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本尊と曼荼羅

245犀角独歩:2005/05/07(土) 15:05:53

やや錯綜しました。243に戻り、お応えします。

> 本尊抄には『法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば 自具の十界百界千如一念三千を知らざる也』とあります。


ここで読み止めては、文字どおり自具(人界所具)で留まり肝心の仏界所具の九界が顕れません。すなわち、

> 法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば 自具の十界百界千如一念三千を知らざる也。
 問て曰く 法華経は何れの文ぞ。天台の釈は如何。
 答て曰く 法華経第一方便品に云く_欲令衆生。開仏知見〔衆生をして仏知見を開かしめんと欲す〕等云云。是れは九界所具の仏界也。
寿量品に云く_如是我成仏已来。甚大久遠。寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅。諸善男子。我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数。〔是の如く我成仏してより已来甚だ大に久遠なり。寿命無量阿僧祇劫常住にして滅せず。諸の善男子、我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶お未だ尽きず。復上の数に倍せり〕等云云。此経文は仏界所具の九界也。

> …「摩訶止観等の明鏡」として何を立てられた…観心本尊

いや、そうではなく、蓮師は摩訶止観等を明鏡として、本尊を観心したのでしょう。先の文に「観心とは我が己心を観じて十法界」とあります。この十法界の最極は仏界です。ところが

「仏界計り現じ難し。九界を具するを以て強いて之を信じ、疑惑せしむること勿れ。法華経の文に人界を説いて云く_欲令衆生。開仏知見〔衆生をして仏知見を開かしめんと欲す〕。涅槃経に云く_学大乗者雖有肉眼名為仏眼〔大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す〕等云云。末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。
 問て曰く 十界互具の仏語分明なり。然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること、信を取り難き者也。今時、之を信ぜずば必ず一闡提と成らん。願わくは大慈悲を起こして之を信ぜしめ、阿鼻の苦を救護したまえ」

という大問題と蓮師は止観を通じて立ち向かうわけです。そこで、蓮師があの極寒の佐渡、流人という境涯で、衣食乏しきなかで感得したのが、久遠釈尊という仏界であったわけでしょう。仏界を見ぬ限り一念三千は成就せず、それは阿鼻の苦であるという切羽詰まった肉迫であったのでしょう。


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