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本尊と曼荼羅
140
:
犀角独歩
:2005/05/04(水) 16:44:18
顕正居士さん、いつもご教示有り難うございます。
輝師本、いま読もうとしましたが、120葉余もあるので、あとでゆっくりと拝読させていただくこととします。
問答さん、今回の議論は、そもそも、蓮師は、漫荼羅を本尊として図示したのかという問いかけではじまり、その根拠・証拠を求めたのですが、どうも旧来の如く、本尊であるという前提で論が進むという具合です。また、蓮師はその漫荼羅を拝んだのかどうかという問いかけでもありました。結局のところ、この二問の挙証はなされず、ただ単に本尊=題目を繰り返したところで、なんの説得性もないというのが、わたしの偽らざる感想です。先にもこのような議論を試みたのですが、どうも根強い固定観念の前に議論は、漫荼羅が本尊である前提で進んでしまいます。議論は難しいと思う次第です。
報恩抄、法華取要抄といった三つの法門へ発展する前段階である本尊抄は、観心本尊と題目という二本柱で論が立っています。止観における一念三千の論拠を探ることから始まり、さらに天台の難信難解を挙げて非情成仏から木画成仏という根拠を示したのちに仏像出現を主張する論の運びは実に周到で論理的であると思います。観心本尊を明確にしたのち、三身所顕無始古仏・常住浄土という三妙合論を基にする久遠本仏を示し、その初発心の弟子が滅後末法に弘通する法が妙法蓮華経であり、この五字には一念三千の珠が裏まれていると結論づけられ、これを弘めることを示します。また、一閻浮提第一の本尊が立つとも言います。
本尊抄の構成は周到で、三宝義にしっかりと添っています。仏宝−久遠実成釈尊、法宝−妙法蓮華経、僧宝−四菩薩です。しかしながら、わたしのように半世紀も富士にいた人間は、釈尊・上行=日蓮=本仏であり、本仏は妙法蓮華経なのだと、こう刷り込まれしまっています。そして、漫荼羅こそ、本尊であるとも既成の事実のように刷り込まれています。しかし、実際のところ、蓮師が漫荼羅を拝んだという形跡はまったく見当たらないわけです。また、妙法蓮華経が釈尊であるというのであれば、こんな大事なことを何故、誰にも教えないのかという疑問も生じます。
そもそも釈尊=題目=一念三千というのは、例の蓮師のあずかり知らない『秘密荘厳論』で展開されるところであって、蓮師の説とは言い難いものです。すなわち、「一念三千即自受用身、自受用身とは尊形(そんぎょう)を出でたる仏と。出尊形仏とは無作の三身」という、これです。
しかし、本尊抄は、本尊と題目を分かつのであってこれをイコールとしてとらえれば、まず久遠三宝は潰えます。ついでいえば妙法蓮華経=釈尊であれば、釈尊は報身ではなく、、むしろ、法身ということになります。しかしながら、顕正居士さんがご指摘下さったとおり、天台の報身/釈尊・法身/多宝・分身/応身の三身と釈することを蓮師は前提とされるはずですから、この脈絡とも反することになります。
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