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本尊と曼荼羅
241
:
犀角独歩
:2005/05/07(土) 14:30:23
> 239
唱題の五字というのは問答さんの主張であって、蓮師の主張ではありませんでしょう。蓮師は本尊抄では事行の南無妙法蓮華経といい、のちには本門の題目と言います。
本門の本尊が本門の題目であれば、これを別に陳べる必要はありません。
反詰すれば、では、本門の本尊が本物題目であると蓮師はどこに記しているのでしょうか。
たいへん、僭越ながら、申し上げますが、これは一念三千の基本的な思想構造を理解されていないことから来る誤解ではないでしょうか。
要は寿量品で三妙合論が説かれることは仏界(本果)、菩薩界(本因)を表記であり、娑婆世界説法教化は三世間における(本国土)は仏界所具の菩薩界、仏界の本国土を表す訳ですから、寿量本仏本尊と、地涌菩薩が顕れない限り、一念三千は成就しません。つまり、それを
「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏也。経に云く_我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数〔我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶お未だ尽きず。復上の数に倍せり〕等云云。我等が己心の菩薩等也。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属也。例せば太公・周公旦等は周武の臣下、成王幼稚の眷属、武内の大臣は神功皇后の棟梁、仁徳王子の臣下なるが如し也。上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩也。妙楽大師云く 当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念遍於法界〔当に知るべし、身土は一念三千なり。故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍ねし〕等云云。[p0711-0712]
夫れ始め寂滅道場華蔵世界より沙羅林に終るまで五十余年之間、華厳・密厳・三変・四見等之三土四土は、皆、成劫之上の無常上の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等也。能変の教主涅槃に入れば、所変の諸仏随って滅尽す。土も又以て是の如し。今、本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり。仏、既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化、以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足三種の世間也」
と記されるわけです。つまり、三妙合論して、久遠本仏(仏界)が顕れなければ一念三千は成就しないことと、本門の題目は混同できません。この釈尊の因行果徳の二法による一念三千の珠を裏み、上行所伝されるところが、妙法蓮華経ですから、この二義は分けて立つのでしょう。本門釈尊は本尊であり、題目は付属の法の違いです。
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