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本尊と曼荼羅
192
:
犀角独歩
:2005/05/07(土) 00:04:36
重要な点に入ってきました。
> 「南無妙法蓮華経」…音声…「本門の題目」
妙法蓮華経は久遠釈尊で、南無妙法蓮華経は音声題目という別という意味と言うことでしょうか。では漫荼羅中央に大書される南無妙法蓮華経はどちらでしょうか。
> 「妙法蓮華経」…結要付属
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」
「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。何に況んや其の已下をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付属したもう」
妙法蓮華経は自然譲与ですが、付属は南無妙法蓮華経というのが蓮師の主張であると思えますが、これは違いますでしょうか。
> …仏界所具の六道……南無を冠すべき理由が無い
ここは仰る意味がよくわかりません。たとえば、第16大本尊は総帰命の形になっていますが、では、これは南無を冠するべき理由がないのに蓮師は冠したと言うことでしょうか。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/016.html
> …一尊四師は…釈迦一体仏に拘る信徒に対する、経過的措置
これはどのような証拠から仰ることでしょうか。
本尊抄では、まず「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。八年之間、但、八品に限る」と言います。つまり、漫荼羅図の如き本尊は八年八品に限るということになりませんでしょうか。そして、「正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を‘脇士’と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て‘脇士’と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」と言いますが、ここで問題にしているのは‘’で括ったように脇士です。そして、「地涌千界出現…本門の釈尊の脇士…一閻浮提第一の本尊…月支・震旦、未だ此の本尊有さず…伝教大師…本門の四菩薩を顕さず」といい、本門釈尊と四菩薩像の関係を述べます。以上の脈絡からするとき、本尊抄で蓮師が言う寿量の仏=本門釈尊像は四菩薩像によって定まると思えますが、如何でしょうか。
以上のことから、漫荼羅(図されるところ)、末法出現の寿量仏像(一尊四士)と相違していると思うのですが、如何でしょうか。
なお、釈尊一体像に拘る人の筆頭を挙げれば、それは蓮師その人であったでしょう。何せ、死んだのちまで、自らの傍らに置けと命じた程ですから。ただ、この‘本尊’が本門本尊仏像たり得なかったのは、あえて蓮師が四菩薩像を副えなかったからである。つまり、将来、造立される本門本尊・寿量仏像と持仏を明確に分けていらっしゃったのであろうと考えるものです。
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