[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
オフ会 開催案内
59
:
いちりん
:2002/07/06(土) 21:16
「確信ある発言」「自信のある断言」って、たしかに、それは自信のなさをあらわしているんじゃないかと思いますよね。
熱烈に声高に訴えるほどに、それは、じつは不安をあらわしているとも言える、かなあ。
ほんとうに自分の心の深いところの核になっていることだったら、確信ありげに、自信ありげに言うこともないんだろうなと思いますね。たんたんと、自然と、柔らかに語ることができて。そして、それが、相手に、自然に伝わるといいますか。
どうだ、わたしは、すごいぞ。すごいことを、やっているぞ。わたしは、正しい。わたしは、真実だ。(わたし=わたしたち=わたしたちの教団=わたしたちの信奉する教義・信仰)
だいたい、そういうのは、どうもホンモノじゃないなあと、わたしは感じています。
ホンモノじゃないといのは、ひとつは、その人の深い本心から発していない。
正しさ、強さ、偉大さみたいなものを外に着て、自分を大きく見せたいという心がある。正しいとか、真実とかなんとかというのは、つまり飾り物、かぶりもの。本心は、自分の凄さを、訴えたいだけ、みたいな。
教祖にも指導者にも、それがあると思うのですが。
まあ、たとえば、経典にも、そういうものがありますね。
もう、いろんなエゴの強い人たちが、絡み合ってつくったような経典があります。
あるいは、芯の部分は、すんなりと清浄なのに、あとから、ややこしい人たちが、エゴの香りをくっつけてしまつったような。
『法華経』もそういう香りが、しないでもないなあと、思ったり。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板