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454
:
犀角独歩
:2005/02/07(月) 12:41:19
−453からつづく−
かつての創価学会、先の‘聖地’について、自分たちの功徳の源泉が「本門戒壇の大御本尊」であり、その彫刻がある大石寺を「魂の故郷(ふるさと)」ととらえていたわけですが、離間後、実は、その功徳・実体験はそのような器物、聖地にあるのではなく、己れの信仰心、(彼らの言葉で言えば)「生命」に内在する力の発揮に依っていた点を実感するに至ったのであろうとわたしは見ます。
つまり、創価学会は、器物・聖地信仰(である石山思想から)から脱却した次段階に入ったことを意味するのであろう見ます。
これはたとえば、キリスト教が、かつては聖地巡礼を大きな信仰的な基礎にしていたのにも拘わらず、日本のクリスチャンの多くが、聖地巡礼に無関心である点を彷彿とさせるところがあります。このような変遷は、宗教観の変遷として起こり得る普遍化なのか、日本的な特徴であるのかは、わたしは決せませんが、少なくとも、創価学会は、まずは聖地不要をクリアしたのは事実なのであろうと観察できます。また「本門戒壇の大御本尊」を「三大秘法の御本尊」と理論化し直したことは、来る器物不要の通過点をわたしには思えます。それは2段階であり、まず石山の象徴・彫刻本尊をクリアし、次には印刷漫荼羅を本尊とする点もいつしかクリアする道程にあると窺い観ています。(ポスト漫荼羅)
島田師は、現創価学会を信仰の空洞化、もしくは停滞として現会員を観察し、その充足に、政治活動を充てていると観察しているようでした。外部であるわたしは、現創価学会の斯かる状況に関しては、よく理解できるところではありませんが、立正安国、広宣流布の現在的展開と実践が、公明党を通じた政治活動によって位置づけられているのではないかと思えます。
質疑応答では、「創価学会が宗教法人である理由がわからない」と指摘した参加者に対して、島田師は「集団として、何らかの法人格を宛う必要があるが、いまの法体制としては宗教法人以外に相応のものは見当たらない」と応えておられました。わたしも個人的には、創価学会は、ポスト宗教団体の道を歩むべきであると考えています。その端的な現れは既にあり、SGIとしての、国連への積極的関与におけるNGOとして活動は、その端緒なのではないのかと考えるところはあります。ただ、現段階では、それはポスト宗教化の課程であるというより、諸活動の一側面であり、当面、その点についての変更はないであろうと思えます。
以上、昨日の講義と、所感を記しましたが、わたしは創価学会、もっと具体的に言えば、池田師、学会首脳は、正本堂建立時点で彫刻本尊の正体を掌握した、故に、その後の‘歴史’になった点までに言及できませんでした。この点から、見直した創価学会史の構築を、考えるところがあります。今後、「創価学会」を研究のテーマにするかどうかは未定ですが、いずれにても、この点は考えて参りたいと思っております。
島田先生には、この場をお借りして、御礼申し上げるものです。
また、告知の機会を与えてくださった管理者さんにも併せて御礼申し上げるものです。
有り難うございました。
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