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オフ会 開催案内

453犀角独歩:2005/02/07(月) 12:40:54

皆さん、昨日はご苦労様でした。
総勢20名のご参加でした。


島田先生とは、ここ10年来、カルト問題、取り分け、オウム真理教という団体を、彼岸と此岸に睨むという対岸の関係にあり、わたしは積極的にお会いすることはありませんでした。しかし、昨年、『創価学会』(新潮社)を発刊されたことから、今回、ご講義をお願いすることとなりました。
師は、宗教学、社会学、宗教社会学と言った分野、さらに仏教学なども含めて、政治活動も孕んだ、敗戦後日本の、最大宗教動向である創価学会をまじめに研究する、たぶん唯一の学者であるとわたしは見ています。

冒頭、逝去2カ月前に故高木豊師が島田師の元へ訪れたこと、それは高木師が、やり残した点を自分に託すためであったという実感があると語られながら、その後の上杉清文師、渋澤光紀師等との交友に触れられながら、、小松邦彰師の講義を通じて日蓮真跡遺文に触れている点、、先の『大日蓮展』で観た所謂日蓮宗・宗定漫荼羅の圧倒的迫力に「日蓮て、すごいやつだ」という驚きが、現在の研究のきっかけになっていると、その思い出を語られるところか、講義は始まりました。

師の昨日の講義で、(変な意味ではなく)創価学会の特異性について、実に際だった指摘が何点かありました。そのなかで、空即是進化さんが記された‘聖地’なき宗教という特徴を挙げられていました。師は、学会は大石寺との分離後、その聖地を失ったが、それに変わる聖地を構築しつつあるのだろうかという疑問を呈されていました。二次会で、現役学会員の方が指摘されていましたが、「現学会には聖地は不要である。むしろ、それで一貫している。牧口初代会長は、創価教育学会創立以前『人生地理学』で聖地は宗教を形骸化させると言っていた(要旨)と語っていました。同書の記述について、わたしは現段階では確認していませんが、実際のところ、創価学会は聖地を必要としない教団としてその特質を示しているのは事実であろうと思います。同氏は、その文証的根拠として「この御本尊まったく他に求む事勿れ 只、我ら衆生の法華経を保ちて南無 妙法蓮華経と唱える胸中の肉弾にお わしますなり。これを、九識心王真如 の都とは、申すなすなり」を挙げていました。

また、‘教祖池田’という点については、島田師は新会則の制定は「ポスト池田」であり、すでに「指導者池田」という観点から、一歩前に進んだ展開に入っている点を指摘されていたわけです。

わたし個人的な意見を述べれば、創価学会は過去50年間の歴史を、池田師を中心に据えて、どう理論化するのかという課程にあると思えます。その結論は創価学会は将来的(50年、もしくは100年)にはポスト・漫荼羅、さらにはポスト日蓮という展開すると予測しています。


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