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本尊と曼荼羅
143
:
犀角独歩
:2005/05/04(水) 23:29:37
142 通りすがりの凡夫さん、あなたが立てるような退屈な議論は数年前に既にしたところで、あまり興味がありません。
何度も繰り返しますが、わたしは蓮師の考えを求めているので、あなたの御説には興味はありません。
> 本尊抄の「其の本尊の為体」という表現は、本尊の相を表すことを了解
では、本尊が漫荼羅であるという証拠はどこにあるのでしょうか。
> 随身仏を本尊としたという文証はありますでしょうか。
わたしは随身仏は蓮師の持仏であると言ったのであって、本尊であるとは書いておりません。蓮師が己心に観た久遠実成釈尊が本尊であり、仏像と出現すると本尊抄に書かれたと繰り返し書いています。
このような誤解に基づく疑問をたびたび出されますが、もう少し真面目にちゃんと読んで正確に問いかけていただきたいものです。
> 随身仏が、本尊抄の本尊の相と異なるのはなぜだとお考えでしょうか。
この質問は一つ前の思いこみ、思い違いに基づくので意味をなしません。
> 「又御本尊一ふくかきてまいらせ候」(是日尼御書)
この点もたびたび繰り返し記していますが、蓮師は護として記した漫荼羅を本尊と記す例はあっても、それがただちに本門本尊に当たっていないと言うことを永らく議論しているのです。過去のロムぐらい読んでから、問うたらどうでしょうか。
> 私には、犀角独歩さんが曼陀羅≠本尊という前提から無理に論を起こしているように感じられるのです。
それは、どのように感じられようが勝手ですが、そもそもこの観察自体まるで的はずれです。わたしが記しているのは、漫荼羅が本尊である明証が何かあるのであろうかということです。ありますか。
わたしは漫荼羅が本尊であることが証明されれば、それはたいへんにけっこうなことであるという個人的な思いがあります。しかし、それを証明するに足りる蓮師真跡を自分自身が思い当たらないので、問答さんとその点を論じ合っているところです。そこに横レスのうえ、的はずれなことをしばしば書かれるのは実に迷惑なことです。
>> 中尊ということを蓮師が言っておりますか
>「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」
因果の功徳は妙法蓮華経であり、骨髄であるといわれています。
「『其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり』等云云、
釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す」この法華経の文によれば、経法を護る事=仏供養であるとしております。
これのどこが中尊の説明なのでしょうか。
> 文字の大きさで重要度が決まるとお考え
わたしはそんなことは少しも書いておりません。あなたが、不動・愛染は、万民のうちだというので、そんな考えには無理があると記したのみです。
> 不動、愛染…虚空会の儀式を格護する善神の表現であると考えます。
これまた、繰り返しますが、わたしはあなたの考えには興味はありませんし、また、ここで個人の解釈を出し合っているわけではありません。蓮師真跡n挙証を求めています。すなわち、蓮師の考えを明証として挙げよと言っているのです。
不動・愛染が虚空会を格護する明王ならぬ神であるという前代未聞の‘説’はどのような証拠に基づいているのでしょうか。こんな個人の思いつきには、繰り返しますが、わたしは興味がありません。それとも文証がありますか。
> 法であり、因果の功徳なのです。釈尊および三世十方の諸仏が因行のうえに証得した諸仏所生の種子である妙法を功徳としています。
その証拠はなんでしょうか。
繰り返しますが、わたしはあなたの意見を聞いているのではありません。蓮師の真跡中に顕れる文証を求めているのです。誤解無きようお願いいたします。
ともかくも、いまは問答さんと蓮師の確実な証拠を探求しているところなので、的はずれな横レスはご遠慮いただけませんでしょうか。
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