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本尊と曼荼羅

75犀角独歩:2005/05/03(火) 07:04:21

問答さん、重要な点なので、該当の箇所を全文挙げながら、記します。

「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品嘱累に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利、兜史多天宮の弥勒菩薩、補陀落山の観世音、日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是れ等は智慧いみじく、才学ある人人とはひびけども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし」

この文章を問答さんは、釈尊が五百塵点劫より心中に収めた妙法蓮華経=本尊と読まれたのであろうと拝察いたします。また、富士門下では、そう読むのであろうと思います。しかし、そうでしょうか。
ここでしるされることは、まったく発迹顕本そのものです。
つまり、「心中にをさめさせ…世に出現…四十余年…迹門…宝塔品…寿量品に説き顕し、神力品嘱累に事極ま」るのは釈尊久遠成道、すなわち、寿量本仏ということです。

「我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり。此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難竝びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること、雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱るべしと仏記しおかせ給ひぬ」

そして、その久遠成道、滅後弘法のために、地涌菩薩を召し、妙法蓮華経の五字を譲ったというわけです。問答さんは、この五字が本尊であると主張なさってお出でなのだと拝察しますが、五字は本仏が地涌菩薩に譲った法の正体ではあるけれど、本尊であるというのは、どうでしょうか。そうではなく、本仏本尊久遠釈尊が地涌菩薩に譲った法であるという意味であり、ここでは、本尊と譲った法(題目)はイコールではないのでないでしょうか。以下は冗長になるので、やや略しますが、

「而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほぼ兼ねてこれをしれる…日蓮は一閻浮提の内、日本国安房の国東條の郡に始めて此の正法を弘通…此の御本尊をわたし奉る」

この本尊を妙法蓮華経と問答さんはお読みになったのであろうと思います。しかしながら、日蓮は地涌菩薩ではないけれど、ほぼこれを知る。故に付属の法(妙法蓮華経=本門題目)を弘める。それは久遠本仏(=本尊=本門本尊)渡し奉るからである。すなわち、久遠本仏本尊釈尊から付属された法を弘めるという意味ではないでしょうか。付属の法(妙法蓮華経をを弘めることによって、久遠本仏釈尊が本尊であることを闡明にするという謂いではないでしょうか。


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