奉安堂建設計画は伏せられておりました。
顕正会のほとんどが「免震構造の新奉安殿建設」を行い、そこに還御したと思い込んでいましたから。
そしてしばらくたってから「奉安堂建設計画」を発表し、それを攻撃しだしました。
つまらんカラクリなんですがね。

ちなみに独歩さんへ
顕正会員の若い層のほとんどは、「奉安殿」と「御宝蔵」が同義語だと思っております。肉眼で見てない哀れさを感じますが・・・。

535犀角独歩:2002/12/03(火) 16:47


そうそう、あと、一点、モトミナさんに。

「不浄の正本堂」と、こうあるわけですが、これはつまり、正本堂にはキリスト教の司祭が来たり、また、遺命違反に意義によったなどということになるから、そういう言い方になるのでしょうね。

ところで、顕正会では戒壇之漫荼羅の修繕、いわゆるお色直しは、どうとらえるのですか。

奉安殿から遷そうとしたところ、腐朽が進んでいたので、赤沢長陽に、さらにその下請け、A、さらに下請けへと、修理に回ったわけです。聖教新聞社のH氏が詳細な写真も撮りました。これらの事実は顕正会的な発想からすれば、まさに謗法に当たると判断されるのではないのかと私は思うのですが、浅井さんやその他はこの件に関しては、どんな見解を示しているわけですか。

536モトミナ:2002/12/03(火) 16:47
独歩さん
私は悲しいかな、顕正会教学が基礎になっているので、表現が不適切でした。
御宝蔵とは元の奉安殿を指して下さって結構です。

537犀角独歩:2002/12/03(火) 16:50

533 モトミナさん:

そうそう。そういうことですよ。まさにそのとおり。

534 菊水護国さん:

> 顕正会員の若い層のほとんどは、「奉安殿」と「御宝蔵」が同義語だと

ああ、そういうことですか。
でしょうね。

538モトミナ:2002/12/03(火) 16:53
菊水護国さん
それは・・・言わないで下さい。若年にして顕正会に縁して、本山へ一度たりとも出向いたことのない悲しさです。
顕正会では「御遺命守護の戦い」という本が出版されていて、その中で「御宝蔵」「奉安殿」という学会、顕正会との定義解釈の云々があるのですが、それを基にして発言しました。
情報ソースが少なすぎますね。お恥ずかしい。

独歩さん
>戒壇之漫荼羅の修繕、いわゆるお色直しは、どうとらえるのですか。

顕正会では一切指導されていないはずです。
そんな事を顕正会員が聞いたら、驚くはずですね。

539菊水護国:2002/12/03(火) 16:57
そもそも、顕正会は戒壇の御本尊が板だということまでは知ってても、それが彫ってあり、金が塗り込んであるまでは知りません。
ほとんどが、板に筆で書いてあると思ってます。
ひどい人だと戒壇本尊は紙幅だと思ってる方もいます。
大体「板本尊」自体見た事がない方がほとんどです。
そもそも常住と形木本尊の違いも分かってないかも・・・、
そこに独歩さんが前に言っていた「戒壇本尊は大聖人が作った、日法師等聞いた事が無い」等という初級顕正会員の戯言が成立する要素があります。

540犀角独歩:2002/12/03(火) 17:09

> 539

そうなんでしょうね。
私と話した顕正会の青年は「戒壇の大御本尊様は日蓮大聖人が“作られた”」と、こうでした(笑)

「ああ、そう。じゃあ、材木を板にして、鉋で削って、彫刻等で彫って、漆かけて、金箔まで、聖人がやったのか!」と一喝してやろうかと思いましたが、それも大人気ないし、あんまり可哀想なのでやめました(笑)

541菊水護国:2002/12/03(火) 18:27
私が会った高校生顕正会員は、戒壇の御本尊は顕正会本部(旧本部・常盤台)の本尊だと2年位思っていたそうです。
まさに顕正会本部の階段を上がったところにあるから「階段の御本尊」何てね(嘘)。
今は法華講にいて、笑い話になってますが、本気でそう思ってたそうです。

542犀角独歩:2002/12/03(火) 20:21

> 541

こういうことって、やっぱり、あり(笑)
そう言えば、私が高校生のとき、学会で後輩の体験発表の原稿をチェックしたら「自由の菩薩」と書いていた…。その後、そいつは本当に自由の菩薩になってしまったっけ。
まあ、若い情熱というのはかわいいもんですけれども。

543犀角独歩:2002/12/04(水) 22:58

顕正会は何故「御宝蔵還御」ということに拘るのでしょうか。これはもしかして、ずっと前から戒壇之漫荼羅は御宝蔵にあったとでも思っているからなのでしょうか。

顕正会が斜に見ている達師の言を聞く耳があるかどうかわかりませんが、以下のような講義があったわけです。いちおう、断っておきますが、私はこの内容に全幅の信頼を置いているわけではない、けれど、以下引用するところは、史実に基づいているのだろうと思うわけです。

「自分が住むところに(御影様や戒壇の御本尊を)安置するのは申し訳ない事です。初め何もお寺がなかったときには六壷に安置したかも知れませんけれども、結局、その大坊や塔中の後方の中心に本堂を造って戒壇の御本尊を安置し、そして御影堂に御影様を安置するのが当然かと思われます…
 日有上人の時代に…御宝物(戒壇の御本尊様や御影様ではなく、大聖人の御真翰類や普通の紙幅の御本尊様等)を納めるために校倉造りの御宝蔵を造った…
 徳川時代の初め、寛永になって日精上人が御影堂を建立(西暦1632)…棟札に「本門戒壇本堂」と書いております…
 とにかく、現在、御影堂と称するところに日精上人の時代は戒壇の御本尊様を祭り、本堂と称していたわけです。つまり、これまでは本堂と御影堂が並んで建っていたのですが、日精上人の時には御影堂と本堂を一所にして今の大きな御堂を建てたのでしょう。そして戒壇の御本尊様を安置して、その前に御影様を安置せられたのでありましょう…
 次の寛永十二年(西暦1635)七月五日には御堂の御宮殿を造立されております。その裏書きを見ると、この御宮殿はいまの御堂を建立してから三年後に出来ております。で、これにもまた「本門戒壇御宮殿」としてあります。だから、今の御影様の後に戒壇の御本尊様を安置してあったに違いありません。
 それからずっと後、四十数年経て延宝七年(西暦1679)に、はじめて日精上人の御影堂御影様後の板御本尊が造立されております。故にこの時(延宝七年)に御影様後の板御本尊を造立し戒壇の御本尊様を御宝蔵へお移しになったのではないかと推測されます」(総本山大石寺諸堂建立と丑寅勤行について
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/5234/honzansyodou.html

長い引用ですが、要するに戒壇之漫荼羅は本堂に・御影像は御影堂に別々に安置されてあったけれども、精師が御影堂を“本門戒壇本堂”として再建した折、御影像の後ろに戒壇之漫荼羅は安置された、その40年後、精師筆の板漫荼羅を造立して御影像後ろに安置し、ここに初めて戒壇之漫荼羅を御宝蔵にしまったというわけです。

延宝7年(西暦1679)のことであるといいますから、今から300年ほど前のことです。
それまでは戒壇之漫荼羅は本堂、あるいは御影堂に安置されていたというわけです。

しかしながら、どうも顕正会の論調を聞いていると、ずっと御宝蔵にしまわれていたと思っているように感じるのですが、これって、私の穿った見方ですか?

544菊水護国:2002/12/04(水) 23:22
> しかしながら、どうも顕正会の論調を聞いていると、ずっと御宝蔵にしまわれていたと思っているように感じるのですが、これって、私の穿った見方ですか?
そのとおりです。穿った見方ではありません。顕正会員は本気で「日興上人以来、戒壇本尊は御宝蔵にしまわれていた」と信じています。

545犀角独歩:2002/12/05(木) 00:11

544 菊水護国さん:

あ、やはり、そうでしたか。
まったく、好い加減なものですね、浅井さんというのは。

546モトミナ:2002/12/05(木) 08:55
戒壇大本尊の移動云々について、別スレで確か独歩さんが仰られていた事を思い出しました。
戒壇大本尊は身延から延々と冨士大石寺まで運ばれてきたのか?のような事柄について・・・
確か秘仏かそうではないかの論展開から出てきた話だったと思いますが。
顕正会では身延からそのまま御宝蔵に御仕舞いされた、という認識を持っているはずです。
但し、顕正会発行の文献内からはその後御宝蔵、奉安堂、その他と様々な場所に移されてきた、とは記述されていますが・・・
私が詳細について知ったのは、会活動を退して以後ですので、大方の顕正会員は戒壇大本尊の時代別安置場所については実に曖昧に記憶していると思われます。

547犀角独歩:2002/12/05(木) 09:39

モトミナさん:

顕正会の認識を教えていただきたいのですが、正本堂は謗法の建物であったという根拠は読み取れるのです。けれど、何故、奉安堂はよいのか。ここのところがピンとこないのです。顕正会の認識としては顕師は「不相承」「相承詐称」の貫主であるわけですね。その人が建てた建物は謗法は思わないわけですか。

もう一点。先だっての法要登山でも30万人が戒壇之漫荼羅を参拝したわけですね。
しかし、「宝蔵に秘蔵厳護」という論点からしたとき、この参拝は謗法厳戒の俎上に乗らないわけですか。

以上、二点、顕正会ではどんなアナウンスになるのか、教えていただけませんか。

548菊水護国:2002/12/05(木) 11:11
横レス失礼・独歩さん
顕正会(浅井さん)は「奉安堂」も否定批判してますよ。
奉安堂建立計画を発表した頃は、浅井さんは結構「奉安堂」を攻めてますよ。
また、不敬の御開扉を即刻中止しろとも言ってました。

549菊水護国:2002/12/05(木) 11:17
浅井さんの発言集
「私は阿部管長に強く求めることがある。それは、『濫りなる御開扉を即時中止せよ』ということであります。」(平成12年3月5日号顕正新聞)
「阿部管長はいま、正本堂の跡地に、奉安堂なる巨大な建物を建てんと企てている。(中略)戒壇の大御本尊様を利用して本山の収入を図るためであります。『いいかげんにしないか』と私はいいたい。」(平成12年4月5日号顕正新聞)
「奉安堂を建てる場所は正本堂の跡地だという。正本堂の基礎は壊さずそのままにして、その上に建てるのだそうです。頭が狂っているのではないか。」(平成12年4月5日号顕正新聞)

550モトミナ:2002/12/05(木) 15:17
独歩さん
菊水護国さんの仰られる通りです。
但し、かつての正本堂に対する攻撃とは違うとも思えます。
その違いは、かつての正本堂時は宗門復帰も視野に入れていた故に法主を管長と呼びはするものの、謗法とまでは責めなかった。
しかし、現在は”もう宗門に望むものは何もない。広宣流布は顕正会が為す”というように、宗門復帰を考えなくなった顕正会では管長に対する責め方を血脈相承断絶の者という扱い方になっているので、発言もまた以前とは違った”謗法の者”のような扱いになっているように思えます。
奉安殿を否定もしていますし、無用の御開扉も即座中止を発言しています。
これから先、奉安殿にそのまま安置し、御開扉を続行するようなら、きっとまた諌暁書を出して、顕正会総登山でも発令するのではないでしょうか。

551モトミナ:2002/12/05(木) 15:23
学会の方、法華講の方に少々お聞きしてみたい事があります。
顕正会では、例えばビデオ放映の際に会長が出てくると、ビデオに向かって礼をするという習慣があるのですが、他の団体でも同様なのでしょうか?
ふと思ったものでお聞きしてみたいです。

552菊水護国:2002/12/05(木) 15:31
> 551
創価は知りませんが、法華講でビデオに礼をするなんてありえません。
ましてや、顕正会での会長にあたる、在家講の講頭は「講の指導者」では無く「講のお世話役」に過ぎませんから、世間的儀礼的な挨拶しかしません。
もちろん御僧侶にも直接目の前にいれば、挨拶はしますが、ビデオに出てくる人に挨拶するなんてナンセンスですよ。
もっとも、顕正会時代の僕が班長をしていた班では、ビデオに礼をするのは中止させてましたがね・・・。

553犀角独歩:2002/12/05(木) 16:22

菊水護国さん:
モトミナさん:

まあ、そうでしょう。そういう答えが返ってきて当然でしょうね。
となると、「御遺命守護完結」って、いったい何が完結したというわけですか。まず、これが一点。

それと、そもそも昇師建立の奉安殿には浅井さんは参拝していたわけでしょう、30年代は少なくとも。となると、「御開扉即時中止」というのは、過去の自分を批判していることになりませんか。これが一点。

以上の点は、どんな弁明をするわけでしょうか。

554モトミナ:2002/12/05(木) 16:22
菊水護国さん
>もっとも、顕正会時代の僕が班長をしていた班では、ビデオに礼をするのは中止させてましたがね・・・。
爆!
そういえばかつてまだ私も幹部ではなかった初信者の頃、幹部が私の家に来てテープを聞こうと言い出し、一人で拍手を真剣にしている姿を見て、驚いていたのを思い出しました。
総幹部会のライブでも会長登場で皆伏せながら拍手している姿は異常でしたが、もっと異常だったのはビデオで同様の事をしていましたからね。
あれはみんな引きますよ。特に若い子たちに毎回説明していた後輩は、今となっては”あれ程アホらしかったものはない”と笑い話にしていますが・・・。

555犀角独歩:2002/12/05(木) 16:23

菊水護国さん:
モトミナさん:

まあ、そうでしょう。そういう答えが返ってきて当然でしょうね。
となると、「御遺命守護完結」って、いったい何が完結したというわけですか。まず、これが一点。

それと、そもそも昇師建立の奉安殿には浅井さんは参拝していたわけでしょう、30年代は少なくとも。となると、「御開扉即時中止」というのは、過去の自分を批判していることになりませんか。これが一点。

以上の点は、どんな弁明をするわけでしょうか。

556犀角独歩:2002/12/05(木) 16:25

浅井さんがでているビデオを観て、礼をする(大爆笑)
嘘でしょう、そんなことをやっているのですか。
そんなこと、するほうもするほうですが、やられるほうもやられるほうですね。
あまり、下品な言葉は使いたくありませんが「いかれてる」というほか、言葉もありません。

557モトミナ:2002/12/05(木) 16:32
独歩さん
それこそ理解に苦しむ、という所なんです。私も顕正会活動の末期状態にあって尚、肯定的に捉えようと努力しましたが、駄目でした。
だからこそ、御遺命守護”完結”という式典がどうにも納得いかなかったのです。
そこが会の方向性の極点にもなっている気がするわけです。
結論から言えば絶対に御遺命(国立戒壇)を守護しきって、それが完結した事にはならないはずです。
これが成就したとする会の見解に理解が示せません。
完全に初期の目的から逸脱しているといえるでしょう。

奉安殿の参拝に関しても全くもってその通りですが、御本尊下附についても同様の事がいえるでしょう。
破門される前は会員(当時は講員)は御本尊下附をされていたにも関わらず、下附がなされなくなった途端に「大量の下附は大謗法」と言い出す始末ですから。
許可されなくなった途端に責めるなら、それまでは何だったのか?と問いたくなるわけです。
それを自己弁護するように「熱原の烈士達は大聖人にお会いすることすらなく、大事を為し遂げた。今の顕正会員も戒壇の大御本尊にお目通りが叶わずとも大事を為せる」と言い出してしまうわけです。
もはや収拾不能の弁です。

558お暇庵:2002/12/05(木) 16:46
歓談の中すいません。皆さんの間にすこし、お邪魔します。

法華講の中でにビデオに向かって挨拶、礼という作法が唯一有る団体をお忘れ
ではないですか。正座、拍手、礼をやっているのはM観講です。私も当初ビッ
クリしましたが講頭の話になると正座を強制されるということがありました。
な、何者?という感じでしたが、あそこににとってはそういう存在です。他の
登壇者には正座しなくても、あの方だけにはそういう礼でビデオに向かってや
るのです。まいりました。

559犀角独歩:2002/12/05(木) 17:05

557 モトミナさん:

なるほど。それが先の問題定義であったわけですね。
よくわかりました。

560アヤエ:2002/12/05(木) 17:48
ビデオ上映会ですか・・・
一度連れていかれました、その時はすでに顕正会の実態を知りつつあったので
宗教の話では会いたくないと彼女には宣言してたのですが
相手はビデオさえ見てもらえれば 顕正会を信じてもらえると思いこんでいたので
なんとしても見せたかったのでしょうね、思いっきり騙されて連れていかれました。
席を立とうとしても「おねがい、おねがいだから すぐ終るから」と懇願され、
周りの人間もすべて会員だと思うとちょっと怖くて帰れませんでした。(情けない)
開き直ってどんな人間がいるのか周りを観察してみました。
高校生もグループでいましたし、お年寄もいらっしゃいました。
ロビーには子連れのお母さんがたくさんいらして目立ってました。
ビデオ会は体験発表のビデオでしたが 一人の発表が終る度に
皆さん一斉に拍手をしていたのが印象的でした。

561犀角独歩:2002/12/05(木) 18:07

仏教というのはビジュアルに訴えたものが広がってきたのでしょうね。
当初は仏像は作らなかった。このころは仏殿説話をレリーフに刻むことで広まったわけです。
次に、仏像という形で表現した方が広まりました。
これは教典にしてもそうでしょうね。文字が当時はビジュアルとしての意味を持ったわけです。

日本で仏教の人々を圧倒したのは仏像と堂塔伽藍というビジュアルでした。
次に地獄変などと言われる絵画表現がインパクトを与えるわけですね。
読経、念仏、そして、題目なんかも、こんなビジュアル的な要素が強いのであろうと思います。

学会では文化祭、そして、その映画が圧倒的に支持をされます。
顕正会は、統一協会や、オウム真理教と同じく、ビデオを巧みに使って、人々を煽動したわけですね。煽動という言葉が悪ければ、アピールといってもよいと思います。いずれにしても人々を動かすほど、訴えかける力をビジュアルが持っていると言うことです。

だいたい、テレビ、ビデオなんて、家庭で観るとき、みんなくつろいで観ている。ところが正座して、拍手して、礼までする。要するにビデオを上映している場所が現実の世界のように機能しているわけですね。仮想現実(バーチャル・リアリティ)が現実として機能するとき、私はそこには精神病理を注意しなければいけないと思うわけです。

562犀角独歩:2002/12/05(木) 18:14

ねえ、菊水護国さん:

先に私が引用した達師講義の精師の部分ですが、現在、御影堂といわれる堂宇は、実は「本門戒壇本堂」「本門戒壇御宮殿」として建立された。そこには戒壇之漫荼羅が安置されていた。三門は朱塗りとなった。

これって、要するに精師の代で××××したという意味になるでしょう。
何故、本門寺を公称しなかったのでしょうか。

563菊水護国:2002/12/05(木) 21:08
> これって、要するに精師の代で××××したという意味になるでしょう。
何故、本門寺を公称しなかったのでしょうか。

だって、勅使が来てないじゃありませんか。私の考えですが、本門寺寺号公称は勅宣で決定するものでは無いでしょうか。
恐らく、本門寺の勅額が出ると考えます。
宗門と国家と国主全ての意思が一致して、意味をなすのでは無いでしょうか。
そして、その他の事項も伊勢の遷宮と一緒で「御治定」が発せられるでしょうか。
多少、独断と偏見で書きました。

564犀角独歩:2002/12/05(木) 21:40

> 563

そうでしょうね。
当然、そういう道筋でしょうね。勅宣、そして御教書の順位でしょうね。
勅額を持っているという人物がいましたね(笑)

冗談はさておいて、しかし、そうなると精師の「本門戒壇本堂」「本門戒壇御宮殿」は命名は、では何を意味すると?

565犀角独歩:2002/12/05(木) 22:14

↑と、何故、問うかと言えば、本門戒壇本堂との命名は勅宣・御教書を受けない限り、しないであろうと思うからなのです。

566菊水護国:2002/12/06(金) 00:11
勅額を持ってる人?(笑)
ああ、有髪僧の大法皇様のことね(爆)

>本門戒壇本堂との命名は勅宣・御教書を受けない限り、しないであろうと思うからなのです。

勅額は「本門寺戒壇院」になるであろうと思います。
「本門戒壇本堂」という名称自体は「本門戒壇本尊を安置してある本堂」程度の意味しか無いと思います。
なぜなら、それを作った精師自体が未来に勅使御一行が来られたときに、衣冠束帯のきょ(引きずる布)がぶつからない距離を想定して、二天門と御影堂の間を作ってますからね。

567菊水護国:2002/12/06(金) 00:25
ついでにもう1つ
これは私の己義なんですが「本門寺の戒壇」が勅命で決まっても、大石寺自体の寺号を変える必要は無いのではと考えています。
現在でも、寛永寺の中に「輪王寺戒壇院」があります。
つまり寺院全体の寺号とは別に戒壇院自体に寺号がつくとも考えられます。
他にも、東大寺の中に「唐招提寺戒壇院」が作られた例もあります。
戒壇院自体に寺号をつけるという事では無いのでしょうか。

569犀角独歩:2002/12/06(金) 19:28

> 勅額は「本門寺戒壇院」

これは血脉抄から、すればそうでしょうね。
まあ、しかし本門寺内に建つとすれば、単に「戒壇院」でしょうね。

ところで、ここで疑問になるのは、聖人の言う三つの本門中「戒壇」、二箇相承の「富士山本門寺戒壇」、血脉抄の「戒壇院」、精師の「戒壇堂」が、元より、同一のものを指していたのかという点ですね。

三つの法門の戒壇を直ちに堂宇、寺院と見ることに私は疑問があります。
しかし、二箇相承であれば、これは建物を指しているでしょう。
戒壇堂といえば、寺院内の堂宇、しかし、戒壇院といえば独立した寺院と見てもよいのだろうと思えるわけです。

この辺を一括して同一に論じると見落とすものが多すぎると考えます。

570犀角独歩:2002/12/06(金) 19:39

あと、精師が戒壇之漫荼羅を背にして、御影像を入れた堂宇を建立したとき、これはれっきとした本堂であったのでしょう。しかし、その後、戒壇之漫荼羅は、なんと御宝蔵にしまわれてしまうわけです。

達師の言でわかるとおり、石山では、戒壇之漫荼羅が安置されていたところを、古来より本堂と呼んでいた。ところが、その戒壇之漫荼羅をしまったわけですね。ここから、この本堂は本堂の機能を失い、単なる御影堂となったわけですね。

しかし、本当に精師以前、戒壇之漫荼羅を安置した本堂なるものがあったのでしょうか。私はこの点を大いに疑っています。そもそも条々事でも「石寺は御堂と云い墓所と云い、日目之れを管領」というわけです。

もしも、戒壇之漫荼羅を安置する本堂なるものがあったのであれば、筆頭にこの管領を記すはずです。それなのに、ここで「御堂」となっています。また、これを本堂ではなく、御影堂であったはずだと達師も言うわけですね。

もとより、本堂とは石山においては御影堂を指していたのではないでしょうか。御影像が安置されたところが本堂という意味です。

私は、言われるような、戒壇之漫荼羅が安置された本堂、は石山にはなかったのではないのかと思うわけです。

しかし、精師は戒壇之漫荼羅を入れて、その前に御影像を置いた前代未聞の堂宇を建立し、高らかに「本門戒壇本堂」と銘打ったのではないのか、そう考えたほうが自然にとらえられるわけです。

571けい:2002/12/09(月) 08:48
現在の寺号問題から少し離れてしまうのですが、謗法について少々教えて下さい。
どうも謗法の捉え方が顕正会在籍時の判断基準と、宗門の諸書籍から読み取る判断基準と異なるように思えます。
本来の謗法の捉え方、どこまでを謗法とすべきでどこまでが謗法ではないのか、教えて頂けないでしょうか?
よく考えると顕正会では謗法の説明はしていても、どこまでは良いやらどこまでは不可なのか、公式には解説していないように思います。
そのため会員の個々が判断してしまうため、統一されていません。
極端な会員にでもなると、アニメで邪教の寺が出てくるだけで”謗法だから見たくない”とか言い出している姿を見たことがあります。
或いは会員幹部が過去に行った修学旅行の写真を焼き捨てた者も知っています。
この辺本来宗門はどう捉えてどう指導してきたのでしょうか?
教えて頂けないでしょうか?

572犀角独歩:2002/12/09(月) 12:15

571におけるご質問の趣旨は、いわゆる寺院参拝における石山と顕正会の相違点ということと判断して、やや記します。

この根拠となるのは『日興遺誡置文』における

「一、檀那の社参物詣(ものもう)でを禁ずべし、何(いか)に況(いわ)んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや。返す返すも口惜(くちお)しき次第なり。是(これ)全く己義(こぎ)に非ず、経文御抄等に任す云云」

を根拠にするのでしょう。顕正会では、ここまでとなるのであろうと思われます。
しかしながら、石山においては、その後『有師化儀抄』において

「一、他宗の神社に参詣し一礼をもなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり、就中正直の頭を栖と思し召さん垂迹の謗法の人の勧請の所には垂迹有るべからず、還つて諸神の本意に背くべきなり云云、但し見物遊山なんどには神社へ参せん事禁ずべからず、誠に信を取らば謗法の人に与同する」

といい、特に見物遊山に関する禁止は解かれているわけです。
この変化について、亨師は

「信仰帰依の為の参詣にあらざれば差支なし」(註解)

といい、達師は略解において、

「見物遊覧のため神社を見て廻っても、それを禁止する必要はありません。
 (注、日興上人は、遺誡置文に「一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや」と厳重に謗法の寺や、神社を見物することすら止められている、これは未だ宗派の草創時代であったから、他との異を明らかに一線をもって劃したのであり、日有上人の時代は、すでに一宗が確立したから、見物ぐらいで信徒の信心がぐらつかなくなっているからであります)」

といいます。
さらに化儀抄においては、

「一、学問修行の時は宗を定めざる故に他宗の勤行の事をなし又他宗のけさ衣をかくる事一向子細なきか、宗を定むる事は化他門なり、学問修行は自身自行なるが故なり云云」

とまで言うのであって、学問修行のために他の寺院、檀林で学ぶときは他宗の袈裟を掛けて勤行しても問題ないとまで言っているわけです。

この学問修行の件は在家分とは無関係のことなので、略しますが、神社・寺院へ赴くとき、謗法云々を分けるのは、そこで信仰を示す礼拝・布施を行うかどうかに力点をもって考えるのが石山儀でしょう。

そもそも現在の顕正会、石山寺院に行くことについては、どんな見解をもっているのでしょうか。また、その信徒家庭に安置される漫荼羅礼拝については、どうなのでしょうか。
もし、これらの点を否定し、謗法などといっているとしたら、顕正会こそ、石山儀に言う謗法に当たる私には思えます。

573けい:2002/12/09(月) 12:36
詳しく説明してくださって有難うございます。
よく分かりました。
顕正会員が大石寺系寺院に行くのは特に謗法とは呼ばないと思います。
信徒の家庭に安置される御本尊に関しては、私には分かりません。
しかし学会員などが顕正会へ入会した場合、御本尊を本部へ一度預かってもらうようです。
学会がコピーした御本尊だからという理由からだと思います。
細井管長や阿部管長の御本尊の場合も取り替えているようです。

574犀角独歩:2002/12/09(月) 15:25

けいさん:

> 取り替えているようです

取り替える?というのは、何とですか。

575けい:2002/12/09(月) 16:06
御本尊を取り替えるのです。
細井管長や阿部管長の御本尊から日寛上人の御本尊へ取り替えるわけです。

576ガンコ:2002/12/09(月) 16:25

「御相承の断絶」 浅井の真意 (上)

平成11年の本部指導会で浅井は、はじめて御相承の断絶に言及しましたが、わたくしは「ああ、とうとう言っちゃったか」と思いました。
ですが、これは浅井の本意(翻意)ではないと考えています。たしかに御相承の断絶を明言していますし、折伏理論書の改訂版でも同趣旨のことが明記されていますので、どうにも否定しようがありません。
それにもかかわらず、わたくしはここで、一般の顕正会員とは異なった見解を示そうと思います。

問題となっているのは、現実に日達上人から日顕上人に御相承があったのかどうか、これについて正信会が、そして創価学会が疑義を呈しているわけですが、御宗門から見れば「顕正会よ、おまえもか」ということになるでしょう。
わたくしは日達上人から日顕上人に御相承があったと信じていますし、おそらく浅井もそうなのだろうと思います。
では、なぜに御相承の断絶に言及したのか?
結論から言えば、「もし迹を借らずんば何ぞ能く本を識らんや」との意であろうと思います。

浅井の真意は、
1、日顕上人を諌め、改悔を促すこと。
2、御遺命の正義を顕わすこと。
3、御宗門の安泰を願うこと。

昭和50年代後半から60年代にかけてのことですが、創価学会の末端では顕正会と正信会を混同している人が多かった、ような記憶があります。学会員のいわく「おまえらは猊下の血脈を否定しているじゃないか」、わたくし「・・・・・・」
当時、入信したばかりのわたくしは国立戒壇くらいしか知りませんでしたので、たいてい班長がかわりに喋ってくれていたのですが、そのときは班長もわからなかったようでした。
それでそのすぐあと班長は本部に電話を入れました。今では考えられませんが、そのころはわからないことがあると班長クラスでも直接本部に問い合わせていたものでした。
班長の話では電話に出たのは現在の主任理事、当時なんだったか忘れましたが本部職員だったのは間違いないと思います。班長のいわく「きょう学会員を折伏したんですが血脈がどうのこうのと言っていたのですがどう応じればいいのでしょうか?」
「血脈についてはこちらから触れる必要はないし、相手が言ってきても答えなくていいから・・・」
ということでした。

今思えば、顕正会がいかにちっぽけな組織だったか、しかも妙信講から名前を変えたばかりの頃でしたから、学会の一般会員は顕正会が旧妙信講であることを知らなくて当然だったかもしれません。
いずれにしても顕正会は、創価学会が血脈否定の側にまわってからも、一貫して御相承については多くを語らないで来たのです。ゆえにわたくしは、この先もずっと言わないだろう、御相承の断絶は言わないだろうと思っていたのでした。
ところが浅井は言っちゃった。なぜでしょうか? なぜあのタイミングで言わなければならなかったのでしょうか?

577ガンコ:2002/12/09(月) 16:30

「御相承の断絶」 浅井の真意 (下)

正信会が相承疑惑を言い出した時も同調しなかった、おなじく創価学会が言い出した時も同調しなかった、ようするに国立戒壇一本で通してきた顕正会がいまさら御相承の断絶を言う必要があったのか、はなはだ苦しむところです。

ひとつ思い当たることがあります。平成3年以降、学会員を折伏すると必ず彼らは「日顕が、日顕が、」と言うのです。言い方はさておき、その内容には困りました。およそ顕正会では取り上げないようなお下劣な話ばかりでしたから、今思えば平成2年以前の宗門学会蜜月時代のほうが折伏しやすかったようにも思えます。いずれにしても顕正会では聞いたことのないようなことを言ってくるので困りました。おそらく本部でも考えたのでしょう、ウブな顕正会員に免疫をつけさせるために創価新報の記事をひところは顕正新聞や冨士によく載せていました。
当然、血脈相承についても避けては通れず、「学会宗門抗争の根本原因」でも触れていますし、顕正新聞の紙上座談会でも取り上げています。しかし、実際に御相承があったのかなかったのかには触れませんでした。
正直に言えば、現場で折伏を行ずるわたくし達と先生の間に齟齬が生じはじめたのではなかったか?
つまり学会員は恐れ気もなく「日顕は相承を受けていない」と言ってくるのですから、本当のところはどうなのか?浅井先生の見解を示してほしい、というのが現場会員の要望・・・声なき声だったのだろうと思います。

インターネットの普及は、浅井のような旧い人間にとっては想像を絶するものであったのでしょう。しかし、ここに来て、ようやくその影響力の大きさを認識し始めたように思います。
心底抄の「兼日の治定」云々について、いままで一度も触れたことがなかったのに御遺命守護が完結した今日になって取り上げざるを得なかったのも、まさにむべなるかなと思います。
もはやこの流れは止めることができない、浅井が目をつぶろうとも顕正会員の目をつぶらせることはできない、となれば正面から取り組まざるを得ない。

「御相承の断絶」に言及せざるを得なかった理由の背景には、上記のようなことどもがあったのだろうと思います。
しかし、本当に御相承が断絶したのかどうか、浅井は知る由もありません。よって、巷間言われているように、正信会学会の言説を鵜呑みにしたことになりましょう。
では、その真意はいずこにあるかと言えば、日顕上人を諌めるにあります。
「断絶発言」の以前以後にかかわらず浅井は一貫しています。すなわち御遺命に背いた罰であると。
早く御遺命違背の罪を懺悔し、速やかに御遺命の正義を顕わし給えと。
而強毒之の意味において、正信会学会が「断絶」を言っているのに猊座を守らんとしてそれには触れないで諌めようとしても、はなはだ弱い諌めになってしまう、よって強い諌めをなさんがために正信会学会の主張を借りているのであって、本当は断絶していないと浅井は思っている・・・とわたくしは思っています。

御相承が断絶したのかどうか浅井は知る由もない。・・・やや、ちがったことを書きます。
日達上人が御遺命違背に同調した時点で血脈は断絶したのではなかったか?
たとえ日達上人、日顕上人の間で御相承の儀が行われたとしても同じく血脈は断絶。
なぜなら、御登座20年余の間、日顕上人には国立戒壇の正義が絶えて見られない、もじどおり断絶してしまっているではないか。ようするに日達上人は授けなかった、日顕上人は受けなかった。
つまり浅井の言う「御相承の断絶」はここに極まるのだと思います。
「唯授一人の血脈相承」を否定するものではありません。
かく見れば、“正しき猊下がお出ましになれば血脈はよみがえる、そういうことになっている”との意味も通じるでしょう。

さて、純然たる法華講員の皆さんはいかが思われるでしょうか?
浅井は憂宗護法の士だとわたくしは思っています。解散処分を受けてすでに年久しいですが、いまもなお御宗門を憂いていると思うのです。
御宗門のために力になりたい、猊下のお味方申し上げたい・・・これが浅井の真意であろうと思います。

578犀角独歩:2002/12/09(月) 16:50

> 日寛上人の御本尊へ取り替えるわけです

在家団体にすぎない顕正会がなんで寛師漫荼羅をもっているわけですか。
また、取り替えるという典礼行事を在家が勝手に行うわけですか。
創価学会と何が違うのでしょうか。
これはまさに石山儀における謗法行為ではないのですか。

579犀角独歩:2002/12/09(月) 16:59

顕師を諫めるために血脈断絶を言うなどという理屈は通りませんよ。
断絶と言えば、断絶です。

断絶していないのに「断絶」したと言えば、浅井さんはただの大嘘つきであると言っているようなものです。

> “正しき猊下がお出ましになれば血脈はよみがえる、そういうことになっている”

こんな前代未聞の与太話は話になりません。
こんな教義は聞いたことがありません。

との意味も通じるでしょう。

> 浅井は憂宗護法の士

教学を弄び、自分の絶対性を言う浅ましい姿以上に映ずるところはありません。

いつまでも、下らない堂々巡りはやめていただきたい。

580犀角独歩:2002/12/09(月) 17:05

『富士一跡門徒存知事』には

「日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり」

と記されているにもかかわらず、漫荼羅を安直に取り替える顕正会もまた、重須已来の興師の伝統を破壊する団体であることを明瞭に理解しました。

581モトミナ:2002/12/09(月) 17:15
ガンコさん
仰られたい事は肯定的に捉えてみます。
しかし真意が何処にあるにせよ、明確に会長として翻っている発言をしている事実は事実だと思います。
正信会は相承否定をした時、「相承の断絶などある筈がない」と言い切っているわけですし、後にそれが授受断絶を発言してしまっている。
どう肯定的に見ても、これは180度転換したとしか言いようがないわけです。
日顕上人を諌めるための方便と言われていますが、「授受断絶」という事は「日顕上人には上人ではない」と言い切ってしまっている事になるんです。
それがどうして諌めるための方便になるのでしょうか?
しかもその後で「もう宗門もたよりにしない。広宣流布は顕正会で行う」とまで言い切っているわけですから、これは顕正会こそが大聖人の命を受けている、宗門など関係ない、としていることになります。
擁護的な発言をどれだけしても、取り返しのつかない方向性を打ち出してしまった、としか言いようがないと思います。

582犀角独歩:2002/12/09(月) 18:36

> 581

モトミナさんが記すところは、そのとおりであろうと私は賛同します。

583問答迷人:2002/12/09(月) 19:21

ガンコさん

>御宗門のために力になりたい、猊下のお味方申し上げたい・・・これが浅井の真意であろうと思います。

僕は、もう、法華講から心は離れており、席だけを残している法華講員なので、純然たる法華講員とは言えませんが、一言、発言させて下さい。

浅井さんが、猊下の味方をしようと思っているとか、そんな認識は、宗門も持っていないし、法華講員も思わないし、第一、血脈の断絶を口にした瞬間、日蓮正宗信徒ではなくなり、異流儀なります。もはや、独自路線を歩むしか、道は残されていないと思います。それにもかかわらず、大石寺戒壇本尊をいくら拝んでも、血脈を否定した以上、何の功徳も無い、それが大石寺の教義です。顕正会の布教によって、血脈がよみがえる、等という話は、その根拠が示されない限り、いかにも浅井さんらしい、ご都合主義的な煽動に過ぎないと思います。

584犀角独歩:2002/12/09(月) 19:48

○目師再来説は郷門の伝説、要師の宣揚物語である

私はここで何度か書いてきましたが、目師再来説というのは保田妙本寺に伝わるところであって、石山はそれを転用したのに過ぎない点を指摘しておきます。

この伝説は房州・中興の祖、我師が『申状見聞』のなかに伝えるものです。

「目上御遺言に曰く此の申状奏せず終に臨終す 此の土の受生所用無し雖も 今一度人間に生れ此の状を奏す可し 若し此の状奏問の人未来に於て有らば 之れ日目が再来と知る可し」

日目上人の遺言に曰く、この申し状を奏せず、ついに臨終する。(こののち)この娑婆世界に生を受けることを用いることはないのであるけれど、いま一度人間に生まれて、この状を奏するべきであろう。もし、未来において、この状を奏する人があれば、日目が再来と知るべきである…

こういう伝説がある。これが目師再来説の根拠です。
しかし、ここだけ引用することは“切り文”であると私は指摘したわけです。
なぜならば、この文章は、このあとに以下のように続くからです。

「爰に日要奏す之れを争か之れを疑ふ可けん乎」

つまり、妙本寺・要師こそ、目師再来その人であるというのが、この伝説の言わんとすることなのです。

このおいしい部部分だけを持ってきて、さらに伝説化した石山の目師再来説を私は嗤うのです。ましていわんや、顕正会の今の大騒ぎをやと言いたいわけです。

585犀角独歩:2002/12/09(月) 20:46

さて、584の要師の言をもう少し紹介しておきます。

「其の上当家の再興行躰の辛苦目上に異らず 如之要上或る時霊夢に大聖開山有り御相伴日郷の御爵にて以て金銚子に酒をうけ飲み玉ふ、爰に日目は見へ玉はず さても不審也と思ふて夢覚めたり平生御雑談也」

そのうえ、当家の再興、行体の辛苦は日目上人に異ならない。しかのみならず日要上人、ある時、霊夢に、日蓮大聖人と日興上人にあらせられた。もてなしに日郷のお酌で金の銚子から酒を受けて飲みたまう。ここに日目は見えたまわなかった。さてもいぶかしく思ったところで、夢が覚めたという常日頃の雑談である

というのです。つまり、この話は夢の中に蓮興二祖が酒を飲んでいるときに、郷師が自分に酌をした、目師は見えなかったので、自分こそ、目師その人であると語る話であるわけです。時に興目寂から167年目、明応8年(1499)の物語です。

このような肝心の箇所は蹴飛ばして、目師再来が近未来のように語ることを、私は欺瞞を通り越して詐欺であると思うわけです。

586モトミナ:2002/12/09(月) 21:04
独歩さん
それで顕正会は「目師が会長」と主張しているわけですね?笑
だとすると石山に拘る必要が浅井会長には何もないですよね?爆
保田系に移れば大いに目視再来を叫んで結構。こうゆうことになりますよね。
それを石山に持ち込むな!と。
元々持ち込んだのは石山なんでしょうけれども。

587犀角独歩:2002/12/09(月) 22:53

モトミナさん、そのとおりですよ。持ち込んだのは石山です。
でも、石山じゃ「我こそは日目の再来…」あるいは「露払いをする者」なんていう変な奴はでませんでしたが(笑)

もっとも学会では「池田先生に衣を着せれば日蓮大聖人」というらしい(爆)

私の知人が「精神病棟に行くといっぱい宗教的有名人がいるぞ」と「私は釈迦」とか、「私はキリスト」「私はマリア」(笑)
これは心の疾病だから仕方ありませんが、野放しの、そんな確信を持って堂々と語る人間には注意しないといけませんね。

588五月雨:2002/12/09(月) 22:56

横レス失礼致します。

ガンコさん

>さて、純然たる法華講員の皆さんはいかが思われるでしょうか?
浅井は憂宗護法の士だとわたくしは思っています。解散処分を受けてすでに年久しいですが、いまもなお御宗門を憂いていると思うのです。
御宗門のために力になりたい、猊下のお味方申し上げたい・・・これが浅井の真意であろうと思います。

元純然たる法華講員の私もひとこと言わせて頂きますと、宗門も法華講員も浅井さんの憂いなど要らぬお世話というところでしょうか。
私は顕正会の存在を法華講に入ってから知りました。学会員当時には全く知らない存在だったのです。法華講に入ってからどのように知ったかというと、原島さんの著書「池田大作先生への手紙」で知ったのです。お寺で顕正会を教えてもらったのではありません。きっと、私の所属する寺院の法華講員の80パーセントの人は顕正会など知らないでしょう。そんな存在薄き顕正会に何の期待などあるでしょうか。
ガンコさんもいつまでも堂々巡りの(浅井、と呼び捨てられていますが、身内なのでしょうか)、浅井さんの擁護はもうおやめになって、教義の上から今一度顕正会を見直されてはいかがですか。

589犀角独歩:2002/12/10(火) 10:21

○謗法厳戒は他者厳戒にすり替えられていないのか

ここのところ、やや謗法ということが取り沙汰されているのだけれど、私には顕正会をはじめとする謗法厳戒は、単なる“他者厳戒”なのであって、自分たち絶対を言う道具とされていると見ています。これらは「狗犬」の誡めに当たる者であると思えます。

真跡を残さない『松野殿御返事』、「此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり」を存し、顕正会も引用する書ですが、この中に以下の一節があります。

「末世には、狗犬の僧尼は恒沙(ごうじゃ)の如しと仏は説かせ給ひて候なり。文の意は、末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟衣を著たれば、形は僧・比丘尼に似たれども、内心には邪見の剣(つるぎ)を提(ひっさ)げて、我が出入りする檀那の所(もと)へ余(ほか)の僧尼をよせじと無量の讒言(ざんげん)を致し、余の僧尼を寄せずして檀那を惜しまん事、譬へば犬が前(さき)に人の家に至りて物を得て食らふが、後に犬の来たるを見て、いがみほ(吠)へ食ひ合ふが如くなるべしと云ふ心なり」

この戒めは何も僧侶のみに当たる者ではないでしょう。集団を運営する似非仏教者すべてに当て嵌まります。

末法には犬のような者どもがガンジス川の砂のようにたくさん出てくると仏は説かれた。形は正しい仏法実践者のように見せながら、内心には邪険の剣をひっさげ、自分の組織に出入りする人々を他の組織に行かせまいとして、悪口雑言の限りを尽くし他を蔑み、信仰しようとする人々のところに他の組織を寄せまいと信者に執着するのである。その有様は、たとえば、犬が、ある家で餌をもらって貪り食うのに、あとから他の犬がやってくるといがみ合い、吠え合い、噛み合うようなものである。

まさに石山、学会、顕正会の互いに謗り合う様は、この「狗犬」の戒めに当たると映じるのです。

要は、この「狗犬」の戒めに当たることをやっておきながら、それを正当化するために悪用されているのが「謗法厳戒」ということである仕組みを見逃してはならないと思うわけです。

590問答迷人:2002/12/10(火) 10:34

>589

賛同します。謗法厳戒を言う裏事情は、このように醜い物なのだと感じてきました。それにしても、石山系の各派がお互いに罵り有っている様は、本当に醜いです。

591菊水護国:2002/12/10(火) 13:15
> 577
ガンコさん
私の考えですが、あの時期に相承断絶(血脈不断絶?)を言った理由は簡単ですよ。
顕正会は前年、無理に「御遺命守護完結宣言」をしました。
旧会員は「御遺命守護完結したら宗門に戻れる」を思い込んでましたから、宗門に戻らない正当理由を、ぶち上げなければならなくなったのです。
その正当理由が「相承断絶」です。

592菊水護国:2002/12/10(火) 13:29
> 私の知人が「精神病棟に行くといっぱい宗教的有名人がいるぞ」と「私は釈迦」とか、「私はキリスト」「私はマリア」(笑)
これは心の疾病だから仕方ありませんが、野放しの、そんな確信を持って堂々と語る人間には注意しないといけませんね。

僕の同級生で、東大で司法試験受験生だった男がいます。彼の口癖は「天から声が聞こえた」でした。
「おい菊水、今日、天の声が聞こえた。今年中に地震が起こるぞ、お前、防災用品を用意しておけ。」
「おい菊水、今日も天の声が聞こえた。今こそ決起して、総理大臣を抹殺しなければ、日本は滅ぶぞ」
等です。当時私は右翼サークルを主催してたから、私を実行部隊にしたかったようです(笑)。
その後、彼は司法試験に合格しましたが、同時に精神病が発覚し、精神病棟に入院し、退院した今でも通院しています。
おかげで、弁護士登録は拒否されてますが・・・。
そのとき、精神病棟で医者から聞いて、知った言葉が「パラノイア」や「誇大妄想」でした。

593犀角独歩:2002/12/10(火) 14:06

天の声…天声ですね。
天声といえば、法の花三法行。この法の花という名前、やめて欲しいと思っていました。法の花って法花(法華)ですから。

それはともかく、福永法源が言った天声は虚偽に基づく脅迫であるということで慰謝料の支払いを命じられたのです。

法律的見地として、予言やらなんやらで、人を脅迫し、労働や出金を強要し、かつそれが虚偽であると証明されれば罰せられることになるわけでしょうね。

有名なところでは宗教法人・明覚寺の系満願寺の2人の坊さんが、“悩みごと相談”で「悪霊が憑いている」と占い、それを祓うためと称して、1億円の謝礼を受け取ったいうことがありました。これは結果的に1996年6月18日、名古屋地裁は両被告に懲役1年2か月と1年(ともに執行猶予3年)の判決を下されたわけです。これは、悩みごと相談を「教団ぐるみの組織的、継続的におこなわれた詐欺行為」と認定されたわけです。認証を受けた宗教法人の布教活動にはじめて有罪判決が出たものとして注目された(1996年6月19日、朝日新聞朝刊)

もちろん、有名なところでは統一協会の霊感商法というのもあります。これも人々の恐怖をあおり商品を売りつけるものであったわけです。この被害を訴えたのが“霊感商法被害裁判”。これに類して、嘘っぱちの教義に騙されて青春を棒に振ったということで起きたのが“青春を返せ裁判”です。

同じように「日本が滅びる」「未曾有の天災が起きる」「他国が攻めてくる」こんなことを放言しておいて、人を煽動するだけして、もし何も起きなかったら、私は同じ事であろうと思うわけです。騒乱罪なんてこともあります。

もちろん、訴えるものがあって成り立つことです。

さてと、顕正会・浅井さんとその会員の騒ぎは、果たして、これに該当するかどうか。
どんなものでしょうか。

594菊水護国:2002/12/10(火) 14:59
浅井さんの発言とその他の予言者の違いは、浅井さんはほとんど学者の見解として発表してる事です。
学者の見解を利用する事で、自らの責任を回避する事は可能かと思います。
彼自身が「大聖人様の声が聞こえ、○○が起こる」とは言ってませんから。

595モトミナ:2002/12/10(火) 15:11
菊水護国さん
私も全く同意です。
自らの責任回避ができて、更に都合よく次の学者の論を引っ張り出してくる事が、得意とされるところです。
かつて浅井会長は小田原地震の切迫について触れ、その論拠として石橋克彦論を持ち出しました。
その論には1998年+−5年として危機的状況にある、と説明し全会員を煽動しましたが、結果は地震発生せず。
その後、溝上氏の東海大地震説を取り出して現在、その危機的状況を訴えている、というものです。
つまり、専門家の論を根拠にして、更に「広宣流布前夜を考えれば、いつ何が起きてもおかしくない」という危機的状況を訴えているわけです。
勿論地震は起こるでしょう。周期説や過去の実例を見ても当然ですから。
しかし問題は長年訴え続けて、それが信者を煽る発言に繋がっているということだと思います。
そう考えると、非常にずるい口実にもなるわけですよね。学者の論を引っ張り出すこと自体が。
そういえば中学時代の同級生がよく、雑誌「ムー」を愛読していて、クラス中に”世界の破滅”を訴えていたものがおりましたが、今となってはあの類にしか見えないわけです、私には。

596犀角独歩:2002/12/10(火) 19:27

浅井さんのやり方は、聞いてみると池田さんとまったく同じ訳ですね。
「…と○○が言っていた」
しかし、学者の言葉を引用しただけだから、責任がないとはならないでしょう。
ただ、単に立件できないだけです。

また、さらに突っ込めば顕正会員は学者が言っているから信じているわけではなく、浅井さんの口をついているから、その段階で信じているわけです。
このような場合、引用だけだから責任が問えないと果たしてなるか、私はならないと思います。
さらに「この信仰をしないと地獄に堕ちる、罰が当たる」などいう発言は学者の言とは関係ありません。
この部分で、宗教の責任問題を考えていこうという動向が今はレアなのです。
脅しで金銭の拠出、行動の煽動を行うことに違法のメスが入る時代になってきています。

597ガンコ:2002/12/11(水) 11:51

「御相承の断絶」 (続編)

わたくしが法華講員の方に申し上げたかったのは次のことです。

日顕上人は御相承を遊ばしたのか? つまり次のお方をお決めになられたのか・・・これがまた悩ましい問題であろうかと思うのです。

申すまでもなく日顕上人は大石寺の御当代、血脈付法の人にてまします。
ところが多くの人がそのことに疑いを抱いている。正信会が、創価学会が、そして顕正会が・・・
このような状態ではたして次のお方がすんなりと猊座にお就きになることができるのか、考えるだに頭が痛くなります。当然その時には創価学会が動きましょうし、正信会もなにかしら手を打ってくるかもしれません。また、御宗門の中でも不穏な動きがあるかもしれません。
唯授一人の血脈相承を信徒の分際で云々するのは間違っている、恐れ多いということを法華講員の方々はおっしゃるかもしれませんが、まさに問題は眼前であろうかと思うのです。ソノトキイカンガセンヤです。

顕正会の主張はきわめてシンプルです。どなたが猊下になられても国立戒壇さえ認めて下されば、直ちに猊下に信伏随従申し上げる。まちがいなく近未来に、ふたたび御相承問題で宗門は大混乱に陥るであろう、その混乱は前に似るべくもない大混乱になるだろう、日蓮正宗の存亡にかかわる大混乱・・・その時もはや打つ手を失った猊下は顕正会を頼らざるを得なくなる。

もっともこんな話は存在しません。わたくしことガンコが勝手に言っているだけです。
ですから浅井に上記のような打算的な考えがあるのか、あるいはもっと別の計算があるのか、あるいはなにも考えていないのか、わかりません。
いずれにしても御相承の問題は過去だけでなく未来の問題でもあるということです。

余計なお世話だったことでしょうが、「法華講支部妙信講」が顕正会の原点ですから、大石寺信徒のハシクレのつもりで書かせていただきました。また、方向性に狂いが生じてきたとされる今の顕正会のあり方に、わたくしなりに釘をさしたつもりでもあります。

独歩さん、モトミナさん、問答名人さん、五月雨さん、菊水護国さん、その他の皆さん、どうもありがとうございました。

598モトミナ:2002/12/11(水) 12:02
ガンコさん
一度私に直メールを送ってみて下さっては?
お会いできるものなら一度して、じっくり話してもいいと思っています。
ここで話してしまっては私が誰なのか、顕正会サイドやガンコさんにすぐに分かってしまうと思われ、隠して顕していないことがたくさんあります。
教学的なことはここの方々にお任せするとして、真実をお望みであるなら、全てお話しても構わないと思っています。
私の話をどう捉えてもらっても構わないと思っています。
ただ、事実を見ないふりをして肯定的に見てしまう顕正会員体質をガンコさんに見てしまうわけでして、それはあまりにもったいない、と思うわけです。

599モモ:2002/12/12(木) 06:36
>597

>顕正会の主張はきわめてシンプルです。どなたが猊下になられても国立戒壇さえ認めて下されば、直ちに猊下に信伏随従申し上げる。まちがいなく近未来に、ふたたび御相承問題で宗門は大混乱に陥るであろう、その混乱は前に似るべくもない大混乱になるだろう、日蓮正宗の存亡にかかわる大混乱・・・その時もはや打つ手を失った猊下は顕正会を頼らざるを得なくなる。

「猊下に信伏随従」とは誤解を招く不適切な表現であると私は理解しております。

600犀角独歩:2002/12/12(木) 11:46

堂々巡りをしていて、何度の同じことを書くのはわたしはあまり好きではありませんが、別段、石山現当職も、先師も国立戒壇を否定したわけではないでしょう。また戒壇建立は四菩薩に掛かること、四菩薩にあらざる貫主は、そのことを述べることを僭越であるとしているのに過ぎないということです。

なお、能化文書でも「(法主上人猊下は)戒壇の大御本尊と不二の尊体」という以上、「猊下に信伏随従」ということは原石山義からすれば少しも違和感はないと思います。

ただ、この件は能化文書で法主・戒壇之大御本尊不二尊体を言って学会に突っ込まれたあと、言葉に窮して自重した流れが法華講に徹底にされた報道管制の一端をモモさんが、元来の石山義の如くとらえてしまっているのに過ぎない点を私は指摘しておきます。

何度も記したとおり、私は教学部と内自部『大日蓮』編集室から仕事をもらい文書を扱っていた手前、石山義が「猊下へ信伏随従」は当然のことであると知っています。

そもそも信伏随従していればこそ、石山において「南無」(帰命)を意味する合掌礼をもって猊下に向かうのでしょう。合掌はするけれど、信伏随従はしていないなどというのは詭弁以外の何ものでもありません。

601犀角独歩:2002/12/12(木) 11:48

【600の訂正】

誤)原石山 内自部
正)現石山 内事部

602菊水護国:2002/12/12(木) 20:34
そもそも国立戒壇であろうと、私立戒壇であろうと、目師を初めとする四菩薩が定めるのであり、それ以外の猊下は目師の御代官に過ぎません。否定も肯定も無いと思います。
そもそも妙信講が解散になったのは「国立戒壇主張のみ」が理由であったのでしょうか。それとも「国立戒壇を強要する脅迫、デモ、暴力行為による宗内秩序破壊」が理由だったのでしょうか。

603犀角独歩:2002/12/13(金) 10:19

誤解を受けると不本意なので、補足します。
私は個人的には、もちろん、石山住職への信伏随従を否定します。
しかし、現石山の本音は、アナウンスとは違うということを言いたかったわけです。

仏法は、先にも記したとおり三帰、すなわち三宝帰命をいういわけですから、現石山
義に則れば、仏に対する帰命は蓮祖に、法に対する帰命は戒壇之漫荼羅に、僧に対す
る興師と歴代師に、という三つを立てなければなりません。もちろん、この場合、僧
宝は興師ですが、それを随一として、唯授一人の相承者として歴代貫主を言うとする
のですから、その人に対して、信伏随従をいうのがおかしいとはならないでしょう。

そして、次に、現石山義で言えば、真偽未決の『真言見聞』に涅槃経を引く「謗法と
は謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」というのであって、その意味からすれば、下
種三宝を言ってしまえば、日蓮、戒壇之漫荼羅、日興と歴代、さらに石山僧全部が一
体の帰命対象というのが、現石山義として導かれるのは、理の運びからすれば、自然
なことです。もちろん、この点については、私は下種三宝を否定しているわけですか
ら、反対の立場です。

しかし、私は注視しているのは「聖人を差し置いて猊下への信を強要している」とい
う論調を、誰が始めたのかということです。これは要するに学会であるという点で
す。また、その批判をかわすために、理解されづらい、三宝一体、不二尊体を下げて
論じた現石山の論調は不誠実であると私は言っているわけです。

だいたい、信伏随従すればこそ、その人が書いた漫荼羅を拝むのでしょう。漫荼羅書、
写・授与の関係というのは、そういうことでしょう。
そうでなければ、ただ1人と定める漫荼羅書写の権能は、学会が言う如く「本尊書写
係」の体をなすことになってしまうでしょう。

604アヤエ:2002/12/16(月) 16:37
ガンコさんは間違いに気がついた今も そこに身を置いてるのですね。
国立戒壇が成される日は永遠に来ないでしょう、そしてそれは永遠に顕正会は
活動を続けていくという事でしょう。
ここでの皆様とのやり取りで 何か変化があったような気がしてましたけど
残念です。
しかし、ガンコさんのおかげでわかった事がたくさんありました、
ありがとうございました。

605五月雨:2002/12/17(火) 12:18

ガンコさんはもう書き込みをされないのですか、597でのご発言の最後でお礼を述べられていらっしゃいますが、まさか引退?宣言だとは思いませんでした。

石山系グループ信者・・・日蓮正宗、創価学会、顕正会はどなたの教えを信仰しているのでしょう、たしか日蓮聖人の教えを信仰しているはずでしたね。
でも現実はそうではないですね、日蓮正宗なら日顕上人、学会なら池田さん、顕正会なら浅井さんを信仰対象としているのです。彼らの話を聞きながら日蓮大聖人の仏法の実践をしている気にはなってはいても、実は教団の長を信じてその言葉を鵜呑みにし、教団の意のままに動かされているだけなんですね。

教団から聞いた日蓮聖人の教えはただの「解釈」だったのですね、日蓮聖人の教えはこうなんだと教えるのではなく、こう解釈しろと言われていただけでした。その解釈を「教学」だと思い込んでいたのです。
日蓮聖人はご本仏、戒壇之漫荼羅は生身の日蓮大聖人と解釈しろと「解釈」を与えられていたのです。日蓮聖人のお言葉に依らないこじ付けを、マジックフレーズで誤魔化して信者に信じ込ませていたのです。それを受け取る信者は疑うのは謗法だと勝手に思い込んでそのまま信じ込んでしまいます。

今回ちょっと顕正会をお勉強してみようと思って、顕正会に詳しいあるサイトで初めて浅井さんの演説を聞きましたが、本当に予言みたいなことを言っているのには驚きました。そして浅井さんの名調子に「講釈師,見てきたような嘘を言い」の格言と「確信ある言葉はたいがい嘘だ」と独歩さんにご忠告頂いたのも思い出しました。なるほどと思いながら浅井さんの名調子を聞きました。

ガンコさんは、日蓮聖人の教えを信じているのですか、それとも浅井さんの教えを信じているのですか。
きっと日蓮聖人の教えを信じたいけど、浅井さんのあの確信溢れる演説にこころが動かされて、どちらを信じていいのか解らないから、この掲示板に書き込まれていたんだと思います。

ガンコさん、独歩さんから皆様からいろんなお話を聞かせて頂いて、どちらを選ばれたのですか。

609犀角独歩:2002/12/17(火) 23:23

ぜんぜん、関係ありませんが、報恩抄にしても、本尊抄にしても、聖人の文章は本当に胸躍るほど、かっこいいですね。

611やーこ。:2002/12/19(木) 03:17
超久しぶりの遅レスです。
今までの議論において、正宗は阿部管長、顕正会は浅井先生を信じることが日蓮の教えを信じることになる旨のレスがありました。
ふと思ったのですが、要するに、上の人に従うことが信心だということでしょう。
上の人の教えが間違っていたら、という考えはその集団の中には毛頭ないでしょう。
それが真実を求める最大の弊害なのでは?
まぁ、今の現状で現宗門と顕正会を比べると、エネルギーや情熱は後者の方が強い、但しカルト性付きで。どっちがいいかって言われれば、後者ですね。宗教にエネルギー無くてはいけないと

612やーこ。:2002/12/19(木) 03:27
(続き)勝手に個人で思っている訳です。教義を信じる事と組織を信じる事は別物だと思います。
私はこの掲示板においては、特定の組織に否定的であっても、その組織を離れろということは致しません。人生を決めるのは全てあなた次第、ということです。生き方を邪魔したくはありませんから。
ごく一部の方にそうした配慮が欠けていると感じます。ここは被害者の会運動促進の掲示板ではありません。以上

613犀角独歩:2002/12/19(木) 03:53

この掲示板では、いろいろな思索があってよいはずです。
配慮云々で批判することも個人の考えの妨害、配慮が不足しています。
なお、現代における信仰形態は組織絶対が教義化されているので、それを単純に別扱いできない仕組みの指摘は大切なのです。

614犀角独歩:2002/12/19(木) 04:09

なお、管理人さんの名誉のために申し上げますが、この掲示板は何らかの被害者家族運動とはまったく無縁なのであって、また、そんな利用をする人間は一人としていないと言うことです

616犀角独歩:2002/12/19(木) 12:11

ここのスレッドは「創価学会法華講正信会顕正会妙観講等はカルトっぽいか」
どこの団体に所属(同意)するどの人が、どんなカルトっぽい発言をしているのかという視点から見ると興味深いものがありますね。

なお、その場合、カルトの意味するところは、元来の「熱狂的(宗教)集団」という意味ではありません。S・ハッサン氏が定義した「破壊的カルト」という意味で、です。

618トゴシ:2002/12/19(木) 19:58
創価学会はカルトっぽい
法華講もカルトっぽい
正信会はしらない
顕正会はカルトそのもの
だって、自分で認めてる

619ガンコ:2002/12/21(土) 13:00
カルトっぽくない、ということなら正信会がいちばんかもしれません。正信会のページを一通り読んでの感想です。叱られるのを承知で言えば、それは活発ではないということかもしれません。サイトそのものは好感のもてるものでした。
ときにトゴシさん。
あなたはどうしてこの掲示板を見るようになられたのですか? もしさしつかえなければ、お話し下さいませんか?

620トゴシ:2002/12/22(日) 18:18
人から質問されても無視して答えない人間からの質問なんか答えましぇん。
ここは顕正会だけのための掲示板じゃないでっしょ。
あんた、ここの掲示板に書きこしてんのは顕正会の宣伝と、反対者いびりのためなのね。

621ガンコ:2002/12/22(日) 20:39
トゴシさん、あなたはよく読んでいらっしゃる。
だからどういう人なのかなあと思って聞いてみたのです。もちろん人それぞれ事情がありますから深く追求しません。かく言うわたくし自身、お話ししていないことがたくさんありますから。

しかしあなた、よく読んでいる割には読み方がなってませんね。
まず顕正会の宣伝なんて、この論客ぞろいの掲示板では通用しません。じっさい、わたくしがひとつ投稿するとたちまちに破折されちゃいます。まるでこちらがパンチをいっぱつ繰り出すとひゃっぱつ返ってくる、こてんぱんにやられてしまう(ちょっとオーバーかしら)。
反対者いびりなど、一度もしていませんでしょう。むしろあなたに対してだって、気が付いたことがあれば言ってほしい旨、申し上げました。

人から質問されても答えない・・・のは事実です。質問者もガンコじゃ回答不能だろうと了解しているフシがありますし、いずれはお返事申し上げようと思っている案件もいくつかあるのですが、いちいち借金返済の延期を申し入れるような書き込みをしていたら格調高い掲示板をますます汚すことになろうかと思うのです。
少なくとも、この掲示板に参加しているうちは「借りは必ず返す」つもりです。

そういうわけですので、トゴシさん、今後ともよろしくおねがいします。

622トゴシ:2002/12/22(日) 21:19
借りは必ず返す、顕正会印が言うと怨念はいつか晴らしてやるぜって聞こえるね。
言い負かされて、出なくなる人、おっかねえ、怨霊になって、ここの常連を恨んでやるぜて感じだね。
ちなみにガンコさんは生霊かしてんね(爆)
よろしくおねがいされてもねえ、こわいからヤダな。

623モトミナ:2002/12/23(月) 08:40
ガンコさんへ
先般、顕正会では2箇所の会館を開所しました。
この時の会長指導は当然ご存知だと思うのですが、これについてはどのように受け止めていられますでしょうか?
内容をご存知ない方もいらっしゃると思うので、ソースは長くなるので要約して記しておきます。
1 2箇所の会館に安置した御本尊は日布上人が唯授一人の相承の心血をかたぶけて、戒壇の大御本尊を書写あそばされたものである。
2 100万達成時期が遅れ、また軌道修正していると騒ぐ輩が多くいるが、広宣流布は簡単にはできない。
  これほど怨嫉・逆縁の多い中にここまでの弘通が為されてきた事が大聖人の御守護である。
問題と思われるのは特に上記の2点です。
まず1について。
顕正会では過去からの指導により、会としては7大幅の御本尊所持となっており、そのうち日布上人の御本尊は2幅。
にも関わらず次々に開所している会館に安置されている本尊は全て日布上人御書写本尊となっています。
この御本尊の出処が不明であること。
2については、100万達成時期の訂正が繰り返された事を暗に認めた上で、謗法や怨嫉が多い中にいよいよ明年達成できる意義が深いことを強弁しているが、私が問題だと思われるのは100万達成の時期の軌道修正ではなく、その時併せて語っている日本の状況の事なのです。
つまり100万達成時期を発表するにあたり、必ず「○○年までにこの100万が間に合わなければ日本は滅びる」等という脅威を会員の意識に盛り込んで、100万達成を煽っている事に思えます。
そもそも100万達成時期が早まる、遅れるという事について「怨嫉・逆縁が多いから簡単にできるわけない」と言っていますが、では100万の誓願をした時点ではその「逆縁・怨嫉」という事を全く考えずに誓願してしまったのか、ということになります。
その程度の算段もできずに「100万を○○年までに」などと安に発言してしまい、会員はそれを見つめてボロボロになるまで戦い抜いて、結果として達成すべき法戦では「100万の路線をいよいよ決定します。○○年まで」と軌道修正を簡単にしてしまう。
そして顕正新聞では「遂に100万の大路線が初めて明かされた」などと掲載する。
古参の会員は「ああ、またか」という感覚でいながら、この程度の事で顕正会に対する信は変わることがないから、会全体がほぼ新しい100万達成の路線を見つめて、過去の路線をすぐに捨て去れるわけです。
今更ながら、かなりいい加減な発言をする団体だな、という印象が強まってしまうばかりなのですが、ガンコさんはこの一連の発言についてはどのようにお考えでしょうか?

624犀角独歩:2002/12/23(月) 10:25

モトミナさん:

横レスごめんなさい。
ちょっと、質問させていただきたいのですが、要するに顕正会は会館安置の漫荼羅を、どんどん作っているということなのでしょうか。

あと、以前もどなたかが、達師、顕師漫荼羅は寛師漫荼羅に取り替えるという発言をしていたのですが、これもつまり作っていることを意味するのでしょうか。

この点の事実関係をお教え願えませんでしょうか。

625菊水護国:2002/12/23(月) 12:06
独歩さん
まずは浅井会長井発言転載
「・・・ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。(中略)
私は、この異常事態の宗門の中で、ひとり顕正会だけが、あの清らかな日寛上人・日布上人の御本尊様を拝めるということ、こんな有難いことはないと思っております。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)

公式見解はこうなっております。

626菊水護国:2002/12/23(月) 12:09
モトミナさん
私の記憶が確かならば、浅井会長が軌道修正を公式に発言したのは初めてでは無いですかね。
今までは、どんなことがあっても、ほうかむりを決め込んでましたからね。

627犀角独歩:2002/12/23(月) 12:15

菊水護国さん:

有り難うございます。
この浅井さんの言う布師形木というのは個人用の小さなものをいうのですか、それとも会館などに懸けられる大幅のものなのでしょうか。

あと、寛師形木漫荼羅を石山から預かっていたというのはわかるのですが、布師の形木が石山が大量に用意していたというのは初耳です。
これは石山が末寺向けに用意したものを指すのでしょうか。

628菊水護国:2002/12/23(月) 12:51
独歩さん
まず、寛師御形木御本尊は、例の学会草創期の頃の小幅なものです。
次に、布師御形木御本尊は、サイズは2種類ありまして、中幅程度と大幅があります。
浅井さんは、松本先生から預かったとしか言っておらず、下付の経緯は不明ですが、戦中法道院で布師御形木が出されていた記録もあり、その関係では無いかと推測してますが、確認は出来ません。

629お暇庵:2002/12/23(月) 14:00
横から失礼いたします、布師の形木ですが九州開導の師、妙寿尼の九州開拓の折りに
堅樹院派の折伏に於いて帰伏信徒の本尊を交換に布師の形木本尊という記述が妙寿尼
の伝にみられます。時代的に言って幾分の残余はあったと思いますが、布師御形木は
明治からの九州や関東の完器講の折伏において作成された物ではないかと思うのです。

ただ、松本日仁師はそんなに沢山のしかも御形木を持ち出すのかなと思うのは私だけ
でしょうか?数々の布教書を上梓され、行き掛かりとはいえど戦前からの正宗の僧侶
であった御方そんなことするかな?と思うのですが、諸氏如何なものでしょうか?

630モトミナ:2002/12/23(月) 15:22
624 独歩さん
証拠がないから困惑してしまうのです。
顕正会が勝手に作成している事実関係は全く不明です。
しかしながら、腑に落ちない事がどんどん起こってきてしまっています。
625で菊水護国さんが仰られる通りの発言が平成11年にありました。
しかし過去の顕正会所持の御本尊数についての会長発言は違っていますよね。
当初は「7幅の上人直筆御本尊と200数十幅の日寛上人の御形木御本尊」と言っております。
妙縁寺住職がこれ等を預けてくれた、という事になっていますが、日寛上人の御形木本尊だけでも当初の数字からはかけ離れた大量の御本尊が下付されているはずです。
例えば会館には日布上人の御本尊が礼拝室にある他、別に用意されている数室の部屋には日寛上人の御本尊が掛けられています。
つまり1会館に少なくとも2幅から3幅の日寛上人御形木御本尊があります。
また自宅拠点といって会員の副長以上の者が地元において、同志(会員)が御本尊様の前に座れるようにと、或いは入信勤行ができるようにと、会員の申し出で下付される御本尊があります。
これが単純計算でも500はゆうに突破しているはずです。
また、例の達師顕師御本尊と差し替えという形で日寛上人御形木御本尊と取り替えられています。
更には平成11年度には隊長・区長・支区部長・支区長といった幹部全員にやはり同様の御本尊が下付されています。
これらの長の人数だけでも100近いはずです。
とすると、当初に言っていた「200数十幅の日寛上人の御形木御本尊・・・」の数字を遥かに超越している数の日寛上人の御本尊が顕正会内には出回っている事になります。
しかしこの事実関係が分からないのです。
一体どこからこれほど大量の御本尊が湧き出てくるのか。
どこぞのサイトでも言っていますが、確かに限りなく黒に近い白、といったところでしかないのです。
628で菊水護国さんが言われる通り、過去実際に布師御本尊が存在していたとしても、会の発表では都合よく途中から日布上人の御本尊が元々預かっていたかのように言っています。
もし当初から顕正会が預かっていたとしたら、きちんと言っていたと思われます。
しかし当初は何度も言うように「7幅の大御本尊と日寛上人の御本尊様200数十幅」と言い切っているわけですよね。
これが最初から1千や2千ではなく、200数十と言っている事が、今更会長がいくら言い訳を言っても首を傾げざるを得ないのです。
そして一番の問題点が、そのような疑惑視される御本尊でありながら、一切証明することなく会館に安置していく顕正会と出処などおかまいなしに、信じきっていく会員なのです。
会長が言っているのだから、というカルト的発想は御本尊という自分達が信じる対境にさえ、反映されてしまっているのです。

626菊水護国さん
全くその通りですよね。
過去何度も学会やらあちこちから批難轟々だった100万達成問題も、100万がほぼ確定した前年になって初めて発言しました。
しかも私から見ると、とても言い訳がましく・・・。
先レスにも書きましたが、当時100万を見つめて本当にボロボロになるまで戦い抜いてきた後輩が、100万路線がパッと変わってしまって落胆し、退転してしまった姿が未だに忘れられません。
にも関わらず「100万大路線が初めて明かされた」等と新聞に大見出しで書かれているのを見ると、当時口惜しくて仕方ありませんでした。
尤も会員としてはこれで「浅井会長はきちんと訂正した」と胸を張っていけるのでしょうけれども。

631犀角独歩:2002/12/24(火) 03:49

モトミナさん:
菊水護国さん:

有り難うございます。
事実は至って単純なのでしょう。
要するに、顕正会は漫荼羅を濫造しているのですね。

632菊水護国:2002/12/24(火) 09:25
独歩さん
私は「顕正会の曼荼羅作成の可能性大」でしょうが、法律家の端くれとして「疑わしきは○○」として、曼荼羅濫造とは言わないのです。
しかし、本音は・・・(笑)。

633菊水護国:2002/12/24(火) 09:28
モトナミさん
私は布師御形木はともかく、寛師の御形木は明らかに学会(宗門)退転者から、提出された本尊の使いまわしで増えたと推測してます。それ自体に問題はたくさん感じますが・・・。

634菊水護国:2002/12/24(火) 09:29
633訂正
モトナミさんはミトミナさんの誤りでした。
モトミナさん、ごめんなさい(謝)。

635モトミナ:2002/12/24(火) 09:50
菊水護国さん
633で仰られる可能性は大きいと思います。
しかし、となると各自宅拠点や会館別室安置の寛師の御本尊が全て真新しい事実と重ねると、表装(表現が的確か不明)したことになりますよね。
御本尊の表装という事について、正宗古来の在り方として在家が何処かの専門店に頼むといった行為はどの程度まで許されているのでしょうか。
私は存知していないので詳しく知っていたら教えて下さい。

636犀角独歩:2002/12/24(火) 10:00

菊水護国さん:

> 「疑わしきは○○」として、曼荼羅濫造とは言わない

これは賢明なご発言、見習わなければいけませんね(笑)

637三学無縁:2002/12/24(火) 20:40
「国立戒壇」の建立ですが、すくなくとも日蓮正宗を称してからは、その大半は国立戒壇建立が宗是でしたね。
日達氏も「ことば、名称は使わない」といっただけで、「その精神は変わっていない」というような発言をしていました。
それが、いつのまにか「ことば、名称」ではなく「考え方そのもの」が誤りであると摩り替えられていったわけです。
その淵源は阿部信雄氏著作といわれる論文にあるのでしょう。
正宗と名乗る以前の戒壇論については時系列でその変化を検証する必要があると思いますが、明治維新以降、日達氏までの「法主」は国立戒壇建立で、ぶれてはいません。
ということは、このことだけは顕正会の主張は正宗的には正しい、ということになりますね。

まあ戒壇に限らず、三秘について現今の正宗は何も語っていませんし、語るものを持ち合わせてもいないようですから、困ったもんではあります。

顕正会の本尊問題も、いまの正宗ではホウボウとなってしまうのでしょうが、法道院製造時代やそれ以前のことを考えれば、ホウボウであると決め付けるのは行き過ぎかもしれませんね。
いずれにしても、臭いものは元から絶たなきゃ駄目、なのではないでしょうか。

ちなみに本尊の表装は基本的にお構いなしですね。
一部の僧侶は知り合いの表具屋を使わせてマージンをとっているようですが、それは商売ですね。

638犀角独歩:2002/12/25(水) 10:58

顕正会は漫荼羅を作っている、こんな疑いがあれば、顕正会のやることはただ一つ。
先に布師7体、寛師200数体と発表したように、他講信者で漫荼羅を預けたのは何人何体であるという発表もすればよいわけです。
しかし、そういうことをしないから疑われるわけです。疑いの形は簡単です。発表できないようなことをやっているのではないのかということです。

また、布師と顕師に限り漫荼羅を使うという論理的説明がまるで不足しているように思えます。
いずれにしても、漫荼羅は授与書、脇書でその性質を決めることが、特に興師においてせんめいになされてきたのであって、これが興門化儀なのでしょう。
それを「間違いないなく実践する唯一の団体」では授与、脇書を無視して、勝手に人に与え、安置場所を定めてしまっています。
これらの教理的過ちを少なくとも言い繕うぐらいのことはあってもよいであろうと思うわけです。

639菊水護国:2002/12/25(水) 13:17
独歩さん
揚げ足を取らせて(笑)。
638の「布師と顕師に限り漫荼羅を使うという」は「布師と寛師に限り漫荼羅を使うという」の誤植ですよね。
悪意はありませんが、勝手に訂正させて頂きました。

ちなみに、本当は顕師と達師以外の曼荼羅は全てOKなはずですよ、顕正会は・・・。
ただし、口コミで、達師と顕師本尊を取り替えているだけで、正式には取替えは強要してませんから、ここが巧妙なんです。
ですから、公式見解などあろうはずがない。

640犀角独歩:2002/12/25(水) 18:49

菊水護国さん:

ご指摘有り難うございます。間違えました。
口コミ操作で、公式見解なしですか。さもやありなん、というところです。

641菊水護国:2002/12/25(水) 22:34
そういえば、口コミ操作と言えば「浅井先生目師再誕説」が書かれてたことがありましたが、私が聞いたのは別です。
「広宣流布の暁には、出家(法主)から浄行菩薩(目師)が生まれ、国主から無辺行菩薩(興師)が生まれ、在家から安立行菩薩(寛師)が生まれる。在家の菩薩は浅井先生に違いない。浅井先生は寛師の生まれ変わりなんだ」とされてました。
しかし、今考えるに、血脉両抄には「広宣流布の日は上行菩薩は大賢臣となり・無辺行菩薩は大賢王と成り・浄行菩薩は大導師となり・安立行菩薩は大関白或は大国母となり、日本乃至一閻浮提の内一同に四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしめんのみ」とありますから、大賢臣=大聖人=浅井先生とも解釈できます。

642モトミナ:2002/12/26(木) 09:48
そういえば、顕正会では過去用いた法主の指導を最近では使用しなくなっている傾向がありますね。
かつては有師等を冨士などでも称えていたものですが、最近では毛嫌いしてわざと避けている傾向すら伺えます。
顕正会では崇高な法主とされているのは、観念文で読み上げる御歴代であって、それ以外の法主の指導は使用しません。
有師等は特に顕正会にとって困ることになってしまう、化義抄などもあるわけですから、仕方ないところかもしれませんね。
要するに顕正会にとって不利な発言をしていない法主が正師であるわけです。
また顕正会所持の書写した法主なども擁護しているようです。
そこで学会は布師の事を蔑んでいき、顕正会は布師の擁護に翻弄する、といったやり取りも見られるわけです。

643モトミナ:2002/12/26(木) 09:50
訂正
>かつては有師等を冨士などでも称えていたものですが、

ここで言う「冨士」とは顕正会発刊の機関紙のことです。

644ガンコ:2002/12/26(木) 15:54

モトミナさん、独歩さん、菊水護国さん、お暇庵さん、三学無縁さん・・・

メールでも少し触れましたが、モトミナさんは始めこそ浅井先生に遠慮があったように見えましたが、だんだんと遠慮が取れて過激になってまいりました。この先なにを言い出すものか、ハラハラドキドキしています。

さて、本尊問題について、ガンコがどんな与太話をするものかと楽しみ?にしてらした方がいるかもしれませんが、残念ながら今回はご期待にこたえられないと思います。ようするに、これは顕正会にとっては致命的であり、もし取りざたされている問題が本当だったら、わたくしとしても重大な決意をせざるを得ないと考えているのです。

そのまえに、100万の下方修正問題について申し上げます。
入信者数に関しては、粉飾決算はしていないだろう、とわたくしは思っています。モトミナさんはご承知でしょうが平成10年以降、顕正会はしばしば誓願に負けています。そこで思うのです・・・なんで浅井は粉飾をやらないのかと。誓願に負ければ、宗門や学会から揶揄されるし会員の士気も低下するし、いいことはないのです。企業戦略的にいえば、ライバル会社に対する見栄だとか株価操作等、さまざまの理由で行われていることですが、なぜに浅井はそうしないのか? なぜにわざわざ何回も繰り返し恥をさらしているのか?
おそらく、入信者数は大聖人様に御報告申し上げる意味があるからだろうと思います。
いわゆる「大聖人の御眼を恐れる」ということ。であるからウソは発表できない。

モトミナさんの問うていることから外れているし、ほかの皆さんも言いたいことがあるでしょうが、いちおう上記のごとくであるならば・・・
・・・ここから本尊問題を考えるならば、おのずと答えは決まってくると思うのです。

ちょっとまわりみちですが、浅井の新刊本について申し上げます。これはいわゆる「平成2年の諫暁書」の復刻本?ですが、一目見てあちこち書き替えられているのがわかりました。
なんでこういうことするかなあと思うのですがそれはさておき、今回あらたに加えられた「あとがき」から一部を次に引きます。

・・・このとき阿部信雄は、まことに荒唐無稽な邪推を以って、戒壇の大御本尊に対し奉り大それた誹謗を加えている。あまりに恐れ多いので、その悪言を私はあえて掲げない。ただし、阿部管長に対面の折あれば、面詰して一刀両断、大御本尊の御前で五体投地の謝罪をさせること、ここにはっきりと記しておく。・・・

この浅井発言に対しても、それぞれの立場に則って大いに言いたいことがあることでしょうが、今回はひかえて下さい。これも本尊問題につなげて考えてほしいのです。

つまり、わたくしを含め多くの顕正会員は浅井先生を信頼しきっている。けれども取りざたされているごとくに濫りに御本尊を複製して会員に拝ませているとすれば、その事実が発覚したときには顕正会は一気に崩壊することでしょう。
カルト団体はつぶれそうでつぶれないもんだ、どんな状況になっても浅井先生についていく者もいることだろう、という意見もあるかもしれません。
しかし、わたくし個人は、ことと次第によっては顕正会と決別せざるを得ない、このように考えていることをここに宣言します。

645犀角独歩:2002/12/26(木) 16:59

ガンコさん:

100万人に粉飾決算をしていないかどうか。
こんなのは答えは簡単ですよ。
100万にいるというのであれば、名簿とその所属を明示すればよいだけのことです。

国勢調査というのがありますね。日本国民全員のその年の出生増から、死亡減まで最後に1人までわかります。そこで国民総背番号制が成り立つわけでしょう。100万人なんて小単位ではなくて億単位でも1人までわかるわけです。

もし顕正会・浅井さんが“御本仏”日蓮聖人に嘘を吐かないと言うのであれば、国勢調査の人口統計のような正確な増減発表を、機関紙上で行うはずでしょう。否、行わなければならない。しかし、そんなことをやったなんて、聞いたこともありません。

ガンコさんをはじめ「浅井先生が100万人と言えば100万人いる」という話だけの数字でしょう。それが本当であるというのであれば、証拠を示せばよいわけです。

わたしは「いない」とは言いません。ここで聞きますが、ガンコさんは何を証拠に100万人…いまは90万人?…いると言うわけですか。


さて、もう一つ、御本尊複製のこと。

いま確認されている125体の日蓮真筆漫荼羅はどこに保管されているのかはすべてわかっています。また、浅井さんが批判する石山だって蓮興目已来、石山住持がいつ漫荼羅を記され、それがどこに保管されているのかをわかる限り調べていますよ。「御本尊を鄭重に扱う」というのは、そういうことですね。

「どこよりも、日蓮大聖人の教えを守る唯一絶対の団体である顕正会」が、殊、御本尊に関して、まさか、まさかですよ、7体ばかりの御本尊の所在すらちゃんとしていないなんてことはあるはずはないですよね。布師漫荼羅7体は、どこに安置されているのですか。

もし、ガンコさんが知らないのであれば、御本尊に関することです。自分で回って数えてみればどうでしょうか。ともかく、布師漫荼羅は7体、それ以上、あれば複製している、簡単な話です。

また、わずか200数十体の漫荼羅でしょう。御本尊の取り扱いに本当に厳格な団体であれば、その所在の一覧名簿は完備されてしかるべきでしょう。
また、仮に他信徒の持ち込み増があれば、その点についてもちゃんと一覧名簿があってしかるべきですね。もし、斯様な証書がないとしたら、もうそれだけでも、御本尊をいい加減に扱っていると言うことでしょう。

命より大切な御本尊、三百体にも満たない漫荼羅の所在を、まさか、顕正会ともあろう団体が掌握していないなんてことがあるのでしょうか。でも実際は、掌握すらされていないのでしょう。不敬ですよ、これは、明らかに。これを「実態」というのです。

あと、寛師漫荼羅に関しての話ですが、会員から集めた漫荼羅を他の会員、あるいは会館に安置しているということですが、この扱いは不敬でしょうね。前にも書きましたが、顕正会本部の漫荼羅に「妙縁寺重宝」ともし入っているとすれば、妙縁寺から持ち出すことを謗法というのでしょう。まあ、それを移管する段階で当代石山住持が次の保管場所を脇書したのであればその限りではありません。板などに改めた複製であれば、その旨がまた記されてあれば、その限りではありませんが。脇書によって安置場所を定めるのは興師已来の伝統儀です。

だいたい、顕正会は独自に本尊授与を行っているわけですね。いったい、何の根拠をもって浅井さんは本尊授与の資格があるとするわけですかね。私がいちばん、ビックリしたのはこのことです。

平成5年9月8日のこと、『聖教新聞』1面トップを飾った見出しは以下のとおりでした。

日寛上人御本尊授与を発表
信心の血脈は唯一、学会に
真の和合僧団に授与の資格

この論調と顕正会の本尊授与、どこが違うのでしょうか。
顕正会が学会の物真似といわれる所以です。

以上のことから、ガンコさんの顕正会決別は確実なこととなった、と私は思います。

646菊水護国:2002/12/27(金) 00:54
ガンコさん
粉飾はしてますよ。恐らくガンコさんが云ってるのは「増加数の粉飾」の事ですよね。でも粉飾は増加数だけでしょうか。減少数について何か聞いたことありますか。
はっきり云います。100万のからくりなど簡単なことです。
顕正会では脱会者も死亡者も全て会員数から減らしません。
減少者(死亡者・脱会者)を考慮しなければ、後は増える一方です。歴史が進めば進むほど会員数は増えることになります。当然100万の中には私も入ってます。これは粉飾とは云いませんか。
「顕正会の会員数は同窓会名簿と同じです。」
この言葉から皆さん想像してください。
顕正会は公称100万足らず、実働5万足らずです。結集者の推移を見れば一目瞭然です。粉飾も粉飾、大粉飾です。

まあ、同じ事をやってる、正宗内某講中と50歩100歩ですが・・・。

647菊水護国:2002/12/27(金) 01:04
顕正会の布師常住は2体だけです。
7体(旧本部も含めて8体)は、常住様のすべての数です。
恐らく布師7体とは、勘違いでしょう。

ちなみに、布師常住様2体の所在は分かってます。
顕正会横浜会館及び高知会館です。
その他も常住様の所在は公表されてます。
問題は、最近増えている、数十存在する出所不明の布師御形木様ですね。
これだけは全く公表されてません。

648犀角独歩:2002/12/27(金) 13:43

> 647 菊水護国さん:

確実な情報有り難うございます。

649モトミナ:2002/12/27(金) 16:11
ガンコさん。
菊水護国さんの意見に賛同させて頂いた上で、更に少し重ねさせて下さい。
>顕正会は公称100万足らず、実働5万足らずです。結集者の推移を見れば一目瞭然です。
これは菊水護国さんがガンコさんを慮って少々多目に書かれた数だと、私は思っています。
実動は私は4万未満だと見ています。
もし真実が知りたければ、総支隊長・支区長クラスの幹部以上なら所持しているはずの成果一覧表を見せてもらって下さい。
ほとんど月ごとに一覧表として渡されているはずです。勿論安々とは見せてくれまないでしょうけれども。
この一覧表には各組織ごとの折伏入信者数(誓願)、御書講義結集成果、総幹部会結集成果が数字になって詳細に記されています。
ガンコさんは実活動人員はどこを指すべきだと思いますか?
通常、各組織の活動陣容は総幹部会の参加人数の80%程度だと考えるべきです。
200人の総幹部会の参加がいるのであれば、160人程度が実活動者だと思われます。
御書講義参加者ではなく総幹部会参加者とする意図はご存知の通り、法戦参加意思のある者が多く参加しているからです。
私は顕正会の実態というのは実に100万に近づこうとしている団体ではなく、100万を強く意識するようになった団体にしか見えません。
実動4万前後の組織が100万達成などと宣言しても、一体そこに何が生まれるというのでしょうか。
実動100万人というならまだしも、累積100万人に一体どんな仏意があるのか、ここが顕正会の場合全く鮮明になっていません。
ガンコさんの言いたい事は活動期に私も思っていたことですからよく理解できます。
しかし入信者を詐称しない事ということと、顕正会総会員数を詐称していることでは、ガンコさんはどちらが大聖人の御眼を恐れる、ということになるのでしょうか。
ただ前者を以て顕正会を信じたいだけ、ということになりませんか?

650モトミナ:2002/12/27(金) 16:11
入信者数の報告のズレを指摘しておきます。
たわいもないこと、と思われるかも知れませんが、ガンコさんがそこまで拘っているわけですから、敢えて書かせて頂こうと思います。
まず、幹部の入信者数の報告ミス。これは以外とよくあります。
通常は翌法戦で帳尻合せをしたりしますが、それでも数が合わない事が発生したりします。
次に入信報告書の紛失等による入信証明が出来ない場合。
これも無視できない程度に存在します。
折伏者が報告書を持ったまま、当月に退転して報告書が提出できない、などという場合や、所持していた幹部が紛失してしまう場合など、相当数に上るものと思われますが、入信事実がたとえあったとしてもこれは会としては証明できないことになります。
しかし入信者として勘定してしまう場合がほとんどです。
そして一番多いのが二重入信でしょう。
過去数年前に入信していて、顕正会の名前すら忘れてしまっていて、再度入信してしまう場合が多くあります。
この場合、入信勤行前や直後なら訂正もしますが、数ヶ月も後に発覚すると、そのまま迷宮入りしてしまいます。
つまり会員数が重複していることになります。
私の後輩が実は数年前に入信していたことに気づいたのが、紹介者だった方が偶然幹部会などで見かけた時発覚したという実例がありました。
未だに重複入信だと気づいていない者すら多くいるのです。
これらが何十年も積もり積もった挙句に総幹部会にて”現在の総会員数は”などとして詳細な数名単位まで発表してしまっている実態の裏側なんです。
そこに発表される詳細な会員数に一体何の効力が見出せるのでしょうか。
ましてや独歩さんや菊水護国さんなどがご指摘の通り、死者、退転者などはマイナスになることなく、常にプラスされ続けている実態を考えれば、呆れてしまいます。
私の知る限りでも亡くなった方など相当数の方が未だに会員数に計算されています。
退転者の中には内容証明書付で退会届を提出している者も多くいます。
それ等は全く無視では、何の為の総会員数になるでしょうか。

651モトミナ:2002/12/27(金) 16:11
ガンコさんが仰られるところの”入信者詐称を一切しないのは大聖人の御眼を恐れるゆえである”というのは、つまり世間などを気にせずにただ大聖人の護法の為に立てている誓願だから世間の批難など恐れていない、という意味でしょう。
だから本部の人間などは”世間に顕正会の崇高な戦いなど理解できるはずがない”と声高に指導し、またそれを受けて熱くなる会員の姿があるわけです。
しかし、私が問題だと思うのは、それほどまでに大聖人の御眼だけを恐れる団体であるならば、もっと深い詳細まで徹底しなければならないのではないか、という事なのです。
多重入信や報告書紛失等は敢えて出したまでの事、尤も問題だと思うのは、大聖人の御眼を恐れる筈の団体が、成果主義で進める折伏の実態こそ大聖人の御眼を恐れていないではないか、ということなのです。
みなさんの指摘されている通り、日蓮大聖人の仏法を教える、というのであれば、ただ入信報告書を見知らぬ所で他人が書いて、御本尊の前で勤行のやり方を一緒にするだけで大聖人の御眼に叶っている、と思われているのでしょうか?
顕正会員は御本尊の前に座らせれば、即下種され、そこから御本尊の御力によって発心するもの、と捉えているのですが、これが本当に顕正会でいうところの、理論書で説いているところの下種に当たるのでしょうか。
そうゆう者も多くいる、のではなく大抵の会員がそうなのです。

顕正会は広宣流布という大願を目的にしているから、一人一人の折伏や入信勤行にいい加減なところがあっても仕方ないのでしょうか。
全くの逆だと思います。本当に顕正会のいうところの大聖人仰せのままの広宣流布を達成する、というのであれば、一人一人の折伏や入信勤行などがしっかりしていなければ何の達成になるのでしょうか。
そんな姿で100万達成しても、その100万の実態がどういったものになるのか、想像するだけでぞっとしてしまいます。
ましてや現在のように全く教学意識がなく、会として”教学!教学!”などと叫んでいるのは、詳細なことや事実を伏した顕正会の御都合に合わせた理論書を学ぶ事だけの実態から眼を背けて、一事を以て大聖人の御意のまま、というのは理解のし難いところです。
願が大きいゆえに小事に眼を瞑るのは仕方なし、とするのであればそもそもの広宣流布達成への道筋が違っているのではないのでしょうか。
ガンコさんの意見をお待ちしています。

652菊水護国:2002/12/27(金) 23:05
> 実動は私は4万未満だと見ています。
モトミナさんの云われるように、確かに、私は多く見積もりました。
本音は、モトミナさんより厳しいですが、3万くらいと見てました。

> 私の後輩が実は数年前に入信していたことに気づいたのが、紹介者だった方が偶然幹部会などで見かけた時発覚したという実例がありました。
はっきり申します。現在顕正会大幹部のYS氏は、会員の入信に当り、既に数年前に入信してることを聞いた上で「あらためて、信心を始める意味で、入信勤行を受けましょう」と言って、入信を受けさせました。このような実例は腐るほどあります。これも当然入信者数ですよね。

653みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2002/12/28(土) 01:15
創価学会もやっていますよ。すでに入会していて、退会していない人を、再入会させることを。

654モトミナ:2002/12/28(土) 08:29
菊水護国さん
>本音は、モトミナさんより厳しいですが、3万くらいと見てました。
更に厳しく活動会員数を把握するというのであれば、実際は8月の合宿研修会の参加人数が実動人数となるでしょう。
基本は班長以上の出席ですが、戦っている者であれば参加枠は簡単に空けてもらえます。
つまり組長や戦いに参加し始めた者も多く参加していることになります。
この合宿参加人数に、地域的な問題や職業的な問題で参加できない者がいると考えて、合宿の参加人数×3割増し とするのが実は妥当な線でしょうね。

655菊水護国:2002/12/28(土) 13:32
昔、顕正会の会員時代に、既に脱会者を減らさないことにつき幹部に質問したところ、
「顕正会の人数は、御本尊に縁出来た人の数であり、会員の興隆の数字ではないよ。何人が大聖人様と御本尊様に縁出来たかが基準だから、辞めた辞めないは関係ないんだよ」と云われました。
しかし、総幹部会の発表では「この大折伏により、本日現在顕正会総会員数は○○人です。」と報告してる以上、上記は詭弁であるのは云うまでもありません。

656お暇庵:2002/12/28(土) 15:33
菊水様、仰せの件のお話し。
>「顕正会の人数は、御本尊に縁出来た人の数であり、会員の興隆の数字ではな
>いよ。何人が大聖人様と御本尊様に縁出来たかが基準だから、辞めた辞めない
>は関係ないんだよ」と云われました。

似たような話を別の所で聞きました。
正宗内SM派某講中はご本尊返却しても名簿から削除しません。学会に再入会
しても削除はいたしません。それでいながら御宗門には累積2万所帯と報告し
ています。宗内最大講中と豪語していますが、世帯の数え方も家族人数5人で
有れば5世帯報告です。その矛盾を問いただす機会に聞いたらいずれ、世帯に
なるからだそうです。途中で誰か亡くなったらどうするんでしょう?
まぁ、覇権主義、数字絶対という妄想は学会の汚染思想でもありますが、その
講中の講頭は件の報告矛盾に対して
「それは数え方がおかしいね」だけで未だに訂正の通達があったとは聞いていま
せん。カルト系組織構成運動論者は矢張り似てくるのですね。

657:2002/12/29(日) 03:41
突然の横レス、すみません。
私が他の掲示板で「顕正会の実勢って、20万ぐらいですか?」と聞いたら、「20万が今のような調子で5人ずつ折伏してみろよ。100万なんか、あっという間じゃねえか、ヴァカ」と言われました。
5万とか4万とか3万とか、なんか、納得できるなあ……。

658つまけん:2002/12/29(日) 23:23
犀角独歩さん 五月雨さん トゴシさん 菊水護国さん
「配偶者がカルト」のレス読みました。ありがとうございました。
>5人ずつ折伏〜100万なんか、あっという間(あ さん)
顕正会に毎月5000〜10000人分の入信報告書が提出されていますね。
12月は特に多くなるようです。あくまで顕正会基準ですが、現在93万?なので
来年中の100万達成はほぼ間違いないところです。
1年後位にはなにか行動を起こしそうです。

661こまった:2002/12/30(月) 20:23
>659 顕正会等ではありえない指導ですよね。

今の越洋会系でもありえないのでは。

662犀角独歩:2002/12/30(月) 22:14

越洋といえば、顕師のことですが、この膝下でも、ノルマのようなものはないと。
となれば、連合会のノルマは柳沢さんの独走ということ…、でもないでしょうね。

663ガンコ:2002/12/31(火) 13:57

独歩さん、菊水護国さん、モトミナさん

借金をきれいにしてから新しい年をむかえるというのが昔からの慣わしではありますが、申し訳ありませんけどこのまま繰越させていただくことになってしまいました。
本年後半は、とりわけモトミナさんがお出でになられてからは凄まじい展開になってしまい、皆さんのお書きになられるものを拝見するのが精一杯だったのです。
そして妙な話ですが、わたくしに対する厳しい破折を拝見しているとなんとも不思議な快感に襲われるのでした。自虐的な快感とでもいいましょうか、そんな悦びに浸っているじぶんに気が付きました。
もしかしたらじぶんは議論を楽しんでしまっているのかもしれません。
それは余裕のなせるわざなのか、あるいはすでに精神に異常をきたしているためなのか、わかりません。

けっこう用心深く書いたつもりでしたが、わたくしとしては本尊問題が究極であろうと思うのです。
ところが皆さんは100万の方に多く筆を費やしていらっしゃる。
おそらくはすでに出揃っている証拠だけでもじゅうぶん顕正会に決別する事由になるとお考えなのでしょう。
それは個人差、その人のカルト度によるとするのが妥当なところ、つまり、わたくしはまだじゅうぶんではないと考えています。宣言のとおり、本尊問題の帰趨によって判断したいと思います。


五月雨さん

605、の仰せを意訳的に拝せば、法華講も学会も顕正会もそれぞれ組織の長を絶対と仰ぐことが正しい信心だと勘違いしていて、本当の信仰を知らない。けれどもこの掲示板に接する者はおのれの間違いに気付き、次々と正しい信仰をつかんでいっている。ガンコの信心は浅井教になっている。はやく気が付きなさい。

カルト度の低いことを自負しているわたくしは、おおむねおっしゃる意味は理解しているつもりです。
すでに再三にわたって堂々めぐりとのご指摘をいただいていますので、明年はすこし趣向をかえてお目にかかりたいと考えています。


アヤエさん

「ガンコさんは間違いに気がついた今も そこに身を置いてるのですね」
お叱りを受けてしまいました。さらにお叱りを受けることになりそうですが、まだまだやめる気はないのです。だってやめる理由がないんですもの。
ですから来年も「顕正会のガンコ」としてお目にかかることになりますが、すこしはマシな投稿ができるように心掛けたいと思っています。

664モトミナ:2002/12/31(火) 17:24
ガンコさん 独歩さん 菊水護国さん 他多くの皆さん
本年は本当にお世話になりました。
特に本年初頭にこのスレッドを知って以来、ROMを繰り返して参りました。
そして様々な方の意見を聞く中に自分なりにも結論的確信から書き込みを繰り返してきました。
私は顕正会以外に在籍した経緯がないので、顕正会を基本としてしか発言することができませんが、その最中に顕正会用のスレッドを立ち上げていただくことができ、今後は私はそちらで思うこと、過去の顕正会の実態を明白にしていきたいと思っております。
明年は更に飛躍できるよう努力していきますので、今後もよろしくお願いいたします。

665犀角独歩:2003/01/01(水) 00:22

モトミナさん:

今年は顕正会のみならず、思索の枠を石山、さらに富士から通日蓮、通仏教まで広げられることを期待します。


ガンコさん:

以下の真偽未決ながら、日蓮の遺文を送ります。意味は理解できるかな。

「非学匠は理につまらずと云ひて、他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間、暗証の者とは云ふなり。都(すべ)て理におれざるなり、譬へば行く水にかず(数)か(書)くが如し」

666アヤエ:2003/01/10(金) 16:30
ガンコさん
叱ってなんてないですよ、ちょっとガッカリしましたが、それはガンコさんにとって
余計なお世話だと思ってますし、私の勝手な期待ですので 気になさらないでください。
五月雨さんへのレスですが、趣向を変えて との事 楽しみにしています。

667ガンコ:2003/04/02(水) 19:10

「投稿再開にあたって」

およそ三ヶ月にわたって沈黙を保ってきた。
それにはそれなりの訳がある。

去年の暮れごろ、本尊問題のなりゆき如何によっては顕正会をやめるとまで申し上げた。
内心ドキドキしながら、いったいどんな情報がもたらされるものかと、じっと待っていた。
ところが一向にそのような情報はあらわれず、それどころか顕正会問題じたいがあまり取りざたされなくなってしまった。

1、本尊問題は事実無根である。
2、否、内部のきわめて少数の人間のみが知るところであって、造反者でも出ない限り事実はあらわにはならない。
3、すでに外部にも情報をつかんでいる者がいるけど、たまたまこの掲示板をしらない。
4、っていうか、だあれも顕正会のことなんて注目していない。(相手にしていない?)

まあ、沈黙の理由はほかにもあります。顕正会擁護の立場に還っていうならば、やっぱりわたくしのやっていることはよくないのではないか、迷惑をかけているのではないのか、と。
「ふざけたマネしやがって」「余計なこと書くんじゃねえよ」とか、まじめな顕正会員なら思うでしょうし、本部の方でも眉をひそめているかもしれません。
しかし、これは自意識過剰だかもしれません。いまや顕正会はそんなことではビクともしない大きな組織であり、また逆に言えばそれだけ大きくなればいろんな人間がいてあたりまえ、わたくしのような変わり者がいたっていいじゃありませんか。

沈黙の理由をもうひとつ。
“くだらないこと書くヒマがあったら勉強しなさい”といわれたものですから・・・
べつにヘソまげて黙り込んでたわけじゃないです。すこしは勉強しようと思ったのです。
ところが元来がナマケモノですから、ボケッとしているうちに気がついたら四月になっていた・・・ってなわけです。

本年もよろしくおねがい申し上げます。(大ボケ)

6682ちゃんより:2003/04/03(木) 17:52
ガンコさんとやら、悪名高き「2ちゃんねる」という巨大掲示板をご存知か?
そこで本尊の問題を問われています。
対処している会員さんが2人いましたが、顕正会を信じる事ができなくなり
一人は退転されましたよ。一人は頑張ってますが、本尊の問題に関しては
「幹部に問い合わせ中」と言う事でずうっと放置されています。
アンチ側は本尊の事を明かにすれば 顕正会の間違いを気付かせると思って
問い詰めていますが、今のところかわされています。
ここよりも ずいぶんと質が悪いところですが 一度覗いてみてはいかがです?
これで行けるかわかりませんが 貼り付けてみます。
スペースを取り除いてアドレスに貼り付けてみてください。

管理人様 もしもこの書き込みに問題があれば削除お願いします。

h ttp://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1048855049/585

669ガンコ:2003/04/03(木) 20:48

これはご丁寧に、どうもありがとうございます。
わたくしあんがいに浮気をしないたちなので、2ちゃんねるは一度も見たことがないのです。
上のアドレスでは、いけないようです。どうしましょうか?

670五月雨:2003/04/03(木) 21:05

ガンコさん 

お久し振りです、お元気そうで何より。
今年は趣向を変えられるとか楽しみにしております。

>本年もよろしくおねがい申し上げます。(大ボケ)

こちらこそ宜しくお願い致します、桜の花が満開ですが、気にしない、気にしない(^^)


2ちゃんねるへのアドレスは下記で行けましたよ。

http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1048855049/585

671ガンコ:2003/04/04(金) 02:46

五月雨さん、どうもどうも。

行けました、行けました。わざとhとtのあいだを空けとくものなんですかね。

ついさっきまで、ざっと読んでいましたが・・・う〜ん、なんと申しますか、わたくしとしては何にも解決にならないという感じです。
本尊問題、2ちゃんでは御本尊問題とみんな言ってますが、ともかく何ら新しい情報はありません。
ようするに疑惑がある。顕正会はちゃんと答えるべきである。今流に言えば説明責任がある。ところが本部は黙して語らない。はなはだ怪しいではないか。
まあ、こんなところでしょう。
それはわかっているんです。だけどいきなり本部に聞けませんよ。だからもっと有力な情報がほしいのです。
そして確かな情報を得て、ばあいによっては本部にかみつくかもしれませんし、静かにやめていくかもしれない、というところなのです。

672ガンコ:2003/04/04(金) 02:55

2ちゃんより さん

もっともわたくしざっと読んだだけですから、読み落としているところがいっぱいありそうです。
どこかにきわどい書き込みがありましたでしょうか?

6732ちゃんより:2003/04/04(金) 09:42
ガンコさん、2ちゃんを覗いてくれたようですね。ありがとうございます。
アドレスの間にスペースを入れたのは リンクを貼り付ける事がここの迷惑に
なるかもしれないと考えたからです。五月雨さんがあっさり貼り付けてくださったので
安心しましたが・・・・
五月雨さん どうもありがとうございます。

あそこに書きこまれている「一刀両断」というHNの方がいらっしゃいますが
あの方は元々顕正会員の幹部です。顕正会の間違いに気付いて脱会した方です。
この方の書きこみをよく読んで頂きたいと思います。
その他、名無し以外の書き込みに注目してください。
2ちゃんは煽りが多いのでたまにウンザリすることも多々ありますが。
【第24回】徹底検証!『宗教法人顕正会』 というスレもあります。
  ↑24回なので過去ログも大量にあります、まあ 全部読むのは大変でしょう。
見ていただいたと思いますが◆◆◆冨士大石寺顕正会 問答編 第2章◆◆◆
こちらも第2章となってますので 1章が存在します。読んでみてください。

覗いてもらったのなら分かると思いますが、
会員はほとんどそこに書き込んでいません。
しかしロムはしてると思います、末端の信者は「絶対の教え」と信じているのでしょうから 
あの場にたむろする多くのアンチを早く破折して欲しいと願っていると思います。
にも関らず「幹部に聞いてきます」といって質問の答えが延び延びになってるのです。
これは何故でしょう、出所がハッキリしているならば答えればいいだけです、
予測や想像に過ぎない会員側の毎度の答えに アンチ側は痺れを切らせてます。
何故答えられないのでしょうか、何故幹部からの返答が得られないのでしょうか。
御本尊が偽物の場合、やはり顕正会のいう「功徳」は得られないという事になりますか?
それを知るのがこわくて本部に聞けないといったところでしょうか。

またよかったら感想を聞かせて頂きたいです。

674黙さず語る者:2003/04/04(金) 10:17
がんこさん はじめまして。

顕正会の諸問題については、幸いに顕正会専用のスレッドが立ち上がっているようなので、そちらに移って私も参加させて頂ければ、と思っています。
しかし、2chにしろ最近よく目につくのは会の指導を会員があまりにも個人的解釈をなしているなぁ、ということです。
もっと会として徹底されるべき指導が、全くなされていない。
だから、本尊問題でも血脈問題でも会員それぞれ独自の論を持っている。
突っ込んでいくと会長の過去の指導と全く違う事を言っている事に気づく。
なんだか会の狙い通りの姿になっている、とも思えてしまうわけです。

>いまや顕正会はそんなことではビクともしない大きな組織であり、また逆に言えばそれだけ大きくなればいろんな人間がいてあたりまえ、わたくしのような変わり者がいたっていいじゃありませんか。
本当にそんなに大きな組織だとお考えなのでしょうか?私は到底100万陣容に相応しい実働人数には思っておりませんが。

時間があれば、活発に議論させて頂きたいと思っております。

675無名:2003/04/11(金) 18:43
はじめまして、今までログしていましたHNはかりに無名としておきます。
このスレッドが適切かどうか解りませんが、去年から今年にかけて某破門団体が某石山内団体に
働きかけて、復帰を模索していた話はご存じですか?
この話がどうなったのかは、未だにはっきりしないのですが某団体の下部組織としての所属で折衝
されていたそうです。破門団体の交渉窓口は長男さん(政治団体持ってるところではない)某団体
はヘッドが出てきたらしい。この話はかなり煮詰められたらしい。しかし、この団体の跳ねっ返り
がそういう話とは別に、法論を持ちかけてどうもおじゃんになったという事らしい。
その後に話が進展したと言うことも聞かないので、恐らく立ち消え乃至、保留になったのではない
かと思われる。この復帰話は住職まで到達していたから、末端会員は気の毒なものである。
結局、上の都合でどうにでも振り回されるのだから。

676ガンコ:2003/04/11(金) 19:30

えーっ? ほ、本当ですか?

といっても某破門団体とか某石山内団体では何がなんだかわからないですけど、わたくし宗門復帰をすごく期待してますのでなんだか勝手に想像を膨らませちゃってます。

677ジャンレノン:2003/04/12(土) 12:13
ガンコさん、
>わたくし宗門復帰をすごく期待してますのでなんだか勝手に想像を膨らませちゃってます。
と思われるのでしたら、みんなでわたれば怖くないではなく、宗門に帰伏されたらどうでしょうか?
本尊問題にしても、あの方の元の家業が印刷屋さんであれば、なんて事ないと思いますがね。
戦中には宗門関係の印刷物刷ってましたし、紙質やら複製技術については、クリソのもの作れるでしょ。
何処かの団体の初期不良の一枚物ビニールコーティングよりも、プロなものやれると思いますよ。

678ガンコ:2003/04/13(日) 16:22

ジャンレノンさんは宗門事情にお詳しいようですね。

わたくしの記憶ではいちども浅井の家業が何であるか、聞いたことがありません。
たしか「王舎城事」の御書講義で“講談社の前に家があった”と言っていたように思うのですが、文京区の音羽といえば講談社、講談社といえば音羽というイメージがあったので、そうした関係のご商売をやっている(いた?)のだろうと推測しておりました。
甚兵衞先生の十三回忌にも同趣旨のことを言われています。
「・・・昭和二十年三月十日の夜、最大規模の空襲があった。・・・このようにして、音羽通りは江戸川橋のほうからどんどん燃えてきた。その延焼の早さは、消防車も逃げるのが間に合わないほどだった。もうウチも焼けると思った・・・しかし音羽の一角は焼け残った。焼け残ったおかげで、父は事業を戦後大いに伸ばすことができたのであります。」

いかなる事業であるか浅井の口からはいちども聞いたことのないウブな顕正会員にひとりで移籍しろとおっしゃる?
まあ、そういう日が来るかもしれません。

音羽といえば、講談社はむかしのままですが他はみんなマンションになっちゃいましたね。(といってもそんなにむかしを知ってるわけではありませんが・・・)

679ジャージルーカス:2003/04/15(火) 09:48
ガンコさん
浅井さんの家業は、印刷屋です。
牧口、戸田、浅井(以下敬称略)等はいわゆる「目白グループ」の仲間でした。
牧口戸田は教育関係者、浅井は教育関係印刷業者でした。
それらで作っていた法華系グループです。
いわゆる「完器講系」「国柱会系」等が多数存在していて、浅井は国柱会系上がりです。
彼が国立戒壇にこだわるのは、系統から言っても分からないでもありません。
正宗帰一後はかなり、宗門出版の印刷をしてまして、戦後も日蓮正宗聖典(初版本)には浅井甚兵衛の名がしっかりと末にでています。
良かったら、古本屋で手に入ると思います。

さて、浅井家は元々文京区音羽の講談社前に居住しておりましたが、講談社とは余り事業的な関係は薄かったようです。
ちなみにその数件奥まった隣に住んでいたのが、鳩山一郎氏でして、浅井さんとも戦前から近所つきあいをしていて、後に総理大臣にもなっているのは御存知かと思います。

680ガンコ:2003/04/15(火) 23:37

ジャージルーカスさん、どうもです。

貴重なお話をいただきましたが、よくわからないのでもう少し教えてください。
顧問先生は牧口戸田氏と親交があったのでしょうか?
また、国柱会系あがりということですが、そうするといつ正宗に帰一したのでしょうか?
わたくしの認識がただしければ、顧問先生は大正十五年十二月二十二歳の時、日蓮正宗に入信したと思うのですが、それ以前に国柱会に在籍していたのでしょうか?

681ジャージルーカス:2003/04/17(木) 08:18
ガンコさん
忙しいので、お答えだけ。

> 顧問先生は牧口戸田氏と親交があったのでしょうか?

もちろん、同志でしたからね。心胆相照らす仲ですよ。

> また、国柱会系あがりということですが、そうするといつ正宗に帰一したのでしょうか?
わたくしの認識が正しければ、顧問先生は大正十五年十二月二十二歳の時、日蓮正宗に入信したと思うのですが、それ以前に国柱会に在籍していたのでしょうか?

そういうことになりますね。浅井甚兵衛さんの先代(名前不詳)が、国柱会員です。
甚兵衛さんもその影響で、国柱会に出入りしてたそうです。

682無名:2003/04/17(木) 12:17
国柱会と正宗の関係というのは日柱上人の時代にさかのぼります。富士の沿革と教義を著した松本佐一郎氏の
お爺さんが国柱会の存在に刮目されて、日柱上人が在家主導の布教方法の利点を調査する意味で佐一郎氏を該
会の外郭精華会に関係させるのであります。この関係の中から正宗の戒壇義や血脈義等の教義を知って移籍す
るものが居たことは想像に難くない。浅井家も恐らくその一家であろう。その後松本氏は国柱会と義絶し、山
川智応氏や智学氏の遺弟に「尋勝論」という一書を献じて峻別をされている。

683ガンコ:2003/04/17(木) 20:51

ううっ、な、なんと・・・(絶句)

日蓮正宗に入信する以前にキリスト教をやっていようがイスラム教をやっていようが、あるいは念仏だろうが真言だろうが関係ない、としたものでしょう。
しかし、よりによって国柱会とは・・・
“田中智学の亜流”というのはあながち間違いでもないということになりましょうか。
学会員からいろいろ悪口は聞かされてきましたが、こんな話は初めてです。

684ガンコ:2003/04/29(火) 13:08

顕正会のカルトっぽさは生来のものか? その1

花粉症の季節も終わりである。
ところがそれはスギ花粉であって、杉の次にはヒノキだそうで、ヒノキの次は何タラカンタラの木・・・といった具合にほぼ一年にわたってなにがしかの花粉が飛び交っているのだそうである。
また一説によれば花粉症は、花粉と自動車の排気ガスのミックスしたものが人体によろしくないという。

まあ、それはそうなんであろう。しかし、それだけでは近年の大流行の説明はつかないと思う。
花粉なんてものは昔からあった。また排ガスだってむしろどんどん規制が厳しくなって、エコだのクリーンエンジンだのといって企業も努力していることだし、してみると花粉症は減ってもよさそうである。
ようするに花粉症の原因は別にあるのではないかと思う。

わたくしの考えを申せば、近年の花粉症の大流行は“レッテル効果”に他ならない。

花粉花粉、かふんかふん、カフンカフン、うるさいのである。おそらくは誰しもが二月から三月にかけて、花粉の話を聞かなかった日はなかったのではと思われるほど、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、その他、ありとあらゆるメディアが花粉を取り上げた。町を歩いてたってそうである。薬局の前にはデカデカと花粉症の薬入荷しましたと貼ってあるし、スーパーなんかでも花粉症に効く〇〇とか書いてるし、デパートなんか花粉症対策特設コーナーなんて仰々しくやってるし、もうやんなっちゃう。
情報番組全盛の時代といわれる。テレビ各局において夕方一時間から二時間のニュース番組をやってるがまったくご苦労なことである。ネタさがしが大変であろう。
仮にNHKラジオの定時ニュースをまねしてみたらどうか、毎日十五分あれば終わってしまうだろう。つまり、タマちゃんだのボラちゃんだのは時間つぶしなのである。(面白いからいいけど)
花粉症もそうである、といったら花粉症に苦しむ人は怒るかもしれないが、怒るならばテレビ局を怒るべきであろう。格好のネタにされていることはまちがいない。

ともかくテレビ等の有力なメディアの宣伝効果ははかり知れないものがある。

685ガンコ:2003/04/29(火) 13:13

顕正会のカルトっぽさは生来のものか? その2

なんとなく話のオチがばればれなので、眩惑的手法を用いることにする。
わたくしの知り合いに「さばアレルギー」がいる。聞いただけでジンマシンが出るそうである。
医学の世界ではプラシボとか二重盲検とか(よくわかんないで書いているが)、純粋に生理学的反応をみてアレルギーかどうか判断するということだが、もちろん彼女の場合もだまくらかして鯖を食べさせようものなら大変なことになる。いちど救急車で運ばれたことがある、と本人が言っていた。
ただ、わたくしの印象としては、聞いただけでジンマシンが出ることのほうが重症という感じがする。
そしてアレルギーのみならず、すべての病気において“心因性”ということは、もはや軽視できなくなりつつあるのではないか、と思うのである。

法華題目抄に「梅子のすき声をきけば口につたまりうるをう。世間の不思議是くの如し。況んや法華経の不思議をや。」との御指南を拝する。

これは懸案となっている本尊問題を考えるうえでも重要である。ぶっちゃけ本尊が偽物だった場合、それを知らずにまじめに信仰している者にどのような作用をあたえるものなのか? これは結構な難題である。

話は前後するが、花粉症の話は「日蓮本仏論」に援用できるのではないか、とひそかに考えているのである。
花粉症がクローズアップされたのに反比例して、“アレルギー性鼻炎”があまり聞かれなくなったように思う。専門的には知らないが両者はおなじものであろう。昔から鼻をグシュグシュさせている者は居ったのである。ようはアレルゲンの特定ができていなかっただけのことではないか。
日蓮大聖人は末法の御本仏であられる、というと反論の嵐が巻き起こるけど、大聖人が末法の法華経の行者であることは異論のないところであろう。では、末法の法華経の行者とはいったい何なのか? これがはじめはよく判らなかった。後代に至ってようやく闡明になった、ということでいいのではないか。
もちろん、なおも反論があるであろう。

「法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照らし給ふ。」と仰せられるのだから、大変な御方であるのはまちがいない。

686ガンコ:2003/04/29(火) 13:17

顕正会のカルトっぽさは生来のものか? その3

眩惑的手法などとふざけたことばかり書いていると、相手にされなくなる(すでに相手にされてない?)ので、そろそろ結論を書こうと思う。
顕正会はカルトである、と思っている人がいるとすれば、それは“レッテル効果”であろう。

“なんだ、まだそんなこと言ってるのかよ”といわれると癪なのでもう少し説明を加えよう。
レッテル効果であるにしても、いくつかの考え方があると思う。わたくしは大雑把にふたつのケースを考えてみた。

1、顕正会ははじめからカルトだった。後年カルトと言われるようになって、本質がようやく見えてきた。

2、   いや、顕正会はいまもむかしもカルトなんかではない。一方的な悪宣伝が奏功しているだけである。

さて、どちらが本当であろうか? もちろん最初はまじめな団体だったけど途中でカルトに変貌してしまった、というのもあるし、これが多数意見だかもしれない。しかし、そうだとすると、ターニングポイントはいつか? 原因は何か? どのような出来事があったのか? いったい何がどのように変わったのか? 等々、詳細に検討していかなければならないだろう。
面倒くさくてやってらんない。

まことに勝手ながら、そろそろカルト問題からは卒業させていただきたいと思っている。
もちろん質問されれば答えなければならないし、新たな事象についてはそのつど考えていかなければならないのは当然であるが、どうもカルト問題というのは自分自身の信仰を深める糧にはなりにくい。
わたくしはいまだに信仰者のつもりでいる。
そして生意気を承知で言えば、信仰を深めるためには御法門を深く学ばなければならない。
ようやくそこに考えが至ったのである。

687無明的ガンコ者:2003/04/30(水) 01:55
御参考::http://www.lbisjp/gohonzon/  にて「当該所有寺院を”クリック”されまして”ホンモノ”」をシカト御確認してくださいませ、、??

688無明的ガンコ者:2003/04/30(水) 01:58
http://www.lbis.jp/gohonzon/ でした、。 御免下さい、。

689ガンコ:2003/04/30(水) 13:42

あなたどなた? まあ、誰でもいいですけどね。

・・・日蓮聖人御本尊集は、全部拝見しました。じつはずいぶん前に図書館でも見たことがあるのですが、その頃はなんとなくイケナイことをしているような気がしてじっくりとは拝見できませんでした。
なんともすごい時代になったものです。

690ジャージルーカス:2003/04/30(水) 14:11
ガンコさん。
日蓮大聖人の御本尊は、一般に立正安国会の本尊集の倍はあります。
富士門でも、天英院殿寄進の御真筆を始め、たくさんを、公開してませんし、
公家の名家は、そもそもどこの馬の骨とも分からない方には、御真筆は拝見させません。
ですから、時代は変わっても、書籍やHPで公家名門の「特殊曼陀羅」はなかなか拝見できないですね。

691ガンコ:2003/04/30(水) 15:20
立正安国会の本尊集の倍?

すごいです。戒壇の大御本尊様は秘仏にてまします、とよく言われますが本宗では伝統的に本尊を見せびらかすことはしないってことなんでしょうね。

「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。」

692五月雨:2003/04/30(水) 16:28

>すごいです。戒壇の大御本尊様は秘仏にてまします、とよく言われますが本宗では伝統的に本尊を見せびらかすことはしないってことなんでしょうね。

本宗とは日蓮正宗のことですか。どうも顕正会員の方がこう書かれるとどこの宗だ、と思ってしまいます。心理的には石山に属している感覚があるのですね。

戒壇之漫荼羅は明治時代に、熊田葦城著『日蓮聖人』(1911年・明治44年11月10日・報知社発行・口絵)り本の表紙になったことをご存知ないのですか。前にもどこかのスレッドで話題になっていました。Googleで検索してお探しくださいませ。

戒壇之漫荼羅の写真のアドレスはこれです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaidanmandara/kaidanmandara.html

693祝八郎:2003/04/30(水) 17:08
横レス失礼します。
熊田葦城著『日蓮聖人』は、ほぼ同じ内容で『日蓮上人』『日蓮大聖人』という書名でも出版されており、菊判、A5判、B6判、四六判
、袖珍本など10種類ちかい判があり、合計では100万部以上売れたといわれています。
板曼荼羅の写真は3,4種類あるようです。
正面写真は、ろうそくの大小で相貌がはっきり見えるものと見えないものがあります。
斜めからの写真も2種類あるようです。

694祝八郎:2003/04/30(水) 17:12
ひとつ書き忘れました。
戦前の総講頭の著書にも板曼荼羅の写真は掲載されています。

695ガンコ:2003/04/30(水) 18:26
五月雨さん、祝八郎さん。

なんだか、わたくし、墓穴を掘ってしまったようです。
しかし、なんと申しますか、当然このことについては御宗門のほうで言い訳といったら叱られそうですが、ともかく今日までになんらかの説明があったんでしょうね?
ご存知でしたら教えてください。

696ジャージルーカス:2003/05/01(木) 03:07
ガンコさん。
そもそも、御戒壇様の御写真を掲載する事に、昔はそれほど神経質ではなかったのです。
御戒壇様の写真を公開する事は、熊田さんの書籍に限らずいくつかあります。
御戒壇様を含み、その他の御本尊も写真をやたらと公開しなくなったのは比較的近年のことです。
古い聖教新聞の写真では、学会本部の常住御本尊や、貞明様の「皇位宣揚御本尊」の写真が掲載されたこともありました。
写真の掲載を中止したのは、それを元に複製を作る輩が出来したからだと言われております。
現に熊田氏の写真を元に(不鮮明ですがね)御戒壇様のレプリカを作った日蓮宗の人もいたそうですから(彼らは御戒壇様を否定してるんだから、そんなもの作らないでもいいのにね)。

697ジャージルーカス:2003/05/01(木) 03:10
ガンコさん。
上記に付随して言いますと、どなたかが、顕正新聞に御本尊の写真があったことを問題視してましたが、実はそんなに気にすることは無いんですよ。
もちろん、TV画面に写した御本尊を拝むのは、問題ですが、新聞を拝むわけでは無いんですから。

698祝八郎:2003/05/01(木) 17:14
>696
>写真の掲載を中止したのは、それを元に複製を作る輩が出来したからだと言われております。
現に熊田氏の写真を元に(不鮮明ですがね)御戒壇様のレプリカを作った日蓮宗の人もいたそうですから(彼らは御戒壇様を否定してるんだから、そんなもの作らないでもいいのにね)。

石山の某寺で同写真から守り本尊を作って配った例は有名ですね。

堀日亨師の雪山荘の御本尊は、紫震殿本尊の写真から作ったものでした。
戸田時代にこのことを指摘質問した人物(故人)は学会から「狂犬」呼ばわりされ除名になっています。
その人物を庇ったのは、石山ではIS師(故人)だけだったようです。

699五月雨:2003/05/01(木) 17:48

ガンコさん

ジャージさんと祝さんが仰ったとおりですよ。
元々石山には「本尊を写真に撮ってはいけない」という不文律など無かったということです。
何でもかんでも「謗法厳戒」だと言ったのは学会だったそうです。
自分達で作った謗法厳戒を逆手にとっての石山攻撃は滑稽ですらありますね。

700ガンコ:2003/05/01(木) 19:02

だいぶ話がデーブになってきたところで、素朴な質問をさせていただきます。

写真は近代以降に限定されますが、それ以前はどうだったのでしょうか?
つまり御本尊を未入信者がやすやすと拝見(拝観)できたのでしょうか?

701保守:2003/05/05(月) 09:20
http://www.buppou.com/

これは、かなりカルトというかDQNだね。

702『日蓮大聖人絶対主義』:2003/05/12(月) 16:49

私は「日蓮大聖人絶対主義」です。
呼称としては「日蓮大聖人」とお呼びするのが、気持ちの上でシック
リしますが、大事なことは「呼称」ではない。
ご本仏を『日蓮大聖人唯一』とシッカリ認識し、「依法不依人」を徹
底する事です。


1)「日蓮大聖人唯一」
2)「依法不依人」

学会も、宗門も1)2)を希薄にして、日顕法主。池田名誉会長に重
きを置きすぎている。仏法混乱の病根です!

日顕法主、池田名誉会長も日蓮大聖人から見れば、マチガイ多き「人師」です。

各教団は「依法不依人」を忘れていないか、戒めなくてはなりません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」を徹底しなければ謗法教団になる。


日顕法主。池田名誉会長に重きを置くは『謗法』です。

すべてのマチガイはここにあります。
日蓮大聖人の前に立ちはだかる「人師」に導かれ、信者はその口より
翻訳された仏法を聞くことになる。
裁判沙汰の「法主」や「教祖」である。大聖人の仏法が正しく伝わる
のかどうか、疑わしい。
信徒も教学を身につけ「依法不依人」を徹底し、『日蓮大聖人唯一』
を再確認しなくてはなりません。

人師にも依存せず、教学を身につけることは困難ではあるが、猊下、
僧侶とてアノ程度である。ここは孤独を覚悟して、題目を羅針盤と頼
り、大聖人のお心を求めていくしかありません。
「日蓮大聖人唯一」「依法不依人」と心して、仏意をめてゆくならば
道を間違えることはありません。

すべての教団が余念を捨て『日蓮大聖人唯一』に同意ならば、対立の
中に「接点」ができる。
日蓮を『仏』と仰ぐ教団は帰一の可能性が見いだせる。

『立宗七百五十年』各教団バラバラに行われた慶事は、大聖人の発願
の理想の姿ではない。歴史的事情や、先達の経緯によって分裂、分派
し不本意ながら今日の教団の姿になった。
過去を越えて大聖人の『原点』に戻すのも「日蓮が弟子」の使命では
ないでしょうか。「我が弟子、同心すべし!」仏意と思う。

「狭い心」に囚われるべきではない。

703みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>:2003/05/15(木) 20:49
一言だけ。

1)「日蓮大聖人唯一」
2)「依法不依人」

矛盾してるじゃん。日蓮大聖「人」ていうぐらいなんだから人なんでしょ。
人に依っているじゃん。

704日蓮正宗正統派本流支持:2003/05/17(土) 07:02
 4月1日継命で正信会議長が独立し、別法人にする計画と発表しました。

包括法人ならば社団法人でもかまわないのにあえて宗教法人にするのはやはりお金でしょう。
税金が免除されるからです。一見事務的な動きだけに思えますが、さにあらず。三つの大罪、大謗法になります。

 また、将来富士へ帰山する場合にこの法人は解散するとの一項は却下されたので、この法人化は正宗との永遠の
決別を意味します。
正信会設立時に決して独立法人化することはない、安部宗門正常化のときは帰山するとの約束はホゴにされたのです。

うそをつかれ謗法になってしまったからと早まらないでください。まずは連絡を。
まだ計画が文部省に承認されたわけではありませんから。そのとき最善の方法を考えるのが法華の生き方でしょう!


http://www.buppou.com/

断固粉砕するため、全国大会会場周辺で行動を起こします。
賛同する方集まってください。

705波木井坊竜尊へ:2003/05/20(火) 01:51

いやア〜、貴殿の見通しには関心したぜ、間違いなく創価学会は
派閥争いが本格化している。自民党は現執行部(秋谷)とも接触
しているが、別(反池田勢力)とも接触している。

学会内で暗闘している勢力の目的は主導権争いで、組織、金、資産
の支配が目的だ。
自民党の関心は、創価学会8百万票を噦誰が器掌握できるかを見定
めている。
自民党にとって創価学会の魅力は、選挙時の票だけのようだ。
野中、古賀、石原などはポーカーフェイスで模様眺めだ。
内心考えていることは恐ろしい人達だ。

池田亡き後、学会執行部がグラツクことがあれば困る。また、次期
執行部が自民と離反をクワだてる勢力ならば、この時期にツブして
おこうと考えている。完全取り込みか、潰すか。どちらかでしょう。

反池田勢力も政治的に老練なものが多数がいるようで侮れない。
最後は弾(現金)になれば執行部が優勢だ。今世紀最大の弾が飛ぶ
。右翼も、○暴も参戦し、池田氏らしい終末の宴になりそう。

構図は池田家親衛隊VS創価学会伝統派の抗争でしょう。

706名前はまだない:2003/05/20(火) 02:04
池田家親衛隊、創価学会伝統派のメンバーは?

707ははあ:2003/05/31(土) 23:53
裁判沙汰は傑作だ。宗祖の生涯を知らないらしい。流罪死罪をくりかえしているような宗祖に正しい仏法が伝わっているか怪しいものだ、と言わせるスキをつくっている事にも気づいていない。

708ブルー:2003/06/12(木) 17:27
>703
「大聖人」という言葉は、それ自体「本仏」を意味するんです。
だから大聖「人」とあるからといって人師に帰依したことにはならないです。

709日蓮正宗正統派本流支持:2003/06/12(木) 23:02
(阿部)宗門,創価学会、そのほか
宗門

良いところ

小さいながらも現代まで法脈を護ってきてくれたからこそ私達がいると感謝します。

以下謗法

一、御本尊

大御本尊と御影があっても物質としてで、学会の謗法を容認し、また謗法容認を隠
したままですので、神天井の法門で諸天や諸仏は大石寺より「所を辞して」ます。


二、御本仏

現代の貫首を御本仏とするのは誤り。法主は大聖人お一人で貫首は法主ではあり
ません。。

三、血脈

阿部氏の貫首相承の日がいつか未だに正式発表がありません。
誰も知らないまま次の人に相承してもそれも認められるものではないと事前に言って
おきます。

そこで師匠ではないので阿部さんに対しては「氏」を使うのが正解です。
日顕宗では日号を認めることになるので阿部宗が良いでしょう。


創価学会

良い所

宗門活性化。増上慢の僧侶を諫めた。

以下謗法

一、御本尊

日寛上人のご本尊を許可なくコピー印刷していますが、貫首の認めない御本尊
は魂が入ってない血脈のないものです。仏作って魂入れずそのものです。偽札と
同じで本物そっくりに作っても偽物はニセモノです.学会常住の本尊も偽物が作ら
れました。

二、御本仏

人生の師匠も大聖人です。三徳の内、師徳だけが何故池田氏になるのでしょうか。

三、血脈

謗法厳戒に大聖人の命脈は流れます。血脈正義がないので阿部氏などへ憎
しみを出すのが正義と勘違いしています。。

710日蓮正宗正統派本流支持:2003/06/12(木) 23:06
成仏への道

仏法伝承者求む!!

このタイトルを見てピンと来た人こそ私達の仲間で、過去世において流布を
誓い合った真の友です。
また、仏法を追求してみたい人も同士になるでしょう。

その他の人も読んでください。

印度では千年以上昔に、中国では文化大革命で仏法は消滅しました。
そして日本でも敗戦により、本来の仏法者は指で数らえるくらいになりました。


文明はコンピュータ−やロボットを創り出し最高の極みにあるのになぜ自殺者
が増え続けるのか?
人の心は満たされないままなのか?
それは釈尊つまり人生の師匠を持たないからです。

仏様のように迫害にあっても正しさを貫ける人はまれです。
誰にも仏性はあるのですが、仏陀は観れません。

しかし、釈尊と同じように正しさを貫けば、御本仏と話すことが可能です。
釈尊はすべての人に仏性があり、成仏するといいましたが、それは理(論)です。

事(実)の上で可能かは、御本仏の言われたことを聞けるかどうかです。

以下成仏を初めとして、ご利益、オーラ(自体顕照)、神や霊、そして最後の涅槃
(安らぎ)まで全ての章を漏れなく自分に当てはめ、確認していってください。

最後の入門まで到達できた人こそ私たちが探している過去世からの仲間であり
永遠の友、仏法伝承の眷属です。



仏法のことは仏法者に

世の中にはおかしなことがあります。仏法者以外の人が仏法を説いているのです。
禅、念仏、真言、天台、これらは宗教で仏法ではありません。
話の始まりが仏法でも最後には宗教に変わってしまったら成仏も何もありません。

新興宗教は触れる必要もないでしょう。

ですから仏法対話とか折伏と称して人と話をする場合その人が宗教者がほとんど
ですので気をつけなければいけません。

711日蓮正宗正統派本流支持:2003/06/12(木) 23:07
御書どおりこのパソコンで表記できませんので必ず御書をひいて確認してください。

謗法厳戒

富士門流すべてに言えることは謗法厳戒の精神が希薄になってきていることです。

仏法でないものを仏法といってはいけない、正しいものをあくまで正しいと貫く。
それが謗法厳戒の精神で、相手がたとえ幹部役員、住職、会長名誉会長や貫首で
あっても諫めなければ成仏はないのは言うまでもないことです。

「いかに法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし うるし千ばいにかにの
足一つ入れたらんがごとし」(1056)

「謗法と申す罪をば我も知らず人も失とも思わず ただ仏法をならえば貴しとのみ思
いて候程にこの人も又この人にしたがふ弟子等も無間地獄に堕つることあり」
(御書ページ連絡ください)

712日蓮正宗正統派本流支持:2003/06/12(木) 23:09
師弟の法門

 このホームページを出す前に非常に悩みました。
大聖人様が「秘すべし、秘すべし」(877頁)と一度ならず二度までも秘密にせよと
いわれた仏法の奥義法門を白日にさらすことになるからです。
私の命も残り少ないし、かといってこのまま伝承することなく世を去るのはより惜しい。
二つのジレンマと法義を知る人全てに業が出ることでどうすれば良いのか長く悩みました。

この悩みを打ち砕く大事件が起こりました。正信会の独立発表です。
能力も実力もなくても実行しなければならない事態になってしまったのです。
  これがこのホームページ立ち上げのきっかけです。

何度も言いますが一人では仏道修行はできません。
降魔に対処するのが修行だからです。
富士門には異流義四派がありますがどこでも指導は不完全です。
それは仏法、大聖人の指導よりも各派の幹部、住職、トップの言うことを鵜呑みにし
ているからです。
彼らと大聖人様ということが違えばどちらをとるのですか?
指導とはまさに師の道、師道でなければなりません。師の道を同じように弟子として
歩みましょう。

「師弟相違せば何事も成すべからず」(900頁)

713三学無縁:2003/06/17(火) 13:40
以前、ジャージ・ルーカスサンが浅井さんと牧口さんについて述べておられましたので少々。
牧口さんも国柱会にはずいぶんと出入りしていたようですね。
浅井さんの件、キーワードは目白グループですね。
つまり、牧口さんも浅井さんも、三谷門下であり、三谷門下の兄弟弟子ということになるわけです。
牧口さんが正宗で講活動を独自にする前に属していた講がありました。
その講がなくなってから、創価教育学会は徐々に講活動をしはじめ、目白グループも独自に活動するようになったのです。

浅井さんも牧口さんも、三谷門下ですから、石山系法華講ではなく、完器講系ということになります。
だから牧口さんらは淳師と敵対して、同系の堀上人に接近したわけです。
目白グループは、指導僧が「国立戒壇否定」でした。
これは当時の正宗内にあって稀有のひとです。
浅井さんは、牧口さんと淳師が敵対してから、淳師に親近するようになったのです。

石山系の二大在家集団は、ともに石山系ではなく完器講系なのですから、石山とぶつかっても不思議ではありません。

もっとも、石山系はともかくとして、大石寺じたいはなにもない寺といっていいわけです。

なぜ牧口さんも浅井さんも当初、古刹で活動できなかったのか、これが真相の一端ですね。

714ジャージルーカス:2003/06/24(火) 19:02
三学無縁さん
これは面白いですね。
牧口さんは確かに淳師と対立しますね。
そして、淳師が「困った方」と呼んでおられた堀上人に接近する。

そして、逆に浅井さんは淳師に近づく。
うーん。これはなかなか興味深い。

715ガンコ:2003/06/26(木) 11:47

あなた達って、なんでそんなに詳しいのかしら?
まさか同時代の人でもあるまいに・・・ん? ま、まさか本当に同時代の人だったりして。
推定年齢、百二十歳くらいとか。

716アヤエ:2003/06/27(金) 16:44
お久しぶりです いつか友人の事で相談させていただいた者です。
友人が遂に 顕正会から脱会し、洗脳もすっかりとけました。
脱会後しばらくは大変でしたが、今は生活を取り戻し頑張ってます。
ここで皆さんからアドバイスしていただき 大変勉強になりました。
本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。

ガンコさん、貴方と友人を重ねてしまい 時々強く言ってしまったりしましたね。
ごめんなさい。ついムキになってしまいました。
友人は顕正会を離れて 活動をやめてから 洗脳されていた
という事実に気付きました。顕正会では洗脳をほどこしているのです。
いつか ガンコさんが気付きますよう 祈ってます。お元気で。

717ガンコ:2003/06/27(金) 17:45

これはこれは、本当にお久しぶりです。わたくしも年明けより三月ばかりは掲示板から遠ざかっていたのですが、またこの頃は性懲りもなく低レベルの投稿をして皆さんに笑ってもらっています。

じぶんのことはあまり書きたくないのですが、わたくしは十代で顕正会に入信しました。感化されやすい年頃、もっといえばハマリやすい年齢だったかもしれません。それを洗脳というのであれば、まさしくそうだったのでしょう。ただ、信じてもらえるかどうかわかりませんが、顕正会では特に別段、洗脳の技法を用いているとは思えないのです。わたくしなどは純粋に日蓮大聖人の仏法にひかれ、今また、顕正会以外の人たちがどのように大聖人の仏法を拝しているか、この掲示板で学ばせていただいているのです。
つい最近では、れんさんという学会員の方がお出でになっていたのですが、わたくしなどは顕正会の中で学会の悪口しか聞かされていないので誤解していた面もあって学会員はもはや大聖人を見失っているかのように思っていましたが、れんさんなどは全然そうではないと思いました。
まあ、こういった感じで少しは世の中が見えてきた、とは思っているんですけど。
どうなんでしょうか、アヤエさんから見ればまだまだってとこなんでしょうか?

718そら〜り:2003/06/27(金) 18:34
横レス申し訳御座いません。
ガンコさま 洗脳されている時に、その人は洗脳されている事に絶対気付きません。
スレッドテーマからお話しすれば、私のような一般人は「顕正会」はカルトっぽい
と言うよりも、破壊的カルトであると判断していると思います。
以下は顕正会とは関係のない、破壊的カルトのチェックリストです。
(メジャーな物ですので、今更という感じとは思いますが・・・)

・実在のカリスマ的指導者が中心にいて、メンバーは無条件に心酔している。
・新しいメンバーの獲得に余念がない。
・金儲けにのめり込んでいる。
・質問したり、疑問を持ったり、反対意見を唱えることは認められず、 罰せられるケースさえある。
・瞑想や詠唱、体力を消耗させる労働など、精神を麻痺させるテクニックを用いて
 疑いの心を持てないように仕組んでいる。
・指導者がメンバーの考え方や行動、感情を細部に至るまで支配している。
・エリート主義的な発想に立ち、集団とそのメンバーと指導者は特別な高い地位に あると主張している。
・自分たちは善、外部者は悪という「二分法」的な考え方に立ち、一般社会との 軋轢を生み出している。
・主流の宗教の聖職者などとは違って、指導者にはいかなる権威に対しても 従う意思がない。
・倫理に反すると考えられるようなこと(不正な目的の募金活動など)でも、
 目的のためなら正当化されると教える、または、ほのめかす。
・メンバーの罪悪感をあおって、支配力を強めている。
・メンバーは集団に従属させられ、家族や友人との絆は断たれ、
 それ以前の 個人的な関心事も忘れてしまう。
・メンバーは当然の義務として、集団の活動に法外なまでの時間を費やすことを 求められる。
・同じ集団のメンバーとの共同生活や、メンバーのみとの交流が奨励される、
 あるいは、義務づけられている。

顕正会は大部分照合していると思うのですが、如何でしょう?

しかしガンコさまは顕正会員の中でも、非常に稀有な存在かとお見受け致します。
かなり頓珍漢な発言(失礼)を繰り返している様ですが、他の住人さまに
どこか愛されているような感じがして、いつも微笑ましく見させて頂いております。
ガンコさまは学会員である、れんさまと接し考え方を改められる人なのですね。
これからも色々お考えになり、ご活躍して下さい。

719洗脳自覚支隊員:2003/06/27(金) 23:18
  なかなかの御核心の列挙はすばらしい。 某S会など「選挙運動=信心」といえる多忙を強制中ですが、なるほど、体力と思考力をマヒ低下の効果も、存在していたのですネ。 勉強になりました。

720ガンコ:2003/06/28(土) 06:09
そら〜りさん、どうもです。あまりカルト問題はやりたくないのですが、現在のわたくしの顕正会観を示してみました。

○・実在のカリスマ的指導者が中心にいて、メンバーは無条件に心酔している。
◎・新しいメンバーの獲得に余念がない。
×・金儲けにのめり込んでいる。
△・質問したり、疑問を持ったり、反対意見を唱えることは認められず、 罰せられるケースさえある。
×・瞑想や詠唱、体力を消耗させる労働など、精神を麻痺させるテクニックを用いて疑いの心を持てないように仕組んでいる。
×・指導者がメンバーの考え方や行動、感情を細部に至るまで支配している。
○・エリート主義的な発想に立ち、集団とそのメンバーと指導者は特別な高い地位に あると主張している。
○・自分たちは善、外部者は悪という「二分法」的な考え方に立ち、一般社会との 軋轢を生み出している。
△・主流の宗教の聖職者などとは違って、指導者にはいかなる権威に対しても 従う意思がない。
△・倫理に反すると考えられるようなこと(不正な目的の募金活動など)でも、目的のためなら正当化されると教える、または、ほのめかす。
◎・メンバーの罪悪感をあおって、支配力を強めている。
○・メンバーは集団に従属させられ、家族や友人との絆は断たれ、それ以前の 個人的な関心事も忘れてしまう。
○・メンバーは当然の義務として、集団の活動に法外なまでの時間を費やすことを 求められる。
△・同じ集団のメンバーとの共同生活や、メンバーのみとの交流が奨励される、あるいは、義務づけられている

見方が甘いか辛いかで、その人のカルト度がわかるんだそうですね。

721通りすがり:2003/06/28(土) 13:39
通りすがりで失礼します。
ガンコさんのチェックを見て つい書きこむ気持ちになりました。
×が3つありますね。
・金儲けにのめり込んでいる。
これは 確かに頷けます。金儲けどころか、仕事を満足に持ってない人が多い。
しかし 逆に考えれば、功徳を貰える近道として折伏に熱心な面がみられます。
この項目について、あえて○、もしくは◎をつけても良いかもしれないように思いました。
・瞑想や詠唱、体力を消耗させる労働など、精神を麻痺させるテクニックを用いて疑いの心を持てないように仕組んでいる。
これは まさに過剰な勧誘活動が「労働」に当たるのではないだろうか。
・指導者がメンバーの考え方や行動、感情を細部に至るまで支配している。
会に疑問を持った会員が除名処分になってますよ。支配されない人間を排除する
団体だということでしょう。

その他にも言いたい事はありますが、とりあえず これで通り過ぎます。
駄レス失礼致しました。

722そら〜り:2003/06/30(月) 11:51
洗脳自覚支隊員さま ガンコさま 通りすがりさま レス有難うございます。

「金儲けにのめり込んでいる。」この項目についてのみ、見解を述べさせていただきます。
(以下は顕正会の検証しているサイト内容を多数引用させて頂きました。)

顕正会は霊感商法などで数百万円の壺を販売している訳でもなく、社会問題になるような金銭的トラブルも起きていないので「のめり込んでいる」とまではいかないかも知れません。
そのことが会員にとって「顕正会にはお金がない。会長の家も古いままであり、人類の救済のためにすべてを投げ出している。」というような暗示的な事になっているとの見解もあります。
「入会金は無料、お金が掛からない」と強調し折伏?活動おこなっていますが、入会金は無料であっても、数珠や経本の代金として五百円、講演を収録したビデオやカセットテープなどが一本千円前後、また、教学関係の書籍が数千円など、本人の自由意志と言いながらもほとんどの会員が購入することになります。
「お金が掛からない」と謳っていますが、実際は12月に広布御供養として上限八万円を調達しています。上限八万円は対したことない印象もあり顕正会でも「良心的に上限を設定しているのだ」という説明がなされていますが、逆に上限が決めてある、と云う事は会員に上限を出させる為との見解があります。
顕正新聞(年間購読料八千五百円)や各顕正会書籍は、折伏?活動の為や配布する為に一人で多部数買い込みことも多く熱心な会員は相当の出費をしている為、顕正会員は仕事を満足に持っている人が少ない・貧乏な人が多いとの話は、本当の事ではないかと思います。そういった意味で、顕正会の主張とは裏腹に金銭的な問題性が全くないとは言えません。
私見としては浅井会長は金へ執着心はそれ程高くないとの印象があります。しかし本年度秋頃予測される会員100万人達成時に何らかの行動を起こす為でしょうか(10万人の行進は不可能と思いますが)5月に「顕正会典礼院」御入仏落成式が行われ「葬式仏教典型院」のロッカー型納骨堂販売が行われている模様で、完売の場合顕正会に入るお金は17億2500万円ということですので、急激に資金収集し始めていることは間違いないでしょう。

723ガンコ:2003/06/30(月) 15:19

そら〜りさん、わたくしは驚きました。

上記は大変まじめな考察であり、また、かなり正確であると申し上げてよいようです。

>講演を収録したビデオやカセットテープなどが一本千円前後、また、教学関係の書籍が数千円など、本人の自由意志と言いながらもほとんどの会員が購入することになります。

強いて言えば、ここの部分に若干誤解というか、認識不足があります。まず、教学関係の書籍は皆無に等しい。あほうなわたくしを見れば、顕正会がいかに不勉強かわかるでしょうが、ようはさして教学書らしきものはないのです。今は顕正新聞以外には定期的に刊行されているものはありません。ですから新しく入信して、これとこれだけは読んでおきなさい、と勧められる書籍を全部あわせて数千円という意味なら合ってますが、しかし勉強家の人から見ればいかにも不勉強に思えるでしょうね。
もう一点、笑えるのは、顕正会の集会ではそれぞれが勝手にカセットを持ち込んで録音しているのです。さすがにビデオを撮っている人はいませんが、どんな集会でも当たり前のように(10人に1人くらいでしょうか)録音がおこなわれています。
わたくしが入信した頃の御書講義は、簡易のものとは言え、壇上の縁の部分に録音機器がずらりと並んで、しかもこっている人はマイクまで用意するものだから、昔の講義のビデオを見るとまるで芸能人の記者会見みたいにマイクが乱立している中で浅井がしゃべくっているという、なんとも不思議な光景でした。

まあ、どうでもいいことでしたね。

17億2500万円・・・というのはどういう計算に拠るのか、ご存知でしたら教えてください。もちろん顕正会内ではこんな話は微塵も聞きません。

724ジャージルーカス:2003/06/30(月) 16:18
そら〜りさん
一つだけ認識が違ってます。
浅井家は、古いままでは無く、現在の本部に移転したときに新築しています。
大宮市盆栽町に300坪です。
ただし、所詮は坪単価が安いので、豪勢とは言えないでしょうが・・・。
まあ「田舎の成金」といった位でしょうが(差別用語ではありませんので御容赦)。

725そら〜り:2003/06/30(月) 16:22
ガンコさま 早速のレスありがとうございます。

カセットテープ・教学関係の書籍のくだりは、某サイトからの転載かつ情報も最新のものではありませんのでしたので、現状とは若干異なっていたのかもしれません。
カセット録音とは良い節約方法ですね。やはりそれだけ会員は金銭面に苦慮している為でしょうか?
> 昔の講義のビデオを見るとまるで芸能人の記者会見みたいにマイクが乱立している中で浅井がしゃべくっているという、なんとも不思議な光景でした。
そんなこともあったのですか・・・。モニターの中にいる浅井会長に向かっての伏せ拝も異様ですよね。

「葬式仏教典型院」ロッカー型納骨堂販売17億2500万円の内訳は
一体用 20万円X6000個=12億円
二体用 35万円X1500個=5億2500万円
(合祀形式 13万円(ただし分骨の場合は10万円))
といのことです。
この情報は新しいので情報提供者の勘違い・間違いでなければ本当だと思います。

726そら〜り:2003/06/30(月) 16:25
ジャージルーカスさま

すみません。そこも訂正するつもりでした。
その情報も東京在住の時代の古い情報から転載いたしました。
申し訳ありません。

727アヤエ:2003/07/01(火) 10:23
ガンコさん 
私はもう、ここにはくる必要もなくなったのですが、自分の書きこみが気になって
また来てしまいました。レスありがとうございました。
ずいぶん若い頃から入信なさっていたんですね。
昔の顕正会と現在では ずいぶん変わったと言って 止めていく幹部の方も
多いそうですね。ガンコさんの目から見て 顕正会は入信した頃に比べ
変わったと思われますか?

728ガンコ:2003/07/01(火) 12:27

アヤエさん

変わったといえば変わったし、変わってないといえば変わってない・・・これじゃ答えになってないですけど。

はっきりしているのは、カルトと呼ばれるようになったことでしょう。これは外部の評価としてはかなり明確な変化であろうと思います。
ただ、難しいのは、もともとカルトっぽかったのか、途中でカルトに変貌したのか、あるいは一方的な悪宣伝によって誤解されているだけなのか、それはまじめに考察していかないとわからないと思うのです。
ですから、わたくしとしては問題提起されればそれ相応の見解を申し上げなければいけないとは思いますが、じぶんから考えるのは面倒なのでやめたのです。

すでに表明しているごとく、本尊問題の推移いかんによっては、わたくしもやめざるを得ないと思っています。
御宗門、創価学会等の動向によって、あるいは時代の変化に対応して、ある程度は変わっていくものだと思うし、そうしたこまかい点をあげつらっても意味がないでしょう。
もし根本的に変わってしまったとしたら、もう誰から指摘される必要もなく、勝手につぶれていくのではないでしょうか。

729ガンコ:2003/07/01(火) 12:41

そら〜りさん

>一体用 20万円X6000個=12億円
>二体用 35万円X1500個=5億2500万円
>(合祀形式 13万円(ただし分骨の場合は10万円))

顕正新聞に金額は出でいるんですけど、一体用がぜんぶでいくつあるとかは書いてなかったはずです。
いったい、誰がどうやって調べたのでしょうね? まさか見学自由だからといって、わざわざ出かけていって数えたなんてことはないでしょう。いや、あるかな? どうもごくろうさま、と申し上げておきましょう。

>モニターの中にいる浅井会長に向かっての伏せ拝も異様ですよね。

確かに、これは昔とはだいぶ変わった点かもしれません。

732アヤエ:2003/07/03(木) 13:01
>ただ、難しいのは、もともとカルトっぽかったのか、途中でカルトに変貌したのか、あるいは一方的な悪宣伝によって誤解されているだけなのか、それはまじめに考察していかないとわからないと思うのです。

ガンコさんは「変わったといえば変わったし、変わってないといえば変わってない・・・」
とおっしゃってるわけです。つまり中にいるガンコさんからみて、外からの評価が
昔とは違うが、中身は変わってないように思う。という意味なのかと読み取れますが
どうですか?

733ガンコ:2003/07/03(木) 15:30

>つまり中にいるガンコさんからみて、外からの評価が昔とは違うが、中身は変わってないように思う。という意味なのかと読み取れますがどうですか?

あんまり細かいことを言っても顕正会を知らない人は退屈でしょうから、とくに目立って変わった点だけをさがして見ると、あんまりないなあ・・・と思うのです。

あえて挙げるなら、大きくなったことと、反面あんまり勉強しなくなったこと、でしょうか。

しかし内部にいると感覚が麻痺して・・・なーんて書くと誤解されそうですが、そういうことはあるかもしれません。つまり、じぶんの子供の成長はよくわからないが、たまに見る親戚の子供はえらい成長がはやいというような感じだと思います。

734ジャージルーカス:2003/07/03(木) 18:06
>あんまり細かいことを言っても顕正会を知らない人は退屈でしょうから、
とくに目立って変わった点だけをさがして見ると、あんまりないなあ・・・
と思うのです。

ところで、ガンコさんはどのくらい古い会員さん何でしょうか。
私の元にも昭和時代からの古い顕正会員から法華講に移った方がいますが、
入会当時と現在では、大きく変貌してる事を細かく聞いております。
ところが、ガンコさんは、目立って変わった点はあんまり無いと仰るのです。
そこで、ガンコさんの会員歴をお聞きしたいのですが・・・。
大変恐縮です。

735ガンコ:2003/07/03(木) 19:39

やーねー、わたくしをウソつきだと思ってらっしゃる。だから内部にいると感覚が麻痺する・・・って書いたのに。
その人の感受性にも寄るだろうし、大きく変貌しているというにしても、悪くではなく良くなったと感じている人もいるでしょうから、いろいろですよね。わたくしは鈍感ですからあんまし変わっていないと思ったわけですが・・・

さて、会員歴ですが。
困りましたねえ。どうしましょう。まいりました。
何しろ皆さんのおっしゃるには、古い会員はみんなやめていっているとのことですから、ここで入信年を言ってしまうと当時の少ない会員から消去法でわたくしの正体がばれてしまいそうで、それはちょっと困るのです。
ウソをつくのはイヤなので、う〜ん、そうですね〜、10万から20万のあいだ・・・といえば知っている人にはわかるでしょう。
これで許してちょうだい。

736アヤエ:2003/07/04(金) 11:17
ジャージルーカスさんは、ガンコさんを嘘吐きだと思っているわけではないと思いますよ。
ジャージルーカスさんのお知り合いの方とガンコさんのその感覚の違いは
会員歴が関係あるのでは?とお考えになったんじゃないかと思いますよ。

勉強しなくなってしまった、ということは大変な変化ではないでしょうか。
もしもそれが学校なら、ほんの数年経てばあっという間にレベルが下がるのですから。
宗教も学校も会社も、人間が集合して作って存在するものだと考えれば
新しい人間が次から次に入ってくる事を考慮してみると
断然差が出て来るのではないでしょうか。

ところで10万から20万のあいだ、素人の私にはサッパリ分かりません(笑)

737ジャージルーカス:2003/07/04(金) 13:33
アヤエさん
その通りなんですよ。
私が会員歴を聞いたのは、顕正会員は、その会員歴によって、まるで同じ宗派
とは思えないほど認識が違うからです。
たとえば「浅井先生の大信力に護られ」何て言う言葉は古い顕正会員は可笑しい
と云ってました。

ps・
ちなみに10万から20万にから、ガンコさんの会員歴は大体承知しましたが、
あえて公では説明はしません。
ガンコさんの真意に背くでしょうから・・・。

738ガンコ:2003/07/04(金) 16:35

アヤエさん

>勉強しなくなってしまった、ということは大変な変化ではないでしょうか。
もしもそれが学校なら、ほんの数年経てばあっという間にレベルが下がるのですから。
宗教も学校も会社も、人間が集合して作って存在するものだと考えれば
新しい人間が次から次に入ってくる事を考慮してみると
断然差が出て来るのではないでしょうか。

う〜ん、またしても苦しめられるパターンになってまいりました。
けっこう鋭いところを突いていると思います。
この際、除名を覚悟で申せば、顕正会というのはいつの時代も実力は一定なのかもしれません。
一万人の時も十万人の時も百万人の時も・・・
一万人の時は一人一人が百人力だった。十万人の時は十人力。百万の時は一人力。
まったくぶっとばされそうなこと書いてますが、レベルが下がるってことはそういうことかもしれません。

しかしまあ、これは人間に対する冒とくであって、そんなに人間に差があるとは思えませんから、顕正会が大きくなったということはそれだけ顕正会の実力が上がったといえると思いますよ。

739ガンコ:2003/07/04(金) 17:00

ジャージルーカスさん

>たとえば「浅井先生の大信力に護られ」何て言う言葉は古い顕正会員は可笑しい
と云ってました。

折伏成果発表の時の決まり文句ですよね。わたくしの記憶ではずっと変わっていないと思うのです。いつからなんでしょうか? 逆に教えてほしいです。

そら〜りさんも伏せ拝についてふれてましたけど、こうしたことどもが“浅井信仰”の強化みたいな言われ方をどこかのサイトでしていたように記憶しています。
わたくしはそうは思わないです。そういう風になってきちゃったのは事実でしょうが、それを意図的にやっているとは思えないです。

こう書くと信じてもらえそうにないですが、顕正会は案外に自由奔放なところがあります。自由というよりナリユキマカセというべきかなあ。
先生はご自身の影響力をじゅうぶん承知されていて、逆にあんまりかたっ苦しくならないように気を使われているようにも感じるのです。
角を矯めて牛を殺す・・・ということにならないように、あんまり細かいことには関わっていらっしゃらない、という気がします。

740深妙寺 脱退者:2003/07/06(日) 22:48
No.709〜712様の御意見ですが「カナリ一方的?」かと、?。 どうやら「久保川 氏の息のかかった側近方の臭いプンプン、、??」ですか? どうやら「新会派旗揚げの本拠地がバレバレとは、?」 すでに「久保川氏のロビー活動は開始済み、?」かと、。 「それにしましても、やはり、正宗的本仏論固執?」でしょうか?「=僧侶優位論=血脈優位論=信者の成仏無視?」でしょうか、?

741ジャージルーカス:2003/07/08(火) 10:51
私の系列の方で、元顕正会の方がおられます。
その方、未だPC環境が整ってませんので、代わりに代理投稿いたします。

名前 唯一乗
私は元顕正会員「唯一乗」と申します。私が元の仲間にに対して云ったことに対する回答が送られてきましたが、かなり過激ですので、プライバシーに抵触しない範囲で転載します。

①「(天母山を観てきて)天母山はあるが、昔から「天母原」等という地名が無かった。現地を調査しても「天母原」と言う場所は見つからなかった」と言ったことに対して、
回答「脳味噌腐っているんじゃねえの。そんな屁理屈とうに破折済みなのは、唯一乗も知っていたはずだ」(そして、破折済の内容は記載無し)。

②N社の人に聞いて、聞き込み調査をしたが例の「冨士大石寺顕正会」と言う本はヤラセだったと言ったことに対して
回答「著者の下山正如氏が浅井先生の弟子だって言うんでしょう。そんなこと買った3日後から知ってるよ。オメエ知らなかったんか。大体やれ「現地調査」だの「聞き込み調査」だの、さも正確に調べて証拠を握ったかのような表現で誤魔化し謀る詐欺師的トーキングスタイル、バレバレなんだよ。(中略)なめんじゃねえぞ、アホンダラー(感情的な悪口中傷ではない。御書にある「亜法」と言う意味である)」

③電話では、何ですので、会いませんか言ったことに対して
「もう金輪際関わりません(またこれを、「こっちからアポってるにも関わらず逃げる顕正会」だのプロパガンダに利用するならどうぞ御自由に御自分の首を絞めてください。毎回魔民相手にしてる程暇ではありません)」

そして文末に、
「もう一度だけ言っといたるわ。ナメた真似しとったらドタマ七つにかち割れて誰の死体か識別もできへんようになるでえ(ちなみにこれも脅迫では無い。御本尊様の仰せ)。」

なお、彼は東京生まれの東京育ちです。関西弁を使用してますが、関西とは全く関係有りません(爆)。

742ジャンノレン:2003/07/08(火) 15:29
ジャージさん、こんにちわ。
代理投稿読ませて頂きました、しかし、酷いですね。かつての仲間がたとえ、会を辞めたとしても
人間的なお付き合いはごく自然なことかと思いますが、こんな仕打ちをするとは、うーん、やっぱり
カルトなんですね。仮に、一般社会で同僚がライバル会社に転職したからといって、そいつを蛇蝎の
ように憎むなんてあり得ないですよ。たまには飲もうよ、というのが普通ではないですかね。

でもこれって、当宗内でもあるんですよね。聞いた話では某講中を辞めて同門内で円満移籍したのに
退転かのように講中で言われるって事、あるんですよ。あいつは裏切ったとか、哀しいです。

これは私も気をつけなければいけませんが、こういう判断が働いたときは教えがどうとか言うよりも
間違いなく自分がカルト的思想・発想になっているということでしょうね。
いつでも帰っておいで、とかちょっと遊学に行ってられるのだからとか、くらいの度量で見てあげな
いとなぁ。信仰しておる法を下げますよねえ。

743五月雨:2003/07/08(火) 17:28

>これは私も気をつけなければいけませんが、こういう判断が働いたときは教えがどうとか言うよりも
間違いなく自分がカルト的思想・発想になっているということでしょうね。

『破壊的カルトは、だれかが去っていく理由というものは何であれいっさい受け入れない。またカルトグループは、メンバーに恐怖症を吹き込んで、彼らが批判者や元メンバーと絶対接触しないようにする。』

『グループをやめる人々は『まちがった』理由でやめるのであり、それは彼らが弱かったり、修行が足りなかったり、物質主義にひたりたいと思っていたりするとためだという教え込み(をする。)』

こう「マインド・コントロールの恐怖」に書かれているのを知って、なるほどと思ったことがあります。
私が学会から法華講に移った時も、法華講の活動を止めた時も、同信の友に手のひらを返されるような冷淡な態度を見せ付けられたものです。グループから離れる人間は「裏切り者」という発想しかないのかもしれません。
彼らには、グループを離れる人間にはどんな思いがあって、そういう行動に出たのかというのは、全く興味が無いようですね。理由も聞かずに裏切り者扱いは石山系の思考回路なんでしょう。

ジャージさん>東京育ちの方の関西弁はイマイチやと思うわ、ちょっと用法間違とるんとちゃうん。と思いました。

744ジャージルーカス:2003/07/09(水) 12:03
> いつでも帰っておいで、とかちょっと遊学に行ってられるのだからとか、くらいの度量で見てあげないとなぁ。

 うーん。実は、この唯一乗君は、最初に「法華講」にいて、創価・正信等を回って、法華講に帰ってきたんです。
 そのことを、一代の一般法華講の方は「渡り信徒は良く無い」と批判し、某猊下の末裔の代々法華講のおばあさんは「良いのよ。諸国遊学してたんだから。死ぬまでに帰ってくれば良いのよ。」
だってさ。

一代と代々の許容範囲の違いを、感じました。

745アヤエ:2003/07/10(木) 09:46
ガンコさん
>顕正会が大きくなったということはそれだけ顕正会の実力が上がったといえると思いますよ。

大きくなったのと、質が上がったのとはまったく別の次元ではないでしょうか。
私が言いたいのは、顕正会の中の新たに増えたと言う人間の質が下がったのではないです。
何故でしょうか、いつから今のような活動をするようになったのでしょうね。

とはいえ、私も友人が脱会したので 顕正会について具体的に知る由もありません。
今回の経験で、社会に対する危機感が少々高まったように思います。
友人の変貌ぶりもショックでしたし、いろいろ考えを改めさせられました。
疑問も多々残っておりますが、中途半端な気持ちでは とても理解できそうにないので
本当は もう関らない方がいいのかもしれないですね。
ただ ここのガンコさんの事が気になっているのかもしれません(笑)
ガンコさんに 質問させてください、

Q 顕正会は広宣流布をなし、国立戒壇なるものを達成できるとお考えですか?

746ジャージルーカス:2003/07/10(木) 13:17
アヤエさん

>>顕正会が大きくなったということはそれだけ顕正会の実力が上がったと
>>いえると思いますよ。
>大きくなったのと、質が上がったのとはまったく別の次元ではないでしょ
>うか。
>私が言いたいのは、顕正会の中の新たに増えたと言う人間の質が下がった
>のではないです。
>何故でしょうか、いつから今のような活動をするようになったのでしょう
>ね。

顕正会は大きくはなってませんよ。公称人数が増えただけです。現に学会・宗門
正信等へ移った方も、お亡くなりになった方も人数から減らしておりません。
だから質が落ちたんでは無く、増えたフリをしてるに過ぎないと思います。

菊水護国さんが前に言ってましたよね。顕正会員に人数は「同窓会名簿の人数」
と同じで、顕正会の歴史が長くなればなるほど、人数が増えると・・・。
そして脱会者は卒業者と同じだから減らさないと。

747アヤエ:2003/07/12(土) 11:28
ジャージルーカスさん

私は顕正会が大きくなったとか、よく分かりません。知る術もないのです。
そして貴方のおっしゃる情報もよくいろいろなHPで見かけて知っています。
傍から見ても、会員さん達のいう目標など(将来日本が仏国になるなど)は、
非常に難しいものだと思いますし。

ただ あえてここに通い、皆さんから学ぼうとしているガンコさんに
広宣流布や国立戒壇についての考えを聞きたかったのです。
ガンコさんが気になるのは 会った事のある会員さん方と違った面を
彼女が持ってるからかもしれません。質問にもきちんと答えてくださるし。
会った事のある会員さんは、皆テープを繰り返すように同じ事しか言わないんですから

ここに来てる皆さんは仏教を信仰される方が多いと思いますが 顕正会員以外の
皆さんも、将来 日本を仏国にしたい、という事を考えているのでしょうか?
決まった信仰を持たない私には分からないもので・・・。

748ガンコ:2003/07/13(日) 13:17
アヤエさん、ちょっとお返事が遅くなってしまいました。

Q 顕正会は広宣流布をなし、国立戒壇なるものを達成できるとお考えですか?

正直に申し上げましょう。
ちょっと難しいかしら、というのがガンコの正直な回答です。
こんなこと書いていると顕正会をクビになっちゃいそうですが、いまの顕正会の実力では広宣流布などできそうにないと思います。

こういう喩えはいかがでしょうか・・・雲ひとつない快晴の時に十時間後に雨が降ると予言?します。いまなら、天気予報もけっこうな確率で当たるので、信用する人もいるかもしれませんが、まったく雲ひとつない青空からは想像がつきません。
十年後に広宣流布する・・・これはどうでしょうか? とても想像がつきません。
では、なぜに顕正会員はあんなに熱心なのか? (ガンコはすでにあまり熱心ではありませんが)

こういう説明が内部ではなされています。
「たゞをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし。」(大聖人の御言葉)ゆえに諸天善神の働きによって情勢は一気に変わる・・・と。

つまり今はまだ全然その兆しが見えていないが変わる時は一気に変わるということです。一般の言葉でいえば、風雲急を告げる、みたいなことになると教わっているのです。
十年後のことなんか、だあれもわかりませんから、なんとも言えません。ただ、今の実力はまだまだである。まあしかし、顕正会員はみんな承知していることだと思います。

つぎにヘンなエッセイを書きましたので、あわせてお読みください。

749ガンコ:2003/07/13(日) 13:20

このところ、わたくしの贔屓にしていた店が立て続けにつぶれてしまい、なんともやるせない気分である。

店がつぶれたことと、わたくしとに因果関係はあるだろうか? あるといえばあるし、ないといえばない・・・、もっと買い物に行くべきだった、とかなんとか考えるけど、わたくしひとりが頑張ったってどうしようもない。
いかにも不景気なのである。
しかも、わたくしの住む町は時代の流れのなかで取り残されてしまった感がある。
かたや線路の向こう側は大規模再開発で新しいビルがどんどん建設され、おしゃれな店が軒並み開店して活況を呈している。
だものだから、よけいにわたくしの町はみすぼらしく見える。
前置きが長くなった。

顕正会ではこのところ毎年コンスタントに地方会館が建設されている。
事業者・経営者的なもの言いをすれば、じゅうぶんに採算が取れる見込みがあって事業の拡大をおこなうわけであろう。じっさい、顕正会の会館というのは、創価学会の人から見るとじつにかわいらしく見えるようだ。逆にわたくしから見ると学会の会館はおそろしく巨大である。・・・つまり、分相応・実力相応の商売をやっているわけであり、じつに手堅いと思う。
であるから、もし経営不振?によって地方会館を閉鎖するようなことにでもなれば、顕正会もおしまいであろう。
今のところ、コンスタントに業績を伸ばしているように見えるのでまだまだ大丈夫だと思うが、会館建設が過剰投資であるかどうかは、何年か経って見ないと判断しようがない。

なお、ムダな議論を省くために申し添えると、ここ数年は業績不振の兆候が見え隠れしている。ネットの影響が少なくないと考えられるが、これも数年後に判断すべきであろう。つまり、ネットの普及が飽和に達した時、どれだけの影響をこうむるか、あるいは顕正会がそれを克服できるか、という課題である。

750ジャンノレン:2003/07/14(月) 09:20
ガンコさん、おはようございます。
なかなか面白い視点でいつも書かれていますので楽しみにしています。

>店がつぶれたことと、わたくしとに因果関係はあるだろうか? あるといえばあるし、ないといえばな
>い・・・、もっと買い物に行くべきだった、とかなんとか考えるけど、わたくしひとりが頑張ったって
>どうしようもない。
これはこれは、真面目なガンコさんらしいお言葉です。私が思うにはそんなに自己責任に引き当てて考えな
くとも・・・と思ってしまいます。私一人がこの世の中から居なくなっても、もっと卑近な例で言えば、会
社人間であればあるほど、自分が居なくてはと思うのでしょうが、本人の責任感程には何の変化もなく世の
中は回っていくものです。「大公出ずくんば」なんて思う程、自分はたいしたこと無いですよ。

>ここ数年は業績不振の兆候が見え隠れしている。ネットの影響が少なくないと考えられるが、これも数年後
>に判断すべきであろう。つまり、ネットの普及が飽和に達した時、どれだけの影響をこうむるか、あるいは
>顕正会がそれを克服できるか、という課題である。
う〜ん、凄いこと仰せですね。これもやっぱりあれですか、浅井さんの終末思想思いっきり煽り、から来てる
んですか?決してちゃかすわけでは無いですが、顕正会と世の中がリンクしてるとは、私は思えないんですが
ね。よく、御山の売店の出版物コーナー(宗門ではないです)の本に、S学会が謗法したから世の中が乱れて
バブルが崩壊とか、銀行が、あらゆる会社が不景気に巻き込まれてる。なんて論調の出版物が売られています
が・・・そんな訳無いでしょう!一因一果であれば分かり易いでしょうが、事実は多因一果でもあるし、一因
多果でもあるし、諸縁来たって果報を受けるわけですから、何もかも一元的に考える方が謗法ではないですか。

不景気に今遭遇してるわけですが、よく見れば儲かってる人だっているし、結構その人達が謗法の方であったり
するのですから、よおおく世の中を見れば仰せの事柄が的を外してる事がお分かりかと思います。
諸行無常ですから、この状況だっていつか、縁を得てまた何らかの動きが出てくるのでしょうし、眼前の事に
あまり囚われず、気長に生きましょうよ。富士は元々そんな宗旨だったのですから、ガンコさんだっていつか長
い修学から富士に帰ってくるのですから、深刻にならずに「オヤジ又言ってるなぁ」くらいで終末論者を笑い飛
ばしましょうよ。その方がガンコさんの持ち味に合ってると思いますが、、如何でしょうか?
なお、文章途中の非礼・失礼をお許しください。

751ガンコ:2003/07/14(月) 14:56
ジャンノレンさん、慈愛に満ちたお言葉の数々、大変うれしく思いました。

>ガンコさんだっていつか長い修学から富士に帰ってくるのですから

できますれば“オヤジ”の面倒も一緒に見てください。(ちょっとムリかしら?)

それと、わたくしの文章がまずかったのか、少し読み間違えていらっしゃるような気がします。書き直して見ますので、わたくしの誤解でしたらご容赦ください。

・・・顕正会の成長は疑いないところだが、ややこのところ伸び悩みの兆候が感じられる。おそらくはインターネットの顕正会批判が奏効しているのではないだろうか。もしそうだとすると、まだまだネット人口は増えていくだろうから、顕正会の戦いは今後も苦戦が続くだろう。顕正会が飛躍的に成長するためには、どうしても克服しなければならない課題であろう。・・・

評論家みたいなこと書いてるばあいじゃないですけどね。

顕正会が社会とリンクしているかどうか・・・は、確かに顕正新聞等を読むと会員にそのような認識があるし、なにより浅井自身が「仏法は体、世間は影」を強調しているし、否定のしようがないのですけども、ただ上にも書きましたように現場の会員は顕正会の実力をよくわかっているのです。
そういうことで会員はあんがい冷静なのではないかと思います。終末思想に踊らされているわけではなく、日本ないし世界の情勢を見るとき、どうしたって大聖人の立正安国を叫ばずにいられない、という精神であろうかと思うのです。
けっこうまじめなんですよ。(わたくし以外は)
この際、顕正会ぜんぶひっくるめて面倒見てくださるよう、猊下様に御願い申し上げるものであります。

752アヤエ:2003/07/15(火) 10:19
ガンコさん

やっぱりアナタは私の知ってる会員と違ってて面白いです(笑)
彼等は「絶対絶対」とムキになって怒るだけですから。
質問に答えてくださってありがとうございました。
だけど いつも思うのは 顕正会は学会をとっても意識してると言う事ですね。
やっぱり ライバル意識のようなものがあるのでしょうか。
同じお経を読み、同じように見えるのに なぜこんなにたくさんの流派のような
ものがあり、なぜ競うような事をしているのか、いつも不思議に思います。
その事について 双方の会員さんに聞きましたが 理解できませんでした。残念。

ネットの影響は今後もっと出るかもしれませんね。
10年後にはほとんどの人がインターネットをするようになるでしょうから。

なにはともあれ 世界が平和になりますように

753モトミナ:2003/07/15(火) 21:54
ガンコさん。お久しぶりです。
748で仰られている>「たゞをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし。」について

私は会員当時にこの金言を指導され、その時素直に思った事ではあっても当時は口に出せなかった事を思い出しました。
結局、広宣流布というのは梵・釈等の御計らいで為されるのであれば、なぜ顕正会員は時限的な広宣流布観で物事を判断しようとしているのでしょうか?
会長は常に「何時何時までに何万人」と発言し、躍起になって会員は信仰者をつくりあげるわけでもなく、名簿製作に没頭しているわけです。
御書から読み取って”時が近い”と感じたにせよ、結局は梵・釈等働きが無ければ広宣流布はできないわけです。
いや、裏を返せば”顕正会の力のみで広宣流布してはならない、できるわけがない”という文証でも有る訳です。
それを顕正会の熱烈な歓喜で国中に渦巻いた時に、広宣流布を決するかのように指導なされているわけですね。
どうにも許しがたいのは、この程度の信仰しか教えてもらえない、この程度の信仰しかできない団体で広宣流布できるわけがないのに、あたかも会員は顕正会で広宣流布するかのように盲目に夢を見させていることだと思います。
横レス失礼しました。

754愚鈍凡夫:2003/07/16(水) 04:58
横レス失礼します。モトミナさん始めまして。

小生は、創価学会に在籍していた時、
「ただをかせ給へ梵天帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんとおぼえ候」(「上野殿御返事・梵帝御計御書」 学会版P1539)
の文証を、日本国の人々の願いとして広宣流布は達成されるのだと、解釈していました。
そういう白昼夢を見ていたといったほうが正確でしょうかね・・・・。(゚ペ)ウーン
そんな白昼夢も現実の組織活動の中で無惨にも打ち砕かれていきましたが・・・・。(;^_^A アセアセ…
創価学会も、顕正会も、これ以外はみんなゴミみたいな発想がなくならないかぎり、カルト宗教としか受け入れてもらえないでしょうね。

755モトミナ:2003/07/16(水) 12:14
愚鈍凡夫さん はじめまして。
活発な活動期から比べて、冷静にさまざまな事柄を見聞きさせていただく時間が長くなり、ようやくボンヤリと私が所属して活動してきた団体の実態、また信仰の対象としていたものが、どうゆうものであったのかを知るようになってきました。
創価学会に関しては一方的な情報しかなかったので、知りえませんでしたが、私が所属していた団体では、少なくとも御書の解釈が随分と身勝手に変更され、指導されているものです。
しかも団体に有利になるような教義に定義変更し、全く根拠がないのに会員は純粋に受け止める。
こういった団体の信仰姿勢をみるにつけ、団体本来の目的を団体自身が見失っているように思うものです。

756ガンコ:2003/07/16(水) 15:07
モトミナさん、ぜんぜんお見えにならないものだから、どうしちゃったのかと気になっていました。

このところのわたくしの考えをお読みくだされば、すでにガチガチの顕正会的思考からはだいぶん脱却していると感じていただけるものと思うのですが、どうでしょうか?
顕正会が間違っているならそれでもよい、わたくしが信仰しているのは顕正会ではなく、大聖人の仏法なのだから・・・と腹をくくって正しい信心を探求している最中なのです。まあ、実際は、まだまだ顕正会に未練があるというか、べつにそれほど異流儀化しているような気はしないです。ようするに、大石寺の門流という範囲で言えば、お互いにあらさがしをやっていて、どっちもどっちの感じがします。では、他門はどうか? 結局のところ、わたくしの目にはそれほど魅力的には映りません。また、この掲示板ではすでに大聖人すら批判の対象になっているところがあって、すでに日蓮信仰を卒業しちゃっているような人も見受けられますが、さすがにわたくしはまだその境地には達していませんです。
選択肢としては、もはや宗教から足を洗うことも考えられますが、つまり、今までの人生を切り離して残りの人生はまったく違った生き方をするみたいな考えもありますが、しかし、わたくしにはそれはできそうにないので、それに大聖人の仏法はそんなに捨てたもんじゃないと思っていますので、今までの延長線にたってやっているわけです。

わたくしは幸か不幸かモトミナさんほどには傷ついていないのだと思っています。だから結構のんきなことを書いていられるのだし、また、でたらめな発言をしてみんなから顰蹙を買ったりしていられるのだと思っているのですが、わたくしがモトミナさんについて思うことは、一体このさき何をどうなさろうとしていらっしゃるのか、顕正会にはすでに見切りをつけていらっしゃるように見えますが、では大聖人に対する信仰はどうなのか? ここのところがはっきりとしていないように思うのです。
まあ、余計なお世話かもしれませんが、ただ顕正会を批判するだけに人生を費やすのはもったいないことだと思います。もちろん、それが自分の使命であり、有意義なことであると確信していらっしゃるのなら、たいへん結構なことだと思います。もっとも、わたくしとしてはあまりやってほしくないのですが・・・
偉そうにどうも失礼しました。

757モトミナ:2003/07/16(水) 18:08
ガンコさん
私の現在の心境としては、やはり日蓮信仰そのものに、既に見切りをつけてしまっています。
冷静な目から見た時の日蓮正宗系信仰というものは、実に奇怪に映るものでして、その中模索を続けてようやく最近になって日蓮正宗信仰から脱出した感が湧いてきました。
特に顕正会だけを特定して批判に時間を費やしているわけではないのですが、私の身近には未だに顕正会員幹部として多くの人が活動しているもので、また私自身が在籍していた経緯から、どうしても日蓮正宗系信仰の矛先はまず顕正会になってしまうわけです。
自分自身としては、日蓮聖人に対する信仰心という観点よりも、仏教の本来のあるべき姿を知り、その上で日蓮聖人がどのような立場であったのか、という見方であろうとしております。
もちろん日蓮聖人の仏法に対する魅力はありますし、学んでいきたいと思っておりますが、信仰としてではなく、仏法というものを自分の人生の中でどう捉えていくべきか、という視点で進んで生きたいと思っています。
そういった見方からすると、既に私の中では現在の団体信仰という概念は、どうにも受け入れられない姿にも映るのです。
現在のいくつもの日蓮正宗系団体信仰を見る限り、本来団体となる利点がなくなり、団体信仰だからという束縛によって、信仰の方向性が変わってきてしまった、そんな感があるわけです。
日蓮正宗系の権威を持って統率する信仰では団体信仰をすれば当然のように、次第に団体の中心者への忠誠心へと団体自体の考え方が変貌してしまうのも頷けるわけです。
人生の目的。
仏教に、法華経にそれが存在するのかどうか、思索の中でありますが、少なくとも信仰の方向性を強要されることなく、自分で自分自身を磨いていく、そしてその生活の中で、それを生かしていくという現在の生活に、以前の活動と対比しても、いや対比する基準を超えて、充実感を感じているのも本音のところです。

758ガンコ:2003/07/16(水) 19:03

あっ、どうもどうも。

なんと申しますか、ルサンチマン的な批判だったら、いやだなあと思ったんですよ。
ちゃんとした理念を持っていらっしゃることがわかりました。そうした上での批判であれば、わたくしも真摯に受け止めなければならないと思っています。もっとも、わたくしは顕正会の窓口ではないんですけどね。
しかしどうしてでしょうかね、ネット上には顕正会員がほとんどいないみたいですよね。やっぱり謗法だと教わっているのでしょうか?

759モトミナ:2003/07/16(水) 19:24
以前にもそういった話題が持ち上がった事がありましたが、受け止め方はさまざまのようですね、会員は。
基本的な禁止といった方向性は会として打ち出されなかったものの、有名な平成12年の隊長会で浅井主任理事が言った”ネットは仮面をかぶって無責任なことをいえる場だから、話にもならない。癖々する”といった発言がありましたね。
それを各隊がどのように伝えたのか、といった内容によって会員の受け止め方が様々になっているようです。

760ガンコ:2003/07/16(水) 21:02
わたくしが感じるところは、まさしく見てはならないと言われれば見たくなるという心理があって、実際に多くの顕正会員がネットを見ていて顕正会に対する不信みたいなものが内部でくすぶっているのではないか、ということです。
ですから、「有名な平成12年の隊長会・・・」ということを前にもお聞きしましたが、大体その前後くらいから伸び悩んでいるというのが偽らざる実態であろうと見ています。
そういうわけで、ネットの顕正会批判にどう対応するか、今後は非常に重要な課題であろうと考えているわけです。
これを克服できなければ、おそらく先は短いでしょう。

761継続は力:2003/07/16(水) 21:56
No.759 → ネットは仮面、、、話にもならない、、。 全く其の通りでしょう。 コノ、ネットが「現代版の言論の自由に通じる一歩、?」でしょう、。 ネット世界は、幼稚園児〜生徒〜学生〜一般人〜学者〜研究者までの「身分不問の中、目隠しをしたままでの、チャンバラ的なバトルが可能な世界、?」かと思います。画期的な民主制度かも? 当初は不慣れのルールはずれもありましょうが、論戦〜論陣〜考察の進展に応じまして「そこそこの、指針などがボンヤリと判明、?」するかもしれません。 だからドーゾ「議論の御継続だけは、継続」して欲しい。

762MILD SEVEN:2003/07/22(火) 04:12

頭と心のバランスがデタラメで、思慮浅く、詭弁に走る生意気なガキが多い、言葉の羅列型・事務屋左脳派カルト。
右脳派の可能性をも潰す。
国家にとって、マイナスだ!

何が創価なんだろう!?
世界に通用するものは創れないカルト集団。

池田の教学には信仰は無い。
悪霊に支配された、まがい物だ。

池田が死んだら、その支配欲の夢と共に創価は解散。
それがいい。
それが自然だ。

創価の排他的・邪教発言「他宗を全て邪教と呼ぶ事実」で、テロリストが来ないか心配だ!
我々をも、外道などと・・・。

創価は旧約社会には、相手にされない!

詭弁仏法創価学会。

http://www3.ezbbs.net/14/g9okm/

764妙薬:2003/08/31(日) 16:15
 ガンコさま、ご無沙汰しています。
 「顕正会のネット対策」は難しいと思います。この掲示板のように、弘安2年の大御本尊の真贋問題などが真正面から問われている掲示板に、顕正会が本部として関わるはずはないと考えるからです。
 「見るなといわれれば、つい見たくなる」という心理はわかりますが、第一線で活躍している会員ほど「見たいという気持を乗り越え、指導に従って見ない」というのが、一般的な信仰者としてのスタンスではないでしょうか。
 これは、「見ている」ガンコさん批判ではなく、私自身のかつての体験上から述べているものです。「悪知識には近づかなかった」ものです。
 こうした掲示板に関わっている人は、よほどの自信家がディベート好き、宗教と人生を真剣に考えている人、サーフィンで悩める子羊(私のレベル)、組織に所属している確信犯、お暇つぶしの人達でしょう。顕正会本部に限らず、組織の論理からすればやっかいな連中なはずです。
 私の結論は、僭越ながら「克服は不可能」だと思いますが。

765ガンコ:2003/08/31(日) 17:54
妙薬さん、どうもです。

>弘安2年の大御本尊の真贋問題などが真正面から問われている掲示板
>克服は不可能

そうすると、正宗系はみんなダメってことですか?
このさい、学会も正信会もぜんぶ復帰させて、一致団結して広宣流布を目指すしかありませんね。それはもっと不可能って言われそうですが。
しかし、どこかの掲示板だったか、学会のほうで宗門と和解しようとの動きがあったとか、書いてありました。

戒壇様の問題はまだまだ一幕も二幕もあると思われます。(いや、あてずっぽうで言ってんですが)

766ガンコ:2003/08/31(日) 17:56
mappyさん

妙観講については、べらぼうに詳しい人がいたんですが、どうしたんでしょうかね、この頃ぜんぜんお見えにならないんですよ。

767Jルーカス:2003/08/31(日) 22:19
>763
不確実とは云え、ネットに本名を書くのはいかがなものでしょうか。
管理人さん、この件につき対処御願いします。

768Jルーカス:2003/08/31(日) 22:20
ガンコさん
ところで、浅井会長が「9月15日前後に相模地方に地震が来る」
と発言されたそうですが、真意について教えてください。

770管理者:2003/09/01(月) 06:35

>767 Jルーカス さん

>不確実とは云え、ネットに本名を書くのはいかがなものでしょうか。管理人さん、この件につき対処御願いします。

禁止事項の「人権侵害」に抵触する恐れは有ります。或いは、「特定組織に対する一方的な攻撃宣伝」に該当する可能性は有ります。しかしながら、掲示板参加者の本名を明らかにした訳では有りませんので。現在の掲示板のルールでは対処は難しいと思います。新しいスレッドにて議論していただき、議論が煮詰まりましたら、掲示板のルールの変更、或いは追加という形で対処したいと存じます。よろしくお願いいたします。

771ガンコ:2003/09/01(月) 08:26
Jルーカスさん

わたくしが先生の発言の真意を知っているわけありません。
わかっているのは、今までは地震を含めて社会のあらゆる事象をあげつらって、「起こりつつある」とか「迫りつつある」みたいな表現をしておったように思うんですが、それに比べると今回の発言はかなり具体的です。
まあ、一ヵ月後にはあちこちの掲示板で、当たっただの外れただのと騒ぐことになるんでしょう。
先生はそんなにバカじゃないから、何か計算があるんでしょうけど、わたくしにはわからないです。

当たってもこまるし、当たらなくてもこまる・・・御書にもそういうのがあったと思います。(めんどうで調べていない)

772妙薬:2003/09/01(月) 09:38
ガンコさん
 
 誤解を招いたようですね。私が言いたいのは、顕正会本部(他の教団も同じ)として当面、「ネット対策は考えないと思う」ということです。
 富士門系の各団体にとって、会員&信徒による折伏活動は布教上の生命線ですが、ある規模以上の団体組織になると、広報戦略も重要になります。金さえあれば主体的に行える広告活動とは異なり、団体イメージを飛躍的に高めるための広報戦略にはどこの教団も智慧を絞って取り組んでいるはずです。
 そうした中で、ネット(対策)をどう考えているのか? 現時点では一方的にPR情報を送りつけられるHP形式は活用しても、この掲示板のような(教団側にとって)ある種リスキーな存在に対しては、関わりを避けるのは当然の判断でしょう。
 「克服は不可能」と言ったのは、顕正会本部は「君子危うきに近づかず」というスタンスを取りつづけると考えるからです。当然だとも思います。
 だって、このネットに関わっている人達の凄い情報量や教学力、分析力を考えると、おお、こわっ。

773ガンコ:2003/09/01(月) 12:05
妙薬さん

>誤解を招いたようですね。

どうも、失礼しました。読解力のなさを露呈してしまいました。
だいたい、おっしゃるとおりだと思います。

>おお、こわっ。

まったく同感であります。

774疑問:2003/09/01(月) 12:44
皆様、はじめまして。顕正会員です。
御遺命とは、広宣流布の暁に、本門寺の戒壇を建立すると言うことですか?
そして、その戒壇とは「一期弘法付属書」の『国主此の法を立てらるれば』、「三大秘法抄」
『勅宣並びに御教書を申し下して』建立されるものですよね?
つまり、国家意志の表明で立つ戒壇でよろしいでしょうか?
「国立」とは、表現が御書に無いだけで、意義においては国家護持の戒壇ですよね?

775疑問:2003/09/01(月) 12:50
もうひとつ。
もし、浅井先生が間違っているなら、「師は針の如し弟子は糸の如し」で、会員も背いている訳ですよね?
それでも、数々の体験発表に「癌が消えた」「成仏の相で亡くなった」と功徳に満ち溢れているのは何故ですか?
私の隊でも、皆さん功徳の体験は溢れんばかりあります。(私も含めて)
しかし、顕正会が大聖人の教義からずれている説が盛んです。
「国立戒壇」が正しいからでしょうか?
罰もあり、私も体験します。
この現証は、正しく、日蓮大聖人の御意に適っている証とおもうのですが・・・

776モトミナ:2003/09/01(月) 13:07
疑問さん
元顕正会員のモトミナと申します。
まず以前の数多のレスをよく読むことをお勧めします。
その上で「三大秘法抄」及び二箇相承書の真作証明をすべきだと思います。
また功徳や罰は証明不可能の代物です。
個人主観が大いに左右されるので、これを以て正邪を判別することなど不可能です。
顕正会で行われる体験発表の”その後”にこそ真実は隠されているのですが、”その後”を機関紙で掲載することもないでしょうから、会員は素直に会は功徳に満ち溢れている、と勘違いしているわけです。
癌が消滅する事と顕正会で信仰する事の因果関係はどうやって提示できるのでしょうか?
成仏の相で亡くなった、というのはどのような鑑識結果に基づくものでしょうか?
何も癌が消滅したのは顕正会員だけではありませんよ?
世界中にこういった事例は無数に上ります。
他宗派の方でこういった経験をされた方についてはどのようにお考えでしょうか?
個人体験を以て信仰の正当性を訴えるのは非常にナンセンス、いやもっといえば危険であると思われます。

777疑問:2003/09/01(月) 13:51
成仏の相は、実際に拝見しました。会員幹部の葬儀3日前から回向しました。
すると、お題目唱えるほどに、相が変化するのがわかり、通夜では、生きているみたいでした。
普通の人が、穏やかで白くなくなった話もありますが、明らかにそれとは違い、御金言そのものでした。
あと、御遺命戒壇についてもレスお願いします。

778疑問:2003/09/01(月) 14:26
追加です。
では、法華講で、まじめな信心を貫けば、よき臨終(成仏)になれますか?

779モトミナ:2003/09/01(月) 14:47
>普通の人が、穏やかで白くなくなった話もありますが、明らかにそれとは違い
「それとは違う」とは個人の主観以外で判別されたのだろうと思われますが、どのように違ったのでしょうか?

>法華講で、まじめな信心を貫けば、よき臨終(成仏)になれますか?
私は法華講員ではありませんので、これについては回答できませんが、多くの法華講の方がやはり体験発表等で臨終についてたくさん述べられていますね。
そもそも今の私にはよく理解できないのですが、相が柔和になり色白く体が軽くなるとどうしてそれが成仏という証拠になるのでしょうか?
そもそもこれ等は金言に則った表現なのでしょうけれども、白いと成仏、黒いと堕獄という証拠はどこにあるのでしょうか?
お教え願えますでしょうか。

780疑問:2003/09/01(月) 14:59
>>779
ただ、千日尼御返事にあるからです。
大聖人が、古来からの文証により、一点の曇りなしと。

781疑問:2003/09/01(月) 16:17
>>774-778
について、他の方のご意見もお聞かせ下さい。

782モトミナ:2003/09/01(月) 16:26
疑問さん
他の方の意見を聞かれるのもよろしいかと思われますが、ご自身の都合よく回答できる質問のみ回答なされて、他には回答くださらないのでしょうか。

・三大秘法抄及び二箇相承書についての真偽
・功徳や罰の理論的証明(因果等)をどうやってされるのでしょうか。
・他宗派における顕正会と同じような現証についての見解
・柔和な相が成仏、不成仏に関係している事実上の証明

お願いいたします。

783モトミナ:2003/09/01(月) 16:28
追記
・柔和な相が成仏、不成仏に関係している事実上の証明
日蓮信仰をしていない者への解説、というつもりでお願いいたします。

784疑問:2003/09/01(月) 19:25
モトミナさん
正直申しまして、回答不能です。判らないのです。ご存知とは思いますが、顕正会においては、「不思議」で片付けてしまい、疑う余地を与えられません。
そこで、私は、疑問に感じ、レスしたわけです。「現証」しか証明する術がないのです。申し訳ございません。
>・三大秘法抄及び二箇相承書についての真偽
知りません。「信」しか教えられていません。
>・功徳や罰の理論的証明(因果等)をどうやってされるのでしょうか。
これは、信心の状態(感激や、行体)と照らし合わせ判断しています。会員はそれぞれ自分の基準で計っていると思います。
>・他宗派における顕正会と同じような現証についての見解
一時的な現証では判断できません。結果が幸福になって「よかった」となっているか、成仏するかで本物か判断するしかありません。
>・柔和な相が成仏、不成仏に関係している事実上の証明
大聖人さまの御金言を信じるのみです。

以上、勉強不足で申し訳ありません。
モトミナさんも元顕正会員であれば、理論はほとんど学ばず、ただ信じろと指導されてきたでしょう。
詮索するのは、「魔だ」「疑ってるのか!」「怨嫉は功徳をなくす」と指導されます。
(この点、創価学会と変わりないと思いますが・・・)

785愚鈍凡夫:2003/09/01(月) 20:47
横レス失礼します。
疑問さん始めまして。愚鈍凡夫です。
本論とは関係ありませんが念のために、
疑問さんが示されているのは、以下の文証だと思うのですが、

「人は臨終の時、地獄に墮つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、軟かなる事兜羅綿の如し。」(「昭和新定御書」より)

この文証は、『千日尼御返事』の文証ではありません。弘安元年閏十月十九日の『千日尼御前御返事』の文証です。悪しからず。

786犀角独歩:2003/09/01(月) 21:20

しかし、人間が死んだあとに体が柔らかくなれば、成仏だなどいうことが未だに言われていることはほとんど笑止千万です。また、顕正会員というのは百人が百人、同じ葬儀の話をまるで自分が見たように語るというのは一体どういうことでしょうか。上述の疑問さんが本当にそのような葬儀を見たかどうかは知りませんが、わたしは過去、創価学会、法華講、日蓮宗、妙観講、曹洞宗、浄土真宗、念仏宗、キリスト教、その他諸々の葬儀に参列してきましたが、いわゆる日蓮系で言う成仏の相と同じような安らかな、そして、色白く、体も柔らかな遺体を数限りなく拝見してきました。まったく、宗派、故人の生前の信仰と死後の姿に相関性はありませんでした。

以下はかつて紹介した記事です。葬儀社勤務の方の実録からの記述です。
1件2件、あるいは数十件などという少ない体験から語られるものではありません。
これが現実です。


*** 過去ログ『つぶやきスレッド』から転載 ***

159 名前: 独歩 投稿日: 2002/01/04(金) 01:47

…『納棺夫日記』(文春文庫)という本をご存知ですか。著者は青木新門先生。何度かメールのやり取りもしたことがあるのです。この方も葬儀社に勤務され、その経験から記されたのが、この書でした。

このなかに、こんな一節があります。

ある家で納棺した時のことだった。
始めようとしたら、そこに集まっていた全員でお題目を唱え始めた。
その死体はひどく硬直していた。特に腕の硬直がひどく、私はかけ蒲団の下で、腕の硬直を和らげるのに悪戦苦闘していた。指を曲げたり、腕の関節を曲げたり伸ばしたりしながら、やっとの思いで動くようにして、仏衣の袖に手を通そうとした時だった。
「あれ、見てみなされ、あんなに硬直していたのに、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と一人が叫んだ。するとお題目が一斉に止んで、
「ほんとだ、ほんとだ、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と言いながら全員が、私の手元を覗き込むように見ていた。
私はあきれてしまった。
あの時ほど、宗教というものに不信感を抱いたことはなかった。あれは決してお題目を唱えたから柔らかくなったのではない。
宗教の熱心な信者は、往々にしてこうした事象を己の信じる宗教の功徳にしてしまう。(177頁)

毎日毎日、死者ばかりを見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。
それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。…死者の顔を気にしながら、死者と毎日接しているうちに、死者の顔のほとんどが安らかな顔をしているのに気づいた。
生きている間に、どのような悪や善を行なったか知らないが、そんなことはあまり関係がなさそうだ。信仰が篤いとか薄いとか、宗教が何派だとか、宗教そのものに関心があるとか無いとか、そんなことに関係なく、死者の顔が安らかな顔をしているように思えてならない。(72頁)

787犀角独歩:2003/09/01(月) 21:57

もう何度となく、記してきたことですが、『三大秘法抄』の真偽については、以下の秀逸な研究を

『三大秘法抄の真偽』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ssk_sandaihiho_001.html

なお、三大秘法抄は富士戒壇論とは関係ありません。
富士戒壇論は興師が創案され、その後、富士門で定着した考えであることは既に考証した来たとおりです。

「富士山に本門事戒壇」「戒壇院」「戒壇堂」「本堂」というのは、みな同じものと見做すことはあまりにも短絡的な考え方です。

また、「戒壇之本尊」という場合、漫荼羅に「本尊」の文字が見られるのはいわゆる万年救護本尊に限ります。富士の所伝ではこの「本尊」は弘安二年に興師に相伝されたとされます。なお、石山の板漫荼羅、弥四郎国重が本門戒壇の願主として板に掘って造立したことを銘記されるばかりで、これが戒壇堂安置の本尊である証拠はありません。亨師調査の興師の本尊脇書を具に見ればわかるとおり、「本門寺に懸け奉るべし」という本尊は複数存在します。また、重須文献、あるいは道師『御伝土代』でも明確なとおり、興師が重要視した弘安二年漫荼羅は「二千二百三十余年」と記されたものでした。が、これは興師在世に盗難に遭い紛失してしまいました。

以上のような点は過去2年間、こちらの場を借りて、問答名人さんとはっきりとさせてきたことですが、相変わらず、戸田さんの考えをパクッた浅井さんの言を顕正会オリジナルのように思い込む新参の顕正会員があとを絶たないことを残念に思います。

人に教え込まれたことを裏も取らず、自分の言葉のように語ることを恥ずかしいと思うべきであるとわたしは常々申し上げてきたのです。

どうも、ここには投稿を控えようと思っているのに、2年前の何等変わらない議論が繰り返され、放置できないと思う昨今です。まあ、控えようとは思います。

788モトミナ:2003/09/01(月) 22:14
疑問さん
必ず回答に窮する事を理解していながら敢えてお聞きしました。
これに対して誠意ある回答を頂き感謝致します。
しかしながらなぜ、敢えて回答できない事をお聞きしたのかと言えば、つまりそれが顕正会理論の極点・結論・臨界点であると知って頂きたかったからです。
顕正会員はまずこういった事を考える事すら「己心の魔」と指導されて、考える余地すら信仰の邪魔として排除させられています。
既に会員は心をコントロールされてしまっているんです。
こういった考え方をまずニュートラルにしてみないと、疑問さんが解明したいような事柄の真実は見えないと思います。
独歩さんのサイトでしたか、”絶対が限界と考えてみること”という内容を読ませて頂いた時に、ハッとしたものです。
「顕正会は絶対」「浅井会長は絶対」といった考えを一旦放棄して、これらには全て限界があるのだとまず立てた時に、初めて今までの矛盾が一瞬にして氷解した事を思い出しました。
こんな事、活動時期には考えすらしなかった事ですが、「絶対」である故に矛盾があってはならず、その結果自己の心の中に会や信仰に矛盾を感じた時には、解決できるだけの何らかの魔法をかけてしまっていたのだと思います。
この魔法こそが「信」だと思うのです。
私はかつて様々な方より日蓮正宗系信仰ほど理路整然とし、いかなる信仰者、いかなる宗教観すらも破する事ができる、唯一絶対の仏法である、と教わってきました。
しかし結論は最後は必ず「信じよう」「信こそが全て」だったわけです。
「日蓮仏法ほど深く正しい教義はない」としながら結局は「信」で全てを解決しようとするわけです。
そして信じられないのであれば「魔」「罪障を積む」と。

だからもしいずれかの会が「理論」ではなく「信」を最優先させて会員の心をコントロールする組織であれば、これは最も信用してはならない組織の一つである、とすら今は思うのです。
「信じろ」「信じられないのか」「疑問に考える事すら罪」という言葉は「絶対」の前では最強のコントロールでしょう。
この「信」というスタンスを一度外してみて、一方的ではなく冷静に物事を判断してみる、第三者的物事の見方をしてみた時、意外と馬鹿馬鹿しい位に自分の心がコントロールされていた事に気づいてしまうことが多々あります。
疑問を感じるのであれば、そういったスタンスに一度立たれてみてはいかがでしょうか?

789疑問:2003/09/01(月) 22:42
モトミナ さん、犀角独歩 さん、ご丁寧にご意見有難うございます。
今の私は、櫻川さんと似たような心理状況です。
ただ、もしこの仏法が空論ならば、何を信じたらよいのか。
今まで、戒壇の大御本尊を信じ、ただ成仏を願い、国立戒壇に青春をぶつけてきたのは何だったのだろう?
幸・不幸はいかに解決するのだろう?
幸・不幸の因果は、法則ではないのか・・・
ならば、すき放題に生きて、死んだ方がいいのか?
非常に悩みます。
どこか正しい宗教はないのだろうか・・・・

790Jルーカス:2003/09/01(月) 22:53
独歩さんやみなさん
博学そうですから、知ってたら御教示下さい。
死体を修正する仕事があるそうです。
実は昔、そのサイトを見つけたのですが、全く忘却しました(笑)。

たとえば、死相が身内が見るに忍びない程悪かった場合、また硬直が激しかったりする場合死体をマッサージして、柔らかくする技術だそうです。
アメリカでは、ライセンス性になっているんだそうです。
その知識を知ってる方、是非御教示下さい。

そして、その昔、旧顕正寺と提携していた葬儀社は、その技術者を雇って・・・。
と言う話を元顕正会員から聞きました。

791愚鈍凡夫:2003/09/01(月) 23:08
戸田さんの主張を浅井さんがパクった件に関して。

1916
 『牧口常三郎は、1916(大正5)年ごろ、田中智学の講演会に何度か出席している。』(1998年『仏教と出会った日本』P186) (※注1)

1924/08/25
 平楽寺書店、里見岸雄著『法華経の研究』発行。
 P101に『日蓮上人においては、本尊は………価値創造である。』
 P570に『かの曼茶羅は……価値創造』
 等とあり、日蓮の信仰が価値創造、絶対的価値の発現であることが縷々論じられている。
 牧口、戸田が田中智学の三男が書いたこの本を読んだ可能性は高い。
 大正年間の国柱会の出版物や機関誌『毒鼓』などを見ると、生命哲学、価値論、夏季講習会、科学と宗教、政治と宗教、王仏冥合、国立戒壇などの言葉であふれている。 (※注2)

これらのことが事実であれば、元学会員として一抹の寂しさを感じます。

戒壇論パクリの系譜
日蓮正宗→田中智学→牧口常三郎・戸田城聖→浅井甚兵衛・昭衞

※注1
http://snow.prohosting.com/foggyday/1916/1916_01_00.html
※注2
http://snow.prohosting.com/foggyday/1924/1924_01_21.html

792犀角独歩:2003/09/02(火) 00:35

本日、少し酔いどれ
古巣に帰った気持ちで、もう少しだけ書かせてください。

Jルーカスさん:

> 死体を修正する仕事がある…

この件に関してはわたしは少しうるさいのですよ。
大正大学のMHさんというこの手の権威がいるのです。
この人と文筆の仕事をご一緒したことがあります。
西欧では火葬はしません。遺体をエバーミング(という呼称であったと思いますが)処理をします。これは永久に腐らず、死後の状態をそのまま保つ技術です。防腐剤その他を大量に注入し、まるで蝋人形のように現状を保つのです。

仰るとおり、表情その他も修正します。なにより、わたしが衝撃を受けたのは、ベトナム戦争などで遺体の損壊が著しいとき、この“修復作業”に従事する人が、いちばん苦労するのは“舌”を確保することであるという話でした。遺体にキスをするときに舌を差し入れて、遺体の舌に触れないことが彼らにとって、もっとも悲しいことである、故に舌を確保することに最も気が遣われているとのことでした。極端な話、もし、爆撃などで頭部を損壊し、舌が失してしまった場合、何らかの方法で舌に“代わる”ものをその遺体に縫い込むことすら行うということを、これはMHさんの話とは別に苦労談として聴取したものでした。

しかし、同じようなことを、顕正会でも行っているとしたら、これは、やはり、驚きを禁じ得ません。

愚鈍凡夫さん:

この手の話、『近代日本の日蓮主義』の著者大谷栄一師も言っていました。
しかし、資料の確実なグリップに感心いたすものです。

モトミナさん:

わたしは、このような自己の経験反省から文章を記すことをもっとも尊重し、尊敬もします。大切なことです。

自分が(かつて)師と仰いだ人の言を鵜呑みに提示するのではなく、その言を自分で検証して実否を論じる姿勢、これこそがあるべき姿勢であるとわたしも思っています。

疑問さん:

> 幸・不幸の因果は、法則ではないのか・・・
> ならば、すき放題に生きて、死んだ方がいいのか?

これは短絡でしょう。因果がなければ悪いことをしても罰が当たらない、ならば、好き放題に生きてもよい、ではなく、悪いことをしても悪い結果にならなくても、正しく生きようとするとするところに襟度があります。

> どこか正しい宗教はないのだろうか

どこかにあるのではなく、自分で実現することでしょう。
善い行いを積み重ねても、その見返りを期待しない“ものもらい信仰”から脱却が、一切の信仰者に求められるところです。

793顕正居士:2003/09/02(火) 01:19
Jルーカスさん。はじめまして。

「エムバーミング(embalming)」は、古代のエジプト人にはじまる遺体保全術
で、近代ではアメリカで発達し普及しました。火葬など習俗の違いからわが国
では珍しかったのですが、この幾年かでこれを扱う葬儀会社が増えました。

日本の葬儀会社のサイト
http://www.sougi.com/a_sinokagaku/death/embalming.htm
エムバーミングの歴史
http://www.wyfda.org/basics_3.html

死に際して見る幻覚を「臨終の相」といい、読経などによって死に行く人を
落ち着かせることを「臨終の用心」といいます。死相の意味の「臨終の相」は
宗教によらず俗信があります。中国や日本の仏教では49日の「中有」を経て
あらたに六道に生まれると信じたから、これと死相で生処を占うのとは合致
しない所があります。日本の仏教では臨終の用心を無用とする傾向が強いよう
で、亡くなってから葬儀を行ないます。仏立宗や大石寺など日蓮宗の一部には
死相に関する俗信があるようです。小規模なカルトの中にもこれをアッピール
する教団があって、ビデオを見たことがあります。ある程度の割合で良い臨終
の相といわれる外観で亡くなる方が天然におられるのかも知れないが、調査の
仕様はない。独歩さんがお示しのように、お棺に入れるために遺体を軟らかく
する技術などは昔からあったはずです。

794アネモネ:2003/09/02(火) 03:07
成仏の相について少しレスさせて頂きたいと思います。
実際の入信のキッカケの理由として、けっこうこの成仏の相ということで、信心の確信を持った人は多いようですね。
実はこのことについて、医療従事者の方々などに質問をしてみたことがあります。
いわゆる肝機能など内臓疾患によって、皮膚の色が黒くなってしまうことが多いわけですが、また肝臓の病気でなくても、治療の為の投与によって肝臓が弱まり、次第に皮膚の色が黒くなってしまうことが多いわけです。
ところがしかし、そうした皮膚の色も、死後一定の時間が経てば、題目を唱えなくと元の皮膚色に戻っていくらしいのです。これは、医学的な根拠がしっかりあるものらしく、そのような科学的(医学的)根拠を知らない信仰者が大半ですから、たまたま死後施された自分たちの信仰的呪術によって、死相に奇跡が起きたと確信を持って思い込んでしまうわけでしょう。
疑問さんが示された文証は、医学や科学のほとんどない700年以上も前のものであるわけで、日蓮が用いたからといって、今日に通用するものだとはいえないでしょう。当時にとっては、それが最高水準だったかもしれませんが、しかし今日において死後の皮膚の色の違いやその変化については、そのほとんどが医学的に説明のつくものであると思われますし、ましてや私などは、成仏不成仏の区別の目安になるものではないと思っています。
言葉を変えれば、そのような医学の発達していない時代の迷信をそのまま信じこまされているといえるのではないでしょうか。
ちなみに、たとえば白い皮膚の人が成仏の相ならば、欧米の白人は生まれつき成仏しているということになるわけですね。しかし、彼らの大半はクリスチャンです。となると、文証は、まったく辻褄が合いませんね。
だいたい誰しも、成仏を自分自身が実体験していないにも関わらず、この人は成仏したこの人は成仏してないと、もっともらしく見極めたかのように語られること自体、実にいかがわしいということではないでしょうか。
それに、お釈迦様が成道されたのは三十五歳でしたでしょうか。そのとき仏と成られたお釈迦様は、成仏の相といわれるように色白だったのでしょうか。
これはどう考えてみても、地域的、民族的に、褐色か黄色だったのではないかと思われます。
そういった諸々のことを考えてみても、日蓮が用いた文証そのものがもはや現代的には通用しないわけで、それを無理矢理に通そうとするならば、拡大解釈として肌の色による不当な人種差別にも通じてしまうものではないかと思われます。
無理が通れば道理引っ込むとはまさにこのことです。

私は、個人的見解として記せば、どのような死に方であろうとも、またどのような死相であろうとも、そこに人の差別はないと思うところです。

795Jルーカス:2003/09/02(火) 09:38
皆様レスありがとうございます。
エバーミングと云うのですね。
実は、最近土曜ワイド劇場(火曜サスペンス劇場かも)で、その職業の方の話をやってましたね。

さて、私が日蓮正宗の今の寺院についたとき、最初に教わったのが下記のような事でした。

「成仏の相=成仏とは一概に考えてはいけない。死相が悪いからと云って一概に墜獄と断じてもいけない。一見思想が悪くても、成仏している場合もあり、それは佛様にしか分からないので勝手に判断するな。
今、過激な法華講では、極端な両極思想(成仏か墜獄)に走る傾向があるが、単純に考えても十界、大きく見れば百界、そして三千また無限の種類の死相がある。だから決して単純に見てはいけない。そもそも、熱原の法華講衆は首を斬られて亡くなっている。また日蓮正宗信徒でも時代によって、戦死した人や餓死した人の数は多い。歴史的に見れば、現代のような時代の方が珍しく、畳の上で死ぬのが希な時代の方が長かった。そういう先人冒涜につながるから、極端な考えは捨てなさい。」

796Jルーカス:2003/09/02(火) 09:40
>795
×「一見思想が悪くても、」
○「一見死相が悪くても、」

797モトミナ:2003/09/02(火) 10:14
Jルーカスさん
現代の日蓮正宗の言い分だと「千日尼御前御返事」の文を正宗信仰者の死にそのままスライドしてあてはめる事などできない、という弁明になるわけですね。
つまり正宗信仰をしていても相は定められたままにはならず、歴史から見ても多く金言から外れた臨終を遂げた者が多数いる、と。
臨終を以て信仰の正邪を判ずる事はできないということになりますが、では御書で断言した文は一体何なのだ、という疑問が出てくるのですが、これについてはどのように教わっているのでしょうか。

798Jルーカス:2003/09/02(火) 10:42
モトミナさん

> では御書で断言した文は一体何なのだ、という疑問が出てくるのですが、
> これについてはどのように教わっているのでしょうか。

もちろん、御金言は否定してませんよ。
御金言の通りになる場合もあるでしょう。
しかし、個人個人の過去世の罪障は僧俗全ての凡夫には分からない。
それが「墜獄の相なのか」「罪障消滅の相なのか」は分からない。
また逆に「成仏の相」なのか「魔の通力」なのかも分からない。
しかし、それも断言するのでは無く、可能性を論じるだけですね。
その辺は、顕正会さんのように「白か黒かはっきりしている」方が美しいんでしょうがね。

799犀角独歩:2003/09/02(火) 10:56

ご参考の便宜に、わたしが公開しようとしているのは以下の事件についてです。
ここでは匿名としましたがここまで伏せる必要はもちろんないでしょう。いちおう、こちらの掲示板保護のために『個人情報の公開について』の皆さんのご意見と管理人さんのご判断に基づき、細心にわたりました。

重要な点は、この事件が顕正会の一方的敗訴であり、また、その前提で、顕正会は虚偽の報道をしていた事実が白日のもとに曝されたということです。

一般社会から見るとき、宗教団体とその信者について、「何を信じているか」が重要なのではなくて、「何をしているのか」が重要なのです。以下のような違法行為を集団ぐるみで行うのであれば、その団体は違法団体と見做されるのは至極当然のことです。顕正会、ならびにその運営者、さらに信者会員の猛省を促すものです。

*** 以下、添付 ***

神奈川県警による顕正会藤沢事務所の家宅捜索等
 
1.神奈川県警藤沢署は、平成11年7月7日、同年7月3日に傷害容疑で逮捕した顕正会信者・TSの自宅(横浜市港区)及び顕正会藤沢事務所(藤沢市鵠沼)の家宅捜索を行った。
  顕正会は、平成11年8月5日付『顕正新聞』(第805号)紙上において、KA男子部長及び同事案に立ち会った藤沢事務所管理主任・KH、HBの主張を掲載した。
  同記事によると、7月3日の逮捕そのものが違法であり、本来加害者である「Y」の嘘の証言を鵜呑みにして被害者のTSが逮捕された。警察権力を動かしたのはDI(K党)であるなど決めつけている。また、藤沢署による家宅捜索についても違法捜索と位置づけたうえで、同捜索時に撮影した警察官の写真を掲載するとともに、H管理主任が私服警官から集団暴行を受けたとしている。
  これら一連の事件を受けて、同記事ではKHを原告として7月23日付けで横浜地検に対して特別公務員暴行陵虐罪で藤沢署警察官12人を告訴、この暴行傷害事件に対する国家賠償の請求訴訟、さらにTSに傷を負わせた「Y」を傷害罪で告訴したなど記載しているほか、「顕正会として藤沢署とその背後に潜む謀略の実態を白日のもとに晒すべく、今顧問弁護団が法的措置を検討中」としていると記載した。

2.顕正会は平成11年7月26日、横浜地検に訴状を提出。
 原告は宗教法人顕正会(代表・SA)及びKH、原告代理人は弁護士・HO、被告は神奈川県(神奈川県知事・岡崎 洋)となっている。

 その裁判結果は 主文 1.原告らの請求はいずれも棄却する。2.訴訟費用は原告らの負担とする。という判決であり 控訴はしていないので顕正会はすべてを認めた結果で終結した。

800犀角独歩:2003/09/02(火) 11:22

顕正居士さんの博識ぶりにはいつも驚かされますが、今回も実に参考になりました。有り難うございます。

また、アネモネさんのご意見、わたしは全面的に賛同します。


○顕正会員が語る「葬儀参列で見た成仏の相」について

さて、モトミナさんとJルーカスさんの議論とは別に記します。
わたしは現役顕正会員と話すたびに、この成仏相の話を聞かされるのですが、そのうち、大きな疑問を抱くようになりました。脱会顕正会員の方で、以下、わたしが記すことに思い当たり、事実を披瀝してくださる方があることを期待します。

昨年のことですが、入信わずか数カ月という現役会員と話したとき、「顕正会で亡くなった人は成仏の相をしているのです」と、いま話題になっているようなことを得々と語り出しました。相手の年齢はまだ20歳前、入信数カ月ですでに顕正会の葬儀に参列したなどということ事態、俄に信じられるものではないので、寧ろ、その点を尋ねたのです。しかし、相手は「自分は見た」の一点張りでした。このようなことはその前にも何度も経験してきたことでした。奇妙なことに、いちおうに語られる葬儀の様子、その故人の情報が場所を隔てて聴取しても、ほとんど同じなのです。この点に疑いを懐かざるを得なかったわけです。しかし、いくら、その点を質問しても、それぞれ「自分が見た」と言い張るわけです。

その実否を詳細に調査したわけではありませんが、類推するに、

・体験談で聞いた話、語り継がれた話を恰も自分で見てきたことのように語っている
・人の体験談を自分の体験談のように思い込んでいる

と映じたものでした。
これが錯覚、妄想、あるいは思い込みであるとすれば、一種の集団ヒステリー状態、あるいは集団催眠状態となり、自分が見ていないのだけれど、会で語られる体験談が事実に間違いないから「言い切ってしまっても問題ない」と完全な無責任心理に陥っているのだろうとも思えるわけです。「講談師、見てきたような嘘を言う」とは旧い譬えですが、しかし、このような伝播によって虚偽の感動が生み出され、信仰心が深められる点は、極めて不健全なことであり、引いては虚偽勧誘の可能性すら問題にしなければならないことになるでしょう。

蓮師の、成仏相の記述など、一般社会にとって、どうでもよいことと言えるかも知れません。しかし、自分が見ていないことを見たと言い、勧誘が行われているとすれば、それは違法性に抵触する重大問題である点は、けっして看過されてはならないと思うわけです。

801Jルーカス:2003/09/02(火) 11:36
> 799
確認させてください。

まず、この場合「横浜地検に刑事告発」「横浜地裁に民事訴訟」となると
思います。
「主文 1.原告らの請求はいずれも棄却する。
2.訴訟費用は原告らの負担とする。」は民事の方だと思われます。
この場合、控訴断念で、判決確定だと思います。

さて、刑事の方はどうなってますでしょうか。
恐らく「不起訴」又は「起訴猶予」でしょうが、もしそうなら、検察審査会に不服をだしているでしょうか。出さねばこちらも確定したことになりますが。

802Jルーカス:2003/09/02(火) 11:48
独歩さんの云われる、顕正会員が自分で見てないことを見たように云ってるのは事実だと思います。
実は元顕正会員の方の話では、顕正会では「臨終は大切な事なので、やたらと関係薄い方の葬式に行ってはいけない。臨終の妨げになる。」と克衛君が指導しているそうです。
つまり、他人の葬式に行ける機会が、一般人より極端に少ないんだそうです。

803モトミナ:2003/09/02(火) 12:00
Jルーカスさん 有難うございます。
つまり金言に云う内容とは、こういった場合もあるが、別の場合もある、という捉え方という事なんですね。
極論志向の顕正会的な見解を示すならば、「金言とはつまり断言、結論」という見方をするので、こういった捉え方を宗門がされている事に違和感を感じる会員が大勢いると思います。
また、極端すれば宗門側ではそういった見解も示している、という情報を会員側が知れば即「顕正会のみ大聖人の仰せのままの信仰を貫いている証拠。故に会員の臨終は明確であり、宗門側の臨終はこういった曖昧な表現せざるを得ない実情がある」と短絡的に判ずる事と思われます。
主観的感覚で事を判じる会員にとって臨終は白軽、以外は黒重という短絡思考であり、つまり金言のままでなければならないわけです。

独歩さん

藤沢の件については私も知るところですが、この事件の詳細経緯と当時身近だった者の証言からふと思ったことがあります。
それは会員の肯定的心理という問題です。
私の知っている会員達も多々社会的問題を起し、逮捕されたり、報道されたり、と様々な事柄があったのですが、彼等は一律思っている事は、現代社会と顕正会活動が全く相容れないものであるものと当然のように思っているわけです。
勧誘活動は社会的に認可される必要はなく、「ただ大聖人の頷きを頂ければ良い」という発想だけが彼等の行動原理であるわけです。
pundarikaで発言している内容に相当リンクする問題でもあるわけですが、そもそも「大聖人の頷きを頂けるか、頂けないか」などは日蓮師が現在いない以上、誰かがその判断を下しているだけの事でしかないわけです。
そしてその結果は証明不能の功徳として現れると。
そこに信仰責任として能・受(日蓮正宗的に云えば所)のうち特に信仰能側の責任は大であると言わざるを得ません。
かつて顕正会会長はこんな事を公の場で言いました。
「たとえ地球が壊れようとも日蓮大聖人への信仰を貫く、戒壇之大御本尊を絶対だと信じる。この者こそ仏果を遂げる」と。
また「『疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』のごとく我々凡夫は直に疑いの心を持ってしまう。このような信心では絶対に成仏は叶わない」と。
若干言葉の会長発言内容は正確性を欠きますが要旨は上記の如くで、こう会長が云う責任は途轍もなく重い発言です。
そしてこのモデル体こそ熱原法華講衆の斬首事件であり、この斬首事件を強弁することによって会員の心には熱原法華講衆に負けぬ社会的制裁を恐れない信仰心を芽生えさせているものと思われます。
そして会員の心の中には「広宣流布になれば、我々の行動は必ず正義になる」という、勝てば官軍のような発想が常駐しているわけなので、官軍になる日はすぐ近いと教えられている彼等に恐怖はないわけです。
こういった心理が反社会的行為にすら肯定的心理が作用されているようで、藤沢の事件に関しても関係者は一切の自己批判はなく「相手を救うための善意」と思い込み、それゆえ警察の介入は「K党関与」更に飛躍して「大六天の魔の所為」と身勝手に感じているわけです。
そして何よりも滑稽なのは、会本部自らがまた本当にそう思っている事実です。
顕正会に不利な発言、報道、顕正会自らの犯罪等は全て真剣に別団体の所業である、と思い込んでしまっており、彼等会本部の異常ぶりは内部精通者であればよくご存知であられると思われますが、私自身「本当にそう思っているのか」と呆れかえってしまった事柄が何件もあったものです。
こういった事態に至る会員心理を操作する会長及び会には大問題を感じるものです。
また受・所といった指導を受ける立場の者にも、また話を無責任に受け入れてしまう問題点も多々あると思われます。

804Jルーカス:2003/09/02(火) 14:15
モトミナさん
> 故に会員の臨終は明確であり、

そうでもない例があります。
死者を貶めるつもりは無いので、詳しくは書きませんが、浅井昭衛さんの実弟
浅井信衛さんのガンでの壮絶な死は、不幸でしたね。
彼は最後まで妙信講の幹部でした。
この状態を見て脱会した幹部はたくさんおります。
今では全く触れられておりませんが。

805モトミナ:2003/09/02(火) 14:40
Jルーカスさん
ああ、そうでしたね。
現在の顕正会員内では会長実弟の死については、”信仰不信の咎があった”として多くは語らず封印していますね。
また問われても、こういった悲壮な死については”信仰が甘かった”として「信心は表面では判らない」と結論しています。
会長長男がこう切り出すわけですから、人の生き方も死に様も最早彼等にとって都合でクルクル変貌してしまうわけです。
また多くの元幹部、妙信講以来の古参方の死というもの、幾度か直面する機会がありましたが、こういったケースは多々ありますね。

806正宗絶対:2003/09/02(火) 15:56
大石寺第二十六世日寛上人の臨終用心抄(富士宗学要宗・第三巻266〜267)には
一・臨終の相に依って後の生所を知る事。
一・他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
一・法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。
一・臨終に唱題する者は必ず成仏する事。
が明かされています。

807犀角独歩:2003/09/02(火) 17:55

> 他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
> 法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。

要は、寛師は、蓮師と違う説を立てているわけですね。
だいたい、寛師の言が正しい証拠とは一体なんでしょうか。
寛師が言うことであれば、なんでも正しいというこの単純な考え方が間違っているのです。

808犀角独歩:2003/09/02(火) 18:07

モトミナさん:

現状分析、有り難うございます。
自分たちが世間法よりも上であるという考えは、顕正会に限らず、創価学会、また石山にもありますね。この考えはわたし自身の考えでもあったので、わかります。

ここでわたしがいちばん面白いと思うのは、法律も自分たちが上であると思っているのに、法律的に訴えて自分たちの正当性を問うという矛盾です。

わたしが紹介しようとする事件は実に陰険で、暴力が振るったほう(顕正会員)が暴力を振るったと訴えを起こし、それに顕正会が会として訴えを起こしたものでした。顕正会員の嘘、それに応援した顕正会と代表親子の嘘が白日のもとに曝された事件です。世間法の上にあろうがなかろうか、暴力が振るったものが暴力を振るわれたというのは世間法の上にいくはずの仏教、なかんずく、「日蓮大聖人」と「戒壇之大御本尊」に泥を塗るなんとも情けない事件であったわけです。いくら強がっても、嘘は嘘。世間法の上に行くはずのものが、その世間法に基づいて虚偽の訴えを起こしたうえで、その裁判に負けたことは紛れもない事実であり、如何に世間法の上だと豪語したところで自分たちの嘘隠し、言い訳、暴力体質という実態は会員を騙すことはできても世間を騙すことはできません。

裁判に負けた顕正会とその代表親子、この事実は、百万言の言い訳を弄しても消えることはありません。

この点を確認できたことは、たいへんに意義のあることでしたね。

Jルーカスさん:

刑事のほうについて、いまのところ、詳しくは掴んでいません。
しかし、顕正会員が暴力を振るい現行犯逮捕されながら、暴力を振るわれたのは自分のほうであるとした嘘は、明確に暴かれたことは事実です。実際に「折伏」を強行されたうえで、更に暴力を振るわれて怪我をした人への啓示的な責任がどのような結果になっているのかは、追って調べていこうと思っています。

809犀角独歩:2003/09/02(火) 18:13

【808の訂正】

誤)啓示的な責任
正)刑事上の責任

810犀角独歩:2003/09/02(火) 19:05

もう一点、間違っていました。訂正します。

誤)暴力が振るったほう(顕正会員)が暴力を振るったと訴えを起こし
正)暴力が振るったほう(顕正会員)が暴力を振るわれたと訴えを起こし

811犀角独歩:2003/09/03(水) 09:26

以下の文献をわたしのサイトにアップしました。
現段階ではパスワードを設定してあります。
お読みになりたい方はご一報くだされば、お教えします。
ただし、コピペはできません。

神奈川県警による顕正会藤沢事務所の家宅捜索等(全文)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/pas.html

812苦悩乱者:2003/09/04(木) 17:57

807 犀角独歩さん

>要は、寛師は、蓮師と違う説を立てているわけですね。
 だいたい、寛師の言が正しい証拠とは一体なんでしょうか。
 寛師が言うことであれば、なんでも正しいというこの単純な考え方が間違っているのです。

私も同感です。

813?:2003/09/05(金) 00:01
日蓮大聖人様は妙法尼御前御返事(弘安三年七月・新編1482)に
『先づ、臨終のことを習うて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめて此
 を明鏡として、一切の諸人の死する時と並びに臨終の後とに引き向けてみ候へば、すこしもくもりなし』
と仰せであり、臨終の大事を説かれると共に、諸経論に説かれるところの臨終の相(成仏の相・堕地獄の相)と現実の
相とに相違がないと仰せです。
諸経論の説とは、例えば、守護経巻十の阿闍世王受記品第十に
『若し人命終せば当に地獄に堕して十五相あるべし。当に餓鬼に生ぜば八種相あるべし。当に畜生に生ぜば五種相
 あるべし』
とあり地獄・餓鬼・畜生に生ずる臨終の相をそれぞれ明かしています(詳細は省略)。
また、臨終の際の顔色については、摩訶止観巻五の上に正法念処経を引いて
「正法念に云はく『画師の手の五彩を画き出すが如し。黒、青、黄、白、白白なり』画手は心に譬え、黒色は地獄の
 陰を譬え、青色は鬼を譬え、黄は修羅を譬え、赤は畜を譬え、白は人を譬え、白白は天を誓う」
とあります。

そもそも大聖人様の出家得度された動機の一つに諸宗の碩学・大徳と言われる人たち、また身近な人たちの臨終の相が
あまりにも悪相であることに対する疑問があったことが御書に明かされています。
妙法比丘尼御返事(弘安元年九月・新編1258)には
「此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思ひて候ひし程に・・・いさゝかの事ありて此の事を
 疑いし故に一つの願をおこす」とあります。
この「疑い」とは当世念仏者無間地獄事(文永元年九月・新編314)の
「当世の念仏の上人達・・・・臨終に狂乱して死するの由之を聞き又之を知る。其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の
 数を知らず」との仰せと合わせ拝すると明らかでしょう。

大聖人様は成仏の相として、御書中に、
一・色が白い。二・身が軽い。三・やわらかい。四・形を損じない。五・臭くない。六・半眼半口。
七・臨終に唱題する等をあげられています。

千日尼御前御返事(弘安元年十月・新編1290)に
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引きの石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人
 なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、軟らかなる事兜羅面(とろめん)の
 如し」

妙法尼御前御返事(弘安三年七月・新編1482)には
「妙法蓮華経をよるひるとなへまいらせ、すでにちかくなりて二声高声にとなへ乃至いきて候ひし時よりもなおいろも
 しろく、かたちも損せずと云々。法華経に云はく『如是相乃至本末究竟等』云々。大論に云はく『臨終の時に色黒き
 は地獄に堕つ』等云々。守護経に云はく『地獄に墜つるに十五の相、餓鬼に八種の相、畜生に五種の相』等云々。
 天台大師の摩訶止観に云はく『身の黒色は地獄の陰を譬ふ』等云々。

大石寺第二十六世日寛上人の臨終用心抄(富士宗学要宗・第三巻266〜267)には
一・臨終の相に依って後の生所を知る事。
一・他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
一・法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。
一・臨終に唱題する者は必ず成仏する事。
が明かされています。

生死一大事血脈抄(文永九年二月・新編515)
「相構へて相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈これより外に
 全く求むることなかれ。煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」

814犀角独歩:2003/09/05(金) 06:39

> 813

こんな程度の御書の記述は、ここでロム・レスする人であれば、誰しも存知です。
そうではなく、この記述が正しいと何故言えるのかを問うているのでしょう。
それにしても、真跡も真偽未決もごちゃごちゃの引用。溜息が出ます。

少なくても、わたしが過去100回以上、参列した他宗の葬儀、それら人々の臨終の様は、信仰宗派とは何の因果関係も見出せませんでした。

寛師については807に記したとおりです。

いくら議論を重ねても、こうして杓子定規のように蓮師(の記述といわれるものも含めて)引っ張ってきて、「こうある」「これが正しい」とするのであれば、一人で勝手に信じていればよいのです。議論の余地はありません。蓮師、あるいは寛師の無謬性神話に齧り付いている限り、そこから一歩も前に進むことはできません。

臨終の相がどうであるなどという議論より、いかに死を迎えられるのかという議論が世間一般では真剣に論じられているのです。ターミナルケア、インフォームドコンセント、ホスピスなどなど、既に実践段階に入っています。それに比し、「臨終で色が黒かったら地獄だ」などという幼稚な俗信議論を繰り返すことは物笑いの種を提供する以上の意味はありません。

815犀角独歩:2003/09/05(金) 06:45

顕正会の傷害事件、藤沢事務所家宅捜査に関する全面敗訴の資料を匿名にしてアップしました。
顕正会に暴力体質、虚偽の訴えを起こす体質があると認識を固めさせる重大な判決です。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kenshokaijiken.html

816ラキ:2005/05/25(水) 20:37:36
妙観講&法華講は同じ正宗信徒であっても、扱いが違うと感じております。
スレッドテーマの「カルトぽいか」で言わせていただきますと、法華講はそんなにカルトは感じません。
カルトぽいと言うなら、妙観講だと感じます。
理由については。
1)妙観講の名前が日顕氏からの命名であり、エリート意識が強いと感じられます。
2)日顕氏の警護は、妙観講がしてるとの意識。
3)猊下絶対主義。
以上3点を挙げましたが、学会。顕正会と同じ道を歩む可能性があるのではとも、感じております。

それは、機関紙「慧妙」が妙観講独自の機関紙だと思われるからです。
学会の「聖教新聞」顕正会の「顕正新聞」どちらも、宗門所属当時から、独自の機関紙を発刊しているのが酷似してると感じるからです。
暁鐘編集部の発行書籍の著者が「大草講頭」監修が「小川氏」理境坊繋がりで、妙観講であるのが印象的です。
書籍の最後に広告が出てますが「理境坊所属」仏具店だけも、偏りがあると感じずにはおれません。
他の正宗仏具店の広告が一切ないのも、なぜかな〜?と感じております。
第3の独立団体になるのでは?とも思っております。
顕正会はカルト路線まっしぐら。
学会は、路線変更をしてきてる感じが取れますので、独自の新興宗教になるのではとも思っております。
大白蓮華を見たのですが、私が在籍していた当時と、中身が大部変更されていて、御書講義も現代風の解釈が目立つと感じました。

818犀角独歩:2005/05/25(水) 20:59:48

> 妙観講&法華講…違う

それはそうでしょうね。妙観講は理境坊・小川さんの預かりで、いわゆる講組織としては成り立ちが違うわけです。創価学会、妙観講、顕正会、その意味で同じ成り立ちのわけですね。

なお、「妙観講」というのは、本当に阿部さんの命名なんでしょうか。妙観は細井さんのことですから、それを、越洋さんが与えたというのは、どうも頷けません。

819ラキ:2005/05/25(水) 22:47:27
私の聞き違いか記憶違いかもしれません。
後日、確認を取ってみます。

妙観講の今の活動体系は、戸田さんの学会を感じるものがあります。
時の上人絶対。機関紙。書籍の独自発行。活動の激しさ。
似すぎと感じるのは、私だけでしょうか?
けど一つだけ得たものがあります。
自己矛盾を正当化するのは、似たもの組織同士だと。

820ラキ:2005/05/26(木) 01:29:09
公式HPを見ましたら下記の内容が書かれてました。
私の誤認でした。

「妙観講は、昭和55年8月、第六十七世御法主日顕上人猊下の御認可によって結成された、総本山塔中理境坊に所属する法華講中です.
妙観講の名称は、第六十六世日達上人の阿闍梨号〝妙観〟を奉戴したものですが、それは、この講中の基礎が日達上人の格別の御慈悲によって作られた、ということによっています」

一つまた学べました。
妙観講の歴史を見ていて、今に至る経緯が合ったのだと。
そして、正宗信徒団体の内紛は戦後ぐらいから、見え隠れして今に至ったのかと思いました。
独歩さんが前におっしゃった、正宗系団体に何を求めるのかが改めて、無意味だと感じてしまいました。

821ROM専:2005/07/28(木) 12:17:09
こんなニュースがありましたので、転載しておきます。

      ★監禁容疑で「顕正会」会員2人逮捕

・宗教法人「顕正会」の会員2人が、東京都内に住む大学生を勧誘するため民家に
 監禁していた疑いが強まり、神奈川県警は2人を逮捕するとともに、関係先の一斉
 捜索に乗り出しました。

 監禁の疑いで逮捕されたのは、宗教法人「顕正会」の会員で横浜市泉区の大学生、
 石川秀樹容疑者(20)と行徳祐一容疑者(28)の2人で、神奈川県警は、横浜市港
 北区にある「顕正会」の横浜会館など、あわせて5ヶ所を一斉捜索しています。

 調べによりますと石川容疑者ら2人は、今年5月、東京・多摩市に住む20歳の大学生を
 「顕正会」に入会させようと、横浜市内の民家に連れ込み、監禁した疑いが持たれて
 います。
 大学生はこの住宅で携帯電話を取り上げられ、「駄目だ。まだ終わっていない」などと
 言われ、監禁されたということです。

 「顕正会」を巡っては今年3月、別の会員の男が勧誘活動でつきまといをしたとして
 書類送検されています。神奈川県警は、「顕正会」の勧誘活動の実態を詳しく調べる
 方針です。
 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20050728/20050728-00000016-jnn-soci.html

※動画URL: http://www.bcast.co.jp/cgi-bin/yahoo/news.asx?cid=20050728-00000016-jnn-soci-movie-001&amp;media=wm300k

822ラキ:2005/10/17(月) 00:02:54
正宗の御会式に初めて参加したのですが、寺院入り口から2,30m程離れた場所に1台の挙動不審の車が停車!
学会員らしいので知り合いか確認を頼まれて車まで見に行ったのですが、おもっきし挙動不振でした。
新聞や話では聞いておりましたが、実際に目にして一部学会員の行為とは言え、元学会員としても悲しいやら恥ずかしい思いでいっぱいです。
地元周辺の学会員は、そのような怪しい行為をしないと思っていたからです。
自己教団が正しいと主張していても、やってる行いが、おかしいと世間一般の人から思われるような行為をしてる時点で、説得力に欠けると思わずにはおれません。

顕正会。妙観講も同じようなものですが、相変わらず、妙観講員のHPでは、法華経の真偽に対して、法華経は釈迦滅後400年頃の作と宗教学会では定説なのに、釈迦が説いた教えと無智、妄信な事を言っていますね。
一般書店で販売されている、法華経の入門書や解説書にはほとんど、釈迦が説いた教えではないと書かれているのに、自教団発行の書籍だけを証拠に、釈迦が説いた教えと言い張るのは、石山系教団の異常な一面だと思わずにはおれません。
妙観講員も顕正会員と同じで、一番触れられたくない事に触れると、人格攻撃をする”宗教者”としての最低限の事も守れないご都合集団と思います。

823パンナコッタ:2005/10/17(月) 00:24:26
>822
学会員なら、教宣でしょうね。恐らく本人はそれが”使命”だと思いこんでいる人物でしょう。
ある意味宗教の愚かさを、態度で露呈しているのかもしれません。

824犀角独歩:2005/10/17(月) 09:13:42

> 挙動不審の車が停車!

この手のことは、個人、団体で対処するのではなく、速やかに110番通報。警察に委ねるのが一番です。

> …妙観講員も顕正会員と同じ…人格攻撃をする”宗教者”…ご都合集団

石山も末寺も、その坊さん、信徒も同じでしょう。
どこが違うのですか。

825犀角独歩:2005/10/17(月) 12:37:10

かつての創価学会、顕正会の母体は、紛れもなく石山です。
その中心者と進路、教義を批判したことで、それぞれを破門に付したわけです。
それ以降の、この2団体の責任は、各団体の指導者にあるでしょう。

しかし、妙観講はいまでもれっきとした石山の信徒団体です。となれば、この団体の責任は石山が負っています。つまり、書く末寺の住職も負っています。また、その信徒は、自分たちは、妙観講とは別だと考えたいようですが、所詮、同じ穴の狢です。

これらがカルトっぽいかどうか。
カルトというのは認定ではありませんから、その断定はここに避けます。

しかし、一ついえること、論理的に説明をできないことを、信じさせ、それを疑うことを悪と断定し、一切の善は自分たち、悪は外部にあるとすること。信じれば功徳、疑えば地獄という二極論に立って信者を操ること。常に敵を仮想し、それらを憎悪させることによって信者を引き止めること。等
以上の心理技法をカルトは使います。さて、では、創価学会、日蓮正宗、顕正会、妙観講が以上のような技法を使っているかどうか。使っていなければ、カルトとみなされることはないでしょうが、使っていれば、当スレのテーマのごとく、「カルトっぽい」と映じることでしょう。

なお、もう一つのカルトの特徴。金に物を言わせて訴訟・裁判を連発して、批判を封じ込めることも挙げられます。さて、どうでしょうか。

826学会:2005/10/22(土) 20:29:58
学会は滅びる。法華講の御本尊は、日蓮で!南無妙法蓮華経だけど。学会の御本尊は池田大作です。大作は教祖だよ。

827プロムナード:2005/10/28(金) 09:38:09
私は妙観講員です。妙観講は私の目線で見て今の所はカルトのような活動は、していません。ただ日蓮正宗に信仰して皆、崩れない幸福のキョウガイになって欲しいから、ハシャク・シャクブク・法論・妙観講員の後輩指導等を色んな事で頑張っています。ただ妙観講に対して敵対しをしている団体は、魔が来たから、近付かないようにはしていますが・・・!!そのカルトの見方は人それぞれですから、常識的に考えて非常識の所が多いならカルトかもしれません。ただ私の妙観講の知り合いの方は、私含め私の先輩や私の上官も元顕正会がホトンドです。だから上官から紹介するたびに、この方も元顕正会員ですよ。と言われるから、妙観講は元顕正会員が多い事を錯覚します!!これが不思議です。

828犀角独歩:2005/10/28(金) 12:12:38

> 827

取り敢えず、以下のチェックをしてみたらどうでしょうか。

JSCPR集団健康度チェック目録
http://www.cnet-sc.ne.jp/jdcc/GHI/index.html

829パン亭スケスケ(大学落研):2005/10/28(金) 13:37:53
>>827

他寺法華講員から妙観講さんへの一考察

一、創価学会・顕正会ならいざ知らず、通常の法華講では、会合にて講頭さんが指導を行うことはあり得ない。元からの慣例として講頭は「挨拶」御住職は「指導」となっている。それを一昨年より「挨拶」を「激励」にしても良いという宗務院からの指示が出て、「激励」と言う言葉を使う事が増えてきたが、「講頭指導」等と言う言葉を使用する等あり得ない。
ところが妙観講さんでは大草さんが「講頭指導」を行っているそうです。

二、また、妙観講さんでは内徳信仰者(御本尊様をお受けしていない方)も、世帯数に数えているが、本来の法華講では「御授戒」を受けても「御本尊様をお受けしていない方」は、世帯数に数えない。そもそも折伏をしても御授戒を受けさせることはさほど困難では無い。御本尊様をお受けさせる事が困難なのである。それを内徳信仰者を世帯数に入れると言う特殊なルールを適用しているのは、数を追うためと言われても反論できないと思われる。

三、また創価学会員からの帰伏者は観誡を受ける必要があり、それが終わってから、自宅の御本尊を拝んで良いというのが、化儀であるが、妙観講さんでは「観誡願」に署名をさせると同時に、自宅の御本尊を拝して良いと言う特殊化儀を適用している。これも二と同様に困難さを回避するための易業化では無いでしょうか?

上記、大石寺化儀違反はどのように説明するのでしょうか?

830ラキ:2005/10/28(金) 13:58:04
プロムナードさん。はじめまして。

妙観講に対して関東圏の法華講の信心が古い方は、嫌っています。
特に、法道院に縁がある方は、大草さんの法道院で当時の住職並び講員の方をつるし上げた経緯があるからです。
若い世代の法華講員とかは、妙観講自体知らない方が多いですよ。
慧妙で法華講との合同折伏をしてるとか記載されていますが、地方ばかりで、関東圏の記載は見た記憶がありません。

>ただ妙観講に対して敵対しをしている団体は、魔が来たから、近付かないようにはしていますが・・・
折伏・破伏・法論をして、日蓮正宗以外の方に幸せになってもらいたい思いでされているのに”敵対組織”の方とは、法論とかの話し合いをされないのは、相手を選んでいるわけで、日蓮大聖人の教えに反する事だと思いますが?・・・

妙観講に元顕正会員が多いのは、顕正会に対して重点的に法論を仕掛けているからだと思います。
何処の組織でも同じですが”身内”には優しく親切に接するのは当たり前だと思います。
自組織に敵対する言動があれば、破伏の名の下に、悪口罵詈の発言もありな組織としての有り方は、異常だと感じますが。
 
ご存知かも知れませんが、妙観講員の個人サイトですが、中立な立場で見てもどっちもどっちの誹謗発言などが応酬していて、妙観講員の信仰者としての節度ある言動は?と考えさせられると思いますが?・・・

「富士大石寺へ帰ろう」
http://hpcgi1.nifty.com/imei/raib.cgi

831プロムナード:2005/10/28(金) 16:38:39
メッセージ書いて下さり有難うございます。取りあえず私はゴジュカイを受けたのが、今年の10月2日です。だから日が浅いから、まだ妙観講の裏の部分が見えていません。スイマセン。そして10月12日に顕正会の上官に、顕正会を止めて、日蓮正宗の妙観講の方に改宗しました!!の報告をしながら、顕正会の上官にハシャクしました。その時点で顕正会の活動を退転しました。で、何で妙観講に入る思いになったのは、ホケチャンネルの顕正会対妙観講の映像を見て、日蓮正宗に行こうと思いました。たまたま妙観講のホームぺージを見ていたら、電話番号が在って、お問い合わせしてアポを取って、10月2日にその今の上官に在って、多分、普通はホウボウ払いしてから、ゴジュカイを受けると思いますが・・・私の場合は、ホウボウ払いをしないでゴジュカイを受けました。やはりホウボウ払いをしないでゴジュカイを受けた事が不思議になりません。

832プロムナード:2005/10/28(金) 16:54:31
『ただ妙観講に対して敵対しをしている団体は、魔が来たから、近付かないようにはしていますが・・・折伏・破伏・法論をして、日蓮正宗以外の方に幸せになってもらいたい思いでされているのに”敵対組織”の方とは、法論とかの話し合いをされないのは、相手を選んでいるわけで、日蓮大聖人の教えに反する事だと思いますが?・・・』その文に対しては、私の文章能力が低く明確に伝わらかった事をお詫びします。【ただ妙観講に対して敵対しをしている顕正会は、魔が来たから、近付かないようにはしています。妙観講は顕正会に法論しましょうとの案内をしているのですが、顕正会は妙観講に法論をしない!!と言う感じで、顕正会はいつも逃げ回っている事を報告したかった訳です。一応、私の班では、創価学会や顕正会に対して、ハシャク活動はしています。

833プロムナード:2005/10/28(金) 17:05:34
「富士大石寺へ帰ろう」と言うサイトは、私の知り合いの方が運営していると思います。だから、普通の日蓮正宗の妙観講以外の方々は、どのように、御奉公とかやっているのでしょうか?アドバイスをお願いします

834プロムナード:2005/10/28(金) 17:28:55
メッセージ有難うございます。そのサンコの質問に置いては私にはニュウコウした日にちが浅いので、説明が出来ないので、私の上官や先輩に相談をしてみます!!【他寺法華講員から妙観講さんへの一考察一、創価学会・顕正会ならいざ知らず、通常の法華講では、会合にて講頭さんが指導を行うことはあり得ない。元からの慣例として講頭は「挨拶」御住職は「指導」となっている。それを一昨年より「挨拶」を「激励」にしても良いという宗務院からの指示が出て、「激励」と言う言葉を使う事が増えてきたが、「講頭指導」等と言う言葉を使用する等あり得ない。ところが妙観講さんでは大草さんが「講頭指導」を行っているそうです。二、また、妙観講さんでは内徳信仰者(御本尊様をお受けしていない方)も、世帯数に数えているが、本来の法華講では「御授戒」を受けても「御本尊様をお受けしていない方」は、世帯数に数えない。そもそも折伏をしても御授戒を受けさせることはさほど困難では無い。御本尊様をお受けさせる事が困難なのである。それを内徳信仰者を世帯数に入れると言う特殊なルールを適用しているのは、数を追うためと言われても反論できないと思われる。三、また創価学会員からの帰伏者は観誡を受ける必要があり、それが終わってから、自宅の御本尊を拝んで良いというのが、化儀であるが、妙観講さんでは「観誡願」に署名をさせると同時に、自宅の御本尊を拝して良いと言う特殊化儀を適用している。これも二と同様に困難さを回避するための易業化では無いでしょうか?上記、大石寺化儀違反はどのように説明するのでしょうか?】取りあえず私の妙観講の今後の出方は大石寺化儀を違反しているのですから、間違っている事を訂正したら良いのですが・・。大石寺化儀を違反となれば、段々日蓮正宗の教学と色んな事で妙観講独自の教学になって、日蓮正宗の破門に成った正信会や学会や顕正会のような末路をたどるかもしれません。今の時点では、日蓮正宗の妙観講以外のお寺さんとかは、どのような御奉公をやっているのですか?お願いします。そして妙観講はどうして日蓮正宗の仲間なのに叩かれいるのでしょうか?その原因を教え下さい。お願いします

835プロムナード:2005/10/28(金) 19:21:25
あのサンコの質問と【下記の事を私の上官では無く、富士大石寺に帰ろうのサイトに投稿して、管理人の答えを聞きます。※多分、このサイトは私の知り合いが運営しています。で顕正会の法論に対して、映像や音声の所がありますよね・・・!!私の妙観講の知り合いですが、なんと直属の班長でも在り、私の上官が映像で写っています。そして私の班の先輩方も!!だから直接、上官に聞かなくても、富士大石寺に帰ろうのサイトの管理人に聞けば、間接的に、私の本名を知らないで解答の答えが解ると思います=何処の組織でも同じですが”身内”には優しく親切に接するのは当たり前だと思います。自組織に敵対する言動があれば、破伏の名の下に、悪口罵詈の発言もありな組織としての有り方は、異常だと感じますが。ご存知かも知れませんが、妙観講員の個人サイトですが、中立な立場で見てもどっちもどっちの誹謗発言などが応酬していて、妙観講員の信仰者としての節度ある言動は?と考えさせられると思いますが?・・・】

836プロムナード:2005/10/28(金) 19:44:33
富士大石寺へ帰ろうのサイトの管理人の投稿サイト発言が、私も見て妙観講のフォローを入ろうと考えましたが・・・。明らか管理人の言葉遣いが下品ですし、汚いです。だから場合によっては妙観講を捨てて、別の日蓮正宗の寺に行く事を考える必要が在るかも知れません!!でも今の所は、普通の妙観講の本部の会合の時や私の質問に対しての解答メールや指導の電話は上官や先輩は親切に普通に対応してくれます。だから、私の事をばらさないで、富士大石寺へ帰ろうのサイトに下記の質問をぶつけ、それを管理人がどう答えかが気になります。もし訳が解らない解答だったら、上官に話を、日蓮正宗の他の所に移り信心をしたいです!!と言う事も考えます。その場合は、何処が良いのでしょうか?アドバイスをお願いします。

837ラキ:2005/10/28(金) 20:11:38
>833
日蓮正宗の妙観講以外の方々は、どのように、御奉公とかやっているのでしょうか?アドバイスをお願いします

私の知ってる範囲で説明させていただきます。

1)朝夕の勤行は基本ですが、寺院支部にての唱題行や行事の参加。
自分自身の確りした信心をできるようにするのが観心と言われております。

2)御奉公にもいろいろありますが、各自でできる範囲でする事を教わっております。
行事等の手伝いや、寺院の清掃などです。

3)教学の勉強は、寺院での法話が主だった勉強になりますが、正宗発行の書籍で独学で学ぶ事しかしていません。
教学に付いての質問は、先輩ではなく、所属寺院の僧侶から教わるのが基本と言われています。
また、御書の勉強に関しては、日顕上人の指導があり、その指導に沿って末寺の僧侶が檀家に教えるとの事で、末寺住職が勝手に御書講義とかはしないと言われました。

4)折伏に付いては、(1)の自己の信心が確りできるようになってから、地道に唱題を重ねて相手を思う気持ちで、時間をかけて対話して行くようにと教わっています。
顕正会見たく結果を競うのではなく、本当に救いたい気持ちで、5年10年と時間をかけて折伏して行く姿が大事だと。
現在の宗門では、年間1名の折伏実践を教えていますが、結果重視ではなく、折伏をする事で自分自身も学ぶ事ができ、成長できるので、唱題根本の自行化他の実践を行うように言われています。

身内と身内ではない方の接し方に差があるのは、菩薩の眷属のする事ではないと私は思っています。
信心をしてるのなら分け隔てがない行いが大切ではないかと感じております。
古い法華講の信心強情な方を近くで見ておりますが、学会員だろうと、他の宗教を信仰していても、言葉使いや親切な行い、態度を見ていると、とても立派な方と尊敬しています。

838犀角独歩:2005/10/28(金) 20:23:41

わたしはまるで妙観講など庇い立てする気はありませんが、829の投稿はたしかに、石山末寺法華講の感覚であることも、十分わかります。しかし、そんな大草さんに重職を与え、いまの活動方向を黙認しているのは阿部さん本人であるわけでしょう。ですから、それに異論を唱えることは阿部さんに異論を唱えることにならないのか?という疑問があります。

また、「観誡」ということについて、一言すれば、わたしが正式に創価学会を脱会し、法華講に移講した段階では、「観誡」という儀式はありませんでした。平成2年のことです。「観誡」が行われるようになったのは平成4、5年以降のことであったと記憶します。

あと、妙観講以外の法華講がどうやって、石山を護持してきたか、そんなことは各末寺が日々運営できるのは、法華講の供養、寺院護持なくしてできるはずがありません。法華講は、末寺にあって寺院を護り、石山に対しても赤誠を尽くしてきたから、今があります。

先祖伝来の法華講、殊に大石寺法華講において700年来、その地域にあって、大石寺を護り続けてきたからこそ、今があります。
徳川時代には、徳川の庇護があって、今があります。
戦後は創価学会の外護があって、大石寺の発展があったのも動かしがたい事実です。

喧嘩別れしたあとは、歴史から葬り去るようなやり方が〝カルトっぽい〟ということでしょう。

なお、妙観講が法華講として認められるようになったのは連合会入りした以降のことであって、現在でも、その地位は法華講でなく理境坊の預かり信徒団体に過ぎないのではないでしょうか。それとも、いまは理境坊法華講として認可されたのでしたか。

いずれにしても、世間一般の批判、また、当掲示板で語られてきた石山教学と本尊に関する議論を無視してなされる他を省みないこの有様こそ、まさに当スレッドのテーマであるカルトっぽさを露呈していることを指摘しています。

ここで妙観講、法華講を名乗って議論をするのであれば、「弘安2年の戒壇の大御本尊」の正当性を証明してからにしてください。

以下は、もっとも簡潔にまとめたわたしのページです。
このハードルを越えてください。

『何故わたしは、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html

839犀角独歩:2005/10/28(金) 22:45:44

ラキさん、一言申し上げておきます。

当掲示板、830に紹介されるような子どものチャンバラのようなお飯事は、次元を異にしています。お子様の喧嘩をここに持ち込むような導入はどうかと思います。

さかずき一杯、コップ一杯程度の規模お飯事教学と集団事情の退屈な議論はここでは下らないのでやめにしましょう。

840問答迷人:2005/10/28(金) 23:50:49

今日、可笑しな話を聞きました。

僕は、所属寺院(一応、お盆と正月の案内は貰っているので、所属している事になっているのだと思います。)では、除名処分相当の待遇なんだそうです。罪状は、日顕師に直訴の手紙を書いたからだそうです。僕が書いたのは、例のクロウ裁判で、宗門が控訴していたときの話。『勝ち目は無いから、今のうちに取り下げて和解した方が、傷口が大きくならなくて済みますよ、もう馬鹿馬鹿しいことはお止めになった方が良い。』との趣旨の手紙を出したわけです。そうしたら、宗務院の庶務部副部長さんが「宗門の方針と異なる考え方をしている人には講頭をしてもらうわけには行かない」という話が有って、住職から役職を降りるように勧告された訳です。「それは『罷免』という事ですね」と問ったら、「そうだ」と住職が言うので、「分かりました。「そうしたら、みんなの前で、『罷免する』と公表してくださいね」と言ったら「了解」と言う。このような経過で僕は講頭を罷免されたわけです。

そして、程なく、宗門は、クロウ裁判の控訴審を和解して取り下げたわけです。当然、一言ぐらい、挨拶があるかな、とも思いましたが、なしのつぶて。だんまりを決め込みましたね。

そして、その住職が地方に配置換えになった後、現在の住職が赴任してきました。そして、なんと、『除名相当』の待遇なんだそうです。

僕は戒壇本尊が日蓮聖人の出世の本懐でもなんでもない、只の模刻本尊だと判ったときから、寺院参詣は一切していませんから、別段、除名処分でもなんでも一向実害は有りませんが、宗門のこの体質には困ったものだと思うばかりです。

都合の悪い事を言われると、問答無用で、切って捨てる体質は良くないですね。もし、宗門の僧侶が掲示板を見ておられたら、感想をお聞きしたいものです。

841ラキ:2005/10/29(土) 00:13:45
独歩さん。
御忠告ありがとうございます。

842プロムナード:2005/10/29(土) 00:22:38
【注意=ゲイカ様を批判すると全てに置いて大聖人様及び御歴代のゲイカ様を批判する事になります。そしてゲイカ様を批判すれば、無限地獄に堕ちる事は避けられません。だから日蓮正宗の事を批判しないようにしましょう!私は何で日蓮正宗に信じたのかと言うと顕正会の信心・二回大きな学会の対論を通して、教学上の三証がしっかりして、そして仏法僧の三宝を在るのは、日蓮正宗がだけしか無い事を気付き、ここで信心しょうと思ったわけです!!後、先輩達の話を聞いて、私のゴジュカイの日に成仏のソウを写真で見る事が出来る指導用のビデオを見て、成仏のソウが現象で在るから、日蓮正宗妙観講は正しいのだ】と思いました。何で妙観講員の事を批判するのですか?ホンモンカイダンの大御本尊様に着いては、私の持っている本を引用して後で説明します。そして私の場合、携帯だからパソコンようの大きいサイトは見える事ができません。悪しからず・・・

843藤川一郎:2005/10/29(土) 01:03:55
>>また、「観誡」ということについて、一言すれば、わたしが正式に創価学会を脱会し、法華講に移講した段階では、「観誡」という儀式はありませんでした。平成2年のことです。「観誡」が行われるようになったのは平成4、5年以降のことであったと記憶します。

横レスです。絶対に「観誡」を受けなければならないようになったのは、創価学会員が信徒資格喪失になった後です。つまり平成9年以降ですね。そこで宗務院の院達が出ていると思います。ご本尊を拝んで良い、拝んではいけない等も全て大日蓮に出ていました。その内容をどこかでHPにアップしていた人がいたように記憶しますが、面倒くさいので誰か探してください(笑)。

844藤川一郎:2005/10/29(土) 01:10:22
ついでに、愚見を申し上げておきますが、掲示板の投稿を他の掲示板に貼り付けたりする行為は、余り好ましくは無いと考えます。その掲示板での投稿はあくまでその掲示板にて行うのがネチケット(ネット上のエチケット)だと考えます。

845ラキ:2005/10/29(土) 02:36:13
「大白法」平成17年10月1日号に「勧誡式」の記事がありましたので参考までに。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/PAPER/753/678.htm


創価学会員への 折 伏 教 本から

http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/sokagakkai/shakubuku_kyohon/395.html

日蓮正宗総本山大石寺 日蓮正宗入門より。
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/newmon_newshin.htm

846問答迷人:2005/10/29(土) 06:34:42

プロムナードさん

>ゲイカ様を批判すると全てに置いて大聖人様及び御歴代のゲイカ様を批判する事になります。

僕も、そのように教えられてきましたが、そのように教え込み、洗脳するのがカルトの特徴だと言う事に気が付いたと申し上げているのですよ。プロムナードさんの発言は、改めて日蓮正宗がカルトっぽい宗教だと言う事を示してくださった訳です。

847犀角独歩:2005/10/29(土) 07:52:40

プロムナードさん

> …ゲイカ様を批判…大聖人様及び御歴代のゲイカ様を批判する事になります

そうはなりません。重要なことは、なぜ自分がそのように考えるようになったかということです。つまり、教え込まれ、信じ込まされたという心理操作によって、そう考えるようになった自分ということをよく見つめてみることです。

> ゲイカ様を批判すれば、無限地獄に堕ちる事は避けられません

「無限地獄」ではなく「無間地獄」といいます。
また、これもこのようなことはありません。
このように特定個人批判に教務を懐き、罪状があるように‘思い込ませる’ことをマインド・コントロールといいます。

> 日蓮正宗の事を批判しないようにしましょう!

いえ。日蓮正宗には大きな間違いと嘘がありますから、批判をしなければなりません。

> 教学上の三証がしっかり…三宝を在…日蓮正宗がだけしか無い

これはまったく嘘です。そのように信じ込んでいるだけでしょう。
日蓮の確実な遺文を読まず、薄っぺらな資料と先輩の話を鵜呑みにした浅はかな結論でしょう。

> 成仏のソウが現象

これは何の話ですか。遺体を写したビデオのことですか。
では、成仏とは何でしょうか。死んだときに色が白くなり、軽いことですか。体が柔らかいことですか。そうであれば、日蓮正宗における成仏は死んだときにしかないのですか。死んだときにしかない成仏が、日蓮の目標ですか。

> 日蓮正宗妙観講は正しいのだ

これは組織崇拝でしょう。日蓮を信じるはずが妙観講、もしくは日蓮正宗という団体を崇拝をするようにすり替えられています。このように本来、信じるものを信じせせるように見せかけながら、特定の集団、個人を信じるように‘すり替えてしまう’仕組みをマインド・コントロールといいます。

> 何で妙観講員の事を批判するのですか?

わたしは妙観講などという石山の一部分に過ぎない団体を云々しているわけではありません。学会を含む石山、顕正系、妙観講等が信仰の対象にしている本尊が、日禅授与漫荼羅を原本として臨模・作為された彫刻であり、言われてきたような弘安2年10月12日の出世の本懐でも何でもない後世の模造品であるといっているのです。そのようなものをもって、あなたを含めて、信者を欺くことを停止するべきだと言っているのです。
あなたように嘘に振り回される人を減らすためです。

> …大きいサイトは見える事ができません。悪しからず

「悪しからず」ではありません。見ないことでしか成り立たない思い込みは、事実を確認できません。ネット喫茶でも、PCを持っている友人のところにでも行き、自分の目で確認してから議論を続けることです。

あなたの書いていることは、既に議論が終わったことです。ただ、時折、あなたのように操作され、思い込まされ、振り回される人が迷い込んでくるので申し上げているだけです。あなた自身のために見ることを進めているのに過ぎません。

848犀角独歩:2005/10/29(土) 08:32:25

以下は、わたしの知人、パスカル師が記した『親は何を知るべきか』というカルト批判の本に載った整理です。操作されている人は反対者の与える情報は見ることはせず、自分が信じている集団指導者の情報しか見ないものですから、プロムナードさんが以下の文章を読む正常心を保持している可能性は低いと思えますが、資料として挙げておきましょう。まず、G・ジンバルドー師の整理を挙げましょう。
これでも、あなたが治まらないようであれば、さらに「カルト」という心理状態下にある人の特徴を、継続して挙げていくことにしましょう。

■破壊的カルトの八つの特徴

世界中の専門家は破壊的カルトの特徴についてだいたい似たような説明をしますが、アメリカのスタンフォード大学の社会心理学者フィリップ・G・ジンバルドー博士は、次の八つの特徴があると分析しています。(参)P36

1.グループの中で指導者は自分自身を崇拝させ、特別な使命をもっていると教える。

【プロムナードさん】あなたは、「ゲイカ」を崇拝させられています。
崇拝するのは日蓮であるはずなのに、いつの間にかゲイカ=日蓮大聖人と操作されています。このような教義は日蓮聖人の教義にはありません。

2.指導者は自分と教義に対して絶対的な服従を求める

【プロムナードさん】あなたは「ゲイカ」に対して絶対服従を記しています。

3.指導者は大きな権力をもち、しばしばカリスマ的である。それによってメンバーたちに魅力を感じさせ、彼らの行動を管理する。

【プロムナードさん】あなたは、どのように考えなければいけないのかを‘管理’されています。また、「日蓮正宗」「ゲイカ」「妙観講」を批判してはいけないと操作されています。

5.グループの本当の目的を隠している

【プロムナードさん】あなたの所属する団体の本当の目的は何でしょうか。

6.人の善意を利用する

【プロムナードさん】あなたの善意が利用されています。

7.メンバーたちはいろいろな活動を通して、一心にお金を集めています。しかしこのお金は決してその目的のために使われていません。指導者のもとに集められるか、組織の拡大のために使われています。もちろん、この現実はメンバーたちに知らされていません。
【プロムナードさん】御供養は神仏に捧げるものです。しかし、あなた方が出すお金は神仏に届くことはありません。その名前を騙る組織指導者のものになっています。神仏は金銭を欲しません。金銭を欲するのは常に人間です。

849犀角独歩:2005/10/29(土) 08:32:47

―849からつづく―

8.破壊的カルトは人間の五つの基本的欲求を満たしているように感じさせる。

 1.身の安全の欲求

【プロムナードさん】あなたは、いま妙観講にいることで身が安全であると錯覚していませんか。

 2.所属の欲求
…グループの一員になることによって他のメンバーと強い連帯感をもつようになります。
【プロムナードさん】あなたは、このような連帯感を信心と勘違いしていませんか。


 3.社会的要求
…自分が指導者と一体となれば非常に役に立つ人間になると思う…破壊的カルトはメンバーたちにこのような欲求が満たされていると感じさせます。

【プロムナードさん】あなたは、このような錯覚を懐いていませんか。

 4,精神性の欲求
 …自分の弱さを癒されたいのです。宗教はその精神的な支えになります。これを利用して破壊的カルトは、「私たちは本当の宗教です」とか「本当の真理をもっています」とか言って勧誘します。

【プロムナードさん】あなたは、何かを信じ込まなければいられない自分の弱さを、自分より大きな組織、指導者を信じることによって、自分自身が大きくなったと錯覚していませんか。また、あなたがいま信じている内容は、本当の宗教、本当の心理と‘信じ込まされた’ことではありませんか。

 5.依存の欲求
 子どもは両親や先生に頼ります。そして親にほめられると安心します。両親には、子どもの安全と幸福に責任があります。大人になっても多くの人は、無意識のうちに善良な親に依存したいと感じているといわれます。
破壊的カルトの指導者はこうした親の役割を果たすのです。メンバーたちは、指導者に頼れば人生と幸福とを保証してもらえると信じます。一方、指導者は独裁者と同じことをします。私に頼ればすべての欲求を満たすことができる、ただし私だけに従わなければならない、という交換条件を出すのです。そのやりとりのなかで気づかないうちに、個人の自由が失われます。

【プロムナードさん】あなたにとって、この5.は、特に当てはまっていませんか。
あなた個人が失っている自由が何であるのか、それすら考えられないほど、あなたは操作されています。あなたが失った自由、それは自由に考える、自由に考えることができるという精神の自由です。

850犀角独歩:2005/11/09(水) 08:40:11

妙観講別院なるものが、大石寺にできたと聞いたのですが、この詳細について、どなたかご存じの方、いらっしゃいますか。

851ラディッシュ:2005/11/09(水) 09:48:44
妙観講別院を知った所でどうされるんでしょうか。

852犀角独歩:2005/11/09(水) 12:23:56

> 851

そんなことを問われる理由も答える必要もありません。
情報を得ることはわたしの自由意志に属します。

853藤川一郎:2005/11/09(水) 12:29:35
>>850
「妙観講別院」では無くて「理境坊別院(出張所?)」のことだと思いますが!
それなら、大石寺の近く(無理すれば歩ける距離ですが、車で移動した方がベター)に出来たようですが。
趣旨は分かりません。

854犀角独歩:2005/11/09(水) 13:59:11

藤川さん、有り難うございます。
なるほど、これのことですか。

855維摩:2006/05/05(金) 02:04:12
初めまして。横レス失礼します。

私は 元妙観講員でしたが現在は信仰しておりません。

独歩さんが質問されている内容ですが
「理境坊出張所」です。
一番初めの出張所は 千葉県松戸にできました。
何でも、妙観講の本部会館が手狭になったためという理由のようです。
その後 大石寺の近くにも設けられました。

しかし、これらの施設ですが、ある石山僧侶が
「理境坊出張所という名前だけれど、大石寺のものではない。実質的には妙観講の会館だ」
と言っていました。

この辺の詳細がはなはだ疑問です。

妙観講員は、この「理境坊出張所は後に寺になる」と言われ、信じているようです。
「寺の開基檀那になれるなんて、なかなかないチャンスだ」と御供養を集めています。

856犀角独歩:2006/05/05(金) 07:15:15

維摩さん

情報、有り難うございます。
「開基檀那」は代表ですから、献金した全員がなれるわけではありませんね。
石山系では、会から、所属寺院から、さらに本山からもと三重に「供養」という名の寄付を求められてたいへんだと常々思います。創価学会は、石山との関係を絶ったために、このうち、所属寺院・石山への拠出がなくなり、会員の負担は軽減し会員は、これだけでも離間を喜んでいるという話がありました。

857大縫薫:2006/05/05(金) 16:29:23
 妙観記念館(院)の別院は福岡県大牟田市にあります。
日蓮正宗の場合は地方に在住している信徒の拠点道場を別院という形で建立して
そこを活動の道場として、行事のある度に指導教師(住職)が出仕致します。
 本院とは別に別院を構えている寺院の住職はその別院のある地域の寺院に相当
気を配り活動していると、聞いた事があります。
 日蓮正宗信徒(法華講)は夫々に縁故の寺院に所属するのが基本で、その方の
在住している地域の寺院に所属しなければならないわけではない見たいです。
 山梨県の寺院みたいに全国に信徒がいる寺院は特に有名ですね。

858大縫薫:2006/05/05(金) 16:39:05
 あと、日蓮正宗では平成21年の立正安国論奏上750年に向けて信徒獲得の
折伏を展開しているみたいですが、信徒を受け入れる事が出来ない寺院もあります。
香川県の三豊市の本山本門寺さんは、檀家以外は一切受け入れが出来ない特殊な事情
もある寺院もあります。
その他の寺院は折伏をして信徒獲得をしなければいけない寺院は今必死に活動をして
いるのが、実情みたいです。

859維摩:2006/09/26(火) 21:21:39
独歩さん お久しぶりです
>「開基檀那」は代表ですから、献金した全員がなれるわけではありませんね。
これは初耳です。
「開基檀那になれるチャンスだから ご供養をしましょう」
とは妙観講の指導です。
ということは「開基檀那」が代表者なら 妙観講講頭だけが「開基檀那」になるということでしょうか?
妙観講員は そんなこと知らずに 貯金をしてご供養していますが・・・
このことを知ったら妙観講員は可愛そうですね。
また、このたび 法主が変わりましたが その前に「特別ご供養」というのがありました。
何でも宗門の更なる興隆のためとかでしたが、ふたを開けると
67世法主の隠居部屋の改築のための集金であったようです。
この「特別ご供養」は、供養すれば下だけの功徳が…との事だったのですが
事実を知って残念です。
私は 経済的理由で 特別ご供養を払えなかったので ある意味良かったのではないかと思います。
本当に信じてご供養してしまった信徒さんはかわいそうですね。

大縫薫さま
おっしゃるとおり、平成21年には立正安国論の奏上750年法要を大々的にやります。
そのため 登山者を増やすべく勧誘活動に力が入っているようです。
特に妙観講は 法主が引用した立正安国論の一節の「この一凶を禁ぜんにはの一凶は
当時は念仏であったが 現在は創価学会である。創価学会を破折するよう」とのお言葉がありました。
信徒は真面目に信じて 学会叩きに奔走しています。
妙観講のある講員は 複数で学会会館に乗り込み討論しています。
ある種の血は流さないまでも「宗教戦争」ではないかと・・・

860犀角独歩:2006/09/27(水) 07:10:19

859 維摩さん

お久しぶりです。
開基檀那という考えは、そもそも、現代的な発想ではないでしょうね。いまでいえば、さしずめ「願主」と言ったところではないでしょうか。たとえば、かつて創価学会員800万信徒375億円を集めて、(その金額を全部使ったかどうか? 使わなかったと言われている)建立された正本堂は「池田大作」が願主であり、供養者(代表)となっているでしょう。もっとも、この建物の基底部には、その無名の供養者の名前を永久に顕彰するために『正本堂供養者名簿』が埋納されたということでした。この名簿、今回の立て直しでいったい、どうなったんでしょうか。地下はそのままという石山のアナウンスを聞いたような記憶がありますが、当の建造物を破壊した段階で、永遠の顕彰も嘘だったことになったわけです。

要は、何か供養を募るときに、「あなたの名前が残る」というのは、石山常套の‘キャッチフレーズ’だというのが本質です。

余計なことですが、会員が金を拠出し、その願主は代表となり、さらに、ゼネコン体質というのは、バックマージンには、その代表に権利あり、さて、奉安堂といい、今回の建造といい、そのようなものがあったか・あるかどうか、わたしはキャッチフレーズに踊らされる愚を、石山の現場で、まだ繰り返されることを、ただ嘆かわしく思うばかりです。会員の供養心は純粋でも、それを扱う側が、そうであるとは限らないというのが、この手の構造であることは考慮されるべきだと考えます。

861とんちきちゃん:2009/03/02(月) 18:20:22
妙観講及びO草高騰は、盗聴裁判で敗訴しているのにホームページで反論していますが見苦しいですね!!
カルト丸出し!!

862北斗☆:2009/04/27(月) 02:33:26
初めてレスさせて頂きます。

思いっきりカルトだと思います。

昨日、「犀角独歩」で検索したら出て来る出て来る…

大石寺圏信徒による、独歩さんへの悪口のオンパレード。

間違いなくカルトです。

863北斗☆:2009/05/01(金) 06:26:28
皆様こんにちは。

連レスになりますし、ある意味「死について」トピと重なる部分もあるとは思いますが、完全にカルト発言している法華講信徒を見つけたので、こちらにレスしたいと思います。

>投稿詳細
[59]
4月30日 18:15
>大白法にありますが、神戸市長田地区は、学会員が多い地域です。また、法華講も多いです。
実際、学会員のほとんどが、怪我や亡くなっています。
法華講は、退転者以外は助かっています。
 
これについて大聖人様は、「一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」(最蓮坊御返事・御書642ページ)にある通りです。

敵対勢力は、罰として「死」を。

身内は「助かる」

なんて話じたいが、もはやカルトですよ。

864幻論乙坊:2009/05/01(金) 22:24:52
北斗☆さん
はじめまして、幻論乙坊と申します、宜しくお願い致します。

私はこちらでは既に何度も記しておりますが、言われる所の宗教と言うものを一切信仰した経験が
御座いません。

ある特定の宗教を指して「カルト」だとおっしゃる所が私にはもう一つよく理解できないのです。
カルトではない宗教と言うものが存在するのでしょうか?
(私からすれば全ての宗教はカルトだと思えるからです。)

北斗☆さんのカルトの定義を御教示戴けますでしょうか。

865北斗☆:2009/05/02(土) 15:15:53
>864幻論乙坊さん

はじめまして。

えと、私のカルトの定義はこれを元にしています。

>19世紀から20世紀の変わり目の頃、ドイツのマックス・ヴェーバーやエルンスト・トレルチなどの社会学者、神学者による説では、キリスト教団体を「教会」(各国の主要な教団)と「セクト」に分ける類型法があった。セクトは既存の教会を批判し、宗教的により正しい生き方を目指して分派した小規模団体であると定義した。このような教会とセクトの分類は、キリスト教世界内の団体間の緊張関係に着目している。
なお、1950年にアメリカの社会学者のハワード・S・ベッカー(Howard Saul Becker) は、非キリスト教的なスタイルを持つ新興団体を新たな類型として含め、これを「カルト」と定義した。


>ヨーロッパにおいては「カルト」という言葉は用いられず、社会的に警戒を要する団体を、「セクト」と呼ぶ1。
1995年12月、フランスの下院(フランス国民議会)で採択された報告書『フランスにおけるセクト』は「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針の一つとされている。この報告書は、調査委員会の委員長の名前を取って『アラン・ジュスト報告書』ともよばれている。
この中で、セクトの本質を「新しい形の全体主義」と定義した上で、以下のように「セクト構成要件の10項目」を列挙している。
・ 精神の不安定化
・ 法外な金銭的要求
・ 住み慣れた生活環境からの断絶
・ 肉体的保全の損傷
・ 子供の囲い込み
・ 反社会的な言説
・ 公秩序の攪乱
・ 裁判沙汰の多さ
・ 従来の経済回路からの逸脱
・ 公権力への浸透の試み
以上の項目のいずれかにあてはまる団体をセクトとみなしている。


特に、フランスのを私は重視しています。

日蓮正宗は、5つ位当て嵌まるのではないでしょうか?

866幻論乙坊:2009/05/06(水) 12:05:58
北斗☆さん
先ず、お返事遅れました事、申し訳御座いません。

そう言う定義だったのですか。
私はカルトとは
1.信仰、儀式、祭礼。2.崇拝、(一次的)流行、・・・熱
新クラウン英和辞典  昭和48年発行

又、
宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持。大辞泉

で見られる定義を用いていました。
言葉の意味も時間空間で変化しますね。

現時点、存在する既成仏教の宗祖と言われる方々で当時、異端者扱いされていた方もいましたね。
この10項目に相当数触れていたのでしょう。

ですが、その既成仏教も相当年数以前にカルトとは定義しないようですね。

ここで見られるカルトの定義は数の論理の様ですね。

私は全ての宗教はカルトだと思っておりますが、確かにここでも示されておりますが、
私が宗教団体に属したとしたら「精神の不安定化」を来す事でしょう。

街中でよく「縁結び」「諸芸上達」「無病息災」「厄除祈願」「商売繁盛」等など
を掲げた看板をよく見かけますね。
それら看板を指して、世間の方たちは苦言を呈しません。
メディアでも「商売繁盛で知られる・・・」や「縁結びの神様で知られる・・・」等と報道しますね。
その神仏による、ご利益が真実、有るかどうかも検証されていないにも関わらず、その様な報道をし、又、世間もその報道を受け入れますね。

毎年、正月になれば有名な神社仏閣に於いて、多くの参拝者がお賽銭を投じます。
それら神社仏閣に出向き祈願してもらったり又、賽銭を投じる行為は一般ではカルト的行為とは言いません。
が、私にはカルト的だと映ります。

私は数で定義せず、自ら信じ得ない思想・哲学は「カルト」的だと思えるんです。

自ら信じているその思想・哲学に組しない他者はカルト的と映るでしょう。
が、そこに身を置いている方々は自身の言動をカルト的だとは自覚していないでしょう。

人は皆、カルト的でないと言えるだろうし、カルト的だと言えるかも知れませんね。

(人は皆、カルト的だろうなあ)

是全幻想

868顕正居士:2009/05/10(日) 09:46:28
破壊的カルトとは何か
http://www2.ocn.ne.jp/~mind123c/sub4-1.htm

今、日常に使う「カルト」は「破壊的カルト(destructive cult)」の意味で、宗教社会学の
用語(価値判断はしていない)とは無関係です。90年代からアメリカで使われるようになり、
ただし欧州では同じ意味でセクトを使います。新興または分派の教団で相当ていどに
反社会的、反文明的な傾向のものという感じです。
したがって列挙された諸特徴に多く当てはまる、あるいは単に多くの人が破壊的カルトだ
というものがそれであり、操作的定義です。ですから規制などを行なう場合は教団名列挙
であり、むづかしいのは線引きです。

869北斗:2009/05/11(月) 20:22:01
>866:幻論乙坊さん

私も、返事が大変遅れました。申し訳ありません。


>私はカルトとは
1.信仰、儀式、祭礼。2.崇拝、(一次的)流行、・・・熱
新クラウン英和辞典  昭和48年発行
又、
宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持。大辞泉


まぁ、世間的にはこう見る方々が大半ではないでしょうか。


>現時点、存在する既成仏教の宗祖と言われる方々で当時、異端者扱いされていた方もいましたね。
この10項目に相当数触れていたのでしょう。
ですが、その既成仏教も相当年数以前にカルトとは定義しないようですね。


即成仏教が出来た当時に、私が基準にしているフランスの報告書があれば、それはカルトと言われていたかも知れません。

しかし、即成仏教がカルトならばこの現代までは生き残れなかっただろうと私は認識しています。


>私は全ての宗教はカルトだと思っておりますが…


う〜ん、カルトでしょうかね?
その判断は個人の自由だとは思いますが…

私の基準からいけば、そうとは言い切れないと思います。


>毎年、正月になれば有名な神社仏閣に於いて、多くの参拝者がお賽銭を投じます。
それら神社仏閣に出向き祈願してもらったり又、賽銭を投じる行為は一般ではカルト的行為とは言いません。
が、私にはカルト的だと映ります。
私は数で定義せず、自ら信じ得ない思想・哲学は「カルト」的だと思えるんです。


自ら信じ得ないから「カルト」的ってのは、ちょっと…
「カルト」の拡大解釈では?。

870阿佛棒:2009/11/02(月) 02:12:29
カルトというのは便利な言葉ですね。
カタカナ言葉でははっきりしないので。
カルトとは即ち

異端。

です、日蓮系はマルキ印が多いのが悩みの種
しかし狂は聖に通ずるともいうし困ったものだ。

もうすこし丸くなって欲しいもの。
人に迷惑をかける時点でもうダメ、というのは日蓮系全てに言えるが
当の日蓮がいまだにこりず候
なので治らないだろうなとは思う。

救いとか成仏拔きにしても人に迷惑をかける人にはソレ相応の報いあり。

872樽之助:2012/03/10(土) 17:44:52
日蓮正宗と関係が深いのは中国マフィアが絡む大麻ビジネスだと言われています。

大草一男が講頭をしている妙観講では大幹部を中心に組織ぐるみの麻薬販売ルートが摘発され、大幹部が逮捕され実刑判決を受けています。

それから『創価学会の麻薬ビジネス』なるものは、創価学会と敵対関係にある日蓮正宗の機関紙『慧妙』の記事であり、ノリエガ将軍と池田大作が面会したことを強調し、また、池田大作の秘書(通訳)が大麻常習者だったことを殊更に強調したものであって、日蓮正宗妙観講のように組織ぐるみで大麻を売りさばいていた訳ではありません。


因みに僕は日蓮正宗でもなければ創価学会でもありませんから、あしからず。

873通りすがり:2018/03/21(水) 16:54:26
基本的に全て(笑)

874通りすがり:2021/02/24(水) 14:31:40
勉強になった


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