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日蓮聖人の本尊観
225
:
顕正居士
:2008/09/28(日) 09:11:37
Horologiumさん。
普通は「迦葉・阿難を脇士と為し」と訓んでいるみたいですが、
この文節には「以」が無く、次の文節にはあるのですから
「正像二千年の間は小乗の釈尊には迦葉阿難脇士と為れども、
権大乗並に涅槃法華経迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す」
と訓むのがよいのではないでしょうか。何となく「以」を落したのでなければ
「しかし」というニュアンスを入れるためかとおもいます。
226
:
Horologium
:2008/09/28(日) 17:18:44
顕正居士さん、さっそくのご解説、ありがとうございました。
顕正居士さんがおっしゃるように、あの部分は、普通、「迦葉・阿難を脇士と為し」と読まれています(これ以外の読みをわたしはこれまで見たことがありません)。言語現象として、そのように読むのが現に普通であるという事実があるとおもいます。Libraさんという方のご意見も、この事実にもとづいているわけで、たしかに、この普通の読みに従うなら、あのような議論も成立するのでしょう(漢文法の一般論としてではなく、日蓮さんが書いた漢文の解釈問題というローカルな範囲の議論としては成立するようにわたしにはみえます)。
もちろん、顕正居士さんのように読むのが正しいのなら、従来の読みは訂正されなければならないわけですが、その場合、なぜ正しい読みのほうが普通とならずに、顕正居士さんの理論によれば漢文法的に異常であるはずの読みのほうが宗派的立場を超えて現に普通になってしまっているのかが不思議だという印象を個人的にはもちます。
しかし、少なくとも、「此時地涌千界出現本門釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国」の部分を「〜本門釈尊に脇士と為る〜」と読んでいる人は、「正像二千年之間小乗釈尊迦葉阿難為脇士権大乗並涅槃法華経迹門等釈尊以文殊普賢等為脇士」の部分も「〜小乗の釈尊には迦葉阿難脇士と為る〜」と読むように訂正されたほうがよろしいのではないかしら。じゃないと整合性がないとおもいます。
227
:
どしろうと
:2008/09/29(月) 06:12:29
突然失礼します。
はじめてお曼茶羅を目にしたとき、へぇ、南無妙法蓮華経の脇にお釈迦さんがいるんだ、
これが日蓮聖人の世界観なのだと思ったものでした。
なんか色々こねくり回しておられるようだけど、お曼茶羅がすべてを語っているんではないのかな?
突然失礼しました。
228
:
あんたがたどこさ
:2008/10/01(水) 01:36:16
さらに、観心本尊抄には「この(神力品の)十神力は、妙法蓮華経の五字を以て、上行、安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に授与したもう。」「嘱累品に云く、爾の時に、釈迦牟尼仏法座により起つて大神力を現じたもう。右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、乃至、今以て汝等に付嘱す等云云。地涌の菩薩を以て頭となし、迹化・他方、乃至、梵・釈・四天等にこの経を嘱累したもう。」と述べているように、日蓮聖人の描かれた曼陀羅本尊は、本門の教主釈尊、即ち久遠実成の釈迦牟尼仏が、霊鷲山の虚空会に於いて、妙法蓮華経の五字を以て、経典とその経典の意義を弘めることを地涌の菩薩を筆頭として付属(委任)する儀式が顕されたものです。したがって、曼陀羅本尊の中央に「南無妙法蓮華経」と、日蓮聖人は大書してあるのであって、けっして中央に書かれている「南無妙法蓮華経」の文字が本仏であると言うわけではありません。そのことは、観心本尊抄の最後に「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起して、五字の内にこの珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめたもう。」と述べられている通りです。
上記は
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/shudatu%20detarame.htm
に書かれちました。
真蹟に依れば、それが日蓮聖人の描かれた御曼陀羅の語るところだと思いますが・・・。
お釈迦さんが南無妙法蓮華経の脇士だとは、日蓮聖人の御遺文には何処にも書かれていないと思います。
229
:
顕正居士
:2008/10/01(水) 12:19:11
首題は宝塔をあらわしています。この首題=宝塔の中に釈迦多宝の二仏が
並坐しているのが妙法曼荼羅です。
二仏は宝塔の外にいるわけではありませんよ。
http://www.chohoji.or.jp/blog/uploaded_images/hokkemandara-701581.jpg
230
:
どしろうと
:2008/10/01(水) 22:04:14
ありがとうございます。
お曼茶羅を拝すれば
塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏まします。
中央に南無妙法蓮華経 日蓮と大書されています。
上行菩薩もまします。 そのまんま素直に拝しております。
231
:
天蓋真鏡
:2009/12/13(日) 04:34:52
犀角独歩さんのブログの「日蓮の発想」等拝見して気になった事。 法華経は菩薩道其物では無くて皆成仏道へ導くカタログ。 成仏得道のマニュアルは一人ひとりが随自意とか自灯明でつくりあげる人生説計。 題目に全て備わるとは 短絡では無くて結果論を見据えたキャッチフレーズ。いつ理想通りに出来るか判らないから。 なむみょうほうれんげきょうで呪術信仰から言霊信仰へ変えられるなら良いですけど、呪術も言霊も唱える行者の心の質で千変万化するでしょう。依法不依人は悟りの一つでは無いでしょうか。
232
:
犀角独歩
:2009/12/13(日) 04:45:46
わたしの名前が出ましたので、いちおう、記します。
法華経は「教菩薩法」「菩薩道」と、経典自体に書かれあり、しかし、皆成仏道の指標はありません。あるのは、記別です。
題目にすべてが具わるとする日蓮の発想は、本人が『本尊抄』に「私加会通如黷本文 雖爾文心者釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足」という、この会通が文章の脈絡からして短絡であるというのが、わたしの指摘です。
こちらの掲示板は挙証義務を課し、主張をするのであれば、かならず、文献証拠を提示して行うことによって、秀でた議論が重ねられてきました。
単なる個人の思いつき、感情の吐露といった発言が最近、富みに目立ちますが、投稿規約や、遵守する方々の姿勢を参考にされ、矜持のある投稿をされ、せっかくの佳例を傷つけないことを望みます。
233
:
天蓋真鏡
:2009/12/13(日) 14:33:59
レスありがとうございます。 ●菩薩である為に寄せ集め的法華経に書いてある類例?全てとなると難儀では無いでしょうか。 ●犀角独歩さんともあろう者が挙げ足取りだと考えます。鎌倉時代の僧・日蓮も経典に書いてある事は理想像のゴールで、心が大事・信が大事・修行が大事と書いてなかったでしょうか。 ●掲示板の主旨に沿わないレスは全て消去して、議論レスと挙証が無くても質疑応答出来るレスと連絡交換用レスにまとめたら良いのでは無いでしょうか?
234
:
犀角独歩
:2009/12/13(日) 14:41:55
> 菩薩である為に寄せ集め的法華経に書いてある類例?全てとなると難儀では無いでしょうか。
判読致しかねます。
> 挙げ足取りだと考えます
なにを揚げ足取りと言っているのかわかりません。
> 鎌倉時代の僧・日蓮も経典に書いてある事は理想像のゴールで、心が大事・信が大事・修行が大事と書いてなかったでしょうか
具体的に、どこに、どのような書いてあるのでしょうか。
> 掲示板の主旨に沿わないレスは全て消去して、議論レスと挙証が無くても質疑応答出来るレスと連絡交換用レスにまとめたら良いのでは無いでしょうか?
これは管理運営に関わることなので、管理人さんに属することです。
こちらは応酬自体、禁止ですので、これまでといたします。
235
:
質問者
:2011/11/30(水) 01:45:28
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが
何故、竜樹菩薩と妙楽大師が抜けてるんでしょうか
(普通は天台大師と伝教大師の横にそれぞれ書かれているのに)
誰に聞いても教えてくれません
詳しい方レスお願いします
ちなみにこの御本尊は当時の学会員に下付されたものです
あと、この御形木本尊持ってる方いますか?
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