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オフ会 開催案内
457
:
犀角独歩
:2005/02/07(月) 19:52:13
吉祥仙人さん、そのうち、是非お越しください。
お会いできることを楽しみにしております。
わたしは確かにここの掲示板に来たばかりの頃、自分が脱会者であること、また、そのために心のない(あくまで心ないです)会員から執拗な嫌がらせ、批判、さらに人格攻撃を受けた経験があります。その被害者意識から創価学会(員)に批判的であったのは事実です。
しかし、いまわたしは、わたしが50年間、向き合ってきた「日蓮」、そして、創価学会を再考しようと考えています。
ここ数十年の反学会報道は、まったく承伏しかねる一部の人々によってプロパガンダされてきたために、報道=悪意という縮図が出来上がってしまった点に、わたしは、眉を顰めてきました。それ故、真実の創価学会像ということを素描しなおす必要があることを感じてきました。幸いにも、島田師の如く、極めて冷静に創価学会を研究し、文章にまとめてくださる方が出現したことは、ある面、それ以前の一部悪意のプロパガンダの終焉を意味することと、わたしは考えています。
ところで、「創価学会は空洞化している」、島田師は、そう分析されました。しかし、たとえば吉祥仙人さんにしても、いま創価学会に在籍されているのは、そこで功徳の体験があり、信仰の喜びを実感しているからだと拝察します。
石山離間から15年、既に石山に登山したことも、彫刻本尊を直拝したこともない会員がかなりの層を形成するに至っていることでしょう。しかし、そのなかで創価学会員は、実際のところ、活動の喜び、功徳の体験を実感している事実があるわけでしょう。それはつまり、聖地・器物が介在せず、宗教として機能していることを意味します。
非常に極端な言い方になるかもしれませんが、「本門戒壇の大御本尊」によって功徳があったのではなく、その功徳によって「本門戒壇の大御本尊」たらしめていたのは、実は信者(学会で言えば、その会員)であったという事実を、ここに、わたしは確認しました。
強い信仰心があれば、聖地・器物、もっと言えば石山僧(殊に「御法主上人猊下」)がなくても、たしかに功徳の体験があり、さらに「生命力が涌く」実感もあるわけでしょう。
わたしはこのような事実を、信仰者の復権として成文化できないかと筆を回しています。
信仰者の復権とは、権威に隷属することがあたかも信仰であったという誤解から、そのような権威(石山で言えば聖地・器物・法主)から、信仰者各個人が自らの信仰の権利を取り戻すということです。(創価学会の組織と指導者が、自分にとって権威的に機能している人があれば、また、その点を是正されればよいわけです。それは他の集団所属者であっても、もちろん同様です)
まあ、そのような意味から、批判し合う愚に文を潰えるのではなく、積極的に学会員の方とも前向きな議論をしたいという欲求を、わたしは持っているわけです。そんな素地を整える意味も合っての今回の研究会企画でした。ただ、誤解があるいけないので付言すれば、その積極的、且つ前向きな議論は、何も創価学会(員)ばかりではなく、どの集団、どの信者とも、同様に考えています。
ただ、その際、一つの条件となることは、挙証不能な一方的な信念体系を押しつけられても、実りある議論にはなりません。ですから、この議論の条件は「事実を受け入れる勇気」を持っていることとなるかと存じます。
以上のような観点から、吉祥仙人さんとも有意義な議論が出きればと思っている次第です。
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