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本尊と曼荼羅

68犀角独歩:2005/05/02(月) 09:07:43

問答さんが引用される証文からわたしは、蓮師が言う漫荼羅とは「護本尊」ではないのか考えてきました。その典型が「身に帯し心に存ぜば」という一節です。これは守り札の扱いと同じです。

たとえば、この「本尊」に勤行唱題をしたことを窺わせる証文というのはあるのでしょうか。また、漫荼羅を本尊としたとき、では、蓮師は、どの漫荼羅を拝んでいたのかという旧来の疑問は解消されません。流浪にあっては随身仏であったでしょうし、身延にあっても、釈迦像であったことは『忘持経事』の「教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む」という一節からも明白です。まるで蓮師の行体から漫荼羅の存在が浮かんできません。

この点は、どのようにお考えになられますか。


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