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他宗、他派をホメよう

12ドプチェク:2002/08/31(土) 23:11
10で現時点さんがおっしゃっています、日蓮聖人が極楽寺良観忍性を相当激しく批判・攻撃した理由。その真相は、いったいどのようなものであったのでしょうか・・・?

良観忍性は、高徳の人格者であったというお話が書籍に記されていましたし、少なくとも慈善事業を行っていたといった面は、当然評価されるべき事であると思います。
はたして日蓮聖人は、その点につきまして、いかほどに考えられていたのでしょうかね?

先日、「ツブヤキすれっど」で犀角独歩さんに薦められました渡辺照宏氏の『日本の仏教』(岩波新書 1958年)には、次のような記述がございます。

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 ところが、忍性が鎌倉にいたころ、日蓮もやはりこの地にあって、前
に記したように建長寺の道隆を攻撃したのみではなく、忍性にも対決を
迫ったが二人とも相手にしなかった。忍性が社会奉仕に身を献げている
事実を知りながら、これを公然と批判した日蓮には結局のところ本格的
な仏教はわからなかったものであろう。日蓮がいわゆる四箇の格言の中
で<律国賊>と言って罵ったのは他ならぬ世の人から<医王如来>とし
て慕われたこの忍性のことだったのである。
(P37)
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・・・・・・律を攻撃したのは忍性に対する個人的な憎しみであった。
忍性は日蓮を佐渡へ流させた張本人と見られていた。・・・・・・
(P191)
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それ以外の書籍に接しても、人により見方・解釈は様々なようでありますけれど、もしかすると日蓮聖人の中には、大なり小なり良観忍性に対する嫉妬心だって存在していたのではないのか?と、思えてまいります。

しかし、良観忍性は、表向きは慈善事業に精を出し、人々から生き仏としてあがめられていたものの、実は裏で幕府権力と結託する事で日蓮聖人を佐渡流罪にするよう働き掛けたというお話でございますし。それに、慈善事業にしろ、結果として幕府の庇護・援助によって行うようになったといったようなお話なのでありますから、それらの意味においては偽善者という事になり、聖人はその偽善性について糾弾された、「律国賊」とはそういうのを指しているのではないのか?と、思ってみます。

仏教者としての正義の義憤と、私的な感情が複雑に絡み合っての批判・攻撃ではなかったのか?と・・・
実際のところは、いったい、どうであったのでございましょうかね・・・?


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