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本尊と曼荼羅
266
:
真部
:2005/05/08(日) 11:27:32
独歩さん
丁寧なお答えを頂き、ありがとうございます。
>真跡遺文から読み解くわたしの管見であることをどうかご了解のうえ、お読みいただ>ければと存じます。
はい、そのように理解しております。
>わたしは漫荼羅を、蓮師は本尊と考えてお出でであったのかという、ここ700年間の>門下の常識そのものを疑ってかかるところに立脚しています。
この立脚点について、了解致しました。
>わたしが「漫荼羅が授与書」、いわば允可、もしくは免許の意味があると申し上げた
>のは、しかし、それはまず漫荼羅図示の理由の一つとして、申し上げたことでした。
>さらに、…不動愛染の勧請などから類推するに、たぶん、その他にもその意味すると>ころはあると思います。…
>ただ、漫荼羅に図される本尊は付属の妙法を四菩薩に付属することを示すために図>さ(れ)たということで、一尊四士と仏像を結ぶのとは、意味を異にすると思うわけです。
>「漫荼羅を拝む」ということを、いくつか考えることができると思います。まず、合掌す>る、唱題する、読経するということです。また、漫荼羅は身に帯する、奉懸する、また>単に護持する、さて、どう扱っていたのかというのが、いま、問答さんと考えようと思
>っているところです。
>しかし、殊、蓮師に限って考えれば、その日々において、漫荼羅を奉懸されていたと>思えるものはなにもないわけです。
>今でこそ、漫荼羅は日蓮門下にとって当然の存在ですが、考え直すと蓮師が漫荼羅>を図されていた期間は僅か10年ほどのことです。桐谷師は、その意義を弟子に伝え>るのに、実に苦労されたのではないかと記してい>ました。…それほど、10年という
>時間は短い。
>しかし、この漫荼羅の中に敢えて本尊を見いだし、読経したのかどうか、いわば妙法>曼荼羅供養の起源が蓮師まで遡れるのかどうか、ここにいまのわたしの興味があり>ます。
「漫荼羅」の中に敢えて「本尊」を見いだし、読経したのかどうか、「妙法曼荼羅供養」の起源が「蓮祖」まで遡れるのか、それを探ろうとされておられるお考えのほどが未熟ゆえ十分ではありませんが、わかりました。
「神国王御書」 弘安元年 57歳御作
「…そのほか小庵には ”釈尊” を ”本尊” とし一切経を安置したりしその室を刎ねこぼちて、仏像・経巻を諸人にふまするのみならず…」文永八年50歳の松葉谷草庵での逮捕の状況を述べた箇所。
「忘持経事」 建治二年 55歳御作 与富木入道
「…しかる後深洞に尋ね入りて一庵室を見るに、法華読誦の音青天に響き、一乗談義の言山中に聞こゆ。案内を触れて室に入り、 “教主釈尊の御宝前” に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみたちまちにやむ。…」 身延の御宝前の様子を述べた箇所。
「光日房御書」 建治二年 55歳御作
「…されば故弥四郎殿はたとひ悪人なりとも、生める母 “釈迦仏の御宝前” にして昼夜なげき弔わば、いかでかかの人うかばざるべき。いかにいわんや、かの人は法華経を信じたりしかば、親をみちびく身とぞなられて候らん。…」
「四条金吾釈迦仏供養事」 建治二年 55歳御作 与四条金吾
「御日記の中に “釈迦仏の木像一体” 等云々。…されば画像・木像の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。そのうえ一念三千の法門と申すは三種の世間よりおこれり。…」
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