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59いちりん:2002/07/06(土) 21:16
「確信ある発言」「自信のある断言」って、たしかに、それは自信のなさをあらわしているんじゃないかと思いますよね。

熱烈に声高に訴えるほどに、それは、じつは不安をあらわしているとも言える、かなあ。

ほんとうに自分の心の深いところの核になっていることだったら、確信ありげに、自信ありげに言うこともないんだろうなと思いますね。たんたんと、自然と、柔らかに語ることができて。そして、それが、相手に、自然に伝わるといいますか。

どうだ、わたしは、すごいぞ。すごいことを、やっているぞ。わたしは、正しい。わたしは、真実だ。(わたし=わたしたち=わたしたちの教団=わたしたちの信奉する教義・信仰)

だいたい、そういうのは、どうもホンモノじゃないなあと、わたしは感じています。
ホンモノじゃないといのは、ひとつは、その人の深い本心から発していない。

正しさ、強さ、偉大さみたいなものを外に着て、自分を大きく見せたいという心がある。正しいとか、真実とかなんとかというのは、つまり飾り物、かぶりもの。本心は、自分の凄さを、訴えたいだけ、みたいな。

教祖にも指導者にも、それがあると思うのですが。
まあ、たとえば、経典にも、そういうものがありますね。

もう、いろんなエゴの強い人たちが、絡み合ってつくったような経典があります。
あるいは、芯の部分は、すんなりと清浄なのに、あとから、ややこしい人たちが、エゴの香りをくっつけてしまつったような。
『法華経』もそういう香りが、しないでもないなあと、思ったり。


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