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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

579犀角独歩:2003/09/20(土) 12:41

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この論評は頷けます。
石山は有師前に廃寺同然まで廃れていたのではないのか、と想像しています。
寺地が売買され、住職権(あとで相承)も浄蓮が預かったのもあったことではないのか、それを復興したのが有師であったと考えます。しかし、仰るとおり、隆門に及ぶものはなかったでしょう。

帝都弘教も朗門像師が任を果たし、朝師、辰師などに比べ、石山教学は規模は小さいと思えます。ただ、寺内整備は精師がよく果たし、富士門に限る範囲ですが、寛師の巻き返しは要山にまでその影響は及ぼしたのは事実と思えます。しかし、所詮仰るとおり、「独り善がり」の域を出るものではなかったと見えます。

その第一の理由はアネモネさんのご見解にも見えますが、世間一般という尺度に叶わなかった点にあると、わたしは思っています。挙証義務云々を殊の外、強弁するのは、そこに理由があります。


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