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本尊と曼荼羅
537
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犀角独歩
:2006/03/24(金) 09:12:15
少し書き足せば、もし、天台、日蓮、日寛が現在に生き、我々が知り得た事実、法華経は後世の創作であるということを知っていても、結論が同じであったかどうか。わたしは同じ結論にはならないであろうと思います。
ならないけれど、現在、知り得る事実に基づいて、しかし、なにがしかの教理と行動を打ち立てたであろう思います。それによって、打ち立てられるものは、果たして、その当時の常識・仏教で組み立てられたものと、どちらが勝れたものであるのか、また、もし、現在に生きていれば、どのようなことを打ち立てのか、そのように考えることには、意義があると思います。
このような類推は、かつて確か顕正居士さんがどちらかで行っていたと記憶します。
われわれの人生はお芝居ではありません。「法華経はお釈迦様が説いたものであると、信じることにしよう」などという台本で生きることはできません。それは、まさに仮想現実、夢想世界の住人に成り下がる以上の意味はないからです。
しかし、われわれは、そのご認識に基づく経典、教理、漫荼羅本尊でも、一つの信仰体験を利得した。いわば、これは「仏の爾前教」「方便の説」であったようなものでしょう。では、事実証拠に基づいて、実教・真実を再構築できるのかという模索がなければ、日蓮門下人は、内部だけにしか通用しない妄想世界の住人になってしまう、いや、既になっている、だから、再構築する道はないのかというのが、ここ数年の当掲示板の議論であったとわたしは考えます。また、そのような模索に賛同されるれんさんの思索、また、ロムの空即是進化さん等のまなざしがあったのであろうとも思います。
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