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本尊と曼荼羅

519犀角独歩:2006/03/18(土) 21:31:52

顕正居士さん

『日蓮聖人と真言密教』に、密教考証に関し、75に整理されたご教示有り難うございました。

同74に関して、こちらのほうで、ややご賢察を賜りたく存じます。

日蓮が言う本尊を考えるとき、これは当然、本門本尊・本門戒壇・本門題目(妙法蓮華経の五字)という三大法門となろうかと存じます。
本尊・題目に関しては『本尊抄』に論じられるわけですが、題目に関しては、ここにおいて妙法蓮華経は一念三千珠を裏んだ上行所伝という点が言われます。一方、本尊は、爾前二種の科を破り法華本門から本尊を立て、四菩薩との関連から仏像を論じています。

この道筋から言うと、この題目と本尊は、元来、別立てのものであり、故に本門の本尊と題目をそれぞれに陳べたと考えることはできないのでしょうか。具体的には本尊として一尊四士、題目として漫荼羅という違いです。

わたしは個人的には、漫荼羅と仏像を平面と立体の差異と見る日順説は疑問が残ります。また、もし平面と見るのであれば、一尊四示をもって宛てるより、一塔両尊四士でなければ、相応しないと思えるからです。しかし、一尊四士という仏像様式は『本尊抄』から類推できますが、一塔両尊四士という仏像奉安の発想は日蓮の遺文からは窺えず、一尊四士に留まるかと思えます。この様から考えるとき、日蓮自身には本門本尊を一尊四士、本門題目を漫荼羅とし、別のものと考えていたと類推するのです。これは、もちろん、あくまで、派祖の展開ではなく、開祖日蓮の段階での考えと言うことです。

一方、五百塵点成道釈尊を本尊とすると考えたいところなのですが、所謂四十五字法体段と称される記述の問題が残ります。また、関連するのでしょうか、三身所顕無始古仏のこと、この二点から考えても、図示の漫荼羅、もしくは一尊四士本尊というのは、その論理的構築を崩さないと考えられますか。

以上、二点、ご教示賜れば有り難く存じます。


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