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本尊と曼荼羅

147犀角独歩:2005/05/05(木) 09:59:49

○ここまでの整理

通りすがりの凡夫さんが指摘した141「蓮師は釈迦一体像を随身し、それを本尊としていた」また、そのあと、143に「わたしは随身仏は蓮師の持仏であると言ったのであって、本尊であるとは書いておりません。蓮師が己心に観た久遠実成釈尊が本尊であり、仏像と出現すると本尊抄に書かれた」と、相矛盾することを書きました。

この点について、一言、弁明を記します。

蓮師が随身された一体仏は持仏として、ご自身所持されていたわけです。その経過のなかで、『観心本尊抄』で論証して「事行の南無妙法蓮華経の五字、竝びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず」という二つの名目を出す至ります。

> 釈迦一体像を随身まであり、本尊としたかどうかはまた別な話

という考えは、仏道の基礎に悖る浅はかな論難でしょう。
随身というのは、懐中に入れて鼻紙や、いまの子どもたちが携帯電話のストラップにつけたアクセサリーとは違います。
蓮師における持仏・随身がどのような意味であったのか、それはたしかに明確なところははっきりしませんが、はっきりしていることは仏像、尊像、漫荼羅といわれる類のなかで蓮師が終生、所持されたものが釈迦一体仏像であるという事実です。それを本尊としたみるのはむしろ自然な考えでしょう。もし、それが本尊でないとすれば、では、何を本尊として所持され、もしくは安置され、拝まれたのか、その具体的な尊体は? というのが、当初の疑義です。法華天台の流れの僧侶が釈迦仏を持仏として所持すれば、それを自身の本尊としていると見るのは自然なことでしょう。
故にた141「蓮師は釈迦一体像を随身し、それを本尊としていた」と記しました。ただし、それは随身、護本尊という範疇であって、蓮師に留まらず、一般的に行われていたことなのだろうと思います。つまり、蓮師がその後、展開される本尊義に基づく仏像という事ではない故に、143に「わたしは随身仏は蓮師の持仏であると言ったのであって、本尊であるとは書いておりません。蓮師が己心に観た久遠実成釈尊が本尊であり、仏像と出現すると本尊抄に書かれた」と記しました。前者は天台一般の本尊義、後者は蓮師の本尊義として、別の意味で使用したために齟齬が生じました。

なお『是日尼御書』の「御本尊一ふくかきてまいらせ候」という一文を引き、これが漫荼羅を書き、御本尊としたという明証の如く扱いますが、では、これが(字像)漫荼羅である証拠があるのでしょうか。明証としては、やや弱い印象があります。

『開目抄』と言われますが、つまり、これは

「天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。倶舎・成実・律宗は三十四心断結成道の釈尊を本尊とせり。天尊の太子、迷惑して我が身は民の子とおもうがごとし。華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり。法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす。大王の太子、我が父は侍とおもうがごとし。華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那・大日等を本尊と定む。天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるにつけり。浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とおも(思)て、教主をすてたり。禅宗は、下賎の者、一分の徳あて父母をさぐるがごとし。仏をさげ経を下す。此れ皆本尊に迷えり。例せば三皇已前に父をしらず、人皆禽獣に同ぜしがごとし。寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。不知恩の者」

この表現は今日的には差別に抵触し、好ましいと思えませんが、いまは、その問題はいったん置きます。この文意は、「天台宗、寿量品、本尊」であることは明らかです。また、ここに天台宗とある以上、この時点で蓮師ご自身天台宗の自覚であったことも窺われます。

それはともかく、この本尊を、より具体的に記したのが本尊抄ということになるでしょう。しかし、ここにいたり、先には天台宗の本尊が最高位にあると記していたのにも関わらず、未だ「そのような本尊」は顕れていないと、天台宗より、一歩、踏み出した本尊観を展開するわけです。


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