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創価学会の功罪を考える
1957
:
問答迷人
:2011/08/07(日) 12:22:29
独学徒さん
ご提示誠にありがとうございます。
>台密の系譜に伝教大師の名
何らかの経緯によって、お考えを修正された訳ですね。とても興味深いご指摘です。また、現宗研の真蹟遺文において「随自意御書」と名付けられている書の記述「後延暦二十三年に御入唐、同じき二十四年御帰朝、天台・真言の宗を日本国にひろめたり。但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか。」(弘安元年)も、恐らくは、ここにも御考えを修正された事が窺がえる、と思いました。
>慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化したと勘違いし、慈覚大師を誹謗
ご指摘の通り、伝教大師が弘めたのが「天台・真言の宗」であったとの認識を「随自意御書」を書かれた弘安元年頃には持って居られた訳ですから、それ以前のいずれかの時点で、慈覚大師が勝手に天台宗の教義を密教化してのではなく、伝教大師にも日本天台宗の教義を密教化してしまった責任はある、と言う風に、日蓮聖人が認識を変えられたという事だと思いました。
>日蓮聖人はブレまくった人生
「随自意御書」の、「但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか」という個所は、慈覚大師に対する批判が、伝教大師を含む日本天台宗に対する批判に変化した事を表明した事になりますから、比叡山に学んだ日蓮聖人に取っては、大きな心境の変化だったと思います。確かにブレたとも言えると思いました。
1958
:
古沢石日
:2011/08/07(日) 17:10:02
独学徒さん
ブレまくったとはどういう事でしょうか。
私がブレないという言葉を使ったことにたいしての対義語で
言葉を選ばず「ブレまくる」と使ったのでしょうか。
ブレまくるの意味ごぞんじですか。
あーだこーだ、こういったと思ったらこう言う、
さっきの言葉と今と全然違うよ。
あーーまただよ。あら、昨日と今日と明日全然別だよ。
こんな感じですかね。
日蓮聖人はブレまくっておられたのでしょうか。
是非ブレまくりのまくり部分を現存する文証を持って
事細かくご教示いただけますようお願い申し上げます。
1959
:
独学徒
:2011/08/07(日) 20:47:53
古沢石日さん、はじめまして。
「現存」ですか、厳しいご注文で。
「事細か」はご遠慮申し上げます。忙しいので。
かの浅経の読誦等の句に花厳・方等・般若等をいるゝたにも不思議なるに、後八年の大法法花・涅槃・大日経等をはしし入て上品上生の往生の業とするたにも不思議なるに、あまさえ称名念仏に対して法花経等の読誦はしちには往生せすなんと申て
(文永三年 真蹟断簡 池上本門寺蔵 御書全集未入集)
この時点では「後八年の大法法花・涅槃・大日経等」とあるように、大日経を爾前経としては扱わず所謂「法華涅槃時」の経典として扱っています。
法華経には正直捨方便但説無上道云云。涅槃経には邪見之人等云云。邪見方便と申は、華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経経也。
(建治三年 下山御消息 真蹟断簡分蔵)
この時点では大日経を「四十余年の経経也」と爾前経に位置づけています。
少なくとも「大日経」の取り扱いについて日蓮聖人は一期の内にブレました。
また先の投稿の如く、日本天台宗の密教化について、
日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となつく。又天台宗の慈覚・安然・恵心等は法花経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。
(建治元年 撰時抄 真蹟玉沢妙法華寺蔵)
と慈覚大師を伝教大師の師子身中の虫と誹謗されていますが、その理由は先に引用の下山抄に「叡山の円頓戒者又慈覚の謗法に曲られぬ。」と、慈覚大師から日本天台宗が密教化に傾倒したと誤解していたからでしょう。その後弘安期の「一代五時鶏図」で渋々日本天台宗の密教化が伝教大師に始まることを認識せざる得なくなっています。
遅ればせながら、本日東博の「空海と密教美術展」展観してきました。
金剛・胎蔵両界の灌頂記の第一番目に「最澄」の名が有り、伝教大師が空海に弟子入りしてまで、天台宗の教義に本場の密教を取り入れようとしていた事跡はもはや否定のしようがありません。両界灌頂の冒頭に記すなど、当初空海も最澄に対して畏敬の念をもって接していたのを感じます。
成仏義のブレに関しては、先に提示した興風談所の論考をご参考になさって下さい。
学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。
日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、時には致し方なく考えを改めたのでしょう。
1960
:
古沢石日
:2011/08/07(日) 21:12:44
独学徒さん、ごあいさつもせず不躾なお願いをしまして
まことにもうしわけございません。
早々にご丁寧にご回答いただきまして
まことにありがとうございました。
1961
:
古沢石日
:2011/08/07(日) 23:03:51
>日蓮聖人は一期の弘通に一貫性は無く、門下に対する指導も変わっています。
>今を生きる私たちとなんら変わらず、間違いを指摘されても頑固として曲げられなかったり、
>時には致し方なく考えを改めたのでしょう。
御書も先に書かれた内容と後年とではご指導が変わっていくのでしょうか。
もしそうであれば、真蹟、写本の有無だけでなくご執筆年月日の整理も必要に
なるという事でしょうか。
>学問にはそれ相応の出費はつきものだと思います。何でもネット掲示板で得るのではなく、
>議論にあがった論著を手元に置く努力も必要なことと思います。
仰せのとおりだと思いますが、ネットからリンクリンク検索検索で得る情報量と
書籍一冊読破する情報量とでは、太平洋と牛蒡ほど差があると思います。
別にお金が無いわけではありませんが、移動もほとんど車でして、電車等で
読書の時間があれば是非読書はしたいのですが、自宅ではテレビも見ず
ネット三昧ですので、結局積読になってしまいます。
1962
:
独学徒
:2011/08/07(日) 23:33:42
古沢石日さん、
ネットの情報量は膨大ですが、信憑性を含め問題も多くあります。
本当の事が知りたいのであれば、できるかぎりの文献を収集することと、実際に寺院等に足を運んで自分の眼で実物を見る事が必須だと思います。
安房妙本寺のお虫払い法要などは、事前連絡等無くても誰でも参拝し、万年救護大本尊の御真蹟を拝する事ができます。
不動・愛染感見記も真蹟を拝する事ができます。
今年は土曜日の開催ですから、多くの方で賑わうと思います。
1963
:
古沢石日
:2011/08/08(月) 00:47:13
独学徒さん
>信憑性を含め問題も多くあります。
仰せのとおりです。これが一番の問題です。
>自分の眼で実物を見る事が必須だと思います。
これはとても大切だと思います。
以前京都博物館での国宝自筆立正安国論には
言葉に出来ないくらい感動いたしました。
数々の真筆御曼荼羅の感動、今でも昨日の事のように覚えております。
1964
:
古沢石日
:2011/08/09(火) 21:05:47
管理者さま
お手数をおかけしますが
>>1953
の書き込みを削除していただけませんでしょうか。
お時間おありの時で結構です。
読み返すとあまりにも失礼な書き込みでした。
1965
:
古沢石日
:2011/08/10(水) 23:10:07
管理者さま
お手数をおかけいたして申し訳ございませんでした。
削除ありがとうございました。
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