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日蓮聖人と真言密教
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:
犀角独歩
:2002/06/26(水) 13:05
> 3
たしかに『観普賢菩薩行法経』に「釋迦牟尼名毘盧遮那遍一切處」の一節が見られます。なんだか、私はこのような所説があるからこそ、『観普賢菩薩行法経』は法華経の結経と“された”のではないかと考えるわけです。毘盧遮那による仏概念の統括という一連の流れが大乗仏教運動と言われる思想系譜の底流を為していたという見方です。
各所別々に現れた仏概念を整理しようとする試みが三身論で、それを統括しようとしたのが三身即一身という相即論ではないのかと思うのです。
仏と言えば釈尊に決まっていますが、そこに新しい大乗仏教の仏として毘盧遮那仏が創作され、さらに恩寵説に基づく阿弥陀如来が現れてきた。前者は、たぶんイランのミトラ神(太陽神)の混淆で、後者はキリスト教でいう神の混淆であると言われますね。さらに、この頃、やはり、イランに起源を見る救世主思想が仏教に混淆し菩薩思想が生じるのでしょう。
救世主はミシュランですが、この語源はミトラ、つまり、毘盧遮那仏の原型であるイランの太陽信仰と起源を同じくしているわけです。ミトラは仏教ではマイトレーヤとして取り込まれていくわけですね。すなわち、弥勒菩薩です。菩薩思想の起源は弥勒信仰に始まるわけです。
以上のような思想交流と混淆が三身論と菩薩思想を生み出していったのだけれど、結局、それは釈尊一仏に戻そうとしたのが法華経であるし、観普賢菩薩行法経であったのでしょう。そして、その整理は菩薩思想の整理も含んでいたのではないでしょうか。
日蓮の後半生は霊山浄土思想にあったと指摘したのは、たしか田村芳朗師でしたが、この浄土思想は極楽浄土を基底にするものなのでしょうね。
私は法華経と阿弥陀経というのは兄弟関係にある経典であると考えています。
虚空会における寿量釈尊、同じく虚空会で語られる極楽と阿弥陀如来、実に、類型にあります。
特に注目するのは法華経安楽行品の「安楽」という一語です。これは、魏代には、スカバティーの訳語として使われていた語でした。
○スカバティー(極楽浄土)の訳語の変遷
年代・・・・・訳語・・・・・・・・・・・・・・出典
179・・・・・・須摩提・・・・・・・・・・『般舟三昧経』
147-186・・須摩提、須阿提・・・・漢訳
223-253・・須摩題・・・・・・・・・・・・呉訳
223-253・・須阿摩提・・・・・・・・『慧印三昧経』
252・・・・・・“安楽”・・・・・・・・・・魏訳
269・・・・・・須摩提・・・・・・・・・・『方仏泥[(江-エ)+亘]経』
280-312・・須訶摩提・・・・・・・・『菩薩受斎経』
313-316・・須訶摩提・・・・・・・・『三曼陀[風*友]陀羅菩薩経』
402・・・・・・極楽・・・・・・・・・・・・『阿弥陀経』
420-479・・極楽・・・・・・・・・・・・『如来智印経』
708-713・・極楽・・・・・・・・・・・・・・唐訳
1001・・・・・極楽・・・・・・・・・・・・・・宋訳
(岩本裕著『極楽と地獄』112頁の記述に基づいて整理)
3世紀頃、極楽を安楽と言っていたわけです。
安楽行品の安楽はスカバティを訳したものではないと思いますが、羅什は何らかの意図を含ませていたのでしょう。
ここまでくると日蓮聖人の祖意では留まらず、さらに天台より数世紀戻って文化交流論から考えないと答えは出ないことになるでしょうね。
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