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法華経について

12一字三礼:2002/09/05(木) 12:00
>それって、具体的にいいますと、なんなのでしょうね。

個人的体験とは、少し違いますが。

私が蓮祖聖人の準じた法華経第一主義に惹かれる理由の一つは、現代人の持つ無意識な傲慢さ、に対する反動かもしれません。

人と話をするなかで、「私は無神論者だから」という言葉をよく聞きます。その人に「では、あなたの無神論を聞かせてください」と尋ねても、“論”など持っている方は皆無でした。

ようするに“無知神論者”が“無神論者”を装っているのです。

これに類する事は、現代人の仏法に対する姿勢にもあてはまるように思えるのです。

宗教について何らの知識や定見が無くても、
“仏法だから平和主義なはずだ”とか“世界宗教であるから差別は説いていないはずだ”などと言う根拠の無い個人的思いこみを判断材料にするいい加減な態度。

また、ややもするとその成立理由や成立国、根本主張がまったく異なる幾つかの宗教に書かれている、似たような内容の言葉を引用して、さも人類普遍的に共通な教説であるかのような錯覚をしている、私の友人などを見ていて感じる事です。

これなどは、まるでカルチャースクールで講座を選ぶように、気に入った宗教や仏様の気に入った部分だけを使い、それ以外は無視する、もしくは捨てるようなものです。

雑多な情報に晒されている現代人の、学ぶ事に対する怠慢・軽視が、このような傲慢ともとれる態度に繋がっているように思えるのです。

それでも、どのように素晴らしい教えであれ、最終的に自分の宗教を選択するのは個人の感性よるとは思います。

しかし、感性とは、倫理観の指針などを吟味して得られるものではないので、客観的な評価とは無縁なものです。つまりそれは、社会に害をもたらす思想であっても、容認してしまう危険性もあると言う事ではないでしょうか。

いちりんさんの様に、さまざまな修行をご自分でなさって、確固とした宗教観を持たれてる方であれば、その研ぎ澄まされた感性は信用出来ること納得します。

でも、たとえば私のような者では感性に随えば、ただ宗教に迷うだけになりそうです。(笑)


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