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本尊と曼荼羅

212犀角独歩:2005/05/07(土) 02:30:40

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『事理供養御書』の

「たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと、委細にかんがへて候へば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、たゞ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。うへ(飢)たるよ(世)に、これはなしては、けう(今日)の命をつぐべき物もなきに、たゞひとつ候ごれう(御料)を仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。これは薬王のひぢをやき、雪山童子の身を鬼にたびて候にもあいをとらぬ功徳にて候へば、聖人の御ためには事供やう(養)、凡夫の為には理くやう。止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり」

というのであって、蓮師の法門が観心法門であることを述べるところではなく檀波羅蜜法門を陳べる段です。切り文して原意を変えるのはやめましょう。


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