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本尊と曼荼羅

249犀角独歩:2005/05/07(土) 18:15:51

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問答名人さん、たいへん嬉しく存じます。

本尊抄に

「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめたもう」

この五字はしかし、問答さんがお示しのとおり、上行所伝付属です。
では、この「授与」の二文字ですが、具体的には、どのように授与されるのでしょうか。すなわち、これがまさに漫荼羅の形で授与されるということではないでしょうか。
実際のところ、漫荼羅には「授与」の文字を以て弟子・檀那に下されていったわけです。さらにこの漫荼羅図は実に懇切丁寧です。この妙法蓮華経が、どのような形で所伝されたかを図案を以て説明されています。「南無妙法蓮華経」と大書され、それが多宝塔内の妙法蓮華経であり、釈迦・多宝は並座し、これを示し、付属弘通の四菩薩は釈尊の脇士として、その法が付属されたことを示します。その儀式が行われたのは在世八年八品に限ることは図示を見れば即座に理解できます。こうして八年八品において、四菩薩に付属された妙法蓮華経は、今度は、具体的に、その弟子檀那に、日蓮花押の認めを以て授与されるところが漫荼羅ではないのかと、わたしは考えるわけです。これはまた、末法法華経の行者の所持の法、事行の法が何であるかを明示された証文でもあるでしょう。
ですから、漫荼羅は事行の南無妙法蓮華経の授与書ではないのか、となれば、これは、本門本尊の性質とは役割を異にしていると、わたしは考えるわけです。
蓮師の漫荼羅図示、授与には以上のような思いが隠っていると思うのです。

また、「此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」といい、四菩薩は在俗の王と僧の二者として顕れることを陳べます。

もし、蓮師が上行最誕の自覚があったとすれば、僧として「正法弘持」の姿を示し、より具体的には、その法を漫荼羅と図示して授与することを意図したと思えます。
一方、在俗の王と出現する四菩薩は愚王を誡責して、そこで寿量本仏の仏像と、それを安置する堂宇を建て一国広宣流布の姿を示すという、違う役割を担うという二面性を蓮師は、考え、述作されていったのが本尊抄ではないのかと、蓮師の意図を、わたしは読みました。


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