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本尊と曼荼羅
239
:
問答迷人
:2005/05/07(土) 14:13:37
如来滅後五五百歳始観心本尊について、蓮師は本文の中で次のように述べています。
先ず、観心について『観心とは我が己心を観じて十法界を見る。是れを観心と云う也。』
さらに、引き続いて『譬ば他人の六根を見ると雖も 未だ自面の六根を見ず自具の六根を知らず。明鏡に向う之時 始て自具の六根を見るが如し。設い諸経之中に所々に六道竝びに四聖を載すと雖も 法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば 自具の十界百界千如一念三千を知らざる也。』と述べられる訳です。ここで、『法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡』によって一念三千の観心を成就することを述べられるわけで、一念三千の観心を成就するための『本尊』を述べられる前段とされています。
そして、本尊抄の結論の所では、『天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。』と述べられ、一念三千の観心が妙法蓮華経の五字を受持することによって成就されることを述べられる訳です。
この文脈からすれば、妙法五字を受持することを以って、一念三千の観心を成就することを本尊抄において説かれており、一尊四士の仏像では、妙法蓮華経の五字は何処に行ってしまったのか、と訝るばかりです。もし、妙法蓮華経の五字が、本尊の事ではなくて、唱題の五字の事だとすれば、この抄は「如来滅後五五百歳始唱法華題目抄」とすべき、という事になると思いますが。
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