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本尊と曼荼羅
257
:
犀角独歩
:2005/05/08(日) 08:37:17
真部さん:
わたしは、所謂、聖職者でも、仏教学者ではなく、在野で独歩しておりますので、指導などということはできませんが、共に考えていくことはできます。
自分に対する不勉強の言い訳に聞こえるかも知れませんが、基本的に、先人の言ったことを参考にしない、ただ、自分の目と頭で、蓮師に直接向かってみよう、そんな思いでやってきました。そのことから、まるでと言うことではありませんが、系統立て、学究的に学者先生の書物をくまなく読んでいるわけではありません。ただ、そんななかで時折、目から鱗が落ちる思いがする秀でた論攷に出会ってきたこともしばしばですが。
茂田井師についても、さて、これからじっくりと読まなければと言う思いでおりますが、しかし、一切を渉猟しておりません。ですから、お応えできることは、真跡遺文から読み解くわたしの管見であることをどうかご了解のうえ、お読みいただければと存じます。わたしは漫荼羅を、蓮師は本尊と考えてお出でであったのかという、ここ700年間の門下の常識そのものを疑ってかかるところに立脚しています。そのわたしからして、茂田井師の仰せは、実に鋭利な説であると思えました。
わたしが「漫荼羅が授与書」、いわば允可、もしくは免許の意味があると申し上げたのは、しかし、それはまず漫荼羅図示の理由の一つとして、申し上げたことでした。さらに、」その大きさの大小、四大天王が四隅に配されるか否か、経文を記される、何より不動愛染の勧請などから類推するに、たぶん、その他にもその意味するところはあると思います。そのようなことから、「漫荼羅に本尊が図されている」という考えには痛痒を覚えません。ただ、漫荼羅に図される本尊は付属の妙法を四菩薩に付属することを示すために図さたということで、一尊四士と仏像を結ぶのとは、意味を異にすると思うわけです。以上がご質問に対する答です。
以下、ついでに少し記させていただきます。
「漫荼羅を拝む」ということを、いくつか考えることができると思います。まず、合掌する、唱題する、読経するということです。また、漫荼羅は身に帯する、奉懸する、また単に護持する、さて、どう扱っていたのかというのが、いま、問答さんと考えようと思っているところです。
また、結界、道場としての荘厳も意味できたと思います。四大天王が勧請されるのであれば、戒壇の意味を孕むと考えられます。しかし、殊、蓮師に限って考えれば、その日々において、漫荼羅を奉懸されていたと思えるものはなにもないわけです。
不動愛染、また、鬼子母神、十羅刹女などの諸尊は石山方ではあまりピンときませんが、やはり、密教、祈祷の意義が濃い勧請であろうと思います。種々の願行成就という側面です。
これは三学無縁さんのお考えですが、「漫荼羅は敵国調伏のための密教的な法具であったのではないか」と仰っていた。当時の時代相を考えると、こんな一面はあってもおかしくないと思えます。
151に、わたしは資料手放しで記しました。
「身延の草庵にしても狭いところだった。弟子達は天台宗寺院に寄宿していた。そんなところで、特定の仏間と言えるような部屋は持てなかったのではないか。部屋に蒲団を敷けば寝室、御膳を出せば食堂、漫荼羅を懸ければ仏間。朝起きて蒲団を挙げて、御膳を出せば食堂で、片付けて、そこに漫荼羅を懸ければれっきとした道場、仏間となります。こんな用途が掛け軸式の漫荼羅の扱い方ではなかったのか…」
今でこそ、漫荼羅は日蓮門下にとって当然の存在ですが、考え直すと蓮師が漫荼羅を図されていた期間は僅か10年ほどのことです。桐谷師は、その意義を弟子に伝えるのに、実に苦労されたのではないかと記していました。もっと言えば、10年という歳月は、よく伝える間もないどころか、実際にその完成を見るのに充分な時間でないという思いをわたしは懐いています。漫荼羅が未完成であるという意味ではないのですが、それほど、10年という時間は短い。また、実際のところ、当時の蓮師とお弟子は日々、どのような修行生活を送っておられたのか、このこともあまりはっきりしていないと思います。
ただ、想像できることは、修行をするにせよ、また、いまで言う法座のようなものを開くにせよ、そこに南無妙法蓮華経、釈迦・多宝・四菩薩、そして、日蓮花押と図された書が奉懸されれば、その集まりの意義の大半は無言で説明されたことになります。上行所伝の南無妙法蓮華経を奉持する日蓮が弟子檀那の証明を漫荼羅一幅で、すべて担えるわけです。
しかし、この漫荼羅の中に敢えて本尊を見いだし、読経したのかどうか、いわば妙法曼荼羅供養の起源が蓮師まで遡れるのかどうか、ここにいまのわたしの興味があります。
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