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本尊と曼荼羅

151犀角独歩:2005/05/05(木) 14:17:41

問答さん、よろしくお願い申し上げます。

永年、考え、あちらこちらで議論を投げかけてきたある程度の素描をここでできればと思います。
わたしもともかく、顕正居士さんがご提示下さった『妙宗本尊弁』を読んでみようと思います。


愚鈍凡夫さん、146、特に反論はありません。でもまあ、拝む対象と言うより「身に帯し心に存する」という扱いでなかったのかと思うんですね。だいたい、当初から掛け軸にしていたのでしょうか。それとも折り畳んで、袋に入れていたかどうなんでしょうか。

この前のオフ会の折、三学無縁さんと話したのです。
(以下、資料手放し証拠無しです)
掛け軸式の漫荼羅は、当然、奉懸はしただろう、けれど、用が終わればしまっただろう。これはつまり、御膳と蒲団と同じではないかと言ったんです。
身延の草庵にしても狭いところだった。弟子達は天台宗寺院に寄宿していた。そんなところで、特定の仏間と言えるような部屋は持てなかったのではないか。部屋に蒲団を敷けば寝室、御膳を出せば食堂、漫荼羅を懸ければ仏間。朝起きて蒲団を挙げて、御膳を出せば食堂で、片付けて、そこに漫荼羅を懸ければれっきとした道場、仏間となります。こんな用途が掛け軸式の漫荼羅の扱い方ではなかったのか…。

ついで、もう一話。漫荼羅は本尊と言うより、允可証、つまり弟子であることを証する免許のようなものではなかったのか。また、その允可証は祈祷の具でもあったので、不動・愛染と言った密教の要素を含む。また、身に帯すれば護本尊の意を兼ねる、そんなものではなかったのかとも。

三学無縁さんの見解としては、自分の名前を書いてあるものを本尊といって拝むことは有り得ない、本尊であるなら「南無」が冠されているのは変、南無は仰ぐ側の気持ちであるから、ということでした。

いわゆる、妙法曼陀羅供養の起源を探れば、漫荼羅の本尊化の成立時期がある程度、予測できるのではないかという思いがあります。


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