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本尊と曼荼羅

518れん:2006/01/08(日) 23:00:02
初期興門の文献『本門心底抄』に大聖云く…又云くとして、以下の文があります。
「妙とは言語道断・心行所滅の妙空・妙心・妙智なり、法とは十界十如・因果不二の法仮・法色・法境なり、蓮華とは当体・辟+言喩の二義なり、経とは聖教の都名なり、当に知るべし・妙は空・法は仮なる当体を中道実相の蓮華経と証し、十界三諦の顕本を広宣流布の曼陀羅と号するなり」
この文章の原型がどの位遡れるか、文献学的には不明ですか、文中の「十界三諦の顕本」については、同じく初期興門文献の『尊師実録』の異本にあるという御示聞書に
「本門の三法妙とは、仏法妙を以て能開とす、衆生心法を所開とす、故に迹門の三法妙を即顕本すれば成レ本、顕本とは三身無始の顕本是也、三身とは我等が己身の仏性顕本なり、惣じて我等己身の十界久遠の顕本是也、一観心の三法妙は己心の妙を能開とす、無始久遠の釈尊と無始の衆生を所開と為る間、十界倶に久遠と云ふ也、此に知ぬ寿量品の教主釈尊の顕本、即十界久遠の顕本也」とあるのが、一応同時代成立の文献の中で些か参考になりましょうか。
上記の文献からみますと、本仏寿量品教主釈尊の「妙は空・法は仮なる当体を中道実相の蓮華経と証し、十界三諦の顕本」=広宣流布の曼陀羅(この“広宣流布の曼陀羅”との表現は後の七箇相承の流通分の大曼陀羅という表現に一脈通じるものがあり興味深いです)とも読め、初期興門における、本尊である本門(寿量品)教主釈尊と蓮師が図顕した曼陀羅との関係の一端の法義を表しているかとも言えますでしょうか。
まぁ、正月惚けがてら、少々つぶやいてみました。(;^_^A


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